「まだ愛してくれているの……以前のように」
「…………」
「お願い、返事をして」
「ばか」
また瑤子はばかと言われた。
「ねえ、私、心配で」
邦彦の声が急に低くなった。
「前と同じだ。変ってない」
瑤子は安心もしたが、少し不満でもあった。愛していると素直に答えて欲しかったのだ。しかし邦彦は快活な声で言う。
「要る物はないか。着る物とか……」
「いいえ」
「お父さんがよろこんでいた。あの人が俺に泣声を聞かせるなんて、まったく信じられないよ」
「まあ、本当……」
「そうさ。君がいた……そう言ったきり、しばらく何にも言えなかったようだ」
「セールスをしてるんですってね」
「ああ。何だか仕事がガタガタになってしまったんで、思い切って自分でやって見る気になったのさ。君を探すという点でも都合がよかったしな。でも、今ではこうなってよかったと思っている。今までの俺は甘かったんだよ。本社で綺麗《きれい》ごとばかりしていて、本当に自分の力で生きてはいなかった。セールスだっていやなことは多いが、体当りで人生にぶつかっているという感じだ。君だって俺が少し頼りないと思っていたに違いない……近頃《ちかごろ》じゃそう思うようになった。いや、少しどころじゃなかったかな」
「そんなこと……」
「いや、いいんだ。これからも一人、会わなければいけない人がいる。うまく行けばいい商売になるんだ。こいつをまとめて、君に会う前祝いにしたい。いずれ、小さいだろうが自分の会社を持つつもりさ。本社のほうでもそういうことを歓迎している。自分の力で生きて行くということは、とてもいい気分のものだ。君も帰ってくれたことだし、これからバリバリやるぞ」
瑤子は返す言葉がなかった。テレパシーを使って上司や同僚に邦彦を好かせようとしていた頃のことが、くやまれてならなかった。
5
翌朝十時。
瑤子はガンちゃんの運転する車で、伸子とホテルから西都原《さいとばる》へ向かった。
「三戸田さんたちは一時間あとにこの道を通る予定よ。瑤子さん、しっかり見張ってね。途中で狙撃《そげき》して来るってこともあるでしょう」
あまり先行しすぎては、沿道のチェックにはならないのだ。だから伸子はスタートを三戸田たちの一時間前と決定していた。
「本当にそんな殺し屋なんているのかなあ」
ガンちゃんはいまだに半信半疑だ。
「彼の心には自分が狙撃する場所として、小さな岡のイメージが浮んでいたわ。まだ見ていないから判らないけれど、ホテルのパンフレットにあった写真で見ると、その岡というのは絶対に西都原の古墳のどれかよ」
「テレパスの言うことは信じるわよ。でも念の為。現地へ来て急に予定を変えるってこともあり得るでしょう」
「それはそうよ」
瑤子には自信があった。一度ならずはっきりと捉《とら》えたことのある思考だから、今度はもう絶対に見のがすおそれはなかった。
「テレパスって……」
ガンちゃんが訊《き》く。
「テレパシーを使える人のことよ」
「へえ、そんな風に言うのか。で、そのテレパスって誰《だれ》なの」
「瑤子さんよ」
「瑤子さん……」
「春子というのは偽名だったの」
「どうして偽名なんか使うんだろう」
「テレパスだからよ」
「ひゃあ」
ガンちゃんはやっと納得が行ったように、ハンドルを握って奇声をあげた。
「春子さん……いや、瑤子さんはテレパシーが使えるんですか」
「そうよ」
伸子が答える。
「超能力者だな、それじゃ」
「それも、とび切り強い超能力を持っているのよ、この人は」
「伸子さん」
瑤子はとがめるように言った。
「かまわないわよ。こう見えてもガンちゃんは口が堅いんだから。人に言ってはいけないことは、絶対に言わない人なのよ。ねえガンちゃん」
