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作者: 当前章节:15358 字 更新时间:2026-6-23 00:32

 真美といっしょに野口も乗ろうとした。だが、拒否されてしまった。

「いいんです。一人で帰ります」

 扉がしまった。野口をおきざりにして真美は去っていった。

 週があけた。野口周一は相変らず多忙だった。

 担当している企業から企業へとびあるいた。融資の相談、資金の運用の相談、預金あつめ、さらに外国為替のとりあつかい。三友銀行の本店営業部員は、得意先の必要に応じて一人何役もこなさなければならない。預金、融資、運用、国際各部門をまたにかけて、その場その場で速戦即決のビジネスをやる。

 本店営業部には優秀な人材があつまっていた。杉本真美のような支店の女の子からみれば、若輩の野口でも雲の上のエリートなのだろう。それだけに業務はきびしい。朝から晩まで目いっぱい働きながら、新しい知識を吸収していかねばならない。

 女の子と恋愛するひまもない。それは野口だけのことではなかった。本店営業部の先輩たちは、見合・恋愛結婚した者が多い。上司からいい相手を紹介され、つきあって恋愛にいたるわけだ。ガールハントの余裕もない有望な若手のために、上司や先輩がいい女の子を世話してくれるのである。

「野口くん。例の見合の件やが、正月休みのうちにやろう。先方のお嬢さんも乗り気らしい。すごいべっぴんやぞ。きみ、三十すぎまで待った甲斐があったなあ」

 水曜日の夕刻、野口は部長にいわれた。

 わすれものを指摘された気分だった。おなじ三友系の綜合商社の常務の娘と近く見合することになっていたのだ。相手にいろいろ注文をつける趣味はない。フィーリングが合えば結婚するつもりでいる。

「わかりました。なにぶんよろしく」

 野口はそう返事をした。だが、心のうちにわだかまりがある。おちつかなかった。

 その晩野口は北新地の「ミラボー橋」へ顔をだした。水曜日は杉本真美の出勤日だ。ゆっくり話をしたかった。

 真美の姿はなかった。訊いてみると、もう辞めたという。きょう電話があったらしい。

「やっぱりバイトの子はだめやわ。気まぐれで。風向きしだいで出たり入ったりする」

 ママが文句をいっていた。責任を感じて、野口周一はだまりこんだ。

 仕方なく野口は一人で飲んだ。辞めたとなると、真美に会いたくてたまらなくなった。連絡をとりたい。だが、番号がわからない。ママに訊くのは照れくさかった。

 べつの女の子が話し相手にきてくれた。野口は上の空だった。ホテルの部屋で真美のとったさまざまなポーズが頭にちらついてはなれない。胸のなかに空洞ができた思いで、飲みつづけた。

 6

 あくる日の午後二時ごろ、野口はT市へ向かった。同市の食品会社へ預金の勧誘にゆく用事をつくったのだ。

 愛車のクラウンを運転して、三時まえに食品会社へ着いた。三十分ばかりで用件をかたづけた。そのあと野口は三友銀行T支店へ向かった。カウンターのなかで働いている杉本真美の顔をみたい。見合にゆくときよりも胸がドキドキした。

 T支店へ入った。ロビーは混みあっていた。今夜はクリスマスイブだ。ボーナスをおろしにきたらしい主婦の客が多かった。手形の期限に目を血走らせた男がつめかける大阪市内の支店とはまるでちがう風景である。

 目をふせて野口はロビーのすみのベンチに腰をおろした。T支店には、面識のある者は一人もいない。それなのに、ガラにもなく面映《おもは》ゆかった。私用できているせいだろう。

 野口はカウンターの向こうに目をやった。

 三十名あまりの女子行員がいた。みんな紺《こん》のツーピースのユニホームを着ている。客に応対したり、端末機《たんまつき》を操作したり、わき目もふらずに働いていた。杉本真美はカウンターのすぐまえにいた。普通預金の係である。客からうけとった伝票を処理したり、通帳をチェックしたり、払いだしたり、息もつかずに仕事をつづけていた。

 真美は口もとをすぼめていた。対照的に、大きな目がかがやいている。あかるく緊張していた。紺のユニホームのせいか、ふだんよりも色白にみえる。一分の隙《すき》もなくひきしまった印象だった。支店の女の子も気を張って生きている。

