それにしても、ニコラ神父にとってもぜんぜん未知の人であったゴンザレス氏が、遠いブラジルからこの異国の、名もしれぬ教会へ多額の寄付をしたというのも意味深長である。そういうところから考えあわせると、やっぱり君江という婦人が、昔日の朋子のようにもおもわれるが、しかし、それならなぜその婦人は、鐘乳洞のあの迷路を、みずからマリに教えようとしなかったのか。しっていて、昔の思出の恐ろしさに、そのことをマリにかくしていたのか。それとも、やっぱり、ぜんぜんなにもしらない別人なのか。
つまり、金田一耕助のいまおちいっている昏迷の泥沼というのは、君江という婦人が昔の朋子であるかどうかということにしぼられているのである。
事件があってから六日目の午後、金田一耕助が射水の町の警察をたずねていくと、神崎署長もすっかり弱りきっていた。
「どうも金田一先生、君江という婦人は、やっぱりまだあの鐘乳洞のなかにかくれているにちがいありませんぜ」
「ほかから消息はつかめませんか」
「ぜんぜん。駅のほうはあの晚からさっそく手配をしたんですが、汽車を利用してこの町を、立ち去った形跡はまったくありません。そうかといってあれ以来、君江という婦人のすがたを見たものはひとりもないんです」
いや、ないことはない、げんにニコラ神父とお作さんが、それらしいすがたを見ているのだが、それはここでいうべきことではなかった。秘密を厳守するということをニコラ神父にかたく誓ってきたのだから。
「それにしても、まだ鐘乳洞のなかにひそんでいるとしたら、食糧などはどうしてるのでしょう。玉造のほうから送りこまれているという形跡は……?」
「いや、それはぜんぜんありません。われわれは厳重に、あそこの入口を見張っているのですから」
「しかし、洞窟の入口はあそこばかりじゃありませんよ。矢部家のほうにもありますし、それに教会のうらがわにだって……」
「いや、矢部家のほうは大丈夫でしょう」
「どうしてですか。もし、君江というのが朋子だとしたら、慎一郎にとっては昔日の愛人ですから、大いに援助の手をさしのべそうじゃありませんか」
「いやあ、だからこそ、矢部家のほうは大丈夫だというんです。あそこには峯子という細君がいますからね。あの細君は警官以上に良人を監視しておりましょうよ」
「なるほど、そういえばそうですね。しかし、それじゃ、教会のほうの入口はどうです」
「いえね。金田一先生」
と、神崎署長は眼玉をくりくりさせて、
「食糧はあとから送りこむんじゃなくて、あらかじめ用意してあったんじゃないかと思うんです。あの鐘乳洞のなかに……」
「と、おっしゃるのは……?」
「いや、これは先生もあの晚、鮎川家のパーティに出席していられたのだからおわかりでしょうが、あのパーティのいきさつを、あとになってふりかえってみると、万事が矢部の老人を鐘乳洞のなかへ、おびきだすために演出されていたんじゃないかという気がするんです。先生はそうおかんがえになりませんか」
そういわれてみればそんな気もする。はじめからそれを企図していたかどうかは疑問としても、結果からいえばたしかに神崎署長が指摘するとおりである。
「しかし、それはなんのためです。昔じぶんをはずかしめた復讐をしようというわけですか」
「いや、まあ、動機はまだはっきりつかめませんが、あの母と娘がこの射水へやってきたのは、日本へきてから偶然こうなったのではなく、去年から計画していたんじゃないかとおもわれる節があるんです」
と、ゴンザレス氏の教会へたいする寄進の一件を語ってきかせたが、そのことは金田一耕助もニコラ神父からきいてすでにしっていた。
「しかし、署長さん、あの鮎川マリなる娘については、東京へ照会してごらんになったでしょうねえ。まあ、ぼくも新聞でよみましたから間違いはないと思いますが、ほんとうにコーヒー王の養女なんでしょうねえ」
「いや、それはもう間違いはないようです。こっちへやってきた船の船客名簿にも、ちゃんと母と娘の名がのっています。それだけに厄介なんですよ。この事件は。……悪くすると国際問題をひきおこしますし、そうなるとむこうにいる日本人にとって不利ですからね」
