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作者: 当前章节:15384 字 更新时间:2026-6-23 00:11

 「君よりお母さんの方が探《たん》偵《てい》の素《そ》質《しつ》がありそうだね」

 と、草永が笑《わら》って、文江にジロリとにらまれ、口をつぐんだ。

 「——ともかく謎《なぞ》だらけよ」

 と、文江は言った。「まず和也君が銀行強《ごう》盗《とう》の一人だったということは、まず間《ま》違《ちが》いないとして、それならなぜ、殺されたのか」

 「誰《だれ》に、ということもあるね」

 「普《ふ》通《つう》に考えれば、仲《なか》間《ま》でしょうね。そして、お金は七年間、埋《う》めたままになっていた」

 「それから、君の帰《き》還《かん》だ。そこへどうかかわって来るか、も問題だぜ」

 「そうね。——そして、私を東京で脅《きよう》迫《はく》しかけたのは、誰か?」

 「何の話?」

 と、公江がキョトンとして訊《き》いた。

 「いいの。こっちの話。それから、東京で、坂東老人を殺したのは、果《はた》して、夫人だったのか?」

 「そして、夫人はどこへ消えたか、だな」

 「それから倉庫の火事。目的は何か?」

 「駅長の死。——毒殺とすれば、犯《はん》人《にん》と動機は?」

 「奥《おく》さんの様子がおかしかったという点もあるわ。それから、あの幽《ゆう》霊《れい》騒《さわ》ぎ」

 「あれは分らないね。少なくとも幽霊のふりをした人物は、金があそこに埋《う》めてあることを知ってたわけだろ」

 「欲《よく》のない人なのよ、きっと」

 「なぜ、わざわざみんなに知らせたのか」

 「自分で盗《ぬす》む気はなかったのね」

 「それから私を狙《ねら》った人物。アーチェリーを使ったのと、車でひこうとしたのは、別の人間らしい。——となると、仲《なか》間《ま》でしょうね」

 「当然だね。何だかてんでんバラバラの事《じ》件《けん》ばかりだな」

 「ね、だからわけが分らないのよ」

 文江はため息をついた。

 「お金ですよ」

 と、うめが言った。

 「え?」

 「人間、万事、お金です。お金の欲《ほ》しくない人間なんていません」

 「そりゃね……」

 「だから、お金が総《すべ》ての中心なんですわ」

 うめが引っ込《こ》むと、文江は、ちょっと考え込んだ。

 「——うめも、なかなかいい事を言うじゃないの」

 と、公江が言った。

 「そうね。——総ては七年前にさかのぼるんだわ。でなきゃ、私《わたし》が狙《ねら》われたりするはずがないもの」

 「あなたが帰って来たことで、何《ヽ》か《ヽ》が起ったのよ」

 「そうか」

 草永は肯《うなず》いた。「君が帰ったことで、一体どういうことが起ったのか」

 「起った、って……色々よ」

 と文江は肩《かた》をすくめた。

 「和也さんがあなたを殺してい《ヽ》な《ヽ》い《ヽ》ことが分ったわ」

 「そうね。それから……それぐらいじゃないの」

 「和也さんが無《む》実《じつ》だった。そ《ヽ》こ《ヽ》か《ヽ》ら《ヽ》、今度は何が起ったのか、を考えるのよ」

 と公江は言った。

 「両親を呼《よ》び戻《もど》そうとしたわ……」

 「それは当然考えられるね」

 と草永は言った。「いいかい、君が帰って来た時点で、誰《ヽ》か《ヽ》が、坂東夫《ふう》婦《ふ》が村へ帰って来るに違《ちが》いないと思ったんだ」

 「でも、その人物は、帰って来られては、まずかったわけね」

 「そうだ。特《とく》に、君が、坂東夫婦の所を訪《たず》ねて行くに違《ちが》いないと知っていたんだ。そして君を襲《おそ》った。諦《あきら》めさせようとしたんだろう」

