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作者: 当前章节:15396 字 更新时间:2026-6-23 00:38

「その位のことはどこの大手でもやっているわよ。第一、二千名の団体に泊まられたら他の顧客を逃がしてしまうわ。そんな団体をとらなくとも私のホテルは充分やっていけるのよ」

「それは春秋のハイシーズンのことでしょうが。それを我が社は夏冬のオフシーズンにやるとしたらどうですか?」

「オフシーズンに?」

 恵美子の瞳がキラッと輝いた。ビジネスに反応するシャープな商人の目である。

 ホテルの種類により多少の差はあっても、大体、ホテルのかき入れは四月と十月の観光シーズンである。夏と冬、特に七、八月と一、二月はホテルにとって厄月である。

 最近は国際会議や株主総会の誘致、オフシーズン割引などの閑散期《オフシーズン》対策がある程度効を奏してきたとはいえ、巨大な設備投資と人件費の圧力にどこのホテルでも青息吐息であった。

 しかし、うまくいかないもので、団体旅行が動くのも、専らハイシーズンにかぎられる。オフシーズンには気紛れの観光客や、商用客などの個人《バラ》客がまばらに動くだけだった。そういうバラ客はあまりホテル内で食事を摂らない。これではホテル収入は上がったりである。

 この時期に団体が入ってくれたら、ホテルにとって救いの神となる。おまけに団体には必ず食事がつきまとう。客室収入と飲食収入が切り離されているホテルでは、素泊まり客だけの客室収入では商売にならない。泊まってめしを喰ってくれる客が、一番有難いのである。

 オフシーズンに二千人の団体、朝夕食をつけるとして、客室料共に莫大な売り上げとなる。ホテル経営者としては絶対に逃がせない話であった。

 恵美子は組んでいた脚をそっと外した。花岡の話が事実とすればこれは大変な客《かも》である。

 彼女は急に自分の裸身にひけ目を感じた。しかし、今さら、ドレスアップするのは彼女の自尊心が許さない。

「春秋の観光シーズンは我々家電屋にとってもかき入れ時です。折角、招待しても集まりが悪い。高い金を費っての招待だからできるだけ効果的にやらなければならない。そこで夏冬のオフシーズンに避暑避寒をかねての招待旅行となった。今年は関東以北の千店は名古屋に、中部以西の千店は東京の一流ホテルに招待し、それぞれ、そこを本拠に三日間ばかり、周辺の観光地巡りをさせようというプランになりました」

「そうすると三日間、ホテルに連泊というわけ?」

 恵美子は声を呑んだ。ただの一泊でも大きな収益につながるところを、三泊もするとなれば、飲食量も宴会数もそれだけ増える。それだけでなく、お客が個々に落とす金も莫大な額に上る。

「そのように考えております。招待客は中年以上のどちらかといえば老人が多い。三日間、宿から宿へ転々とさせるのよりは、設備の調《ととの》った一流ホテルに滞在させ、ゆったりとしたスケジュールで観光や、観劇をさせてやった方が喜ばれるのです。地方の代理店主だから、最初のうちはホテルは固苦しくていやだという苦情もありますが、招待旅行が終ってからの印象が日本旅館よりも格段によい。結局、ふだん泊まりつけない所へ泊めてやり、食べつけない洋食ぜめにする方が印象も強烈で、思い出に残るのです。今年は招待状の受け通知が千八百名、二人部屋が八百、一人部屋が二百室必要です。その他、協電側の幹事連が約五十名付き添いますから五十シングル。食事は朝食を三回、夕食を三回ホテルでとります。それから到着した日の夜は盛大な慰労パーティを張りたいと考えております」

 ツインは一室あたり|税抜き《ネツト》で四千五百円、シングルは三千円。食事は朝夕食それぞれ五百円と千五百円、これに千八百五十名をかけて、さらに三泊分として三倍する。その他の飲料代宴会料を加えれば、

(三日間で大体、ネット三千万円の売り上げになるわ)

 胸の中で弾いたソロバンの示す莫大な額に恵美子は上気した。一口に三千万円というが、オフシーズンにこれだけの収益は全く有難い。

「もし、この冬がうまくいけば来期の夏にまた、持ってきますよ」

 花岡は誘うように笑った。

「でも、名古屋にホテルはうちだけじゃないし、昼間あれだけ冷たくあしらわれたのにもかかわらず、何故わざわざ私の所へ持ってきたの?」

 恵美子は先刻から抱いていた疑問を口に出した。協電とホテルナゴヤは別に資本のつながりもなければ、商歴もない。これだけの美味い話を明らかに家宅侵入罪に問われるような行為を犯してまでも、恵美子のところへ持ってくる義理など一片もないはずであった。