と、神崎署長はいまいましそうに眉をひそめた。
金田一耕助のみるところでは、マリの態度はたしかにそれを勘定にいれているようである。国籍が外国にあること、しかも、外国の大富豪の養女であるという身分。――マリはたくみにそれを利用して、警察がわの攻撃を防ぐ楯にしているのである。だから、見ようによってはひと筋縄でいかぬ娘ということもできるだろう。
「しかし、署長さん、マリの母が洞窟のなかにかくれているとして、それからまたそこに十分な食糧が貯蔵されているとして、あの母と娘はこれからさき、どういう手段をとるつもりでしょうねえ」
「それはもちろん、こちらの監視の眼が緩和されるのを待っているのでしょう。おそらく変装のための服装なども用意していたにちがいない。げんにあの晚きていたものは、井戸のなかから発見されたんですからね。だから、こちらの監視がゆるむのを待って、洞窟からぬけだし、町を逃げだすつもりにちがいない」
「しかし、署長さん、それだとしたら、すでにもう抜けだしているのではありませんか」
「それですよ、金田一先生、わたしが心配しているのは……しかし、いままでのところそういう情報は入っていない。さっきもいったとおり駅は厳重に見張っていますし、それに東京のような大都会とちがって、こういう田舎の小さな町では見しらぬ人間はすぐ眼につきますからね」
金田一耕助も一昨日の夜、お作さんやニコラ神父が目撃した鐘楼の影が、マリの母親だとしたら、そのひとはまだこの町のどこかにいるはずだと、神崎署長の説を肯定せずにはいられなかった。
「ときに、署長さん、鐘乳洞狩りはいつ決めなさるおつもりです」
「いや、それについては先生のほうへも、ご連絡するつもりでいたんですが、いよいよあす決行することになりました。県の警察本部からも応援の警官を大勢よこしてくれることになりましたし、町の青年団や消防団も手をかしてくれることに話がきまりました。金田一先生、そのときはぜひ先生にも……」
「はあ、承知しました。ぜひわたしもお仲間にいれてください」
金田一耕助はそれからまもなく警察を出ると、玉造の別館へマリをたずねてみた。
マリはカード.テーブルにむかって、ひとりしょざいなさそうにトランプのカードをならべて、ペーシェンスをやっていたが、金田一耕助の顔を見ると、屈託のなさそうな笑顔をむけた。
「金田一先生、その後、お母さまについてなにか情報が入りまして?」
と、その語気にはいささか挑戦するようなひびきがこもっている。
「いや、ところがそれがさっぱりで……」
と、金田一耕助はわざと投げだすように言い放つと、マリのすすめるアーム.チェヤーに、がっかりしたように腰をおとした。
「あら、あんなことおっしゃって……あたし田代さんからいろいろ先生のお話聞かせていただきました。先生にはもうこの事件の真相、ちゃんとわかっていらっしゃるんでしょう」
さぐるように金田一耕助の顔を視るマリの眼は、悪戯っぽくわらっているようにも見えるし、またその底には不敵な挑戦のようなものも感得される。
「なかなか、そうはいきませんよ。ことにあなたのような聡明なひとにかかってはね」
「あらまあ、先生、それ、どういう意味ですか」
「さあ、どういう意味ですか。あなたのいいように解釈してください」
「と、いうようなことをおっしゃって、あたしに気をもませようという作戦ですの」
「あなたは気をもむような女性ではない」
「あら、まあ、ひどい。あたしそれほど非情な女にみえまして?」
「非情かどうかしりませんが、……どうです、マリさん、その後、お母さんからなにかたよりがありましたか」
マリはまた、金田一耕助の表情をさぐろうとするかのように、瞳をすぼめてかれの顔を凝視していたが、やがて謎のような微笑をうかべて、
「玉造家のひとびとは、あたしがあまり母のことに冷淡だというので、気を悪くしていらっしゃるようですけれど、あたしほんとに母のことは心配しておりませんの。母はあたしよりよっぽど聡明ですから、きっとじぶんでじぶんをうまく処理するでしょう」
「しかし、そのお母さんには、夢遊病の発作がおありだというじゃありませんか」
