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作者: 当前章节:15389 字 更新时间:2026-6-23 00:11

 「掘《ほ》ってみなきゃ分らないさ」

 「でも、何か、事《じ》件《けん》に関係のあることでしょうね」

 「室田さんはそう思ってるようだ」

 「何でもないものを、あんな所に埋めないでしょうからね」

 「しかし、何が考えられるかな」

 と草永は腕《うで》を組んだ。「君はこうして生きてるから、君の死体じゃない」

 「もう!」

 と、文江は草永をにらんだ。

 「僕《ぼく》が前に言ったろう」

 「何を?」

 「坂東和也のことで、さ」

 「ああ。——他《ヽ》の《ヽ》殺人ってことね」

 「そうだ」

 「その死体が、あそこに?」

 「可《か》能《のう》性《せい》はある」

 文江はしばらく考えていた。

 「でも、おかしいわ」

 「どうして?」

 「死体隠《かく》すのに、わざわざ床《ゆか》下《した》に埋《う》めることないわよ」

 「そうか」

 と草永は肯《うなず》いた。

 「そうでしょ?」

 「裏《うら》山《やま》には、いくらでも場所がある、か」

 「そうよ。それなのに、わざわざ自分の家の床下に——」

 「しっ。——来たらしい」

 表に車の音がした。

 「行きましょう」

 「ねえ、君は——」

 「何?」

 「行かない方がいいんじゃないか? もし、死体だったりしたら……」

 「あなたこそ、引っくり返らないでよ」

 と、文江は言った。

 外へ出て、文江と草永は目を見《み》張《は》った。

 「まあ! いつの間に——」

 村の人たちが、何十人も、集って来ているのだ。

 「——どこから話が伝わったのかしら?」

 「これじゃ、隠《かく》し事はできないな」

 と草永は苦《く》笑《しよう》した。「さあ、入ろうか」

 中では、室田の指《し》示《じ》で、台所の床《ゆか》下《した》のものを掘《ほ》り出す作業が始まっていた。

 「入らないで!」

 と、警《けい》官《かん》に止められる。

 「ああ、その二人はいいんだ」

 と、室田が声をかけた。「さあ、こっちへ」

 他に、鑑《かん》識《しき》班《はん》らしい何人かが、壊《こわ》れた茶《ちや》碗《わん》のかけらを集めたり、窓《まど》の指で書いた〈床の下〉の文字を、カメラにおさめたりしていた。