 「でも、むだだった」

 「だから坂東老人を殺した」

 「でも、どうしてご主人だけを殺したのかしら?」

 「それは分らないね。奥《おく》さんは危《あや》うく、難《なん》を逃《のが》れたのかもしれない」

 「だとしたら、なぜ奥さんは警《けい》察《さつ》へ行かないで、この田《でん》村に、戻《もど》って来たのかしら?」

 「忘《わす》れちゃいけないよ」

 と、公江が言った。「あの夫《ふう》婦《ふ》は、息子《むすこ》が無《む》実《じつ》の罪《つみ》で、死へ追いやられたと思ってたからね」

 「警察を信じなくても当然か……。そうなると、あの夫婦へ、生活費を送っていたのは誰《だれ》だったのかが問題になるわね」

 「そうだな。しかし、それは別じゃないかな、つまり——」

 「殺人とは切り離《はな》して考えろってこと?」

 「そうさ。金を送ってたのは、ただあの二人に同《どう》情《じよう》していた人物かもしれない」

 「それはそうね」

 と、文江は肯《うなず》いた。

 「これで、一つのつながりができたじゃないか。君の帰《き》郷《きよう》から、坂東老人の殺害まで」

 「でも、どうして坂東さんが戻《もど》って来たらまずいの? 真《しん》犯《はん》人《にん》が出て来て、坂東さんが仕返しに来る、とでもいうのならともかく」

 「そうだな。あんな年《とし》寄《よ》り——といっちゃ失礼だけど、どういうまずいことがあったんだろう?」

 草永も考え込《こ》んだ。

 「——お金ですよ」

 と公江が言った。

 「え?」

 「さっき、うめが言ったでしょ。人間、万事お金だ、って」

 「そうか!」

 草永が指を鳴らした。「あ《ヽ》の《ヽ》家《ヽ》だ《ヽ》!」

 「あの家へ帰られるのが、まずかったのね!」

 と、文江も思わず声を高くした。

 「そうだ。もしかすると——」

 草永は考えながら、「あの家が空家になって、それから誰《だれ》かが金を埋《う》めたかもしれないぞ」

 「じゃ、和也君は強《ごう》盗《とう》の一人じゃなかった、っていうの?」

 「それはどっちとも言えないよ。しかし、あんな風に空家になってしまった家だ。あそこなら、安全に隠《かく》しておけるかもしれない、と思ったんじゃないかな」

 「そこへ坂東夫《ふう》婦《ふ》が戻《もど》って来ると……」

 「あの金を見付ける可《か》能《のう》性《せい》があるからね」

 「だから殺した。——なるほどね。その可能性は大ありだわ」

 文江は、すっかり興《こう》奮《ふん》していた。

 「ちょっと待って」

 と公江が声をかけた。「でも、あの空家が、もし取り壊《こわ》されて、家が建っちゃったらどうなるの? むしろ七年間、手つかずだった方が不思議なのよ」

 「それはそうね。——だから、そうはならないと犯《はん》人《にん》が知《ヽ》っ《ヽ》て《ヽ》い《ヽ》た《ヽ》としたら?」

 「つまり、持主の問題になる」

 と草永が言った。

