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作者: 当前章节:15389 字 更新时间:2026-6-23 00:11

 駅への手配も、一番列車に間に合ったし、いくら何でも、田駅から乗るとは思えないので、近くの駅にも全部連《れん》絡《らく》した。

 その他、バスや、駅前の交番、駐《ちゆう》在《ざい》所《しよ》へも連絡は行っている。

 残るは山道だけだったが、たとえあそこを越《こ》えても、町に出て、そこからはバスか列車しかない。

 そこにも連絡はつけてある。山道は一本だし、どこか他《ほか》へ出るというわけにはいかないのである。

 これで見付からないはずがない。——白木は、のんびりと構《かま》えていた。

 ところが、その夜までに、情《じよう》報《ほう》は二つ、三つ入ったものの、どれも人《ひと》違《ちが》いで、それ以後の手がかりは、パッタリ途《と》絶《だ》えてしまった……。

 次の日、常石勇《ゆう》造《ぞう》が、急いで大阪から戻って来た。

 「——お帰りなさいませ」

 と、公江が迎《むか》えると、

 「どうだ?」

 と玄《げん》関《かん》に立ったままで訊《き》く。

 「今のところ、何も……」

 と公江が答えると、

 「白木の奴《やつ》、何をしとる!」

 と吐《は》き捨《す》てるように言って、「行って来るぞ」

 そのまま村へと出て行ってしまった。

 白木巡《じゆん》査《さ》は、常石の質《しつ》問《もん》に汗《あせ》をふきふき応《おう》対《たい》した。

 「この通り、精《せい》一《いつ》杯《ぱい》の手は打ったんでございますが……」

 「ふむ。——しかし、娘《むすめ》も馬《ば》鹿《か》ではない。その辺が手配されることは良く承《しよう》知《ち》しているはずだ」

 「はあ、それはまあ……」

 「村のどこかに隠《かく》れているとは考えられんか」

 「村の中にですか?」

 白木は目を丸《まる》くした。

 「分らんぞ。みんなが諦《あきら》めるまで、待つつもりかもしれん」

 「しかし——どこに」

 「その気になれば、この辺りは、人のいない小屋とか、その類《たぐい》の場所はいくらでもある。そこを当ってみてはどうかな」

 常石の言葉には、白木としては逆《さか》らうことなど思いもよらない。

 「はあ……。しかし、それにはかなりの人手も……」

 「手当は出す。村の若《わか》いのを集めて、やってみてくれ」

 「は、はい!」

 白木は早《さつ》速《そく》、実行に移《うつ》った。

 七人の若《わか》者《もの》たちが集まって、村の中の捜《そう》索《さく》が始まった。

 しかし、物置小屋や、人の隠《かく》れていられそうな所には、文江の姿《すがた》は見当らなかった。

 常石は、山道を調べるようにと言い出した。山道の途《と》中《ちゆう》で、一晩《ばん》や二晩なら、寒さをしのいでいることもできる、というのだ。

 しかし、昼間はともかく、夜中や明け方の寒さは並《なみ》大《たい》抵《てい》のものではない。

 そんなことはあるはずがない、と白木も思ったが、ともかく、常石の気が済《す》まないというのでは仕方なかった。

 その次の日、今度は大人《おとな》たちも含《ふく》めて、十五人の村人が、山道から、そのわきへ入った一帯を調べ始めた。

 しかし、これは大変な仕事である。夕方近くになって、ようやく、あの橋の辺りまでやって来た。

 白木は、いい加《か》減《げん》ばて気味で、馬《ば》鹿《か》らしくなり始めていた。

 いくら常石の希望でも、こんなむだなことをやっても……。

 それに、村人には手当が出ているが、まさか白木が警《けい》官《かん》の身で手当をもらうわけにはいかない。白木の疲《つか》れは、それが一《いち》因《いん》でもあった。

