雅子と城田との関係を邪推した井山が、雅子への当てつけに、それまで通っていた「雅」から「紅」へ河岸を変えたのではないか、という考えが城田の心に浮かんだのである。
「やあ、城田くん」
井山は手招きして、
「こっちへ来て、一緒に飲もう」
そして、同席した雅子と城田をあらためて見比べると、
「これは、お二人お揃《そろ》いで……」
その声に、皮肉のひびきが感じられる。井山は言葉をつづけて、
「もっとも、城田くんは雅子さんの、快楽コンサルタントとかいうものだそうだから、連れ立って歩くのも無理はないが」
「ここへくれば、井山さんがおられると聞いたもので……」
その城田の声は、いかにも弁解めいてひびいたが、井山はそれを受けて、
「いやあ、この三津子くんを、わたしはすっかり気に入ってしまってね」
磊落《らいらく》めかして大きく笑うが、その笑いは井山に似合わない。雅子に当てつけている感じが、ますます濃厚になった。
「きれいなお嬢さんですことね」
大場雅子が、さらりと言ったが、井山は粘る口調で、
「きれいだし、それに躯がいい」
三津子が、抗議した。
「躯がいい、なんて、まるで知っているみたい」
井山は、薄笑いを浮かべて、黙っている。三津子は重ねて言った。
「そんな笑い方をして……。関係があるみたいじゃないの」
「無いというのかね」
薄笑いのまま、井山は言う。
「もちろん、無いじゃありませんか」
「きみは無いというが、こういうものには、証拠がないからね」
「そんな……、三津ちゃんをいじめちゃ可哀そうですわよ。まだ馴れていないんだから」
マダムの圭子が、口を挿《はさ》み、
「今夜の部長さん、いつもと違いますわ。まるで別の人みたいよ」
「馴れていない、というが、わたしはずいぶん馴れているとおもうね。そうだろうマダム、こういうことは、無いといえば無い、有るといえば有る、証拠というものがないんだから……」
そのとき、三津子が強い口調で言った。
「無い、という証拠があるわ」
「証拠がある?」
驚いたように、そう言ったのは、井山ばかりではない。城田はもちろん、その席にいる女性たちも好奇心をあらわにした眼で、三津子を見詰めた。
「どういう証拠だ」
一瞬、三津子の顔にためらいが走った。それを目敏《めざと》く見付けた井山が、
「出鱈目《でたらめ》を言っちゃいけないね」
「出鱈目じゃないわ」
「それならば、その証拠を言いなさい」
「あたしの躯には……」
と、三津子は思い切ったように言う。
「刺青《ほりもの》があるのよ」
「…………」
「どんな刺青が、どこにあるのか、もしあたしの躯を知っているなら、分っている筈よ。それを、言ってみて頂戴」
座が緊張した。混血の美少女と刺青との取り合わせは、かなりなまなましい。
「ぼくが言おう」
城田の声がした。視線が、城田の顔に集まる。
「左の内腿《うちもも》に、祐一いのち、と彫ってあるな」
あきらかに冗談と分る口調なので、座の緊張がほぐれた。
「嘘つき」
「色おとこ気取りだわ」
笑いながら、口々に城田を罵《ののし》る。城田が問い返した。
「それなら、どんな刺青があるんだ」
「左のおしりに……」
と三津子は言いながら、テーブルの上に指先で描いてみせた。
北斗七星のような配置に、緑色の星と藍色《あいいろ》の星が交互に並び、その星たちをかかえるような恰好で、細い鎌のような三日月が彫られてある。その三日月は、真紅の色である……、と三津子は言う。
「しかし、ふしぎな絵柄だね。北斗七星と月だなんて、きみ、嘘はいけないよ」
井山は、いまいましそうに、そう言う。
「いや、それは……」
城田が遮《さえぎ》って、
「外国にも、刺青はありますからね。鷲《わし》が羽根をひろげている絵とか、骸骨の絵とか、いろいろあります。そういえば、たしかに三津子ちゃんのは、そういう絵だったね。すっかり忘れていたよ。きみのお尻の上の星を、一つ二つ三つ……、と七つまで、指でおさえながら数えたことがあったっけ」
