それにしても用事がないのにおどろいたらしく、そこでこの遊園地の方も軽視して、来てもあまり動かず、そのうちよほど日当が欲しいとき以外現われなくなった。
私は約束どおり現われようと現われまいと少しもかまわなかったが、田宮初美は自分が不定期なことの弁解をするように、土屋由美子という娘を連れてきてアルバイトさせてくれといった。
二人とも文化学院の油絵科だといっていたが、初美の方は絵の話ひとつしたことはない。それに比して土屋由美子は、絵画に関する造詣《ぞうけい》はまるでお話にならず、ピカソのことを、うーんと、と口ごもって、テペソが、といったくらいであったが、学校の宿題だといってデッサン帖に何か描きなぐったものを見せたりする。
田宮初美は、由美子の話によると、家庭が継母で複雑とかでグレているのだという。男が北海道に帰省してしまって、彼女もそこまで追いかけていこうかどうしようか、なやんでいるのだといった。そうきくとやっぱり少女であって、私のところでは、やっぱり虚勢を張って背伸びして懸命に貫禄をつけていたのかもしれない。
土屋由美子の方は信州に両親が健在で、そう豊かではないにしろ、家の中で愛されて育ってきた気配に満ちていた。もっともそれがバランスのとれた形にならず、猛然と天衣無縫で、さすがの私を毎日、驚倒させることばかりした。
昼間は瑞子が居るし、由美子も学校があるから、夕方から夜にかけて私のところに来ると自分からいったが、学校などほとんど行ってやしない様子だった。だから、朝来たり、昼頃来たり、勝手なときに来て、突然、あたしもう帰ります、という。時間給を受けとって、サヨナラァ、と帰っていく。
下宿のそばにうまいパン屋があるとかで、できたての大きなバゲットを片手に持って、電車の中でむしり喰べながらやってくる。私のところへ来たときはそのパンが三分の一ほどになっている。
三四日現われないと思ったら、風邪をひいていたとかで、トイレ用の巻紙を持ってきた。途中でそれで鼻をかみかみやってきたのである。
その翌日は、風邪がもっとひどくなったとかで、右手にトイレットペーパー、左手に大きな紙袋をさげてきた。鼻をかむ頻度が増えたので、鼻紙を捨てるために袋をさげてきた、といった。
夜、居るときは瑞子と交代して、飯をつくってくれるが、最初のときは妙な献立だった。台所で懸命に、じゃが芋をいくつも大根おろし器ですりおろしている。それを味噌でこねあわせて、ネトネトした味噌汁のようなものをつくってくれた。
「これ、お母さんの大好物です」といった。
それはいいけれども、じゃが芋サラダと、ポテトフライと、卓上にあるのはすべて芋ばかりだった。
「じゃが芋、好きかね」
「好きです」
といって幸福そうに笑った。
「他に好きな物は──?」
由美子ははずかしそうに、
「里芋──」
といった。
佐久間瑞子も手もとの軽率な娘で、よく食器類をこわしたが、土屋由美子が来てから、しょっちゅう食器類を買い足さなくてはならなくなった。しかし一生懸命であることはよくわかるので、かわいいのである。
伊原洋子は、ほかのことでもそうだが、料理に関しては特に辛辣《しんらつ》で、由美子は圧倒され、懸命に洋子の手際を真似るようになった。もっとも私としては、誰の料理も上下をつける気持はない。
洋子が大凝りに凝って、手製の飛竜頭《ひりゆうず》をつくってくれたことがあって、由美子が早速、その翌晩、同じ物をつくろうとはかったことがあった。
飛竜頭を浸すタレをまずつくろうとして、洋子が彼女らしくシャレて、鍋に酒をまず入れ、煮立たせたのにマッチの火をつけ、アルコール分を抜いた。その印象が由美子の頭にあったらしい。
