「いや、スチュワードと言うんだ」
「男だから……」
光子は私の胸をはだけさせていた。
「そうだよ。その上はパーサーだ」
「パーサーって、お船の人でしょう。飛行機にもいるの……」
「いるらしいな」
「すてきね。世界中を飛びまわるのね」
「もうすぐジェット旅客機になるそうだ」
「凄《すご》いの」
「いいのか、そんなことして」
「もう大丈夫よ。それにほら」
光子はもぞもぞと体を動かして何かを私に手渡した。四角い手触りでコンドームの袋だと判《わか》った。
「そっちの体のことだよ」
「だから、もう平気よ」
光子は下のほうへもぐっていった。
「よせよ」
私は体をよじった。すると光子のくぐもった声が聞こえた。
「あの子のパパのお顔を見たいの。電気つけて」
とたんに私は萎《な》えた。光子はケタケタと笑いながら上に戻って来た。
「ばかね、びっくりしちゃったの……」
私は返事ができなかった。
「いやだ、憤《おこ》ったの」
光子は下腹部を押しつけ、指で私の顔を探って訊《き》いた。
「憤りはしないよ」
「じゃ、どうして小さくなっちゃったのよ」
光子はまたクスクスと笑った。
「女のほうが図太いのかなあ」
「そんなことないわよ。苦しかったわ、とても」
「やめろよもう……その話は」
私はきつい声で言った。二人はそのまま長い間じっと抱き合っていたが、いつの間にか光子は微妙な挑発をはじめ、私もそれに巻き込まれて行った。
その夜の光子は貪欲《どんよく》だった。まるで人が変ったように乱れ、乱れることで更に乱れた。だが私は慣れぬものを装着したせいか、いっこうに果てなかった。頭の芯《しん》が妙に冷えていて、光子の乱れようを遠くから見ているような具合だった。
光子は高い声をあげはじめた。私が果てないので、その声は随分長い間続いた。口に手を当てても、それを必死で外して声をあげた。
廊下にパタンパタンとわざとらしいスリッパの音が聞こえたかと思うと、となりの部屋に住んでいるバーテンの声が、
「み、つ、こ、ちゃん」
とからかい、アハハ……と笑いながら階段をおりて行くのが判《わか》った。
7
光子は故郷の松江へ発《た》ち、私は成子坂下のアパートから神田の店の準備に駆けまわることになった。
いそがしい時期であった。それまでにも開店の準備に駆けまわったことは何度もあったが、今度は和風の店で、板前さんも有名な老舗《しにせ》の板場から引退した人がやってくれることになっていた。
何しろ、しもた屋を料理店に改装してかかるのである。その点では、私が今まで一度もやったことのない全く新規の開店であった。
食器類を調《ととの》えるだけでもひと騒動だし、漆《うるし》塗りの膳《ぜん》やら盆などから座蒲団《ざぶとん》、そして暖簾《のれん》のことまで、次々に知らぬことにぶつかって四苦八苦した。勿論、先輩に当たる人々の助力はあったけれど、主になって動くのは私である。
そこへ持って来て阿佐ケ谷のイボンヌへも顔を出さねばならず、志村にまかせた四番地へも、新しいスタッフが完全に引継げるまで行かねばならなかった。
ママも痩《や》せたが、私は過労に陥っていたらしい。或《あ》る晩車に乗っていたら、対向車のライトが突然目に劇痛をもたらした。眼科医を叩《たた》き起して見てもらったら、軽い角膜炎だと言うことであった。医学的には軽くても、強い光源を見た時の痛みは甚《はなは》だしかった。
それでも仕事は勝手に進みはじめている。役所を廻って営業許可をとり、ママが近所に挨拶《あいさつ》をする手配をし、従業員の募集広告を出し……まったく息つくひまもなかった。
光子からは連絡がなかった。私は当然気になったが、それどころではないという気分も強かった。乗りかかった舟で、こうなれば何でもかでも店をスタートさせなければ男が立たないというように思い込んでいたのだ。
あと、二、三日で開店、というところまで来た時、その店にとりつけたばかりの電話が鳴って、出て見ると光子の声が聞こえた。
「あさってかしあさってくらいに帰るわ」
イボンヌに電話して新しい店の電話番号を知ったようだった。
