「なるほど……、ところで、三津子はいまどこにいる?」
突然のように、その質問をした。
「どこにいるって……」
「教えてくれよ」
「だって、知らないもの」
ここでまた、彼は話題を急転換させた。
「由美を殺したのは、きみじゃないね」
「何ですって、由美ちゃんは殺されたの」
「いや、殺したのがきみでなければ、それでいいんだ。あれは、やはり急病で死んだにちがいない」
「…………」
「しかし、皮を剥いだのは、きみだね」
「あたし、何のことか分らないわ」
城田はかまわず言葉をつづける。
「理加の皮を剥いだのも、きみだな」
「…………」
「しかし、なぜ剥いだりするのだろう。値段が付くほど立派な皮ともおもえないが」
余志子は黙っている。上眼使いに、ちらりと城田を窺《うかが》う。その眼が、油断なく光ったようにおもえた。
「きみ……、ちょっと、両手をテーブルの上に出して、組合わせてみてくれないか」
また、話題の急転換。そういう方法で、彼は余志子を揺すぶり、混乱させ、中に隠しているものを吐き出させようとしている。
余志子は言われるとおりにした。左手の親指が、組合わせた右手の親指の上にある。彼はその指をさし示すと、
「そうか、そういう形になるのか。きみは、意外にも、男性的要素が強いね」
「…………」
「右の親指が上になると、女性的ということなんだが」
「…………」
「……まさか、きみ、男なのじゃあるまいね」
そう言った城田自身が薄気味わるい気持になった。余志子は、雅子とでも風呂に入らぬという話を聞いたばかりだ。
そのとき、黙りつづけていた余志子が、たまりかねたように言った。
「城田さん、なにを言いたいの」
彼は落ち着いて答える。
「三津子の居場所を、教えてもらいたいわけさ」
余志子の細い眼が、光った。光った一本の裂け目のようになったまま、彼女はしばらく沈黙をつづけた。
やがて、思い切ったように、口を開いた。
「三津子さんの居場所を教えるわけにはいかないわ」
「ということは、知っているわけだね」
「そう、知っているわ」
「それならば、話は簡単だ。つまり、きみの部屋にいるということになる」
「そうとは限らないわ」
「ぼくは、そうだとおもうね。だから、きみの部屋に行けばいいわけだ」
「でも、あたしの部屋がどこにあるか、知っているの?」
「調べれば分るさ」
「その間に、いなくなってしまうわよ」
からかう光が、余志子の眼に浮かぶ。城田は言葉に詰まり、苛立《いらだ》たしげな表情になる。そのとき、彼女が言った。
「城田さん、三津子に会えればいいわけでしょう」
「そう、会えればいい」
「会わしてあげるわ」
「…………」
「明日の夜、今日と同じ時間に、うちのお店へきて待っているといいわ」
眼の前の女
翌日の夜、城田祐一はレストラン「雅」へ向って歩いている。
「雅」はビルの二階にある。階段を昇り切ったところで、大場雅子とばったり出会った。
「おや、どこへ」
と城田が言い、
「あなたを探しに」
「ぼくを? どこを探すつもりなんだ」
「それは冗談。ちょっと買物を思い出して。でもまんざら冗談でもないのよ。あなたに電話する用事もあったの、お店の電話じゃ具合が悪い用事だから」
「…………」
城田は黙っていたが、三津子が来ているんだな、とおもった。雅子は、言葉をつづける。
「いるのに見えないのは、透明人間なんでしょ」
「そういうことだな」
「いない筈なのに、見えるのは、これは何でしょう」
「幻覚だね」
「幻覚だけかしら」
「ユーレイもそうだな」
「それじゃ、ユーレイなのかしら」
城田は、雅子の言葉の意味が分っていたが、わざとトボけて訊《たず》ねてみた。
「出たのか」
「ええ、出たのよ」
「どんなのが出た」
「きれいな女の子」
「なるほど、三津子だね」
「あら、分るのね」