鍋に酒を注ぎこみ、しかし適量がどのくらいなのかわからなくなって、優柔不断に注ぎこんでいるうちに、とうとう一升瓶の酒をまるごとあけてしまった。私が偶然通りかかったとき、大鍋いっぱいに煮立った酒にマッチの火をつけようとしているときだった。
「おい、由美子は一人でおけないね」と私は瑞子にいった。「火事を出されるのだけはごめんだ。自分の家ならいいけれど、借りている家だからね」
けれども、それだけに由美子のかわいさというものは傑出している面もあった。
ある夜、私は重い背中の痛みで小一時間ほど汗だらけになって苦悶したことがあった。私は畳にうつぶせになったままだった。
そのときは由美子一人しか居ない。彼女はおろおろして、医者を呼ぼうか、といった。
「いいよ。じっと我慢してりゃ、そのうちなおっちまう」
「そうですか」
「ああ、大丈夫だからそろそろ帰りなさい」
由美子はタオルを冷やして私の汗をときどき拭いてくれた。そうして帰らずに私のそばに坐っていた。やっと苦痛が下火になって、なにげなく彼女の方を見ると、坐ったままポロポロ涙をこぼしているのだった。
私がいくらか元気になったのを見て、由美子はこういった。
「あのね、皆が笑う話をしてあげましょうか。実話ですよ。私のお父さんの話」
「ああ──?」
「お父さんがはじめて東京に来て、上野駅で汽車をおりたんですって。ホームを歩いていたら、そばに人が来て、お父さんはいきなり首をひっぱられたの」
「──?」
「お父さんの財布がその人のポケットに入ってるんですって」
「掏摸《すり》だな」
「でもその財布には紐がついていて、お父さんの首に巻きついてたの。その人が駈けだしたから、お父さんもひっぱられながら走ったのね。長いホームを駈けとおして、改札口の方まで、息せききってその人と一緒に走っていって、それでその人に訊いたんですって、どこまで走ったらいいんですか──」
私はまだ痛む背中を意識しながらやっぱり笑った。この親にしてこの娘ありという感じがおかしい。
伊原洋子の母親がまた小さな事件をおこして検束されているという。洋子は事務所から飛んで帰ったらしいが、こういうことがあってしばらくは、洋子の気持も平衡がやや失われるのだった。
「ママが死んじゃえばいい──」と私のところでも彼女はいった。「ママにもそういってあるの。ふだん、なんでもないときに、これ以上娘を苦しめるようなことをしたら、死んじゃってね、って」
青酸加里を母親の鏡台の中に入れてあるのだといった。多分嘘だろう。洋子の話は彼女流の飾りが多い。しかしそれからしばらくして、母親が出奔したきり、もう五日も帰ってこない、といった。
「それは大変じゃないか。心当りには居ないの」
「ええ」
「おかしいね。警察、なら向こうから連絡がくるものね。捜索願いは?」
「いいえ」
「何故」
「死んじゃってくれてると思う。ママも知ってるんだもの。自分のことも、あたしのことも」
沈痛な表情ではあったが、何かもうひとつ頷《うなず》けなかった。私はなお数日、彼女の様子を眺めて、多分、母親を施設のようなところへ預けたのであろう、と推察した。彼女流に表白すれば、母親が出奔した、ということになる感じなのである。
その同じ頃、佐久間瑞子の母親も上京して、瑞子の下宿から一緒に私のところへ挨拶に来た。娘の暮しぶりをたしかめに来て、それは一応安堵したのであるが、もうひとつの用件である見合い写真と略歴を何枚もおいていった。瑞子は中も見ないで送り返すのだといっていた。
「だって中を見てことわったら、かえって相手に失礼でしょう」
「しかし、いつまでも東京にこうしてるわけにもいくまい」
「ええ、今が青春のまっさかり」と瑞子はいった。「これがあたしの青春なんでしょうか。こんなんでいいんでしょうか」