 「——退《さ》がっていて下さい」

 と室田が言った。「土がかかりますよ」

 文江と草永は、少し離《はな》れて立っていた。

 「——何かあるぞ」

 と、掘っていた一人が言った。「ビニール包みだ」

 「出してみてくれ」

 と室田が言った。

 かなりの大きさのビニール袋《ぶくろ》が、取り出された。

 文江は、ゴクリとツバを飲んだ。

 「ゴミですよ」

 と、中を覗《のぞ》いた男が言った。

 気が抜《ぬ》けたような、戸《と》惑《まど》いが広がる。

 「その下を掘《ほ》れ」

 と、室田が言った。

 「もっとですか?」

 「ただのゴミをこんなにして埋《う》める奴《やつ》はいないよ」

 と室田は言った。

 なるほど、それはそうだ。文江は、じっと息をつめて見守った。

 ——かなり、穴《あな》は深くなった。

 「もう何もありませんよ」

 「もう少し掘れ」

 室田の言い方は、穏《おだ》やかであった。

 土が、床《ゆか》の上にも積まれた。——十五分が過《す》ぎた。

 「何かある!」

 と、声が上った。

 「出してみろ」

 ガサゴソと音がした。

 「トランクですよ。ずいぶん大きいけど」

 「上げろ」

 引《ひつ》張《ぱ》り上げられたのは、黒い、大型のトランクだった。

 「横にしろ。開けるぞ」

 と、室田が言った。

 「鍵《かぎ》がかかってます」

 「壊《こわ》していい」

 鍵は、楽に壊れた。ゆっくりと、蓋《ふた》が開いた。——文江は、一《いつ》瞬《しゆん》目をつぶった。

 「布《ぬの》がかけてある」

 「めくってみろ」

 ——そこには、またトランクが入っていた。今度は手で持てる程《てい》度《ど》のものだ。

 空いたところには布《ぬの》がつめてあるのだった。

 「何だか、人を馬《ば》鹿《か》にしてるな」

 「よし。こいつを開けよう」

 メリメリ、と音がして、今度の鍵は、やや抵《てい》抗《こう》があったらしい。

 「——おい!」

 声が上った。

 「たまげたな!」

 文江は近《ちか》寄《よ》って、そのトランクを覗《のぞ》いた。

 トランクには、びっしりと、札《さつ》束《たば》が詰《つま》っていた。

 「驚《おどろ》いたわ」

 文江は、パトカーの走り去るのを見送って言った。

 「あれは何でしょうね?」

 と草永が訊《き》くと、

 「調べてみないと分りませんが……」

 と、室田は言った。「七年前、あの事《じ》件《けん》があったころ、隣《となり》の町で、銀行が襲《おそ》われているのです。——確《たし》か、四、五千万円がやられました」

