ベル・ボーイに室町というその秘書の名を告げると、すぐに案内してくれた。痩《や》せて鋭い目をした四十男であった。
「君ですか……」
テーブルのそばに立って、坐《すわ》っている室町に挨拶《あいさつ》をすると、室町はソファーに坐ったまま私をじろりと見て怪訝《けげん》そうに言った。
「はい」
私は名刺を渡した。制作部課長、というのがその時の私の肩書きだが、磯島忠義の秘書が相手ともなれば、そんな肩書きなどいっそないほうがましなくらいであった。
「で、聖母教団とはどういうご関係……」
まるで入社試験のような感じだった。
「はあ……」
私はどう言ったものかと一瞬考えたが、すぐに谷口の名を告げた。
「導師の谷口怜悧男とは古くからの友人でして」
すると室町の態度が急にあらたまった。
「ま、どうぞおかけください」
前のソファーを示して言い、逆に自分が腰を浮かせた。名刺を出して私に渡す。
「大臣は今、きのう来日したEECの代表と会議中ですので」
私は谷口の名のききめに驚きながら、自分は自分なりにやるしかないと決心していた。
「僕などがあまり偉い方にお目にかかっても仕方がありません。僕が今所属しているのは、できたばかりの小さな広告代理店です。要するに僕は谷口に、その会社へ仕事を世話してもらえまいかと頼んだだけでしてね」
率直に言うと、室町はニヤリとして見せた。どうやら私の言い方が気に入ったらしかった。
「安心していいですよ。大臣は世話好きですから」
私はよろこびを隠さなかった。
「あの谷口が通産大臣なんかを紹介してくれるなんて思ってもいませんでした」
「わたしもこういうことは嫌いじゃないほうです」
室町はそう言うと、体を前に乗り出して来た。
「その、あなたの会社を大きくしようじゃありませんか。どんどんスポンサーを送り込みますよ。すでに一流になっているところからこういうことを依頼されるのは、またかという具合であまり気が乗らないんですが、あなたのような若い人が、元気いっぱいやっておられるのは、見ていても気分がいいですしね。こちらもお世話するのに張り合いがあるんですよ」
室町は私や私の会社について、まだ何も知らないくせに、いやになれなれしく言った。
「よろしくお願いします」
私は室町や磯島忠義が、谷口の顔を立てることで何か相当大きな利益を受けるのだな、と思いながら頭をさげた。
「わたしたちが力をおかしするからには、独立なさってもいいんですよ」
室町はそんなことを言い出した。
「は……」
私は考えてもいなかったことを言われたので、思わず室町をみつめた。
「欲を出しなさいと言っているんですよ」
室町は物判《ものわか》りのよさそうな笑顔を私に向けている。
「これからあなたのところへ入る広告の仕事は、恐らくちょっとしたものになるでしょう。あなたが社長になってもいいんですよ」
「僕が会社を……」
私は目を丸くした。
「そうです。何なら会社を作るお手伝いをしてもいいんですよ」
「困ったな」
私は頭を掻《か》いて見せた。
「そんなこと、考えても見ませんでしたから」
室町は声をあげて笑った。
「欲のないかただ」
笑いながら室町はロビーの向こうに目をやり、
「あ、大臣が戻って参りました」
と立ちあがった。私は室町のあとについて、磯島忠義の来る方向へ行った。
「先生、例の聖母教団から依頼のありました……」
室町がそう言うと、磯島は足をとめてちらりと私を見た。
「いやあ、これはこれは」
どこかうわの空のような調子で私に声をかけた。
「谷口さんによろしくお伝えください」
磯島のような立場の男には、何を頼まれたかというようなこまかなことはないらしく、それだけ言うと、
「じゃ、あとはよろしく」
と室町に言い残し、私に目礼して見せてロビーの外へ向かった。秘書らしい男が二人、その両側に従っていた。
「このあとの連絡は私の名でします。では頑張ってください」
あとはよろしく、と言われたくせに、室町は早口でそう言うと私をロビーに残し、急いで磯島たちのあとを追っていってしまった。
私はぼんやりとそれを見送った。