 そのとき、エヘン、と咳《せき》払《ばら》いがして、文江は仰《ぎよう》天《てん》した。

 「失礼しました」

 室田が立っていたのである。「いや、みなさんのすばらしい推《すい》理《り》に聞き惚《ほ》れておりまして」

 「お人が悪いわ。さあ、どうぞ」

 と、公江が言った。「ご昼食は?——ではせめてコーヒーぐらい、お付き合い下さいね」

 「恐《おそ》れ入ります」

 室田は、席につくと、「今のお話は、大変面《おも》白《しろ》い。おそらく、真相をついているのではないかと思います」

 「室田さん。あの空家の持主は、誰《だれ》なんですか?」

 と文江が訊《き》く。

 「あそこは何ともややこしいことになっていましてね。抵《てい》当《とう》に入ったことが何度もあるのです」

 「というと、坂東さんが借《しやつ》金《きん》を?」

 「そのようです。理由は分りません。ともかく、少なくとも三回、抵《てい》当《とう》に入っているんです」

 「変ね、そんな話、初耳だわ」

 「私は耳にしたことがありますよ」

 と、公江が言った。「坂東さんは賭《か》け事《ごと》が好《す》きだったようね」

 「なるほど。その借金ですかね。ところで、最終的には、あそこは誰《だれ》の持物になっていたと思います?」

 室田が三人の顔を見回した。

 「——分らないわ」

 と文江が言った。

 「金子さんでしょう」

 と公江が言った。

 「どうしてお分りになったんです?」

 室田が目を丸《まる》くした。

 「金子さんが、よくみんなにお金を貸《か》しているという話は、聞いていましたからね」

 「お母さんは狡《ずる》いわ」

 と、文江は母をにらんで、「年の功ですものね」

 「まあね。でも、坂東さんに貸《か》していたのは初耳ね」

 「じゃ、七年間、ずっとあの家は金子さんのものだったんですね」

 「そういうことになります」

 と、室田は肯《うなず》いた。「金子駅長が、なぜ、あの家を、そのままにして放っておいたのかは分りません。まあ、そう高く売れるわけではないでしょうが、それでも、ただ持っているよりはいいと思いますがね」

 文江は肯《うなず》いた。——現《げん》に、あの隣《となり》には百代が住んでいるのだ。

 「それはつまり——」

 と草永が少し身を乗り出して、「金子さんが、あそこに金を埋《う》めてあるのを知っていたということですか」

 室田は、ちょっと考えて、

 「可《か》能《のう》性《せい》はあります」

 と慎《しん》重《ちよう》に返事をした。

 「でも、それなら、なぜ掘《ほ》り出さなかったの?」

 「そいつは分らないけど、他に理由が考えられるかい?」

 「まあ、金子さんにしてみれば、村では、もちろん顔は知られているし、もし金がどこかにあると知っていても、具体的な場所を知らなかったら、とても夜中に忍《しの》び込《こ》んで来て捜《さが》し回るわけにいかなかったでしょう」