金田一耕助が皮肉ると、マリはいっしゅん虚をつかれたようにはっとしたが、つぎのしゅんかん、はじけるような笑い声をあげた。
「それだからでございますのよ、金田一先生、あたしが母に安心しておりますのは……?」
「というのは……?」
「つまり、あたしの母というひとは、ときと場合によって、自由自在に夢遊病が起せるひとなんですの」
マリはそこでふたたびはじけるような笑い声をあげた。
金田一耕助は眩しそうな眼をして、わらいころげるマリのようすを視まもっていたが、やがて、ポツンとひとこといった。
「いよいよ、あしたから鐘乳洞の大捜索がおこなわれるそうですよ」
「先生、ごめんなさい」
と、マリはやっと笑いおさめて、
「しかし、いま先生のおっしゃったことなら存じております。河野先生がさっき町できいていらっしゃいましたの」
マリは心憎いまでおちついている。
「ああ、そうですか」
金田一耕助はいささか拍子ぬけの態で、
「ときに、マリさん、あなたはいつまでこちらにご滞在の予定ですか」
「さあ」
と、マリは小首をかしげて、
「この事件が解決するまで、いなければならないでしょうねえ」
「でも、事件が迷宮入りをしたら……?」
「あたし、そんなこと信じません」
「あなたはそんなにたかく、日本の警察官の能力を評価していらっしゃるんですか」
「いいえ、それはそうではございません」
「と、おっしゃると……?」
「金田一先生の才能をかたく信じておりますの」
金田一耕助はまたやられたかとマリの顔を視なおしたが、マリの顔はかたくひきしまって、じぶんを揶揄しているようでも、嘲弄しているようでもなかった。むしろ、ひたむきで真摯ないろをやどしたマリの瞳が、金田一耕助を凝視している。
金田一耕助はなにかふっと、うたれるようなものを胸にかんじながら、
「いや、どうもありがとう」
と、かるく一礼して椅子から立ちあがると、
「あら、もうおかえりですの。お茶もさしあげませんで……」
「いや、いいんです。ああ、そうそう、それよりマリさん」
と、金田一耕助はあたりを見まわし、
「あなた、きのうかきょう、神父さんかお作さんにあいましたか」
「いいえ、お作さんにはあの事件のあった日以来あいません。神父さんには一昨日お眼にかかりましたけれど……」
「ああ、それじゃね、これ、神父さんにはかたく口止めされてるんですけれど、あなただけにはそっと耳うちしておきましょう。一昨日の夜の九時ごろ」
と、金田一耕助はわざと思わせぶりにあたりを見まわし、
「あなたのお母さんらしき婦人のすがたが、教会の鐘楼にあらわれたそうですよ」
マリはいっしゅんぽかんとした表情で、金田一耕助の顔を見ていたが、急にさっと頬に血がのぼったかとおもうと、大きく眉がつりあがった。
「金田一先生!」
と、マリは咬みつきそうな顔色で、二、三步そばへかけよると、
「それ、どういう意味ですの。いまおっしゃったお話は……?」
「いや、ぼくにもよくわからないんですが、とにかくお作さんと神父さんのふたりが、一昨夜の九時ごろ、教会の鐘楼にあなたのお母さんとそっくりおなじ服装をした人影が、立っているのを見たというんです。むろん、顔ははっきりしなかったそうですけれど……」
マリは穴のあくようなつよい凝視で金田一耕助を視つめていたが、
「それで、その人影、どうしたんですの? ふたりはそのまま見のがしたんですか」
と、マリのその声はしゃがれて、ふるえているようだった。
「いや、もちろん、ふたりは鐘楼へあがっていったそうです。ところがあそこには階段がふたつありますね。内側と外側と……ふたりは内側の階段をのぼっていったんですが、そのあいだにあなたのお母さんに似た人影は、外側をかけおりたとみえて、ニコラ神父とお作さんが、鐘楼のうえからみおろしたとき、鐘乳洞のなかへ駆けこむうしろすがたがみえたそうです」
マリは依然として、灼けつくようなつよい視線で、金田一耕助をみつめていたが、やがて、
「先生、ありがとうございました」
と、かるく一礼して顔をそむけると、その頬にはなにかしら、謎のような微笑がしだいにひろがっていくのが、金田一耕助にははっきりみてとれた。