「秘密なら守りますよ。でも、本当にテレパシーが使えるなら、一度見せてもらえませんか。俺《おれ》、UFOだの超能力だのって、まだ一度も見たことがないんですよ」
瑤子は笑った。
「いいわよ」
瑤子はガンちゃんの心を探《さぐ》りかけたが、すぐにハッとしてやめた。
「どうしたの」
伸子が気配を察して訊く。
「ガンちゃんの心を面白半分に覗《のぞ》いては悪いでしょう」
「そうね」
「なんだか信じられないな」
ガンちゃんは疑わしげに言う。
「テレパシーなんて、本当にあるのかなあ」
瑤子は、今度は覗くかわりに押し込んだ。テレパシーが実在するということを、ガンちゃんの心の中に強く挿入したのである。
「…………」
ガンちゃんは車のスピードを少し落し、考え込んでしまう。
「判った、ガンちゃん」
「え……」
「今、瑤子さんが判らせたんじゃないの……」
「あ……今のがそうなんですか。とても変な気分だった。急にテレパシーを信じちゃったんですよ」
「それは瑤子さんが判らせたのよ」
「俺、テレパシーを信じます」
ガンちゃんはおごそかな顔で言った。
車はしばらく三人の沈黙を乗せて走ったが、やがて伸子がそっと瑤子に尋ねた。
「ガンちゃんの心を覗きかけてやめたでしょう」
「ええ」
「何があったの」
瑤子は微笑した。
「知りたい……」
「ええ」
「愛よ、あなたに対する。だからやめたの」
伸子は憤《おこ》ったように横を向いた。その横顔に、赤味がさしていた。
6
瑤子の特殊な感覚に、例の男の思考は結局届かずじまいで、車は目的地に着いた。
「いなかったわね」
伸子は西都原《さいとばる》の古墳群を示す案内板の前で、ほっとしたように言ったが、瑤子はかえって緊張していた。
その場所こそ、殺し屋がひそんでいるに違いないのだ。
「気をつけてね、伸子さんたちも」
「どんな奴かしら」
「がっしりした体つきで、髪を短くしていて……」
「まあ、会ったことがあるの」
伸子は驚いたようであった。
「船の中で一度だけ見たの。朝早く、デッキへ出て体操をしていたわ」
伸子はすでに、瑤子がフェリーの中で訓練の為テレパシーを働かせていたことを知っているから、大して驚かなかったが、ガンちゃんは憤然としたように言った。
「なぜそのときつかまえなかったんですか」
伸子が笑った。
「あたし達みたいなかよわい女に、そんな殺し屋がつかまえられると思うの」
ガンちゃんはくやしそうな顔をした。
「俺がいたらなあ」
瑤子は二人のお喋《しやべ》りを制止する。
「少し黙っていてくださらない。私達が失敗すると三戸田さんの命がないのよ」
二人は肩をすくめて沈黙した。
「ゆっくり車を走らせて」
瑤子が命令した。
「はい」
ガンちゃんは緊張した面持ちで車をスタートさせた。
「伸子さんとガンちゃんは、目で見ていてくださいね」
瑤子はそう言うと、シートにゆったりともたれて静かに目をとじた。
「目をつぶっても判るんですか」
ガンちゃんが低声《こごえ》で訊いている。
「そうよ。テレパシーだもの」
伸子が答えた。
「左側を観光客が歩いているわね」
瑤子が目をとじたまま言う。
「左側を……」
二人はその方を見たようだった。
「いないわ」
「そんなことない筈よ。二十人、いや二十六、七人いるわ。親子づれのグループみたい」
二人はしばらく黙って左側を見ていたが、ガンちゃんが急に、うれしそうな声で言った。
「いたいた、ずっと向うだよ。左は左だけれど」
「あの中にはまじっていないようよ」
「へえ、あんな遠くまで判るんですか」
ガンちゃんは感心したように言った。
よろこびの午後
1
殺人者を発見できぬまま、時間が過ぎて行った。
「どうしたの……三戸田さんたちの車が着いてしまうわ」
伸子はいらいらした様子で腕時計を見ながら言った。
「ごめんなさい。でもいないのよ」