とにかく、谷口は強力なコネクションを私に与えてくれたのだ。私は重すぎる宝物を受取ったような感じで、ロビーのあいたソファーのひとつに坐《すわ》り込んでしまった。
自分で広告代理店を……。室町に言われたその言葉が気になって仕方なかったが、やがて朧気《おぼろげ》ながら室町の真意が掴《つか》めたような気がした。
ひょっとすると室町は、今の件で自分もおこぼれにあずかろうと考えたのではないだろうか。会社を作る手伝いをしてもよいと言ったのは、私に出資をする用意があるということではあるまいか。つまり、室町がそんな計算をめぐらせるに足るほどの仕事が、私を通じて今の会社に流れ込むということである。
これは大変なことになるぞ。私はそう思ったが、独立する気などまったくなかった。自分に人の上に立つ力などないのは判《わか》り切っていたし、第一そんなことは仲間を裏切るようで嫌《いや》だった。
それよりも、もし仕事が大量に流れ込んで来たら、あの室町という男に相応の礼をしなければなるまいと思った。私に独立しろとそそのかすくらいなのだから、この件に関して何か利権のようなことを考えているに違いなかった。
私は立ちあがるとロビーの隅にある公衆電話で、聖母教団を呼び出し、谷口はいるかと尋ねた。交換手は私の名を訊《き》き、すぐに谷口へつないでくれた。
「有難《ありがと》う。通産大臣に紹介してもらえたよ」
そう言うと谷口は、
「ほう、それはよかったな。いまこっちに光子さんが来ているんだ」
とうれしそうに言った。
7
光子は足繁《あししげ》く聖母教団に出入りするようになったが、そのことについて私に異議はまったくなかった。磯島忠義に会った日から、会社は次から次へ新しい広告主《クライアント》を獲得し続けていて、谷口はそれを生み出す金の卵に等しかった。
本来なら、私の社は事あるごとに谷口を接待し、大いにご機嫌をとり結ぶところなのだが、谷口という男が私からそんな饗応《きようおう》を受けるはずもなく、こちらから訪ねて行かぬ限り、しんと静まり返った聖母教団の建物から出て来ようとはしなかった。
だから、私や会社にとって、光子だけが谷口との間をつなぐパイプ役であった。
あり余るほどの仕事に追われて、翔《と》ぶように日が過ぎて行った。東京オリンピックがはじまる頃になると、私の会社は最初四階だけを借りていた小さなビルを、一階と七階だけ残して全部借り切ってしまい、そのほか近くに四つの分室を持たねば仕事の処理がしかねるほどになっていた。
朝令暮改という言葉があるが、会社の人事についてはまさにそれで、営業部員からカメラマンに至るまで、のべつ社員が増え続け、そのたびに新しい課が生まれたり、所属の異動が行なわれたりした。
派手好きな社長は社内の組織に局の名称を持ち込んで、制作局長などというポストができたりした。麹町《こうじまち》の分室からの同志は、それぞれ重要な役職につき、自社株を均等に持ち合って、前途洋々という顔つきであった。
例の紡績会社の糸田さんが部長に昇進したのはそんな頃であった。
「世の中というのはおかしなものだな」
私を日本橋の立派な料亭に招いてくれて、同席した広報課長にそんなことを言ってしきりに感心した。
「行きつけの店のバーテンが宣伝屋に化けやがって、その上俺を部長にしてくれた」
たしかに縁というのはふしぎなもので、糸田さんに、いらっしゃいませ、と声をかけていた頃の私も、いずれ自分が広告《アド》マンになろうとは思ってもいなかったのである。
「僕が糸田さんを部長にしたわけじゃありませんよ」
「いや、お前のせいだ」
糸田さんは私が悪いことをしたような顔で言った。
「お前が室町氏に紹介してくれたおかげだ。それは間違いない」
磯島忠義の秘書の室町は、知れば知るほど凄《すご》い遣《や》り手であった。何人もいる磯島の秘書の中でも別格扱いで、政治資金の操作なども磯島抜きでやってしまうらしかった。私はせめてもの恩返しにと思って、その室町と糸田さんを引き合わせたのである。その直後、糸田さんはあわただしく中近東やアフリカ方面へ飛び、大量の綿布を輸出する契約をして戻ったのだった。私が所属する制作局にテキスタイル部門ができたのは、糸田さんの仕事に協力するためであった。私の社から何人かのデザイナーがその地域へ送り込まれ、現地好みのプリント・パターンが開発された。その効果があがって、売れ行きは上々《じようじよう》らしく、糸田さんは斜陽化した紡績会社の救世主のようなことになっている。