 収容設備にしても、これだけの団体をこなせるホテルは他にもあった。

「ここでなければならないのですよ」

 彼はニヤリと笑った。

「どうして? 丸栄でも、国際でも喜んで受けるわよ」

「実はお願いがあるのです。いや、条件といってもよい」

「やはりね、これだけおいしい話を、なまのままくれるはずがないと思ったわ」

 恵美子は肩をすぼめて、急に興味を失った顔になった。

「そうげんきんにおざ[#「おざ」に傍点]が冷めたような顔をしないで下さいよ。条件と言いましたが、この条件、決して悪い話じゃない」

「言ってごらんなさい。ことのついでだわ」

「ついでとは熱意ないですね」

「いいこと、私はまだあなたの家宅侵入を許したわけじゃあなくってよ。そのつもりで口をきいてちょうだいね」

「分ってます。……それでは申し上げます。実は星電研です」

「セイデンケン?」

「インチキカラーテレビで株が暴落しましたね。実は我々はある理由からその株が欲しいのです。社長は三十万株を保有する大株主だ。それをぜひ譲って欲しいのですよ」

 内野恵美子は花岡の顔を凝視した。花岡も恵美子の視線をがっちり受け止めた。二つの視線は重なり合ったまま、どちらからも外そうとしなかった。

 ややあって恵美子は花岡と視線をからませたまま薄笑いした。

「分ったわ。ここのところ星電研株が反騰《はんとう》してきたと思っていたけど、あなた方が陰で動いていたのね。好材料が何もないのに値上がり……おかしいなと思っていたら協電が買い集めていたのね。何故あんなボロ株を買いたがるの? カラーテレビはインチキだったし、星電研のドル箱といわれた渋谷技師は大山師じゃないの」

「とにかく、譲って下さい。カラーテレビや渋谷技師はインチキでも、我々は星電研の過去のパテントが欲しいのですよ」

「それだけ?」

「それだけです」

「駄目よ、私にビジネスのごまかしは効きません。本当のことをおっしゃいな。そうすれば考えてあげてもいいわ」

「…………」

「言えないのね」

「社長、三十万株、時価百五十円ですからシメて四千五百万円、放っておけば額面を割りかねないボロ株にそれだけの金を出そうというのです。しかも千八百名の団体を見返りにして。理由などどうでもいいじゃありませんか。聞くところによれば社長は星電研とけんかをして、創立時ここを事務所にしていた彼らを追い出したそうですね。別に株を後生大事にかかえ込んでおく義理などないでしょう」

 確かに花岡の言う通りであった。創立時、事務所としてホテル客室を貸してやったよしみで大株主の一人になっていたが、利ザヤを稼ぐチャンスを棒に振ってまで抱えておく義理などさらさらなかった。

 まして、渋谷夏雄には決して忘れることのできない怨みがある。あの男は女王のプライドを土足で踏みにじった。あの屈辱はいつかは必ず復讐してやらなければならない。女王の名誉にかけても許してはおけないのだ。

 恵美子はあの折、渋谷に思い切り叩かれた火の出るような痛覚が、たった今の出来事のように頬に生々とよみがえった。

(そうだわ、理由なんかどうでもいいわ。要するにあの男に復讐できればいいんだわ。あの男が死ぬほど愛している星電研を、他社に乗っ取らせるために株を売り払う。思えば小気味よい復讐じゃないの)

 恵美子はふたたび顔を上げた。

「いいわ」

「えっ」

「売ってあげるわよ。ただし、時価ではいやよ。放っておけば買い占めでまだまだ上がる株よ。一株、二百円、これ以上|鐚《びた》一文欠けてもだめよ」

 恵美子は挑戦するように言った。

(足許を見やがって、この女狐め!)