私はほっとした。
「それじゃ、俺《おれ》は今日からここで寝泊りしはじめるぞ。不便でしようがないんだ」
そう言ったとき、光子がどんな声でどう答えたのか、もうよく憶《おぼ》えてはいない。とにかく私は仕事に夢中になってしまっていて、とにかく光子のことは光子が東京に帰ってからと、相手の気持をおしはかることも一時棚あげにしていたのであった。
開店二日前、新しい店の前に女の行列ができて近所の人の目をひいた。
ママは料亭などで働いた経験のある、比較的年のいった女性を募集したのだった。若い子なら今までのルートでいくらでも補充できるが、和服を着て座敷の仕事ができる女性は、新聞広告に頼るしか手がなかったのだ。
ところが案に相違して、仕事にあぶれた仲居《なかい》さんのような女性は多かったのだ。それに、今はどうか知らないが、当時は仲居さんたちの給料というのが意外に安かったようで、私たちの常識的な線に沿って提示した給料のラインが、彼女たちにはかなり高給だったらしい。
それで応募者の行列ができてしまった。私は昼日中、そんな行列に加わって顔を人目にさらすのは気の毒だからと、面接時間をできるだけ短くしようとしたが、実際に資本を出したママにして見ればここが勝負どころだから、念には念を入れてやっていた。
三味線のうまいのがいて小唄《こうた》や清元《きよもと》が唄えるのがいて、現役で客をごそっと持っているのがいて……面接がおわり採用の決定した顔ぶれを見て、私はその頼もしさに呆然《ぼうぜん》としてしまった程だ。しかも板さんはどこのなにがしという名の通った人だ。
私は疲れを忘れた。
板さんの手伝い兼番頭、兼仕入係。そのほか、兼、兼、兼と何でも兼ねて、一日中動きまわっていた。
店は当たった。場所は神保町でまわりにオフィスが多いから、昼食どきになると一階だけあけてお茶漬を出す。夜はお座敷バーとでも言う感じで、料亭とも何ともつかないにぎやかな店になった。
それに、神保町は少年時代の憧《あこが》れの町であった。本を読むことの好きな私は、小学校の頃、神保町だのすずらん通りだのという名を聞くと、まるでお噺《はなし》の国のように思っていたのだ。
もっと小さかった頃、絵本でお菓子の国の絵を見た。木も花も家も、すべり台やブランコや遊動円木《ゆうどうえんぼく》も、すべてお菓子でできている世界の絵だ。私にとって神保町はそのお菓子の国に似ていたのだ。
本屋ばかりが並んでいる道を、私はひまさえあれば歩きまわった。そして、ろくに読むひまもないくせに板場の隅の棚に書物を積みあげて悦《えつ》に入っていたのだ。
もう少しひまがあったら、光子の所へも通っただろう。しかし朝早く魚河岸へ買出しに行くのも仕事のひとつで、帳簿から店の掃除まで引受けていては、光子のこともろくに思い出すひまがなかった。
ちょうど従業員のことが問題になっている最中、光子が東京をあけていたので、私と一緒に働くという話もお流れになってしまっていた。
光子は帰って来た当座、毎日私に電話をして来たし、一、二度店へも見に来たが、仕事に夢中だった私は、なんとなくガールフレンドが訪ねて来たような扱いかたをして帰してしまった。
光子も働かねばやって行けないからローズへ戻ったが、その時私たちはひとつの転換期にいたようで、光子にもすぐに新しい仕事の話が持ちあがっていた。
それは、銀座に開店するクラブで働かないかという誘いであった。給料もぐんとはねあがるのだ。
「やれよ。二人とも今の内に稼ぎまくろうじゃないか」
仕事に乗っている私は自信たっぷりでそうけしかけた。私はその道を突進する以外、何も考えなくなっていたのだ。
仕事でそれほどの責任を負ったのもはじめてだったし、自分の努力で物事がそれほどうまく運んだこともはじめてだった。
これで一人前になれる。
私はイボンヌを売った金をもとに、自分の店を持って大繁昌《はんじよう》させている夢を見るようになった。ママをはじめ周囲の人々も私の努力を認めてくれて、なかなかのやり手だと噂《うわさ》されはじめているのも、それとなく耳に入っていた。