誰も、城田の言葉を信じるものはない。ところが、三津子はその言葉を笑いながら訂正した。
「それが違うのよ。お星さまは、六つまでしか見えていないの」
「北斗七星が、六つということはないだろう」
「だから、七つ目の星は、見えたり見えなかったり」
「…………」
「ピンク色の大きな星が、もう一つ見えてくるときがあるのよ」
「それを、白粉彫《おしろいぼり》というんだ」
井山は頷《うなず》きながら、説明する。
「普段は見えないのに、風呂に入ったりすると、彫った線が桜色になって浮かび上ってくる……」
城田が言った。
「それじゃ、そのピンクの星をいま見せてくれ」
「いまは、出ていないわ」
「昂奮したときも、出るわけだね」
「え?」
「男と寝たあとでも、出る筈だよ」
「さあ……」
「ともかく、ピンク色の星はどうでもいい。残りの六つの星と赤い月とを見せてくれ」
「だって、無理よ」
「やはり、無理か」
半信半疑の面もちで、城田祐一は三津子の顔を眺めていたが、やがて、また彼は質問をはじめた。
「その刺青は、いつ頃したものなんだ」
「それがよく分らないの。気が付いたときには、もうそこにあったのよ。だから、よほど子供のときだとおもうの」
「子供のときだとすると、大きくなってお尻が膨《ふく》らむにしたがって、刺青の色が薄くなりはしないかな」
「たしかに、そのとおりだけど、でも色が褪《あ》せたという感じではないの。かえって、面白い効果になっている……。きっと、大人になったときのことまで考えてした刺青だとおもうわ」
「よほど腕のいいほりもの師だったんだな。そして、させたのは、その絵からみると、きみの父親だね、アメリカ人の……」
「そうだとおもうわ」
「顔を覚えているか」
「忘れてしまったわ。ちっちゃなとき、いなくなってしまったんだもの」
「しかし、何のためにそんな刺青をしたのかな」
「分らないわ」
三津子の返事が曖昧になってきた。その種の話題は、気がすすまぬように見受けられる。
「それにしても……」
と城田が言いかけて口を噤《つぐ》み、しばらく座が静かになった。
「その刺青をみてみたいな」
そう言ったのは、井山と城田とほとんど同時だった。二人の男は、顔を見合わせて苦わらいし、
「城田くん、見てみたいというが、星は七つがいいのか、六つでもいいのか」
城田祐一は、うす桃色に上気した三津子の肌をおもい浮かべ、そのひろがりの上に印された濃い桃色の星型をなまなましく想像しながら、
「ぼくは六つでいいですよ。場合によっては、三津子くんの躯は消えてしまっていて、そこらあたりに浮かんでいる模様を見るだけでもかまわない」
と言った。
一方、井山卓次郎は中年男特有の執念ぶかい眼で、三津子の躯の輪郭を撫《な》でながら、
「わたしは、ピンク色の星が見たいな。残りの六つの星も、赤い月もいらない」
そういう眼で、ピンク色の星は誘い出されるものだろうか、あるいは奥深くもぐり込んでしまうものだろうか、と城田は考えながら井山の顔を眺めている。
月と星
三津子が、行方不明になった。
そのことを最初に聞いたのは、城田祐一である。いや、そのときはまだ、誰も三津子が行方不明になったとおもったわけではない。城田が聞いたのは、ただ、三津子が「紅」の勤めをずっと休んでいる、という事実にすぎなかった。
「紅」のマダムの圭子が、城田の顔をみると、
「三津ちゃんが、ずっと休んでいるのよ。城田さん、どうしたわけか知らなくって」
「知らなくって、なんて、まるでぼくがそのことに直接関係があるみたいじゃないか」
「…………」
「そんな間柄じゃないよ。だが、三津子がこの店に勤めるにあたっての保証人は、ぼくといってもいいわけだから、責任上三津子の家へ行って……」