 花岡はその時、この女というよりは女怪に殺意に似た憎悪を覚えたが、それをおくびにも現わさず、

「止むを得ません、手を打ちましょう。それでは二百円で三十万株、六千万円の小切手を切ります。名義の書き換えは」

「待って。取引は明日午後一時、社長室でしましょう。あなたはその時現金と団体の契約書を持ってきてちょうだい。株券はその時に引き渡すわ」

 今ここで取引きしてしまえば団体契約をぼかされるおそれがある。株券と引き換えに招待旅行受入れに関する契約も固めておこうという肚であった。さすがホテル界の女王、どこまでも抜目がなかった。

「結構です。では明日午後一時に。今夜はこれで失礼します。長い間お邪魔いたしました。家宅侵入罪で突き出される前に退散することにします」

 花岡はソファから立ち上がると軽く一礼した。寝室からパーラーへ、パーラーから会議室へ、そしてそこから廊下に面する扉へと靴の埋まりそうなカーペットの上を歩いて行った。

 出口扉のノッブへ手をかけた時、

「待って!」

 恵美子の命令するような声が後ろから追ってきた。

「は?」

「この取引、どうももう一つ底がありそうだわ。儲けて笑うのはあなたのような気がするのよ。でもいいわ。儲けられるのを覚悟で取引きするわ。でもね、それだったら儲ける方が儲けられる側のお客に景品を置いていくべきだと思うけどな」

「景品?」

「そうよ」

 恵美子は蓮っ葉に笑うと素足のままカーペットの上を歩み、花岡の目の前へ近づいた。……そして胸元で合わせていたバスタオルを、はらりと床の上に落とした。間接照明の柔らかい光が彼女の豊満な裸身を妖しい生き物のように浮き立たせた。

「あなたも私と同じ姿になってちょうだい! すぐ! 今すぐよ。そして、私の命ずる通りの姿勢で私を抱くのよ。それが私の言う景品よ。どう、できて?」

 大きく脂ぎった豊饒な女体が勝ち誇ったように笑っていた。情欲をむき出しにした牝は逃がれようもなくしっかと捕えた獲物をねぶるように舌なめずりをしている。

「できるさ」

 花岡は短く言うと、女体に凶暴に跳びかかった。女を組み敷きながら服を脱ぎ捨てる。

 カーペットの上を転々と転がりながら花岡は完全な獣に変身して行った。こうなると、どちらが獲物か分らない。二人は負けず劣らずの逞しさで相手の肉を貪りながら、少しでも相手より多く、自分の情欲を充たそうと互いの躰をせめ合った。

 ルームサービスの銀器《シルバー》を下げに来たキャプテンは完全防音の扉からもれて来る、あられもない社長の呻き声に足を竦めてしまった。

 翌朝午前十時、何喰わぬ顔をして社長室へ下りて来た恵美子を一人の来客が待っていた。

「こういう方が、先刻からお待ちになっておられますが」

 成瀬は一枚の名刺を乗せた銀製の名刺受けを差し出した。

 菱井電業株式会社家電第一事業部テレビ課長代理、岩村元信とある。

「支配人へ通そうとしたのですが、どうしても社長にお会いしたいそうで」

 成瀬は恐る恐るつけ加えた。昨日の花岡のことがあったからである。

「会うわ、お通しして」

「は?」

 成瀬は面喰ったように顔を上げた。多分、断わられるだろうと予測していたからである。

 やがて、成瀬に導かれて来た岩村は、人払いされた社長室で内野恵美子と二人だけで何事か一時間ほど語り合っていた。

 何の 約《アポイン》 束《トメント》 もないフリの客と一時間も話しこむとはよほど、興味のある話題にちがいない。

 そろそろ、役員との午餐会の時間なのだがと、成瀬がやきもきしかけた頃に、社長室からインターホーンブザーが鳴った。

 慌てて立ち上がった成瀬が秘書室を通り抜ける前に社長室の扉が開き、客が送り出されて来た。内野恵美子が直々に送り出したのである!

