「真由子。なんて可愛いんだきみは」
有田は真由子におそいかかった。
あおむけにさせる。彼女の秘密の花へくちづけにいった。そこは濡れて、あたたかいぬかるみのような感触だった。舌をおどらせる。やわらかなぬかるみの底にひろがる甘美な神経を揺りおこしてやる。
真由子の手がのびて、有田の手を握りしめた。真由子は呻《うめ》いている。やわらかな呻き声だった。花びらを有田は噛んでやる。呻き声が高くなった。
真珠の粒を有田はくちびるで覆《おお》った。舌でころがしてやる。白い腹が上下に揺れはじめた。草むらが有田の鼻へおしつけられたり、はなれたりする。
手を握りしめたまま、真由子ははなさない。声がいっそう苦しげになる。有田の顔のすぐそばで白いふとももが揺れ動いた。
やがて、真由子は体をふるわせた。そりかえったあと、ぐったりとなった。有田はのしかかって、うしろから彼女を抱きしめる。顔をかくして真由子は呼吸をととのえていた。
やがて、真由子はこちらを向いた。目のあたりをクシャクシャにして笑った。
「ああ、これで私、もう有田さんのもんやね。なにもかも見られてしもた。すごく安心した。もうどんな恥ずかしいことでも平気やわ。なんでもできる」
真由子の手が有田の下腹部へのびてきた。
男性をとらえた。しっとりと力をこめる。そうしながら真由子は笑いかける。
「上に乗って。私、お口でしてあげたい」
有田は起きあがった。
真由子に馬乗りになる。前進した。両ひざをシーツについて、体重がかからないようにしてやる。男性を突きつけた。
「すごいわ。恐くなるわ」
ほんとうに怯《おび》えた顔で真由子はいった。
男性を手でとらえる。口にふくんだ。くちびるを突きだして吸いこむ。口中にしたまま舌を動かしはじめた。
うっとりした表情である。力をこめて吸ってくる。頭を動かしはじめた。眉根を寄せている。幸福そうな表情だった。快感が有田の体のなかで盛りあがる。急速にそれはふくらんで、あふれだしそうになる。
だが、このままつづけてほしい。懸命に有田はこらえた。快感におぼれてしまいたい気持と、持続したい気持の板ばさみになる。
耐えきれなくなった。真由子の頭を両手でおさえて、ひきはなした。体をずらして真由子の体のなかへ入っていこうとする。
「待って。待って。うしろから——」
真由子は起きあがった。
有田に背を向けた。獣の姿勢をとる。ヒップを突きだしてきた。
うしろから有田は真由子のなかへ入っていった。やわらかな肉の圧力をおしわけて前進する。すこしきつかった。やがて安定する。もう真由子は夢中だった。シーツに顔をふせて、呻き声をもらしている。反《そ》った背中や腰がピンク色にかがやいていた。
有田は動きだした。真由子の肉が、男性の根もとをしめつけてくる。急速に快感が盛りあがった。限界に近づく。
「だめだ、真由子。あまり保《も》ちそうもないよ。きみがきれいすぎるからいけないんだ」
区間急行だ。有田はつぶやいた。それで気をまぎらわすつもりだった。
「いいわ。いって。私もすぐいけるから」
真由子は右手で自分の秘密の部分をさぐりはじめた。あえいでいる。
遠慮なく有田は動きはじめた。真由子のうしろ姿がS字形に揺れはじめる。彼女は懸命に指を動かしているらしい。
同時に二人は頂上へたっした。
5
金曜日の朝、有田文彦はいつもより十五分はやく家を出た。
きょうは区間急行を利用しない。光明池駅で、各駅停車に乗った。車内は混んでいる。出入口のそばに立つと、すぐ電車は動きだした。
区間急行は五つ目の中《なか》百舌鳥《もず》に停まらずに大阪市内へいってしまう。有田は中百舌鳥でおりるつもりだった。大橋真由子に会うためである。真由子は中百舌鳥でP電鉄の難波ゆき急行に乗る。同じ電車に乗ろうと思えば、各駅停車を利用する以外にない。
真由子と最初のデートをしたのは火曜日だった。原則として毎週火曜日と金曜日にデートする約束をした。きょう午後六時に、先日の喫茶店で会うことになっている。
昨夜から有田はおちつかない気持だった。ホテルのベッドで身悶えしていた真由子の裸身が目にちらついた。けさ早く目がさめた。夕刻になるのが待ち遠しい。一分でも早く真由子とことばをかわしたかった。
