二人共に星村を悩ませたシースルーのネグリジェ姿である。下は花模様の薄いパンティをつけただけだった。フロアの中央に抱き合った形の二人は、ラジオから流れてくる音楽のリズムに合わせて体を動かしているように見えるが、それはダンスを楽しむためではなく、より強い密着の姿勢にもっていくためにたがいの体をよじり合っているのだった。
「お姉さま、もう」
ルミがまた呻《うめ》いた。その声を合図のように明美がルミを床の上に押し倒した。ネグリジェが捲《まく》り上げられて、花模様のパンティが器用に取り除《の》けられる。
美しい果物の皮を剥《は》ぐようにルミのネグリジェが剥がされて、つづいて明美が生まれたままの姿に還《かえ》る。
たがいの肌を隔てていた�夾雑物《きようざつぶつ》�を取り除かれた二個の裸体は、床の上に思い切り淫靡《いんび》な形に組み合った。弱光に切り換えられたスタンドの柔らかい光が、からみ合う曲線を息をのむほど扇情的に染め上げている。ラジオがビートのきいた音楽を流しはじめた。
「もっと強く抱いて」
今度は明美が声をもらした。いまのところ、どちらが男《たち》役を務めているのかわからない。やがて上に来たルミは、明美の乳房をもみしだきながら、時折りその乳頭を指でねじるようにつまんだ。
「ルミ……もう……かんにん!」
明美がとぎれとぎれに呻《うめ》きながら、身をよじらせて、ルミの裸身にひしとすがりついた。
接吻《せつぷん》をはずしたルミの唇《くちびる》が明美の乳房を吸った。歯でくりくりと乳首をかむ。ルミの髪も、眉も、舌の先も、指の先から足の爪《つめ》まで、体中のすべての器官が明美を悦《よろこ》ばせるための道具となった。ルミの唇はさらに下降していく。胸から腹、腹から蜂《はち》のようにひきしまった腰のくびれへと、入念な愛撫の繰り返しの都度、明美の白い裸身が白蛇の精のように妖《あや》しくもだえ狂う。
明美の体のあらゆる部分に加えられたルミの愛撫《あいぶ》は、しだいに明美の体の中心の花びらに向かって、同心円をえがくようにして近づいていった。だが微妙に距離をおいて、ルミの唇《くちびる》は明美の花びらそのものには決して触れない。
「ねえ、もうだめ!」
全身をこまかい痙攣《けいれん》に震わせながら明美が次に来るべき行為を催促した。だがルミは決して応じない。さらに微妙で残酷な愛撫を加えつづける。
「おねがい! つづけて!!」
明美は焦《じ》れて半狂乱になった。全身をくねり、よじり、咽喉《のど》をひいひい鳴らしながら、必死にせがんだ。ラジオが皮肉にもレガートな曲を流してきた。
二人の役はもう明らかだった。ルミが男《たち》役で、明美が女《ねい》役である。ルミはその立場を思うさま利用して残酷な拷問をつづける。
「ねえ、ルミ! 早く!!」
下から明美が必死の声でうながした。
「お姉さま、私に本当にいい役をくださる?」
ルミが上から意外に冷静な声を出した。
「何を言ってんのよう、こんなときに、早くったら!」
下から明美の手が狂気のようにすがりつく。密着した肌と肌の間に汗がぴしゃぴしゃ音をたてるばかりにたまっている。周囲から完全に隔絶された密室の空間には、二人の女の体液の生臭《なまぐさ》い匂《にお》いがたちこめた。
「約束するまではいや」
ルミがすがりつく明美の手を邪慳《じやけん》に払いのけようとする。
「するわ、する、する。何でもするから、ね、早く!」
「今度のうちのユニット番組の『夜のダイヤモンドショウ』の主役にしてくださる?」
「するわ、必ず」
ようやく明美のしとどに濡《ぬ》れたその部分にルミの唇《くちびる》が触れた。唇の中から決して萎《な》えることのない棒状に丸められた舌が明美の体内深く抉《えぐ》りこまれる。美しい獣《けもの》が、美しい獲物の肉を貪《むさぼ》り食らっているような凄艶《せいえん》な光景、白い二本の太腿《ふともも》の間にがっぷりと食いついたルミの髪をふり乱した頭部、濡れ雑巾《ぞうきん》を叩《たた》くような音、その都度弓なりにしないのけぞる明美の裸身、——それはまさに絢爛《けんらん》たる痴態であり、凄絶《せいぜつ》な倒錯であった。何度も何度も繰り返される明美のエクスタシーの絶叫の合間を縫って、