「みんな谷口怜悧男のおかげなんです」
私はしみじみと言った。
「僕の社が大きくなったのも、糸田さんのお役に立てたのも、あいつのおかげなんですよ」
糸田さんと課長は大きく頷《うなず》いた。
「いい友達を持ったものだな」
「ええ」
私は糸田さんの言葉を否定はしなかった。しかし、その頃すでに、私の心には不安の芽ばえがあったようである。
谷口に対する依存度が大きすぎる。それが私の不安であった。自分の社が、それこそ日ましに大きく育って行くのを見ると、ときどき空恐ろしくなるのだった。
仮りに突然谷口という背景が失われたとしたらどうなるだろうか。かつて分室に肩を寄せ合っていた十人足らずの仲間は、その給料を稼ぎ出すのがやっとという状態だったのである。それが今では、一人あたり十人以上の社員を部下に使っているのだ。谷口がいなくなっても、広告主《クライアント》たちは私の社に仕事を出し続けるだろうか。私の社に奪われた仕事を奪回《だつかい》しようと躍起《やつき》になっている他社の攻撃から、広告主を守り通せるだろうか。そんな目で見ると、私にはとても前途洋々などという楽天的な顔はできず、隆盛の一途《いつと》を辿《たど》っているかに見える会社も、砂上の楼閣《ろうかく》に思えて仕方がなかった。
もっと地に足のついた仕事はできないかと、私は折りあるごとに社長に言った。
「勝てる時には勝っておくものだ。今は俺たちにツキがまわっているんだぞ。かさにかかって勝ちまくらなければ、ツキなんていつ消えてしまうか判《わか》ったものじゃない」
しかし社長はそんな風に反論し、しまいには私の麻雀《マージヤン》の打ちかたまでけなす始末だった。
「お前のは二位麻雀というんだ。浮きもせず、へこみもせずさ。商売は麻雀と同じだ。いや人間だってそうだ。折角《せつかく》ツイて来たところで、妙な慎重論を言わないでくれ」
結局、私はまた室町のもとへ走り、次のスポンサーを引っぱって来ることになるだけだった。
世間もその時期、奇妙に景気がよくなっていた。オリンピックの年の実質経済成長率は13・9パーセント……私の社の成長率はそんな生易《なまやさ》しいものではなかっただろう。
光子は聖母教団の職員になると言いはじめていた。もう完全な信者の一人で、何がなんでも教団に奉仕するのだと言ってきかなかった。
私にはそれに反対する気などなかった。
「谷口さんの秘書にしていただけるんですって」
年もあらたまった或《あ》る日、光子は帰宅した私に向かって、おどりあがらんばかりに報告した。
谷口さん、という呼び方に微妙な変化を感じたのはそのときであった。以前から谷口さんと、さんづけにしてはいたが、いつの間にか、さま、と言いたげな風情《ふぜい》で、さんの語尾が丸くなっていた。
「よかったな、イエスさまの家来になれて」
私はかすかな嫉妬《しつと》をまじえてそうからかった。
「そうよ。あたしはイエスさまの家来になるのよ」
意外に素直に光子は私の冗談を受けとめてしまった。
「何しろ聖母マリアの子供だからな、あいつは」
もうひと押し押して見ると、
「やっぱり知ってたのね、あなたも」
と、光子は夫を見るというより、同志を見る目で言った。
「あいつ、教団の中ではどう呼ばれているんだい。肩書きは導師ということらしいが……」
「御子《みこ》さまよ」
光子は邪気のない顔で淡々と言った。
「御子《みこ》さま……」
私は目を丸くして光子をみつめた。
「処女懐胎で生まれたからかい」
「ええそう」
光子は平然としていたが、私は頭に血をのぼらせていた。
「やはりそうか」
これは滝川先生に会わなくては、と思った。
8
谷口のことで滝川先生に会う必要を感じはしたが、私は何か億劫《おつくう》なものを感じてなかなか先生に連絡をとろうとはしなかった。
