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作者: 当前章节:15374 字 更新时间:2026-6-23 00:32

「ねえねえ、花火大会は何時からやるの? 健くんや弥生ちゃんも来るんだよね」

 二人は頷いた。花火大会の間わたしのことを忘れるつもりだった。どうせその間は、わたしをお宮の石垣に運ぶことはできないのだ。人が集まっているので、二人がやろうとしていることを目撃される危険が大きい。わたしは安全にたんぼに隠されているのだから、その間くらい忘れるつもりらしかった。

「それじゃあわたしも米ようかな。

 知ってる? 他の子供たちがおもしろいことやってたわよ」

「おもしろいこと?」

 緑さんの言葉に反応したのは弥生ちゃん。

「そう。買ってきた普通の花火を紐に連《つら》ねてさ、一斉に火がつくようにしてたの。ナイアガラの滝を作るんだって言ってた」

 そして向日葵《ひまわり》のように眩《まぶ》しい顔で笑い声をあげた。弥生ちゃんは瞳を輝かせ「本当? 本当?」と何度も訊く。想像したのだ。一斉に輝く綺麗《きれい》な光の花びらが散って、滝のような光の洪水が舞い散る姿を。迫力があって幻想的で、それでいて十数秒の短くはかない夏の花を。

「本当だぞ。だからそれに間に合うように来なさいよ」

 弥生ちゃんは何度も激しく頭を縦《たて》にふった。

「こらこら、目を回しちゃうからやめなさいって」

 そんなことを言われた弥生ちゃんの表情は明るかった。最近のすっかり気が滅入《めい》ってしまっていた顔からは想像できないほどに、それは季節にたとえるなら夏のようだった。

 そんな弥生ちゃんを見下ろし、緑さんは嬉しいような、それでいてどこか哀《あわ》れむような瞳をしていた。

 賽銭箱の片方を抱えて歩く健くんは、緑さんになにか質問されたときにはすぐ答えられるように、そんな二人の会話を聞いていた。しかし考えていたことはもっと別なことだ。

 どうやって五月ちゃんを石垣の上に持ち上げよう——木の階段に賽銭箱を置きながら健くんは考えていた。

「じゃあ、健くんもちゃんと来なさいよ。花火なくして夏休みは語れないんだからね。なによりわたしの浴衣《ゆかた》姿が見られるかもよ」

 健くんは緑さんの言葉に、はにかみ笑いを残しながら、お宮の端の石の建造物を見た。

 今までどうにかなると思っていたようだが、それはあらためて見るとわたしを担いで上《のぼ》るには、あまりにも高い壁だった。

 でも上らなければならないのだ。そしてそこに開いている穴にわたしを投げ込まなければならないのだ。なぜなら、それが考えつくことのできる最も見つかりにくい死体の隠し方なのだから。

 そして健くんは楽しそうに、まるで今日の花火大会が楽しみだとでもいうように緑さんに微笑みを返した。

 賽銭箱を階段に置いて、石垣の上に健くんは上った。そこに上級生たちが集まっていたので、健くんは仕事が終わったことを報告しに行ったのだ。報告が終わり、上級生から「帰ってよし」の言葉と「時間どおりにこいよ。健がこなくてもこっちは勝手に始めるからな」という言葉をもらって、健くんは弥生ちゃんと家へ帰ることにした。そして石垣から下りるとき、健くんは周りの確認をした。

 石垣の上に木の板が敷いてある。それは下級生がその下に広がっている穴に落ち込まないようにとの心配りだった。上級生の一人が、その木の板をずらして『ビックカツ』と書かれたお菓子の空の袋を穴に投げ入れた。もう少ししたら、わたしもあんなふうに投げ入れられるのだろう。

 そして上を見上げれば、石垣の上に太い木の枝がはりだしている。そのおかげで夏の陽射《ひざ》しは弱まり、石垣の上は木陰になっていて涼しい。

「お母さん、紐を集めてたでしょう? それってどこに保管してるの?」

 家の中、居間に寝転がってテレビを見ていたおばさんに、帰ってきたばかりの健くんが聞いた。

「紐? いったい何に使うつもりなのよ、紐なんて」

「だって電気の紐につけたしてた紐が切れちゃったじゃない。新しいの自分で選ぶからさ、紐どこにあるの?」

 憩《いこ》いの時間を邪魔されてやや機嫌《きげん》の悪いおばさんも、健くんの言うことに納得したのか、立ち上がり、納戸《なんど》のほうへと入っていく。しばらくして『チロリアン』と書かれた金属のクッキーの箱を持って戻ってきた。そのクッキーの空き箱は、橘家では裁縫箱《さいほうばこ》として有名である。一度、緑さんがその銘柄《めいがら》のクッキーを持ってきたことがあったが、その箱を見た弥生ちゃんが「なんだあ、裁縫箱かあ」と言って落胆《らくたん》したほどである。

