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夏と花火と私の死体
乙一
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)濃い緑色の木々が生《お》い茂《しげ》り、
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)サンダルが片方|脱《ぬ》げたのが
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夏と花火と私の死体
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かごめかごめ
かごの中の鳥は
いついつ出やる
夜明けの晩に
鶴と亀とすべった
うしろのしょうめん
だあれ
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一 日 目
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九歳で、夏だった。
神様を祭ったお宮には濃い緑色の木々が生《お》い茂《しげ》り、砂利の地面に日陰を落とす。夏の太陽を掴《つか》もうとするかのように伸びた枝の間から蝉《せみ》の叫び声が降ってくる。
「おにいちゃんたち、まだ話し合ってるのかなあ。五月《さつき》ちゃんはどう思う?」
弥生《やよい》ちゃんがわたしに訊《き》いた。長い黒髪を指先でいじくりながら、眉根《まゆね》に縦皺《たてじわ》をよせて、少し怒ったような声だ。
「どうって言われても……」
橘《たちばな》弥生ちゃんは私の同級生だ。一番の仲よしで、わたしは毎日、弥生ちゃんやそのおにいさんの健《けん》くんと一緒に遊び回っていた。
わたしたちは二人で、木陰になっているお宮の木造のやしろの階段に座っていた。健くんは数日後にせまった村の小さな花火大会の打ち合わせに参加しているのだ。わたしたちは打ち合わせが終わるのを首を長くして待っていた。
「本当におそいなあ。弥生たちもあそこに上《のぼ》らせてくれればいいのに……。
あーあ、ひまだなあ」
わたしたちは二人、広いお宮の敷地にある石の建物を見た。倉庫ほどの大きさに積み上げられた石のそれは、まるで石垣だけになった小さなお城のようだ。おそらく昔は立派な建物がその上に建っていたのに違いない。しかし今は石垣の上にはなにもなく、数人の男子が座っているのが見える。その高さは家の屋根とそう変わらず、最近、隣の村の子供が上ろうとして落っこちて怪我《けが》をしたという話を聞いたことがある。今そこで、村の上級生の男の子たちが花火大会の打ち合わせをしているのだ。
「いいね、男子はあそこに上れて」
わたしは羨《うらや》ましそうに石垣を見ながら呟《つぶや》いた。背の高い木々が周りに生《は》えているために石垣の周辺は涼しそうだ。上に上ればさぞかし気持ちがいいだろう。遠くまで見渡せるだろう。しかし、女子は上らせてもらえない。上ろうとすると村の男の子たちが怒りだすのだ。「上らせて」の一言《ひとこと》が上級生の男子には言えないものなのだ。でも、わたしは健くんから聞いて知っている。石垣の上に上るとわたしの家の屋根が見えることを。石が冷たくて気持ちよいことを。そして一か所だけぽっかりと穴が開いていて、子供たちはそこにお菓子の屑《くず》を投げ込んでいることを。その穴がけっこう大きいから下級生に落ちないように言い聞かせていることを。わたしは健くんからすべて聞いて知っている。
「本当だね。弥生、男の子に生まれたかったな。男の子だったら石垣に上れるし、おにいちゃんとも一緒に遊べるもんね」
村の男子は女子を遊びにまぜてくれない。
わたしたちは男子の会議が終わるのをひまそうに眺めていた。お宮には鉄棒とぶらんこと滑り台が設置されていたが、今は遊びたくない。ぎらぎらと照りつける夏の高い太陽がそれらを焼いているからだ。触《さわ》ると熱いし鉄錆臭《てつさびくさ》い。それならば涼しい木陰で座っているほうが好きだった。