「三津子ならユーレイじゃない。中身まで生身の人間だよ。しかし、きみも案外うっかりしているね、やはり余志子だったよ」
「余志子が?」
「三津子を隠していたんだ。今夜ここへ三津子を連れてきたのは、余志子だよ」
「それじゃ、あなた知っていらしたの。ユーレイだなんて言って」
「知っていたさ、会いにきたんだ。それにしても、余志子はきみの腹心の部下だった筈じゃないか。人間て、分らないもんだな」
「ほんと……」
大場雅子は、複雑な表情をしていた。その顔のまま、呟《つぶや》くように、
「ほんとに、人間て分らないわ」
と言いながら、階段を降りて行った。
城田は、「雅」のドアを押す。店の中に入ると、すぐ傍のテーブルに三津子が坐っていた。
彼はその顔を覗《のぞ》き込むようにしながら、
「おや、これは誰だ」
「…………」
「ぼくの知っていた三津子に似ているが」
「そうよ、三津子よ」
彼女は言い、
「お久しぶりね」
その挨拶の言葉は、ふてぶてしくひびいた。
「しかし、本物なのかね」
「もちろん、あたし三津子よ」
城田はあらためて、その女の顔を見詰めた。眼の大きい、鼻の先が軽くつまんだように上を向いている派手な顔だち。まるで、つくりもののように、長く密生している睫毛《まつげ》。
それは、たしかに三津子の顔である。しかし、どこかに微妙な違いがあり、その僅かな違いが、結果として大きく作用している。まるで別人のような感じを受けかねない。
その僅かな違いとは何だろう。
城田は、まざまざと相手の顔を見詰めている。
「厭《いや》だわ」
彼女は片方の掌をすうっと顔の前によぎらせると、かるく俯《うつむ》いた。
「珍しいものを見るみたいに、じろじろ見るんですもの」
羞恥《しゆうち》の色が、軽く刷《は》いたように、顔一面にひろがり、眉の線にまで及んで行くようにみえた。
「この感じだ……」
と城田は、ようやく気付いた。以前の三津子には、どことなく少年らしい感じが混じっていた。眼、鼻、口、そういう一つ一つを取って考えれば、それぞれ美少女としての資格を備えた造作だが、全体としてボーイッシュなところがあった。それが今では、全く影をひそめている。その替りに、女らしさが現われてきた。それも、ほのかに、自然に滲《にじ》み出てくる女らしさとは、違うようにみえる。へんになまなましい、誇張された女らしさ……。
いや、誇張されたと見えるのは、以前の三津子との落差の烈しさのためだろうか。いずれにせよ、違う点はそこにある。
「ま、ともかく……」
と彼はあたりを見まわした。レジスターに坐っている余志子の顔が、斜めの角度から見えている。彼女は何くわぬ顔で俯いて伝票を調べている恰好だが、神経をこの席に向けているのは間違いあるまい。
「ともかく、めしを食おう。きみも腹が空いているんだろう」
「そう……」
躊躇《ちゆうちよ》する気配である。
「きみは、何にする。生焼けのビフテキが好きだったね」
「あたし、あまり食欲がないの」
「食欲がない!?」
城田は、びっくりした声を出した。食欲のない三津子など、これまでに見たことがない。
「ええ、だから、サラダかなんかだけで」
「サラダだけ!?」
眼の前にいる獣が、不意に小鳥に変ってしまったのを見たような声を、城田は出した。
アスパラガスを並べた皿の上に俯いている三津子を眺めて、
「しかし、こういう形になるのも、当り前のことかもしれない」
と、おもう。
余志子が男の役割であるならば、三津子に与えられるのは女の役目である。余志子の部屋に密閉された三津子が、日々の飼育によって、今のような形になったのか。