瑤子も焦《あせ》っていた。しかし、あの男の心は瑤子の類《たぐ》い稀《まれ》な精神のどこにも触れて来ないのだ。
「あなたのテレパシーに気付いてしまったんじゃないかしら。だってきのうあなたはその男の心に強く働きかけたんでしょう」
「そんなことはないわ」
瑤子は確信をもって伸子の疑問を否定した。
「あの男に少しでもテレパシー能力があれば、とっくに気がついているわ。向こうに能力がなければ、こちらの能力に気付けるわけはないんですもの」
伸子は少し考えてから、
「そうだわね」
と頷《うなず》いた。
「どういうこと……」
ガンちゃんが尋ねる。
「たとえば鼻というものがないとしたら、私がいくら匂《にお》いについて説明したって判らないでしょう」
瑤子のたとえは伸子を笑いこけさせた。
「その通りだわ」
「観念的に理解はできても、実際にどんなものかは判りっこないわね」
「そうすると、テレパシーの能力がない僕らは、鼻がない人間と同じということか」
ガンちゃんはおどけてぼやいた。伸子は何か言いかけたが、急に瑤子をみつめて口をつぐんだ。ガンちゃんもそれに気付いて緊張した表情になる。
「いた……」
伸子が小さな声で訊《き》く。瑤子はこくりと頷いて見せた。
「鞄《かばん》の中身のことを考えてるわ。分解した狙撃用の銃よ。五十秒かかる……組立てる時間のこと。道をそれた。草にかくれた水溜《みずたま》りがないか用心してる。靴《くつ》を汚《よご》すのを嫌《きら》ってるの。きめてあったのよ、場所を。きのう来て水溜りに靴を踏み入れたの。その水溜りだわ」
瑤子は自分の精神に映る殺人者の心を、伸子とガンちゃんの為にいちいち言葉にしていた。
「とまった。道から見えない。位置を確認してる」
「どこ」
「まだ判らないの。そう右のほう……斜め右前方」
ガンちゃんはその方角に顔を向けた。
「しゃがんで鞄をあけようとしてる。……迷ってるわ。早すぎるみたい」
すると伸子が切迫した声で言った。
「来たわ。あの車よ」
三戸田たちを乗せた車がやって来たらしい。
「車を出して」
瑤子は言った。ガンちゃんは車をスタートさせる。
「早く三戸田さんの車に追いつくのよ。追いついたら横に並べてしまって」
ガンちゃんの運転は急に乱暴になった。観光バスを狭い道で追い抜き、向こうからやって来た小型車に急ブレーキをかけさせた。それでもガンちゃんは減速せず、ホーンを鳴らしっ放しにして突っ走る。
「様子が変だと思いはじめたわ。銃を組立てようかどうか、いっそう迷ってる。そうなのよ。銃を組立ててしまったら、その銃は彼にとって危険なものになるのよ。見咎《みとが》められるんですもの」
三戸田の車がとまった。伸子の父が同乗しているから、狂ったように迫って来るのが伸子たちだと気付いたのだろう。かなり遅れて三戸田たちの車に随行していたもう一台の車がやって来て、三台はひとかたまりにとまった。
伸子がまっ先に車をおり、随行車のほうへ走った。中には制服の警官が四人乗っている。
「あっちにかくれています」
伸子は指さして叫んだ。
「スポーツ刈りでがっしりした男。分解した銃をいれた鞄を持っているそうです」
続いておりた瑤子は、伸子に向かって、
「サングラス」
と言った。
「サングラスをしているそうです」
その車は急に後退すると向きを変え、伸子が教えた方角へ走り去る。
「いけません」
瑤子はドアをあけて降り立った三戸田に鋭い声で言うと、素早く車をまわり込んで車内へ押し戻した。
2
「出てはいけません」
三戸田は唖然《あぜん》として瑤子の顔を見ていた。
「伸子さん」
瑤子はまた伸子に言う。
「なに……」
「銃はまだ鞄の中だけれど、別に拳銃《けんじゆう》を持っているのよ」
「あ……」
