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作者: 当前章节:15356 字 更新时间:2026-6-23 00:32

 来る途中でうんと大きなお墓をたくさんみかけたけど、そういうのには、入口の横のところにすごく洒落《しやれ》た感じの石の板があって、お骨になって地面の下に入ってしまった人たちの命日や名前なんかが、ずらりと並んで書いてあったりした。

 でも、うちのはまだ一人だけ。お母ちゃんの骨は田舎の村はずれにあるお寺の裏の古いお墓の中。いつかの夏、急にお参りしたくなって行って見たら、草ぼうぼうで何だか気持悪かった。

 たしかあの墓には、やっぱり先祖代々之墓って書いてあったけど、いったいおんなじようなお墓ばっかりの中で、どうやって自分のうちのお墓を見つけるのかしら。もしかすると、どこかのお墓には、間違ってよそのうちの人のお骨が入っているんじゃないだろうか。

 もうすぐお経がおわるみたい。あたしと四郎と、それからお墓を作ってくれた石屋さんの若い人が二人。もっとも拝《おが》んでるのはお坊さんとあたしと四郎だけだし、お坊さんだって商売でやってるんだから、淋《さび》しいお葬式だわ。

 やっとおわったわ。石の前へ行ってしゃがんで、形ばかり水をかけてやって、お線香をひと束まるごと火をつけて、手を合わせて拝んで……すぐやめちゃおかしいから、せいぜい時間をかけて、立ちあがって四郎と交代。

 四郎の奴、ほんとに悲しそうな顔してる。でも、真面目腐《まじめくさ》った四郎って、案外かっこいい。もしかすると、舞台がいいせいかしら。石段だってちゃんと三段ついてる。二段と三段じゃ値段が違う。……やだわ、洒落になっちゃってるじゃない。

 とにかく、この皆川家って奴にしては立派なお墓よ。もしかすると、いや、多分父ちゃんも死んだらこの中へ入るんだわ。

 なんかいやな感じ。父ちゃんが入るには立派すぎるわ。呑《の》んだくれの甲斐性《かいしよう》なしの糞《くそ》おやじなんか、誰《だれ》がこんないいお墓へ入れてやるもんか。そうよ、父ちゃんなんかもう野垂れ死んだって引取り手がないんだわ。どこかのドヤ街で、安酒に溺《おぼ》れ腐っておっ死《ち》んじまえばいいんだ。

 さて、お葬式はこれでおわり。もっとも、本当のお葬式はもっと手間ひまのかかるものらしいわ。お通夜のあとお葬式をして、焼場へ持ってってお骨にしたって、まだお墓の用意まではできていないはずだもの。

 でも、これでいいの。お骨でほったらかされるより、よっぽど上等よ。四郎の言うとおり、ちゃんとしたお墓だけでも作ってよかったわ。なんと言ったって、他人のお墓じゃないんですものね。

  2

 あたしは今までこんな大きな墓地へ一度も来たことがなかった。とにかくでかくて立派。石屋さんの話だと、ぐるりをゆっくり歩くと半日はたっぷりかかるんだって。

 たまげちゃうな。知らなかったけど、死ぬとみんなこんなとこへ埋められてたのね。でも、貧乏人にはちょっと無理みたい。四畳半かせいぜい六畳ひと間の木賃アパートぐらしの人間には、親が死んだってこんな霊園にお墓を作ってやるなんて無理な話よ。

 そうじゃないの。赤ん坊が生れるんなら、何ヵ月も前から判るから準備のしようもあるけど、死ぬのはたいてい急なことよ。お金をためてお墓の用意をするひまなんかあるわけないじゃないの。それに、いずれ死にそうだって前から判ってれば、それこそひどいもんだわ。医者だ薬だって、散々お金を絞り取られたあとよ。着物も時計もみんな質屋へ行っちゃって、借金だらけになった揚句《あげく》の果てに、また焼場だお坊さんだ……。それでお墓まで作ったら、馴染《なじ》みの刑事《デカ》につけまわされるのがオチよ。

「どうも、いろいろ有難うございました」

 四郎の奴、坊さんにペコペコしてる。あんな生臭坊主にペコペコすることはないんだわ。

「ああ疲れた。やっとおわったよ」

 四郎はなんだか面白がってるみたい。疲れたって言ってるくせに、いやにはればれとした顔をしてる。

 あたしたちはハイヤーを待たせてあるほうへ歩きだした。霊園の入口のわきにバス停があって、十人ほど並んで待ってるけど、いまさらバスなんて、おかしくって乗れませんわよだ。