 「それが今の——」

 「日付を見てみましょう。おそらく間《ま》違《ちが》いないでしょうが」

 「何てことかしら!」

 「じゃ、和也は、その一味だったんでしょうか?」

 「さあね。それにしては、金に手をつけていないのが妙《みよう》です」

 「そうですね」

 「あれだけ深く埋《う》めるには、当分使わないという決心があったんでしょう」

 「その和也が、なぜ自殺を……」

 「こうなると、考え直す必要があるようですね」

 「というと?」

 「和也の死は、自殺だったのかどうか、ですよ」

 と、室田は言った。

 「ますます分らなくなって来たわ」

 文江は、草永と二人で、家への道を歩きながら言った。

 「こいつは、何だか、複《ふく》雑《ざつ》な事《じ》件《けん》だね」

 と草永が首を振《ふ》る。

 「あのお金……。もし本当にその銀行のものだったら……」

 「和也としては、アリバイが証《しよう》明《めい》できなかったのも当然だな」

 「まさか強《ごう》盗《とう》してましたとは言えないものね」

 「和也は自殺するはずがないよ。あのお金があれば、ここを出て、どこへでも行けるんだから」

 「そうね」

 「また殺人が一つふえた」

 「坂東和也殺人事件か……」

 と、文江は呟《つぶや》いた。

 二人は、黙《もく》々《もく》と、道を歩いて行った。

 そろそろ、陽《ひ》は傾《かたむ》きかけていた。

15 闇《やみ》の襲《しゆう》撃《げき》

 「どうした?」

 文江が寝《ね》返《がえ》りを打つと、草永が言った。

 「え?」

 「眠《ねむ》れないのかい?」

 「うん……。まあね」

 文江は、大きく伸《の》びをした。

 うめが、気をきかしたのか、皮肉のつもりか、最初から文江の部《へ》屋《や》に草永の布《ふ》団《とん》も敷《し》いてしまったのである。

 「もう何時?」

 「ええと……」

 草永は、わずかな明りの中で、腕《うで》時《ど》計《けい》を手に取って、見た。「二時ぐらいかな」

 「いやね、眠《ねむ》れないって気分。少し散歩して来ようかな」

 「そうするか」

 「あなたは寝《ね》ててもいいわよ」

 と、文江は起き上りながら言った。

 「冗《じよう》談《だん》じゃないよ。人殺しがどこかにいるんだぜ」

 「あら、心配してくれるの。優《やさ》しいわね」

 文江は、セーターとスカートという軽《けい》装《そう》で、部《へ》屋《や》を出た。草永が、急いで後を追う。

 下へ降《お》りて行くと、居《い》間《ま》の明りが灯《とも》っている。——文江は、不思議そうに、

 「誰《だれ》かしら、こんな時間に?」

 と呟《つぶや》いた。

 「また幽《ゆう》霊《れい》かな」

 「やめてよ!」

 と文江はにらみつけた。

 「——誰なの?」

 居《い》間《ま》から母の公江の声がした。

 「何だ、お母さん。びっくりした。どうしたの?」

 「ちょっと眠《ねむ》れなくてね」

 と、公江は微《ほほ》笑《え》んだ。「お前も一《いつ》杯《ぱい》どう?」

 「お母さん、ウイスキーなんかやってるの?」

 「やあ、こいつは散歩よりよほどいいや」

 と、草永も入って来て、「僕《ぼく》もお付き合いしましょうか」

 「じゃ、文江、そこからグラスを持っといで」

 公江が愉《ゆ》快《かい》そうに言った。別に酔《よ》っているという様子ではない。

 「じゃいいわよ。私も付き合う」

 文江も負けてはいられない。

 かくて、深夜の酒《しゆ》宴《えん》となった。

 「——銀行強《ごう》盗《とう》ねえ」

 公江は、ちょっと考えて、肯《うなず》いた。「そういえば、そんなこともあったね」

 「私が家を出た日?」

 「というか……はっきり憶《おぼ》えていないけど、同じころだよ。こっちも、お前のことで、てんてこまいしてたから、あまり気にしてなかったけどね」

 「室田さんから、何か言って来たのかい?」

 草永が文江に訊《き》く。

 「まだ、何も。——何しろ大分昔《むかし》のことだもの。そう簡《かん》単《たん》には分らないんでしょ」

 「隣《となり》の町のことだしね」

 と、公江がグラスをあけて、「——この田《でん》村の人にとっては、村の中の出《で》来《き》事《ごと》だけが、現《げん》実《じつ》なんですよ」

 「そうですね。こういう所では、考え方も都会とは違《ちが》って来る」

 草永は、肯《うなず》きながらそう言った。

 「もし、あれがその強《ごう》盗《とう》の盗《と》ったお金だったとすると、和也君がその一味だったってことね」

 文江は首を振《ふ》った。「信じられないなあ。あのおとなしい和也君が……」

 「でも、何となく分るわよ」

 と公江が言った。

 「何が?」

 「若《わか》い人たちにとっては、この田村での暮《くら》しは息がつまるでしょ。何とかして、ここから脱《ぬ》け出したい。そう思うんじゃなくて?」

 「そうねえ」

 文江は考え込《こ》んだ。「私も、直《ちよく》接《せつ》の動機は別として、やっぱり、ここから出て行きたい、と思ったものね」

 「問題は誰《だれ》とやったか、だな」

 と草永が言った。

 「——何の話?」

 「強盗のことさ、もちろん」

 「つまり、一人じゃないってわけね」

 「当り前さ。そんな若《わか》い子一人じゃ、とてもやれない。仲《なか》間《ま》がいたはずだ」

 「というより、和也さんは、使われたんだと思った方が良さそうね」

 と公江が言った。「そんな計画を立てて、リーダーになるようなタイプじゃありませんよ」

 「同感ね。——和也君には、そう悪い仲間はついてなかったと思うけど」

 「そんな、不良少年ぐらいで、銀行強《ごう》盗《とう》なんてやれないさ。背《はい》後《ご》には大人《おとな》がいるんだ。まず間《ま》違《ちが》いなく、そうだ」

 「この——田村の人?」

 「それは分らないけど……」

 「そう考えるのが自然ですよ」

 と公江が言った。「一《いつ》緒《しよ》に強盗をやって、しかもその盗《ぬす》んだお金を、和也さんの所へ預《あず》けるんだから、相当に信用し合っているんでしょう。村の人間でなきゃ、とてもそんなに親しくなれるはずがありません」