伸子は振り返った。警官たちの車にはもう声が届かない。
「たった今判ったのよ」
「彼はどうしてるの……」
「さっきと同じところに隠れているわ。でも、もう狙撃《そげき》はあきらめてる。邪魔が入ったと気付いたのよ。東京の男たちが裏切ったと思って怒ってるわ」
「東京の男たちって……」
「彼に仕事を頼んだ人たちのことよ」
三戸田が瑤子に尋ねた。
「どうして君はそんなことを」
「ご説明はあとで」
瑤子はそう言うと伸子をまねき寄せた。
「車のかげにいたほうがいいわ。彼は今とても興奮しているの。気持が悪くなるほどだわ」
「拳銃のことをあの警官たちに教えなければ」
よし、という顔で瑤子は頷《うなず》いた。
「やって見るわ」
瑤子のテレパシーが、車をおりようとしている警官たちをとらえた。
「どう……」
「判った筈よ。みんな拳銃を手に持ったわ」
「ちょっと待ってくれ」
三戸田がたまりかねたように手をあげて言う。
「儂《わし》を狙《ねら》っている殺し屋がいることは、ゆうべ遅くに伸子君から教えてもらった。しかし、君の今言っていたことはさっぱり判らない。まるでテレパシーか何かを操っているような感じだが、いったい……」
「瑤子さんはテレパスなんです」
伸子はズバリと言った。
「テレパス……」
「テレパシーを使える人です」
だが瑤子はそれどころではなかった。殺し屋が警官に発見され、鞄を持って走り出したのだった。水溜りに踏み込み、激しく心の中で罵《ののし》るのが、彼女の頭に突きささるように届いている。
「逃げてる」
瑤子は伸子に教えた。
「あ、鞄を抛《ほう》り出したわ」
「必死ね、彼も」
「警官が一人先まわりしたわ。拳銃を構えてとまれと命令してる」
三戸田はラジオのスポーツ中継のアナウンサーのような瑤子を、びっくりしてみつめていた。
「あ、嫌《いや》だ……」
「どうしたの」
「観光客のほうへ走り出したわ。別な警官が観光客に叫んでいる」
たしかに、遠くから何か喚《わめ》くような声が聞こえていた。
「あ、駄目《だめ》。早くあの子を」
瑤子は拳《こぶし》を握りしめ、じれったそうに言った。
「どうしたのよ、瑤子さん」
「ああ、駄目だわ」
「どうしたのよ」
「女の子よ。小さな女の子が彼につかまっちゃったの」
「人質か」
三戸田は瑤子に押し込まれた車からまた降り立って言う。
「殺し屋が追いつめられて女の子を人質にしたというのか」
いきり立っている。
「ええ。ひどいわ……頭に拳銃を突きつけてる」
「儂のせいだ。何とかしなければ」
三戸田は歩きかけた。
「三戸田さん、おやめなさい」
伸子の父が言った。その谷村氏も車から降りる。
「子供を射てばそいつもおしまいです。いくら逆上していても、それくらいのことは判っている筈ですよ」
「しかし……」
三戸田はくやしそうに顔を歪《ゆが》める。
「警官もいることです。まかせましょう」
伸子はガンちゃんに言う。
「ガンちゃん、どこかで電話をして来て。警察へ知らせるのよ」
「よし来た」
ガンちゃんは威勢よく言うと電話を探《さが》しに車をスタートさせた。
「三戸田さんがその男に近付いたら、相手の思う壺《つぼ》です。あなたはここを動いてはいけない」
谷村は厳しい声で言った。
「滅茶苦茶なことをする奴がいるものだ」
三戸田は憤然としている。
「伸子さん」
「なあに」
「あたしがやって見ましょうか」
伸子は目を丸くした。
「そうだわ。瑤子さんならできるわよ」
「その……テレパシーで、ですか」
三戸田は畏敬《いけい》の目で瑤子を見た。
「はい。何とかできるかも知れません」
「お願い。やってよ瑤子さん」
「じゃあ行きましょう」
二人の女性は小走りに現場へ向かった。
「三戸田さんはここにいてくださいよ」
谷村は三戸田にそう念を押し、娘たちのあとに続いた。