「ほら、この中から選びなさい。選んだらまたここに置いとくのよ。

 それにしても、ちゃんと役に立ったじゃない」

「数年に一回の割合だけどね」

 胸をはった健くんのお母さんは、健くんの言葉を聞いて呆《あき》れる。

「……あんたまだ五年生でしょ。もう『割合』なんて言葉習ったの?」

「ええと、この紐全部部屋に持ってくからね、勝手に決めちゃうと弥生が怒るかもしれないから」

 おばさんの言うことには答えず、健くんは箱ごと持って部屋に戻っていった。重さからして、箱の中に入っている紐は相当な数だろう。何年も使われずにたまっていった『お店で商品を買った時にそれを縛《しば》っていた、けっこう強い紐』を手にしながら、健くんは考えをめぐらす。

 これだけあれば、なんとか五月ちゃんをあの上に引っ張り上げることができるだろう……。

 明日には実行に移すつもりらしい。それまでに、思いついた簡単な仕掛けがうまくいくか試しておこうと思っていたようだ。

 そんな健くんの足が止まった。健くんのおじいさんとおばあさんが健くんを手招きしている。

「なあに?」

「健くん、たしか花火大会は今晩だったね」

「うん、そうだよ」

「そうかそうか、わしらも行ってみるかい。のう、おばあさん」

 おじいさんはおばあさんに向き直って言った。どうやらただそれだけを訊きたかったらしい。自分に返ってくる言葉がないので、健くんは一言《ひとこと》、

「うん、来てよ二人とも。きっとおもしろいから」

 そう言って再び部屋へと向かった。

 そんな健くんの後ろからおじいさんとおばあさんのゆっくりした話し声が聞こえてきた。

「そういえば今夜からでしたねえ」

「そうだな。明日の朝にでも様子を見てこようか」

「ええ」

「ちょうど花火大会が始まるころだな、上から水を流し始めるのは。こっちのたんぼまで来るにはちょっとかかるがな」

 健くんは部屋に入りながら考えていた。どうやら今年はゆっくりと花火を観賞することができないらしい……。

 そうしてわたしたちの最後の夜へと時間は流れてゆくのだった。

 辺りが夜色に染まった時、健くんと弥生ちゃんは砂利道を手をつないで走っていた。

 すでにお宮では花火大会が始まっているころだろう。田干《たぼ》しされていたたんぼに水が流れ込むまで、もういくらも時間がない。二人はわたしを回収するために、今朝のあのたんぼ目指して走っているのだ。そしてそのまま石垣の穴までわたしを運んで、すべての事に終止符をうつつもりだ。

「急げ弥生!」

 健くんが叫ぶ。その背中には黒いリュックサックが下がっていて、健くんが走るたびに勢いよく揺れていた。その中に何が入っているかを弥生ちゃんは知らない。ただ、繋《つな》げられて相当な長さになった紐が入っていることだけは知っていた。今の時間まで、二人は部屋の中で何本もの紐を繋いでいたのだった。クッキーの箱の中に入っている紐をすべて繋ぎ合わせ、一本の長い紐にする。その作業にずいぶん時間をくってしまい、二人はかなり焦《あせ》っていた。

 たんぼに水が流れ込み、わたしがずぶ濡《ぬ》れになっても、たいした被害が二人にあるわけではない。それでも二人は、わたしが水に沈むのを阻止《そし》したいらしい。

 お宮のほうからロケット花火の音がする。それは空の高い所まで飛んで、パンと弾《はじ》ける。

「おにいちゃん、たしかこの辺だったよ。この辺に五月ちゃんが居るはずだよ」

「そうだったな……」

 砂利道の上から、二人はわたしのほうを見た。しかし二人にはわたしの居る場所がはっきりとわからないらしい。

 懐中電灯は弥生ちゃんが持っている。今日の朝のようなことになりはしないか、弥生ちゃんは危惧《きぐ》したのだが、健くんは大丈夫だと言った。もし誰《だれ》かに見つかってしまっても、花火大会に行く途中だと言えば、今晩のうちは簡単に騙《だま》せるはずなのだ。