 「なるほど」

 草永は肯《うなず》いた。「いや、お母さんのお話は、説《せつ》得《とく》力《りよく》があります!」

 「ありがとう。あなたは、とてもしっかりした方ね。娘《むすめ》にはもったいないわ。私がもう二十年若《わか》かったら——」

 「いや、恐《おそ》れ入ります」

 「どんどん飲みましょう」

 「いいウイスキーですねえ」

 「高級品が置いてありますの。悪《わる》酔《よ》いしませんしね」

 「文江さんと一《いつ》緒《しよ》になっても、なかなか、こんなのは飲めませんよ」

 「何なら、あなた、うちの養子におなりなさい。大して仕事しなくていいんですよ」

 「それもいいですね、ハハ……」

 ——文江は、母と草永が二人で勝手に楽しげにやっているのを、呆《あき》れ顔で眺《なが》めていた。

 一時間後には、二人揃《そろ》って、仲《なか》良《よ》くソファで居《い》眠《ねむ》りを始めてしまった。

 「何やってんのかしら、全く!」

 母が酒を飲むのは、あまり記《き》憶《おく》になかった。もちろん、飲めないわけではなかったが、好《この》んで飲む方ではなかった。

 母も年齢《とし》を取って、あれこれと苦労が多いのかもしれない。いや、まず娘《むすめ》が行方《ゆくえ》不明になっていたことが、心労となっていただろう。

 草永が、母に付き合って、眠《ねむ》り込《こ》んでしまったのも、彼《かれ》なりに気をつかってのことかもしれなかった。草永だって、そうアルコールに強い方ではないのだから。

 時計を見ると、三時二十分だった。もう一時間もすると、朝の気配になって来よう。

 文江は、二人を残して、居《い》間《ま》を出た。——あの二人なら、浮《うわ》気《き》する心配もないものね……。

 玄《げん》関《かん》から、表に出る。

 都会の空気は、いつも生ぬるくて、埃《ほこり》っぽいが、田舎《いなか》の夜の寒さは、水《すい》晶《しよう》のように固く、透《す》き通っている。

 身の引き締《し》まる寒さ、とでもいうのだろう。

 ぶらり、と文江は歩き出した。——夜の散歩、というのもなかなか優《ゆう》雅《が》なものである。

 都会の夜は、場所によっては昼間と見分けがつかないくらい明るかったりして、本当の「夜」がない。一《いつ》寸《すん》先《さき》も見えない闇《やみ》、なんて停電にでもならなければ、経《けい》験《けん》できないのである。

 家の明りが届《とど》かなくなると、かすかな月の明りで、村へ行く道を、少し辿《たど》って行った。そして、ふと足を止めると、今度は逆《ぎやく》に、山への道を辿り始める。

 山まで行く気はないのだが、七年前、夜中に、この道を一人、歩いて行ったときのことを思い出しているのだ。あれもちょうど三時過《す》ぎだった……。

 あのとき、和也や、他の誰《ヽ》か《ヽ》は、銀行を襲《おそ》って、逃《に》げ帰る途《と》中《ちゆう》だったのだろうか。——もし、車に出会わず、あのまま山道を歩いていたら、途中で和也たちに出くわしていたかもしれない。

 人生なんて、ほんのささいなことで、変ってしまうものだ。

 和也たちに出会っていたら、その場で殺されて、山の中に埋《う》められていたかもしれない。いや、行動を共にして、今ごろは女ボスにでもなって、機《きか》関《んじ》銃《ゆう》片《かた》手《て》に、各地の銀行を荒《あら》し廻《まわ》っていたかも……。

 ちょっと悪のりかな、と一人で笑《わら》った。

 夜は静かで、人の気配など、まるでなかった。

 あまり遠くまで行くと、戻《もど》るのも大変だ。

 ——文江は足を止めた。

 そのとき、どこか、右手の離《はな》れた所で、茂《しげ》みのざわつく音がした。風のせいではない。どこか一《いつ》箇《か》所《しよ》から聞こえた。

 何かが動いたのだ。

 ヒュッと口《くち》笛《ぶえ》のような鋭《するど》い音がした。文江の右の頬《ほお》を、何かがかすめて飛んで行った。

 文江は戸《と》惑《まど》って立っていた。——何だろう?

 ただ、直感的に、危《き》険《けん》を感じた。ヒュッという音がして、今度は左の腕《うで》に鋭い痛《いた》みを覚えた。

 狙《ねら》われている!