8
その女の名は亜津子と言い、私より三つ年上だった。
はたちになる前、東京のどこかで芸者になりかけたことがあるそうで、向こう気の強いわりには、並外れてこまかいところに気のつく、一風変った女だった。
どういう経緯《いきさつ》があったのか、その亜津子が応募した女たちの中に紛《まぎ》れ込んでいて、すぐに十人ほどの店の女たちの中のリーダー格に納まってしまった。
そういう花柳界出の女たちの中で、私はいっぱしの男ぶっていたようだ。バーの女の子をかなり自由に扱えたから、その分気負って背伸びしていたらしい。
その亜津子は、庭先からお茶を飲みに来たような馴《な》れなれしさで私に接近して来た。
「ねえ月ちゃん」
ママは私をマネージャーと呼ばせず、支配人と呼ぶようにさせていたが、ほんの三日ほどで亜津子は私を月ちゃんと呼びはじめていた。
「こないだの人、だあれ……」
「光子って言うんだ」
板場をのぞいた亜津子に私はそう答えた。
「恋人……」
「うん」
「生返事ね。はっきりしなさいよ」
「彼女だよ」
「張り合っちゃおうかな」
「何を」
「きまってるじゃない。月ちゃんをよ」
「よせやい、おそろしい」
冗談のようにしてそれははじまった。
店の中で亜津子は海千山千のおばさんたちから、何かと私を庇《かば》い、顔を立ててくれた。おかげで店の運営はうまく行ったが、その分亜津子に対する私の依存度が高くなった。
そして或る晩店を閉めてから浅草へ誘われて、散々飲み歩いた揚句《あげく》、呆気《あつけ》なくデキてしまった。
そんな関係になっても、どこまでも冗談がついてまわり、私はあくまでも粋な情事を楽しんでいる気分であった。
相手が年上という気安さもあったが、それにしても、同じ店の女とそんな関係を続けるのははじめてのことであった。
亜津子はどうかすると客の前でも私をきわどい冗談の種にして、私から見ると自分たちの関係を誇示したがっているようにも思えたが、実はそれが巧みな隠蔽《いんぺい》術である証拠に、私のほうから調子を合わせたりすることをひどく嫌うのだった。
「あんたっておかしな人ね」
「どうして」
「板場へ入って白いのを着てると板前に見えるし、角帯しめて帳面つけをしてると番頭さん。それが浴衣に三尺しめさせるとまるでヤーさまよ。何にでもなっちゃう人なのね」
そんなことも言われた。
亜津子はどうやら浅草に縁があるらしく、しょっちゅう私を浅草へ連れて行った。浅草ではなかなか顔が広くて、姐《ねえ》さんとか亜津ちゃんとか言われて、肩で風を切るような具合であった。
亭主はやくざで府中に入っており、私はその留守の間の心張《しんば》り棒《ぼう》がわり。
そう聞かされた時はもう引っ返すことのできない所へ来ていて、私も大して驚かなかった。
「出て来る少し前に教えろよ。そしたら綺麗《きれい》に返してやるよ」
そんな生意気な口をきいたりした。
また、亜津子はとほうもない衣裳持ちであった。休みの日を引いて一か月二十五日、一度も同じ着物を着ない。和服好きの私はその一事だけ取っても、のぼせあがっていた。だが、いざ買ってやろうかという段になると、亜津子の着る着物など、高くてとうてい手が出せなかった。だから亜津子の足袋《たび》ばかり買っていた。勿論足袋だって誂《あつら》えで、安くはなかった。
情事なれした亜津子のおかげで噂《うわさ》にもならずに、なんとか年の瀬まで来た。
「クリスマスはやっぱり洋風のものだから、神田は休んじゃってよ」
その年の十二月二十四日はちょうど土曜日で、ママはそう言って来た。
「そのかわり、女の人たちは七時半か八時までに全員四番地のほうへ集めてちょうだい」
神田側の慰労を兼ね、新宿の店の景気づけにしようというのだ。根が遊び好きの連中だから、女たちは大よろこびでみな精一杯着飾って四番地へ繰り込んだ。
それはもう、大変な騒ぎだった。四番地ではあらかじめ常連に宣伝していたから、客はあとからあとから押しかけて、半分くらいは立って飲んでいた。