あれからまだ三日目である。きのうもおとといも真由子とは会社で顔をあわせている。だが、会社ではゆっくり話ができない。真由子の体にさわるわけにもいかない。彼女の裸身を思い描きながら、ユニホーム姿の彼女にひそかな視線を送るだけだ。
蛇の生殺しだった。一日がとても長く感じられた。やっと金曜日になった。いっしょに電車に乗って、デートの雰囲気をつくっておきたい。約束を確認する意味もあった。
各駅停車もべつにゆっくり走るわけではない。だが、区間急行にくらべてずいぶんおそいような気がした。こんな気持で電車に乗ったのは、はじめてである。
電車は中百舌鳥へ着いた。乗りかえホームに立って、有田は真由子をさがした。彼女はたいてい、うしろから二つ目の電車に乗る。そのあたりに彼女の姿はなかった。
電車待ちの行列を一つ一つながめて、ホームのいちばん前までいってみた。やはり真由子はいない。先発の電車に乗ったのだろうか。それとも一電車おくれるのか。考えながら有田は、うしろから二番目の車輛へ乗れる位置へもどった。
光明池発の区間急行がやってきた。有田がいつも利用している電車である。停まらずにホームを通過してゆく。
思わず有田は声をあげた。最後尾の車輛の出入口に真由子が立っていた。向うも有田をみつけたらしい。小さく手を振っている。ほんの二、三秒で真由子の顔はみえなくなった。区間急行はいってしまった。
なんということだ。有田は苦笑いした。前回会ったときのように、真由子は光明池駅から区間急行に乗ったのだ。有田といっしょに通勤したい一心でそうしたのだろう。
前回は光明池の近くの友達の家へ泊ったといっていた。だが、そんなにたびたび外泊できるわけがない。早起きして彼女はわざわざ光明池へいったのだ。会社へゆくのと反対の方向へまわり道したわけである。
甘酸っぱい感情が有田の胸にひろがった。ますます真由子が好きになった。ほんとうにすばらしい恋人ができた。自分の幸運が恐いくらいだ。このさきどうなるかはわからないが、精一杯彼女を愛してやろうと思う。
急行電車がホームへ入ってきた。有田は乗りこんだ。押されるまま、なかへ入った。
声をかけられた。二メートルほどさきに情報管理室長が立っていた。有田の直属の上司である。河内長野から彼は通勤している。室長は朝がはやい。通勤電車で顔をあわせることは年に一、二度しかなかった。
室長のそばへいって有田は挨拶した。
「室長にしては、けさはゆっくりですね。ゆうべ、おそかったんですか」
「常務のお供でミナミで一杯やったんや。かえったら午前一時やった。もう五十やからな。さすがに朝はこたえるよ」
室長は苦笑いした。二日酔いと睡眠不足の両方になやまされているらしい。
「きみ、泉北ニュータウンに住んでるんやろ、なんで区間急行に乗らへんのや」
やがて、室長は有田の顔をのぞきこんだ。
有田は一瞬狼狽《ろうばい》した。難波へ直行できる区間急行ができたのに、これまでどおり中百舌鳥で乗りかえるのはたしかに不自然である。
「ちょっと中百舌鳥の様子をみようと思いまして。どれだけのお客が地下鉄に流れたか」
とっさにごまかした。
市営地下鉄が中百舌鳥まで延長されたのはたしかに痛手だった。だが、業績に影響が出るほどではない。P電鉄はいま、所有球場の移転をめぐって市と交渉中である。市に貸しをつくるのもわるくないだろう。室長はそんな話をした。
関西新空港の開設に呼応して、P電鉄は難波周辺の再開発に本腰をいれている。三十八階建ての高層ホテルを建て、空港、難波間の新線を敷き、CAT(シティ・エア・ターミナル)も誘致する。社内はその新計画で沸き立っている。室長も張り切っていた。
ひそかに有田は胸をなでおろしていた。もし大橋真由子といっしょにこの電車に乗っていたら、室長にあやしまれるところだった。真由子がまわり道してくれたおかげでたすかった。今後は気をつけなければならない。
室長といっしょにオフィスへ入った。真由子がお茶をはこんできた。