 文江は道に伏《ふ》せた。ザザッと茂《しげ》みを駆《か》け抜《ぬ》ける音。ザッザッと足音らしいものが遠去かって行った。

 文江はしばらく動かなかった。左《ひだり》腕《うで》が少し痛《いた》む。

 そろそろと起き上った。——どうやら無《ぶ》事《じ》のようだ。

 一体誰《だれ》が、狙って来たのだろう?

 文江は、高鳴る心《しん》臓《ぞう》を、鎮《しず》めようとじっと目を閉《と》じて立っていた。けがをしたようだ。手当をしなくてはならない。

 ホッと息をつく。——それを、向うは待っていたかのようだった。

 ヒュッと空を切る音が、顔の正面に走った。アッと顔をよけるのが、十分の一秒遅《おそ》かったら、死んでいたかもしれない。

 右の頬《ほお》が、引き裂《さ》かれるように痛んで、文江はよろけた。

 一《いつ》瞬《しゆん》、気を失いかけて、その場にうずくまった。視《し》界《かい》を、赤い光が駆《か》けめぐる。

 やっとの思いで顔を上げると、二つの目が見えた。——光った目だ。

 いや……あれはヘッドライトだ。車が停《とま》っている。誰《だれ》か来てくれたのだ。——文江はホッとした。

 低い唸《うな》り声と共に、その「二つの目」が、近付いて来た。唸り声の周波数が上る。

 こっちへ来る。突《とつ》進《しん》して来る。——危《あぶな》い。危い! 危い!

 文江は、目を見開いて、真《まつ》直《す》ぐに突《つ》っ込《こ》んで来るライトの光を見つめた……。

 「びっくりしたぜ」

 草永が言った。

 「ごめん」

 「無《む》鉄《てつ》砲《ぽう》なんだよ、大体」

 「ごめん」

 「殺人事《じ》件《けん》なんだぜ。TVドラマや遊びじゃないんだ」

 「ごめん」

 「全くもう……。君に死なれたら、僕《ぼく》はどうすりゃいいんだ」

 「ごめん」

 「しかし……本当にびっくりしたよ。泥《どろ》かぶって、泥のお化《ばけ》みたいになって入って来るんだもの。一《いつ》瞬《しゆん》誰《だれ》かと思った。そしたら、そのまま気を失って……」