「望めばきりがないがね。しかし君の青春はまだこれからだろう。本格的な男性がまだ現われてないんだから」
「そんな人って居ないですよ。あたし、結局、見合いのようなことをして、いつのまにかおかみさんになっちゃうんです」
私はずっと前の瑞子の涙を思いおこした。私がちょっと優しい言葉をかけたら、瑞子が私の胸の中に飛びこんでくるような錯覚に捕われていた。辛うじて、ここは遊園地なのだと思い直した。
「あたし、旅に行きたいです」と瑞子はいった。「山に登ってみたい。何か大きなことがしたいんです。それで、青春のしめくくりにしようかしら──」
「洋子さんには、好きな人が居るんです」
とある日、瑞子が不意にいった。
「ほう、それはよかった」
「よくもないんです。洋子さん、片想いだって思ってるから。──でも、こんなこと、きかなかったことにしてください。あたしがしゃべったなんて知ったら、洋子さん、死んじゃうわ」
「──俺の知ってる人なのか」
「ええ」
「誰」
「眼の前に居ます」
「──俺か」
瑞子は烈しい眼で私を眺めていた。
「どうなんですか。洋子さんを好き?」
私は返答に窮した。伊原洋子は父親を想うような気持で私を想っているのだろうと思った。しゃべるなという形で瑞子に告げて、私に伝わることを期待していたのかもしれない。
それで思いあたったが、私が母親のために尻込みすることを恐れて、或いは、洋子自身の気持がぐらつくことを恐れて、母親を施設のようなところに隔離したのかもしれなかった。彼女はいつも母親の条件をひけ目にして男を見送ってきたはずだった。
いつも強がっていた少女の、彼女にしてみれば土壇場での決断が、痛く心にしみた。けれども、けっして洋子を嫌っていたわけではないが、私は返答のしようがなかった。
私は長年孤立してきたせいで、少女たちといくらかちがって、孤立そのものに馴れ親しんでいるところがあった。人恋しさや、お互いに労《いたわ》りあいたい気持は募っていたけれど、一定の覚悟なしに接近しすぎることの傷の痛さもよく承知していた。遊園地が、まことに適当な距離で、この線をコントロールしなければならぬといいきかせていた。けれどもそれが私の遊びで、彼女たちそれぞれに、いろいろな意味での気持の負担を与えていたのかもしれない。また、この場合の相手は洋子でなく、瑞子であったとしたら、どうなっていたかわからない。
私がなんの返答も与えなかったので、数日たってから、瑞子がまたポツリといった。
「昨夜も洋子さんと話したんです。あたしはこういったんですよ。色川さんは、たしかに他の人とちがうけれど、結婚する相手では、ないのじゃないか──」
「当ってるかもしれないな」
と、私は苦笑し、瑞子も笑った。
「あたしは、もっと普通の人を探すわっていいました。若くて、健康で、適当に生きてる人を」
瑞子は私を挑発していい気持そうだった。
伊原洋子はその後もあいかわらず私のところへ来ていて、お互いにその件はそしらぬふりをしていた。が、私はどうしてもいくらかわざとらしく優しくしてしまったようだし、洋子は弱みを現わすまいとして懸命に気を張っているようだった。
瑞子と由美子は、由美子のリードで街にお酒を呑みにいくことを覚えた。二人とも好奇心のかたまりで、そういうことが面白くてしかたがないらしい。けれども、なにしろ二人の状況が男の好餌になりやすいものだったし、特に由美子は誰にでもだまされてしまうような娘だったので、私は案じていた。
「どうしても呑みにいきたいなら、俺の顔が利く店に行け。知らない店で呑んじゃいけない」
私は二三の店の女主人に電話して、彼女たちを脱線させないように頼んだつもりだったが、あんのじょう、由美子に男がからまってきた。