 「そうね。もし見付かったら大変だし」

 「奥《おく》さんもやかましい人ですもの」

 と公江が言った。「ついつい、捜しそびれている内に、七年たったのかもしれませんよ」

 「そうね……。そこで金子さんの死もつながって来るわけだわ」

 「金子さんは毒殺された。すると——」

 「犯《はん》人《にん》は、金子さんが、死を間近にして、何もかもしゃべってしまうかもしれない、と恐《おそ》れた、ってのはどう?」

 と文江は目を輝《かがや》かせた。

 「なるほど。それなら筋《すじ》が通る」

 と、草永が肯《うなず》く。

 「ね、つまり、金子さんが、お金の秘《ひ》密《みつ》を、誰《だれ》かに話したのよ。七年間ですもの。何かの弾《はず》みで、ついしゃべってしまうことがあるでしょう」

 「なるほど。そいつは金子さんにしゃべられちゃ、困《こま》るわけだな」

 「で、先の短い金子さんを、わざわざ毒殺したってわけよ」

 「でも、それは誰なんだい?」

 文江は肩《かた》をすくめて、

 「分るわけないでしょ、私に」

 と言った。

17 弓《ゆみ》と銃《じゆう》声《せい》

 ともかく、金子駅長が、この事《じ》件《けん》に、直《ちよく》接《せつ》関《かかわ》っているという可《か》能《のう》性《せい》は高くなった。

 もつれからまる事件が、少しずつ見通せるようになって来て、文江は胸《むね》のふくらむのを覚えた。

 「君は変ってるよ」

 村への道すがら、草永が言った。

 「あら、何が?」

 「普《ふ》通《つう》の女《じよ》性《せい》は、恋《こい》とか、甘《あま》い物とかに胸をときめかせるんだぜ。ところが君と来たら、殺人事件に胸をときめかせている」

 「仕方ないでしょ。性《しよう》分《ぶん》よ」

 と、文江は言って、「何なら、東京へ帰ったら?」

 と、草永を見た。

 草永は苦《く》笑《しよう》して、

 「そういう君に惚《ほ》れてるんだから、しようがないよ」

 と、言った。

 文江はちょっと笑《わら》った。内心、申し訳《わけ》ないと思わぬでもない。

 草永は、仕事を放り出してここへ来ているのだ。いつまでも長びくようなら、本当にクビかもしれない。

 「ねえ、あなた、無《む》理《り》なら東京へ帰ってもいいのよ、本当に」

 「ここまで来てか? 冗《じよう》談《だん》じゃない。こっちにも好《こう》奇《き》心《しん》ってものはあるんだよ」

 「じゃ、いいけど……」

 と、文江は言った。

 もちろん、内心は嬉《うれ》しいのである。

 「——ねえ、ちょっと話があるんだが」

 と、急に草永が言い出した。

 「話なら、いつもしてるじゃないの」

 「そうじゃないよ。——ちょっと座《すわ》らないか?」

 「ここに?」

 と文江は言った。

 そこは道の真中だったからだ。

 「どこか、その——喫《きつ》茶《さ》店《てん》はないのかい?」

 「当り前でしょ」

 と、文江は笑《わら》った。「じゃ、いいわ。ほら、その細い道へ入りましょう」

 「奥《おく》に喫茶店があるの?」

 「まさか! 神社があるの。静かで、人のいない、いい所よ」

 「静かで人がいない、というなら、ここだってそうだぜ。ただ座る所がないだけだ」