小さな四角い箱の中に、幼児を閉じこめる。穴をあけて、首だけ出るようにして、そのまま育てて行く……。昔の中国に、そういう話があった。首から上だけは大人になって行くが、躯《からだ》は箱の大きさまでしか成長しない。成長がとまるまで、箱に入れて育てるのだから、気の長い話で、そこが中国的である。箱から出したときには、畸形《きけい》の人間になっている。それを見世物にして稼《かせ》ぐ……。
そんな話を思い浮かべたが、しかし、それほど余志子というのは、強力な何かを持った人間なのだろうか。
また、三津子はそんなにたわいもなく飼育されてしまうだろうか。あの三津子のような、威勢のいい少女が……。
そうおもうと、ふたたび疑いが起ってくる。いま眼の前にいるのは、本物の三津子なのだろうかという疑惑。
食事はすでにデザート・コースに入って、三津子は紅茶を飲んでいる。口の高さに紅茶茶碗を持ち上げ、三本の指で茶碗を持ち、余った二本の指をしとやかな形にかるく曲げ、音もなく飲んでいる。
「本物なのか。確かめなくては」
と、おもう。
確かめるためには、どうしたらよいのか。やはり、尻の部分にある刺青を見なくてはなるまい。その刺青を見るためには、眼の前にいる女を、裸にしなくてはならぬ。
この数週間のあいだ、城田祐一はまるでドン・ファンのように、つぎつぎと新しい女を裸にしてきた。それは結構なことで、あえて辞退するものではないが、三津子の行方を探すために置かなくてはならぬ捨石の形で、そうなってきた。そこが、どうも気に入らぬ。
なにか、三津子に操られて動いている人形のように、自分がおもえる瞬間がある。
そして、それも三津子に会うまでの辛抱だとおもっていた。それなのに、三津子に会っても、まだ、三津子を探すために、眼の前の三津子らしい女を裸にすることを考えなくてはならない。
「あきらめよう、もう少しの辛抱だ」
と彼はおもい、襲いかかる気持を引き寄せて、自分の心をふるい立たせようとして、ふと気付いた。
「しかし、これは難しいぞ……」
と彼はひそかに呟く。
同性愛にふけっている女を、男のほうに向けるのは、これはまことに難しい。男のほうに向きたくないので、同性の女の方ばかり向いている人間を相手にするのは、難事業ではないか。
城田は、テーブル越しに女を眺め、そこから衣服を取り去ってみる。剥《む》き出《だ》しになった二つのまるい尻を想像したとき、不意に気付いたことがある。
星と月の刺青——、それがそこにあるかどうかで、本物の三津子かどうか見分けるつもりであるのだが、果してそれは正しいか。
その刺青が無ければ、三津子ではない、と断定してよいものか。
それを、城田は自分の眼で見たことがあるわけではない。その存在を知ったのは、三津子の言葉を通じてのことだ。井山卓次郎も、大場雅子も見たことはない。もしも、三津子の言葉が出鱈目《でたらめ》だったとしたら。
もちろん、余志子は見ている。しかし余志子に訊ねても、戻ってきた答えを信じるわけにはいかない。
想像の三津子の中の二つの尻が、白くまるくすべすべして、刺青の気配もなくなった。城田は、嘆息をつきたい気持になる。もしも、眼の前の女を裸にして、刺青が無かったとしたら……。それでも三津子と信じるか、信じないでまた探しはじめたらよいのか。
不意に思い出したことがある。
「そうだ、おれはどうかしているぞ」
彼はおもわず声を出した。三津子は不審そうに、眼を向けてくる。
城田はいま、アンダーソンのことを思い出したのだ。アンダーソンが自分の娘の尻に、刺青をしたのは、確実なことだった。三津子がアンダーソンの娘であれば……、これは当然……、と彼は思ったのだが、そのことを思い出すと同時に、一つの考えが閃《ひらめ》いた。
城田は何気なくあたりを見まわすふりをして、余志子のほうを眺める。彼女は依然として、レジスターの前に坐り、俯いている。
彼は声をひそめて、言った。
「きみ、おとうさんに、会いたくないか」