 「やれやれ……」

 白木が、立ち止って息を弾《はず》ませていると、

 「白木さん!」

 と呼《よ》ぶ声がした。

 上の方である。

 「何だ!」

 と怒《ど》鳴《な》り返す。

 「ちょっと来て下さいよ!」

 上って行くのか。——白木はため息をついた。仕方ない。

 息を切らしながら、やっとの思いで上ってみると、ちょっとした草地になっている所で、三、四人が集まっていた。

 「何だね?」

 「これを見て下さい」

 「何かを燃《も》やしたらしいな」

 焼けこげた灰《はい》が、草を汚《よご》している。

 燃え残ったらしい白い布《ぬの》を、白木はつまみ上げた。

 「服の切れ端《はし》かな」

 「ワイシャツかブラウスじゃねえのか」

 と一人が言った。

 「どうして分る」

 「生《き》地《じ》の感じがさ」

 なるほど、そう言われてみると、そんな手《て》触《ざわ》りである。

 「ふーん。どうしたんだろう?」

 「下にも何かあるぜ」

 ともう一人が言った。

 灰《はい》の下を探《さぐ》ってみると、また燃えさしの、布《ぬの》が出て来た。

 そこへ来て、白木の顔がこわばった。疲《つか》れも一度に吹《ふ》っ飛んだ。

 今度は少し厚《あつ》手《で》の、水色の生《き》地《じ》だったが、その半分近くまで、明らかに血と思える、赤茶けたし《ヽ》み《ヽ》が広がっていたからだ。

 「——こいつは大変なことになった」

 白木は布を置いて、立ち上った。「おい、誰《だれ》か、村へ戻《もど》って、駐《ちゆう》在《ざい》所《しよ》から電話をかけてくれないか」

 「何事だね」

 「いや……まだ分らんが、こいつは、ただごとじゃないかもしれん」

 白木は、額《ひたい》の汗《あせ》を拭《ぬぐ》った。その汗は、ここまで上って来た、運動のせいではなかった……。

 公江は、布《ぬの》の切れ端《はし》をしばらく見ていたが、ゆっくりと首を振《ふ》って、

 「何ともこれだけでは……」

 と言った。

 「分らんのか」

 常石が、腹《はら》立《だ》たしげに言った。

 「申し訳《わけ》ありません。でも、最近は、あの子、自分の着る物は勝手に買って来ていましたから」

 白木が言った。

 「一《いち》応《おう》警《けい》察《さつ》の調《ちよう》査《さ》では、布が燃《も》やされたのは、三、四日前、血《けつ》液《えき》は人間のものに違《ちが》いなく、血液型はAということなんですが」