たしかに殺し屋は五歳ぐらいの女の子を人質にとっていた。
四人の警官がそれを前後から取り囲み、その更にうしろに観光客たちがじっと成り行きを見守っている。
「美代ちゃん。美代ちゃあん……」
母親だろう。周囲の者に飛び出そうとするのをおしとどめられながら、甲高《かんだか》い声で泣き叫んでいる。
「この辺で充分よ」
瑤子は足をとめた。
「頑張《がんば》ってね」
伸子がささやく。瑤子はそばの木の幹に倚《よ》りかかって、静かに目をとじた。
瑤子の目に見えない触手が伸びて、殺し屋の思考をまさぐりはじめる。
「抵抗はやめろ。その子を放さないとますます罪が重くなるぞ」
警官の一人が言う。
「馬鹿野郎。そこらのチンピラと一緒にされて堪《たま》るか」
「早くその子を放せ」
「てめえらこそ早くどけ。お前たちがいなくなれば俺もこの子を放してやる」
警官たちはそれに答えず、ジリッと半歩前進する。
「動くな」
殺し屋は大声で喚《わめ》いた。女の子が怯《おび》えていっそう激しく泣く。
「やい、そこの連中」
殺し屋は遠巻きに見ている観光客に向かって叫んだ。
「警官が立去れば、この子を無事に返してやるぞ。だが警官がこうやって拳銃で俺を狙《ねら》っている以上、この子の命は保証できねえ。射たれて死ぬ前にこの子を殺してやる」
人々がどよめいた。
「お願いです。行ってください」
母親が警官たちに言った。
「あとでいくらでもつかまえられるでしょう。あんたがたの手柄より、うちの子の命のほうが……」
殺し屋は得たりとばかりに言う。
「そうだそうだ」
「お願いです、お巡りさん。早く立去ってください」
「言うことは聞けねえとさ。てめえらの点数|稼《かせ》ぎのほうが、人間の命より大事だと思ってるんだ。警官なんてみんなそうしたもんさ。これが警官の正体なんだぞ」
殺し屋は巧みな煽動《せんどう》者でもあった。果して観光客の中から声があがる。
「人命優先だ。この場は引きさがれ」
警官たちは当惑した様子であった。
3
長い睨《にら》み合いが続いた。この間幹に倚《よ》りかかった瑤子は、全力をあげて殺し屋の心に働きかけていた。
しかし、殺し屋の興奮が壁となって、なかなか思い通りに行かない。
「どうしたの。駄目なの」
伸子が堪《たま》りかねて言った。
「興奮し切っていて、ほかのことを考えられない状態なのよ」
「早くしないと、万一ということがあるわ」
「こうなったら、無理やり拳銃《けんじゆう》を捨てさせるしかないわ」
「何でもいいから早くして」
「やって見るわね」
とたんに瑤子の顔が紅潮した。
すると、殺し屋にたちまち異状があらわれた。拳銃を把《つか》んだ右の手が、妙な感じでうしろへさがって行く。
「糞、何しやがる」
殺し屋は一度腕を元へ戻した。しかしすぐにまたうしろへ引っ張られるようにさげてしまう。
「誰《だれ》だ。畜生、やめてくれ」
殺し屋の拳銃を持つ手がブルブルと激しく震えた。
「やめろ」
大声で叫んだとき、殺し屋は右腕に力をこめたので、無意識に左手で女の子を前に突きとばしていた。
ポトリ、と拳銃が地に落ちる。
「それ」
四人の警官のうち三人が殺し屋に飛びかかり、もう一人が女の子を抱きあげて横へ走った。
「美代ちゃん」
観光客の間から母親が走り出し、ころげるようにわが子に抱きつく。
カチャリ、と手錠《てじよう》がかかった。瑤子はふうっと大きく息を吐くと、その木の下にしゃがみ込んでしまった。
「やったわね。お見事よ」
伸子は跳《と》びあがってよろこんだ。
「テレパシー……」
谷村はしゃがみ込んだ瑤子を凝視《ぎようし》し続けている。たしかに彼女がテレパシーで殺し屋に銃を捨てさせたのが判ったのだろう。
「凄《すご》い力を持った人だ」