と言った城田は、不意に曖昧《あいまい》な表情になると、
「といっても……、三津子の家がどこにあるのか、ぼくは知らなかったな」
「本当に、知らないの」
「知っているような気がしていたが……」
三津子のことは、いろいろくわしく知っているような心持だったが、あらためて質問されて考えてみると、確かなことは何一つとして知っていないのである。
「だいたい、三津子、三津子と心やすく呼んでいるが、苗字はなんというのだろう」
彼が独り言のように言うと、圭子は呆《あき》れたように、
「それも知らなかったの? 花岡というのよ」
と言い、それまでの彼の言葉を信じた顔になった。
「花岡三津子か。それにしても、マダムは家を知っているだろう。勤めるときに、書類のようなものを書かせるのじゃないか」
「そうなの。住所は、鶯谷《うぐいすだに》のほうになっていたわ。だから、そこに行かせてみたの。だけど、そんな家はありゃしない」
「もっとも、三津子の行方は、想像はつくけれど」
「あら、教えてよ」
「教えてよ、なんて、きみだって見当はついている筈だ」
そう言った城田は、井山卓次郎の顔を思い出している。三津子の左の尻に月と星の刺青があるという話になったときの、井山の眼つきを思い出している。
「分っているじゃないか。井山さんだよ」
「でも、井山さんは、違うとおもうの」
と、マダムの圭子が言う。
「ああいう実直なタイプが、かえって危険なんだぜ。ぼくのようなのなら、浮気で済んでしまうが、井山さんは勤めをやめさせてしまうとおもうね」
「そうでもない、とおもうわ」
「そうかな。この頃、井山さんは店にくるか」
「前みたいに、毎日じゃないけれど」
「それが証拠だ。目的を達したから、あまり顔を見せなくなったんだ」
「そりゃ、城田さんの言うことは分るけれど、でもわたしは井山さんじゃないとおもっているの」
「違う、という証拠でもあるのか」
「証拠にちかいものがあるわ」
「どういう……」
「それは、言えないけど」
そのとき、薄暗い店の壁の一部分が、ぽっと明るくなった。クリーム色の壁の上に、赤と藍《あい》と緑色の模様が浮かび上っている。赤い月と六つの星の模様である。
「おい、三津子がここにいるじゃないか」
おもわず、城田がそう言うと、その模様は掻《か》き消すように見えなくなった。含み笑いの声が聞えるので、首をまわすと、由美がいた。
「また由美ちゃんの悪戯《いたずら》がはじまった」
と、圭子が言い、
「城田さんに、そのオモチャ見せてあげなさい」
由美は背中に隠した手を、城田の前に出してみせる。小さい懐中電燈で、その中に仕こんだセルロイド板に、月と星の絵が描いてある。適当な距離を選んで、壁に向って光を放つと、幻燈の器械で映し出したように、壁に模様が浮かび上る。
「それ、きみが作ったのか」
「そうよ」
「物好きだな」
「でも城田さん、びっくりしたでしょ」
「びっくりしたわけじゃない。錯覚を起したんだ」
「三津子が透明人間になってしまった、という錯覚でしょ」
透明になった三津子が壁の傍に立っていて、消え残った刺青の模様だけが、そこに浮かんでいるという錯覚である。
「そういうわけだ」
と、城田は苦笑した。
「そうなれば、苦労した甲斐《かい》があるというものよ」
「ぼく一人のために、わざわざ作ったのか」
「うぬぼれちゃいけないわ。お店では、透明人間ごっこは大流行なんですからね。でも、城田さん、今夜一緒に帰らない?」
「きみと一緒に帰って、どういうことになるんだ」
「さあ、どういうことになるのかしら」
と、由美は意味ありげな眼で、彼の顔を見詰めた。
店が閉店になると、城田と由美は街へ出て、深夜営業のレストランで食事をした。
由美は食事は二の次で、さかんに洋酒を飲んでいる。かなり酔いがまわった声で、由美が訊《たず》ねた。