 野口は真美にたいして、あこがれに似た感情がわいてきた。円形ベッドのうえで淫《みだ》らにのたうちまわっていた女が、真美だとはちょっと信じられない。いま目のまえにいる真美は、澄ましてカウンターの向こうにひきこもっていた。真美に拒絶されたように野口は感じた。

 あの紺のユニホームをぬがせてみたい。全裸にして、真美のほんとうの姿をたしかめたい。そんな衝動に野口はかられた。真美がよそよそしく映《うつ》るほど、彼女の肌の香りや、ぬくもりが恋しい。

 野口は席を立った。預金口座開設用の伝票にテーブルで住所氏名を書きこんだ。真美へのメッセージも鉛筆で書いた。

 カウンターのまえへ野口は立った。伝票をさしだした。愛想よくうけとって真美は野口をみあげた。あ。小声で彼女はさけんだ。目をみはって、歓喜でいっぱいの顔になった。

 その様子をみると、野口は見合のことなどもうどうでもよくなった。綜合商社の常務の娘がどうしたというのだ。この娘のほうがずっといい。だれよりもこの娘は野口周一を愛してくれている。セックスもすばらしい。

「あのう。口座を開設されるんですか」

 あごを突きだして真美は訊いた。大きな目がうるんでいる。

「おねがいします。とりあえずこれで」

 一万円を野口は出した。

 伝票の余白にメッセージが書いてある。「五時半、駅のそばの喫茶店Pで。制服をきておいで」という内容だった。なぜ制服なのだろうか。真美は首をかしげていた。

 口座開設の手つづきを終えた。T支店を野口は出た。クルマでしばらくドライブする。それから約束の喫茶店へ入った。

 かなり待たされた。六時まえに真美がやってきた。ぴたりと身についた紺色のユニホームをきている。白い襟があざやかだった。紺のおかげで体がひきしまってみえる。

「ごめんね、お待たせして。暮やから仕事が山ほどあって——」

 腰かけようとする真美を野口は制止した。

 席を立って出口へあるいた。真美の通勤着の入った紙袋を途中でもってやる。

 駐車場で野口はクラウンの助手席に真美を腰かけさせた。すぐ発進する。国道へ出た。しばらくいくとモーテルがある。

「どこへいくの」

 真美が訊いた。声に期待があふれている。

 野口はだまって真美の手首を握った。自分のズボンのまえへ誘導した。硬いものにさわらせる。いやあ。真美は身ぶるいした。

「いきなりなの。ロマンがないなあ。私、お食事したかったのに」

「モーテルで出前をとろう。けっこう美味《うま》いものがあるよ。もたもたしないで、最短距離をいこう。それが三友の流儀なんやから」

 ロマンがないといいながら、真美は野口の硬いものから手をはなさなかった。

 握りしめてくる。指を動かした。野口の横顔をみて笑いながらあそんでいる。

「ねえねえ、なんで制服をきてこいっていうたの。こんなん見馴れているくせに」

「きみの制服姿がすばらしかった。惚れ惚れした。あれをぬがせて抱いてみたい。さっきとつぜんそう思うたんや」

「うれしいわ。そういわれると。紺が似合うのは美人いうことでしょ。自信が出てきた」

 野口の男性はますます硬くなった。真美の手がさっきから動きつづけている。

 ミスをしないよう、野口は注意して運転をつづけた。なぜ自分がユニホームにこだわったのか、いまになって理解できた。ユニホームをきた女子行員を抱いてみたい。入行以来ずっとそんな欲望にかられていたのだ。

 オフィスで女子行員のヒップや脚に目がいくことがあった。エレベーターのなかや計算室などで、この娘を抱きたいなと思うことも多かった。みんな三友銀行のユニホームをきた女の子だった。緊張して働いていると、かえって欲望がつのるものだ。

 三友銀行のトップは、行内情事をとくにきびしく規制しているわけではない。だが、けっして野放しでもない。既婚男性が女子行員と情事がもとでトラブルをおこすと、まず左遷《させん》である。独身男性のオフィスラブも、結婚につながらないとマイナス評価を食う。

 つまり三友銀行では、行内情事はほとんどの場合、不倫のあつかいをうけるのである。「お家の法度《はつと》」がまだ生きている。

 だから野口は自重《じちよう》していた。女子行員をデートにさそったことがない。ユニホーム姿の娘たちを、みてみぬふりでやってきた。そのぶん欲望が蓄積された。一度でいい、制服姿の女の子を抱いてみたい。心の底で、知らず知らずそう渇望してきたのである。