彼女は城田の顔を探るように見て、
「あたしには、パパはいないわ」
「いないことはないだろう」
「いないと同じようなものなのよ」
「遠くにいるのか」
「そう、ずっと遠くに……」
とすると、もしも眼の前の女が三津子だったとしたら、アンダーソンが日本に来ていることを知らないわけだ。また、余志子もそのことを教えていないことになる。余志子としては、たとえ父親であろうと、男性の手に三津子を渡す気持はないのだろう。
「しかし、もし近くにいるとしたら」
「…………」
「すぐ近くに」
女の反応を確かめる眼で、眺めている。
「そうね……、複雑な気持だわ。でも、パパのこと、城田さんが知っているわけが……」
「立派な紳士だよ、学者肌のね。そのくらいはきみも聞いて知っているだろう」
「あら、知っているの」
「偶然のことでね」
「いつから、近くへ来たの」
「しばらく前に」
「でも、あたしのこと、探してはいないのでしょう」
「探しているんだ。だから、ぼくがきみの行方を探していたんだ」
「本当?」
「嘘だとおもうなら、会わせてあげるよ」
女の顔に、微妙な変化が起った。彼女の女っぽさは、白く淀《よど》んだ感じだった。いま、その白い淀みのところどころが薄くなり、活気に似たものが動き出したようにみえる。「本当?」と言ったときの彼女の気配には、かすかにボーイッシュなものが滲んだようにおもえる。
「会いたいんだね」
「…………」
「会わせてあげるよ」
余志子の耳を気にして、ささやくような声で言う。しばらく躯を堅くしている気配だった。いろいろの考えが、彼女の頭の中で動いているようにみえる。とすると、本物の三津子のようだな、とおもったとき、
「お願いするわ」
と、彼女は立ち上った。
レジスターで勘定を払っていると、余志子が傍の女に声をかけた。
「どこへ行くの」
「どこへも行かないわ。先に帰っているわ」
釣銭を渡しながら、余志子が城田にささやいた。
「誘っても無駄よ」
自信に満ちた声だな、と彼はおもう。しかし、三津子らしい女はいま余志子に嘘をついているんだ、とおもう。
並んで階段を降りて行くと、大場雅子が上ってきた。
「あら、もうお帰り?」
「そう」
「お二人で、どこへ行くの」
「いや、その道の出口まで、歩いて行こうというわけさ。この人は、急ぎの用があって、すぐ帰るそうだ」
雅子にまで嘘をついたのは、やはり余志子は雅子の腹心の部下、という考えがあってのことである。雅子に聞いて、余志子が追いかけてくるのを、おそれたわけだ。
「でも城田さん、ようやく三津子ちゃんが見つかってよかったわね」
城田は、曖昧《あいまい》な笑いを残して、ふたたび階段を降り出した。雅子は一緒にビルの入口まで行き、しばらく二人のうしろ姿を見送っている。
歩きながら、女が言う。
「どこなの、タクシーに乗るんでしょ」
「うん。しかし、いますぐきみを連れて行くことはできないな」
「どうして」
女は立ち止まった。
「アンダーソン氏の娘は、三津子という女だ」
「そうよ、パパはアンダーソンというの。間違いないわ」
「アンダーソン氏に間違いはないが、きみのほうが問題だ」
「だって、あたしは三津子だもの」
「しかし、ぼくの知っている三津子は、どうもきみとは少し違うような気がする」
「城田さん、なにを言ってるの。あたしじゃないの、三津子よ」
「たしかに、きみは三津子によく似ているよ。しかし、どこか違うんだ」
一瞬、彼女は眼を宙に浮かして、考えごとをする顔になりかかったが、すぐに苛立《いらだ》たしそうな顔に戻り、
「三津子なのよ」
「証拠がないな」
「どうすればいいの」
「証拠を見せてくれればいい。本物の三津子なら、お尻に刺青がある筈だ。それを見せてくれれば、パパに会わせてあげよう」
奇妙な会話