谷口に対する私の人生の依存度が、ますます高まって行くからであった。代々木の木造アパートを出て、マンションに移ったこともそのひとつである。港区の広尾にあるそのマンションは、私が赤坂の会社へ通うのにも、光子が高輪の聖母教団へ通うのにも、代々木よりずっと都合がよかった。
赤坂のオフィスでは、私の外出する回数がどんどん減って来ていた。制作局の次長という肩書きをもらっているくせに、ひところはまるで営業マンのような働き方をしていたが、谷口・室町ラインで私がらみに入って来る仕事があまりにも多いため、逆に席をあけにくくなってしまったのである。私は自分が導入した広告主《クライアント》との接触を、次々に他の者にゆだねて行った。
それでも会社は順調な発展を続けていた。分室からの仲間たちは、幹部として結束しており、時には赤坂へ移ってからの社員たちに、俺たちは外様《とざま》だから、というような嘆き方をさせないでもなかったが、とにかく呼吸の合った仕事ぶりであった。
時間がたつにつれて、私もそうした環境に慣れて行った。仲間はみな、思い思いの車を買い込んで得意げに乗りまわしていたが、遂に運転免許というものを取りそびれた私は、今さら教習所へ通う気もなく、社長が手配してくれたハイヤーで送り迎えされ、別にそのことでも照れ臭さなど感じないようになっていた。
SF雑誌の加藤編集長からは、半年に一度くらい、思い出したように連絡があった。
「そろそろ書かないかね」
加藤さんは会うとそう言った。
「二月号ですね」
その雑誌は、このところ毎年二月号に日本人作家の特集を組んでいて、その号には日本SFクラブのメンバーがずらりと顔を揃《そろ》えることになっていた。
加藤さんに会ってその号に書けと言われると、私は宿題を出された生徒のように、重い義務感を味わうのだった。しかし、義務感に駆られてではあっても、一度《ひとたび》夜中に原稿用紙をひろげれば、そこには昼間とはまったく異なる世界があって、私をたのしませてくれた。
原稿枚数の指定は、たいてい三十枚か五十枚のどちらかだった。会社の仕事の合い間にも、SFのアイデアはひょこりひょこりと浮かんで来るので、書く材料には不自由はなかったが、選んだ題材をどう書き進めるかではいつも苦心した。
登場する人物の誰に視点を据えるかとか、主な事件の発生を全体のどのあたりに設定するかとかいうことが、私の場合にはいつも大きな問題になるようだった。それは、最初からSFをごく平凡な日常生活の場で語って行こうとする、私の癖のようなことに関係しているようだった。日常性を強調したがるから、出だしの部分が長くなっていっこうにSFらしいものが現われず、自分で魔の十四枚目と名付けたように、十四枚あたりまで書き進むときまって迷いはじめ、また最初から書き直すことが多かった。
また視点をいくつかに分散させると、たいてい失敗し、手がつけられなくなると最後には一人称で書くやり方になった。どういうわけか一人称だとたいていうまくまとまるのである。
原稿を書きあげると、一時間でも早く編集部に届けてしまうのも私の癖だった。手もとに置いていったん冷やし、あらためて読み返してチェックすればいいのは判《わか》っていたが、そんなことをすれば自己|嫌悪《けんお》に陥るし、最初から全く新しく書き直すか、全然別の作品を書いて提出したくなるのが判《わか》り切っていたので、すぐに手ばなしたがったのである。
コンテストの入選を知ったあの日以来、原稿を届けたあと、乗物に乗らずぶらぶらと疲れるまで歩きまわるのも習慣のようになっていて、たいてい神田から銀座まで歩いた。
そんなとき、私は広告《アド》マンではなかった。私は文学青年の一人で、あれほど熱中していた会社の仕事を、ひどく虚《むな》しいものに感じたりした。夜、新宿を飲み歩くのは、きまってそういうときであった。昼間のビジネスマンと、夜のSF作家が私の内部で葛藤《かつとう》をしはじめ、私はよく一人きりで明け方近くまで新宿にいた。