 霊園の塀《へい》ぞいに少し行くと、黒い外車がとまっていた。あたしたちを待っているの。四郎がちょっと手をあげて合図すると、運転手があわてておりる。うしろのドアをあけてあたしのほうを見てるわ。……この気分、すてきよ。

 あたしは黒いスカートの膝《ひざ》のところをちょっと引っぱるようにして、白いカバーのかかったシートへすべりこむ。ハイヤーに乗るたびそう思うの。とってもすてきだけど、金持は昔っからこんな気分で街を走っていたんだなあ、って。癪《しやく》にさわるわ。

 四郎も乗って、車が走りだす。

「お疲れになったでしょう」

「いいえ」

「ほんとですか」

 四郎の奴、からかっている目だ。

「母と父とので慣れましたわ」

 四郎は何か言いかけ、急にあたしから目をそらせて運転手をちらっとみた。ざまみろ。

「ご不幸があったばかりの百合子《ゆりこ》さんに来ていただいたので、ご家族やクラスメイトのかたがたも、感激していらっしゃいましたね」

 あたしは思わず笑いかけたらしい。四郎が咳《せき》ばらいをした。

「そうかしら」

 あたしは窓の外を見る。車は石屋さんが並んだ長い霊園の前の並木道を通り抜けて、松戸のほうへ向う道へ入った。

 太いタイヤのちっちゃな単車に二人乗りした若いのが、あたしたちのハイヤーを追い抜いて行く。音ばかり騒々しくって、あんなのに乗ってよろこんでるなんて、ばかみたい。

「煙草《たばこ》を吸ってもよろしいでしょうか、百合子さん」

 四郎の奴、やっぱり面白がってる。

「どうぞ」

 あたしはとびきり上品な声で答えた。すぐに四郎のつけた煙草のけむりが車の中にひろがる。

「金町《かなまち》でお降りになるんでしたわね」

 あたしは思い出したように訊《き》いてやった。

「え……はあ」

 四郎は面喰《めんくら》っている。

「運転手さん。金町の駅前で一人おろしてくださいません」

「はい、かしこまりました」

 運転してるのは、五十くらいのがっしりした体つきの、どことなく優しそうなおっさん。父ちゃんも、せめてこのくらいの人だったらよかったのに。

 実際、四郎は金町《かなまち》でおりて京成《けいせい》電車で帰ったほうが早いんだけど、あたしのほうから言いだされて、ちょっとむくれたみたい。でも、どうせおりるんなら早いほうがいいのよ。

 それにしても、四郎は今度も手ぎわよくやってくれたわ。焼場へ持ってってお骨にして、お墓の手配をして……。おかげであたしはちゃんとできあがったお墓の前へ行って手を合わせるだけですんだじゃない。サンキュー、四郎。でも、これからはあたし一人よ。今までのことであんまり恩に着せるようなら、こっちも考えるからね。

 とにかく、いいお墓だったわ。上出来よ。いつか、小松川の源さんのうちへ寄ったら、新聞紙をひろげた上で、あの爺《じい》さんが泣きながらトンカチで何かを叩《たた》いてたっけ。何やってるの、って訊いたら、

「いま、婆さんのお骨を粉にしてるんだ」

 って……。

「十年たってもこの骨をいれる墓はつくれなかった。俺ももう長くねえし、ドヤによっちゃあ骨壺を嫌《いや》がりやがるからな」

 そう言って、また泣きながら、石の上でお骨をトンカチ、トンカチ……。

 そのあとどうしたか知らないけど、きっと川へ流しちゃったんだろうな。その源さんももう死んじゃった。…… やだやだ。貧乏はやだわ。貧乏人なんて、人間じゃないのよ。

  3

 目黒のマンションの前でハイヤーをおり、重いガラスのドアを押して中へ入ると、管理人が首を突きだすようにしてあたしのほうを見ていた。

 あたしは丁寧にお辞儀をしてやった。すると管理人はあわてて管理人室から出て来た。

「いいお天気でよろしゅうございましたね」

 ちぇっ、何言ってんだい。若い女が一人っきりになってしまったからって、そう見えすいた優しいふりをしてどうなると思ってるんだろう。おじさま、かなんか言って頼りにして来ると思ってんのかよ。管理人のくせしやがって。金持にしっぽを振るしか能のない甲斐性なしの犬め。