「……もっと先かなあ」

 困ったように弥生ちゃんが呟く。健くんも同じような表情でたんぼの中を見渡していた。二人はわたしと見当違いの方向を見ている。

「忘れちゃったな、正確な隠し場所……」

 今度はお宮の空の辺りが、かすかに色を帯びてぼんやりと光っていた。噴水のように光を出す花火に火がついているらしい。

 その間にも、まるで運命の砂時計のように水路に水が流れ出してきているのだった。

「弥生、行くぞ。中に入って五月ちゃんを探すんだ」

 そう言って健くんはたんぼの中に入り込んだ。弥生ちゃんもそれに続く。

 二人はわたしをどこに隠したか忘れてしまっていたのだった。たんぼはそれほど広く、子供にとっては広大だ。

 下に懐中電灯の光を向けながら、何物も見逃《みのが》さないぞというふうにわたしを探す。二人で手分けして、緑色の稲をかきわけて探す。

 それでもなかなかわたしを見つけることはできなかった。わたしのすぐ側を通りすぎることは何度かあったが、気づいた様子は微塵《みじん》もない。

 そんな時、焦りを帯びた叫び声が健くんの耳に届いた。

「おにいちゃん! たんぼに水が流れ始めてる!」

 その足元は水に濡れ、柔らかくなった泥に半分埋まっていた。わたしが居る所の土はまだ乾いたままだったが、水は確実にたんぼに広がっていった。

「弥生、早く五月ちゃんを探し出すんだ! 地面がどろどろになっちゃったら、歩きにくいからもっと探しにくくなっちゃうぞ」

 暗闇《くらやみ》に満ちた夜。そして夏の強い太陽を受けて、子供一人を隠すには十分に伸びた濃い緑色の稲。その稲は弥生ちゃんの周りを覆《おお》い隠し、まるで弥生ちゃんを逃がさないように囲んでいるかのようだった。

 そんな圧迫感と、靴からじわじわと染《し》み込んでくる水の感触に、弥生ちゃんは足元から這《は》い上がってくる恐怖を感じていた。

「おにいちゃん!」

 震える、まるで泣き声のような声をあげて、弥生ちゃんは健くんのほうに走った。健くんに抱きついて震えを止めるために。

 その間、わたしの冷たい背中に水が染み渡る。どうやらたんぼに入ってきた水が、わたしのところにまで広がってきたらしい。もう数分もたてば、わたしは半分泥に埋まってしまうだろう。

 猛獣に追われているかのように走る弥生ちゃん。その心の底では、自分を追ってくる、さもなければ常に自分を非難している猛獣の姿が、たしかに見えているようだ。

 健くんはそんな弥生ちゃんのほうに懐中電灯の光を向けて、困ったように頭を掻《か》いた。

 走ってくる弥生ちゃんが丸い光の中に浮かび上がる。しかし、その姿が急に稲の中に消えた。

「弥生!?」

 健くんは焦ったように叫ぶ。そして弥生ちゃんに向かって走る。

 そこでは弥生ちゃんが、一緒に稲をも押し倒して倒れている。そして泣いていた。つまずいて転んだ拍子に、恐怖の糸が切れてしまったらしい。健くんが近づくと、必死にしがみつき、嗚咽《おえつ》を漏《も》らした。

「大丈夫だぞ弥生。それによくやった」

 健くんは弥生ちゃんを慰《なぐさ》め、そして褒《ほ》めた。弥生ちゃんを蹴躓《けつまず》かせ、転ばせたわたしのほうを指さして。

 弥生ちゃんにおもいきり蹴《け》られて、わたしの体は少し曲がってしまった。それでもわたしは文句を言わず、わたしをのり巻きのようにくるんだ茣蓙《ござ》の両端から爪先《つままき》と髪の毛を覗《のぞ》かせている。

「そら、弥生、五月ちゃんをお宮まで遊ぶぞ。たんぼに水が入っちゃったらみんなは水田の様子に敏感になるんだ。このまま五月ちゃんをここに置いとくわけにはいかないだろ」

 そしてわたしを持ち上げた。弥生ちゃんも加勢をするように、涙を拭《ぬぐ》って足のほうを持ち上げる。

 持ち上げられた拍子に、わたしの背中から水滴が滴《したた》った。たんぼの水はすでにいっぱいに広がっていて、わたしの体重もかかっている二人の足が泥の中に沈み込む。

 そして砂利道のほうへと歩みを進めた。水を深く吸い込んだ泥は、まるでその足を掴《つか》まえて逃がさない手のように絡《から》みつく。

 それでもたんぼが完全に水の中に沈み込み、水田という名にふさわしいほどに満々と水を湛《たた》えた時、わたしを担いだ二人はたんぼから脱出できた。転びそうになったためか、その時二人の体は泥だらけになっていて、まるで畑仕事の後のようにぼろぼろだった。