「厭よ」
三津子は強い語調で言う。反射的にその言葉が出てきたようで、それは無理もない、と城田はおもう。
しかし、無理もない、とおもって、そのまま引きさがるわけにもいかない。
「全部見せなくてもいい。パンティの横から、ちょっぴり見せてくれればいいよ」
「厭。そんなの不潔だわ。どうせ見せるなら、全部見せてあげるわ」
そういう言い方は、以前の三津子のものである。だが……、と彼は自問自答しはじめた。
「自分は、この眼の前の女が、三津子かどうか、本気で疑っているのだろうか」
「たしかに、自分の知っている三津子とは違うところがある。しかし、それは別人かどうかと考えるほどの違いだろうか」
「別人かどうか疑うことによって、相手を裸にして調べる必要が起ってくる。そのほうに、重点がかかっているのではないか」
「要するに、おまえは、三津子を口説いているのだ」
そうだ、おれはいま三津子を口説いている。そして、難航している。執拗《しつよう》に、粘らなくてはいけない。
「全部見せてくれ」
と、城田は言い、
「厭よ」
もう一度、三津子が言った。
「なぜ厭なんだ」
「だって、恥ずかしいもの」
そういう言い方は、以前の三津子にはなかった筈だ。
「なぜ、恥ずかしいんだ」
「そうね、恥ずかしい、というより、厭なんだわ」
「ぼくが男だからか。女なら、平気なのか」
「それは、平気だわ」
「平気というより、嬉しいのじゃないか」
「嬉しい?」
反問して、黙ってしまった。彼は苛立ってくる。
「パパに会いたくないのか」
脅迫しているようにおもえてきて、一層苛立つ。上衣《うわぎ》のポケットを探ってタバコの箱を掴《つか》もうとしたとき、小さな瓶《びん》のガラスの感触が手に触れた。彼は、ほとんど無意識のうちに、その瓶をポケットの中で握りしめた。
「会いたいわ」
しばらく間を置いて、三津子の声が戻ってくる。
「それならば……」
「でも、あたしが三津子だということは、ほんとは分っているのでしょ」
「たぶん、そうだとはおもっている。しかし、責任があるからね」
「責任? どういう……」
「アンダーソン氏にたいして、間違いなくその娘を引き渡すという責任さ」
「そこまで責任をもつ必要があるものかしら」
彼は苛立って、タバコを喫おうとおもい、ポケットからタバコの箱を掴み出した。しかし、手の中にあったのは、小さなガラス瓶である。そのなかには、赤い錠剤が入っている。
「そうだ、いい考えがある」
彼はふと思い付いて、言った。
「この薬を嚥《の》んでくれ」
そう言ってから、彼は自分の失言に気付いた。もし相手が、「そうすれば、透明人間になるわけね」と答えたとしたら、その答えは彼女が三津子である証明になってしまう。失敗だったかな、とおもったとき、
「それ何の薬だったかしら。そうね、透明人間になる薬だったわね」
と、彼女が言った。さらに、念を押すように、
「そのことを知っているのだから、あたしが三津子と分ったでしょ」
城田の悪い予感が当ってきた。しかし、ここで三津子の言葉を認めてはいけない。
「それは証拠にはならないな」
「なぜ」
「透明人間ごっこというのは、一時流行したからね。そのことを知っている人間は、たくさんいる」
苦しい言い訳だとおもったが、三津子は追及してはこないで、
「でも、そのお薬を嚥んで、どうするの」
「この薬を嚥むと、きみは透明になってしまう」
「そういうわけね」
「もしきみに刺青があれば、その刺青だけは消え残るわけだ。つまり、裸は見られないで済む、ということさ」
「刺青だけが、見えるということね」
「だから、恥ずかしいこともないし、厭なこともない」
三津子はしばらく考えていたが、不意に、あっさりした口調で、
「いいわ」
と、言った。