「残念でした。すれちがいでしたね」
真由子は小声でいった。
目のあたりをクシャクシャにして笑った。むきだしの腕がなまめかしかった。
午後五時をすぎた。有田は会議に出ていた。議論が白熱している。当分結論が出そうもない。真由子との待ちあわせは六時である。有田も議論にひきこまれていた。
やっと会議が終った。六時二十分近かった。オフィスに真由子の姿はない。大いそぎで有田は会社をとびだした。事情はわかっているはずだ。真由子は待っているだろう。
道頓堀の喫茶店のそばへきた。六時半すこしまえである。人混みのなかから真由子がとびだしてきた。有田と腕を組んであるきだした。しなやかな体が、挑《いど》みかかるように有田のそばで動いた。
「どうした。なかで待っていればよかったのに」
「アカンねん。総務の人らがなかにいるの。あぶないとこやったわ。有田さんが時間どおりにきてたら、完全にバレてたわ」
六時に真由子は喫茶店へ入った。
有田を待ちながら、なんとなく店内をみまわした。びっくりした。奥の席で、総務部の女子社員が二人おしゃべりしていた。真由子には気づいていなかった。
コーヒーを飲むのもそこそこに真由子は喫茶店をとびだした。近くに立って、有田があらわれるのを待っていたのだ。
「そうか。おくれてかえってラッキーだったんだな。しかし、おどろいたなあ。けさも似たようなことがあったんだ」
電車のなかで情報管理室長に会ったことを有田は教えてやった。
「そうやったんですか。なにが倖せになるかわかりませんねえ。私ら、モタモタするほうが結果的にツイてるんやわ」
「不倫の恋をすると、いっぺんに世の中がせまくなるんだな。気をつけて行動しよう」
「ほんまやわ。ミナミはわが社の縄張りやから、いつだれに会うかわかりませんからねえ」
組んでいた腕を真由子は解いた。
真剣な面持で人混《ひとご》みをみまわした。
6
一時間後、日本橋一丁目の近くのホテルのなかに二人はいた。
二度目のデートである。前回とちがって二人ともあまり酔っていない。
いっしょに風呂へ入った。今夜は有田も余裕をもって真由子の裸身をみつめた。
みごとな乳房をしている。胴は細かった。ヒップは大きくない。だが、上下の幅が短いので、じっさいより大きくみえた。下から上へふくらみをしゃくりあげたようなかたちをしている。合せ目は堅かった。
脚は太くも細くもない。肉づきがよくて、しかもひきしまっていた。オフィスにいるとき、有田は真由子の脚にいちばん視線がゆく。惚れ惚れと脚をみつめてしまう。だが、真由子が裸になると、脚にはあまり関心がなくなった。乳房や腰やヒップにばかり気をとられる。現金なものだ。
ゆっくりと二人は湯につかった。湯のなかでくちづけをかわした。有田は真由子の乳房をまさぐり、やがて吸いにいった。
同時に女の部分を指さきでさぐる。たちまち真由子は顔をしかめて、ぐったりとなった。女の部分は、湯よりも密度の高い液にまみれている。有田は指が甘く溶けそうな気がした。
暑くなった。二人は湯からあがった。真由子の背中を有田は洗ってやる。愛らしいヒップを彼女は腰掛けに乗せている。白い肌が、淡い桜色に上気していた。
「ふらふらする。頭がぼうっとしてきた」
真由子は手でひたいをおさえた。
うしろへ倒れかかってくる。石鹸の膜がついた背中を有田はささえてやった。
「よし、ここへ寝なさい。ひざ枕で」
有田はタイルのうえにすわった。両脚をそろえて投げだした。
直角に交叉する姿勢で真由子は有田の左のふとももに頭を乗せる。脚は有田の右のほうへ投げだした。
「ああいい気持。やすらぎの時間」
真由子はうっとりしていた。
「世間がせまくなったぶん、二人きりになるとゆったりするな。うんとみだれてくれ。ほかにはだれもいないんだから」
「もうみだれてるわ。すごく敏感になってる。ちょっとさわられただけで感じる」
「真由子はまだほんとうのオルガスムスを知らないからな。おれが教えてやるよ。一人前の女にしてやる。まかせておいてくれ」
有田は真由子の乳房に石鹸を塗った。