洞窟狩り
県の警察本部からおおぜいの警官隊がかけつけてきて、町の青年団や消防隊とともに、大仕掛けな鐘乳洞内の捜索がおこなわれたのは、マリの母の君江が失踪してから七日目のことである。
捜索隊は三隊にわかれて、鐘乳洞の三つの入口からなかへ入っていくことになったが、なんといってもいちばん問題なのは、玉造家の背後にある入口である。だから、そこから入っていくのが本部隊格だが、そこでは神崎署長が陣頭指揮にあたっていた。玉造家でもすてておけないので、康雄と田代幸彦がその部隊に参加した。
捜索隊の一行はめいめい鐘乳洞の地図をわたされていた。但し、地図といっても完全なものではない。いままでに判明している部分だけの略図で、その地図からはみだしたところに、|蜿《えん》|蜒《えん》として地底の迷路がつづいているのだときかされて、ほかから応援にきた警官たちは少からず気味悪がった。
警官たちはみんなむろん武装しているが、青年団や消防隊の連中も、てんでに棍棒だの杖だのをたずさえている。武装していないのは康雄と田代幸彦だけだったが、ただし武装している連中も、けっして手荒なまねをしてはならぬといいふくめられていた。
午後一時、玉造家の裏庭へいさましく勢ぞろいした一行は、そこで改めて神崎署長から一場の訓示をきかされると、いきおいこんで洞窟のなかへ入っていった。その先頭にたったのは、いうまでもなく康雄と田代幸彦である。
たぶんに野次馬性をもっている由紀子は、お友達といっしょに、つぎからつぎへと洞窟のなかへもぐりこんでいく捜索隊の一行を、わざわざ洞窟の入口まで見送りにきたが、マリは出迎えも見送りもしなかった。
由紀子たちがつれだって、母屋のほうへひきかえしてくると、別館のほうからピアノの調べがきこえてきた。それをきくと由紀子はロイド眼鏡のおくの眼をひからせて、ちょっと下唇をつきだした。町中がこんな大騒ぎをしているさいに、のんきにピアノなどをひいているマリの気持ちがわからないと、幼い由紀子は憤慨するのである。
あの事件以来、由紀子はまたあまりうつくしすぎるこの間借人に警戒しはじめたようである。
「玉造、おまえこの洞窟狩りで、マリのお母さんが見つかると思うかい」
「さあね」
と、康雄は気のない返事である。
ふたりとも一応登山服に身をかためているが、手にもっているのは懐中電灯ばかり。このあいだの夜とちがって、きょうは相当の用意のもとに行われる洞窟狩りなので、懐中電灯もいきわたっている。
「田代、君はどう考えてるんだ」
「おれの考えじゃ、この捜索はむだ骨におわるぜ」
「どうして……?」
「だって、あれからもう七日、かよわい女の身で、そんなにながく洞窟のなかに、ひそんでいられるはずがないじゃないか」
「それじゃ、マリさんのお母さんはどうしたというんだ。やっぱり井戸のなかへ投身したというのか」
「まさか」
と、田代はせせらわらうように、
「そのことについちゃ矢部の奥さんというひとが、よいことをいったじゃないか」
「よいことって?」
「君はあのときいなかったかな。井戸のなかへ身を投げるのに、だれがきものをぬぐやつがあるかってね。あっはっは、まったくそのとおりだよ。だから、そのとき、変装用の洋服かなんか用意してあって、それに着かえてもうとっくにこの洞窟をぬけだして、いまごろは東京のホテルかなんかにかくれているさ」
「すると、君の考えでは、やっぱりマリさんのお母さんが犯人だというんだな」
「いや、それとこれとは話はべつだ。あのおばさんにあんな残酷なことできっこないからね」
「しかし、それじゃ、マリさんのお母さんはどうして変装までして逃げだしたんだい」
康雄はなにかにつっかかるような調子である。
「さあ、それがよくわからないんだが、なにかこの土地にいられないような事情があったんじゃないかな」
「そんな事情があるなら、はじめからここへこなきゃいいじゃないか」
康雄の調子はいよいよはげしく、けわしかった。田代はあきれたようにその顔をふりかえり、
「なんだ、君、憤ってるのかい」
「いや、べつに……」
と、康雄は急に鼻白んで、