「ねえ、三津子と井山さんと関係があると、いまでもおもっていて?」
「その問題は、マダムがあれだけきっぱり否定したからね」
「でも、どう? やっぱり怪しいとおもう?」
「そうおもったわけだが」
由美は、不安な顔になっている。なぜそうなのか、城田には分らない。由美に同性愛の趣味があるらしいのを思い出して、訊ねてみた。
「三津子が好きなのか。井山に取られるのが心配なんだな」
「そうじゃないわ」
「ともかく、マダムがあれだけ自信を持って、三津子と井山とは関係がないと言っているのだから、安心していいじゃないか」
「だって、ママがああいうのは……」
うっかり口を滑らせた感じで、由美は語尾を濁す。その様子を見て、突然ひらめいたことがある。そうか。それで圭子があれだけ自信を持って言ったのか……とおもいながら、城田は言った。
「分ったぞ。きみは、井山と関係ができているんだな」
由美は慌てた素振りをしかかったが、すぐに蓮葉《はすつぱ》な口調で、
「バレたら仕方ないわ。そうなのよ」
「だから、マダムが自信を持ったわけだな。井山のような実直なタイプは、一度に二人口説きおとすなんて器用な真似はできない、という考え方か」
「そうなの」
「それにしても、きみも物好きだね。ああいうタイプが好きなのか」
「ああいうタイプって、あたしたち滅多にお目にかかれないでしょ。だから、興味があったのよ」
「それで、三津子に取られやしないか、と心配しているのか」
「心配してるわけじゃないわ。だけど、知らないでいる、というのは厭だもの。はっきりしておきたいのよ」
城田はウイスキーのグラスを口に当てたまま、しばらく考えていたが、
「たしかに、井山さんでは、由美も三津子も両方、という達者なところはないだろうな」
「…………」
「でも、きみ。きみは構やしないだろう」
「なにが」
「なにが、といって、井山さんもぼくも、ということになったって構わないだろう」
由美は酔いのまわった眼で、しばらく城田を眺めていたが、にわかに大きな声で笑い出した。そして、立ち上ると、城田の傍に近より、腕を引っ張って、
「いいわ、悪い人ね」
と、言った。
密室で、由美の焦茶いろの裸は、胸と腰のところとに、色の薄い部分ができている。ビキニの水着の布が肌を覆って、焼け残った部分である。
もともと色は白くはなく、小麦色なのだが、その二つの部分がひどく白い錯覚を与えてくる。
「焼け残っているな」
「だって仕方ないもの」
「どこで焼くんだ」
「マンションの屋上よ。やっぱり、いつ人が上ってくるか分らないもの。全部脱いでしまっていたら、具合悪いでしょ」
「きみでも、具合が悪いなんていう殊勝な気持があるのかな」
「そりゃ、あたしだって……」
と、由美は笑う。瞳《ひとみ》の黒い鋭い感じの美少女なのだが、笑うと、人の好い顔つきになる。神経が二、三本、大脳とのあいだの接触がわるく、それで弛《ゆる》んだ笑顔になっているとおもわせるところがある。
「でも、やっぱり、全部焦してしまわなくては変でしょうね」
「そんなことはない。へんな色気があっていいものだ」
たしかに、斑《まだ》らになっている由美の躯《からだ》には、奇妙に官能をそそるものがある。
城田は、仰向けに寝ている由美の胸に、両方の掌を押し当ててみる。色の薄い部分は、二つの掌の下にすっかり隠れ、あたり一面焦茶色のひろがりである。そのひろがりの焦茶色が、下腹部でふたたび喰いとめられて、色の薄い地帯に変っている。
もっとも、その部分には、旺《さか》んな黒い色の茂みもみられるが、片方の掌を押し当てると、あたりはふたたび焦茶色だけになる。
二、三度、そのことを繰り返した城田は、
「これは初心者には都合がいいな。まず触るべき部分にしるしが付いているようなものだ」
「あんなことを言っている」
と、由美はクスクス笑いながら、