 常石が公江の方へ、

 「文江の血液型は?」

 と訊《き》いた。

 「A型です」

 「そうか」

 「ま、A型といっても、大勢いますからね」

 白木が、できるだけ軽い調子で言った。

 しばらく、三人とも口をきかなかった。

 「——つまり」

 と、常石が言った。「文江は殺されているかもしれん、と言うんだね」

 「いや……それはまあ……最悪の場合の話でして」

 「物事は常《つね》に最悪を覚《かく》悟《ご》しておく必要があるのだ」

 と常石は言った。

 「でも、あなた、文江は家出したんですよ」

 「山道で誰《だれ》かに出会ったのかもしれん」

 常石は、白木を見て、「——山を調べてくれるんだろうね」

 と言った。

 「それはもう……。県《けん》警《けい》から人を出してくれることになっておりますし。しかし、何分広いですから、多少時間はかかるかもしれません」

 「村の人たちにも手伝ってもらってくれ。何十人、何百人でもかまわん。手当はこの前の倍出す」

 「はあ……」

 常石の顔には、一《いつ》徹《てつ》な気《き》質《しつ》を示《しめ》す、厳《きび》しさがあった。

 捜《そう》査《さ》は、焼け跡《あと》の場所を中心に、始まったが、一日目は何の収《しゆう》穫《かく》もなかった。

 日が落ちて、白木が駐《ちゆう》在《ざい》所《しよ》に戻《もど》ってみると、吉成百代が、何となく落ち着かない様子で座《すわ》っていた。

 「やあ、百《もも》ちゃん。何だね?」

 「山の方……どうだったの?」

 「うん、今日は何も出なかったよ」

 「そう」

 百代は肯《うなず》いて、「良かった」

 と言った。

 「そうだなあ。百ちゃんは文江さんとは仲《なか》良《よ》しだったものな。なまじ何《ヽ》か《ヽ》見付かりゃ、悲しいわけだ」

 「きっと——町へ出て、どこかへ行ってるわ、大阪とか東京とか」

 「そうだといいと思っとるよ、わしも」

 白木はぐったりと椅《い》子《す》にへたり込《こ》んだ。

 百代は、何やら言い出そうか、どうしようかという様子で、モジモジしていた。

 「——何だね? 何か話があるんなら、言ってごらん」

 「ええ」

 百代は、ためらいがちに、「こんなこと……言いたくないんだけど、でも、やっぱり黙《だま》っていられなくて」

 「うんうん」

 と、白木は肯《うなず》いた。

 「あのね——別《べつ》に私《わたし》は、はっきり見たわけじゃないの。ただ遠くからだったけど——橋の上からで——」

 「橋? どの橋?」

 「山の上の」

 「あの橋がどうしたんだね?」

 白木は、真《しん》剣《けん》になって訊《き》いた。

 「はっきりしないんだけど——でも、和ちゃんと、それから包丁らしいものと——」

 「和ちゃん? 坂東和也のことかね?」

 「ええ」

 「包丁というのは?」

 「洗《あら》ってるのを見たの。それから、手《て》拭《ぬぐ》いを細かく裂《さ》いて、川へ流してた」

 「手拭いを?」

 「赤かったわ。でも、もとは白くて、大部分が赤く染《そま》ってたみたいで——」

 「待ってくれ! そりゃ——血で、ということかね?」

 「分らない。遠かったもの。でも——せっせと洗おうとして、諦《あきら》めて、裂いて流したのよ」

 「いつ、見たんだね?」

 少しためらって、百代は言った。

 「文江がいなくなった朝よ」

 翌《よく》日《じつ》、流れの下流から、裂いた手拭いの切れ端《はし》が、いくつか見つかった。流れに浸《ひた》ってはいたが、まだ血は充《じゆう》分《ぶん》にしみ込《こ》んでいて、検《けん》出《しゆつ》されたのはA型の血《けつ》液《えき》だった。

 坂東和也は、白木の質《しつ》問《もん》に、確《たし》かにあの朝、あの河《か》原《わら》で包丁を洗《あら》って、手《て》拭《ぬぐ》いを裂《さ》いて流したことは認《みと》めたが、文江を殺したりしない、と言い張《は》った。

 「包丁は何に使ったんだ?」

 と訊《き》くと、

 「用心に持ってただけです」

 と答えた。

 両親の話によると、雑《ざつ》貨《か》屋《や》をしているので、夜、荷物を持って、町から戻《もど》ることがよくあり、あの日も、そうだったという。

 町へ行った和也は、荷物をもらうのが遅《おく》れて、町を出るのがもう夜中近くになってしまった。懐《かい》中《ちゆう》電《でん》灯《とう》を持って、山道を歩いていたのだが、あの橋の近くまで来たとき、懐中電灯が故《こ》障《しよう》してしまった。

 真っ暗で、足を踏《ふ》み外して崖《がけ》を落ちる心配もあったので、しかたなく、朝が来るのを待っていた。

 あの包丁は荷物の中にあった売り物で、包みが破《やぶ》れて外へ落ちてしまったものだ、と言った。

 手《て》拭《ぬぐ》いについての説明は、大分こみ入っていた。——町で、荷物が来るのを待つ間、パチンコ屋に入って時間をつぶしていると、喧《けん》嘩《か》に出くわした。

 一人が殴《なぐ》られて、ひどく鼻血を出しているのに、みんな見ているだけなので、仕方なく和也が手拭いを貸《か》してやった、というのである。

 そんなに血がついていると思わず、ズボンのベルトに挟《はさ》んでおいたのだが、後で気付いて、川で洗《あら》ってみたのだと言った。

 「どうして、わざわざ引き裂《さ》いて川に流したんだ?」

 「だって、捨《す》てる所もないし、それこそ持って帰ったら、何と思われるか分らないし」

 と、和也は肩《かた》をすくめた。

 この説明には、どうにも無《む》理《り》があったが、白木でなく、県《けん》警《けい》の刑《けい》事《じ》が、もっと厳《きび》しく調べても、和也は、主《しゆ》張《ちよう》を変えなかった。