神田の女たちは海千山千ぞろいだから、気に入った客をつかまえては飲み放題。ピアノの音に三味線が重なって、乱痴気パーティーになった。
「おい、久しぶりだな」
その混乱のさ中で、私は今谷先生に手を掴《つか》まれた。今谷先生もベロベロであった。
「踊ろう」
何を思ったか先生は私をかかえてピアノのそばでダンスをしはじめた。するとピアノの鈴木八郎が曲を芸者ワルツに変え、みんな踊りはじめた。
「おや、お前よく見ると小説書きそうな顔をしてるなあ」
踊りながら今谷先生がいった。そばで榊さんと亜津子が踊っていた。
「だめよ、先生。それはあたしの彼氏なんだから」
亜津子は相変らずそんなことを言っていた。
そして、ふわふわと揺れるような気分の中で年があけた。
光子はときどきイボンヌへ……と言うより、私の母の顔を見に阿佐ケ谷へ行っているようだったが、かけ違って私とは一度も顔を合わせず、神田へも電話をして来なくなった。
弟の弘志はホテル学校へ転入する準備をする一方、堅実にイボンヌのカウンターを守っていた。
もう谷口のことどころか、光子さえあまり思い出さなくなっていた私は、その春も亜津子に振りまわされ、うわついた日々を送った。
それでも有難《ありがた》いことに、勢いのついた神田の店は毎晩にぎわい、人気力士やプロ野球の選手などが集まって、雑誌に紹介されたりした。
亜津子は浅草に飽きたらしく、私に銀座へ案内させることが多くなった。なぜか亜津子は銀座をよく知らなかったのだ。そしてとうとう、銀座で光子と顔をあわせてしまった。
9
私は光子がそのクラブへ移ったことを知らなかった。新宿から引抜かれて行った最初の店よりずっと高級なクラブで、私の先輩に当たるそこの支配人に入口のところで亜津子を紹介していると、光子がひょっこりと奥から現われたのだった。
「あらお久しぶり」
亜津子が私より先に気付いて光子に言った。光子は見憶《おぼ》えがないといった顔でいたが、
「神田で二度ほどお目にかかったわよ、ほら……」
と言われて気が付いたようだった。
「お休みなの……」
光子は私にそう訊《き》いた。亜津子に慣れてしまった私には、その言い方がいかにもぶっきら棒で、稚《おさな》く思えた。
「ちょいサボッたのさ」
「だめじゃないの」
光子は悲しそうな目で、しかし顔だけは笑って言った。
「いいわ。この人を指名しちゃう」
亜津子は遠慮も何もあればこそ、陽気にそう言った。
「いいえ、あたしは……」
光子は当惑したようだったが、亜津子のちょっと只者《ただもの》でない感じに支配人が敬意を示しているので、仕方なく私たちをテーブルへ案内して行った。
そういうことが、光子にとってどれほどの屈辱であったか、今ではよく判《わか》る。しかしその時は、別れた女と偶然会ったくらいに軽く考え、亜津子が意地悪くわざと私にしなだれかかっても、それを当たり前のような顔で、光子と母や弟の噂《うわさ》をしていた。
ちょうどその頃を境にして、亜津子がよく店を休むようになった。稲荷町《いなりちよう》にある亜津子の家へ電話をしても応答がなく、はじめのうちは気にも留めなかったが、しだいに私は焼餅《やきもち》をやくようになった。
だが、そうなると亜津子はまるで格の違った相手で、私が精一杯からんでいっても軽くひっぱずされてしまい、喧嘩《けんか》にも何もならなかった。そんな時の亜津子の見事さは、いっさい弁解もしなければ説明もしないのだ。しまいには、
「ほんとのことが判ったら気が晴れるの」
と、子供を諭《さと》すように言う始末だった。すると私はその言葉が、地獄への扉のような気がして、逆に自分から話題を変えてしまうことが多かった。もし勇気を出して聞けば、亜津子は包み隠さず何もかも話してしまうような気配だったからである。
亜津子は私から離れていった。
「そろそろ出てくるわよ」
最後に顔を合わせた時、亜津子は私を脅すような表情でそう言った。