「大丈夫……瑤子さん」
「ええ、私は何ともないわ」
瑤子は伸子をみあげて微笑した。そこへ三戸田がやって来る。
「解決したようだな」
「この人のおかげです」
谷村は三戸田にそう言った。
「犯人に拳銃を捨てさせてしまったのですよ。近くで見ていなければとうてい信じられないところだ」
「テレパシーを使うことのできる人間がいることは以前から聞いていた。政府部内でそういう問題をひそかに取扱っているということだった。しかし、本当にいるとはなあ……しかもこんなに若くて美しい人が」
瑤子はもう一度深呼吸をして立ちあがった。
「さあ、行きましょうか、伸子さん」
「ちょっと待ってください」
三戸田が慌《あわ》ててとめた。
「いろいろお尋ねしたいことがあります」
伸子が口をはさんだ。
「瑤子さんは自分がテレパスであることを隠しておきたかったんです。テレパシーの能力があるおかげで、誰かから追いまわされ、逃げまわっていたんです。それを緊急の場合でやむを得ず三戸田さんや父の前で使って見せてしまったんですわ。だからそっとしておいてあげなければ」
「いや、そういうことではない。この人が逃げまわっていることについて、少しお話したいのですよ」
瑤子は三戸田を正面からみつめた。三戸田の心は瑤子に対する好意で溢《あふ》れ返らんばかりであった。
「人類の変種。儂《わし》はそういうように聞かされていたのです。テレパシーの力を持つ者は、三本目の腕、三本目の足、そして第三の目を持つ者と同じことなのだと言うようにね」
「まあひどい」
伸子が憤然とした。
「で……」
瑤子は三戸田が現在の政府と深いかかわりを持ち、テレパス狩りについても知らされていることを悟っていた。
「日本はご承知のように、国際社会ではアメリカと深いかかわりを持ってやって行かねばならんのです。あちらさんが、お前のところもテレパシーを使える人間を探《さが》さねばいけないと言えば、そうしなければならんのです」
「私はそれで追われたのですね」
「どうもそのようですな。しかし、そのことを説明するのに、専門家は自分たちに都合のいい言い方をしておったのです。あなたを拝見してそれがはっきりと判りましたよ。連中はまるでモンスターのように言っているのです。人間ではない別な生き物のように……いや、あなたを悲しませるつもりは毛頭ありません。連中の言うことが嘘《うそ》であったことがはっきりしたのです。たしかにテレパシーを悪用すれば、とんでもないことが起きるでしょうが、それだったら核兵器だって人工衛星だって五十歩百歩です。どうも何かを管理統制する側の人間というのは、相手を最悪のものに考えてしまうようです。何とかしましょう。及ばずながら儂がお力になります。いや、是非やらせてください。こんなに心も姿も美しい人が、判《わか》らず屋どもに追いまわされていたかと思うと、くやしくて仕方ありませんわい」
三戸田はそう言って照れたように笑った。
4
なかなか手離したがらない三戸田や谷村に付合ってついホテルへ戻るのが遅れた瑤子は、三時になってやっとホテルへ向かうことができた。
「ガンちゃん、急いで」
伸子は車を急がせた。
「これじゃ空港へ行っても仕方ないわね。まずホテルへ行きましょう」
「ええ、そうするわ」
「だいたい瑤子さんは人がよすぎるのよ。何もこんな時間までサービスしなくたって」
伸子のほうが瑤子より余程いらいらしているようであった。
「だって、三戸田さんもあなたのお父さまも、あんないい方なんですもの。勝手を言うのは悪い気がして」
「勝手を言ったのはあの人たちのほうよ。若くて綺麗《きれい》な人をそばへ置いてニヤニヤしてるだけじゃないの」
「そんな風に言うことはないわよ」