「ベテランのくせに」
「ベテランの触るところは、こういうところだ」
と、城田は、由美の脇腹や腋《わき》の下に指を這《は》わせた。しかし、由美は笑い声を高くして、躯をよじりながら、
「やめて、くすぐったいわ」
と、言うのである。
「陽気でいいが」
城田は苦笑しながら、
「しかし、くすぐったいのでは、困るな」
「だって、あんな冗談を言いながら、触るんですもの」
「冗談を言わなければ、敏感なのか」
「そりゃあ」
「井山さんは、まじめに触るだろうな」
由美はそれに答えず、ふっと眼を宙に浮かした。城田の頭の中に、井山が這入りこんでくる。恐妻家で、酒場がよいも滅多にしない井山のような男が、めずらしく妻以外の女を抱こうとする場合、熱心に慎重に、おもいをこめて、その新しい女体に奉仕するのではあるまいか。そういう魅力に、由美が惹《ひ》かれていないという保証はない。
「また、複数になってしまったな」
と、城田はおもい、頭の中から井山を追い出そうと試みる。しかし、なかなか井山の影が消えない。
「どうなんだ、まじめに触るのか」
繰り返し、訊ねた。想像する余地がないところまで訊ねてしまえば、逆に消すのが易しくなる、という考えである。
「だって、まじめ、だなんて」
「つまり、熱心に、誠心誠意というわけだな」
「案外、ああいうタイプの人って、上手なものよ」
「上手なのか」
「上手って、つまり、一生懸命だから……」
「手を抜かないわけだな」
「そうそう、手を抜かないのよ」
由美はまた、笑い出してしまう。
「笑ってばかりいては、こりゃ、どうにもならんな」
城田は起き上って、棚の上のブランデーの瓶《びん》を取り、二つのグラスに注いだ。その一つを由美に渡しながら、
「ちょっと酒でも飲んで、はじめからやり直しだ」
ベッドの上に裸のまま起き上ると、由美はグラスのブランデーを舐《な》めながら、よく光る眼で城田を見て、そして言った。
「気になるの?」
「…………」
「井山さんが上手だということ、気になるのでしょ」
「ちょっとね」
「ちょっと、かしら。でも、安心していいわ。あたし、あまり感じないのだもの」
城田は複雑な表情になって、
「安心できないね。感じてもらわなければ、面白くないからな」
「だって、あたし、まだ若いのだもの」
「若くたって、いろいろ経験豊富のようだがね」
「まあ、ね」
「若いくせにいろいろやり過ぎて、逆に不感症になったのじゃないか」
「そんなことって、あるかしら」
「あるとも」
「でも、あたし不感症ではないわ」
「さっき、あまり感じない、と言ったばかりじゃないか」
「でも、不感症じゃないの。それは、確かだわ……」
妙に自信ありげに、由美はそう言う。城田は迷っている表情を捨て、言葉をつづけて出そうとしている由美の唇を、唇で塞《ふさ》いだ。片手で彼女の胴を抱き、もう一方の手の先は、ゆっくりその躯の上を動いて行く。
五本の指が、由美の躯の色の薄い部分の上でさまよい、やがてその輪郭からはみ出して行き、ふたたび戻ってくる……
そして、ベッドの上に起き上っている由美の上半身を、しだいに押し倒していった。
……しかし、由美の躯はベッドの上に静かに横たわったままで、あまり動かない。鋭い反応が見られない。
城田が由美に加える力は、そのまま躯に吸いこまれてしまって、戻ってこないのである。そのため、城田自身の躯まで、萎《な》えそうになる。
ベッドの傍にサイドテーブルがあり、その上に由美のハンドバッグが置いてあるのが、ふと城田の眼に映った。
彼は手を伸ばして、口金をはずし、中をさぐる。すぐに目的のものが、指先に当った。小さい棒状の懐中電燈である。それを掴《つか》み出した彼の手は、スイッチを押す。
光の輪を、壁に向けて投射する。
壁の上に、緑と藍の六つの星をかかえこむようにした赤い三日月の模様が、浮かび上った。彼は由美の肩をつつき、注意を壁の模様に向けさせた。