掌で揉《も》んでやる。石鹸が潤滑油の働きをした。ゆたかな乳房が有田の掌のなかで丸い生き物のように渦を巻いた。
真由子はため息をついた。乳首が小さなビー玉のように硬くなっている。かたひざを立てたりのばしたりした。有田の手が女の部分へくるのを待ちかねている。
有田は真由子の下腹部へ手をのばした。真由子の胴とふとももの継ぎ目に石鹸を塗ってやさしくこすった。ふとももの盛りあがりと弾《はず》みかたが、いかにも女体のものだ。
草に覆われたやわらかな肉を、しずかに圧した。真由子はふとももをとじあわせた。あふれでる熱い液をもてあましたような仕草である。張りつめたふとももの肌が、かすかに紅くかがやいていた。美しかった。
やがて有田は女の部分に手をやった。あたたかいぬかるみをさぐった。なでるようにかきまわしてやる。真由子は声をあげた。液を真珠の粒に塗りつけてやる。真由子の足指が反《そ》りかえった。
しばらく指の動きをつづけた。真由子の体が揺れはじめる。声が高くなった。有田は左手で彼女の乳房をまさぐりつづける。
「ああ、いい気持。すごく感じる。なんでやの。なんでこんなに感じるの」
「愛しあっているからさ。相手が経理の森井だったらこうはいかないよ。鳥肌が立つぞ」
「いやあ。なんでいまあいつの名前が出るのよ。気持わるーい。醒《さ》めてしまうやんか」
「鳥肌を我慢しているうちに感じてきたりして。そうじゃないのか。真由子にはその傾向があるぞ」
「もう。なにをいうのよう。私がそんな——。そんなこと」
真由子はあえいでいた。顔をひきつらせて目をとじている。
わけのわからない激情に有田はかられた。真由子の頭をもちあげてタイルのうえに寝かせる。彼女の足のほうへ顔を向けておおいかぶさった。草むらに顔を伏せる。真由子の両脚をひらかせて、女の部分へくちづけした。
花びらのあいだから、透明な液があふれでている。吸いながら、空洞へ舌をすべりこませる。舌をくねらせた。顔を出した真珠の粒へ舌で液を塗りつける。つよく吸った。指で真由子の体のなかをさぐる。目のまえでふとももが左右に割れたり、とじたりする。
真由子の声はきこえない。彼女は男性を口にふくんでいた。なまあたたかい快感が、男性をつつんで吸っている。真由子はまだ舌の使いかたを知らない。せっせと頭を動かしているだけだった。
それでも快感は濃厚である。真由子の愛情が、甘ったるく、溶かすように男性にしみこんでくる。逆《さか》らって、男性はますます硬くなった。鉄のようだと有田は思う。
吸いつづけ、指でやさしくかきまわす愛撫をつづける。真由子の体が波を打ちはじめた。男性を彼女は口からはなした。声をあげている。苦しそうな、かん高い声だ。
真由子の体が上下にふるえた。やがて、動かなくなった。たっしたらしい。有田はくちづけをやめて、いま自分が舌を泳がせていた箇所に見入った。
最初よりもピンク色があざやかになっている。投げだされた両脚の表情がぐったりしていた。花びらがわずかにしぼんだ感じになっている。みちたりた風情《ふぜい》だった。有田は指で花びらをひらいてみる。
真由子がまた男性を口にふくんだのがわかった。ついで有田は声をあげた。快楽をおしわけるようにして、痛みがやってきた。真由子が男性にかるく歯を立てたのだ。痛みが快感をふくらませる。風船に指で圧力を加えた感じに似ていた。
いそいで有田は制止した。真由子の顔から体をはなして、向きを変えた。
「ごめん。痛かったア」
「痛かったけど、良かったよ。さあ、あがろう。ベッドでゆっくりあそぼう」
タライに湯をくんで体を洗った。
外へ出てタオルをつかった。有田は欲望をおさえきれなくなっている。
真由子の肩を抱いてベッドルームへ向かった。円型ベッドに真由子をおし倒した。
正面からのしかかった。真由子の両脚を高くあげさせる。肩と胸で彼女の両脚をささえながら入っていった。
真由子は目をとじている。目のあたりをクシャクシャにしていた。愛らしい表情である。