 それでも二人は歩みを止めず、ついにお宮を囲む塀《へい》までやってきた。入り口から石垣まではかなり距離があるので、石垣に近い辺りのブロック塀を乗り越えることにしていたのだ。

 ここまで来たら、お宮の中の花火の音がはっきりと耳に聞こえてくる。鮮やかに色のついた花火の煙も見えて、見物人の話し声までもが聞こえてきた。しかし、そんな話し声も、弥生ちゃんの不安を高めるだけだった。人が多ければ見つかってしまう危険が多いのだから。

「ここを越えればお宮の境内《けいだい》だぞ弥生。そうしたら五月ちゃんを担いで石垣まで走るからな。花火を見に来てる人たちに見られないように注意するんだぞ」

 健くんの念を押すような忠告に、弥生ちゃんは真剣なまなざしで不安そうに頷く。

 健くんはそれを見てブロック塀に向き直った。高さは健くんの頭の上くらい。弥生ちゃんの背の高さだと、手を伸ばしても届かない高さだ。

「じゃあ、まず最初におにいちゃんが弥生を押し上げるから、弥生は先にお宮の中に入るんだぞ。そしたら次に五月ちゃんを投げ込んで、最後におにいちゃんだ」

 弥生ちゃんに言い聞かせるように健くんが言った。弥生ちゃんが一人で壁を越えられないと判断してのことだったのだろう。弥生ちゃんはやはり神妙に頷きを返す。

「ようし、速攻だからな。ここで人に見つからないようにするのが一番難しいんだ。塀の上から飛び下りる時に足を挫《くじ》かないようにするんだぞ」

 そう言って弥生ちゃんを持ち上げた。ブロック塀の上にのせてやる。

 そのころ花火大会は中盤にさしかかり、手に持って火をつける普通の花火よりも値段の高い仕掛け花火や、打ち上げ花火などが、子供たちの手によって花を咲かせていた。やしろにお参りに来る人たちのことも子供たちが接待しなければならないし、そんな親についてきた小さな子には何本かの花火を渡さなくてはならない。それは村の風習なのだ。やしろに祭られている神様を敬《うやま》う気持ちを、人々の心からなくさないようにするためだ。

 ブロック塀の上にのせられた弥生ちゃんは、そのまま向こう側へ飛び下りた。お宮の敷地の中に入り込んだ弥生ちゃんの鼻に花火の強烈な火薬の臭いがつんとくる。

 しかし、それは些細《ささい》な衝撃でしかなかった。

 いま弥生ちゃんが飛び下りた場所、そこから数歩も行かない所に多くの人間がいた。人垣ができているのだ。人垣の目は向こう側、お宮の中央に花を開かせている花火へと向けられているが、いつ振り返らないともかぎらない。その拍子にわたしの死体を見られでもしたら大変だ。

 弥生ちゃんは背中を這い上ってくる冷たい恐怖と戦いながら、がたがたと震える足を押さえて、塀の向こう側に居るはずの健くんにその事を伝えようとした。来ては駄目だ。人がいるんだ。五月ちゃんを投げ込んでは駄目だ。そう叫ぼうとした。

 しかし、震えて口から紡《つむ》ぎ出されるはずのその言葉は、空から落ちてくるわたしの姿を見たためか、声となって出ることはなかった。

 弥生ちゃんの背中のほうから色鮮やかな光の洪水が流れてくる。花火を見ている見物人の隙間《すきま》から零《こぼ》れ落ちてくる桃や緑の光に照らされて、茣蓙にくるまれたわたしの死体はどすんと地面に叩きつけられた。

「おにいちゃん……!」

 かすれた小さなその声は、見物人にも健くんにも聞こえない。

 わたしが地面に叩きつけられた音は、もしかすると人垣にも伝わってしまったかもしれない。弥生ちゃんは絶望と恐怖に彩《いろど》られた顔に涙を溜《た》めて、塀を飛び下りようとしている健くんを見上げた。