「きっと、きっと主役よ! 約束して!」
と、およそその場にそぐわないルミの計算高い声が、共食いをする陰獣の陰惨なうめき声のように聞こえてきた。
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垂直の盲点
1
大川刑事と下田刑事は赤坂|葵《あおい》町にあるホテルオークラに美村紀久子を訪ねた。冬本の勾留《こうりゆう》期限満了を二日後に控えて、最後の証拠がための一環としてである。
キクプロ事務所に連絡したところ、ちょうど自宅を改築中で、ホテルオークラに泊まっているからそちらの方へ来てくれということだった。
地下鉄を虎《とら》の門《もん》で降りて、アメリカ大使館を横に見ながら霊南坂《れいなんざか》を上って行くと、ホテルの正面玄関がある。保有客室五百室、規模においては千室クラスの大型ホテルが次から次に誕生している現在、中型となってしまったが、「世界をもてなす」というキャッチフレーズの下に優雅でデラックスな設備と品格あるサービスは、都内随一のコンベンショナル・ホテルとして定評がある。
正面玄関をはいると吹抜けになったロビーとなっていて、壮麗な天井からクリスタル型の大シャンデリアが、巨大な飾り紐《ひも》のように何灯も懸《か》けられている。
「美村紀久子はどの部屋に泊まっているんでしょうね」
「フロントに訊《き》いてみよう」
部屋番号までは訊いてなかった二人は、左手にある |案 内《インフオメーシヨン》 と表示されているカウンターへ歩み寄った。三階の314号室だと聞いて、ちょうど来ていた「上り」のエレベーターに乗りこんだ。ほかにも何人かの客が乗り合わせている。
エレベーターが動き出すと、エレベーター・ガールが、
「ご利用階数をお知らせください」と言った。
「三階」
「三階は�下り�ですのでお乗り換えください」
刑事らは次の階[#「次の階」に傍点]でおろされた。おりたところには六階の表示がある。
「変ですねえ、�一階�から乗ったのにもう六階だ」
下田刑事が首をかしげた。
「それよりも、一階から三階へ行くのに、あのエレベーター・ガールは下りに乗れと言ったぞ」
大川刑事も不審顔である。正面玄関をはいってからエレベーターへ乗るまで、二人は階段を上った覚えはないのである。
下りのエレベーターがやって来た。車《かご》内に他の客がいなかったので、大川はその不審をエレベーター・ガールに訊いてみた。
そのときは、相手の答になるほどと納得したが、目指す三階におり立ったとき、突然大川は目を剥《む》いて、
「下田君! わかったぞ」
と大声を出した。
「わかった? 何がです」
「ほら、紀尾井メゾンの殺人《ころし》だよ」
「え?」
「あの殺人、緑川という女社長のアリバイがどうしても崩れなくって麹町じゃ苦労してたな」
「はあ」
下田には何故《なぜ》大川がいきなり「麹町」をもち出したのかまだわからない。
「あのアリバイも、五階のはずなのを証人が一階だと言い張っているので、崩せないんだ。どうだ、このホテルと事情が似てるじゃないか」
「あ!」今度は下田が目を剥く番だった。
いま、彼らは�一階�から三階へ行くつもりで、上りエレベーターに乗ったら、下りに乗り換えさせられた。エレベーターに乗るまで階段を上っていない。このホテルでは、三階は一階より下にあるのか?
その疑問をいま、エレベーター・ガールが説明してくれた。
もしその説明と同じ状《シチユエ》 況《イシヨン》が紀尾井スカイメゾンにあれば……緑川明美のアリバイは崩れる!