瑤子は笑った。久しぶりに晴ればれとした気持であった。人の役に立つことができたし、三戸田が安全を保証してくれると請合ったのだ。
おまけに邦彦がもう宮崎へ来ているのだ。うれしいことも、悪いことと同じように一度にいくつも重なり合ってやって来るものらしい。
「いいお天気」
瑤子が窓の外を見てつぶやくと、いらいらしていた伸子が急に笑い出した。
「何を言ってるのかしらねえ」
「あら、私変なことを言った……」
「そりゃいいお天気でしょうよ。あなたにとってはね」
ガンちゃんも笑う。
「きのうよりは雲が多いですよ」
「無理もないわね。恋しい恋しい旦那《だんな》さまが会いに飛んで来るんですもの」
「まあ」
瑤子は顔を赤らめた。期待に胸を躍《おど》らせて、他人に対する心の備えをまったく欠いてしまっていたことに気付いたのだ。
「その旦那さま、もうお待ちかねかも知れないわね」
ホテルが見えて来ると、伸子はそう言ってからかった。
「あたしがフロントへ行ってあげる。瑤子さんのお部屋のキイがなかったら、ご主人が見えている証拠よ。そうしたらこうやってサインを送るから、エレベーターへ走って行きなさい」
伸子は右の拇指《おやゆび》と人差指で輪を作って見せた。
その言葉通り、ホテルの前へガンちゃんが車をとめると、伸子は素早くおりて小走りに建物の中へ駆け込んだ。
瑤子はさり気ない様子であとから行く。しかし、気持が平静なわけはない。できれば体より先にテレパシーを自分の部屋へ送って、邦彦がいるかどうかたしかめたい気分だったが、それをしては邦彦にすまないような気がして自制していた。
フロントは玄関を入った左側にあり、エレベーターは更にその裏側に当たっていた。
伸子がフロントのところで振り返った。右手をあげて笑っている。指が輪を作っていた。
とたんに瑤子は自分でも思いがけない勢いで走り出した。涙が溢《あふ》れて、エレベーターの表示ランプが滲《にじ》んで見えた。エレベーターがそんなに遅いものだとは知らなかった。階と階との間でとまっているような気がしたほどである。
そして瑤子はその小さな密室から廊下へ飛び出した。また走って自分の部屋のノブに手をかけた。
動かない。
瑤子は焦《あせ》ってチャイムのボタンを押し続けた。
「はい」
ドアの向こうで懐しい夫の声がした。ノブがまわり、ドアがあいた。
気がつくと瑤子は夫の胸に顔を押しあてて泣きじゃくっていた。邦彦は半歩しりぞいてドアをしめ、あらためてきつく抱きしめてくれた。
「瑤子」
無理に上を向かされ、唇《くちびる》を押しつけられた。瑤子の涙が邦彦の顔を濡《ぬ》らした。
無言だった。長いくちづけがおわると、邦彦は瑤子を抱きあげ、部屋の中央へ運んだ。
また、くちづけ。
「余りやつれてはいないな」
邦彦は唇を離すとそう言った。抱きながら肩や背中や腰などをまさぐっていたのは、離れていた間の瑤子のやつれ方を探《さぐ》る為だったらしい。
「何もかもお話しするわ」
瑤子は邦彦をソファーに坐《すわ》らせると、一気に真相を喋《しやべ》りはじめた。
5
夕食を伸子と一緒にする気でいたが、電話をすると一蹴《いつしゆう》されてしまった。
「嫌《いや》よ。あしたの朝食なら別だけれど」
伸子の声は笑いを含んでいた。
「あたしもテレパシーが欲しくなったわ。どんな夜になるのか、あれで覗《のぞ》いてみたいの」
「まあ、伸子さんたら」
「冗談はとにかく、あしたの朝までは二人きりでいること。実はさっき支配人に言って、すてきなディナーを用意させたのよ。シャンパンつきでね。あたしのささやかなプレゼントなの。適当な時間にお部屋へ運んで行く筈《はず》よ」
「まあ……」
「受けてくださるわね」
「ええ、有難くご馳走《ちそう》になるわ」
「じゃあ、あしたの朝まで」
「いろいろと本当に有難う」