「おかげさまで」

 あたしはたちどまって笑顔を見せてやる。

「お客さまが見えていらしたようですよ」

「あら、どなたかしら」

 あたしは眉《まゆ》をひそめた。

「よくお見かけするかたですが、多分またいらっしゃるか、それとも電話でもなさるんじゃありませんか」

 大きなお世話だよ。だいいち、面倒な客なんか来て欲しくないんだわ。

「いつもお世話になります」

 あたしはまた丁寧にお辞儀をしてエレベーターのほうへ行った。

 エレベーターのボタンを押したとたん、

「百合子さん」

 とうしろで男の声がした。

「お嬢さま」

 とそれに管理人の声が重なる。あたしは振り向いて、おめめをパッチリあけて小首をかしげる。可愛いんだ、こうやると……。

「さきほどのお客さまです」

 お節介な管理人の奴が先に言った。

「いまお戻《もど》りでしたか」

 小室《こむろ》というにやけた若僧だった。若僧だけど年はあたしより五つくらい上かしら。小金井興産の秘書課の奴だ。

「あら、お客さまって、小室さんでしたの」

「お留守でしたので、前の喫茶店でお待ちしていたのです」

 ちょっと清潔な感じはする。さすがは秘書課だけど、てんであたしのタイプじゃない。

 エレベーターが来ちゃった。ドアがあく。

「何か急なご用でしょうか」

 あたしはかすかに当惑の表情を泛《うか》べた。

「いろいろお話したいことがございまして」

 このばか、七階へあがってあたしの部屋で話をしたいんだわ。そうはいくか。

「あら……」

 あたしはますます困ったような顔をして管理人のほうを見た。おっさん、ちょっと気を揉《も》んでるみたい。

「こんな恰好《かつこう》ですし……」

 あたしは黒のスーツを着てる。もちろん薄いものだけど、そこらの喫茶店へ入るにはあらたまりすぎている。

 舐《な》めてるんだわ。秘書課員なんて、肝っ玉が小さいくせに、虎《とら》の威をかることになれてやがんの。普通ならとっくに気をきかせてるはずなんだけど、図々しくエレベーターの前に突っ立って、ばかみたいにあたしをみつめてる。

「お部屋まであがって来ていただきたいのですけれど、あたくしひとりだけですし、若い男性とご一緒するのでは困るんですの」

 こういうときは、かなりきっぱり言ってやったほうがいい。あたしは急に冷たい目をしてみつめ返してやった。

 秘書課の若僧はすぐ目をそらし、

「ええ。……ですから」

 と口ごもった揚句、

「あの、前の喫茶店ででも」

 と言った。

「着がえますし、少し手間どると思うんですけれど」

「いいですよ。お待ちします」

 安月給かも知れないけど、会社からちゃんともらってやがるくせに、勝手なことで時間を潰《つぶ》していいのかね。サラリーマンなんてみんな調子がいいんだから。

「では……」

 あたしは一度閉じたエレベーターのボタンをまた押して中へ入った。

「有難うございました」

 わざと管理人に礼を言ってやった。あんなおっさんでもそばにいたから、秘書の奴きっとやりにくかったんだわ。ひょっとしたら、お手間は取らせませんかなんか言って、あがって来たかも知れない。

 管理人はいまごろ、秘書の奴に冷たい目を向けているかも……。この百合子さまのピンチを救ってやったつもりでさ。

 みんな狼《おおかみ》ばっかり。あたしは若くて綺麗《きれい》で一人ぼっちで、でっかい遺産を継ぐんだから無理もないけどね。

  4

 高級ってことは、まず第一に静かだってことかしら。鍵《かぎ》をあけて部屋へ入ると、シーンと静まり返ってる。閉め切ってあったから、生《なま》あったかいけど、このマンションの静かさってものは、どこかしっとりとしてて気分がいいの。

 それにしても、ずいぶんお金をかけたもんだわ。壁紙って言うから紙かと思ったら、本物は布なのね。どこからどこまで毛あしの長いカーペットを敷きつめちゃってさ。家具だって新しく買おうと思ったら目の玉がとび出しちゃうくらいよ、きっと。自分の部屋じゃなくてこんなの見せられたら、腹が立っちゃうはず。