 健くんは塀の上から見物人の壁を見下ろしてかすかに眉を歪《ゆが》ませた。そしてわたしの隣に着地する。

「弥生、泣くんじゃない……」

 そう言って弥生ちゃんを慰め、見物人たちがこちらに気づく前に石垣へ向かおうと健くんが考えた時だった。やはりわたしがたてた音は見物人に聞こえていたのだ。

「あら、健くんに弥生ちゃんじゃないの……」

 人垣の中の一人が声をかけて振り返る。弥生ちゃんは身を強張らせて健くんの腕にしがみつく。

 花火の光の中で黒い影となり、その人の顔はよくわからなかったが、その声を二人は知っていた。目をこらしてみるとその人の表情は暗く悲しみに縁取《ふちど》られている。

「おばさん……」

 健くんはわたしのお母さんに声をかけた。その声には哀れみや労《いたわ》りの響きがあった。しかしそれが演技であることをわたしは知っている。まだ健くんはわたしを隠し通すことを諦《あきら》めてはいないのだ。

「おばさん……五月ちゃんは? 花火大会には来てないの? まだ見つかってないの?」

 わたしのお母さんは頭を横に振った。沈痛に、今にも崩れ落ちそうに。ただ一人の子供であるわたしの行方もわからず、思い出だけを胸に、記憶の中のわたしの笑顔を見にこの花火大会にやって来たのだ。

 毎年、夏のこの夜に、わたしはお母さんにつれられてやって来た。そして健くんや弥生ちゃんと一緒に花火を見たり、花火をしたり、眩しすぎて今のわたしには耐《た》えられないような思い出をつくっていた。

 そして今年も、こうして三人でやって来たのだった。

「そう……、見つかるといいね、五月ちゃん……」

 健くんが言葉を選ぶ。わたしが行方不明であることは、まだテレビで報道されていない。どこを探してもわたしが見つからないので、やっと警察は誘拐事件とのつながりを調べ始めたところなのだ。おそらく明日あたり、テレビ局の人がこの村に溢《あふ》れるほどつめかけてくるのだろう。

「……健くん、ありがとう……。おばちゃんね、花火を見ているとなんだか五月のことを思い出しちゃうの。そしてすぐ側に五月がいるような気がしてくるの……」

 弥生ちゃんの手に力がこもり、健くんの腕を強く締《し》める。弥生ちゃんは震えていた。すぐ後ろにわたしが寝転がっているのだ。花火で薄くなったとはいえ、闇が周りを覆っているからだろうか、お母さんはまだわたしに気づいていない。だが、いつ気づかれてしまうのか、弥生ちゃんは気が変になりそうなほど緊張していた。

 お母さんがずっと探しているわたしは、ほんの足元に転がっているのだ。

「おばさん、五月ちゃんはきっと見つかるよ。だから元気を出しなよ」

 健くんはそう言って、にっこり微笑んだ。わたしのお母さんの不安を取り除くかのように、まるで明日にでもわたしがひょっこりと帰ってくるのではないかとさえ思わせる笑顔で。

 そんな健くんを見て、お母さんは、声をたてず、ただ涙を目の端から零して泣いた。周りの人垣には、そんなわたしたちに気づいているような雰囲気はなかった。お宮の中央で花開く花火に感嘆の溜め息をつき、どよめきをあげていた。

「ありがとう……、ありがとうね健くん……」

 色のついた光を浴びながら、お母さんは健くんにありがとうを繰り返す。瞳には感謝の気持ちを溢れさせながら。

 弥生ちゃんも泣きそうだった。わたしと遊んだ日々や一緒に見た花火を思い出しているのだろうか。自分の罪の大きさを知ったのだろうか。

 そんな二人に挟まれても、健くんはわたしを石垣まで運ぶ隙を窺《うかが》っていた。

「おばさん、泣いちゃだめだって。泣いても五月ちゃんは帰ってこないよ。

 ほら、見なよ、もうすぐ豪華な花火に火がつくから」

 花火のほうを指さして健くんが言った。そこでは、上級生の男子が大きな筒を地面に置いている。それはお店で買った数百円の打ち上げ花火だった。かなりいい値段の花火だ。たいそう綺麗な花が開くのだろうと、見物人たちは注目してそれを待っている。

「本当ね……、おばちゃんが泣いてちゃ駄目だったね……」

 わたしのお母さんもそちらを見る。

 村の男の子が、その簡に恐るおそる火をつけようとしているところだ。

 その瞬間。お母さんの視線がそちらに向いた瞬間を健くんは見逃さなかった。

 弥生ちゃんの手を振りほどき、地面に横たわっていたわたしの頭を持ち上げた。そして弥生ちゃんに足のほうを持ち上げるよう小声で指示する。ちょうどお母さんからは、茣蓙の両端から覗くわたしの髪の毛や爪先が二人に隠れて見えない格好だ。