しかし弥生ちゃんはそうではないらしい。弥生ちゃんは飛《と》び跳《は》ねるように立ち上がり、それまでの鬱屈《うっくつ》をはね飛ばすかのように背伸びしてわたしに言った。
「ねえ、何かして遊ぼうよ。退屈で死んじゃうよ!」
「でも木陰の外は暑いよ。わたしは涼しい所が好き」
「それじゃあ、何の遊びならいい?」
問われてしばし考えた。
「『かごめかごめ』がしたい」
「そんなの、二人じゃできないよお……」
弥生ちゃんは困ったようにまた座り込んだ。
座っている場所はやしろの木の階段だった。五、六段ほどの古い階段だ。お宮で行なわれる、夏の花火大会や、広場で大きな焚《た》き火《び》を囲む冬の『どんど焼き』などの時、賽銭箱《さいせんばこ》が置かれる木の階段だ。やしろは、古い、乾燥した木で作られている。村の中心にあるお宮は、年に数回の行事の時だけ、主役となって飾られるのだった。
アブラゼミが近くにとまっているのだろう、じーじーという声は響いているだけで暑苦しい。砂利に指先で絵を描《か》いているだけでも汗が浮き出る。青い空には山のような入道雲が動物の形をして浮いていた。
「わあ、じょうず。それって犬の絵だね。あの雲と同じ形だ」
空と地面を交互に見て、弥生ちゃんは感激したようにわたしに言った。
「正解。66《ロクロク》もこれくらいかわいけりゃいいのにねえ」
そう言って二人で笑う。66とは、この村に住みついている犬の名前だ。獰猛《どうもう》で靴泥棒の白い雑種である。
と、その時。わたしたちの笑い声を聞きつけたかのように、それを咎《とが》めるかのように犬の唸《うな》り声《ごえ》がした。
「きゃあ! 66!」
そこには白い犬がいた。近くで見るとかなり大きい。剥《む》きだしの牙《きば》と憎々しげな目は見ているだけで背筋が寒くなってきてしまう。
「弥生ちゃん、逃げよう……」
それは66に睨《にら》まれた村の子供たちのとる普通の行動だった。しかし弥生ちゃんは動かない。いや、動けないのだ。逃げようと提案したわたしも、蛇《へび》に睨まれた蛙《かえる》のように動けなかった。動いた瞬間に飛びかかられそうな気がした。
そんなわたしたちに、そこを退《ど》けと言わんばかりの66は一歩ずつ詰め寄ってくる。
わたしと弥生ちゃんの頭に、66に噛まれて怪我をした上級生の話が蘇《よみがえ》る。それはなまなましく、わたしたちの恐怖を誘う。
しかし、その時、突然66に大粒の石が投げつけられた。その石がお尻《しり》に当たり、66はきゃいんと一声あげる。
「おにいちゃん!」
そこに立っていたのは健くんだった。健くんは優しげな瞳《ひとみ》を66に向けながらも、もう一度石を投げつけた。66は健くんを睨んでお墓の下から聞こえてくるような唸り声をあげるが、悔《くや》しそうに何度も後ろを振り返りながら去っていってしまった。66が負け犬となるのは珍しい。
「二人とも大丈夫?」
年下の女の子を労《いたわ》る優しげな笑みで健くんは言った。その優しい物腰とは裏腹に、66をやっつける勇敢さを持っているのだ。わたしたちより二歳年上の、弥生ちゃん自慢のおにいちゃんだった。
「うん。平気! 花火大会の打ち合わせ終わったの? じゃあ家《うち》に戻ろうよ、緑《みどり》さんがアイスクリーム持って家に来てるかもしれないよ!」
弥生ちゃんはそう言って健くんに飛びつく。
66の恐怖から解放されたことで力が抜けたのか、わたしは弥生ちゃんを羨ましげに見ながら木の階段にへたりこんでしまっていた。
「そうだな、緑さん来てるといいな。それより、五月ちゃん大丈夫?」
健くんがわたしのほうを見ながら言ってくれた。にこやかな笑みを浮かべたその顔に、わたしはこくりと頷《うなず》いた。
健くんと弥生ちゃんの家はお宮からけっこう遠い。夏の強い陽射《ひざ》しに青々と染まった稲の絨毯《じゅうたん》、それに囲まれた砂利道を、橘家に辿《たど》り着《つ》くまでくねくねと曲がっていく。たんぼには水が張られていない。田干《たぼ》しといって、わざと稲の喉《のど》を渇かして、稲が水を吸おうと地中に深く手を伸ばすのを待つのだ。田干しは夏の暑い日に数日行なわれるが、干涸《ひから》びて亀裂《きれつ》が入った地面を見るたびに稲がかわいそうになってくる。でも根を強くするためには重要なことなのだ。