私がただの遊び相手であったことは間違いない。しかし今考えてみると、亜津子も私に対して幾分か思いやりを示していたようだ。だいぶあとのことになるが、浅草の方から本当に亜津子の夫が出所して来たという噂《うわさ》が私の耳にとどいた。はやばやと私を自分から切り離して、大きなもめごとに巻き込まなかったのは、非力な私をいたわってのことだったのだろう。
仕事にも女にもすぐにのぼせあがって、逆にその燃焼時間を短くしてしまうのが、私の持って生まれた性分だった。
情事と仕事が一度に燃え尽きた感じだった。開店以来の疲れが気力を失ったその時になって出てきたらしく、私はある日突然高熱を発して寝込んでしまった。二日ほど店の二階の自分の部屋で横になっていたが、いっこうに良くなる気配がないので、ママの車で送ってもらい、阿佐ケ谷の母のアパートに逃げ込んだ。
病気は風邪をこじらせたらしく、医者は半分肺炎になりかけていると言った。
「そんなことしてたってちっとも身にならないじゃないの」
寝ている私の枕元へ来て母はそう言った。
「弘志もホテルの学校へ通いはじめたことだし、イボンヌはそろそろお前がやってくれたっていい頃じゃないか。だいいち、一緒に暮らせるからやろうと言ったのはお前なんだよ」
なぜか母のその時の言い分は、亜津子の言い方にそっくりであるように思えた。
私という人間を、それこそ足の裏まで見抜いている女が、頃合いを見はからって私に言うべきことを言い渡していたのだ。
ちょうどその頃、神田の店では建物の権利のことで何かひともめありそうな気配が起っていた。
永年世話になったママにはすまなかったが、実のところ私は亜津子のことで腑《ふ》抜け同然になっており、病気を口実に足を抜けたらさぞさっぱりするだろうなあ、などと無責任なことを考えはじめていたのである。
そして、幸か不幸か事態は珍しく私の望む方向へ進んでいった。こじらせた風邪が治っても、私はそのままイボンヌのカウンターへ入って神田へ戻ろうとはしなかった。二、三度ママから連絡があったが、どうも身体の具合が思わしくないと言い逃れて日を送るうち、神田の店のトラブルが急に大きくなって、ママとしてもそれどころではなくなってしまったようだった。
やがて私はごく自然ななりゆきで、神田からわずかばかりの荷物を引きあげ、弟に代わってイボンヌのマスターの座についた。
光子は相変らず母を訪ねてやって来た。しかしそれはもう母の若い友達としてであって、私の恋人でもなければ婚約者でもなくなっていた。
そしてある時、母は私に言った。
「光子さんは結婚するかもしれないって」
母は残念そうな顔をしていた。
「光子さんにみんな聞いたよ。子供まで出来たのに、お前って薄情な男なんだね。もっとも男が薄情なのは、たいてい意気地《いくじ》がないからなんだろうけどね」
私は憮然《ぶぜん》とした思いでそれを聞いていた。
自分がたてた計画だったが、イボンヌのカウンターの中におさまってコーヒーを淹《い》れたり、ココアをかき回したりしてみると、今まで自分が積み重ねてきた修業のようなものが、まったく何の意味も持たない無駄なことのように思えてならなかった。
銀座や新宿の仲間からも遠のき、亜津子や光子も失って、つぎに指《さ》す手が何もないように思った。
その憂さから逃れる唯一の道は、SFを読み耽《ふけ》ることだった。前の年の二月に創刊されたSF雑誌がコンテストをやっていて、その第一回の入選作を読んだのもその頃のことである。
10
イボンヌは年中無休であったが、週に一度弘志が代わってくれることになっていて、私は曜日こそ定まらなかったが週に一度休みをとれた。
そんな時、私はよく滝川外科へ遊びに行った。あのSFファンの若先生に会って、SFについて語り合うのが楽しみになっていたのである。
「医学とか生物学の分野では、まったく判《わか》っていないことがいくらでもあるんだ」
先生のほうも私とそんなことをしゃべるのがひどく楽しいらしく、訪ねて行くと仕事をほうりだしてでも出てきて、何時間でも話し相手になってくれた。