 「一つ訊《き》きたいんだけど」

 「何だい?」

 「私が襲《おそ》われているとき、あなたは何してたの?」

 「それは……ちょっと居《い》間《ま》で居《い》眠《ねむ》りして……」

 「酔《よ》っ払《ぱら》って寝《ね》てたのね」

 「まあ……そういう言い方もできるかな」

 「で、何か言いたいことは?」

 「うん。まあ……けがが軽くて良かったね」

 「もう一つ訊きたいんだけど」

 「何だい?」

 「私を玄《げん》関《かん》の所で裸《はだか》にしたのは誰《だれ》?」

 「そりゃ……君のお母さんとうめさんさ」

 「さっきうめさんに訊《き》いたら、うめさんが駆《か》けつけて来たら、もう私は裸にされてたってよ」

 「そ、そうだったのかな。——気が転《てん》倒《とう》して、分らなかったよ」

 「もう、いい加《か》減《げん》ね!」

 ——二階の、文江の部《へ》屋《や》。左の腕《うで》の包帯、右《みぎ》頬《ほお》の、大きなガーゼの白さが痛《いた》々《いた》しい。

 すっかり朝になっていた。

 「しかし、一体誰《だれ》がやったんだろう」

 「話をそらして……」

 と、ちょっとにらんでから、文江は笑《わら》った。「もう少しで車にひき殺されるところだったのよ。何だか信じられないようだわ」

 「向うだって、暗くて君の姿《すがた》がはっきりとは見えなかったはずだしな。殺す気なら、どうして、もっと明るいときを狙《ねら》わなかったのかな」

 「何だか残念そうね」

 「よせやい」

 と、草永は顔をしかめた。

 「室田さんには連《れん》絡《らく》してくれたの?」

 「うん。すぐ来てくれると言ってたんだがな……」

 噂《うわさ》をすれば、とでも言うのか、廊《ろう》下《か》にうめの声がした。

 「室田さまです」

 ——居《い》間《ま》へ降《お》りて行くと、室田が落ち着かない様子で歩き回っていた。

 「何とも——ひどいですな」

 と、文江を一目見て、「相手を見ましたか?」

 「いえ、真っ暗で」

 文江は、少し顔をしかめた。大きな声を出すと、頬《ほお》の傷《きず》が痛《いた》むのである。

 「現《げん》場《ば》へ案内していただけますか」

 「ええ、もちろん。でも、暗かったので、はっきりどの辺と分るかどうか——」

 「痕《こん》跡《せき》があるでしょう。ともかく行ってみましょう」

 室田、草永、文江の三人は、外へ出た。

 穏《おだ》やかな天気である。

 山へ続く道を歩きながら、

 「あの銀行強《ごう》盗《とう》のことは分りまして?」

 と、文江が訊《き》いた。

 「やはり、まず間《ま》違《ちが》いないという感じです。金《きん》額《がく》がぴったり一《いつ》致《ち》しました」

 「番号は控《ひか》えてあったんですか?」

 「いや、新札ではないものですからね」

 「それにしても、額が一致するということは——」

 と、草永が言いかけると、室田が肯《うなず》いて、

 「つまり、盗んだ金は、全く手を付けていなかったということです」

 「そうですか。しかし、あれだけの金を……」

 「仲《なか》間《ま》がいたとしたら、七年間、知りながら手をつけていなかったというのは妙《みよう》な話ですな」

 「それは……」

 と、文江が言った。「つまり、和也君が、お金を一人占《じ》めしようとしてたってことかしら?」

 「どうも、他に考えようがないようですね」

 「そして和也君は死んだ……。その仲間に殺された、と……」

 「そこがよく分らないんですよ。隠《かく》し場所を訊《き》き出すつもりなら、殺しはしません。金が手に入らなくなってしまいますからね」

 「でも、つい、やり過《す》ぎて、ということも考えられますよ」

 「確《たし》かに」

 と、室田が肯く。

 どうも殺《さつ》伐《ばつ》とした話になって来て、文江は憂《ゆう》鬱《うつ》になった。

 「——この辺りだと思うんですけど」

 と、文江が言った。「でも、暗かったから、はっきりとは……」

 「道の様子で分りますよ。タイヤの跡《あと》が……しかし、これじゃ無《む》理《り》かな」

 室田は、舗《ほ》装《そう》などしていない道を見下ろして言った。

 「君が道のわきの溝《みぞ》へ落っこちた跡があるんじゃないか?」

 「そうね。——あれじゃないかしら?」

 「なるほど、泥《どろ》がはねていますね。ここらしいですね」

 室田はその場に立って、周囲を見回した。

 「どっちから狙《ねら》われたんですか?」

 「ええと……山の方へ向かって立ってて……。あっちから音が聞こえたんです」

 「あの茂《しげ》みの辺りかな」

 「たぶん、そうだと思いますわ」