期待した通り、緑さんが来ていた。
「わあい、アイスクリームだ! 緑さんありがとう!」
「どういたしまして弥生ちゃん。さあ、みんなも溶けないうちに食べて」
緑さんがわたしたちに笑顔で言った。
橘家の居間。活躍の時期が去り、布団《ふとん》だけが取り払われた炬燵《こたつ》をわたしと健くんと弥生ちゃん、緑さんと橘のおばさんが囲んでいる。炬燵も夏になると衣替《ころもが》えして卓袱台《ちゃぶだい》となるのだ。その上には今、カップのバニラアイスが山となって積まれている。
「いつもごめんね緑ちゃん。こんなにもらっちゃって」
「いいのよ叔母《おば》さん、どうせほとんどただなんだし。それよりアイスクリーム買うときはうちの会社のをよろしくね」
そう言って緑さんはおばさんに宣伝した。緑さんはおばさんのおねえさんの娘なのだそうだ。純白の服と白い肌が村の女の人には珍しい清潔さを感じさせ、外の明るさをそのまま持ってきたかのように、少し薄暗い家の中でも光って見える。高校を卒業して今年から緑さんはアイスクリームの工場で働き始めた。同じこの村に住んでいて、休日になると、ときどき工場のアイスを持って橘家にやって来る。
冷たくて舌が変になるまで、まるで犬のようにわたしたちはアイスを食べた。わたしは家族同然の扱いをしてもらっているのだ。
「ねえ、テレビつけて。もうすぐアニメがあるから」
弥生ちゃんがおばさんに言った。おばさんは娘になにも言わずにテレビをつけてくれる。わたしの家では食事中、テレビを見ると言い出すといろいろと文句を並べられるのだが。優しいお母さんを持った弥生ちゃんが羨ましかった。
テレビ本体のスイッチを押すと、ちりちりと音をたてて電源が入る。しばらく画面は暗いままだが、やがて絵が映った。
そこに現れたのは男の子の写真。
「またこのニュースね、かわいそうに……」
緑さんが男の子の写真を見て、泣くように哀《あわ》れむように呟く。男の子は一週間ほど前に行方不明になった小学生だ。その子で行方不明になった子供は五人。彼らは誘拐されたんじゃないか、と大人たちはうわさしていた。
「本当にねえ。あら、けっこう近いじゃない、この子の住んでた家」
おばさんがそう言った。それだけではない。他の誘拐されたらしい子供も周辺の県の男の子だ。
「健くん、あなたも気をつけなさいね。可愛《かわい》いから誘拐されちゃうよ」
緑さんはその場を盛り上げるように笑いながら健くんに言った。飛びかかるような仕種《しぐさ》をした時、腰まである繊細《せんさい》な髪の毛がさらりと揺れた。
言われた健くんは顔を赤らめて頷く。緑さんの前だとそういうことが多い。
笑いが巻き起こる居間の中で、その笑いに反発するように弥生ちゃんが叫んだ。
「ねえ、チャンネル早く変えてよ! アニメ始まっちゃうじゃない!」
「はいはい。まったく、この子たちは食べ物とアニメさえ与えておけば静かになるんだから」
やれやれというふうに、テレビに一番近いおばさんはテレビのつまみを回した。
六時になるまでアニメのリレーは続き、それまでにあの大量のアイスがたいらげられてしまった。六時からはなぜかニュース番組だけになり、わたしたちは急に退屈を覚える。
だからわたしたちは、橘家の裏に広がる森に遊びに行くことにした。
夏の日の午後六時はまだまだ明るい。森の木々は枝葉で天井を作り、その隙間《すきま》から零《こぼ》れ落ちる光は、石や木の根が剥きだしの地面に模様をつける。辺《あた》りには森の匂《にお》いが充満し、胸いっぱいに吸うとむせてしまいそうだ。
健くんは緑さんを送ってから森に来ると言っていた。だからわたしたちは二人で木登りをすることにした。それはこの森にやってきた時、わたしたち三人が必ずやることなのである。
森の登り坂をいくらか進むと少し開けた場所がある。その向こうは斜面になっていて、南側から村が一望できるのだ。その広場には背の高い木が一本生えている。その木の南側のほうの枝はわりと低い所から生えているので、木登りには最適なのだった。これを見つけたのは健くんで、それ以来木の上がわたしたち三人の秘密基地となっていた。