 恐縮して扉を開いた成瀬の耳に、

「それでは今夜八時、2456号室でお待ちしてますわ」

 恵美子が送りしなに客にかけた声が入って来た。ビジネスから離れた、彼女の妙に浮き浮きしたつやのある声調《トーン》に成瀬は覚えがあった。成瀬自身、過去幾度か社長からそういう声をかけられたことがあった。

 自分自身、恵美子の�ハレム�の中の不甲斐ない一人にすぎないことは、分りすぎるほどに分っていながら、成瀬は嫉妬に胸を熱くした。

「812号室に泊まっている花岡という人を呼んで、今日午後一時の約束は、明日の一時に変更と伝えてちょうだい」

 一瞬、職務を忘れて呆としていた成瀬に、恵美子の冷酷な命令が下りて来た。それは先刻、岩村にかけた口調とは別人のような厳しさにあふれていた。成瀬はそれをくやしいと思う間もなく内線のダイヤルを回さなければならなかった。

 翌々日、午後一時、ホテルナゴヤの社長室で内野恵美子と相対した花岡は憤然として叫んだ。

「それじゃあ話がちがうじゃありませんか」

「ごめんなさいね、でも事情が変ってきたのよ。あなたが帰った後、菱井電業の岩村という人が見えてね、星電研を二百二十円で売ってくれと言うのよ。少しでも高い方へ売るのが商売の常道じゃないかしら」

「しかし、我が社は千八百の団体を送る」

「それも同じなのよ。オフシーズンに販売代理店招待千三百名、あなたより五百名ほど少ないけど、四泊よ、それに」

「それに何ですか?」

「あなたと同様に景品までくれてったわ」

 花岡は呻いた。山でザイルを結んだ山仲間が、資本主義社会の酷風の中で敵味方になるのはいたし方ないとしても、まさかこのような形の恥ずべき共通項[#「共通項」に傍点]を持とうとは思わなかった。

「もっとも、この方はどちらも同じ位に優秀だったけど」

 恵美子はニンマリと思い出し笑いをした。

「止めてください!」

 やはり、獲物にされたのは自分の方であった、

「怒ることないわよ。私、全部、菱電に売るとは言ってないのよ。仲良く半分ずつ、売って上げた方が両方共幸福になれるし、第一家電業界の東西両横綱からお引立ていただけるもの」

 花岡は自分がこの女怪に完全に振り廻されていることを知った。恵美子は、昨夜二百円で手を打った株価を二百二十円に釣り上げ、しかも、見返りとして協電、菱電両社の団体旅行を喰わえこもうとしている。さらに、その上に自分と岩村の山で鍛え上げた躰をいいように貪ったのだ。

 しかし、それでもなお、恵美子から星電株は買わなければならなかった。もし、インチキカラーテレビが協電の工作であると知れば、この女狐はもっともっと吹っかけるにちがいない。花岡は眼前に笑う毒の花のような恵美子の大柄な顔を張りとばしたい衝動を耐えるのに必死であった。

「でもね、それではあなたが余りに可哀想、何事にも先着順ということがあるから、二百二十円ということで二十万株あなたに売るわ。菱電には十万株、これなら文句ないでしょ」

 内野恵美子は頬づえを突いて言った。豊かな頬が口を動かす都度、二重にくびれてたゆたゆと震えた。

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 サヤ稼ぎ

 ポケットカラーテレビの実験失敗で三百四十二円の高値から、連日ストップ安をつけた星電研は、四日目からカイが殺到して実験再公開しないうちから反騰をはじめ、八日目には早くも公開実験時の値段に戻していた。

 星電研という、ただ一人の技術者の腕にその存立が賭けられている弱小会社の、肝じんのドル箱ともいうべき渋谷のカラーテレビがインチキと判明した今、そんな株は紙屑のはずであった。それなのに売り物が切れるほどに買いまくられているのである。

 買い占めるにしても、そんなインチキ会社株を買い占めて何になるのか? およそ、常識では理解できない何かが星電研を買わせている。

 ただ事ではない。人々はとまどいながらも現実にぐんぐんと値を飛ばしていく星電研に、じっとしていられなくなり、提灯《ちようちん》をつけるのである。

 もともと、総資本一億二千万の過少資本株である。株はたちまち品薄になった。利ザヤ稼ぎの買い占めではなかったから、売り物はいくらでも拾われた。

 こうなるとサヤ目当ての提灯筋もなかなか手放さなくなる。売り物は極度に薄くなった。

 七月三十日、午後五時、盛川達之介は秘書に一個の電話番号を告げた。秘書は忠実に社長室専用の直通電話をダイヤルして、先方が受話器に出たのを確かめてから、盛川の卓上電話に切り換えた。