顔をみていると、やさしい気持にかられる。体をみると、獣じみた衝動にかられた。衝動のまま、あらあらしく有田は動きだした。二人の体がつながりあっている箇所が目に入る。男性が真由子のなかへ没したり、なかば姿をあらわしたりする。ますます獣じみた衝動がつよまる。有田は熱狂してきた。
顔を真由子は横向けている。うっとりした表情だった。快楽に耐えかねてみだれる様子がない。熱心に有田は動いた。なんとか快楽を掘りおこしてやりたい。
しばらくつづけた。有田のほうが快楽をおさえきれなくなった。息切れがしてくる。高くあげた真由子の脚をおろさせた。彼女のうえに倒れこんだ。休もうとする。
「どうしたの。いって、いって」
真由子のほうが動きだした。完了の寸前に追いこまれて有田は呻いた。
急に真由子は両手で有田をおしのけた。起きてうしろを向いた。ヒップを突きだす。
有田はあらためて後方から入った。動きだした。この姿勢だと、真由子の肉がつよくしめつけてくる。もう保ちそうもない。
前回とおなじだった。真由子は右手で自分の真珠の粒をさぐっている。ひざをのばして平らにふせた。二人はかさなりあう。
呻きながら有田は終った。真由子は声をあげて自慰をつづけている。うしろから有田は真由子を抱きしめる。すれちがったほうがいい結果が出るのだ。安心していた。
(第八話 了)
第九話 素 顔
1
土曜日の午後四時すぎ、高松信夫は心斎橋のデパートへ入った。
一階の化粧品売り場へ足を向けた。
売り場には各メーカーのコーナーがある。それぞれの美容部員が女性客に化粧法などの指導をしている。手のあいた美容部員は真剣な顔で客を物色していた。近くを通りかかった女性はたちまち彼女らにつかまって、鏡のまえに立たされることになる。
女たちの熱気がそこには立ちのぼっていた。美容部員はセールスに懸命である。客ははんぶん気圧《けお》されながら、美しくなるための手段を模索していた。
男には関係のない場所である。高松信夫が近づいても、美容部員たちは知らん顔をしていた。三十八歳のサラリーマン。化粧品にはいちばん関係のない層である。
高松はユメボウ化粧品のコーナーへいった。待機していた美容部員が笑顔で近づいてきた。やっとお客として認知されたのだ。
「カラーのパレットをください。最近発売されたバイオ製品の——」
口ごもりながら高松は注文した。
高松はユメボウ株式会社の社員である。合繊テキスタイル部門の営業課長だった。化粧品部門とは接触がない。商品知識はほとんどゼロである。
「パレットでございますね。ご使用になるのは、お若いかたでしょうか」
いたずらっぽい笑みをうかべて、美容部員は訊いた。
年齢は三十歳前後だろう。化粧品市場の第一線で働く女性らしく、彫《ほ》りの深い、エキゾチックな顔立ちだった。みつめられて、高松は上気していた。
「三十三です。うちの女房ですよ。買物をたのまれてしまって」
「わかりました。奥さまはどのようなタイプのかたですか。華やかな感じのかた——」
「ちがいますよ。あなたと正反対のタイプです。日本的で、地味な女です」
美容部員は会釈《えしやく》して商品置き場のほうへ去った。
のびやかな脚をしていた。髪とヒップが揺れ動いた。起伏のはっきりした体つきである。身長は平均よりやや高い程度だ。全身から色香が立ちのぼっている。
いい女だな。高松はため息をついた。独身にしては、色っぽさが濃厚である。人妻なのだろうか。あんな女を妻にしているのは、いったいどんな男なのだろう。
美容部員がかえってきた。三種類のパレットを手にしている。どれがいいか、男にわかるはずがない。妻にたのまれたわけではなかった。高松の妻は最近、教育ママの傾向をみせはじめた。化粧や服装にあまり気をつかわない。もうすこしなんとかしろ。言外にそんな気持をこめてカラーパレットをプレゼントするつもりである。
「フェースカラーやアイカラーは、じっさいにお会いしてみないと、自信をもってえらべませんわ。無難なものをおすすめしておきます。奥さまに一度お越しいただくようにお伝えください」
美容部員は名刺をさしだした。
紺野美希と印刷してある。主任の肩書がついていた。