「ユニホームには不倫の味がする。禁じられた恋愛の味、いうやつやな。それを一度経験してみたいということもある」

「禁じられた恋愛か。そうやね。三友銀行では、オフィスラブは成立しにくいもんね」

「けど、すぐに不倫は終るよ。われわれはおおっぴらにデートしよう。うちの部長に話して、仲人になってもらう」

「ほんま。野口さん、それ本気。私みたいな平凡な女でもいいの。奥さんになれるの」

 野口のひざに真美は倒れてきた。

 うまくやられたような気もする。だが、この子が気にいった以上仕方がない。いい嫁さんになってくれるだろう。おそく帰っても、休日出勤したあとも、快《こころよ》く笑って迎えてくれる。真美は三友マンをよく知っている。くだらないマイホーム主義で夫の足をひっぱったりしないはずだ。

 モーテルへ着いた。空いているガレージへ野口はクルマを乗り入れた。

 停まるなり真美は抱きついてきた。くちづけする。野口は真美の乳房を、真美は野口の男性をそれぞれ愛撫した。しばらくそうしていた。せっかくモーテルへきていながら、カーセックスになるところだった。

 ともかく二人はクルマからおりた。二階の部屋へ入った。クリスマスツリーがかざってある。希望者にはケーキや七面鳥の出前もするらしい。

 集金にきた従業員に金をはらった。すぐに二人は抱きあった。

「お風呂へ入ろう。あったまりたい」

「制服のきみを抱きたい。風呂はあとにしよう。なにもかも、あと——」

 制服のスカートのうえから、野口は真美の女の部分へさわりにいった。

 逆三角形の部分へすぽりと掌がおさまった。ゆっくりとこすってやる。布地を通して、やわらかな感触がつたわってくる。甘い声をもらして真美は腰をくねらせた。

 真美の右手が動いている。野口のズボンのファスナーをひきおろした。男性をひっぱりだした。ぎこちなく握る。手を動かしはじめた。おずおずと快感が男性を這いのぼってくる。

 野口は真美のスカートのなかへ手をいれた。パンストとショーツをひきおろした。身をくねらせて真美は協力する。紺のスカートのなかにすべすべした素肌があった。

 真美の女の部分に野口はさわった。草むらの底の熱い小さなぬかるみをさがしあてる。グリグリと刺戟する。あふれる液を真珠に塗りたくる。真美は声をあげはじめる。

 しばらくして、野口は真美にうしろを向かせた。そばの冷蔵庫に両手をつかせる。真美は上体をかがめ、ヒップを突きだした。野口はゆっくりスカートをまくりあげた。

 ヒップと脚があらわれた。隙のない紺の制服をはねのけて、それは白くかがやいていた。まぶしいくらいである。合せ目の底から、草むらと桃色の花が覗《のぞ》いている。

 野口は感動していた。たまらなくなった。ヒップを抱いて真美のなかへ入っていった。

(第一話 了)

第二話 オンザロックスの女

 1

 夜の九時半だった。高田正彦はきょうの巡回予定を終えて小売店を出た。クルマを運転して大阪市内へ向かった。疲労が肩にのしかかってくる。

 一日の業務を終えた安堵《あんど》はあった。だが、なにか仕事が達成できなかったようなしこりが心にのこっている。焦燥が胸にこみあげる。

 この一、二年、セールスの帰りには、いつも苛立《いらだ》たしい気分になる。会社の主力製品であるウイスキーが売れないせいだ。きょうもそうだった。いま訪問した小売店の社長の声が耳にのこっている。

「高田さん、わしらも努力してまんのやで。焼酎《しようちゆう》よりウイスキーを売るほうが、売上も利益も伸びまっさかいな。けど、世の中は焼酎ブームや。一般家庭の晩酌も、ビールか焼酎になってきた。時代の流れや。ちょっと抵抗できんのとちゃうか」

 豊中市の小売店だった。従業員六名、無線つき配達車四台の大型店である。

 以前なら、高田らの会社の主力製品である三陽ウイスキーを月に三十ケースは仕入れてくれた店だった。だが、最近は二十ケースもとってくれない。

 訪問回数を以前の週一度から、最近は週二度にふやしている。それでもウイスキーが売れない。ビールやワインなどが伸びているので、会社の売上自体はそんなに落ちこんでいなかった。だが、主力製品がふるわないと、やはり不安になる。