瑤子は受話器を置いた。
「晩ご飯をプレゼントされちゃった。きっとフルコースよ。シャンパンもあるんですって。ルームサービスで」
「ほう、なかなかしゃれたことをする人だね、その伸子さんという人は」
「ええ、とてもすてきな女性」
「ルームサービスときまれば、ひと風呂《ふろ》浴びるとするか」
邦彦は立ちあがり、上着を脱《ぬ》ぎはじめた。瑤子はいそいそと窓のカーテンを引き、バスルームへ行って湯を出した。邦彦は瑤子が湯加減を合わせている内に、スーツケースから剃刀《かみそり》などを取り出していた。
「おかげですっかり旅慣れたよ」
バスルームから出た瑤子は、そう言う邦彦の裸の胸を照れ臭い感じで見た。
「変ったわ、少し」
「そうだろう。自分でもそう思う。どうだ、いくらか逞《たくま》しくなったんじゃないか」
瑤子は微笑して頷《うなず》いた。
ぼんぼん……という感じの強かった邦彦が、すっかり逞しくなっていた。体つきではなく、生活力のようなものが感じられるのだ。男らしくなった、というべきか。
「さて、もういいんだろう」
邦彦はスラックスを脱ぎ、バスルームへ去った。瑤子は夫の脱いだ服を片付けながら、胸がしめつけられるような気分になった。それは甘く、熱い息苦しさであった。
「瑤子」
バスルームから声がする。
「はい……」
「背中を流してくれ。旅から旅の旅鴉《たびがらす》だったから、きっと汚《よご》れているぞ」
「はい」
甘えているんだわ。瑤子はそう思い、つい微笑した。……いいわよ、いくらでも甘えなさい。あたしだってあとで思い切り甘えるんだから。
瑤子はそう思いながら、ブラウスの袖《そで》をまくっていた。
静かな里へ
1
クラブから靴《くつ》や帽子まで、何から何まで借りた邦彦が、谷村伸子を相手にホテルのすぐそばのコースへ出たのは、二泊したあとの午後であった。
ゴルフのことは余りよく判《わか》らない瑤子の目にも、伸子のほうがずっと上手《じようず》であるらしいことはすぐに判った。
それはそうだろう。伸子は金と暇にまかせて、いいコーチにもつけば、いつでもコースをまわれる身なのだ。
しかし邦彦はそんな伸子と闘志をむき出しにしてクラブを振っていた。
たかがゲームに過ぎないが、瑤子はそんな邦彦のひたむきな姿に、うろたえ気味であった。
この人は今までずっとたたかっていたのだわ。……そう感じ、あらためて詫《わ》びたい気持でいっぱいになった。何ということなしに、サラリーマンの集団に加わって、ぞろぞろと歩いているような印象を、瑤子は邦彦に対して抱きつづけていたのである。その集団の中にも競争があると理解はしていても、牙《きば》をむいて相手におどりかかるようなたたかいなどあるわけがないと安心していたようなのだ。
瑤子ははじめて邦彦の野性を見たような気分であった。
このような闘志を示す男に対して、テレパシーによる援助をしたことを、とてもはずかしいことであったように思うのであった。
伸子は悠然《ゆうぜん》としてプレーをたのしんでいた。邦彦がミスをすると、そのたびに瑤子をからかったりしている。そのくせ伸子も邦彦も充分にプレーをたのしんでいるのだった。
「久しぶりにさっぱりした気分だ」
コースのおわり近くで、邦彦は短い草の上を並んで歩く瑤子にそう言った。
「以前よりずっと元気そう」
瑤子は少しうらめしげな表情で答えた。離れて暮らしているうちに、邦彦はたしかに以前より逞《たくま》しい感じになっていたのだ。
「ばかを言え、辛《つら》かったんだぞ」
邦彦は思いがけない深さで瑤子の目をみつめると、すぐその目を伸子のうしろ姿へ移した。伸子は五十メートルほど前を歩いている。
グリーンが近くなり、邦彦の足が早くなったが、瑤子はそのままの歩きかたで邦彦を見送っていた。