彼女は高松の上衣《うわぎ》のバッジに目をとめた。小さく声をあげた。会社のかたなんですか。目に力をこめて高松をみつめた。高松は名刺を出して、美希に手わたした。
「だからユメボウのコーナーへきたんです。すこしでも売上に寄与しようと思って」
「ありがとうございます。そうなんですか、テキスタイル部門の課長さんなんですか」
名刺と高松を美希はみくらべる。
感心したような表情だった。高松は照れくさくなった。重役ならともかく、一課長の肩書にそれほど重みがあるはずがない。
代金を支払って品物をうけとった。高松は未練たっぷりだった。だが、用もないのにねばるわけにはいかない。そこをはなれた。
デパートの出入口近くで高松はふりかえって自社コーナーをながめた。胸がドキリとした。紺野美希が売り場に立ってじっとこちらをみつめている。恋人か夫を見送ってでもいるようだ。あわてて高松は体の向きを変えた。いそいでデパートを出た。
快《こころよ》く高松はうわずっていた。恋の予感のようなものを抱いた。こんな気持になったのは何年ぶりだろう。このままでは済ませたくない。無謀かもしれないが、なんとかあの女に近づいてみたい。
結婚して八年になる。何度か浮気をした。相手はスナックバーの女の子や、バイトにきた女子大生だった。ちょっとしたつまみ食いだった。心を動かされたわけではない。その意味では家庭を大事にしてきた。このあたりで少々羽目をはずしても罰《ばち》はあたらないだろう。高松にとって、美希はそれほど印象に残る女だった。
近くのNホテルの喫茶室で妻の道子と五時に待ちあわせる約束だった。きょうは結婚記念日である。子供たちは道子の母がお守《も》りにきている。二人でゆっくり食事する予定だった。妻へのちょっとしたプレゼントのつもりで、化粧品を買ったのである。
アイデアがひらめいた。高松信夫は、おなじ心斎橋にあるもう一つのデパートへ入っていった。化粧品売り場で香水のセットを買った。さっきのカラーパレットは上衣のポケットにしまった。
高松はNホテルの喫茶室へいった。しばらく待つと、道子がやってきた。香水を高松はプレゼントした。めったにないことである。道子は幸福そうだった。
ホテルのレストランで食事をした。ついで北新地のラウンジバーへ立ち寄った。高松はときおり紺野美希の顔が目にうかんだ。道子に申しわけない気がしたが、こうして家族サービスしているのだから、まあゆるされるだろう。じっさい男は女房といっしょに飲んでも、まるで心が弾《はず》まないのだから。
十時ごろ家へかえった。まずまずの一日だった。サービスのついでに道子を抱いた。目をとじると、美希の顔がまた脳裡《のうり》にうかんできた。めずらしいことだった。自分にもまだこんな若さが残っていたのか。事務的に体を動かしながら、高松はうれしかった。
2
月曜日になった。
昼休み、高松信夫は心斎橋のデパートの化粧品売り場へ電話をいれた。例のカラーパレットはポケットに入っている。
美希の声がきこえた。高松は緊張で息苦しいくらいだった。名前を告げた。
「ああ、おとといの。高松課長ですね」
美希の声はあかるかった。美希が出て、高松は積極的な気持になった。
「じつは先日の製品、女房のやつが気にいらないというんです。生意気に、もっと派手なのがいいそうです。お手数ですが、とりかえてもらえませんか」
道子の使っている製品の番号を高松は告げた。こっそりしらべておいたのだ。
「わかりました。いつでもお越しください。おとりかえさせていただきます」
「ところが、昼間はぬけだすひまがないんですよ。夕刻、デパートがしまってからお会いできませんか。よかったら、ついでに食事をごちそうします」
「夕方ですか。さあ——」
美希は考えこんだ様子だった。
高松は背中に冷汗がにじんだ。魂胆があまりにみえすいている。かるく一蹴《いつしゆう》されてしまうかもしれない。
「夕方っていつでしょうか。きょうですか」
「なるべく早いほうがありがたいです。きょうお会いできますか」
「わかりました。ちょうどいいわ。私も教えていただきたいことがあるので」
くもり空が一気に晴れわたった。