 高田の努力がたりないわけではなかった。洋酒メーカー・三陽株式会社が小売店にきらわれているわけでもない。ここ数年来の焼酎ブームが大きな原因だった。洋酒の税金が高くなったのも、わざわいしている。

 焼酎はなんといっても安い。度数も高く、一瓶買えば長持ちする。消費者にとってはトクである。ハイボールやカクテルのベースに使われるようになったため、かつての「ダサイ」イメージが消えた。一種のファッションとなった。とんでもない敵に、三陽ウイスキーは出会ったのだ。

 最近、焼酎の人気は下降気味だといわれている。たしかに一時のような、猫も杓子《しやくし》もの風潮はなくなった。だが、表面の華々しさが消えたぶん、地道な需要が根をおろしたようだ。三陽ウイスキーは失地を回復できずにいる。しゃれたTVCMを流し、高田ら若い営業マンが馬力にまかせて街を駈けまわっても、目にみえた成果はあがらなかった。

 焼酎に対抗して、三陽株式会社は新製品「ソフト・ウオツカ」を発売した。中身は焼酎とほとんどおなじものだが、洋酒メーカーである以上、正面切って焼酎を売りだせない弱味がある。「ソフト・ウオツカ」の伸びはいま一つだった。ウオツカ、の語には日本人になじみにくい要素があるのかもしれない。

「まったくもう、しんどい話やで。ろくに休みもとらんとがんばってるのに。ウイスキーもビールも日本人はすでに飲みすぎや。新しい飲料か食品で突破口をひらく必要がある」

 経営者の気分で高田はつぶやいた。

 高田正彦は入社五年目。酒の業界の様相がやっとわかってきたところである。いままではなにも考えず、ただがむしゃらに働いてきた。朝から晩まで働きづめだった。土、日の出勤も、あたりまえだった。それでいいと信じてきた。努力すればするほど、実績があとをついてきたからだ。

 だが、この二年ばかりそうはいかなくなった。努力に実績がともなわなくなった。会社自体も五十九年度には、二十年ぶりに減収減益の決算を発表した。こうなると、一介の営業マンにすぎない高田でも、ときおり経営者ふうの考えにとらわれざるをえない。売上のあがらなかった日はとくにそうだ。

「現代は中高年層に、健康についての意識が高まっている。体にいいウイスキーを開発する必要があるよ。味は特級そのままで、飲めば飲むほど成人病の予防になる。そんなんができたら、ぼくらもらくになるんやけど」

 同僚のだれかがそういっていた。

 夢物語である。だが、そんな話でも実現しないかぎり、高田ら営業マンの悪戦苦闘がつづくのはたしかだった。

 成績があがらないと、部長や課長にきびしく気合をいれられる。営業会議はいつも体がヒリヒリする緊張のうちに終始する。

 高田は気の弱いほうではない。タフで実行力のある人間だと自分では思っている。

 だが、その高田でさえ、最近の苦しい状況には、つい弱音を吐きたくなる。仕事をほうりだして、旅にでも出たい思いにかられる。

 そんな弱気でどうする。三陽株式会社を超一流企業に育てあげた先輩たちは、十年も二十年も、わき目もふらずに働いてきたのだ。毎日自分を叱咤《しつた》して高田はやってきた。朝は元気に会社を出る。だが、成果のあがらなかった帰り道は、つい弱気の病にやられて疲れを二倍に感じてしまうのだ。

 高田正彦は帰りの道を東へ折れた。新御堂筋《みどうすじ》にクルマを乗り入れた。

 はるか前方の空の下に、梅田の盛り場の灯々がみえた。時間からいって、梅田界隈《かいわい》や北新地の盛り場は、いまがいちばんにぎわっているはずだった。たくさんの灯が、酒場街の女たちの笑顔のように高田を招いている。灯の一つ一つが、女たちの嬌声や、甘い吐息を連想させる。男ならだれでも、なじみの酒場で一杯やりたい気持になる夜景である。

 だが、高田はその気がおこらなかった。もうたくさんだ。そんな思いだった。

 三陽株式会社の営業マンは、商売がら酒場へよく出入りする。そのための経費もみとめられている。だが、自分の好みの酒場で、好みの女と飲むチャンスはそんなに多くない。つねに仕事のことを考えて飲まねばならない。店の経営者と親しくなる。他メーカーのウイスキーのボトルを駆逐《くちく》し、自社のボトルを仕入れさせるのだ。