「憤ってるわけじゃないがね」
と、やっとわれにかえったとき、背後から神崎署長が声をかけた。
「玉造さん、あなたのお考えはどうです。やっぱり田代さんとおんなじに、この大捜索もむだ骨におわるだろうとお考えですか」
「さあ」
と、言葉をにごしたものの、康雄はちょっとひやりとした顔色になった。
うしろから、警察官がくるとしって、はじめはひそひそ声で話をしていたのだが、つい昂奮のために声がたかくなったのである。康雄はいまあらためて、じぶんも一種の疑いの眼でみられていることを思い出している。
「玉造さん、いかがです。あなたのお考えは……?」
「さあ。……ぼくもだいたい田代とおんなじ考えですけれど……」
「田代さんとおんなじ考えとおっしゃると、やっぱり鮎川君江という婦人は、この洞窟のなかにはいないと……?」
「はあ。……」
「しかし、それはどういう根拠で?」
「いや、べつに根拠ってあるわけじゃないんですが、……やっぱり田代のいうように、女の身で七日間も、こんなところにいられるわけがないような気がするものですから……」
「ただ、それだけの理由ですか」
「はあ、それはもちろん」
と、康雄はわざと憤ったような声を立てたが、しかし、なんとなくその調子には力がなかった。
「このあいだのあなたのお話では、洞窟の途中までマリさんのお母さんを尾行していったが、その姿を見うしなったのでひきかえしてきたとおっしゃいましたね」
「はあ……」
と、康雄の返事にはあいかわらず力がなかった。
「それがわたしには解せないのだが、ゆくてには断崖あり、底なし井戸あり、さらにまた人跡未踏の魔の淵もある。そういうところへひとりの婦人が迷いこむのを、あなたはただ手を|拱《こまね》いて傍観していたんですか」
「どうもすみません」
「すみませんじゃすまないと思うがな」
神崎署長の言葉はおだやかだが、しかし、その調子の底にひめられた、疑惑と非難は康雄の胸にしみとおった。
「マリさんの話によると、マリさんのお母さんはときどき夢遊病の発作を起すことがあるという。しかも、あんたの目撃したマリさんのお母さんも、雲を踏むような足どりだったということだが、そういう不安定な状態で、ひとりの婦人が洞窟のなかへ入っていくのをあんたはなぜ阻止しなかったか……いや、阻止するまえに、マリさんのお母さんの姿を見うしなったとしても、どうしてあんたはそれをただちにわれわれに報告しなかったか……」
こんどは康雄はあやまりもせず、ただ、無言のまま步いていく。
田代はどんな顔色をしているかと、康雄のほうをふりかえったが、暗い洞窟のなかではよくわからない。まさかその顔へまともに懐中電灯をむけるわけにもいかなかった。
「玉造。そのとき、マリさんのお母さんは懐中電灯かなんか持ってたの」
「もちろん、そんなもん持っちゃいなかったよ。ただ、足音だけをたよりにつけていったんだ。その足音がばったりきこえなくなったもんだから……」
「それがこのむこうの、路がはじめてふたまたにわかれているところだね」
「さあ、どうだったか。なにしろ、真っ暗がりだったのでよくわからなかった」
「だけど、そこに、まあたらしいマッチの摺りかすがおちていたよ」
「じゃ、そこだろう」
康雄がつっぱなすようにつめたくいいはなったとき、
「ねえ、玉造さん」
と、神崎署長がふたたび質問をつづけようとしたが、そのときである。背後からがやがやわやわやさんざめきながらついてきた、青年団の団員や消防隊の連中のあいだから、とつぜんわっと|喊《かん》|声《せい》があがった。その声に三人も気がついたが、いつのまにやら一同はもう蝙蝠の窟まできているのである。
このおびただしい侵入者に、蝙蝠どもの大群は気がくるったように洞窟の天井を飛びこうている。なかには勇敢なのがいて、またこのあいだのように、灯を吹き消そうとまいおりてくるものもあったが、きょうは懐中電灯ばかりだから、かれらの羽搏きでは消えなかった。
捜索隊の一行がおもしろがっていっせいに、天井のほうへ懐中電灯をさしむけたので、その明るさが蝙蝠どもの神経を、いっそうかきたてたにちがいない。しばらくのあいだは胡麻をまいたように、洞窟の天井をまいくるっていた。