由美子は得意気に男を私のところへ呼んだりしたが、一見してケチな遊び屋で、ただ彼女の身心と財布とをなぶりたかっているだけという最低の青年だった。瑞子から注意させたが、こういうときは由美子でなくても耳に入らない。
放っておくと男が親しげに出入りしはじめそうだったし、私の目前で由美子がなぶられていくのを見るのも不愉快だったので、ある夜、彼女を奥の部屋に呼んだ。
「俺は人に強制するのは嫌いだから、あまりこういうことはいいたくないんだけどね、結局、最終的に判断するのは君自身なんだが」
と私はいい、茶を呑んでひと息入れた。
「あの男は俺は嫌いだ。由美子のお母さんも多分嫌うだろう。男と別れてケリをつけるなら俺は何にもいわないが、もし男とまだつきあう気なら、アルバイトはやめということにしよう。どっちにするね」
「はい──」と由美子は固い顔つきでいった。「もっと甘えていたかったけど、そういわれちゃったらしようがないですね。長いこと、ほんとにかわいがって貰ってありがとうございました」
由美子はそれで来なくなった。
ところが偉そうなことをいっている私が、自分でも思いがけず、女にとっ捕まってしまったのである。今まで故意に伏せてきたが、私のところヘ一番あとから現われた娘で、親類の娘だった。そのことに関しては詳述を避けるが、間接的な理由ではあるが、この遊園地を閉場しようと私が思いはじめたせいもあった。
少女を保護するということのむずかしさが由美子のことでよくわかったし、また洋子の大きな代償を払った末の欲求を満たしてやることもできない。瑞子にとっても青春の立ち腐れのようなもので、要するに本当のことを何もしてやれない。してやれる範囲のことはもうしてしまったように思う。
瑞子も洋子も、すぐに感づいたようだった。洋子は遊びに来なくなった。
私は瑞子に思いきっていった。
「俺たちは──」と例の娘のことを複数にした。「しばらく一緒に暮してみようと思う。いつまで続くかわからないけどね」
「ええ──」と瑞子はいった。
この家を越そうと思っている、とも私はいった。
「あたしも、親もとへ帰ります」
「それでね、旅に行こう。俺たちと君、じゃなしに、三人でだ。以前どおりこの遊園地のメンバーとしてね。山を見に行こうよ」
私たち三人は、まず上高地に行って、穂高を見、ベッドが三つある部屋をとって寐た。私も瑞子も例の娘も、キャッキャッと笑いあい、女二人は食堂で毎日二人前ずつ喰べて、屈託なさそうだった。自転車に乗ると瑞子が一番うまかった。それから黒部ダムに行った。それからまた白馬山麓のホテルに泊った。今度は瑞子が補助べッドに寐た。
私たちはそれで帰京する予定でいた。瑞子は、帰らない、といった。
「あたし、白馬に登って、越えてみます」
「一人でか」
「ええ、一人で」
「そうか、我々は山を見てまわっただけで、登ってみなかったな」
「お世話になりました。本当に、一生忘れません。こんなことが、世の中にあるなんて思ってませんでした」
瑞子はおだやかな顔でそういった。しかし翌朝早く霧の中を、小さなリュックを背にして、本当に一人で白馬への一本道を歩きだしたときは、何か烈しいものを感じさせた。
佐久間瑞子は白馬を越えて、西国の親もとのところへ帰っていった。母親からのと、本人からのと、一度手紙が来た。母親が編んだという靴下を送ってくれたこともあった。
しかし、一番長かった遊園地メンバーとしては、意外なほどそっけなくて、たちまち音信不通になった。結婚したのだろうな、と私は思っていた。
それでもやはり娘の行末を案じるように、いつも気になった。ある年、九州からの帰り、瀬戸内海を船で来たときは、瑞子の故郷とおぼしきあたりで、カミさんと二人で、彼女の幸運を祈った。