 室田は、その茂みと、文江の立っていた辺りを、目に見えない線で結ぶと、それを延《えん》長《ちよう》して、反対側の木《こ》立《だ》ちの中へ入って行った。

 「——何か見付かりまして?」

 と、文江が声をかける。

 「あなたを傷《きず》つけたのが何なのかと思いましてね」

 室田は、キョロキョロとその周辺の地面を見回しながら、「少なくとも銃《じゆう》ではありませんからね。傷口がもっと焼けているはずですから」

 「痛《いた》いには変りありませんわ」

 と、文江は渋《しぶ》い顔で言った。

 「——ああ、これだ!」

 と室田が声を上げる。

 文江と草永が駆《か》けつけてみると、室田は、ハンカチで、一本の矢《や》をつまみ上げたところだった。

 「——へえ! 弓《ゆみ》矢《や》ですか。また、えらく古風だな」

 と草永が珍《めずら》しそうに眺《なが》めた。

 「いや、これはいわゆるアーチェリーの矢ですよ。あれは現《げん》代《だい》のスポーツでしょう」

 「こんなもので……。しかし、まともにくらったら、やっぱり死にますか」

 「そりゃそうです。先がわざと尖《とが》らしてありますよ。首《くび》筋《すじ》にでも当ったら、一《いつ》巻《かん》の終り、です」

 文江は、ちょっと身《み》震《ぶる》いした。

 「あと二、三センチで死ぬところだったんだわ!」

 「しかし、この辺でアーチェリーなんてやってる人間は、多くないんじゃありませんか」

 と草永が言った。

 「同感ですな」

 と、室田が肯《うなず》く。「もう一つ、問題なのは、文江さんをひこうとした車に乗っていた人物と、この矢《や》を射《い》た人物が同じだったかどうかという点です。——いかがです?」

 文江は首をかしげた。

 「たぶん……別でしょう。この傷《きず》を負って、ちょっと気が遠くなりかけましたけど、気を失うところまでは行きませんでしたから」

 「その人物が車へ駆《か》け戻《もど》って、あなたをひこうとする時間はなかったわけですな」

 「まず無《む》理《り》だと思います」

 「すると相手は二人組か」

 「ともかく」

 と、室田が言った。「アーチェリーの趣《しゆ》味《み》のある人を捜《さが》すことですな」

16 推《すい》 理《り》

 「文江! どうしたの?」

 村へ出て、通りを歩いていると、百代の声がした。

 「あ、百代。大きな声が出せないのよ」

 「どうしたっていうの?」

 買物に来たらしい百代は、重そうな袋《ふくろ》をぶら下げて、駆《か》け寄《よ》って来た。「夫《ふう》婦《ふ》喧《げん》嘩《か》?」

 「まさか。夫婦でもないのに。——ねえ、村で、アーチェリーやってる人、知らない?」

 「アーチェリー? 何だっけ、それ?」

 「弓《ゆみ》じゃないの。ほら——」

 「ああ、そうか。そうねえ……。でも、何で弓《ゆみ》なんか——」

 文江が頬《ほお》の傷《きず》を指して見せる。

 「ええ? じゃ、弓《ゆみ》矢《や》で? ひどいことするのね!」

 「誰《だれ》か私《わたし》を殺そうとしたらしいの」

 「そんな、平気な顔して……。本当に命落としてたら、どうするの?」

 百代は眉《まゆ》をひそめた。「犯人は?」

 「分んないから、訊《き》いてんじゃないの」

 「あ、そうか。——弓、弓と。どこかで聞いたわね。誰かがやってたはずよ」

 「村の人?」

 「そう。——誰だったかなあ」

 と、百代は首をかしげた。

 「思い出してよ!」

 と、文江が突《つ》っつく。

 「こら! 袋《ふくろ》押《お》すと卵が壊《こわ》れるよ」

 「あ、ごめん。割《わ》れたら弁《べん》償《しよう》するわ」

 文江と百代がもめていると、

 「やあ、何をやっとるんだ」

 と、白木巡《じゆん》査《さ》がのんびりとやって来た。

 「あっ、白木さん」

 と、文江は言った。「今、室田さんが会いに行きましたよ」

 「え? こりゃいかん。——その傷《きず》はどうしたんです?」

 「そのことで、室田さん、白木さんにお話があるようですよ」

 「そうですか。じゃ、急いで戻《もど》らんと」

 白木巡査があわてて行ってしまうと、百代が、

 「そうだ!」

 と手を打った。

 「どうしたの?」

 「白木さんよ。あの人、アーチェリー、やってたんだ!」

 「本当?」

 「もう大分前だけどね。ちょっとやって、みんなに散々冷やかされて、すぐやめちゃったんじゃなかったかな」

 「でも道具は持ってるかもしれないわね」

 「捨《す》てないでしょ、あの人、ケチだもの」

 百代の言い方に、文江は吹《ふ》き出した。

 それにしても……まさか白木が文江を狙《ねら》うわけもなし、これはどういうことだろう?