「おい、みんな、子供みたいなまねはよせ」
と、神崎署長は一同に一喝をくらわせると、
「さあ、前進だ! これからいよいよ迷路が複雑になってくるから、みんな気をつけろ」
ふたたび捜索隊の前進がつづけられる。
「ときに、ねえ、玉造さん」
と、神崎署長がふたたび質問をきりだした。
「われわれにはこの事件……すなわち矢部老人殺しに、あんたが関係のないことはわかっているんだ。われわれ……矢部老人をもふくめた一行が、あの晚、この洞窟へ入ってきたときには、あなたはすでに母屋のほうへかえっていたというしっかりとした証人もいるんです。だから、あの殺人事件に関するかぎり、われわれはごうもあんたを疑っちゃいない。しかし、あんた、なにかかくしてることがあるんじゃないかな。あんたみたいに、単身マリさんのお母さんのあとをつけて、洞窟へ入っていくほど勇気のあるひとが、なぜ、マリさんのお母さんをひきとめなかったか……夢遊病者みたいなあるきかただとすれば、それほどはやい步調じゃなかったと思う。よしんばマリさんのお母さんが疾走していたとしても、男の足で追いつけないはずはないと思うが……」
神崎署長はそこで言葉をきって、康雄の返事を待っていたが、それにたいして康雄が報いたのは、ただ頑固な沈黙だけだった。
神崎署長はいまいましそうに舌打ちをすると、
「とにかく、あんたはなにかをしっている。あの殺人には直接関係ないにしても、マリさんのお母さんに関してなにかをしっている。それがなんであるかをわれわれはしりたいのだが……」
だが、そこで神崎署長は残念ながら、いちおう、この質問を打切らなければならなくなった。ちょうど路がはじめてふたまたにわかれているところへさしかかったばかりか、矢部家のほうから入りこんできた第二部隊に合流したからである。
洞窟の悲鳴
ここで時計の針をすこしもとへもどして、矢部家の背後にある入口から侵入してきた、第二部隊について話をすすめることにしよう。
いうまでもなく第二部隊も、応援にかけつけてきた警官たちや町の青年団、それから消防隊員などで構成されていて、指揮者は江藤という警部補であった。矢部家でもみてみぬふりはできないので、あるじの慎一郎に義兄の宮田文蔵、それから古林徹三も参加することになった。慎一郎も文蔵もあまり気がすすまないふうだったが、それでは町のひとたちに義理がすみますまいと、例によって例のごとく、峯子の切り口上にうながされて、しぶしぶこの第二捜索隊にくわわることになったのである。
金田一耕助がこの一行のなかにまじっていたことはいうまでもない。みんなそれぞれかいがいしいいでたちをしているなかで金田一耕助だけがよれよれの袴というのが眼をひいた。
可哀そうに都はあの事件のショックでねこんでしまったので、峯子だけが鐘乳洞の入口まで一同を送ってきた。
「みなさん。ご苦労さまでございます」
と、例によって例のごとく切り口上で挨拶をすると、
「あなたも気をつけてください」
と、あいかわらずおさえつけるような調子である。
しかし、慎一郎はつっぱねるようにつめたく、
「なに、大丈夫だ」
と、いいはなったきり、顔をそむけて一同のあとにつづいて、鐘乳洞のなかへはいっていく。そのあとから宮田文蔵と古林徹三、いちばんどんじりが金田一耕助だった。
金田一耕助もこっちの路から入っていくのははじめてだったので、なにかにつけてあたりの風物が珍しかった。
こちらのほうでもてんでに懐中電灯をかざしているので、このあいだとちがって大いに威勢はよかったが、それでも外にかがやいている七月の太陽とひきくらべて、陰森たる暗闇のなかにひろがっている鐘乳洞内の空気は、あの恐ろしい事件の連想もともなってつめたく肌にせまるのである。
「古林さん」
ひときわせまい、トンネルのような洞窟をくぐりぬけると、金田一耕助はほっと身を起して、あとからついてくる古林徹三に声をかけた。
「はあ」
「あなたは二十三年まえ、洞窟のなかで英二君の死体を発見なすったそうですが。……」
「はあ、わたしが発見しました」