 ——その一方で、捜《そう》索《さく》も進められていたが、何しろ山の中全部を、くまなく捜《さが》し回るというのは、無《む》理《り》な話で、ついに、一週間後、捜索は打ち切られた。

 和也に自白させて、死体を隠《かく》すか、埋《う》めた場所を言わせた方が早い、ということになったのである。

 しかし、刑《けい》事《じ》の、並《なみ》の大人《おとな》でも音《ね》を上げるような厳《きび》しい追《つい》及《きゆう》にも、和也は頑《がん》張《ば》り抜《ぬ》いてしまった。

 結局、二週間後には、和也は一《いつ》旦《たん》釈《しやく》放《ほう》されたのである。

 警《けい》察《さつ》としては、文江が殺されている可《か》能《のう》性《せい》は高いとしても、確《かく》証《しよう》はなく、死体が見つからないのでは、たとえ逮《たい》捕《ほ》しても、起《き》訴《そ》はできないだろうという考えだった。

 ——和也は、村に帰って来た。

 しかし、この二週間に、村はすでに和也に有《ゆう》罪《ざい》の判《はん》決《けつ》を下してしまっていたのである。

 「——その一か月後でした」

 と白木巡《じゆん》査《さ》が言った。「朝早く、知らせを聞いて村外れの木のところへ駆《か》けつけると、和也は首を吊《つ》っていたんです」

 「本当に気の毒でした」

 と、公江は言った。「私《わたし》も主人も、一度だってあの子を犯《はん》人《にん》だと責《せ》めたことはありませんよ。だって、昔《むかし》からよく知っているんですからね。文江を殺す理由なんかないじゃありませんか」

 「その通りです」

 と、白木は肯《うなず》いた。「しかし、村の連中一人一人の口に戸は立てられませんからな」

 「結局、 ご両親も、 和也さんのお葬《そう》式《しき》を済《す》ませると、 すぐに村を出て行ってしまいましたよ」

 と公江は言った。

 「そう……。いつの間にか、いなくなっていたんですな。あんまり長く店が閉《しま》ってるんで、不《ふ》審《しん》に思って、私が裏《うら》から入ってみると、もう誰《だれ》もいなかった……」