「…………」
不審そうな眼が、下から城田を見上げる。
「そこに、三津子がいるよ」
と、城田が耳のそばでささやく。
「三津子が、そこに立って、ぼくたちを見ている」
不意に、由美の眼が潤んだ光を放ちはじめた。胸がふくれ、躯が大きく反った。由美の躯が、鋭く反応しはじめたのだ。
「複数の関係でなければ、不感の女なのか」
と、城田祐一はそういう由美を眺めながら、心の中で呟《つぶや》いた。
女王の冠
城田祐一は、三津子から電話がかかってくるのを待ったが、その当てははずれた。これまで一週間に一回は、三津子から電話があった。彼のほうからは、三津子へ連絡する方法がない。彼女の電話は、呼出し電話だというので、その番号を訊ねなかった。呼出し電話というのは神経を使うので、億劫《おつくう》さが先に立つ。
三津子とは、気軽な遊び相手のつもりだから、こちらから連絡が取れなくてもかまわない、とおもっていた。それに、美しい少女とのあいだで、彼女のほうからの一方交通のつき合いというのも、なかなか洒落《しや》れている、などともおもっていた。
しかし、三津子が行方不明、ということになってみると、彼女の住居の在り場所を訊ねておかなかったことが、悔まれた。
彼は、レストラン「雅」に電話して、もし井山が姿を見せたら、すぐに連絡してくれ、と余志子に頼んだ。井山と三津子とのつながりについての疑いを、彼はまだ捨て切れなかったのである。
ある夜、その余志子からの電話があった。
早速《さつそく》、出かけて行くと、井山は食後のコーヒーを飲んでいた。大場雅子も同じテーブルについて、雑談をしている。
その雑談に加わって、しばらくして城田が言った。
「たしか、アフリカのコンゴの女でしたか、臍《へそ》の下に帯のかたちに刺青をしているそうですね。それも、はっきりした図柄を彫るわけじゃない。まるく墨を入れて、皮膚が盛り上るようにする。そういうポツポツを、いっぱい帯のかたちに植えつける」
「墨を入れる、といって、アフリカの土人はまっ黒だろう。見えないじゃないか」
「茶色のポツポツかもしれませんがね、しかし、見えなくてもいいのだそうです」
「見えなくていい、といって、何のための刺青なのかね」
「男の躯と重なり合ったとき、男の皮膚がそのポツポツで刺戟《しげき》されて、とても良い按配《あんばい》なのだそうですよ」
「なるほど、そういうものかな」
「目をつむって、指でさわると、点字のように指の腹に触れてくるわけです」
ここまでは、城田が試みようとしている質問の長い前置きの部分といえた。彼は、さりげなく井山に訊ねた。
「普通の刺青でも、その上を撫《な》でると、指になにか感じが伝わってきますか」
「そんなことはない」
反射的にそう答えた井山は、緊張した表情になると、
「しかし君、なんでそんな質問をするんだ」
「もしかして、ご存知かもしれないとおもいまして……。やっぱり、そうですか」
井山は具合の悪さを表情にあらわし、
「なにも君、いま、こんなところで……」
と、傍の大場雅子を気にする素振りを示したが、不意に眼に怒りをあらわして、
「なぜ、君はそんなことを知っているんだ」
「なぜと言われても……、みんなそう言っていますよ」
「みんな? それは、大袈裟《おおげさ》だな」
たしかに大袈裟には違いない。城田が勝手に推測して、カマをかけたのに井山が乗ってきたわけなのだから。しかし、会話が進むにつれて、いささか様子がおかしくなってきた。
「みんな、といえば大袈裟かもしれないが、噂《うわさ》はありますよ」
「噂?」
もう一度、井山は大場雅子を気にする気配をみせたが、すぐに居直る感じになった。
「多少の噂は仕方がないが、わたしがなぜというのは、なぜ刺青があることを、君が知っているか、ということだ」