紀尾井メゾンの殺人《ころし》は彼らの担当ではなかったが、新幹線事件と連続する疑いが出てきたので、おたがいの捜査経過は緊密に連絡し合っている。
「とにかく紀尾井町へ行ってみよう」
「はい」
彼らはこのホテルへ来た目的も忘れてその場から飛び出した。
2
高輪側の大川刑事たちの発見によって緑川明美のアリバイはついに崩れた。再々度取調べを受けた星村俊弥は自分の錯覚を認めた。
緑川はマンションの立地点における地勢を利用してアリバイを構築したのである。
すなわち、紀尾井スカイメゾンは、清水谷から紀尾井町の高台にかけての斜面の上に立っている。正面玄関は南側の清水谷の低地に向けて開いている。正面玄関からはいると建物の一階になるが、裏手の紀尾井町側からはいると、いきなり五階に出てしまう。これは建物が低地と高台の境界に立っていて、土地の高低を建物によって埋《うず》めたような形になっているためである。
この地勢上の立地条件はホテルオークラの場合と酷似している。霊南坂の斜面に立つ同ホテルは、霊南坂側に面する正面玄関は五階になる。したがって大川刑事らは五階を�一階�と錯覚したのである。だから、三階が�一階�より下にあるように感じたのだ。同ホテルを初めて訪れる(正面玄関より)客は、四階以下へ向かう場合にはみな同じようなとまどいを覚える。
だがこのとまどいが、緑川明美のアリバイを崩す突破口となった。緑川は、酔った星村を車に乗せて、午前零時少しまえに、紀尾井メゾンの裏手、紀尾井町側へつけた。五階 北《ノース》 棟《ウイング》 棟末は、紀尾井町側の�地上�に直接開く非常口となっている。この非常口は内側からのみ開く自動|扉《ドア》であるから、ルミにより開けさせたものであろう。
棟末非常口から建物内に導かれた星村は、エレベーターホールも棟央部に遠く離れていたために、階数表示も見えず、そこを一階と錯覚した。部屋番号の表示板に対する作為は容易である。
こうして星村を奥八畳の居間(高円寺コンドの居間に似せた)に通してアリバイを確立した緑川は、手前六畳の和室にクスリで眠らせておいた赤羽を絞殺した。
星村がもし窓の外を見れば、そこが五階、——少なくとも一階ではないことに気がつかれてしまうので、ブラインドを閉めた上に、カーテンを引いていたことだろう。この事実は星村が後の取調べでまさにそのとおりであったことを認めた。
凶行後は、本部がこれまでに下した推測と同じであろう。死体発見の急報で駆けつけたときは捜査官は正面玄関からはいった。室区分の北面は廊下に面しており、廊下の窓は背丈より高い明りとりだけだったために、地勢利用のトリックに気がつかなかった。
エレベーターに乗った事実と、512号室の南面に開くまさに五階としての眺望が、高円寺コンド一階との混同という発想を大きく妨げたのである。
捜査陣が裏口の非常口から乗りこめば、緑川のアリバイ工作は簡単に見破られてしまうが、捜査官や鑑識、あるいは新聞記者などを含む大部隊が、メゾンの住人ですらよく知らない裏の小さな非常口へ殺到するようなことはよもやあるまいと踏んでいたにちがいない。
(画像省略)
麹町署の捜査本部は沸き立った。高輪側はこれで借りを返したような形になった。だが緑川が新たな容疑者として浮かび上がってから、二つの事件が連続する疑いが出てきたので、対抗意識より、合同捜査による発見のような気がしていた。
三月三日早朝、緑川明美および若江ルミに赤羽三郎殺害および同|幇助《ほうじよ》容疑による逮捕状が執行された。
麹町署にその身柄を留置された緑川は、峻烈《しゆんれつ》な取調べに屈服して次のように自供した。