ずいぶんたってから、当時の鈴木さんの事務所に居た人から電話があって、瑞子の消息を伝えてきた。大阪で妻子のある男性と恋仲になり、妻君の方にどなりこまれたりしたあげく、その男性と東京の方に逃げたということだった。しかも、その男性は数カ月後、元の妻子のところに戻っているのに、瑞子は行方不明だということだった。その人は、もし瑞子から連絡があったら、親もとへ知らしてやってくれ、といった。
瑞子ちゃんが来るかもしれない、とカミさんは彼女のための部屋を用意したりしたけれど、私は、来ないだろう、と思っていた。
「それにしても、電話ぐらいしてきてもいいのに」
「うん──」といったが私はそれにも答えなかった。瑞子、がんばれよ、と心の中でいった。
彼女の周辺は最悪のケースも思ったようだったけれど、そうではなくて、その男性かどうかはきき洩らしたが、東京周辺で所帯を持っているという噂を、その後耳にした。
土屋由美子は、例の男にすぐに捨てられて、某大学のそばのスナックで働いているということだったが、そのうち、サラリーマンと結婚式をあげた。私は行かれなくて祝電だけ打ったが、これは恵まれた結婚であるらしかった。
それから十年近くたって、昨年の暮、夜半すぎに突然電話をくれた。
「びっくりしたでしょう、あたしよ」と由美子はいい、これからすぐ訪ねていきたいから住居を教えてくれ、といった。私はその夜のっぴきならない仕事をかかえていたので、又近いうちに電話をくれ、といってことわったが、夜半の二時すぎになって押しかけてきた。
顔つきには幼さが残っていたが、由美子は酔っていた。
私はそのとき、カミさんと別居していて、寒々しい部屋でぽつんと机に向かっていた。
「去年、病気したでしょう。あのときも看病に行こうと思ったんだけど、やめたの」
それからこうもいった。
「なんでも知ってるのよ。奥さんと別れたって新宿の呑み屋で小耳にはさんだものだから、来たのよ。あたし、あの奥さん、嫌い」
「旦那とは、うまくいってるのかね」
「ええ。旦那はあたしのいいなりよ。子供ができないもんで、退屈でね、今、毎週三日だけアルバイトしてるんです。酒場で」
「旦那は反対じゃないのか」
「お前の好きなようにしていいって。亭主なんて嫌ァよ。お酒呑んでる方が面白い」
「しかし、こんな時間に、酔っぱらって飛びまわってるようじゃ、いい女房じゃないね」
「亭主がいいっていうんだからいいでしょ。あのね、部屋を片づけてあげましょうか」
あいかわらず独り合点な娘だと思った。人の都合も考慮せずに土足で踏みこんでくるような態度も、生活の模様も好感が持てなかった。そのうえ私は、妻とのことで、やはり人間に深くかかわりすぎた悔恨をかみしめている最中だった。
もういいかげんに帰れ、と私はいった。
「じゃ、今度ね、お掃除や洗濯や、本の整理や、やりに来てあげる。いつがいいですか」
「そんなことより、自分の亭主の世話をしろよ」
私はそっけなく送りだした。
その後、もう一度電話がかかってきたけれど、そのときも来訪をことわった。
しかし日が経《た》ってみると、少し考えも変った。由美子の発言はそっくり事実かどうかかなり疑わしいので、彼女流に構えて、せいいっぱい大人の仕草をしているつもりだったのかもしれない。私がかつてのように優しくすれば、彼女の反面の貴重な魅力を充分にまき散らしていってくれたのかもしれなかった。
初出誌
離婚
別冊文藝春秋143号・昭和五十三年三月
四人
別冊文藝春秋145号・昭和五十三年九月(のちに加筆)
妻の嫁入り
オール讀物・昭和五十三年十一月号
少女たち
オール讀物・昭和五十三年九月号
単行本
「離婚」昭和五十三年十一月文藝春秋刊
〈底 本〉文春文庫 昭和五十八年五月二十五日刊