 「神社なら、小さな椅《い》子《す》ぐらいあるわ」

 「よし、行くか」

 と歩き出して、草永は、「席料は取らないだろうね?」

 と訊《き》いた。

 かなり、都会病に毒されているようである。

 行ってみると、確《たし》かに、人のいない、静かな境内《けいだい》である。——普《ふ》通《つう》なら。

 子《こ》供《ども》たちが駆《か》け回って遊んでいるのだ。

 境内狭《せま》しと駆け回り、奇《き》声《せい》を発する子供たちに、目をやりながら、

 「喫《きつ》茶《さ》店《てん》よりうるさいぜ」

 と草永は言った。

 「いいじゃない。子供の声って、私《わたし》、大《だい》好《す》きよ」

 「しかし、話をするときは……」

 「大声で言えば?」

 「早く結《けつ》婚《こん》してくれ、と大声で話すのかい?」

 「まあ……」

 文江はちょっと真顔になって、「だめよ。この事《じ》件《けん》が片《かた》付《づ》くまでは」

 「そりゃ分ってる。しかしね、実《じつ》際《さい》に、僕《ぼく》らは結婚してるも同然なんだし——」

 「『同然』と結《けつ》婚《こん》は違《ちが》うわ」

 「うん。しかし、お母さんもいい人だし、僕はますます、君と結婚しよう、と決心したんだよ」

 文江は、ちょっと微《ほほ》笑《え》んで、

 「ありがとう」

 と言った。「嬉《うれ》しいわ。でも、やっぱり事件が片付かないとね」

 「それでもいいから、約《やく》束《そく》してくれ」

 「だって——いいじゃない、その後で」

 「だめだ! 今、約束してくれ」

 と、草永が食い下がる。

 「どうして、今するの?」

 と、文江は言い返した。

 「君のお母さんと約束した」

 「母と? 何を約束したの?」

 「君と結婚の約束をすると約束した」

 「ややこしいのね」

 「ともかく、君のお母さんに誓《ちか》った手前、結《けつ》婚《こん》してくれないと困《こま》るんだ」

 「勝手言って——」

 「そりゃ分ってる。しかし、大体恋《こい》なんて、自分勝手なもんだよ」

 「それこそ勝手よ」

 「ともかく、いいだろ?」

 と、草永はしつこい。

 「いやだと言ったら?」

 「いいと言うまで訊《き》く」

 文江は笑《わら》い出してしまった。草永は大《おお》真《ま》面《じ》目《め》でそんなことを言うので、笑い出さずにいられないのである。

 「すぐに笑うんだからね、君は」

 と、渋《しぶ》い顔をしたと思うと、やおら、文江を抱《だ》き寄《よ》せてキスした。

 とっさのことで、文江もされるままになっていた。

 「ワーイ!」

 と子《こ》供《ども》たちの歓《かん》声《せい》に、文江は、あわてて、草永を押《お》し戻《もど》した。

 子供たちが、七人、八人、みんな集って来て、冷やかし半分の声を上げている。

 「もう、あなたが変なことするから——」

 と、文江は赤くなって、にらみつけた。

 「いいじゃないか、婚《こん》約《やく》者《しや》同士なんだから」

 子供たちが、

 「やーい、もういっぺんやれ!」

 などと拍《はく》手《しゆ》をしている。

 「全くもう、今は、どこの子供もませてるんだから!」

 と、文江は腕《うで》組《ぐ》みをして、言った。