「盛川だが、どの位拾えた?」

「今日の後場に三万六千株、合計、四十万株集まりました」

 店頭の気配をそのままに伝える送受器の向うから、中年男のさびの利いた声が答えた。

「今日はいくらで終った?」

「五百九十六円です」

「とすると平均三百円ほどで拾えたわけだな」

「はっ」

「ふうん……、よし、明日処理しよう」

「とおっしゃいますと?」

「売ってくれ、全部だ」

「全部!?」

「そうだ、この買い占めは単なるサヤ稼ぎではない。売り物は出るだけ買われる、しかもこちらの指し値でな。しかし、それもテキの手持が過半数に達するまでだ。星電研や銀行筋の不動株が百万株ほどあろう。儂の手許に約四十万株、テキさんがどの程度集めたか知らんが、まだ九十万株は越えていないはずだ。とすれば、過半数をおさえるためには儂の四十万株は是が非でも欲しいところだ。六百円から十円ずつの幅で、十万株ずつ、明日売りに出してくれ」

「かしこまりました」

 送受器の向こうで忠実な声があった。電話はそれだけのやりとりで切られた。

 盛川は送受器を秘書の手に渡すと、大きく息を吐いた。

 買入れ平均コストが三百十五円、明日の売り平均値が六百十五円だから、一株あたり三百円のサヤで、四十万株、約一億二千万円の儲けとなる。

 それがわずか二週間の稼ぎであるから悪くなかった。それにこのサヤは会社帳簿に載らない、盛川個人の儲けである。

 盛川達之介はかつて岩村元信を気味悪がらせた薄笑いを洩らした。

 しかし、彼を薄く笑わせた源は、一億二千万のサヤだけではなかった。

 翌日、盛川の目算通り、四十万株は前場のうちに売り値でそっくり拾われてしまった。

「やはりな」

 盛川はほくそ笑んだ。これは並大抵の相手ではない。もし、テキに資力がなかったら、四十万も売りあびせれば星電研は暴落してしまっただろう。しかし、テキは平然と買い上がって行った。

 盛川にはこの強大な資力をかかえたテキの意図がおおよそ読めてきたのである。買い占めの相手は協電か古川か、住吉のどれかに決まった。そして、それならば思う様、高値で掴ませて、その後で打つ手がある。彼は薄笑いを止められなかった。

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 錆びた管

 年が代わった。——

 花岡進は星電研買収時の�戦功�を賞されて家電事業部の部長に抜擢された。

 強電の協電から弱電の協電へと花岡俊一郎社長の音頭の下に、強力な推進運動が展開され、それがかなりの成果を示している現在、弱電部門の最大事業部たる家電部長のポストを与えられたことは、進が協電の次期最高首脳たることを約束されたようなものであった。

 電気洗濯機、扇風機、空気清浄装置、電気掃除機、ミキサー、ミシン、冷蔵庫、アイロン、電熱器、テレビ、ステレオ、ラジオ、照明器具等の家電各課を一手に管掌し、生産から販売まで一貫した権限を与えられた部長は、自主的な経営単位の長であり、一国一城の主であった。

 しかも、その責任の内容たるや、財務、購買、製造、販売といった形の機能別事業部が収益責任や費用責任しか与えられないのに対して、製品別事業部はこの両方を包括した利益責任、即ち、企業の究極目標たる利益への直接的な責任が与えられるのである。

 従って、同じ社内であろうと、他の事業部は利益実現の過程においては全く他社と異なるところがない。社外により安く、優秀な原材や部品を求められる場合は、たとえ、社内他事業部で同じ物を扱っていても、容赦なくそれを忌避できる、いわゆる、忌避宣言権が与えられていた。

 花岡進がこの強大な権限を与えられて勇み立ったことは言うまでもない。

 ここ数年の資本主義の酷風に晒されている間に進は変身した。かつて遠い日、ただより高く、よりおおらかな未知の遠望を得たいがために、アルプスの雪や岩や風の間をさすらった、甘いロマンティシズムの影もなかった。

 遠い青春の日(時間的には決してそれほど遠いものではなかったが)が時たま懐しく記憶のひだによみがえることはあっても、|お伽話《メルヘン》の世界のような幼稚さを覚えることの方が多かった。

 製品に家電の多い星電研は事実上、進の支配下に入った。

 彼は家電部長に就任してから徐々にその辣腕を伸ばしていった。この重職の椅子が閨閥によるものと誰にも言わせないために、進は何かを為さねばならなかった。その何かの手初めが星電研の整理であった。