「おばさん、じゃあ僕たちは行きますから」

 健くんはわたしのお母さんにそう言った。黙って立ち去ってしまったら不自然だ。弥生ちゃんはわたしの爪先を必死に隠している。

「……うん、健くん、本当にありがとう……。ところであなたたちが持っているそれは何なのかしら?」

 お母さんは振り返って二人を見た。健くんや弥生ちゃんが得体《えたい》の知れない茣蓙の筒をかかえているのを見て、ちょっとだけ驚く。両端が隠されているので、お母さんには、胴体を覆っている部分だけしか見えていない。茣蓙越しにそれをわたしと判断するのは無理らしい。

「花火です。僕たち、これを運んでこいって上級生から言われているんです」

 健くんがついた嘘《うそ》に納得したのか、それともあまり興味がないのか、お母さんはそれ以上なにも訊かなかった。

「それじゃあ、さようならおばさん。負けないでね。

 弥生、行くぞ」

 そして二人は石垣のほうへと歩きかけた。茣蓙からはみ出ているわたしの頭の頂点と爪先を隠しながら慎重に。弥生ちゃんは体を恐ろしく強張らせている。

 しかし緊張に負けたのか、弥生ちゃんは担いでいたわたしを落っことしてしまった。

 足のほうだけが地面に落ちて、茣蓙の中からさらにわたしが出てくる。爪先から足首までが露《あらわ》になり、夜の外気がわたしの足元から這い上る。

 弥生ちゃんはそれを見て小さな悲鳴をあげ、健くんも同時に振り向いた。

「弥生、早く隠せ」

 まだ見られたと決まったわけじゃない。そう健くんが言うより早く、弥生ちゃんはわたしを隠していた。その顔は半分泣いていた。

 健くんはわたしのお母さんのほうを窺う。同時にお母さんが二人に声をかけた。

「……ねえ、健くん」

 見られた!? わたしのお母さんが紡ぎ出す言葉を、二人は体を固くして聞いていた。まるで死刑の宣告を受ける罪人の顔で。

「……あのね、健くん。五月はあなたのことが好きだったのよ。知ってた?」

 弥生ちゃんの顔が急に明るくなる。気づかれていないのだ。見られていなかったのだ。

「……ええ、知ってましたよ」

 表情を幾分《いくぶん》やわらげて、健くんはわたしのお母さんに答えて返す。

 それを聞いたお母さんは、またちょっとだけ泣いて二人に別れを告げた。

 健くんと弥生ちゃんはさらに慎重にわたしを隠しながら石垣へと向かった。

 後は石垣にわたしを持ち上げて穴に投げ込んでしまえば、健くんはこのゲームに勝つことができるのだ。終りは目前だった。

 花火大会はそろそろクライマックスなのだろうか、打ち上げられる花火に豪華なものが多くなってきた。子供たちは買ってきた花火を出し惜しみして、豪華なものを最後のほうまでとっておく癖《くせ》があるのだ。

 噴水のような花火が筒の口から光の粒をはき出している。それは金色に銀色に輝き、お宮を、石垣や木のやしろを幻想的に照らしだす。その光景はまるで夢のように人々の瞳に焼きつき、長い人生の思い出となっていつまでも残るのだろう。時が流れるにつれて輝きを増し、そして色鮮やかにいつまでも……。

 健くんと弥生ちゃんはやっと石垣の側までやって来た。わたしのお母さんに呼びとめられなければもっと早く着くはずだった。

 すぐ側で見上げる石垣は、天の星に届くかのように高くそそり立ち、たしかにわたしを担いで上ろうとするのは無理のようだ。

 ここは見物人から見えにくく、闇に覆われているとはいえ、誰かが通りかかって二人を見とがめないともかぎらない。

「おにいちゃん、これからどうするの?」

 二人はわたしを地面に下ろした。そして弥生ちゃんが不安そうに震える声で訊く。

「いいかい、弥生。五月ちゃんをこの上に持ち上げるんだ。今から手順を話すからよく聞くんだぞ」

 弥生ちゃんは頷く。それを確認してから、健くんは作戦を簡単に話した。

 背中のリュックから、昼間のうちに繋ぎ合わせておいた紐が取り出される。何本もの紐が固く結ばれて、一本の長い紐になっていた。健くんはそれを、茣蓙を縛っている紐に引っかけ、二つ折りになった紐の端を持ったまま石垣を上るつもりなのだ。そして上に辿《たど》り着《つ》いてから、まだ地面と別れを告げていないわたしを引っ張り上げる。それだけの長さを紐はもっていた。