 陰気臭い服を脱いで、春らしいワンピースに着がえる。あたしの部屋の三面鏡もでかいけど、入口の壁や浴室のとこなんかにもでかい鏡がとりつけてあって、着がえをするのがちっとも面倒じゃない。ママの部屋にある鏡なんか、ばかばかしいくらいでっかいの。

 またママって思っちゃった。ママじゃなくて、お母さまだったっけ。

 あたしのお母さまの名前は舘山美津子。むかし映画の女優だった。それがあたしを生んで女優をやめ、赤坂の洒落た料亭の経営者になり、こんな六部屋もある凄《すご》いマンションに住んでいたわけ。ここへはあたしが高校二年のとき引っ越して来た。

 ずいぶん贅沢《ぜいたく》をさせてもらってたわけだけど、それもこれも、あの小金井吉兵衛という脂《あぶら》ぎった助平おやじのおかげなんでござあますわ。有難くって涙が出ちゃいそう。

 小金井吉兵衛は……あらやだ、新しいほうの口紅はハンドバッグの中だわ。……そう、小金井吉兵衛が問題なのよ。あのじじい、死ぬまでにいったい何人女を作ったのかしら。小金井興産なんていう凄い会社を一代でおったてたんだから、やり手には違いないけどさ。最初のおかみさんは名前も知らないけど、二度目が松代って奴でしょ。もと松千代っていう芸者じゃないの。三番目が常子っていう今の奴。常子は吉兵衛にとってあんまりよくない女だからそう問題ないし、第一子供がいないけど、松代には登って言うドラ息子がいて、小金井興産に勤めてる。大学を出たばかりだけど、いずれは社長になるかもね。

 小金井登はまあいいわ。本家の一人息子というわけだし、会社を継ぐのはあいつでも仕方ないからね。うるさそうなのは、それより小姑《こじゆうと》たちよ。静岡に住んでる三島よう子と、千葉にいる津田てい子。二人とも最初のおかみさんの子供で、お嫁に行っちゃってるけど、遺産の取り分が少ないって判ると、ガタガタ言ってくるでしょうね。

 それに、うちのママ……じゃなかった、お母さまとおんなじ立場の、つまり妾《めかけ》の浦野良子に宇田川みどりがいるわ。あいつら、少しはもらうのかしら。

 さて、お化粧直しもすんだし、あのくだらない若僧に会ってやらなきゃいけないわ。

  5

 小室はあたしを見ると、ちゃんと立ちあがってお辞儀をした。人目があるから、会社の用事で来たってことを、まわりに判らせたいのね。

「いらっしゃいませ」

 感じのいいウェイトレスだと思ったら、この店のママの姪《めい》だってさ。姪だか娘だか判るもんか。みんな世間|体《てい》ばっかりつくろってるから、なんだって一応疑ってみなければ……。

「レモンティー」

 あたしはにっこりして言う。

「実は秘書課長から言われまして……」

 ウェイトレスに聞えるように小室がいやに事務的に言った。でも、ちょっと言葉を切るうちにウェイトレスが退場。すぐ言葉の調子を変える。

「と言っても大した用件ではないんです」

 ちょっとなれなれしいぞ、こん畜生め。

「はあ、何でしょうか」

 喫茶店の椅子《いす》に坐《すわ》って膝を合わせ、その上に両手を置いてかしこまってるのは楽じゃない。早く帰れ、安サラリーマンめ。

「四日ほどお見舞いしておりませんでしたので、ご様子を伺って来いと」

「あら、そんなことでしたの。……ご苦労さまです」

 あたしは頭をさげた。

「おかわりないようですね」

 いやらしい。兄貴みたいな面《つら》をしやがる。物欲しげなほうがまだましだわ。

「あんなご不幸があったあとですから、百合子さんについてはみな心配しておるのです」

 おるのです、と来た。生意気に。

「有難うございます。お戻りになりましたら、課長さんによく申しあげてくださいませ。百合子はもうすっかり気をとり直しておりますから、ご心配には及びませんと……」

 小室はわけ知り顔で何度も頷《うなず》いてる。

「よかった」

 何がよかっただ、ばか。関係ないくせに。

「ここから先は僕の個人的な発言なんですが……」

 と煙草をとりだす。さっきのウェイトレスがあたしの紅茶を持って来た。あたしは面倒臭いのを我慢して、小室の話に耳を傾けるふりをした。紅茶だって、本当はウィスキーをいれてもらいたいのに。