午後六時半。Nホテルの喫茶室で。きのう道子と待ちあわせた場所を告げた。ほかの場所がとっさに頭にうかばなかった。
六時すぎに高松は会社を出た。ユメボウ株式会社の本部は市の東北部の都島区にある。だが、テキスタイル部門は大阪駅のすぐ近くのビルにオフィスをかまえている。ミナミのNホテルまで、タクシーで十分ぐらいだった。余裕をもって彼は喫茶室へ入った。
びっくりした。紺野美希はさきにきて待っていた。椅子から腰をあげて一礼する。上司にたいする態度だった。
「まいったな。そう几帳面《きちようめん》にされると困ってしまう。ざっくばらんにたのみますよ」
高松は苦笑《にがわら》いした。
ワインレッドに黒の花模様が入ったワンピースを美希は着ている。笑顔がまぶしい。
「けど、おなじユメボウの課長さんやから、やっぱり緊張します。私ら契約社員にとっては雲の上の人ですから」
「おなじユメボウといっても、事業部がちがうと別会社のようなものですよ。じっさい、つい最近までそうだったんだから」
ユメボウ株式会社は資本金二百二十億円。従業員数は六千三百名である。グループ各社を合計すると、二万六千名になる。
ユメボウには繊維、化粧品、食品、薬品、住宅環境の五つの部門がある。もとは大手の繊維メーカーだったが、この三十年間、多角化を推進して現在の形態になった。繊維、化粧品が二本柱で、薬品、食品もかなりの貢献をしている。
最近まで化粧品部門は別会社だった。統合されて事業部になった。薬品、食品もまだ別会社だが、やがて統合されるはずだ。事業部間の人事交流はよくない。高松たちからみると、化粧品部門はおなじ会社とは思えないほど華やかである。
用意してきたカラーパレットを紺野美希は出してくれた。商品の交換を終えた。食事することにして二人は喫茶室を出た。
西清水町のレストランへ入った。フランス料理の店である。高松はフランス料理があまり好きではないのだが、こんな場合はやむを得ない。イクラや甘海老などの入ったサラダ、舌平目《したびらめ》のムース詰め、牛肉の赤ワイン煮込みを注文する。
ワインはモレ・サン・ドニの赤をとった。香りはさわやかで、味はストレートなやつだ。とりあえず乾盃した。飲みはじめると、美希は肌の香りとワインの香りを、ともに立ちのぼらせる感じになった。
「あなたはふしぎな人だ。独身のようでもあるし、人妻のようでもある」
「もと人妻。中古車なんです。そうですか、やっぱり中途半端な感じがあるんやわ」
わるびれずに美希は話した。
二年間、銀行マンと結婚生活をおくった。二年まえ、離婚をした。美希は家庭にひきこもって暮すのがいやだった。社会へ出て働きたかった。夫のほうは、妻があたたかい夕食をつくって待つ家庭を望んでいた。
何度も話しあった。だが、双方とも妥協できなかった。わかれるなら、子供のいないうちがいいだろう。このときだけ意見が一致した。美希は一人になって、結婚まえに働いたユメボウに再就職した。
「どうりで独身にしてはセックスアピールがあると思った。しかし、まえのご主人の気持がわからないな。こんな美人とよくわかれる気になったもんだ」
「ありがとうございます。けど、男性って、女が働くことになんで理解がないのかしら。会社からかえって、家の窓にあかりがついてないと、がっくりするんやそうです」
「その気持はみんなにあるだろうな。おれもそうだ。疲れてかえったときぐらい、大事に迎えてもらいたいものね」
「私は失格やったんです。もう結婚はこりごり。自由に生きることにしました」
「でも、一人で生きるのはたいへんでしょう。気楽な代りに経済的苦労も多い。人生、両方いいことはないものね」
「やっぱり疲れることがありますもんねえ。だれかに甘えられたらいいなあと思うんです。けど、へたに甘えると、弱みができるから怖いの。相手をえらばないと」
美希はじっと高松をみつめた。
だが、目が合うと、うつむいた。相手をえらんでいるところらしい。どう出るべきか、高松は迷っていた。すくなくとも、まだ口説《くど》き文句をいう段階にはきていない。
「なにか相談したいといっていたね。どういうこと」