「たとえば目だ。われわれの目が色を感じるしくみなんて、本当はまだまるで判っていない。鳥や魚は色を見分けるらしいが、けだものはたいてい色盲だよ。物を明暗で見分けるだけなんだ。おなじ人間同士だって、赤なら赤という色をどこまで同じように感じているか判ったもんじゃない。俺《おれ》が見ている赤と君が見ている赤が違うんじゃないかと思うと恐ろしくなりはしないかね」
先生の話は医学方面に片寄っていたが、SFのアイデアのもとになるものがたくさんつまっているように思えた。
「SF雑誌でコンテストをやっていますよ」
「そうだね。どのくらい応募しているんだろうか」
「ずいぶん多いんじゃないんでしょうか」
作家や編集者はお客としてたくさん知っていたが、水商売の仕事を離れると私にとってそういう世界ははるか彼方の存在で、編集部というものがどんな仕事をし、その部屋がどんな様子なのか皆目見当もつかなかった。
「いろいろな知識があるんだから、先生も書いてみたらどうです」
そう言うと先生は照れたようでうっすらと頬《ほお》のあたりを紅《あか》くした。
「俺なんかだめさ」
「嘘《うそ》……」
「ほんとだよ」
「隠したってだめですよ。応募作を書いてる最中だって顔に書いてある」
先生は笑った。
「君こそ書けばいいのに」
「そうですね、いっぱつやってみましょうか」
私はそれを冗談として言った。先生をお客として見るバーテン時代の気持が強く残っていたからだった。
だがその気持のどこかに、去年のクリスマスの晩、今谷先生に言われたことがすこしひっかかっていたようだ。
お前は小説を書きそうな顔をしている……。
「とにかくSFはおもしろいよ」
滝川外科の若先生は熱っぽい口調で言った。
「なにしろ制約がないからな。どんなストーリーだって自由自在にこしらえられる。人間を石にさせてしまうことだって不可能じゃないんだから」
「そんなことできるんですか」
「ああできるとも。石化する病気をこしらえてしまえばいい。その病気にかかると体内のカルシウム分が爆発的にふえて、しまいには生きている人間が本物の石像になってしまうんだよ」
「まさか……」
「だめだなあ、その程度でまさかなんて言っていては」
先生は私をたしなめた。
「特殊な細菌が原爆の影響で突然変異を起したことにしてもいいし、宇宙空間から未知の微生物が地球の大気圏へ侵入したことにしてもかまわない。ポイントはそういう架空の病原菌ではなくて、現実のこの社会がその場合どんな防疫対策を講じるかということを書けばいいんだ。それで立派なSFになる」
「なるほどね」
「そういう事件が起って気がついてみたら、ギリシャ時代の写実的な彫刻だと思われていた石像が、実は昔その病気にかかって石になった本物の人間だったということが判《わか》ったりして」
ひょっとすると先生はその話を書いてコンテストに応募する気なのかもしれない……。私はそう思った。
「一卵性双生児が、二人の人間として生まれないで一人の人間として誕生してしまった、などというのもおもしろいストーリーになるかもしれない」
「双児《ふたご》が一人で生まれてくるんですか」
次から次へと繰り出すアイデアに圧倒されながら、私は先生の端整な顔を見つめた。遺伝学や発生学をやりたかったのに、家庭のつごうで無理やり外科医にさせられてしまった不満が、先生をその広い額の内側にある空想の世界へ追いたてているのかもしれなかった。
「その一人の双生児は、双生児であるために実はふつうの人間の倍の脳細胞を持っているんだ。それがどういうことになるかわかるかい」
「さあ……」
「ごく単純な言い方をすれば能力は倍にならなくて二乗《じじよう》になる。たとえば十秒間に百メートル走れるのがふつうの人間だとすると、そいつは十秒間に一万メートル走ってしまう」
「一秒千メートル……」
私は目を剥《む》いた。
「時速三千六百キロ。それはめちゃくちゃだ」
そんな話が楽しくてしかたなかった。そして先生と別れたあと、私はかならず本屋に寄り、ようやく出版点数を増してきた海外のSF作品を買い込み、阿佐ケ谷へ帰るのだった。
11
イボンヌでの平穏な生活がしばらくつづいた。