 小室は声を低くした。

「実は、弁護士の笹木健造先生が社に見えたとき、副社長たちと話していたことなんですが、総会までは副社長が今のまま社長のかわりにやって行くそうです」

 あたしは要領を得ない顔で頷いてみせた。

「で、そのとき百合子さんに関係のある話も出ましてね」

「あら、何でしょうか」

「社長はずいぶん百合子さんを愛していらっしゃったようですね」

「ええ、とても可愛がっていただきましたけど」

 あたしは目を伏せた。悲しんでるように見えるはずだわ。

「遺産のことなんです」

 小室は早口でささやいた。あたしはうつむいたまま。

「どうも問題でしてね。今の常子夫人はお邸《やしき》を出なければならんようです」

「まあ、なぜですの」

「行くものは相当行くでしょうが、登さまがやはり社長の跡をお継ぎになるわけで、そうしますと、常子夫人との仲がどうも……。社長はさすがにそこまでお考えだったようです」

「奥さまはどうなさるのですか」

「さあ、そこまでは判りません。しかし、笹木先生のお言葉では、法律的には問題ないそうで……」

「登さまはいずれご結婚あそばすのでしょう」

「ええ。もうご婚約なさっています」

 あたしは頷いた。

 このばか、大した情報を持って来てはいないらしい。でも当人はあたしの役に立つと思って大真面目。

「静岡の三島さま、千葉の津田さま、それぞれ一応の配分をお受けになります。それに……」

 小室はわざとらしく言いにくそうにしてからつづけた。

「例の浦野さんと宇田川さんと言う二人の女性も、少ないですが受取る分があるそうです」

「あたくし、お金のようなことはあまり興味ございませんの」

 あたしは閉口したように言った。

「いや、そう言ってはいけません」

 こいつ、自分がもらうような顔してる。

「問題と言うのは、百合子さんがお受けになる額なんです。比率が高いんです。赤坂のお店は当然ですが、なんと十億円近いんですぞ」

「要りませんわ、そんなに」

「そりゃ、相続税も大変です。しかしそれにしても大変なことです」

「もしそうだとしたら、母に対する愛情なのでしょう」

「いえ、僕ら秘書課の者はみんなよく知っています。社長は生前何かと言うと百合子さんのことを話題にしていらっしゃいました。舘山さん……いや、お母さまにもですが、百合子さんに対しても、絶大な愛情を抱いておられたのです」

 それが判ってどうだと言うんだろう。こいつに関係ないことじゃないの。

「でも、もう母も、そして父もこの世にはおりませんわ」

 あたしはますます深くうつむいてやった。この舘山百合子というお嬢さんが、有名な財界人の娘であることは、この近くの人間はみんな知っているし、父の小金井吉兵衛が小型機に乗っていて墜落死したことと、その直前に舘山美津子が急死したことは、新聞にも週刊誌にも書きたてられたから、知らない者はいないのだ。

 そういう気の毒な娘を喫茶店で泣き出しそうにさせる奴なんて、みんなに嫌《きら》われるにきまっている。小室もすっかりあわてたようだった。

「いや、百合子さんを悲しませようと思ったわけではないんですよ。僕はなんとかお力になりたくて。……大したことはできませんが、秘書という仕事はいろいろ内密な件も耳に入りますし」