 「たぶん、夜の内に、山を越《こ》えて行ったんでしょう。——気持は分ります。村に火でもつけたい思いだったでしょう」

 ——しばらく話は途《と》切《ぎ》れた。

 文江は青ざめた顔で、じっと話を聞いていたが、やがて、ゆっくりと息を吐《は》き出した。

 「何も知らなかったわ。——東京へ出てしばらくは無《む》我《が》夢《む》中《ちゆう》だったもの」

 「お前の責《せき》任《にん》ではありませんよ」

 「でも、私さえ家を出なかったら……」

 「済《す》んでしまったことよ」

 と公江は静かに言った。

 文江は立ち上った。

 「どうしたの?」

 「私の部《へ》屋《や》、どうなってるの?」

 「あのときのままよ。また今日から使いなさいね」

 「ええ」

 文江は出て行こうとして、「いいの、一人で行かせて」

 と、立ち上りかけた母を止めた。

 「一人になりたいの」

 「——分ったわ」

 公江は、文江が出て行くと、白木の方へ向いて、

 「このことを、村の人たちに知らせなくてはね」

 と言った。

 「大《おお》騒《さわ》ぎになるでしょうな……」

 白木はため息をつきながら、言った。

 文江は、襖《ふすま》を閉《と》じた。

 自分の部屋だ。——七年ぶりに見る部屋は、記《き》憶《おく》の中よりは狭《せま》かった。

 もちろん、片《かた》付《づ》いてはいるが、机《つくえ》も、タンスも、元のままである。

 扉《とびら》や引出しを開けてみると、中もそのままになっていた。——奇《き》妙《みよう》な気分だった。

 まるでタイム・マシンに乗って、七年前のあの日に帰って来たようだ。

 カーテンは、同じものだが、七年間、陽《ひ》を浴びて色が褪《あ》せていた。

 文江は、椅《い》子《す》に座《すわ》った。少しきしんで、苦しげな音を立てた。

 ——何ということだろう。

 自分がいなくなった後の村で、何が起っているのか、何も知らずに、自立するのだ、と、いい気になって勝手なことをやっていた。

 せめて、東京からでも、母へ、元気でいると、一本の電話を入れておけばよかったのだ……。

 今ごろのこのこと帰って来て、得《とく》意《い》げに、今はデザイナーとして自立し、成功していますよ、と鼻高々で語って聞かせるつもりだったのだ。

 本当に——本当に、いい気なものだ。

 しかし、白木と母の話でも、分らないことがあった。

 それを、文江は黙《だま》っていた。自分の胸《むね》の中だけにしまって、そして自分の力で必ず真相を明らかにしてやろう、と思った。

 それは、母の疑《ぎ》問《もん》、そのもの——つまり、この部《へ》屋《や》が、散らかっていたことと、書置きがなかったという、その二つである。

 母が考えたように、実《じつ》際《さい》、文江は、部屋の中をきちんと片《ヽ》付《ヽ》け《ヽ》て《ヽ》おいたのだし、書置きも、書《ヽ》い《ヽ》て《ヽ》、机《つくえ》の上に置いて行ったのだ。

 自分がここを出てから、うめと母が、この部屋へ来るまでの間に、何かがあったのに違《ちが》いないのだ。

 それは一体何だったのか……。

 ダダダッと階《かい》段《だん》を駆《か》け上って来る足音がした。

 振《ふ》り向くと同時に、襖《ふすま》がガラリと開いて、百代が、息を切らしながら、現《あらわ》れた。

 「——文江!」

 と、百代は言ったきり、そこにただ立っていた。

4 墓《ぼ》 地《ち》

 「黙《だま》って行っちゃうなんて、ひどいよ」

 と、百代が言った。

 「ごめん。——だって、まず母に挨《あい》拶《さつ》してから、と思ったのよ」

 文江と百代は、庭に出ていた。

 「それに——」

 と文江は付け加えた。「母に、もうお前のいる所はない、って追い出されるんじゃないかと思ったしね」

 「まさか」

 「——でも、そうされても仕方のないようなことをして来たんだものね」

 文江は、微《ほほ》笑《え》んで、「あなた、誰《だれ》と結《けつ》婚《こん》したの?」

 「杉《すぎ》山《やま》っていうのよ、今は。——文江、知らないでしょ。学校の先生なの。二十歳《さい》のときかな、私《わたし》、小学校の事《じ》務《む》に勤《つと》めてて、そのときに……」

 「そう。子《こ》供《ども》は一人?」

 「二人。下はまだ赤ん坊《ぼう》よ」

 「すっかりお母さんね」

 「太っちゃって、いやになるわ」

 と、百代はポンとお腹《なか》を叩《たた》いた。「——文江は若《わか》いわ。そのスタイル、服《ふく》装《そう》、凄《すご》いじゃない!」

 「だって、デザイナーなのよ。デザイナーが変な格《かつ》好《こう》できないでしょ」

 「花形ね。高級マンションに住んで、外国のスポーツカー乗り回して、男と恋《こい》を楽しんで……」

 「TVドラマの見《み》過《す》ぎよ」

 と、文江は笑《わら》った。「本当は忙《いそが》しくて、恋人と会う暇《ひま》もないわ」

 「恋人、いるの?」

 「一《いち》応《おう》ね。でも——結《けつ》婚《こん》しないと思うけど」

 「やっぱりTVドラマだ!」

 「私のマンションは、2DKのちっちゃなものよ。それも外国の雑《ざつ》誌《し》やら、スケッチが至《いた》るところに積んであって……」

 「でも、面《おも》白《しろ》いでしょうね」

 「色々と疲《つか》れることも多いわ。まあ、何とか食べてはいける程《てい》度《ど》に稼《かせ》いでるけど」

 二人とも、一番肝《かん》心《じん》の話には触《ふ》れていなかった。

 話さなくてはならないが、しかし、最後に回したいのだ……。

 「子供さんは?」

 「亭《てい》主《しゆ》がみてるからいいの。今日は早い日だったから。——文江のこと、すぐに後で分ったんだけど、子供かかえて、追いかけても行けないでしょ。だから、亭主の帰るのを待って、パッと押《お》し付けて来たの」