「へえ、五月ちゃんちではごはんの時間にテレビ見ちゃいけないんだ。弥生の家では怒られないんだよ」
「いいなあ、わたしも弥生ちゃんちに生まれたかったなあ」
「……弥生は違う家に生まれたかった」
なぜか弥生ちゃんは笑顔を引っ込めてそう言った。そして木の横に置かれた大きな石に飛び乗る。そうすると一番下の木の枝に簡単にのることができるのだ。その石は、まだ背の低いわたしたちが木登りしやすいように、健くんが近くから転がしてきたそうだ。それは大変な仕事だったろうと思う。
「なんで違う家に生まれたかったの?」
わたしも石を踏み台に木の枝を登り始める。どういう手順で、どういう道順で登れば簡単に上に行けるかを健くんに教えてもらったことがある。上のほうに生えている太い枝、その枝が目標地点だ。そこから見渡す村の風景は、下の広場から見るよりもずっと美しく、遠くにはお宮や石垣が小さく見える。ちょうど三人掛けできるその枝は、三人だけの秘密だった。
「ねえ、なんで?」
「う〜ん、だってえ……おにいちゃんと……」
「健くんと……?」
思いがけない名前が出たので、わたしは弥生ちゃんを見上げた。先に登り始めた弥生ちゃんは、すでに目標の太い枝に腰かけている。
わたしも手足を伸ばしたり縮めたりしながら、まるで階段を上るようにたやすくそこへ辿り着いた。
太い枝に腰かけて深呼吸をする。森の密な空気と違って、そこの空気は涼しく、爽《さわ》やかだった。
眼下に広がる青いたんぼの中に、きらりと光る赤と銀色のテープや黄色の目玉が見える。たまに『かかし』なんかも立っていた。どれも雀《すずめ》から稲を守るためのものだ。ときおり、おなかの底に響くような、頭に震動が残るような爆発音が聞こえる。それは『雀おどし』といわれる装置で、タイマーを使ったガス式の機械だ。音にびっくりして雀が逃げていくのだと健くんは言っていた。
そんな世界を眺め下ろしながら、わたしは弥生ちゃんに訊いた。
「もしかして健くんと結婚できないから違う家に生まれたかったの?」
弥生ちゃんは大きな目をさらに大きく見開いて、隣のわたしを振り返った。そして沈み込むようにこくんと頷く。
「……弥生もおにいちゃんのこと、健くんって呼びたかった……」
口を尖《とが》らせて、足をぶらぶらさせながら言った。
この枝はかなり高い場所にあるが、落ちることはほとんどないと思っている。ざらつく樹皮はすべらないし、子供は身軽で器用なものだ。
「でも健くんは緑さんのことが好きなんでしょう?」
「知ってるよう……」
長い髪は緑さんに似せているのか。わたしは思った。弥生ちゃんが髪を伸ばし始めたのは一年前ぐらいである。そして弥生ちゃんもわたしも緑さんが好きだ。他人のわたしにも差別なく接してくれるし、アイスを食べさせてくれる。それにお母さんから買ってもらった花のついたサンダルを可愛いと褒《ほ》めてくれた。健くんが好きになるはずである。
兄妹《きょうだい》だから結婚できない。それでもわたしにはいつも一緒にいられる二人が羨ましかった。
「そうか、知ってたのか。……じゃあわたしも健くんが好きだってことは?」
弥生ちゃんの心を暴《あば》いてしまったことをわたしは悔《く》やんだ。このままでは不公平だからと、わたしも頬《ほお》を朱《しゅ》に染めて告白する。
「えっ!?」
小さい悲鳴にも似た声をあげ、驚く弥生ちゃんがわたしを見た。まだ夕日になるまで時間があるのに弥生ちゃんの瞳は赤くなっている。
「わたしも……健くんのことが好きなんだ……」
もう一度、自分に酔《よ》うようにそっと呟く。
その時、遠くから健くんが歩いてくるのが見えた。緑さんを送り終え、こちらに向かっているのだろう。
「おーい、やっほー!」
わたしは大きな声で健くんに叫び、腕をぶんぶんと振った。健くんもわたしに気づいて両手を元気に振り返す。わたしは嬉《うれ》しくなった。
しかし健くんの姿は森の木の葉の天井に隠れてしまってわからなくなった。しばらくは姿は見えないはずだけど、それでもわたしは木の枝や葉の隙間から健くんが少しでも見えないかなと身を乗り出した。
「あ、見えた!」