 判ってるのよ。死んだ老人から十億円ばかり贈られることになってる綺麗な女の子を、放っとくテはないって言うんでしょ。万一うまく行けば出世のタネにもなるしね。

「あたくし、疲れましたの」

 ゆるく首を振って言うと、小室の奴ほっとしたように声を高くした。

「そうでしたね。お母さまのお墓まいりにいらしたあとですからね」

「いいえ、今日は違います」

 あたしは否定した。こういうことはちゃんと言って置かないと、あとでとんでもないことになる。

「お友達がなくなったのです」

「おやおや、それはかさねがさね……」

「いいえ、そう親しいお友達ではなかったんですけれど」

「そうですか。まあ、いずれにせよ人生にはこれからもいろいろなことが起こるでしょうが、どうかお大事にお過しください」

 大きなお世話よ。そんなことより、その煙草を吸わせて欲しいわ。

  6

 あたしは贅沢な家具にかこまれた高級マンションで、じっと日を送っていればそれでいいのだ。いい物を着て、おいしい物を食べて、ただ十億円をじっと待つ。それだけ。

 お酒だけは用心している。でも、煙草なら人にみつからない限り大丈夫。そのかわり、知ってる奴は誰も来ない。電話もろくにかかって来ない。

 迂闊《うかつ》に動いたら敗け。遺産が少なくて当てが外れた奴らが、鵜《う》の目|鷹《たか》の目で見張っているかも知れないじゃない。おっとり上品にかまえて見せたって、心の底は貧乏人以上に強突張《ごうつくば》りなんだからね。

 ことのおこりは、あの高野敏明っていうインチキ医者よ。痩《や》せて貧相なあん畜生が、あたしたちのとこへ流れて来たことからはじまったの。

「似てるなあ」

 あたしを見るたびそう言いやがんの。はじめはいい加減なことを言ってると思って気にしなかった。あたしだってちっとは綺麗だと言われてたし、遠まわしに気をひいてものにしようとする男はいくらでもいたわ。

 でも、あんまりうるさいから言ってやった。

「誰に似てんのさ」

 って。そしたら高野の奴、ニヤリとしやがってさ、

「大金持の娘にそっくりだ」

 そう言ったっけ。大金持って聞いて、ハッと緊張しない奴なんてあたしのまわりにはいないもんね。みんなお金じゃ泣かされてる奴らだもん。あたしだって、お金があったら体なんか売りゃしないよ。それほど助平じゃない。母子《おやこ》二代で体売ったって言われたけど、そうじゃない。貧乏な親からは、貧乏な子供しか生れないだけなんだ。

 あの高野って奴、何か悪いことして食いつめたんだわ、きっと。それで上から落ちて来たのよ。だって、舘山美津子なんて女をよく知ってたんだものね。

 でも、おそろしい奴だったわ。悪《わる》だし、頭がいいし。

「十億円ほど稼《かせ》ぐ気はないか」

 そう言われて、あたし夢中になっちゃった。十億なんて、夢に見るだけでもいいと思っちゃった。あいつ、蒲団《ふとん》の中であたしの顔をつねったり引っぱったりして、

「おまえならやれる」

 そう言った。口ばっかりじゃなくて、あのほうの腕もたしかだったわ。ひとっきり、あたしはまるであいつの女みたいだった。ただで抱かれて、逆に稼いだ金をやっちゃったりさ。たしかに、あいつに抱かれるとよかったけど、あたしだってそこらの世間知らずじゃないからね。適当なこと言われてヒモになられるんじゃかなわない。

 それで、四郎に言いつけた。四郎はいざとなると、きちんと殺《や》れる男だからね。あたしをどうする気だ、って高野につめ寄った。

「舘山美津子という女は、大金持の小金井吉兵衛から、十億円の遺産を受ける約束をしている」

 高野はそう白状した。高野はあたしを見て、いろいろ考えてたのよ。でもそれは空想でしかないみたいだった。ただ、舘山美津子は小金井吉兵衛が死んだら十億円もらう約束をしてたっていう話はたしかだったのよ。

 四郎は高野の空想にとびついたの。もちろんあたしだってそう。高野にとっては空想かも知れないけど、あたしたちにとってはパラダイス行きの船に見えたのよ。判《わか》ってもらえるかな。あたしたちは、夢を見ることさえ夢だったんだから。

 あたしがいちばんよく見た夢は、あたしのまわりがみんな見てた夢とおなじ夢よ。それは死んじゃう夢。死んだらどんなに楽だろうって。

 あたし、忘れない。お母ちゃんだって、いつもそう言ってた。

「おまえや父ちゃんを置いて死んじゃえたら楽でいいんだけど」

 ってね。そう大人にもならないうち、あたしもお母ちゃんとおんなじように思ったわ。父ちゃんの友達に無理やり女にされて少しばかりのお金をもらったあと、自分から体を売るようになって、父ちゃんに稼いだ金をまきあげられたとき、はじめてその夢を見たわ。だってあの糞おやじ、すぐその金で酔っぱらって、ドヤ街の道にひっくり返ってたんだもの。父ちゃんをうちへ連れて行きながら、あたし死んじゃおうかと思った。