 要するに、星電研の効用価値は渋谷一人である。彼以外のすべての人間は全く不要なのだ。

 しかし、進は俊一郎に進言して星電研の星川社長を協電の副社長に据えさせた。それだけではない、星川子飼いの星電研幹部のほとんどすべてをそのまま、協電幹部として横すべりさせたのである。

 もちろん、常務会で強電側の強硬な反対にあったが、俊一郎はそれを強引に押し切ってしまった。

 こうして、星電研の幹部は協電に吸収されたことによって、社会的地位はかえって高められたような外観を呈したのである。

 世間はこの思い切った、というよりは常識外れの温情人事にむしろ呆れた。

 しかし、人々は美談のかげで、旧星電研の�その他大勢�の従業員が花岡進によって徐々に整理されていることを知らなかった。それも一度に大量の整理をするのではなく、組合幹部の骨のありそうな連中だけ厚遇をもって協電に引き抜き、労組を骨ぬきにした後、少しずつ、草を刈るように刈りとっていくのだ。

 刈り残しの中にうるさ型が残っていた場合は、関連会社に好条件ではめ込む。それでもうなずかない場合は、協電専用の商務工作員を使って、彼の公私にわたる生活を徹底的に調べ上げ、鵜《う》の毛で突いたほどの瑕疵《かし》を見つけ出して脅しにかけた。

「天下の協電からにらまれてみろ。これから先、君はあらゆる企業からシャットアウトを喰うぞ」

 たいていのうるさ型はこれで落ちた。

 美談のかげの�草刈り�があらかた終ると、今度は星電研の社屋と工場の整理にとりかかった。渋谷のいる中央研究所だけは手つけずにおいた。

 さして広くもない工場は二、三日のうちに解体され、社屋はあるスーパーマーケットに買い取られた。協電の設備や材料として利用価値のあるものはすべて大阪へ移された。

 つい、一ヵ月ほど前まで、星のマークの社旗の下で約五百名の従業員が生々と働いていた星電研は、文字通り地上から抹殺されてしまったのである。

「進の奴、なかなか、やりおるわ」

 花岡俊一郎は進のやり方に内心舌を巻いた。この種馬、案外と拾いものであった。星川を協電副社長、それも単なるロボットではなく、代表権のある副社長にと強硬に主張したのが進である。最初は俊一郎もこの途方もない人事に驚いた。しかし、買い占めの目的が渋谷一人にあり、渋谷と星川との個人的連帯が強いものであればあるほど、星川の協電における地位を優遇すれば、それだけ渋谷は協電になつく。

 気むずかしい飼い犬を手なずけるには、その飼い犬がよく馴れた飼い主そのものを飼いならすにしくはない。——と主張する進の意見は尤もであった。

 彼の意見を容れて、星川はじめ、旧星電研の創立者群をそのまま、協電の幹部に迎えたところ、案の定、単純な渋谷は花も実もある協電の温情に感激して、より以上の忠勤を「協電に対して」捧げるようになった。

 もちろん、すべての命令は星川を経由して渋谷に下達されるようになっている。

 協電第二中央研究所——それが名古屋に残された星電中研の新名称であった。�中研�という呼称も、渋谷と彼をめぐる旧星電研の技師団のプライドを損わないように特に配慮したものであった。

 こうして、渋谷は吸収前と同じ場所、同じ組織体系の中で(星川旧社長の指揮下にあって)、しかも以前に倍する給料でもって、協電、正確には花岡進のために製品を開発することになったのである。

「この温情人事はあくまでも人心をつなぎとめるための工作です。渋谷を飼いならしたら星川達は一挙に整理してしまう。敗れた敵にいつまでも甘い餌をやることはありません」

 進は瞳を細めてむしろ、楽しそうに俊一郎へ言った。

 ——全く、ひろいものの種馬だった。——

 花岡俊一郎は何度もうなずかざるを得なかった。

 かかる事情の下に、渋谷の開発したMLT—3は大阪ロイヤルホテルにおいて協電の名の下に花々しく公開されたのである。

 わずか、新書版大の蛍光面に現出する鮮かな色彩に世間は湧きに湧いた。

 かくて、電子工業界第三の革命は協和電機株式会社の名によって為し遂げられたのであった。

 協電の株はその日のうちにストップ高をつけた。株価のみならず、MLT—3の成功により、花岡俊一郎の率いる弱電は強電側に完全にとどめを刺したのである。

 同時に、花岡進の眼の前に栄光の王座に至る大《ロイヤル》 道《ルート》が開けたのであった。

 進の社内的地位が確立されると、彼の家庭における鼻息も荒くなった。

 もはや、単なる種馬ではない。弱電派出身の第二代目の社長の椅子がほぼ約束されている身分である。しかも、その大部分は自分のかけひきと才能によってかち取られたものなのだ。最初の起動力は妻のヒキによって与えられたかもしれない。しかし、その後の峻嶮な径を登る登坂力は正に自分の力だけであった。