ちらりと健くんが駆けてくる姿が見える。
その時だった。
薄い上着越し、わたしの背中に小さな熱い手を感じた。弥生ちゃんの掌《てのひら》だと思った瞬間、その掌は力強くわたしを押し出した。
わたしはバランスを崩してそのまま枝から滑り落ちる。まるでスローモーションのように周りの景色がゆっくりと上に流れ去る。いましがた登ってきた何本もの枝をぱきぱきと折りながら、わたしは止まらずに落ちていく。一本の枝にしたたか体をぶつけ、自分の潰《つぶ》れる音が聞こえる。変な方向に体がねじ曲がり、声にならない叫びを吐き出しながら、わたしはさらに落ちる。空中で、お気に入りのサンダルが片方|脱《ぬ》げたのがとても悲しい。
最後に、踏み台にしていた大きな石の上に背中から落ちて、わたしは死んだ。
鼻の穴や耳の穴、いつも涙が出てくる部分など、体中の穴から赤黒い血が流れ出している。それはほんの少しの量だったが、そんな顔を健くんに見られるのかと思うと悲しくなってきた。
折れた木の枝がどさりと近くに落ちて、ぱらぱらと高い所から降ってきた葉がわたしの上に落ちてきた。
「おーい。今、なにか音がしなかったか? 木の枝が折れるような……」
そう言いながら駆けてきた健くんは、わたしの死体を見つけて立ち止まる。
弥生ちゃんが泣きながら木を下りてきた。踏み台の石は死んだわたしが占領しているため、踏まないように、最後の枝から大きく飛んで地面に下り立つ。そして泣き叫びながら健くんの胸にしがみついた。
「一体全体どうしたんだ、弥生?」
まるで子供を泣きやませるように、弥生ちゃんとわたしの死体に優しい微笑《ほほえ》みを向けて、健くんはそう訊いた。そしてわたしに近寄りながら言った。
「五月ちゃん、死んでるじゃないか。弥生、泣いてちゃわからないだろ、なにがあったのか話してみなよ」
わたしが死んでいることを簡単に確認してから、健くんは笑みを浮かべたまま弥生ちゃんに言う。その笑みを見て、弥生ちゃんは泣きやみ、それでも苦しそうに、ぽつりぽつりと涙声で言った。
「あのね……いつもの枝でお話ししてたらね……五月ちゃん滑って落ちちゃったの」
「そうか、滑って落ちちゃったのか。それじゃあ仕方ないさ。弥生はなにも悪いことなんかしてないんだろ、だから泣くのはやめなよ」
大人が言い聞かせるように健くんは言った。そしてふたたびわたしに向き直る。
「とにかくお母さんに知らせてこよう。弥生、行こう」
そう言って、わたしをおいて弥生ちゃんの手を引っ張ろうとした。しかし、弥生ちゃんはいやいやと首を激しく振ってその場から動かない。
「どうしたんだ弥生?」
「だって……。だって、お母さんがこのことを知ったら哀《かな》しんじゃうよ! そんなの弥生、嫌《いや》だよ」
弥生ちゃんはそう叫んで、また泣き始めた。
そこには、恐怖とか不安といった思いがあった。自分が突き落としたことがばれるのではないかといった感情だ。今のわたしにはそれがはっきりと感じ取れた。
「……そうだな、きっと緑さんも悲しむだろうな……」
健くんはそう呟き、そして名案を思いついたように顔を輝かせた。
「そうだ、五月ちゃんを隠そう! ここで死んだことがばれなけりゃいいじゃないか!」
その提案を聞いた弥生ちゃんは悲しそうに、それでも嬉しそうに健くんを見上げた。
見開かれたままのわたしの目は、そんな二人をただ羨ましそうに見つめていた。
「でもどうするの? 埋めようにも、ここにはスコップも何もないんだよ?」
「わかってるさ、だからここまで運んできたんじゃないか。僕にまかせていれば弥生は何も怖《こわ》がらなくていいんだよ」
何かに怯《おび》えたように心配する弥生ちゃんに、すべての心配を氷解させるような優しい笑みを浮かべて健くんが答える。その背中には、流れた血がつかないよう、慎重にわたしが背負われていた。
そこは森の端のほう。森の脇《わき》を通る人気《ひとけ》のない道路と森の中に入ってくる道とがぶつかる所だった。
「ここでどうするの、おにいちゃん? どうやって五月ちゃんを隠すの?」
弥生ちゃんの質問に応《こた》えるように、健くんはわたしを地面に寝かせて、そして近くの地面を軽く払った。その下から現れたのはコンクリートの蓋《ふた》がされた溝《みぞ》。