そのような繰り返しの中で、一年また一年と過ぎて行った。私の手もとから、何人かのグラフィック・デザイナーやカメラマンが、アーティストとしてマスコミに登場して行った。彼らはみな、チャンスを掴《つか》むとあっという間に独立し、自分の地位を不動のものにしていた。
やっぱりサラリーマンは俺《おれ》の性《しよう》に合わない。そんな風に思いはじめた私は、本格的に作家を夢みるようになった。
が、実はそれも現実逃避の一種かも知れなかった。
社内に軋轢《あつれき》が生じはじめていたのだ。それはひょっとすると、男の世界での自然|淘汰《とうた》のようなものかも知れなかったが、とにかく分室以来の仲間が、何かというと衝突をくり返し、一種の権力抗争をはじめたのである。
室町はとうに社長とじかにパイプをつなげ、私なしでもうまくやって行ける状態だったが、業績があがるだけあがり、新会社としての攻撃的な時期を通りすぎて、備えを堅《かた》める時期にさしかかると、俄然《がぜん》社長の守備べたが目立ちはじめて来たのだ。
どうやら室町が社長をけしかけて、広告以外の分野に手をひろげさせようとしている。
そんな噂《うさわ》が耳に入り、やがてその新しい仕事というのが、不動産関係であることがはっきりして来た。
「造成したり分譲したりするんじゃない」
社長はその新しい事業計画に熱中しているようだった。
「うちは右から左へ土地をころがすだけだ」
明らかに、それは政治がらみの商売であった。社長もそれを公言してはばからず、かえって私たちの政治的な無知を嗤《わら》ったりした。
「金|儲《もう》けもしたいが、広告の仕事からも離れたくない」
そういう者もいたし、
「広告の仕事が好きだからやっているんだ。ほかの仕事をするくらいなら会社を移る」
とまで言う仲間もいた。
「社長は別に広告代理業をよそうと言ってるんじゃない」
私は社長と仲間のあいだに立ってそう言ったが、肝心の社長は室町を通じてのぞいた政治の舞台裏にすっかり魅せられているらしく、広告の仕事を児戯《じぎ》に等しいもののように言いはじめていて、それが仲間の感情を逆なでするのだった。
もともと、室町を社長に引き合わせたのは私だし、それは結局谷口や聖母教団につながっているから、私はどうしても社長側に立つことになった。制作の仕事は営業部と対立しながらやって行くようなところがあり、広告主《クライアント》とのつながりの根本的なところはほとんど私と谷口の関係でおさえられていたから、社長に対する反感が生じると、ほとんど自動的にそれは私にも及んだ。
社内で、それぞれ一国一城の主になっている仲間が、みるみる友情を冷えさせて行った。めいめいの部下に対する処遇問題や、交際費、調査費の配分などがいちいちそれにからみ、毎日毎日が針の筵《むしろ》にいるような具合になってしまった。
9
「君は俺《おれ》を避けていたね」
前の院長だった父親を亡くし、そのあとを継いですっかり院長らしい貫禄をつけはじめた滝川先生が言った。
「たしかにそうかも知れません」
私は素直に認めた。日本中が万国博に浮かれていて、新宿にも到《いた》るところにエクスポのシンボル・マークがあった。
避けていた、と指摘はしたが、先生は別に私をとがめる様子もなく、寛大な微笑を泛《うか》べていた。
「無理もないさ。俺が君の立場でもそうしただろう。君の会社は谷口怜悧男に大変な恩恵を蒙《こうむ》っているそうだからな」
先生はどこからかそういうことも聞き込んでいるようだった。
「ええ」
「俺に会えば、話は当然谷口の異常な体質のことになる。君はそれが怕《こわ》かったのだ」
私は答えず自分の盃に銚子を傾けた。近ごろ出来た天ぷら屋の小さな座敷の中だった。
「今ではすべて判《わか》っている。俺は谷口の件を調べ続けていたのだよ」
先生は淡々と言った。
「日本聖母教団の創始者は、長野県出身の小学校の先生で、名前を杉代俊明《すぎしろとしあき》と言う」
「杉代……」
私は盃をとりあげようとした手をとめた。
「谷口と親しい君だから、名前に聞き憶えがあってもふしぎはない」
「杉代……」