 たのしむよりも、仕事がさきになりがちである。高田のような、小売店担当の営業マンでもそうだった。ときには商売熱心がすぎて、酒場から追いだされることもある。

 疲れている。一杯やりたいのが本音だった。会社との連絡はもうついている。オフィスへかえる必要はない。かといって、このまま独身寮へもどる気もなかった。冷たい部屋で、わびしく水割りを飲んでも仕方がない。

 考えながら高田はクルマを走らせた。新大阪駅の手まえで、友人の森島の顔が頭にうかんだ。森島は大学の同級生である。大手の電器メーカーに勤務している。

 高田と同様、独身だった。年に四、五回会って酒をくみかわす仲である。森島は新大阪駅の近くのワンルームマンションに住んでいた。あいつを呼びだして一杯やろう。彼の住居のそばの居酒屋にでも入ればいい。

 思いつくと、胸が晴れた。学生時代の友人は、利害関係がないので気らくである。他業界の情報を仕入れられる利点もあった。

 高田正彦は一般道路へクルマをおろした。二、三分走って森島のマンションへ着いた。だが、森島は留守だった。仕事の憂さ晴らしに、どこかで羽をのばしているのだろう。

 マンションのそばにスナックバーがあった。高田はそこで一杯やることにした。不在となると、無性《むしよう》に森島に会いたい。もし彼がかえってきたらいっしょに飲むつもりだ。

 手紙を書いて森島の住居の扉の隙間にはさんだ。クルマを近くの有料駐車場にあずけて、高田はその店へ入った。ビデオディスクのおいてある店だった。女の客が気持よさそうに「CHA—CHA—CHA」をうたっている。客はその女をいれて五人だった。

 高田はカウンター席へ腰をおろした。まっさきにボトルキープの棚へ目がいった。いやおうなしに職業意識が働く。自社のキープ棚ではなかった。ボトルも他社のものだ。おしぼりをつかいながら、高田は闘志にかられた。敵の領土へ乗りこんだのだ。

 2

 ママとバーテンダー、ほかに女の子が二人いる店だった。

 女の子といっても若くはない。二人とも三十代のようだ。近くの団地の主婦がパートで働いているのだろう。

 ママが挨拶にきた。友人をたずねたついでに寄ったと高田は正直に話した。とりあえず水割りを注文する。もちろん自社のウイスキーを指定した。

「済みません。うちは三陽ウイスキーはおいてないんです。銘柄はPばっかり」

 競争メーカーの名をママはあげた。

 すぐにママは高田の上衣のバッジに目をとめた。なあんだ、という顔になった。客商売の裏がえしで営業マンに冷たいタイプだ。

「いや、きょうは商売やないんです。ほんまに友達をたずねたついでなんやから」

 スコッチを高田は注文した。

 ママにも一杯おごった。雑談に入った。営業歴、客層、売上高などをそれとなく訊きだしにかかる。途中でバーテンダーにも一杯おごった。酒の仕入れについては、ママよりもバーテンダーに発言力のある店が多い。高田は二人に名刺をわたした。