 だからあんなにたくさんの紐を結ばせられたのか。弥生ちゃんは少しだけ納得したようだった。

「いいな、これから僕は上に上るけど、弥生は下で誰か来ないか見張ってるんだぞ」

 そう言って健くんは石垣の隙間に足を引っかけた。背中にリュックサックをしょって、手には紐を掴んだまま器用に上っていく。村の男子なら誰もができることだった。なぜならその上が男の子たちみんなの秘密基地なのだから。

 頭より少し大きい程度の大きさの石が、お宮の倉庫の屋根と同じ高さまで積み上げられている。古く、ところどころ苔《こけ》がはえているその石の壁を上る健くん。それを見上げる弥生ちゃん。上にばかり気をとられていたので、すぐ近くに生えている木の根につまずいて転びそうになる。そして健くんに言われたことを思い出し、人が来ないか見張る。

 石垣の裏側までは花火の明りがやってこず、幽霊が出そうなほど陰気に湿っていた。

 やがて健くんは石垣の上に辿り着く。夜のそこは荒涼《こうりょう》としていて、石の冷たさが健くんに伝わる。そこからお宮が一望でき、見える花火はひたすらに美しかった。

 健くんは手に持っている紐を引っ張って、わたしがちゃんとぶらさがるようになっているのを確認した。そして背中のリュックを下ろして、中から二つの道具を取り出した。

 ゲートボールにつかうコの字形の鉄のゲートと、倉庫の扉につかう新品の滑車だった。滑車の上部には、扉に取りつけて固定するために穴がある。そこにゲートの足が片方差し込まれた。そして、もう一方の足を石垣の上にはりだした太い木の枝に引っかける。ゲートも滑車も、今朝、カミナリじいさんたちにさよならを言うとみせて、倉庫から持ち出しておいたものだった。

 そして滑車にあの長い紐を通した。後は健くんがその紐にぶらさがり、そのまま下に飛び下りれば、健くんが落ちてくるのと入れ違いに、健くんの体重に引っ張られたわたしが上に上っていくはずだ。

 石垣から飛び下り、わたしを上で回収して穴に落っことす。後はそれだけだった。

 下にいる弥生ちゃんは、わたしのお母さんのほうばかりに気をとられていた。わたしのお母さんが近づいてくることを、そして全ての罪がばれてしまうことを恐れていたのだ。

 健くんが上で作業をし終えて飛び下りようとした時、その声は弥生ちゃんの後ろからかかった。

「おや、橘さんとこの子供さんじゃないかね。こんな所で何をしているのかな?」

 びくんと弥生ちゃんは後ろを振り返った。健くんにもその声は届いている。

 そこに立っていたのは、カミナリじいさんと小林のおじいさんだった。不思議そうに健くんを見上げている。もし下のほうに目が向いていたら、茣蓙にくるまれたわたしが目に入っていただろう。

「……こんばんは」

 石垣の上からあいさつする。健くんは紐を手に持ち、今にも飛び下りようとしている。それはなんとも滑稽《こっけい》な姿だった。

 しかしお年寄りたちはそのまま歩みを止めない。ここで知り合いに会うのはそんなに珍しいことではなかったし、特になんの会話もないらしい。弥生ちゃんは心の奥で何事もおこらないことを祈り続ける。

「健くん、石垣に上るのはいいが気をつけなさいよ。たしか今年に入ってから誰か怪我《けが》をした子供がいるそうじゃないか」

 そんなことを言いながら、二人は弥生ちゃんの横を通り過ぎようとしていた。どうやら、この石垣の裏を通って人垣のほうに出ようとしているらしい。

 弥生ちゃんは心の中で歓声をあげた。その時。

「うわっ……とと。なんじゃあ?」

 小林のおじいさんがわたしにつまずいてふらつく。弥生ちゃんの体は凍《こお》りつき、声にならない悲鳴が漏れる。

 健くんも上からそれを眺めていた。

「なんじゃあ、いったい。こんな所に……」

 そう言いながらおじいさんは自分を転ばせようとしたわたしを睨《にら》む。石垣の裏側に届く光は少ない。その地面に転がるわたしは半分影に沈み込み、おじいさんにはどうやらよく見えないらしい。しかし見つかるのは時間の問題だった。