と、汽車のなかで出会ったときとちがって、古林徹三も言葉に気をつけているが、それと同時にだいぶん警戒的にもなっている。
「どうです。そのじぶんからみると、鐘乳洞のなかはかわっていますか」
「そうですねえ」
と、古林徹三は懐中電灯の光であちこちと照らしてみながら、
「それほどの変化もないんじゃないですか。もっともわたしはそのじぶん、それほどよく鐘乳洞のなかをしってたわけじゃありませんが……」
「英二君がなくなられてから、入ってみたことがおありですか」
「いや、いちども」
と、古林徹三は力をこめて、
「英二君の葬式がすむと、ぼくはすぐ東京へかえり、それから一か月ほどして満洲のほうへいっちまったものだから」
「満洲へいらしてからも、矢部さんのお宅とはご交際があったんでしょう」
「いや、それがね、すっかりごぶさたしてしまって……それというのがわたしとしても、気がとがめるところがあったもんですから」
「気がとがめるとおっしゃると……?」
「いや、べつに気がとがめる理由はないのですが、杢衛おじさんの歎きがあんまり大きかったもんですから……なんだか英二君のあの悲惨な最期も、わたしに責任があるような気がして……」
「あなたに責任があるとおっしゃると……?」
「いや、じつはそれはこうなんです。朋子……朋子さんの手紙がみつかって、慎一郎君と朋子さんの計画が暴露し、慎一郎君が奉公人たちの手でよってたかって、一室におしこめられるという騒動が起ったとき、わたしは家にいなかったんです。わたしが外からかえってきたのは、ちょうど英二君が血相かえて、鐘乳洞のなかへとびこもうとしていたところでした。わたしはなにごとが起ったのかと思って、英二君をひきとめてわけをたずねたんです。すると、これこれこういうわけだと、英二君がはやくちにわけを話して、それから鐘乳洞のなかへとびこんだんです。そのとき、なぜわたしもいっしょにいかなかったかと……つまり、それが気がとがめるもんですから……」
「しかし、そのときあなたは、まさかあのような惨劇がおこるだろうとはご存じなかった……」
「それはもちろんそうですが、わたしがいっしょについていたら、あんなことにはならなかったろうと……それだけにあの事件はわたしにとっても痛恨事なんです」
そこへひとあしおくれた慎一郎が、宮田文蔵といっしょに追いついてきたので、
「と、いうわけですから、こんどこうして頼ってくるというのも敷居がたかくて……慎一郎君にもはなはだ面目ないしだいなんです」
「どういうこと?」
じぶんの名前がでたので慎一郎がふたりの話に口をはさんだ。
「いやね、古林さんは渡満以来、すっかりごぶさたしていたということを苦にやんでいらっしゃるんですよ」
「そうねえ。古林君とはあれっきり音信不通になっていたね。このあいだ亡くなったおやじなども、徹三はどうしたのかと心配していたもんです」
「しかし、それにしても妙な因縁ですね。あなたがかえってこられると、とたんにまた、鐘乳洞のなかで事件が起るとは、……いや、これは失礼。もちろん偶然の暗合なんでしょうから、気にしないでくださいよ」
「いや、わたしじしんがふしぎな運命におどろいているくらいですから」
と、あっさり頭をさげたものの、そのときちらりと金田一耕助の横顔を視すえた古林徹三の眼差しには、おだやかならぬ光がほとばしっていたようだ。
金田一耕助はそれに気がついたのかつかなかったのか、なにくわぬ顔色で、
「それはそうと、古林さん」
「はあ」
「このあいだの晚、杢衛老人が殺された晚のことですけれど、あなた、われわれにぶつかって逃げだしましたね。あのとき、杢衛老人、とってもびっくりしていましたよ」
「はあ……」
と、古林徹三はあいての真意をはかりかねるように、金田一耕助の横顔をぬすみ視ながら、
「それは……そうでしょう」
「あなた、なぜ逃げだしたんですか」
「それはあの晚、神崎署長に申上げたとおりです。あんな時刻になんのために洞窟のなかをうろうろしてるんだろうなんて、怪しまれるのがいやだったからです」
「あの一行のなかに杢衛老人がいたことに、気がついていましたか」