 「とんだ災《さい》難《なん》ね」

 と、文江は笑《わら》った。

 何となく、二人は黙《だま》った……。

 「文江」

 「ん?」

 「聞いた?」

 「うん。——白木さんもいたから、すっかり」

 「そうか……」

 百代は首を振《ふ》った。「今でも毎日考えるのよ。あのとき、私《わたし》があんな話をしなかったらって……」

 「あなたのせいじゃないわよ。——話したのは当り前だわ」

 「そう? でも、そのせいで、和也君は死んじゃったわ」

 「百代は、別に和也君が犯《はん》人《にん》だと言ったわけじゃないんだし……」

 「同じことよ」

 「もとはと言えば、私の責《せき》任《にん》よ。もちろん、そんなことになるなんて、思いもしなかったけど……。でも現《げん》実《じつ》にそうなってしまったんだもの」

 「もう取り返しはつかないものね」

 「そう……。ね、百代、和也君のご両親がどこへ行ったか、何か耳にしてない?」

 なぜか、百代は一《いつ》瞬《しゆん》、ためらったようだった。

 「分らないわ、全然。——誰《だれ》も知らない内にいなくなっちゃったんだもの」

 「そう……」

 「私、あそこの隣《となり》にいるのなんて、いやなのよ。いつも和也君のこと、思い出して。でも、今の家が安かったし、あの雑《ざつ》貨《か》屋《や》は取り壊《こわ》してくれるって話だったの。それが、いつまでたっても……。また当分、悩《なや》まされそうね」