 弥生ちゃんは逃げ出したかった。しかし健くんと離れてどこに逃げればよいのか、健くん以外のどこに逃げればよいのかわからない。

 小林のおじいさんは手探りでわたしを確認しようとした。

「……ん? 茣蓙か……?」

 もう少し目をこらせば茣蓙の両端から覗くわたしの体の一部が見えていただろう。

 弥生ちゃんは震えが止まらず、泣き崩れそうになっている。

 その時、健くんが上から声をかけた。

「ほら、おじいさん急がないと。みんなの作った花火の滝に火がつきそうですよ!」

「え!? 田中さん、早く行きましょう。子供たちの苦心の仕掛けですよ」

 健くんの言葉に、わたしに手を伸ばしていた小林のおじいさんが素早く反応し、手を引っ込めてカミナリじいさんと一緒に花火のほうを窺った。

 その瞬間を健くんは見逃さない。

 二人の視線が逸《そ》れた瞬間、健くんは石垣の上から飛び下りた。その手にあの繋ぎ合わせた紐を持って、健くんが落ちてくる。その体重に引っ張られて、わたしはたいした音もたてずに引っ張り上げられた。紐は貧弱そうでいつ切れるとも知れない。木の枝へ不安定に引っかけただけのゲートは、子供二人分の体重をかけられ、今にも外れて落ちそうだった。

 そんな状態の中でわたしは引っ張り上げられる。紐の結び目が滑車にかかるたびにがくんと揺れ、その振動で枝は夏の木の葉をはらりと落とした。

「じゃあ、わしらは花火を見に行くからな。健くんは怪我せんようにな」

 そう言いながらお年寄りたちが再びこちらを向いた時、すでに健くんは下に下り立っていた。その手には紐が握られたまま。今度はわたしが落ちてこないように下から引っ張っているのだった。

「健くんはいつの間に下りてきたんじゃ? おや、ここいらにあった茣蓙の塊《かたまり》がないのう。誰かが引っかかって転んだら大変じゃからどけとこうと思っとったのに……」

 おじいさんは首を捻《ひね》った。弥生ちゃんは息もできない思いでそれらのやりとりを聞いている。

「あとでよく探して、僕が片づけときますよおじいさん」

 健くんのそんな言葉がわたしには悪い冗談に聞こえる。たしか緑さんに見つかりそうになった時もそんな冗談を言ったことを思い出し、わたしの死体は笑い出しそうになった。まるで作り笑いに見えない顔で健くんが言った。その顔におじいさんも騙されたようだ。

「うむ、よろしくたのんだぞ」

 そう言って向こうに行こうとした時だった。

 茣蓙の上からわたしを縛っている紐が軋《きし》みをあげた。九歳のわたしの体重は軽いはずなのに、それでも紐は悲鳴をあげているのだ。

 そして、かつて電気につけ足されていた紐が静かに切れた。

 わたしは宙を舞い、どすんと音をたてて落ちる。茣蓙がはらりと半分開く。

「なんじゃあ……?」

 おじいさんは不思議そうな顔をして見上げて言った。

 わたしは石垣の上に落ちたのだった。もう少しずれていれば数メートル下の地面に落ちて、わたしの死体が見られることになっていただろう。

「……なんでもありませんって。それより早く行かないと花火の滝を見逃してしまいますよ」

 握っていた紐からわたしの体重が消えたことで、健くんは起こった出来事を知った。それでも顔色を変えていない。弥生ちゃんは神様に感謝し胸を撫《な》で下ろした。

「そうじゃな。田中さん、行きましょうや」

 そして石垣の表に向かった。

 お年寄り二人が遠ざかるのを確認して、弥生ちゃんが安堵《あんど》の息を漏らす。まさに間一髪だった。

「危なかったね、おにいちゃん!」

「ああ、そうだな」

 難が去っていつもの朗《ほが》らかな表情になった弥生ちゃんを見て、健くんも嬉しそうに言葉を返す。

 もう終りだ。石垣の上には誰もいないはずだ。弥生ちゃんはそう考えると自然に顔に笑みが広がった。びくびくして過ごした日々にさようならを告げることができるのだ。わたしとの輝かしい思い出だけを残して、わたしと別れることができるのだと弥生ちゃんは心を躍《おど》らせる。

「さあ、上に上ろう。後は五月ちゃんを穴に投げ込むだけだ。弥生も来るかい、五月ちゃんに別れを言いに?」

 健くんの明るい言葉に、弥生ちゃんは元気よく首を縦に振った。

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