 「盗《ぬす》まれたって?」

 室田が目を丸《まる》くした。「それはいつのことだ?」

 「はぁ……」

 白木巡《じゆん》査《さ》は、頭をかいた。「かれこれ一か月くらいになりますか」

 「——放っといたのかね」

 「それが——大体、裏《うら》の小屋へ放り込《こ》んどいたので、ろくに見なかったんです。一か月くらい前に、他の物を捜《さが》しに行きまして、見えないのに気が付きまして、でも、きっとその辺に紛《まぎ》れ込《こ》んでるんだろう、と気にもしなかったんです。ところが一週間くらい前、久しぶりにやってみようかと思い、捜してみたのですが、どこにも見当らず……」

 「どこの小屋だね?」

 「この駐《ちゆう》在《ざい》所《しよ》の裏《うら》です」

 「案内したまえ」

 室田の不《ふ》機《き》嫌《げん》な顔に、見ていた文江はおかしくてたまらなかった。

 裏の小屋へ案内されながら、室田は、

 「大体、凶《きよう》器《き》ともなり得《う》るものを、簡《かん》単《たん》に盗《ぬす》まれるとは——」

 とブツブツ言っている。

 「室田さん、あんまり白木さんを責《せ》めないで下さいな」

 と、文江は言った。

 白木は冷《ひや》汗《あせ》を拭《ぬぐ》っている。

 「鍵《かぎ》はかかっていたのか?」

 と室田が訊《き》く。

 「それがその……あるにはあるのですが、すっかり錆《さび》がついておりまして……」

 「取り変えればいいだろう!」

 「はあ、予算の関係もありまして、その……」

 「南《なん》京《きん》錠《じよう》一つ、何十万もせんぞ」

 「それはまあそうですが……」

 こんな田舎《いなか》の村の駐《ちゆう》在《ざい》といって、はた目にはヒマそうであるが、その実、大いに忙《いそが》しい。何しろ、細々した用事ですぐ呼《よ》び出されるのだ。

 結《けつ》構《こう》、多《た》忙《ぼう》な職《しよく》務《む》なのである。

 「ここです」

 と、白木は、今にも倒《たお》れそうな小屋の前で足を止めた。

 「ひどい小屋だな。倒れて誰《だれ》かけがをしたらどうする」

 と、室田も八つ当り気味である。「開けてみろ」

 「はあ」

 鍵《かぎ》はなくても、戸はガタガタして、なかなか開かない。白木の方は、焦《あせ》っているから、なおのこと戸が開かず、エイッと力を入れると、戸が手前に外れて、一《いつ》緒《しよ》に引っくり返ってしまった。

 「何をやってるんだ」

 と、室田は苦《く》笑《しよう》して、中を覗《のぞ》き込《こ》んだが——。「おい、あれは何だ?」

 と、声を上げた。

 白木が戸をはねのけて、中を覗き、

 「あれっ!」

 と、ポカンと口を開けた。

 文江も覗き込む。——中に、アーチェリーの弓《ゆみ》が、転がっていた。

 「もう、わけがわからないわ」

 と、昼食の席で、文江は言った。

 「分らないことがあれば一年放っておけ、とよく父に言われました」

 うめが真《ま》面《じ》目《め》な顔で言った。

 「一年待ったら、殺《さつ》人《じん》犯《はん》は逃《に》げちゃうわよ」

 「この世の出来事は、総《すべ》てこの世で帳《ちよう》尻《じり》が合うものです」

 うめらしい哲《てつ》学《がく》だわ、と文江は思った。

 「お前も無《む》茶《ちや》ばかりやるから」

 と、公江が、昨夜草永と飲んで眠《ねむ》っていたことなどケロリと忘《わす》れたように言った。

 「で、弓《ゆみ》の方から、何か分ったの?」

 と草永が訊《き》いた。

 「だめね。ちゃんと指《し》紋《もん》は拭《ぬぐ》ってあったそうよ」

 「抜《ぬ》け目のない奴《やつ》だな」

 「それに、ずいぶん律《りち》儀《ぎ》な人ね」

 と公江が言った。「何もその場所へ戻《もど》さなくても、その辺に捨《す》てておけばいいのに」

 「それはそうね」

 と、文江は肯《うなず》いた。「そこは考えなかったわ」

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