 「それより、返事はOKなんだろうね」

 と草永が訊《き》いたが、文江の方は、何だか目をひかれたものがあるようで、

 「あれは……」

 と立ち上り、「ねえ、ちょっと、その子!——怒《おこ》らないから、こっちへ来てよ」

 と、歩いて行く。

 草永の方は肩《かた》すかしで、がっくり来た顔をしている。

 「ねえ、草永さん! これを見て」

 と、文江が手にしていた物を見せる。

 それは一本の矢《や》だった。

 「なるほど、これはアーチェリーの矢ですよ」

 室田が、文江の手にした矢を見て言った。

 「あの矢とはどうですか?」

 「同じ物です。メーカーも同じ。違《ちが》うのは、先を尖《とが》らせていないことですな」

 再《ふたた》び、神社の境内《けいだい》。もちろん一時間ほど後のことである。

 「で、その子供がこれを拾ったというのは、どの辺です?」

 と、室田が訊《き》いた。

 「あっちです」

 文江が先に立って歩いて行く。

 木立ちの奥《おく》に、小さな古ぼけた石の仏《ぶつ》像《ぞう》が立っている。

 「この近くだったそうです」

 「なるほど。まさかこの仏《ほとけ》様《さま》に矢《や》を射《い》かけてたわけでもないでしょうが……」

 室田は境内《けいだい》の方を振《ふ》り向いて、「的を外れてここへ落ちたとすると……ちょうどいい木はどれかな」

 室田は、一番幹《みき》の太い木へと歩いて行くと、ぐるりとそれを一回りした。

 「——これですよ」

 「その木ですか?」

 「ごらんなさい。幹の境内の側は、こんなに穴《あな》が開いている」

 「本当だわ」

 「この木に、的を貼《は》りつけて、練習したんでしょう」

 「私を射《う》つために?」

 「たぶん。——それでも、最初は的からそれて後ろへ行ってしまうものがあった。あの一本は、その中の、見付けられなかったものでしょう」

 「弓《ゆみ》なんて、そんなに早く上達するもんでしょうか?」

 「昔《むかし》やった人間ならね」

 と室田は言った。「しかし、もとが上手《うま》くないとね」

 「まさか白木さんが……」

 「それは違《ちが》うでしょう。必ずしも、村の人が知っているとは限《かぎ》りません。それに、弓というのは、かなり優《ゆう》雅《が》な趣《しゆ》味《み》ですからね」

 「しかし、わざわざ練習して、君を狙《ねら》うなんて、憎《にく》らしい奴《やつ》だな」

 と、草永が憤《ふん》然《ぜん》として言った。

 「どれくらい練習すれば、上手になるものかしら?」

 「まあ普《ふ》通《つう》にやって一年だろうね」

 「草永さん、やったことあるみたいなこと言うじゃない」

 「もちろんさ。あるんだもの」

 「——本当?」

 文江は目を丸《まる》くした。

 「ああ。なかなか上手《うま》いもんだぜ」

 と、草永は言った。

 「それはいい。ちょうど弓《ゆみ》を持って来たし、一つやってみて下さい」

 と、室田が言うと、草永はためらいもせずに、

 「いいですよ」

 と引き受けた。

 面食らったのは文江である。〈弓を引くへラクレス〉というのは知っているが、〈弓を引く草永〉では、せいぜい〈森《もり》永《なが》〉のキューピッドぐらいしか連想しない。