「三陽さんはうまい宣伝をしはりますさかいなあ。けど、ウイスキーはどうですやろ。Pのほうがスコッチに近いでっせ」

 バーテンダーはうすら笑いをうかべた。

 Pとつながりが深いらしい。開店時、内装などのめんどうをみてもらったようだ。

 高田はさらに闘志にかられた。一ヵ月のウイスキーの仕入高はいくらか質問した。三十万円前後だという。高田は胸算用をした。

「ものはためしです。うちの酒に切りかえてみてくれませんか。いいお店にたいしては、うちは誠心誠意奉仕します。最初の仕入れ一ヵ月ぶん、無料にさせていただきます」

 高田はもちかけた。継続して納入できるなら、一ヵ月ぶんぐらい安いものだ。

「またア。三陽の人はすぐこれなんやから。商売ぬきっていうたくせに」

 ママが大声をあげて笑った。

 しまったと高田は思った。バーテンダーにこっそり話すほうがよかったようだ。

「なあに。そちら三陽の人なの。若いわねえ。前途有望やね」

 となりで女の声がきこえた。

 さっき「CHA—CHA—CHA」をうたっていた女が右どなりに腰をおろしている。オンザロックスを飲んでいた。女はかなり酔っている。三十前後の人妻のようだ。

「あんたら、三陽の人をないがしろにしたらいかんよ。あの会社、日本でも超一流なのよ。なにしろ大学生の人気企業ナンバーワンやから。ねえ、そうでしょ」

 ママとバーテンダーに声をかけてから、女は高田の顔をのぞきこんだ。

 とんだじゃまが入った。高田は苦笑いした。だが、三陽のファンとあればないがしろにはできない。女のいうとおり、三陽株式会社は昭和五十九年以降、就職情報会社の調査で「就職したい企業」のトップにえらばれている。洗錬された豊富な広告、宣伝のおかげである。

「三陽の社員である以上、あんたも一流大学を出てるんでしょ。どこの大学」

 女はまた高田の顔をのぞきこんだ。

 人なつこい丸顔である。笑うと目じりがさがって、とても愛らしい。あきらかに高田より年上だが、雰囲気はそうでなかった。やや舌足らずな話しかたをする。

 出身大学を高田はあかした。わが意を得たように女はうなずいた。やっぱりねえ。一人言をいってからバーテンダーへ声をかける。

「××さん、三陽のウイスキー、とってあげなさいよ。国産物はなんというても三陽よ。いちばん売れてるから、安心やないの」

 逆効果だった。バーテンダーもママもしぶい顔になった。

 ママはほかの客の相手をしに去った。みたところ、女は酒にだらしないほうらしい。店の者にもてあまされることがあるのだろう。

「応援ありがとう。うちの会社となにか関係のあるかたなんですか」

 高田は女のほうへ向きなおった。

 セールスはいったん休止ときめた。ゴリ押ししても逆効果だ。きょうはこの店へいい印象をのこして去る。後日またくればよい。

「いえ。なんにもないわ。関係があるようやと、いいんやけど」

 謎めいたことを女はいった。酔ってとろけそうな目でじっと高田をみつめる。

 高田は自己紹介をした。ついで女の名前を訊いた。愛らしくて中肉中背。なかなか魅力的な女である。

 小畑直子。彼女は名乗った。千里ニュータウンの住宅地で暮す人妻である。夫は工務店を自営しているという。

「そうか。すごいな。社長夫人ですか」

 いっそう高田は興味にかられた。

 直子は一流ブランドらしいスーツを着ている。装身具のコーディネートも洗錬されていた。

「そんな大そうなのとちがうの。工務店いうても、竹中とか長谷川とは月とすっぽん。マッチ箱みたいな会社なのよう」

 妙にうれしそうに直子は笑った。のこりのオンザロックスを一気に飲みほした。

 夫は毎月手形に追われて走りまわっている。夜は接待。日曜はゴルフ。おちついて話をするひまもない。退屈だから直子は週に二、三度ここへ飲みにくるという。カウンターの中にいるパートの主婦が友達であるらしい。