 文江はちょっと間を置いて、

 「ね、和也君のお墓《はか》知ってる?」

 「ええ。毎年、命日にはいくのよ」

 「そう。じゃ、連れて行って」

 「今?」

 「そう。せめて、お詫《わ》びだけでもね」

 「いいわ、行きましょう」

 と、百代は肯《うなず》いた。

 合《がつ》掌《しよう》していた文江は、しばらくしてから、ゆっくりと顔を上げた。

 後ろに足音がして、振《ふ》り向くと母が立っていた。

 「このお墓《はか》は、私《わたし》が立ててあげたのよ」

 と、公江は言った。「せめて、と思ってね。——今となっては、本当に良かったと思ってるわ」

 「和也君は、もう戻《もど》らないわ」

 「それはそうよ。でも、お前が自分を責《せ》めることはないわ。人の力ではどうにもならないことがあるものなのよ」

 「そうね……」

 と、文江は肯いた。

 「あの——」

 と、少し退《さ》がっていた百代が、やって来て言った。「そろそろ帰らないと、子《こ》供《ども》のことが——」

 「そうね。ごめんなさい。私は大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。またゆっくりね」

 「うん。——しばらくはいるの?」

 「そのつもりよ。電話するわ」

 「そうして。主人にも紹《しよう》介《かい》したいし」

 百代は、急ぎ足で帰って行った。

 「——ああやって、毎日の生活の中に、過《か》去《こ》の傷《きず》が埋《うも》れて行くのよ」

 と、公江が言った。

 「私の傷は深すぎるわ」

 と、文江は言った。

 「文江」

 「なあに?」

 「東京へお戻《もど》り」

 文江は、ちょっと目を見開いて、

 「どうして?」

 と訊《き》いた。

 「ここにいても、いいことはないよ」

 「娘《むすめ》を、そうすぐに追い返さなくてもいいじゃないの」

 「ごまかさないの。お前が何か思いつめてることぐらい、分りますよ」

 「そう?」

 「そうよ。七年前も、お前はそんな顔をしてたわ」

 「それなら分ってるでしょう。私《わたし》の気持は変らないことぐらい」

 文江は墓《はか》を見つめながら、言った。

 「何をする気なの?」

 「本《ヽ》当《ヽ》に《ヽ》何が起ったのか、はっきりさせたいのよ」

 「七年も前のことよ。——それでどうなるっていうの?」

 「お母《かあ》さん」

 文江は微《ほほ》笑《え》んで言った。「——無《む》茶《ちや》はしないわ。私に任《まか》せて。もう子供じゃないのよ」

 公江は、ため息をついて、言った。

 「子供じゃないから心配なのよ」

 「一人にして。少し考えることがあるんだから」

 「分ったわ。——もうすぐ暗くなるわ。その前に帰りなさい」

 「そうするわ」

 公江が帰って行く。

 文江は一人、残って、墓《はか》の前に立っていた。

 文江の頭《ず》脳《のう》は、ここで育った頃《ころ》より、ずっとドライに、実《じつ》務《む》的になっている。——そういう点、母は理《り》解《かい》していないのだ。

 東京で、女一人、競争の激《はげ》しい社会に飛び込《こ》んでやって行こうと思えば、ともかく、感《かん》傷《しよう》は二の次である。

 まず計算ができ、そして行動できなくてはどうにもならない。

 母が言った通り、一《いつ》旦《たん》東京へ帰る必要がある、と文江は思った。

 この事《じ》件《けん》を洗《あら》い直して、真相を見つけるには、何か月かはかかるだろう。その間、東京での仕事はキャンセルしておかなくてはならない。

 今度の帰《き》郷《きよう》では、一週間しか休みを取って来ていないのだ。

 幸い、今、文江は仕事を多少キャンセルしても、後で仕事がなくなることはない。文江は割《わり》合《あい》に売れているデザイナーだし、それに、今までキャンセルしたことがないので、信用がある。

 一度だけのキャンセルなら、向うも快《こころよ》く承《しよう》知《ち》してくれるだろう。

 それに、東京へ戻《もど》らなくては、この地方の七年前の新聞など、どこへ行っても、見られまい。もちろん新聞社へ行くという手もあるが、今さら新聞種になるのも、ごめんだった。