 あたしだけじゃないのよ。みんなそうだった。形は違うけど、

「死んじゃえたら楽だろうな」

 って、みんな百遍や二百遍はそう思ったことがあるのよ。

 あたしと四郎はその夢へとび込んでった。当然でしょ。自分から死んじゃうより……いや、死んじゃう気になれば、この世で十億ってお宝が手に入るのよ。

  7

 電話って、おかしな道具だと思う。

 あたしは目黒のマンションに引きこもったまま、毎日電話を眺《なが》めて暮しているのだ。この賭《かけ》のすべてが、この電話ひとつにかかっているような気がして来ちゃう。

 夢がぶちこわれるとすれば、きっとこの電話のベルがきっかけね。

「もしもし、百合子さん……」

 もしかすると、そいつはあたしの親友かも知れない。あたしたちだってずいぶん一生懸命調ベたけど、なんと言ったって時間がなかった。大急ぎでやったんだから、調べおとしはいくらでもあるわよ。

 あたしの声が判らないなんておかしいわ……こっちがうけこたえにドジを踏むと、そいつはそう言って首をかしげるだろう。で、誰《だれ》かにそれを告げ口したりして……。

 そうなれば、何かイチャモンをつけるネタはないかって考えてる連中ばっかりなんだから、まさかと思っても調べにかかるかも知れない。

「あなたを上野の動物園にお連れしたときのことを憶《おぼ》えていらっしゃる……」

 なんて、カマをかけて来たりする。

 ああいやだ。身ぶるいするわ。うっかりハイなんて調子のいい返事をしたりすると、本当はそんなことなかったりして、……やっぱりあいつは怪しい、なんて思われちゃう。

 でも、夢がひとつひとつ実現して行くのも、電話のベルが鳴るからよ。ベルが鳴るたび、あたしの遺産相続の手続きが進んで行くわけ。

「これですべておわりました。今日からあなたは大金持です。おしあわせに……」

 早くそういう台詞《せりふ》を聞きたい。金さえ掴《つか》んだらこっちのもんよ。小金井一族とそのとりまき連中の前から、ドロンと消えてやる。そして好きなことをするんだ。もうきたならしい男たちに体を売ることもない。四郎だって、人を殺《バラ》したりする必要はなくなるのよ。

 ……畜生、ベルが鳴った。一回……二回。誰だろう。まったくドキドキしちゃう。

「ハイ、舘山でございます」

「あ、百合子さん。僕です」

 やだ、小室のばかじゃない。

「は……どなたでしょう」

 とぼけていやがらせてやれ。

「僕ですよ、小室です」

 できるだけ関心のなさそうな声で言おう。

「小室さん。……ああ、小金井興産の秘書課のかたですね」

 きっと電話の向うでしらけた顔してるよ。

「いかがですか」

「あの……何がでしょう」

「いえ、その、お元気ですか」

「はあ、おかげさまで」

「あ、それならいいんです」

「何かご用でしょうか」

「いえ、別に。ただ、どうしていらっしゃるかなと思いまして」

「…………」

 返事をしてやらない。

「おうちにばかりいらしてはお体に毒ですよ。たまには散歩くらいなさらないと」

 大きなお世話だよ。

「いろいろご心配いただきまして、有難うございます。いま散歩から戻ったところなのです」

「はあ……」

 ざまみやがれ。金と出世と両方一度に手に入れようと、何かって言うと電話をして来やがる。お前の魂胆《こんたん》はとっくに判ってるんだよ、このばかやろう。

「申しわけありませんが、もうすぐお友達が見えることになっているんです」

「お友達ですか」

 気にしてる。男だと思ってるかも知れないな。

「学校で同じクラスだったかたがたですの」

 これならいいだろう。男を引っぱりこんでると思われちゃ迷惑だもの。

「じゃあ、また電話いたします。どうぞお大事に」

「有難うございます」

 電話は切れた。笑っちゃうよ、まったく。どうぞお大事にだってさ。あたしは病人じゃない。

 でも、このところあの小室だけじゃないのさ。ほかの連中はなぜ電話して来ないんだろう。そろそろつらくなって来ちゃった。欲のない顔してここにとじこもってるうちに、お金をくれないような話がどんどん進んじゃってるんじゃないだろうなあ。