だが仕事にせよ女のことにせよ、いつもいきり立ったような状態でいないと生きているような気がしない私にとって、その平穏さは自分を爪先《つまさき》から腐らせてくる毒液のような気がしていた。
だが今度ばかりは動きがとれなかった。そんな状態になった時は、いつも気軽に職場を変えていたのだが、母に柴又の家を売らせてしまったし、弘志は航空会社への就職を狙って熱心にホテル学校へ通っていたし、今さら私が商売がえをすることは絶対に許されなかった。
一緒に暮らすようになったので弘志とはよく話し合った。弘志の説明では航空会社への就職はかなり可能性が高い様子であった。
私はそこにまたひとつの夢を描きはじめた。
「どうだろうな。もしお前が本当に航空会社に就職できたとしたら、また俺を外で生活させてくれないか」
弘志は胡散《うさん》臭そうな顔になった。
「どうするの。またバーテンをやるのかい」
「そうじゃない。水商売の足を洗うんだ。だってお前がその会社へ入れれば、もう俺が水商売をしていく必要もなくなるわけじゃないか。お前はまだ当分結婚する気はないんだろう」
「うん」
「お前、ひとりで暮らす気か。それならそれでよかろうが、飛行機で世界中を飛び回って、日本へ帰ってきたら洗濯ばかりするような生活になってしまうぞ。飛ぶ奴《やつ》にはやっぱり整備士がついていなくてはな」
「それもそうだな。俺、そこまで考えていなかったよ」
「俺にもサラリーマンをやらせろよ。もう水商売は懲りた。俺が酒と女の番をするんじゃ、まるで猫にかつおぶしだ。じじいになって油っ気が脱けるまで、ごたごたばかり起してなけりゃならない」
弘志は失笑した。
「そりゃ、たしかにあの会社へ入れれば給料も悪くないし、飛ぶようになれば飛行手当もつくようになるそうだ。おふくろと一緒でも楽にやっていけるだろうな」
「だったらそうしてくれないか。警官がそばにいるのに他人のものに手を出す泥棒はいなかろう。あのおふくろは警官みたいなもんさ。お前の人生は順調に行ってるんだ。おふくろという番人付きのほうが間違いがなくていい」
弘志は笑った。
「勝手なことを言って警官を俺《おれ》に押しつけやがった」
たしかに私の言い分は身勝手だったが、血を分けた兄弟というのはありがたいもので、それで何となく話がついたようだった。
夏になった。
もし弘志が航空会社に就職できたら、自分は来年の今ごろどうしているだろうか……そんなことを考える日が多くなった。
イボンヌの商売はごく地道で、そう急に落ち込む危険性もないかわりに、コツコツとつづけていくよりほかに道のない商売でもあった。その点私はアイデア勝負の店ばかりを経験していたから、イボンヌがどうにもものたりなくてしかたがなかった。
それでひそかにイボンヌを売り払うための下調べをはじめてみた。するとどうだろう。阿佐ケ谷駅が大きくなるという話が耳に入ってきた。中央線が複々線になるというのだ。それとなくあたってみると手に入れた時より有利に手放せそうだった。
私はしめたと思った。その金で弘志は母と暮らす住まいを買うか借りるかすればいい。イボンヌを手放す理由としては、複々線で周囲の土地や地上権などが値上がりしていることを挙げればいい。私自身は身一つで出て行くことに慣れきっている。
すべては弘志の運しだい。
そう肚《はら》を決めると、今度は急に自分の行く手が不安になってきた。水商売の足を洗ってサラリーマンになるといっても、いったいどんな職種を選べばいいのか見当がつかなかった。
会社といえば経理課の窓口ぐらいしか知らないのである。それに、ものを売って歩くようなことはまるで苦手だった。だいいち学歴が足りない。
あれこれ考えていると、自分という男が本当は何の値打ちもない薄っぺらな人間であったことに気がついてしまった。
やっぱりバーテンしかないか……。いくら考えても結論はそこに戻ってしまう。ルンペンたちにまで付きあいのあった谷口のことを思い出すと、自分には谷口ほどの生活力もないのだと感じた。