街路樹のそばの立ちばなしだが、あまり長くなっても具合が悪い。彼は歩き出し、歩きながら瓶の蓋を開き、赤い錠剤をつまみ出すと三津子の掌に載せた。
三津子の唇の中に消えてゆく赤い錠剤を眺めながら、彼は時間が逆に動いて、数カ月前に戻って行く気分になった。そのときも、このように、赤い錠剤を三津子に嚥まして、そこからドラマの幕を開こうとした。
そのドラマでは、主人公は大場雅子の筈だった。しかし、話は意外な方向に動き出してしまい、今度のドラマでは主人公は三津子なのである。
三津子の肌は、牛乳の白さである。
そこに、異国の血が感じられた。
三津子は、ベッドに腹這《はらば》いになり、首だけ城田のほうへまわして、
「どう、見える?」
「いや、見えない」
「見えないの?」
「見えないから、安心したまえ」
「あら、あたしの言っているのは、刺青のことよ」
三津子の左の尻のふくらみが、光るように白い。その上に、細い鎌のような真紅の三日月と、その三日月にかかえこまれるような形に散らばっている緑と藍色の六つの星が、見えている。その白い皮膚が光となって、なまなましく色濃い月と星を照らし出しているような錯覚が起る。
「きれいだね」
「なにが」
「なにがって、きみの躯は見えていないのだからね」
「そうだったわね。それで、見えているのね」
「見えている。しかし、見えていない」
「見えているのでしょう」
「見えていないものがある。ピンク色の星が見えていないよ」
北斗七星の七つ目の星が、そこにピンク色に大きく浮かび上ることがある、と聞いていた。その星は、姿を見せていない。
「それは、見えないわ」
と三津子が言う。
「なぜ」
「城田さんが、男だからよ」
その口調は、奇妙なものだった。城田を嘲笑《ちようしよう》しているようでもあるが、それだけではない異様なひびきがある。
「なぜ男ではいけないんだ」
「…………」
「女なら、いいのか。女なら、見えてくるのか」
そう言った瞬間、彼の頭の中に一つの情景がひろがった。絡み合っている二つの白い躯。その躯は、両方とも女の形をしている。盛り上った乳房に、もう一つの乳房が強く押し当って、四つの乳房が歪《ゆが》んだ形になっている。
そして、その一つの躯に鮮かに浮かび上っているピンク色の星……。
城田は、はげしく首を振ってその幻影を追い払い、はげしい勢いでベッドの上の白い躯に襲いかかった。
三津子は、躯を竦《すく》める。
拒否する姿勢になる。
争いの時間が、長いあいだつづいた。ふと気付くと、三津子の眼に涙が浮かび、眼尻から条《すじ》をなして流れている。その涙が異様に感じられ、城田の力が弛《ゆる》みかかったとき、不意に三津子の抗《あらが》う腕から力が脱けた。
筋肉のこわばりがほどけ、三津子の躯が彼を受け容《い》れる形になった。
しかし、受け容れただけで、三津子の躯は静かに横たわっている。彼の動きに反応してくることはない。
やがて、三津子と並んで城田は躯を横たえた。彼女はくるりと腹這いの姿勢に戻る。まるい尻が二つ並んで、見えてくる。
左の尻の刺青。しかし、そこにはピンク色の星は浮かび上っていない。そのことを、侮辱のように城田が感じ取ったとき、三津子の声が聞えてきた。
「城田さんは、やっぱり男だったのね」
「なんだって?」
からかっているのか、と顔を見たが、彼女は沈んだ表情である。その声音《こわね》も、沈んでいた。
「当り前じゃないか。おれを女とでもおもっていたのか」
「ううん、そんな意味じゃないの」
「それじゃ、どんな意味なんだ」
「いいのよ」
「よくはないさ」
「でも、もう手遅れだわ」
「なにが、手遅れなんだ」
三津子は、黙ってしまった。そして、彼女の言葉は謎のまま残った。
アンダーソン邸の応接間で、城田祐一はアンダーソンと向い合って、話している。