思い出せなかったが、たしかに聞いたことのある姓だった。
「教団創始者のその男の娘が、谷口怜悧男の母親さ」
先生のその言葉も、私の記憶を呼び戻すヒントにはならなかった。
「杉代俊明がなぜ聖母教団などというのを作ろうとこころざしたかは、あまりはっきりしない。しかし、彼が自分の娘に聖母の貌《かお》を見たということは、教団の正式な文書にはっきりと残されている。つまり、杉代は自分が教祖になるかわりに、自分の娘を神にまつりあげたわけだ」
「やはり谷口のお母さんが聖母……」
「そうだ。清純で、本当に神々《こうごう》しいほどの娘さんだったらしい。だから、予言とか奇蹟《きせき》とかいう新興宗教にありがちな、インチキ臭いことに走らなくても、ご本尊とも言えるその娘さんの存在だけで、どんどん信者が増えて行った。戦前、戦中を通じて活躍した長野県出身の政治家、実業家、それに軍人などが信者になったり支援したりしたおかげで、聖母教団は実力をつけ、正統派宗教団体の仲間入りをし、戦後はアメリカ軍の内部に入り込んで、政界や財界に大きな影響力を持つほどになったのさ」
「でも、谷口母子は……」
「そう。日本中をさまよい歩き、かつて聖母として崇《あが》められた娘さんは、とうとう東京で空襲にあい、死んでしまった」
「なぜです。なぜ谷口のお母さんは聖母教団から逃げ出したのです」
「逃げ出したというより、父親に放り出されたのだな」
「どうして……」
「谷口が生まれたからさ」
先生は皮肉な笑いを泛べた。
「自分の娘を聖母に仕立てあげた杉代俊明こそ、教団の中で最もそれを信じない人間だった。それは当然だろう。ただの娘であることを一番よく知っているのだからな。ところが、その聖母が妊娠のきざしを見せた。やっと教団の基礎がかたまりかけた折りも折りだ。杉代がどんなに激怒したか、目に見えるようだ。だんだんに娘の腹はせり出して来るし、堕胎は罪になる時代だし、恐らく信頼のおける医者もいなかったのだろう。杉代は親類の娘と、自分自身の母親に妊娠した聖母の面倒を見させ、ひた隠しに隠して教団の仕事を続けて行った。そして谷口が生まれた」
「思い出した」
私は叫んだ。
「杉代恵子。埼玉の農家の出で、孤児になった谷口を養うため上野で売春婦になり、絞殺されてしまった人ですよ」
「多分、それが親類の娘という人物だろう」
先生は憐《あわ》れむような目で言った。
「杉代は聖母の生んだ子を、どこかへやってしまうつもりでいたのだろう。だが、これも当然なことで、聖母は聖母としてでなく、ただの母親としてわが子と暮らしたかった。そして、これも推測だが、祖母に当たる人や君が今言った杉代恵子の手引きで、教団から脱出してしまったんだ」
「で、谷口を生ませた男は……」
「いや」
先生はおごそかな顔で首を横に振った。
「いくら杉代が手を尽しても発見できなかった。杉代は奇蹟《きせき》を信じない男だったのだな」
「と言うと……」
「処女懐胎さ。そう考えればすべてがはっきりする。昭和八年のはじめ頃、この日本で二千年ぶりかも知れない処女懐胎が発生したんだ」
「そんな……だって、もし処女懐胎があったとしても、それなら女しか生まれないはずじゃないですか。性染色体は女性がXX、男性がXYでしょう。Yのない女性だけで妊娠したとしたら、男が生まれるわけがありませんよ」
先生はまた首を横に振った。
「あの教団がその方面の研究費を出しはじめたおかげで、処女懐胎について少しは判《わか》りかけて来ている。受精をともなわない発生は、とかく単性発生と思われがちだが、そうでもないらしい。通常の性交によらなくても、女性が妊娠することはよく起っている。一番簡単に言えば、精液を女性の性器に押しこんでやれば、性交なしでも受精するわけじゃないか。仮りに、家の中のどこかに精液があって、女性が知らずにそれに触れ、更に自分の性器に触れたとすれば、やはり妊娠する可能性は大きい」
「すると、谷口のお母さんはそういう経路で……」
「いや、ちょっと考えられない。何しろ教団の生き神さまに仕立てられていたんだ。家の中で男性を近づけるような仕組みにはなっていなかっただろう」