 「じゃ、何か的をつけましょう」

 室田が、近くの木の方へ歩いて行く。「どんなものがいいですか」

 「名《めい》刺《し》がありますか」

 「ええ、一《いち》応《おう》はね」

 「それを一枚《まい》、枝《えだ》に突《つ》き刺《さ》しておいて下さい」

 「——こうですか?」

 と、室田が、くたびれた名《めい》刺《し》を、少し太目の枝の一本へと刺した。

 「ええ、結《けつ》構《こう》です」

 文江は、草永の方へ、

 「ねえ」

 と、そっと声をかけた。

 「何だい?」

 「私、後ろに立ってるけど……」

 「それがどうした?」

 「大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》? 矢《や》に当らない?」

 「おい、よせよ……」

 草永はため息をついた。

 弓《ゆみ》を取り、矢をつがえる。——文江は目を見《み》張《は》った。なかなか、さ《ヽ》ま《ヽ》になっているのだ。

 きりりと引き絞《しぼ》って本当に——キリキリという音がした——指を離《はな》す。

 ヒュッという音で、襲《おそ》われたときのことが一《いつ》瞬《しゆん》、文江の頭を走った。

 ピシッと音がして、名《めい》刺《し》を刺《さ》した枝《えだ》が、みごとにふっとんでいた。

 文江は唖《あ》然《ぜん》とした。

 「お見事!」

 と、室田が拍《はく》手《しゆ》する。

 「だめだな、久しぶりだから」

 と、草永は首を振《ふ》った。「本当は名刺だけ狙《ねら》ったんですよ」

 「しかし、立《りつ》派《ぱ》な腕《うで》前《まえ》ですよ」

 と、室田は感心の態《てい》。

 「本当ね。びっくりしたわ」

 と文江は言った。「人間って、何か取り柄《え》があるものね」

 「どういう意味だい?」

 と、草永が言った。

 「ともかく、ここで練習していた人間がいるのは事実ですな」

 室田は、そう言って、草永から弓《ゆみ》を受け取った。

 「その子《こ》供《ども》は、矢《や》を拾っただけですか?」

 「そう言ってましたわ」

 「ふむ……。しかし、練習しようと思えば、明るくなくてはならない。そうなれば、一度くらいは子供の目に触《ふ》れてるんじゃないかと思いますがね」

 「他《ほか》の子たちにも訊《き》いてみれば良かったですね」

 「しかし、しゃべるかどうか。——子供は秘《ひ》密《みつ》を大切にするものです。まして相手がよその人では……」

 よその人。

 文江は、その言葉に、ちょっとショックを受けた。しかし、考えてみれば、あのとき遊んでいた子たちなど、自分が村を出たときには、まだ赤ん坊《ぼう》だったわけなのだ。

 彼《かれ》らから見れば、「よそ者」には、違《ちが》いない。

 「白木から、少し話をさせましょう」

 と、室田は言った。「あれも自分なりに必死です。心当りの子供たちへ話してくれるでしょう」

 「もし、練習していた人間がいるとしても、犯《はん》人《にん》とは限《かぎ》りませんね」

 と、草永が言った。

 「もちろん逮《たい》捕《ほ》はできません。しかし、ああいう場所で練習すること自体、危《き》険《けん》です。それを理由に調べることはできますよ」

 室田が急ぎ足で行ってしまうと、文江と草永は何となく立ち止って、黙《だま》りこくっていた……。

 もう子供たちの姿《すがた》もなくて、本当に二人きりだった。だが、却《かえ》って、何だか気《き》恥《は》ずかしいのである。

 「——さあ行こうか」

 と、草永が言うと、文江もホッとして、

 「そうね」

 と、草永の腕《うで》を取った。

 こういうことは気楽にできるし、寝《ね》るのも平気で楽しんでいるのだが、いざ結《けつ》婚《こん》の話となると、尻《しり》ごみしてしまう。

 要するに、結婚して失うものがあるということがやはり不安なのである。

 いつか、そうなるかもしれないが、しかし……今は……。

 「——あの倉庫ね」

 駅まで来て、文江は言った。

 半焼した倉庫が、ホーム越《ご》しに見える。

 「やあ、お嬢《じよう》さん」

 と、やって来たのは、庄司鉄男である。

 「仕事はどう?」

 「ちっとも憶《おぼ》えらんなくて」

 と、鉄男がため息をつく。

 こんな暇《ひま》な線で、憶え切れないのでは、東京の山手《やまのて》線あたりへ来たら、失神するに違《ちが》いない。

 「ねえ、一つ訊《き》きたいんだけど」

 と、文江は言った。「——今、大《だい》丈《じよう》夫《ぶ》でしょ?」

 「ええ。後三十分来ません」

 「あのね、私《わたし》が、ここに戻《もど》った日のこと、憶《おぼ》えてる?」

 「七年ぶりにお帰りになったときですか。ええ、もちろん憶えてますよ」

 「私、あの日の最終で東京へ戻ったの」

 「あ、そうでしたね」

 「あの後、私《ヽ》以《ヽ》外《ヽ》で、この村から発《た》って行った人はいたかしら?」

 「お嬢《じよう》さんの後ですか?」

 「ずっと後じゃなくて、次の日とか、その次ぐらいに」

 「うーん」

 と、鉄男は考え込《こ》んだ。「さて、誰《だれ》かって言われても……。年中、村の人はここを利用してますからね」

 「でも、隣《となり》の町とか、そんなんじゃなくて、何日かの泊《とま》りがけで出かける人は、そういないでしょ」

 「ええ。ああ、そういえばあのとき、誰かいたな」

 「本当?」

 「ええ。でも……」

 「思い出せない?」

 「いえ、憶《おぼ》えてますけど——」

 「じゃ教えてよ」

 「でも、お嬢《じよう》さんの後《ヽ》じゃありません」

 「私の戻《もど》る前じゃ仕方ないの」

 「いいえ。その日の夕方です」

 文江と草永は目を見《み》交《か》わした。——文江が到《とう》着《ちやく》した日の夕方に、ここを発《た》った者がいるのだ!