 いつまでも、順子に種馬として仕えている義務はないのだ。

 公開実験が成功した夜遅く、さすがに興奮醒めやらぬまま帰宅した進は出迎えの女中に、

「順子は?」

「もうとうにお寝《やす》みでございます」

「何!? 亭主が夜遅くまで死物狂いになって働いているというのに、先に寝るとは何事だ! 叩き起こしてこい」

 と怒鳴った。

「でも……」

 女中は途方に暮れて立ち竦んだ。順子が先に寝むのは何も今夜にかぎったことではない。

 もっと早い時間でも、常に女中が出迎え、そして進もそれを当然のことのように黙認していたではないか。それが今夜にかぎって、どうしたことか?

 ただ事ではない進の権幕に、女中は立ち竦んだのである。

「お前に起こせなければ、俺が起こしてやる。こい!」

 進は女中を押しのけて寝室の方へ進んだ。

「でも、奥様は今日はお具合が悪くて朝からずうっと臥《ふせ》りきりなのです」

 女中は吃り吃り言った。彼女の言葉は嘘ではなかった。

 順子は数日来の風邪が抜けず、その日は軽い悪寒を覚えたので、進を送り出してから寝室に閉じこもっていたのである。

「いくら具合が悪くても、亭主が帰って来たんだ。玄関ぐらい迎えに出られるだろう」

 進はわめいた。おそらく、順子は自分の今のわめき声を眉をひそめて聞いているだろう。獣のように野蛮な人間とベッドの中で軽蔑しているかもしれない。

 自分の声は確かに順子の耳に届いているはずだ。それなのに、寝室の扉は貝のように閉されたままだった。その事実がよけい進を怒らせた。

「お高くとまりやがって、子供一人生めぬ石女《うまずめ》ではないか!」

 進はあらかじめ用意しておいたセリフを吐いた。順子は進が不妊手術を受けていることを知らない。不妊の責任の五〇%は自分にあるのかもしれないと秘かに胸を痛めているだろう。

 今の毒の言葉は純血の誇り高き彼女の胸をぐさりと刺し貫いたにちがいない。

 ——ざまあ見やがれ!——

 進はいくらか溜飲が下がった。女中もあまりの権幕に怖れて近寄らない。

「おい、順子、起きろ!」

 寝室の扉を乱暴に開いた進は、さらに声を張り上げた。

「何ですか! みっともない。お時間を考えて下さい」

 順子の水のように澄んだ冷たい声がかえってきた。

「けっ、何を言やがる!」

 進はやくざのような言葉を吐いた。自分自身、初めて口にするような雑言である。

 見れば順子はベッドの上に上体を起こして、美しいが、感情を殺した例の能面のような表情で進を見すえていた。ベッドサイドランプのオレンジ色の斜光を受けて、女には珍しい彫りの深い顔がよけいノーブルに見える。寝衣が胸元できちっと合わされ、今まで病で臥っていた人間とは思えない。寝衣姿ながら一分のすきもなかった。

 しかし、それが進の癇に障った。

 女が夫に対してすきを見せないということは、とりもなおさず、夫を愛していない証拠である。妻として夫にまみえる時、女はすきだらけでよい、否、そうあらねばならないのだ。

