「スポンサーやからいうて、なんでもしてもらえる思うたら大まちがいや。私、ああいうこと、絶対ようせんのやから」
あゆみは容赦《ようしや》のない口調になった。声まで歪《ゆが》んでいるようにみえた。
「よっぽどきらいなんだな、男のものが。どうしてそうなったのかな」
「気持わるいわ。口にいれるやなんて、考えただけで吐き気がする。私だけやないのよ。そういう女の子って、たくさんいるわ」
「自分がしてもらうのは構わないのか」
「柚木さんがしたいいうから、させてあげるんやないの。誠意感じるもん。私はべつにしてもらわんかていいのよ」
「いや、させてくれよ。あゆみの体を、おれは尊いものに感じるんだから」
柚木はベッドからおり立った。あゆみの腕をとってこちらに向かせる。
あゆみはベッドに腰かけた。彼女の両脚のあいだへ柚木はうずくまった。舌を使いはじめた。たちまち熱中してゆく。あゆみは声をあげはじめた。赤ん坊のような声だった。
「きてよ。柚木さん、もういいからきて」
何分かたって、あゆみは要求した。体の向きを変えようとした。
女の体の中心のところに、柚木はもうしばらくひそんでいたかった。両手であゆみのふとももをかかえる。淫《みだ》らなキスをつづけた。
あゆみがなにかさけんだ。柚木は肩を蹴られて体勢をくずした。その間にあゆみはうしろを向いてベッドに這った。尻を突きだした。丸くて愛らしい尻だった。
早うして。シラけるやないの。あゆみはさけんだ。柚木は立ちあがって、丸い尻をひきよせた。愛は感じていない。むしろうんざりしている。体だけが痛いほど反応していた。
スナックバー「いるか」は予定どおり開店した。会社の名で柚木は花輪を贈った。
開店の夜、若い社員を二人つれて柚木は「いるか」へいってみた。十五人掛けのカウンター席のほか、奥にテーブル席が一組。バーテンダーと、手伝いの女の子が二人いた。変哲もない店だった。
それでも客は満員だった。ほとんどが三十代のサラリーマンである。代る代るマイクをもち、ビデオディスクにあわせてうたっていた。歌声が店内にひびきわたった。柚木の好みとは、ほど遠い雰囲気である。
目を血走らせてあゆみは働いていた。柚木のもとへ挨拶にきたが、五分もそばにいなかった。こんな日は、親しい客はかえってないがしろにされる。三十分ばかりで柚木は退散した。開店当初だけかもしれないが、繁昌ぶりを見て、気がかるくなっていた。
二日後の午後三時ごろ、律子から電話が入った。いま大阪空港にいるという。パリから大阪ゆきの日航機へ乗ったらしい。
「主人はパリにとどまっているわ。いそいで帰ることもないから、大阪へ寄ったの」
律子は息をはずませていた。今夜時間がとれるかどうか、不安そうに訊いた。
夜の予定はなかった。律子はこれからホテルの部屋へ入って一眠りするという。七時に柚木はホテルをたずねてゆく約束をした。
約束どおり柚木は七時にホテルへ着いた。電話で律子を呼びだした。白いサファイア・ミンクのコートを着て律子はあらわれた。ロビーにいる人々のなかで、律子にだけ照明があたっているようにみえた。バッグのほかに小さな黒い鞄を彼女はさげている。
ホテルを出て、日本料理店へ入った。座敷机をはさんで向いあった。一眠りして、律子は元気そうだ。最初から高校時代の面影が顔にあらわれている。ビールで乾盃して、おたがいの健康を祝しあった。
「はい、お土産。なにがいいか、ずいぶん考えたのよ」
小さな黒鞄を律子はさしだした。
柚木はふたをあけてみた。おどろいて声をあげた。管楽器が入っている。複雑な白い金属部品のついた黒い管が三つに分離されて、鞄におさまっていた。
「オーボエじゃないか。すごいな。こんなのもらっていいのかな」
楽器にメーカー名が刻んである。FOSSATI。名の通った会社だった。たぶん五十万円はするだろう。
「楽器を習うのが柚木さんの夢だったんでしょう。練習なさいな。私が伴奏してあげる」
「でも、いまから——。きみはアマチュアのトップレベルにいる人なのに、伴奏なんかおそれ多いよ。一年練習して、サイレントナイトを吹けるかどうかわからないのに」
「サイレントナイトでいいわ。今年のクリスマスに演奏しましょう。柚木さん、夢を実現なさいな。ちょうど私たち、青春をやりなおしているんですから」
だまって柚木は頭をさげた。
オーボエをケースから出して一本につないだ。リードをつけて吹いてみる。音が出ない。力んで吹くとホラ貝のような音が出た。ほほえんで律子はみつめている。
フルートやクラリネットはアマチュアの演奏者が星の数ほどいる。その点オーボエを吹く者はすくない。教則本をマスターすれば合奏の申し込みがあいつぐだろう。この楽器をえらんだ理由を律子はそう語った。
柚木はオーボエをおしいただいた。毎朝一時間ずつ練習する決心である。他人との合奏はどうでもよい。律子の伴奏で、一曲でもいいから吹いてみたい。彼は体が熱くなった。男からダイヤを贈られて感動する女の気持が、生れてはじめてわかったと思った。
二時間近くかけて食事が終った。二人は料理店を出た。律子の肩に腕をまわして柚木は歩いた。ミンクに覆われた律子の体が、若い女のようにしなやかに感じられた。
柚木は決心した。律子を「いるか」へつれていった。律子とあゆみを同じ場所へおいてみたい。今夜の律子のまえでは、あゆみは色褪《いろあ》せてみえるはずだった。それを見れば、心の揺れにけりがつくだろう。あゆみなんか、どうでもいい小娘なのである。律子といると、星空を見あげたときの澄んだ気持になれるのに、あゆみといっしょだと泥にまみれた思いにおちいる。
先日ほどではないが、「いるか」は混んでいた。カウンター席に柚木は律子とならんで腰をおろした。従業員の女の子が相撲をとるような恰好で白いミンクをかたづける。オーボエのケースを柚木はひざに載せていた。
ブランデーを注文した。店内には客の歌がひびきわたっている。大声を出さないと、会話が成り立たない。律子は物珍らしく店内を見まわしていた。
奥のテーブル席にいたあゆみが立って挨拶にきた。律子のペンダントや指環を一瞥《いちべつ》して、真剣な表情になった。ごゆっくり。つぶやいて奥へもどった。
柚木の胸をかすかな痛みが走った。テーブル席にいる三人づれの客のなかに関口がいた。大声で談笑している。となりであゆみがかしこまっていた。柚木の席にいるときとはまるで態度がちがう。明らかにあゆみは柚木よりも関口を大事にしていた。
「やっぱり疲れているわ。居眠りさせてね」
柚木の体に律子がもたれかかってきた。ほほえんだまま、目をつぶった。
カウンターに柚木は頬杖をついた。正面の壁をぼんやり眺めた。二つの女体のイメージが徐々にうかんでくる。
しなやかな若い裸身に柚木はくちびると舌で奉仕していた。もう一つの、青白い、どんよりと鈍い感じの裸身は、やはりくちびると舌で柚木に奉仕をつづけている。若い裸身のほうは声をあげていた。律子の声だった。まちがいようがなかった。