「エ、じゅでいノ居場所ガ分ッタノデスカ。オー、ソレハウレシイコトデス。ハヤク教エテクダサイ」
アンダーソンは、椅子から立ち上って、そう言った。しかし、その喜び方に、誇張があるように、城田にはおもえてしまう。なにしろ、死んだ妻の皮を剥がすような男なのだから、という先入観があるためだ。
「この家の地図を渡してありますから、明日にでも訪ねてくる筈です」
「ナゼ一緒ニ連レテキテクレナカッタノデショウ」
「本人が厭だというのです。パパに会うと感激して泣き出すにちがいない。それを見られるのが、恥ずかしい、というのです」
「恥ズカシイ? ソレ日本人ノワルイ癖デスネ」
と言ったアンダーソンの顔に、疑いの翳《かげ》が射した。
「シカシ、タシカニソノ娘、ワタシノ娘デスカ。刺青アリマシタカ」
「本人は、あると言っています」
「アナタ、見マセンデシタカ」
「わたしは見てはいませんが」
と、城田は嘘をついた。
「アナタソノ娘ト親シイノデスネ」
「親しいといってもいいでしょう」
「シタシイケレド、見テイナイ。ツマリオ兄サンノヨウナ関係ネ」
「ま、そんなもんです」
と、城田は答えたが、なにか侮辱を受けた心持にもなった。
「ともかく、あなたが直接調べてください。父親が娘のお尻を見るのは、べつに差支えないでしょうから」
「ソーデス、差支エアリマセン。ソレデソノ娘ガじゅでいダッタラ……」
と、アンダーソンは慎重に、言う。
「ワタシ、トテモ嬉シイ。デスカラ、アナタニオ礼シマス」
「そんなことは、いいですよ」
「イエ、オ礼サセテクダサイ。ドウイウオ礼ヲシマスカ」
「それでは、お礼のかわりに、一つ質問をさせてください」
「…………」
「あなたが日本へ来たのは、刺青を探すためですか、娘さんを探すためですか」
「両方デス」
両方というのは、答えにならない、と彼はおもう。探していた刺青は、娘の尻に彫ってあったわけだから。もしも、豚の腹に刺青をして、ピンク色の星を出すことに成功しなかったら、この男は娘の皮を剥がしただろうか……。もっとも、そういう質問は、本当の答えが戻ってくる筈もないが。
「では、刺青と娘さんと、どちらが大切ですか」
「ドチラモ、大切デス」
こんな会話は無意味だ、とおもいながらも、彼は口を閉じることができない。
「ともかく、動物の刺青が成功してよかったですね」
その言葉は、まるで捨てぜりふのようにひびいた。アンダーソンの眼が、一瞬、薄気味わるく光ったのを見て、城田は立ち上った。アンダーソンは、もとの笑顔に戻っており、
「オ礼ハカナラズ考エサセテモライマスヨ」
と言う。
まるで、悪い予言を聞かされるような心持になって、城田はその屋敷を立ち去って行った。
……数日後の朝、城田祐一は電話のベルで眠りを覚まされた。
「城田さん、三津子をどこへ隠したの」
鋭い声で、寝ぼけた耳には、しばらく誰の声か判断がつき兼ねた。
「もしもし、聞えているの」
靄《もや》が一挙に晴れきってしまったように、それが余志子の声と分った。
「ああ、余志ちゃんか」
「余志ちゃんか、ではないわよ。いったい、どこへ隠したの」
「三津子がいなくなったわけかね」
「とぼけちゃいけないわ」
余志子は言葉をつづける。
「城田さんの家でないことは、これは確かだわ」
「どうして確かなんだ」
「確かなのよ。この前、三津子と会って、どこかのバーにでも寄った?」
「なるほど……」
男は警戒する必要がない、と自信をもって考えているな。しかし、そう安心してもいられないのだぞ。この前は、バーなどには寄らなかったが、この俺と……。と考えて、三津子の尻にピンク色の星が現われなかったことに思い当り、城田は中途半端な心持になった。
「寄ったよ。とても、綺麗《きれい》な子のいるバーへ寄った。あまり色気はないが、短刀の刃のようなへんな感じのある女の子だったなあ」