 やだよ、もう。いいかげんに舞台がまわってくんないと、このまんまじゃ何がなんだかさっぱり判りゃしない。

  8

 やっと笹木健造って言う弁護士のじじいから連絡があった。会って大事なことを話したいから、日比谷のオフィスへ来てくれってさ。

 オフィスって、どんなとこだろう。同じ弁護士でも、小金井のような大金持ばかりを相手にしてる奴だから、きっと凄く豪勢なとこにいるんだろうな。

 着て行く服に注意しなくっちゃね。いかにもお上品でかよわい百合子姫って恰好がいいんだけど、衣裳棚《いしようだな》にいっぱい服がありすぎるんで迷っちゃう。

 それに、気をつけなきゃならないことがもうひとつある。あたしは遺産のことなんか何もまだ知っちゃいないことになっているんだからね。笹木って弁護士が、きょうはじめて舘山百合子にその話をするわけ。

 高野が舘山美津子からそれを聞きだせたのは、あいつが初恋の相手だったかららしい。高野って奴《やつ》は、本当は医者になるはずの男だったんだけど、どこかで足を踏み外して詐欺師《さぎし》みたいなことになっちゃってた。そしてむかし、あいつがまだちゃんとしたくらしをしてた頃《ころ》につき合ってた、舘山美津子にめぐり合ったというわけ。

 元女優で、赤坂の高級料亭のおかみで、小金井吉兵衛がいちばん可愛がってる妾。詐欺師なら誰だってとびつく相手じゃない。

 一時はすっかり信用されて、相談相手になっていたというけど、ひょっとしたら体の関係だってできてたかも知れない。舘山美津子は綺麗だったし、まだそんなばばあでもなかった。

 イヤリング、して行こうかどうしようか。

 きっと体の関係があったんだろうな。それでなかったら、高野が冷たく抛《ほう》り出されたことの筋が通らないじゃない。あいつ、きっとやりすぎたか何かしたのよ。美津子はこれ以上高野とつき合ってると、小金井吉兵衛との関係がうまく行かなくなると心配したのかも知れない。

 そうよ。綺麗な顔してたって、要するに肚《はら》の底はお金めあてよ。二号なんかやってるくらいだもの。たくさんいたほかの女たちを蹴落《けお》として、本妻以上に可愛がられてた。それだからこそ、遺産だって一番有利にとりはからってもらえたんだわ。

 いけねえ。あたしはその娘よ。しかも小金井吉兵衛の血もうけついでるんだわ。そうなると、お上品ばかりでもいけないんじゃないかしら。

 芯《しん》は案外しっかりした娘じゃないと、笹木健造みたいな弁護士の気には入らないのかも知れない。いや、気に入られなくったってかまわないけど、舘山百合子っていう娘は、本当にそういう人間で、笹木みたいな古狸《ふるだぬき》は、とっくにそれを見抜いてたんじゃないかな。

 この計画を作った高野の奴も、ここまでそれをおしすすめた四郎も、いまあたしが感じていることだけはまるで気がつかないでいる。それは、舘山百合子が本当はお姫さまのような女じゃないってことよ。外見がどう見えようと、どんなに金をかけて手厚く育てられようと、実際は妾の子だし、父親は一代で大金持にのしあがった男じゃないの。

 あたしたちは貧乏人だから、金持っていうのはみんなおっとりかまえてる上品な奴らで、そういう連中の子供たちは、お城の王子さまやお姫さまみたいだろうと思い込んじゃってたのよ。

 だから、あたしだってお上品にお上品に振舞っていたけど、そればっかりじゃ間違いだったんだわ。金持ってのは、なぜ金持になったの。たくさんの人間を踏んづけて成りあがったんじゃない。奴らの金はどこから来てるの。貧乏人じゃない。小金井吉兵衛のとこに集まったたくさんのお札《さつ》の中には、あたしの手を通り抜けてったお札だってまじってるんだわ。その一枚のために泣いたり喚《わめ》いたりしたあたしのお札が、奴らのとこへ行ってるのよ。大がかりな仕掛けで吸いあげられてさ、貧乏を自分たちに甲斐性《かいしよう》がないせいだと思い込んで、運が悪いんだとあきらめて、何十年もそういう辛《つら》いくらしを一緒にして来た女房のお骨《こつ》をいれる墓ひとつ作れずに、しまいにトンカチで叩《たた》いてお骨を粉にして川に流しちゃうような人生を送っても、どこへも尻《しり》の持ってきどころがないと思い込んでたのよ。

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