「なぜ、といって、本人が自分でそう言ったじゃありませんか」
「自分で? いつ?」
「井山さんとぼくとがいる前で、そう言ったじゃありませんか。左のお尻に……」
「左のお尻?」
井山は複雑な表情になった。その顔には自分の失策を悔んでいる翳《かげ》もある。
「城田君、君の言っていたのは、三津子のことなのか」
「もちろん、そうですよ。井山さんのおっしゃるのは、誰なのですか」
城田は、興味にかられている。由美のほかに、井山はまだ関係をもっている女がいる。それは誰なのか。
「話が行き違って、へんな具合になってしまったな。隠しても仕方があるまい」
井山は、苦笑しながら、
「由美だよ」
と、言う。
「え? 由美?」
城田は、驚いた声になった。由美の刺青には、気が付かなかった……。
「意外かね」
「意外ですね」
意外、というその内容が、二人では喰い違っているわけだが、
「そんなに意外かね」
「いや、井山さんは、堅い一方のおかただとおもっていたもので……」
城田は、大場雅子の顔を横目でうかがいながら、皮肉にそう言った。
「三津子さんが行方不明なんですって」
大場雅子が、口を挿んだ。
「行方不明というと、これも話が大袈裟になるかもしれないんだが、ともかく『紅』にはずっと姿を現わさない」
「それで、お家には」
「それが、三津子の家がどこにあるのか分らないのさ」
「暢気《のんき》なお話ね」
「そういえば、そうだが」
「でも、三津子さんなら、そこにいるじゃない」
不意に、雅子がそう言うので、城田はいそいで首をまわし、窓の外を見た。窓の外には、夜の街がひろがっており、人の姿もかなりの数が見えたが、三津子らしい姿はなかった。
「そこよ、ほら、そこ」
雅子が言うので、城田は一層眼を凝らす。
「窓の外じゃないわ」
「どこなのです?」
「そこよ、城田さんのとなり」
ようやく意味を悟り、城田は自分のとなりの空の椅子を眺めて苦笑した。
「これは、この前の仕返しをされたわけだな」
と、城田は笑ったが、雅子は真面目な顔のまま、
「でも、冗談ばかりじゃないのよ。あれから、城田さんを見ると、となりに三津子さんがいるような気がするの。いつもそうなの。三津子さんがいる、あたしの眼には見えないけれど……、とおもうのよ」
その言葉を聞いて、井山は機嫌よく笑いながら、
「これは、どうも、どうやら、城田君は、快楽コンサルタントとしての計算をあやまったようだな」
「どうしてですか」
「だって君、いつも君が女の子と一緒にいるとおもわれていたら、この雅子さんを君に近寄らせる余地がないわけだ」
はたして、そうだろうか、と城田は由美のことを思い浮かべる。一対一の形が崩れて、はじめて強く刺戟された由美のことを思い浮かべてみる。しかし、城田はさりげなく答えておく。
「快楽コンサルタントの役目の人間が、直接快楽を押しつけるのでは、これは役目からはみ出すことになりますからね」
それにしても、と城田は考えている。三津子は、いったい何処《どこ》へ行っちまったんだろう。本物の透明人間になってしまったのか、とふと馬鹿げた妄想《もうそう》に襲われる。
「本気になって、探してみるか」
どうやって探すか、その手蔓《てづる》が目下のところ分らないが、なんとか方法を考え出せないものでもあるまい。
しかし、探し出して、それでどうするか。そう考えると、はっきりした答えはない。三津子を探し出すことよりも、探し出すまでのプロセスに興味があるようだ、と自分でおもう。丁度そのとき、雅子の声がした。
「城田さん、三津子さんのこと好きなの」
「嫌いじゃないですね」
「はやく、見付けて、結婚したら。もうそろそろ身をかためてもいい齢だとおもうわ」
「結婚ということになると、あまり気がすすまない」
「三津子さんが相手では?」
「誰が相手でも、気がすすまない」