「じゃ、どうして受胎したんです。精子が風に乗って飛んで来たとでも言うんですか」
「それさ」
先生はニヤリとした。
「そういう可能性もあり得るというわけだ。これは冗談で言ってるんじゃない。教団の研究費のおかげで、一流の学者の中にもそういう可能性を本気で論じる者が出はじめているんだよ。ただし、これは確率として、非常に小さな数値になるのは当然だがね。つまり、どこかで男性の性器から精液が放出される。それが水分を失っても、まだ生き続けている精虫が、通りがかった者の衣服に附着するとか、または本当に風に飛ばされるとかして、処女の皮膚に付き、呼吸器とか汗腺《かんせん》とか、そういうところから体内に入ってしまう。勿論《もちろん》そこでも精虫を殺すはたらきを持った相手に出くわすことになるが、逃げ切って所定の部分へ侵入してしまう可能性もゼロとは言えない。そこには卵子が待っており両者が結合して受精した状態となる」
私は溜息《ためいき》をついた。
「SF以上だ。確率として低すぎますよ」
「そう。だから二千年に一回くらいしか起らないのだろう」
先生は真剣な顔で言った。
「むちゃくちゃな議論だと思うかも知れないが、実はここから先に問題が残っている。というのは、そういう困難な状況下で生きのびる精虫というのは、驚異的な生命力を持ったものということになるじゃないか。もしも、そんな風にして生まれた子供がいたとしたら……」
「あ……」
私は呆然《ぼうぜん》とした。狙撃された谷口の体を手術した滝川先生は、最初から彼の体の異常な回復力に疑問を抱いていたではないか。
「いいかね」
先生は念を押すように言った。
「教団から研究を依頼された学者たちは、教団側がキリスト復活の件を、単なる伝説ではなく、実際にあったこととして科学的に立証させようとしているのだと思い込んでいるんだよ。そして俺は実際に谷口のケースに立ち合っている。キリストはゴルゴダの丘で処刑されたが、死んではいなかった。常人をはるかに超えた回復力で立ち直り、どこかへ行ってしまった。……そう考えてもいい理由は、彼が聖母マリアによる処女懐胎の子であったという点にある。つまり、キリストにおける処女懐胎の奇蹟《きせき》は、実は同じひとつの事柄のはじめとおわりにすぎなかったというわけだ。しかもあの谷口を見ると、いかにも宗教家にふさわしい、澄んだ瞳《ひとみ》と邪気のない顔を持っているじゃないか。彼がルンペンたちの間で敬われていたわけが判《わか》るような気にはならないかね。そして、教団創始者であり同時に谷口の祖父でもある杉代俊明は、何よりも谷口のそうした成長ぶりを恐れたのではないだろうか。聖母を信じず、実の娘でもある彼女を迫害した事実が、谷口によって暴露されたら大変なことになるだろうからな。杉代は自分の目の黒い内にその禍根《かこん》をとり除こうとはかったのかも知れない。あの時、君らが働いていた店で起った事件の背後には、そんな事情が隠されていたに違いないと思うんだ。事件直後の警察の動きに少しおかしなところがあったというが、杉代ならそういう芸当も不可能ではない。谷口を射ったチンピラの背後には、きっと谷口の祖父がいたのだよ。しかし、教団の内部にはその事情を知って、逆に谷口を聖母の子として迎え入れようとする勢力も育っていた。谷口があの事件の前、すでに教団の一部と接触があったと言ったのは多分本当だろう。だが谷口という男の性格から考えて、祖父と好んで対立する気にはなれなかったのではないかな。だから一時あの店へ身を隠したつもりでいたのさ。しかし発見され、射たれた。天罰というものがあるかどうか俺には判《わか》らないが、杉代は事件の直後に死んだよ。七十七歳だったそうだ。そして杉代がいなくなったことで、谷口は教団に迎えられる決心をしたのだと思う。聖母|失踪《しつそう》の事情を知っている人々にとって、谷口はそれこそかけがえのない尊いお方だったのさ。教団から医学界に研究費が出るようになったのは、杉代の死んだすぐあとからだ。俺は谷口のあの事件と、杉代俊明の死んだ日付と、研究費が出されるようになった時期の三つをつなぎ合わせて考えてみて、これは単なる推測などではないと確信しているんだ」