「それ、どこ。はやく教えて」
「つまり、三津子がきみの部屋からいなくなった、というわけだね」
「そうなのよ。はやく教えて」
あきらかに、余志子は苛立っている。余志子と三津子との関係についての推測は、当っていたな、と彼はおもいながら、
「嘘だよ」
「え? なにが」
「バーへ寄ったことさ」
「じゃ、どこへ寄ったの」
「どこへも寄らなかった」
「嘘じゃないわね」
「嘘じゃない」
まんざら嘘ではない。寄らなかったと同じような結果だったともいえるのである。
「しかし……」
と彼は電話の相手に話しかけた。
「きみも分りそうなものじゃないか。三津子がいなくなったとしたら、行くところは一つしかないだろう」
「さあ……分らないわ」
「分る筈だよ」
「どこなのよ」
「パパの家さ」
「パパ?……まさか」
余志子の心外そうな声が聞えてきた。なぜ、余志子は三津子の行方について、アンダーソン邸を除外して考えていたのだろう。
秘密
「ひとは見かけによらない、というが……」
レストラン「雅」の隅のテーブルで、城田祐一は大場雅子と話し合っている。閉店時刻を過ぎているので、客の姿はみえない。離れたレジスターのところで、余志子が金の勘定をしているのがみえる。
「あのアンミツの好きな女の子がねえ」
「それでは」
と、雅子は城田の顔を見詰めながら、
「いろんな謎《なぞ》の素《もと》は、余志子だった、というわけなのね」
「そういうことになるな」
「それでは、わたしの腿《もも》のところに、刺青の絵を描いたのは、余志子だったのね」
「そのとき、きみの家に、余志子は泊らなかったか」
「そういえば、泊ったわ。あら、思い出したことがある。そのとき、余志子が牛乳をあたためて、カップに入れてくれたのよ。その牛乳を飲んだら、ひどく眠たくなってしまったのだけど……」
「それだよ、睡眠薬でも入っていたにちがいない」
「そう考えれば、うちの犬のおなかに、やはり絵が描いてあったときにも、余志子がいたわね」
「そうさ。きみと一緒にきみの家へ行ったとき、余志子が犬と留守番をしていたわけだ」
雅子は、頷《うなず》きながら、しばらく考えていたが、
「でも、なんのために、余志子はそんなことをしたのでしょう」
「ぼくたちが、いろいろな謎に悩まされはじめているのをみて、一層その謎を複雑怪奇にしようと企んだのではないかな。謎を増やして、ぼくたちがそれに振りまわされているのをみて、愉しむわけだ」
「そう……」
曖昧《あいまい》に答えた彼女は、また沈黙に戻る。
「つまり……」
ようやく、雅子は口を開いた。
「あなたの言うのは、余志子がレスビアン(同性愛者)だということね」
「そういうわけだ」
「由美も理加も、余志子の相手だったというわけね」
「だから、ひとは見かけによらない……」
「相手の女が、女王の冠をかぶった蜂《はち》の刺青をされた、ということは、余志子が男の役目をしているというわけね」
「ぼくは、そう考えるが」
「では、なぜわたしは刺青をされなかったのかしら、魅力がないかしら」
「魅力はありますよ。しかし余志子のようなタイプの女からみると、きみにはその素質がないとおもえるのかもしれないな。なんだか、がっかりしているみたいだね」
「がっかりするわけがないでしょう」
「ともかく、刺青はされなかったけれど、同じ絵を描かれたのだから……」
と言いかけて、城田はおもわず呟《つぶや》いた。
「おや、これはもしかすると……」
「なんなの、はっきり言って頂戴」
「睡眠薬で熟睡しているあいだに、犯されたかもしれないな」
「厭《いや》!」
反射的にそう言い、雅子は眼を大きく見開く。
「犯されたなんて、変なことを言わないで」
「しかし、そういうことは、十分考えられるじゃないか」