健くんは中腰になって力を入れて、連《つら》なっているまな板くらいの大きさの蓋を一枚開けてみた。森の土の下から現れたその溝は、たんぼの脇を縦横《たてよこ》に走るクリーク(水路網)に繋《つな》がっているはずだ。しかし今は干涸びていて、溝の中には虚《うつ》ろな空間が広がっているだけだった。もういくつかの蓋を開ける。そこから覗《のぞ》ける溝の幅はけっこう広く、ちょうどわたしがすっぽりとはまった。
わたしを溝に寝かせた健くんは、またもとの通りに蓋を閉めようとする。コンクリートの蓋は一枚でかなりの重量があるはずだ。それなのに健くんは黙って作業していた。
「あ、ちょっとまって、おにいちゃん!」
弥生ちゃんの声に、蓋の最後の一枚を閉めようとした健くんの手が止まる。
閉められていない蓋一枚分の窓からは、わたしの足の先が見えていた。片方の足にはサンダル。もう片方の足は素足で、泥がついていた。素足のほうをまじまじと眺められて、わたしは少し恥ずかしくなった。
「……そうだな。なくなった片方のサンダルを探さなくっちゃな……」
そう簡単に呟いて健くんはわたしを闇《やみ》に閉じ込めた。閉めた蓋の上に土を被《かぶ》せて、そこに溝なんかないように見せるのを忘れない。
太陽がほとんど沈んだ時、健くんは弥生ちゃんと協力して、そこが周りの土と変わらないように工作し終わっていた。
橘家の居間に家族みんなが集まる時刻だ。卓袱台がわりの炬燵の上には夕飯が並べられていて、小さな居間においしそうな匂いを充満させている。健くんのおじいちゃんとおばあちゃんは畑の仕事から帰ってきたばかりのようだ。扇風機の強風に当たりながらテレビの野球中継を見ている袖無《そでな》し肌着の男の人は橘のおじさん。
「お父さん、チャンネル替えてよ。もう『宇宙船サジタリウス』が始まってるじゃないか。毎週、弥生は見逃《みのが》さないんだぞあの番組、なっ」
健くんはそう言って弥生ちゃんに同意を求めた。『宇宙船サジタリウス』とはアニメの番組のひとつで、三人の可愛いキャラクターたちが力を合わせてサジタリウス号で宇宙を旅する話だ。弥生ちゃんは会話を聞いていなかったのか、ごはんを頬張ったまま慌《あわ》てて頷く。
「はいはい、わかりましたよ。どうせ俺《おれ》の意見なんか関係ないんだろ」
おじさんはいじけたようにテレビのつまみを回した。
「それから扇風機の首を回してよ、僕たちも暑いんだぞ」
おじさんは何も言わずに扇風機の首振り機能のスイッチを押した。その旧《ふる》い扇風機は、羽を回すモーターの部分についているピンのような部分を押すことで、首をふり始めるタイプのものだ。
首を回すと聞いて、弥生ちゃんの肩がぴくんと震えた。奇妙な方向に折れ曲がったわたしの首を思い出したのだった。
そんな弥生ちゃんにかまわず、アニメは始まっている。おじいさんとおばあさんはたんぼのことや、畑の西瓜《すいか》の玉が大きくなったこと、使っていた茣蓙《ござ》が古くなったので捨てなければならないことなどを話していた。
そんな時、橘家の玄関から「ごめんください」という声がかかった。おばさんは「はあい」という高い声で返事をしてから居間を出ていく。
玄関から聞こえてきた声に弥生ちゃんが大きく震えた。健くんも声の主《ぬし》を知っているはずなのに、動揺した様子は微塵《みじん》も感じられない。黙々とアニメを見ながらごはんを食べていた。
ほどなくして、おばさんが居間に戻ってきた。どうやら玄関にお客を待たせてあるようで、短く二人に尋《たず》ねる。
「ねえ、今、五月ちゃんのお母さんが来てるんだけどね、五月ちゃんまだ帰ってきてないんだって。あなたたちなにか知らない?」
おばさんの質問に、おはしを握《にぎ》る弥生ちゃんの手が震えた。その震えを止めるように健くんが答える。
「うん、知らない。五月ちゃんとは森の中で別れたよ。いつもそうしてるじゃないか」
「あら、そうなの……」