「とんでもない。あんな薄暗がりのなかですもの……わたしとしては、相手がだれであろうとも、見つかりたくはなかったんです。しかし、おじさん、なにかいってましたか」
「いや、べつに……口をきくにはあまりにも驚きが大きいというようなお顔色でしたね」
「それはそうでしょう。あのひとにとってはとくに印象のふかいこの鐘乳洞のなかに、満洲からかえってきたばかりの男のすがたを発見したんですからね。あっはっは」
古林徹三はかわいたようなわらい声をあげた。
これで金田一耕助はひとつの事実をつきとめたのである。あの晚、洞窟の途中で出あった男が古林徹三であったことを。あのとき、金田一耕助は杢衛老人や由紀子にもいったとおり、神崎署長のかげにかくれて、あいてのすがたをみていなかったのだが、それがいまはっきりしたというわけである。
しかし、あのとき老人の表情にあらわれた、あの大きな驚きの色は、いま古林徹三がいった言葉で解釈できるだろうか。そこにはなにかしら、もっと深刻な意味があったのではないかと、金田一耕助には思えてならない。第一、古林徹三がああしてあわてて逃げだしたのにも、もっとべつの意味があるのではないか。しかし、あのときにはまだ殺人は起っていなかったのだが。……
金田一耕助の属する第二部隊が、神崎署長の指揮する本部隊と合流したのはそれからまもなくのことだった。
「やあ」
「やあ」
と、いさましい挨拶があったのち、
「どうだった? 江藤君そっちのほうは?」
「第二分隊、異状なしです」
「ああ、そう、それで、金田一先生はいらっしゃるかね」
「はあ、ぼく、ここにいます」
金田一耕助が第二分隊の連中をかきわけてまえへ出ると、
「どうでしょうねえ、金田一先生、問題はこれからさきの迷路にあるわけですが、このままがやがやわやわやと、押しかけていってもいいもんでしょうかねえ」
「そうですねえ」
と、金田一耕助が例によって、雀の巣のようなもじゃもじゃ頭をかきまわしながら、ちょっと返事をためらっていると、そばから田代が口をはさんだ。
「そんなこと意味ないですよ。これからさき、鐘乳洞は網の目のようになってるんだ。みんなぞろぞろ、金魚のうんちみたいにつながっていくなんて能のない話ですよ。ここはいちばん手わけして、探していこうじゃありませんか」
「そうですね。これは田代君がいうとおり、二、三人ずつ組になっていくほうがいいかもしれませんね。みんな地図をもってるのだから」
結局、それがいいということになり、そこで一同はてんでにあいてをきめて、鐘乳洞内の複雑な洞窟を、べつべつにさぐっていくことになった。
金田一耕助は慎一郎と組になることになり、まもなくふたりは一同とわかれて、受持たされた洞窟のなかへわけいっていった。
「まったく驚くべきものですねえ、この洞窟は。……ひとりだととても入ってみる勇気はありませんね」
「わたしなど、子供のころから馴れていますが、でも、ひとりだと心細いですね」
しばらくふたりは黙々として、せまい、しめっぽい洞窟をあるいていった。おりおり、天井にぶらさがっている蝙蝠が、灯の色におどろいて飛び立ったりして、金田一耕助の肝をひやさせた。
もうほかの連中の足音もきこえなければ、わめき声などもとどかない、まっくらな、骨をさすようなぶきみな静けさ。
「ときに、矢部さん」
しばらくして、思いだしたように金田一耕助が声をかけた。
「はあ」
「あなたは二十三年まえ、朋子さんが失踪されると、すぐに結婚されたんですか」
「ああ、いや」
と、慎一郎はちょっと黙っていたのちに、
「すぐというわけではありませんでしたが、結局、そうならざるをえなかったんです。これはこのあいだの晚、宮田のあにきが話していましたが、うちのおやじというのがわかいころ、宮田のおじにひとかたならぬ世話になったんですね。それで宮田のおじおばが亡くなり、家が没落すると、峯子をひきとってうちから女学校へ通わせたのです。父は古風で義理がたい人間でしたから、峯子とわたしを夫婦にするのが、宮田のおじおばの恩義にむくいるに、いちばんいい方法だと思ったんですね。しかし、これはあきらかに父の失敗でしたね」