 まず、新聞で、分るだけのことを調べ、それから、県《けん》警《けい》で、和也のことを調べた記録が見られるように、何とか手を打つ。

 そう。——それにもう一つ、和也の両親の行方《ゆくえ》が気になっていた。

 夜中に黙《だま》って出て行ったというが、その思いを、何としても、晴らしてやりたい。

 それは、警《けい》察《さつ》で調べればすぐに分るだろうが、できることなら、警察の手を借りずに自分で調べたかった。

 墓《ぼ》地《ち》を出て、文江は、ゆっくりと家へ戻《もど》って行った。

 畑の中の道を歩いて行くと、ブルル、という音が後ろから近付いて来た。

 振《ふ》り向くと、婦《ふ》人《じん》用《よう》のミニ・バイクに、中年の男がまたがってやって来る。

 「どいて!」

 と男が叫《さけ》んだ。「そこを、どいて下さい!」

 文江があわててわきへよけると、バイクは目の前を通り過《す》ぎ——ようとして、みごとに引っくり返った。

 その格《かつ》好《こう》がおかしくて、文江は、つい笑《わら》ってしまった。

 「いや——参った!」

 背《せ》広《びろ》姿《すがた》の男は立ち上ると、ズボンや上《うわ》衣《ぎ》の汚《よご》れを手で払《はら》って、「急ぐからと思って乗って来たのに、これだ!」

 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》ですか?」

 とまだ笑《わら》いを残して、文江は訊《き》いた。

 「ええ。——しかし、乗りにくいものですな、これは」

 「後ろに泥《どろ》が」

 「え?——ああ、こりゃどうも」

 文江は、ハンカチを出して、背広の背中についた泥を拭《ふ》いてやった。

 「いや、申し訳《わけ》ありません」

 と男は礼を言って、バイクを起こすと、

 「では、急ぎますので」

 と一礼して、またバイクを始動させ、またがって、走り出した。

 「何だか頼《たよ》りないわね」

 と、呟《つぶや》いて、文江は首を振《ふ》った。

 誰《だれ》だろう?——見たことのない顔だった。

 もちろん、七年の間には、村の顔ぶれも、多少、変っていよう。

 文江は、また歩き出した。

 ずっと先の方で、今の男が、またバイクごと引っくり返るのが見えた。

 「——今夜、東京へ戻《もど》るわ」

 と、夕食の席で、文江は言った。

 「何ですって?」

 と、うめが目を丸《まる》くした。「今日、おいでになったばかりですよ!」

 「そう。でも、早い方がいいの」

 「そんなこと——」

 「うめ」

 と、公江が抑《おさ》えて、「好《す》きにさせてやりなさい」

 と言った。

 「最後の列車が一時間後ね。それに乗るわ」

 「気を付けてね」

 「ええ」

 文江は手早く食事を終えて、立ち上った。

 「ごちそうさま。——久《ひさ》しぶりで、おいしかったわ」

 「さようでございますか」

 うめが、ふくれっつらで言った。

 「じゃ、仕《し》度《たく》するわ」

 文江は部《へ》屋《や》へと上って行った。

 「——奥《おく》様《さま》」

 とうめが言った。「どうしてお止めにならないんです?」

 「止めて聞く子じゃないでしょ」

 と、公江は言った。「それに、もう二十六なのよ」

 「でも、今度こそ、お帰りにならなかったら——」

 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》。帰って来るわよ、あの子は」

 公江は、自信ありげに言った。「お茶をおくれ」

 「はい」

 うめは、どうにも不満顔であった。

5 疑《ぎ》 惑《わく》

 「お帰り」

 と、草《くさ》永《なが》達《たつ》也《や》がグラスを上げた。

 「どうも」

 文江は、あまり気のない返事をした。

 「どうしたんだ? あんまり嬉《うれ》しそうじゃないね」

 と草永は言った。

 「どうして嬉しくなきゃいけないの?」

 「ご挨《あい》拶《さつ》だな。恋《こい》人《びと》と別《わか》れてるのが寂《さび》しくて、たった二日で帰って来たんだろ?」

 文江は、ちょっと笑《わら》った。

 「相変らずね」

 「変りっこないじゃないか、前に会ってから、四日しかたってない」

 「ずいぶんたったような気がするわ」

 と、文江は言った。

 銀《ぎん》座《ざ》の地下のレストランだ。小さな店だが、草永の会社が近いので、よくここで待ち合せる。

 草永達也は、広告会社に勤《つと》めている。

 といって、夜も昼もなく飛び回るエリートというわけでなく、至《いた》って呑《のん》気《き》な、庶《しよ》務《む》の人間だった。

 さほど二《に》枚《まい》目《め》でもないが、おっとりした人《ひと》柄《がら》の良さが、競争の社会で疲《つか》れている文江にとって、救いのように感じられる。

 あまり付き合ってスリルのある相手ではないが、何でも打ちあけて話せる男だった。

 「僕《ぼく》も、君がいない間は寂《さび》しかったよ」

 「意味が違《ちが》うのよ」

 と、文江は言った。

 「まあそうがっくりするな。仕方ないじゃないか。七年間、生死不明だったんだ。その内に、お母《かあ》さんの怒《いか》りも解《と》けるよ」

 「違うのよ。そんなことなら、こう深《しん》刻《こく》になりゃしないわ」

 「へえ。何事だい、一体?」

 「とんでもないことになったのよ」

 「もう君に亭《てい》主《しゆ》がいたとか?」

 「まさか」

 と、文江は苦《く》笑《しよう》した。

 食事をしながら、文江は一部始終を話して聞かせた。

 「そいつは辛《つら》いね」

 と、草永は言った。

 「そう。——いやになっちゃうの、分るでしょ?」

 「うん。しかし……」

 「私《わたし》、必ず、真相を暴《あば》いてやるわ」

 「つまり、君の部《へ》屋《や》が荒《あら》されていたことと——」

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