言いたいことは後回しにして、おばさんはわたしのお母さんに報告しに玄関へ戻っていった。返事を聞いたお母さんは「そうですか」と力なく残念そうに、泣き出しそうに言って帰っていく。その背中はやけにか細く、ごはんを食べている時にテレビを見るなと鬼のように怒るお母さんとは別人のようで、わたしは辛《つら》かった。
わたしのお母さんを見送ったおばさんは、居間に帰ってきて、家族にさっきの話をし始めた。
「心配ねえ、もう辺りは暗いっていうのに、五月ちゃんどこに行ったんだろうね。最近は誘拐事件も多いしねえ。本当に心配だねえ」
そう言って白いごはんを口に運ぶ。おばさんが「心配だねえ」を口にするたびに、弥生ちゃんの頭は力なく、まるでおばさんから目を逸《そ》らすかのように下がっていった。
「五月ちゃんちのおばさん、村中を探し回ってるの?」
質問したのは健くんだった。
「うん、そうらしいねえ。五月ちゃんが一人っ子だから、よけいに心配なんだよ。本当にどうしたんだろうね。警察に届けたほうがいいって、お母さんは言ったんだけどねえ」
「警察!?」
二人は声を合わせておばさんを振り返る。弥生ちゃんは絶望的なまなざしで、健くんはどこか楽しげなまなざしで、おばさんを見た。
「ほら、もしかすると最近の誘拐事件と関係あるかもしれないじゃないか。最後に見たのは森なんだろ。ひょっとすると明日あたりにでも森を捜索《そうさく》するかもしれないね。あそこで遭難したってことも考えられるだろう? 五月ちゃんのお母さんもこれから森を探してみるってさ」
森と聞いて二人は驚いた。確かに一番疑われるのはあそこだった。ここら辺で誰《だれ》かが遭難しそうな場所といえば、橘家の裏に広がる森以外になかったからだ。
これからわたしのお母さんが森を探すと聞いて、弥生ちゃんの表情が強張《こわば》る。わたしの死体は見つかるはずもなく、流れた血の跡《あと》も二人でちゃんと消してきた。ただ、わたしの片方のサンダルはどこを探しても見つけることはできなかった。健くんは木に登って、枝に引っかかっていないかを入念に調べ、弥生ちゃんは腰が痛くなるまで地面を調べ回ったのだ。
このままサンダルが見つからなければ、誘拐事件として警察が森を捜索することはないかもしれない。しかし、わたしのお母さんが森でサンダルを見つけたらどうなるのだろう。近くにわたしがいると信じて山狩りをするだろうか。お母さんがあのサンダルを見聞違えるはずはない。なぜならわたしの喜ぶ顔を見て、お母さんはとても嬉しそうだったのだから……。
「本当に心配だよ。わたしも五月ちゃんを探す手伝いをしようかしら……」
そう言ったおばさんの言葉が聞こえなかったのか、健くんは愉快そうにアニメを見ていた。
健くんと弥生ちゃんは同じ部屋で寝起きしている。八畳のその部屋は二人には大きすぎるほど広い。
蒸し暑い夜。少しでも涼しくなるよう、窓は大きく開け放たれていた。泥棒なんか入らない場所なのだ。豆電球だけつけられた橙《だいだい》の光の中、部屋の中央に二つの布団が並べて敷かれている。その中で健くんは静かな寝息をたてていた。しかし弥生ちゃんは、目を閉じると夕方の出来事が頭に浮かんで眠れないらしい。部屋の中には二人を覆《おお》い隠すように青い蚊帳《かや》が吊《つる》されていて、二人を蚊から守っている。
「ねえ、おにいちゃん……」
暑いのを我慢してタオルケットに潜《もぐ》り込んでいた弥生ちゃんは、泣き声のような声で言った。汗で前髪が額《ひたい》にこびりついている。
「……ん?」
眠そうに健くんは呟き、起き上がる。暑いからだろう、掛け布団もタオルケットもおしのけてしまっている。立ち上がって電気をつけようとする。普通なら寝たまま電気をつけられるように、スイッチの紐《ひも》に長い紐をつけ足しているのだが、蚊帳が邪魔してつかめない。蚊帳の天井にたまっている紐を引っ張ろうとするが、蚊帳越しでは滑ってなかなかうまくいかないのだ。
「いいよおにいちゃん、電気つけなくて……」
「それで、どうしたんだ弥生?」
ねぼけ眼《まなこ》で健くんが言う。まだ半分夢の中らしい。
「……怖いの。おにいちゃん……そっちに行ってもいい?」
汗で湯気が出そうな弥生ちゃんは、泣きそうに、恥ずかしそうにそう言った。
「……ああ、いいよ……」