「退屈って、お子さんはいないんですか」

「いないの。そやから困るの。さびしいでしょ。つい飲みに出るの。ここではちがうけど、家ではいつも三陽を飲んでるのよ」

「ありがとうございます。しかし、さびしいのはよくないな。こんな可愛い奥さんを、ご主人はなんで放っておくんですか」

「あいつの話はおいときましょう。よかったわ、エリートの友達ができて。主人がつれてくるのは仕事関係のガラのわるい男ばっかりやねん。金と女の話しかしよらへん」

「ぼくはエリートやないですよ。毎日毎日酒屋まわり。ご用ききとおんなじです。田舎《いなか》のおふくろにはみせられない」

「若いうちはみんなそうよ。そのうち偉くなるわ。高級な仕事、するようになる。パリッとスーツできめて、秘書つきの個室で」

 とろけるような目を高田に向けたまま、直子は話した。

 買いかぶられている。高田はムズ痒《がゆ》い思いをした。わるい気持ではない。企業イメージのよい会社で働くと、思わぬトクがある。

「ねえ、どこかよその店へつれてって。私、ここは飽《あ》きたの。馴《な》れすぎてつまらん」

 直子はささやいた。体を寄せてくる。

 店の者たちを高田はみまわした。ここから直子をつれだして反感を買ってはまずい。

「この奥さんが家まで送れというんです。どうしたらいいかな」

 バーテンダーに高田は訊いた。

 渡りに舟、の雰囲気だった。バーテンダーは直子の友達の女を呼んで、直子が帰りたがっていることを告げる。

「そう。もう十時半やもんね。送ってもらいなさいな。直子さん、かなり酔うてるし」

 おねがいします。女は高田に会釈《えしやく》した。直子の家まで、クルマで十分程度だという。

「またきます。さっきの話、検討しといてくださいよ。絶対に損はさせません」

 バーテンダーに声をかけて高田は店を出た。よろめきながら直子はついてくる。

 見送りに出たママが店へひっこんだ。直子は高田に腕をからませる。体をあずけるようにしてあるきだした。

「こら、エリート。きみは勇気のあるほうか。いくじなしは私、きらいやで」

 舌をもつれさせて直子はいった。

 いきなり抱きついてきた。キスをもとめる。歩道は暗く、人通りはなかった。

 茫然として高田はうけとめた。くちびるをあわせた。直子の舌をあわただしく吸う。直子は息をはずませていた。高田の左脚を左右のふとももではさみつける。

 3

 まったく最近の人妻は大胆である。不倫時代というのは、たんなるマスコミの流行語ではなかった。

 さっきスナックバーで知りあったばかりである。それなのに、直子のほうからキスをもとめてきた。

 キスをつづけている。直子の左右のふとももが高田の左脚をはさみつける。欲望をこめて、じっと圧してくる。高田は勃起してきた。適度に熟《う》れた人妻の体のかたちと量感を、全身で吸収していた。

「可愛いわあ。三陽ウイスキーの営業の人はハンサムが多いときいたけど、ほんまやわ。酒屋の奥さんに好かれるんでしょ」

 キスをやめて直子は高田をみあげた。

 そばに街灯がある。表情がはっきりみえる。直子はとろけそうな目をしていた。息づかいがはやい。酔ったのと、たかぶったのと両方なのだろう。

「さあ、かえりましょう。家までお送りします。近くなんでしょう」

 高田は顔を車道につきだした。

 タクシーをさがした。そばの駐車場に自分のクルマがある。だが、酒酔い運転で事故でもおこしたら困る。直子を送ってまたもどってくればよい。

「もうかえれいうの。いややあ。飲みにいこうよ。私どこでもつきあうよ」

「いや、かえりましょう。それ以上飲んだら毒や。朝がしんどいですよ」

「なにいうてんねん、洋酒会社の社員が。そんなことでは社長に怒られるよ。売上努力が足らんやないか、きみは」

「いいからいいから。売上はあしたがんばりますよ。まず寝るのが先決です」

「いっしょに寝ようか、朝まで」

「恐いことをいいますね。醒《さ》めてから後悔しますよ。さあ帰ろう」

 タクシーがきた。直子を後部座席へおしこんで、高田も乗った。

 千里ニュータウン目ざしてクルマは走りだした。揺れたはずみに直子は体をあずけてくる。その肩に高田は腕をまわした。直子はいい気持そうに高田の肩へ頬を寄せる。

 どうしたものか。高田は考えていた。さそえばこの女はホテルへついてくるだろう。熟れごろ、たべごろのいい女である。裸にして組みふせたら、たのしいだろう。

 だが、話がうますぎる。会ったばかりで寝てくれる女に、ろくなのがいるはずがない。裏がありそうだ。暴力団がついているのかもしれない。淫乱な女だとすると、エイズの危険もありうる。やめるほうが賢明だろう。

 そう自問自答した。学生時代なら一も二もなくさそいに乗るところだが、入社五年ともなると、それほど単純ではない。

 十分たらずでタクシーは千里の住宅街へ入った。しばらくいって、白い、垢《あか》ぬけた家のまえで直子はストップを命じた。邸宅というほどではないが、かなり大きなコンクリート建ての家である。暴力団の住む家ではなさそうだった。高田は気がゆるんだ。

「寄っていきなさいよ。だれもおらんから。ねえ、うちで飲もうよ。おたくのウイスキーの特級がありますよ」

 高田の腕をつかんで直子ははなさない。

 運転手に高田は料金をはらった。彼女を抱きかかえてクルマをおりた。直子は門の釦《ボタン》をおして鉄扉をあけた。高田の手をつかんだまま、玄関へ向かう。逃げられはしまいかと、心配しているらしい。