 文江の帰《き》郷《きよう》は、アッという間に村中に知れ渡《わた》っているはずだ。あわてて、その日の内に旅立つ者がいてもおかしくない。

 もしかすると、その人間が、文江を襲《おそ》い、坂東を殺したのかもしれない。

 「それは誰《だれ》?」

 と、文江は勢い込《こ》んで訊《き》いた。

 「宮里医《せん》師《せい》ですよ」

 と、鉄男は言った。

 「——参ったなあ」

 と、草永と二人で、村の道を戻《もど》りながら、文江は言った。

 「どうして? 昔《むかし》からこの村にいる医者なんだろ?」

 「ええ。凄《すご》くいい先生なのよ。〈医は仁《じん》術《じゆつ》〉なんて古い言葉を実行してる、まれな人物なの」

 「すると、どうも殺《さつ》人《じん》犯《はん》とは関係ないようだな」

 「でも——一《いち》応《おう》、疑《うたが》ってかかるべきだと思う?」

 「僕《ぼく》がその先生なら、訊《き》いてほしいね」

 文江は肯《うなず》いて、

 「そうね……。あなた、どこか悪くない?」

 と言った。

 「東京へ?」

 と、宮里医《い》師《し》は訊《き》き返した。

 「はい。私が帰ったとき、入れ違《ちが》いに行かれませんでしたか」

 「さて、そうだったかな」

 と、宮里は天《てん》井《じよう》を見上げて、「ひどい天井だ。雨もりがするんだぞ」

 と言った。

 「大変ですね」

 「いいかね。確《たし》かに、その日、村を出て東京へ行ったよ。しかし、あんたが戻《もど》ったことは噂《うわさ》しか知らなかった」

 「そうですか」

 と文江は肯《うなず》いた。「あの——失礼だとは思うんですけど——」

 「何だ?」

 「東京にどんなご用だったのか、教えてもらえませんか?」

 「お安いご用だ」

 と、宮里は言った。「若《わか》い女を囲っとるんだ。それで月に一回、小《こ》遣《づか》いをやりに行くことに——」

 「先生!」

 と、文江は宮里をにらみつけて、「私は真《ま》面《じ》目《め》にうかがってるんです!」

 「いや、すまん」

 と、宮里は笑《わら》って、「実は、招《まね》かれとったんだ」

 「何にですか?」

 「ノーベル医学賞のパーティではないが、やはり医者の集りでな。金があるから、食い物がいいのだ」

 「そのために東京へ?」

 「そうとも。他に何かあるのか?」

 「いえ、それならいいんです」

 文江は、早々に宮里医院を出た。

 何でもないのに注《ちゆう》射《しや》でも射《う》たれちゃかなわない、と、表で待っていた草永は、文江の話に、

 「それじゃ、別に怪《あや》しくないじゃないか」

 「でも一《いち》応《おう》調べなきゃ。——疑《うたが》うわけじゃないけどね」

 「どうやって?」

 「そのパーティのあった会場に訊《き》いてみる。主《しゆ》催《さい》がどこだったのか、そして、先生は本当に出席したのか」

 「大分本《ほん》格《かく》的だね」

 「そうよ。探《たん》偵《てい》は辛《つら》いわ。たとえ、愛する人でも、弓《ゆみ》の名手だから、疑《うたが》わなくてはならない」

 「おい.冗《じよう》談《だん》じゃないぜ」

 と、草永は言った。「——しかし、それが正しいかもしれない」

 「え?」

 文江が見ると、草永は、ポケットへ、何やらしまい込《こ》んでいる。

 「どうしたの?」

 「髪《かみ》をとかしたのさ」

 「それがどうしたの?」

 「鏡を見てたんだ。——今のお医者さん、我《われ》々《われ》をずっと見送ってたよ」

 「へえ。じゃ、一体——」

 「妙《みよう》だろ? それに、鏡の中で見ただけだけど、ずいぶん、暗い顔をしていたぜ」

 そう。——文江も、そう感じた。

 先生、どこかおかしい。だからこそ、調べる気になったのだった。

 「——やっぱり事実だったわ」

 と、文江は家の二階へ上って来て、言った。

 「うん……」

 草永は、あまりTVなんか見ないのに、ただ点《つ》けておきたいようだった。

 「ホテルへ、行ってるわ、あの先生」

 「そうか」

 「でも一泊《ぱく》じゃないらしいの。一泊なら、滞《たい》在《ざい》費《ひ》も出るらしいけど、先生は少し長くいたらしいの。パーティの後、どこへ行ったかは不明」

 「で、これからどうするんだ?」

 「そうねえ……」

 と、文江は考え込《こ》んだ。

 「室田さんへ知らせないのか?」

 「どう思う? あんまり気は進まないんだけど……」

 と、ためらいがちに言っていると、

 「失礼します」

 と、うめの声がした。

 「はい。どうしたの?」

 「お電話でございます」

 「すぐ行くわ」

 ——もう夕食も終え、時計は九時近くになっていた。

 下へ降《お》りて、電話に出る。

 「はい、文江です。——もしもし?」

 「お、お嬢《じよう》さんですか」

 「何だ鉄男君? どうしたの?」

 「昼間の話なんですけど——」

 「昼の、って……」

 「お嬢さんの後、東京へ——」

 「ええ。宮里先生ね?」

 「実はも《ヽ》う《ヽ》一《ヽ》人《ヽ》いたんです」

 「もう一人?」

 「ええ。ついさっき思い出したもんですから」

 「それは誰《だれ》なの?」

 「ええ、あの次の日に東京まで行ったのは、二人いて——」

 「二人も?」

 「はい。僕もびっくりしちゃったんですよ」

 「誰と誰?」

 「それは——」

 突《とつ》然《ぜん》、ドンという鈍《にぶ》い音が、送話口から伝わって来る。

 「もしもし? どうしたの?——鉄男君」

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