そうそっけなく言って健くんはまた布団に倒れ込む。この暑いなか、弥生ちゃんは何かから隠れるように被っていたタオルケットをそのままに、健くんの布団に転がり込んだ。そして健くんの背中に、熱くなった額をぺたりとくっつけて目を閉じる。
やがてその部屋の寝息は二つ、混じりあって夏の夜に消えていった。
健くんと弥生ちゃんにも、溝に隠されたわたしの死体にも、そして夜の森で泣きながらわたしを探しているお母さんにも闇の帳《とばり》は降りてくる。
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二 日 目
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次の日、朝のまだ早い時間に、健くんと弥生ちゃんは夏休みの間お宮で行なわれているラジオ体操に行った。朝のお宮は清々《すがすが》しく、まだ涼しい空気は吸い込むほどに生き返る感じがする。さっきまで数匹しか鳴いていなかった蝉《せみ》も、太陽が空に高くなっていくと同時に大合唱を始める。
体操の後、村の小学生の中で一番年上の者がカードにハンコを押してくれる。六年生のその人は、わたしが体操に来ていないことをなにやら言っていたが、健くんは関係ないというように聞き流していた。というより、別の声を聞いていた。
後ろで、村の小学生の親が声をひそめて囁《ささや》きを交《か》わしているのだ。その内容はわたしやわたしのお母さんのことだった。お母さんは一晩中、寝ないでわたしを探し回っていたらしい。そのことをおばさんたちは哀《あわ》れむように話題にしていた。昨晩《ゆうべ》のことなのにすでに話は村中に広まっていて、今目の昼から警察が森を捜索《そうさく》することまで知られていた。でも何の手がかりも証拠もないので、森で見つかるかどうか、みんなは半信半疑らしい。あの連続|誘拐《ゆうかい》事件に巻き込まれたと話しているおばさんもいる。
そんな声を健くんは聞いていた。自分の知らない情報を集めているのだった。おかげで健くんは、警察の捜索のこと、サンダルについては何も話題になっていないことなどを知ることができた。
静かに遠くを見つめるようにして何かを考えている健くんの腕にしがみつきながら、弥生ちゃんは不安そうにその顔を見上げていた。
ラジオ体操から帰ってきて、二人はすぐに森へと向かった。お宮から家に戻る道すがら、枯れた水田に囲まれた砂利道をふみしめながら健くんが提案したのだ。
まだサンダルは見つかっていないらしいから自分たちが先に見つけてしまおう。そうすればきっとわたしが森に居るという証拠はなくなる。きっと誘拐されてどこかへ連れ去られたのだろうと、みんな考えるはず。健くんはわたしがいなくなったことを誘拐犯人のしわざにしようと考えたのだった。
サンダルが落ちていないか調べながら二人は森の奥へと入っていく。今日、健くんは急な斜面の所を調べるつもりだ。だからいつもの草履《ぞうり》ではなく、草野球用のスパイクを履《は》いていた。斜面を調べる前に、わたしが隠されている溝《みぞ》の周辺を調べた。それでも見つからないので、地面に目を向けたまま、昨日とは反対に、わたしが死んでいた木のほうへと道を辿《たど》る。わたしを背負って溝に運ぶ途中で片方のサンダルが足から脱《ぬ》げたのではないかと、健くんは考えたのだ。
「斜面は危ないから、弥生は家に帰っててもいいんだぞ。後はおにいちゃんにまかせなさい」
健くんは労《いたわ》ってそう言ったのだが、弥生ちゃんは首を横に振って健くんの腕にしがみついた。
「弥生はおにいちゃんについていく!」
そう言って離れない。
「……じゃあ、弥生は五月ちゃんが死んでいた辺《あた》りをもう一度調べていてくれ。サンダルは弥生も覚えてるだろう? がんばるんだぞ」
健くんは目線を弥生ちゃんと同じ高さまでもってきて、子供を諭《さと》すように言った。その表情は優しく、弥生ちゃんの頬《ほお》が見る間に赤く染まっていった。
「……うん、でも弥生が呼んだらすぐ来てね、絶対だよ。絶対に絶対だよ」
健くんに念を押すように言った。健くんは人の震えを止めるような笑みを浮かべてうんうんと頷《うなず》く。