 家へ入った。おちついた内装の家だった。壁の画や置物の壺のセンスもいい。まともな家庭のようだ。安心すると、高田は直子の体がなまなましく意識されてきた。

 応接間へ通された。モスグリーンの絨毯《じゆうたん》を敷いた、おちついた部屋だった。ピアノや本箱のないのがシンプルでこころよかった。

 ソファに高田は腰をおろした。直子は身をくねらせてそわそわと部屋をでていった。しばらくしてもどってきた。三陽の特級ウイスキーのボトル、水さし、氷の容器、タンブラーを盆に乗せている。チーズとレタスもいっしょだった。レタスは山盛りである。あざやかなグリーンが目にしみるようだ。

 二人ぶんのオンザロックスを直子はつくった。乾盃して二人は飲んだ。目をほそくして直子は味わった。だが、もうあまり飲めないようだ。しゃっくりして微笑みかけた。

「レタスたべなさい。高田さん独身でしょ。ビタミンCが不足にきまってるわ」

 気づかいに高田は感激した。

 モリモリとたべた。チーズもかじった。オンザロックスをお代りする。たのもしげに直子は高田をみつめていた。

「奥さんも飲みなさいよ。ぼくだけごちそうになって、申しわけない」

「そう。そしたら飲ませて。飲みたい」

 直子は立って高田のとなりへきた。

 高田にむかってくちびるをつきだした。口うつしの要望である。

 高田はオンザロックスを口にふくんだ。直子にくちづけした。口中の液体をゆっくりと直子の口へおくりこんだ。ストレートでは刺戟がつよすぎる。水割りではうすくてたよりないはずだ。口うつしにはオンザロックスがちょうどよかった。この発見は、CMにつかえないだろうか。

 うーん。うまそうに直子は飲みこんだ。あらためてかるくくちづけにきた。目じりのさがった、愛らしい表情になる。二十四、五の女の子のような顔だ。体は成熟して、くっきりと起伏がある。高田は直子の腰に手をまわした。固く盛りあがったヒップの重みを掌でたしかめる。

 つよい欲望にかられた。直子を抱きしめる。他人の家にいることがひどく刺戟的だった。もう暴力団もエイズも問題ではない。高田は直子の胸をまさぐった。手がはずんだ。

 うーん。また心地よさそうに直子は呻《うめ》いた。高田の掌に胸をおしつけてくる。ブラジャーのなかで、固い乳首がコロコロしていた。掌にそれがくすぐったかった。

 急に直子は立ちあがった。高田の両手をひっぱって腰をあげさせる。

「お風呂へ入ろう。いっしょに」

 直子はまじめな顔になった。さきに立って応接室をでた。

 廊下から居間へ入った。他人の家の生活の匂いが鼻孔にしのびこんだ。女の匂いにかすかな男の匂いがまじっている。奥からふいに男がでてきそうな気がする。高田はもう度胸をきめていた。脅《おど》されても、どうせ奪われる金はない。勝手にしろだ。

 居間の奥に、廊下をへだてて浴室があった。脱衣場も風呂場もひろい。夫婦だけの暮しには贅沢《ぜいたく》すぎる住いである。さすがは工務店の社長の家だ。

 湯ぶねにはもう湯が入っている。さっき酒の支度をしたついでに直子は支度したらしい。湯の量も温度も自動調節だった。

 高田はためらっていた。直子は高田に背を向けて服をぬぎはじめた。するすると肌があらわになる。高田はあわてた。いそいで服をぬぎはじめた。

 高田がさきに全裸になった。タオルでまえをかくして直子のうしろ姿に見惚《みほ》れた。

 すぐに直子も全裸になった。肌はさほど白くない。だが、若々しく張って、光沢にあふれている。若い女とちがって、体の線にやさしい丸味があった。均整のとれた裸身である。腰がつよくくびれている。ヒップは丸くて勢いよく盛りあがっていた。脚はながいほうだ。やさしい線にかこまれている。みごとな体だった。たいへんな幸運にめぐまれたのを、高田は意識せざるを得なかった。

「どう。私の体。すてたもんやないでしょ」

 動かずに直子はふりかえった。猫背になって、両手で胸をおさえている。

「すばらしいですよ、奥さん。夢をみてるんやないかと思う」

 飽かずに高田はみつめつづけた。

 直子はこちらに向きなおった。大きなタオルを体の前面に垂らしている。

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