「なんだか、そのようね。城田さんを見ていると、そんな気分で暮していることが分るわ。そのくせ、浮気をするわけでもないのでしょ」
「さあ」
曖昧に、彼は答える。由美の顔が眼に浮かぶ。たしかに、その前は、雅子の言うとおりだ。
「どうなのよ」
「このところ、しばらくはそうでしたね。以前は、ずいぶんいろんなことをやったが。あまり、やり過ぎてね」
「いまは、中休みなの。なんだか、老人ぶっているみたいね。ま、そういう時期もあるかもしれないけど」
「ずいぶん年上みたいな口をきくなあ。これではいつもと反対だ。雅子さんが、ぼくのコンサルタントのようだ」
「そのくせ、女の人がいらない、というわけではないのね。わたしのコンサルタントになっているのもそうだし、三津子さんを透明人間に仕立てたのもそうよ。つまり、女の人を材料にして、頭の体操をしているわけね」
井山が口を挿んだ。露骨な言い方をする。
「頭の体操だけで、からだの体操は必要ないのかな。いまの話を聞いていると、まるで城田君は、どこかに欠陥があるみたいだね」
なるほど、そういう考え方も成り立つか、と城田はおもい、分ってはいたが、わざと問い返した。
「どこか、欠陥とは、どこですか」
「どこといって君、つまり、肉体的にね」
その言葉には、どぎつく厭《いや》なひびきがある。大場雅子との関係を嫉妬《しつと》しているのか、と城田はおもい、軽く受け流そうとおもったとき、不意に腹の底に怒りがこみ上げてきた。自分でも思いがけないほど、強い怒りである。
「それは、違いますよ」
「ほんとかね」
「ほんとうです」
その短いやり取りのあいだに、怒りは消えてしまった。由美の大きく反った躯を思い浮かべたためで、念を押すように訊ねてくる井山が滑稽に見えはじめた。
それにしても本当に由美の躯には刺青があるのだろうか。井山のあのときの態度は、嘘とはおもえない。だが、どの部分に、どういう形の刺青があるのだろう。
そのため、もう一度、城田は由美を抱くことになった。
城田が由美と二人だけで会えたのは、その夜から四日後である。彼は電話で誘ったのだが、四日後までは毎日先約があって駄目だ、と断わられたためだ。
「やっと、会えたね」
由美の背中のチャックを引き下ろしながら、彼は耳もとでささやいた。由美は、咽喉《のど》の奥でくっく、と笑い声を立てた。
「なにが可笑《おか》しい」
「だって、いまの言葉、言葉だけだと、とてもロマンチックなんだもの」
「まったくだ。なぜ、なかなか会えなかったか、といえば、きみが毎日浮気していたせいだからな」
「そういうことなのよ」
「自慢するみたいな言い方をしなくてもいいとおもうがね」
そういう会話のあいだにも、彼の手は動きつづけて、由美の衣服を剥《は》がしてゆく。焦茶色のまるい肩がむき出しになり、布に隠れて焼け残ったため色の薄くなっている乳房のふくらみが覗《のぞ》きはじめる。
彼は注意ぶかく、由美の躯に眼を向けているが、背中にも尻にも、刺青らしいものは見えなかった。
やがて、由美はベッドの上に、仰向けに横たわった。その姿を傍に立って見下ろしている城田の眼に映っているのは、焦茶色の肌のひろがりだけである。
「足の裏かな」
突然、そうおもった。
足首を掴んで、足の裏を覗こうとする。
「なにをするの」
笑いを含んだ声で、由美は訊ねる。
「くすぐったいから、やめて」
身もだえる形で、陽気に由美は叫ぶ。両脚をばたばたさせる。
足の裏にも、目的のものは無かった。しかし、すぐには手を離さず、彼は足の裏をくすぐってみた。
「やめてよ、やめて」
一瞬、由美は脚をばたつかせる。どうだ、参ったか、という心持で、足のところにうずくまった彼は由美の顔をうかがった。
そのとき、ばたつく二本の脚のあいだに、彼の視線が留まった。
「ここなのか」
とおもったときには、由美の二本の脚は堅く閉じられていた。