そんな自己|嫌悪《けんお》の逃避先は、本を買ってきてSFの世界にひたり込むことであったが、その時私は他人の創った世界を読むことよりも、自分の空想を文字にする作業を選んだ。あのSF雑誌がまた新人の作品を募集していたのである。
私は近くの文房具屋へ行って、四百字詰の原稿用紙を三冊買ってきた。一冊が五十枚|綴《つづ》りだから百五十枚分であった。そのコンテストの枚数制限は百枚であったから、書き直し分を一冊とみて三冊買ったのである。
滝川先生と話し合ったりした時に得たアイデアがいろいろとあったが、いざ書く段になるとどれもこれも自信がなく、物語を進めるにあたって肝心の部分の知識が欠けていたりするから、まるで手がつけられないことになってしまった。
やっぱり俺《おれ》には小説なんて書けないんだ。
その冷厳な事実にぶち当たり、自己嫌悪や自分の価値観の喪失はいっそうはなはだしくなった。やっぱり大学へ行っておけばよかった。中学、高校時代の友達の顔がつぎつぎに泛《うか》んでは消えた。みんな大学を卒業し、今ではしかるべき職場で安定した生活をおくっている。
その時私が味わった疎外感はかなり強烈なものであった。自分だけが社会からとり残され、弘志も光子も、亜津子までもがどんどん先へ行ってしまうような気がしてならなかった。
「もうじき三十になろうっていうのになあ」
私は人のいない所で何度もそう言い、溜息《ためいき》をついた。
強い台風が東京を襲ったのはそんな頃であった。テレビやラジオで念の入った情報を流していたからその台風がやって来るのは前の日から判《わか》っていて、店の女の子達も午前中で帰してしまい、私は閉店の札を掛けたイボンヌに、用心のため一人でがんばっていた。
まったくひどい台風だった。雨台風というやつで、イボンヌの窓という窓の隙間から水が流れ込んだ。
夜になるとその雨が少し小降りになり、そのかわり風がいっそう強くなった。その風の中を、八時ちょっと過ぎに弘志がやって来て、私と交替した。寿司屋も中華そば屋もみな店じまいをしていて、私は昼からずっと何も食べていなかったのだ。
弘志はレポートを書くのにつごうがいいからと言って、イボンヌで徹夜をする仕度をして来ていた。
入れ違いに私はズブ濡《ぬ》れになってアパートに戻った。風の音が嫌いな母は、はやばやと蒲団《ふとん》をかぶって寝ており、浴衣《ゆかた》に着がえた私はすることもなく、眠られぬままとなりの部屋の壁に寄りかかってぼんやりと風の音を聞いていた。
台風の夜の緊迫した雰囲気が私に何かを連想させていた。
「アンポ、ハンタイ。アンポ、ハンタイ」
去年の六月に聞いたあのデモ隊の合唱が私の耳に蘇《よみがえ》ってきた。
列を作って際限もなく一定の方向につづく人々の姿が私の目に泛《うか》んだ。
「赤ちゃん、できた。赤ちゃん、できた」
光子のそういう声が重なった。光子の声は妊娠を私に告げた時の喜びと、私に背負われて病院へ向かう時の悲しみが入り混って、どちらのものとも判然としなかった。
そして、列をなしてどこかに向かって行く人々を見ている私自身の姿もあらわれてきた。私は疎外され、一人ぼっちだった。
いつの間にか私は机の前に坐《すわ》って原稿用紙をひろげていた。地球は宇宙人の農場だった。そこに生命の種が播《ま》かれ、それが成長して人類となった。核兵器を造り出すまでにその人類が成長したところで、宇宙人は農場の収穫をはじめた。人々は列をなして宇宙人の船に乗り込み、他の星へ連れ去られて行く。だが私は出来そこないで、その人々の列に加われないでいる。
やがてこの東京は無人になり、ありとあらゆる物資がつめ込まれたこの大都会で、私はロビンソン・クルーソーの反対の立場に置かれてしまうのだ。
私は書きはじめた。まったく何かに取り憑《つ》かれたとしか言いようのない心理状態であった。
夢中で書いて気がついたら窓から明るい陽が射していた。二冊の原稿用紙がきれいになくなっていて、一枚ごとに番号をふっていくとちょうど一〇〇で終っていた。
「寝なかったの……」
母が起きだしてそう言った時、私はその原稿をつめた封筒の上書きをしているところだった。