先生の熱っぽい言葉を、私はうわの空で聞いていた。
光子はいま、私から去って生涯を谷口に仕えることにきめている。もし先生の言う通りなら、光子を奪われても仕方がないと思った。
10
滝川先生に久しぶりに会った第一の目的は、光子のことを聞いてもらいたかったからである。しかし、谷口がキリストの再来であるなら、私にも納得のしようがあった。
実を言うと嫉妬《しつと》していたのである。
「一生をあのかたの為に捧《ささ》げようと決心したの」
いきなり光子にそう言い出された時、私はてっきり谷口に恋をしてしまったのだと思っていた。しかし、一方では谷口や光子を信じる気持も強く、そんなわけはない、と自分に言い聞かせもしたのだった。
光子は修道院に入るのだ。そんな風に考えると、これから先も私と一緒に騒がしくわずらわしい浮世《うきよ》を渡って行くより、そのほうが光子にとってずっとしあわせなことかも知れないと思うようになった。
しかし、やはり光子を失う淋《さび》しさはあった。
俺も……私はそう思った。修道院に入るわけには行かないが、冷たい競争の続くビジネスの世界から、ひと思いに脱出できたら、どんなにせいせいするだろうと思った。
やむなく光子を聖母教団に送り込んだ私は、一人きりになった広尾のマンションで、毎晩原稿用紙をひろげるようになった。
生まれてはじめての長編にとりかかったのである。少なくとも千枚の作品には仕あげるつもりでいた。それはあの夏の嵐の夜、夢中で百枚の短編を書きあげた時の気分に似ていた。
これが書ければ新しい人生がひらける。そう思い込み、新しい天地めざして駆けに駆けているようなものであった。
そんな私を激励するように、ときどきひょっこりと滝川先生が訪ねて来て、私の原稿を読んでは批評してくれた。
会社は四分五裂の状態に陥っていたが、私はもうそこに情熱を失っていて、どうやら原稿が千枚に近づくと、こっそり辞表を用意した。
そして千枚の作品を書きあげると、すぐその日のうちに会社へ行って辞表を提出してしまった。
「先生、書けましたよ」
最後に自分のデスクからかけた電話がそれだった。
「おう、おめでとう」
先生はコンテストの時と同じように、手ばなしでよろこんでくれた。
「乾杯しよう。五時になったら病院へ来てくれ」
何もかも、最初のときと同じだった。私はあの時を思い出して、赤坂から皇居前広場まで歩いて行った。
そしてその夜、先生と四番地へ行った。ママは引退し、私を知っている人間はほとんどいなかったが、ピアノは昔のままで、そこに谷口の体を貫通した弾丸の痕《あと》が残っていた。
「とうとう君は作家としてこの店へ来てしまったんだな」
滝川先生はしみじみとそう言った。中間に東京オリンピックをはさんで、安保から万博まで、私の人生はあの谷口に引きずりまわされていたようであった。
「書くぞ。書きまくってやる。書きまくって谷口を振り切るんだ」
私は酔ってそんなことを喚《わめ》いたようだ。
幸運にも、その作品は人々の目にとまり、〈四番地〉時代のお客さんである出版社の人が、それと知らずに私に書きおろしを依頼に来たりした。
それからの時間の早さは、広告《アド》マン時代の比ではなかった。毎月の雑誌の締切りに追われて、曜日もろくに判《わか》らない日が続いた。
が、総理大臣になった磯島忠義の身辺に、突然スキャンダルが巻き起り、あっという間に磯島は退陣する羽目《はめ》になった。マスコミはいっせいに磯島の周辺を洗いたて、その中に聖母教団の名がしきりに登場した。
「谷口は教団から追放されるそうだぞ」
滝川先生がそんな情報をくれたりしたが、私にはどうしようもなかった。光子のことだから、とことんまで谷口について行くに違いないという確信があるだけだった。
私のいた会社は、あっさり倒産してしまった。社長は磯島から離れた室町と共同で、業界誌のようなものをはじめたということだったが、それも締切りに追われる私には遠い世界になってしまっていた。