高松は話題を変えた。会話がとぎれると、妙にあせってしまう。
「私、将来ランジェリーのお店をやってみたいんです。いろいろご指導いただけたらと思って。高松さん、ご専門でしょう」
美希は身を乗りだした。酔いと熱意で顔が上気している。
美容部員は若いうちの仕事である。身分も不安定だ。将来はどこかベッドタウンで女性下着の店をやりたい。小売店経営のノウハウを教わりたいというのだ。
「ランジェリー専門というわけじゃないけど、小売店の経営にはくわしいつもりですよ。もしほんとうに開店するなら、便宜をはかってあげます」
「ほんまですか。うれしいわ。いま必死で資金をためているんです。あと三年もすれば、なんとかなると思うの。ぼつぼつ指導していってください」
「ということは、これからもおれとつきあってくれるんですね。よかった。人生に張り合いがでてきた。たいして力はないけど、なんとかお役にたつようにします」
二人はグラスをぶっつけあった。
美希の表情がすっかりやわらかくなった。いいお友達ができた。彼女はつぶやいた。アドバイザーをほしがっていたのだ。たぶん、恋人もほしがっているのだろう。
「神のひきあわせだな。土曜日、きみのいるコーナーへいけてラッキーだった」
「お名刺をいただいて、私、ドキッとしたんです。こんな男性にめぐり合えないかなあ、と思うてたとおりの人やったから」
「女房のプレゼントなんか買いにくる男でもよかったのかな」
「家庭を大事にする人やないと、私、困るんです。ゴタゴタしたくないの。おたがいの領分をおかさないで、おつきあいしたい」
話がはずんだ。小売店経営の成功例を高松はいくつか話してやった。
二人でワインを一本|空《あ》けた。料理で腹いっぱいになった。ワインの酔いは強力である。頭がふらふらする。
デザートのあと、二人はレストランを出た。タクシーで北新地へいった。高松のなじみのラウンジバーとスナックバーを一軒ずつまわった。午後十時になった。
天王寺区のマンションに美希は住んでいるという。高松の家は堺である。順路なので、美希を送っていくことにした。
「ああ、いい気持。男性と二人で飲んだの、何年ぶりかなあ。すごく酔うた」
あるきながら美希は夜気を吸いこんだ。
男性に縁のない職場である。離婚後は親しい男性もいなかったらしい。
美希の肩に高松は腕をまわした。しぜんにそれができた。女に不器用な高松にしては、上できだというべきだろう。
美希が男としての魅力を高松に感じているのかどうかはわからない。利用価値があるから、交際する気になったのはあきらかである。それで高松は充分だった。離婚した二十八、九の女が利用価値を考えないで男とつきあうわけがない。はっきりしているほうが、さわやかである。今後、美希の心をとらえられるかどうかは、高松の腕一つだ。
二人はタクシーに乗った。ミナミに向けてクルマは走りだした。
高松はまた美希の肩に腕をまわした。美希は高松にもたれかかってくる。
「おれ、アドバイザーから恋人に昇格するみこみはあるんだろうね。いつごろ、そうなれるのかな」
高松はささやいた。ねむそうな美希の顔に、顔を近づけていった。
3
翌週の木曜日になった。
高松信夫は六時に会社を出て、心斎橋のNホテルへ向かった。
二階の酒場へ入った。紺野美希はもうカウンター席で、ビアグラスをまえにして待っていた。笑顔で高松を迎える。
彫りの深い、エキゾチックな顔立ちが、笑うと、人なつこい感じに一変した。デパートの売り場でみるよりも、ずっと親しみやすい笑顔だった。前回よりも二人の距離が大きくちぢまったのがわかる。
となりに腰をおろすと、いい香りが高松の鼻孔にしのびこんだ。二人の腕がふれあった。美希は腕をひっこめなかった。
高松はランジェリーの小売店経営に関する資料を美希に手わたした。よろこんで美希は資料の見出しに目を通した。
ホテル内のイタリアレストランで食事をとった。ワインは「マドンナ」にする。前回と同じに心地よく酔った。高松はホテルに部屋をとって美希といっしょに入りたい気持にかられた。だが、いいだす勇気がなかった。