 夫に命じられるままに、どんなしどけない姿にも、どんなあられもない格好にもならねばならない。それ故にこそ、戦いに疲れ帰った男達は家庭に安らぎを求められる。

 硬玉のように硬い女は、たとえ澄んだ美しさを湛えていても、妻としての資格はない。

 夫に対して武装をし、そのことにより反射的に男に�妻に対しての武装�をさせるような女は最初から人妻になるべきではなかった。

 性愛のため、また、生殖のために求める男であれば、それはそれなりの求め方もあろう。

 少なくとも、彼女らは家庭に入りこんではならない。それが彼女ら(もし、彼らに対して女という呼称が許されるならば)に課せられた最小限のタブーではないか。

 花岡進は順子の姿に、むしろ、中性的な化け物が妻という形を藉《か》りて家庭に侵《はい》りこんだように感じた。

 その時、衝動が進の躰に湧いた。

「あ、何をなさるの!?」

 彼は順子のそばへずかずかと歩み寄ると、いきなり彼女の胸ぐらを掴み、カーペットの上に引きずり出した。

 順子は必死に抵抗したが、山で鍛え上げた進の腕力に抗すべくもなかった。

「夫を獣を見るような目で見つめる前に、迎えに出たらどうなんだ?」

「今、何時だと思っているのです!?」

「うるさい! つべこべ言うな」

 進は順子の胸ぐらを掴んでいた手を放すと、思う様彼女の両頬を張った。

「あっ」

 深窓に育った身に生まれて初めて振われた暴力に、順子は声を失った。しかし、気の強い女らしく、瞳に冷たい光を集めて進を必死に睨みかえした。そうする間にも、乱れた裾を素早く直すことを忘れない。

「お前は今まで、一度でも、妻らしい態度を俺にとったことがあるか! 何だ、その目は」

 殴られても、かつ、乱れない順子の姿勢に進はますます猛《たけ》り立った。進は文字通り、獣のように順子の躰に襲いかかった。

「あ、止めて、いやよ、いやっ」

 順子の全身の抵抗をせせら笑いながら、進は男の力で彼女の下のものを剥ぎ取っていった。

 順子がどんなにあらがっても、寝室の中の、しかも、すでに薄い寝衣に着替えている躰である。進の凶暴な力の前に下穿きはむしり取られた。帯は外され、寝衣はずたずたに裂かれた。

 見るも無惨な姿になった順子をニヤリと見下した進は、折り重なりながら、巧みに自分のズボンを外し、妻の躰の中に荒々しく割って入った。

 躰を割られながらも順子は抵抗を止めなかった。下半身を結合した男女が、上半身において激しく相争っている。

「けだもの、けだもの!」

 順子は激しく罵った。

「何がけだものだ、この化け物め」

 妻の躰を苛みながら、進も応酬した。しかし、憎み争いながらも、男女の躰の造化の妙は互いの肉に官能を高めつつあった。

 順子の抵抗は徐々に減ってきた。二人はあえぎながら、闘争のために激しく動かしていた躰を、いつの間にか、ちがう目的のために動かしていた。

 ——順子が同調している!——

 進は組み敷いた妻の躰が、自分の動きに合わせて律動しているのを知って驚いた。

 これは結婚以来、初めてのことである。おそらく、彼女も争いの続きのつもりで躰を動かしているのだろう。よし、それならばそのように扱ってやれ!

 進は次第に高まる官能の波を、自らの意志でひとまず止めると、折り敷いた順子の躰に手をかけて腹這わせた。

 そして、相手に咎める隙も与えず、女を犬のように這わせて、しとどと濡れた彼女の秘奥に、自らも犬のようになって入って行ったのである。

 寝室の中には男女の体液のなま臭い臭いがこもった。憎み合いながらも、行き着く所まで行かなければ鎮められない、本能の火に焦がされた二人の、いずれ劣らぬ獣のようなあえぎが高まっていった。

 翌朝、進は別人のように澄ましかえった順子に向かって、

「お前、今日医者に診てもらえ」

「どうして?」

「結婚して五年にもなるのに俺達の間にまだ子供ができないじゃないか。俺に悪いところがなければ、お前のどこかが悪いのだ。俺も一緒に行って診てもらう。これからすぐに行くから支度をしろ」

「そんなこと急に言われても困るわ」

 順子は心持ち面を染めて言った。きっと、あられもない姿態を取らされて内診を受ける自分を想像したのであろう。気位の高いこの女が、婦人科の内診台に上がった姿を想像するだけで愉快だった。

「何を言う! 子供が生まれなくて困るのはお前の方だろう」

「でも、私に悪いとこなんかあるはずありません。あるとすればあなたの方です」

「そんなことがどうして分る? 俺は別に悪遊びもしとらんし、病気に罹《かか》ったこともない。絶対に健康だという自信があるんだが、一人ではお前が行き辛かろうと思って、一緒につきあってやろうと言ってるんだ。俺も子供が欲しいからな。さ、こい」

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