「赤羽三郎を殺したのは私です。赤羽の部屋に一、二度行った折り、その特殊な立地条件を知ってこのトリックを考えつきました。アリバイの証人として星村を選んだのは、彼がキクプロでホサレており、スターになるためには何でもすると思ったからです。まさか新幹線事件の参考人になっているとは夢にも知りませんでした。彼はアリバイの道具に使ったあとで参考人として呼ばれたのですものね。もし知っていれば、ほかの人間を選んだでしょう。芸能界ではそういう人間にこと欠きません。
あの夜、私が星村と会っているころ、ルミを赤羽の部屋へやって、十時ごろ情交を装《よそお》って、睡眠薬をビールに入れて服《の》ませました。赤羽は以前からルミに気がありましたから、細工は簡単でした。
もちろん殺すときに抵抗されないためと、星村を連れこむときに双方に気づかれないための予防ですが、もう一つ、星村が来るまでに奥の部屋を高円寺の私の部屋らしく偽装する時間を稼《かせ》ぐためでした。
睡眠薬は本当は私が服ませたかったのですが、テレビ局員に十時ごろ電話をかけさせて、彼が確かにメゾンにいることを知らせなければいけないので、それからあとに星村に会うと、彼を適当[#「適当」に傍点]に酔わせる時間が足りなくなってしまいます。
十時という、赤羽を眠らせる時間は微妙でした。これより時間が早いと、刑事さんがおっしゃったように、死体を移す可能性が生じて、アリバイ工作がだめになってしまいます。かといってこれより遅くなると、星村をメゾンへ連れこむときに赤羽が具合よく眠っていてくれないかもしれません。それに『高円寺』らしく見せかけるしかけの時間も要《い》ります。
かねて私と愛し合って[#「愛し合って」に傍点]いたルミは、うまくやってくれました。テレビ局員からの電話が行ったすぐあとに赤羽を眠らせて、星村を連れこむまでに準備万端整えてくれたのです。
東洋テレビの中村には『ボナンザ』から、トイレへ行くふりをして電話しました。さらにもう一度『レッドローズ』から、赤羽の部屋にいるルミに電話して、�準備�ができたことを確かめました。
赤羽の部屋にあったテレビや水槽は、奥の六畳の和室へ移し、レンタカーで私の部屋からルミに運ばせたサイドボードやブックケース、時計、トーテムポールなどを代わりに置きました。時計は接着剤つきのハンガーで、居間の壁に懸けました。ソファーはどこにも見かけられる規格三点セットなので、両|肘椅子《ひじいす》一つだけ、別の部屋に隠しました。
これだけのことをルミは、私が星村と�デート�している間に一人でやってくれたのですから、さぞ大変だったでしょう。幸い、彼女も車のライセンスをもっていたので助かりました。
アコーデオンシャッターは開けておき、星村が眠ってから閉めました。一番神経を使ったのは、床《フロア》ですが、幸いにも私の部屋と似た色の板張りだったので、何の工作もしないことにしました。カーペットを移したりしたあとに繊維くずが残ったりすると大変ですので。高円寺のほうではそれまでオレンジ色のカーペットを使っていたのですが、この計画のために捨てました。窓にかけたカーテンも高円寺で使っているのと同じ種類のものを一時的に使いました。�移転�ののち、電気掃除機をかけて、どんな小さな遺留品も残さないようにしました。防音が完全なので、夜更《よふ》けでも安心してかけられました。
部屋番号のプレートは、取りはずしがきくので、つけ替えておいたのです。
星村を紀尾井メゾンに連れこむまでには、飲ませるお酒の量の調節に苦労しました。あまり早く酔い潰《つぶ》しては、アリバイの証人になれませんし、またあまり正気に近くては、新宿と紀尾井町間を走る間に見破られてしまいます。車の中では寝てくれて、メゾンにはいるときは自分の足で歩ける程度の酒量、それを調節するために、何軒かハシゴをしたのです。一番恐かったのは、紀尾井メゾンへ星村を連れこむときと、高円寺への引っ越しのときでした。棟末に近いので、非常口までの距離が少なく、比較的ほかの部屋よりは人に見られる危険は少ないのですが、マンションの午前二時前後という時間にはまだかなり人の出入りがあります。特に赤羽を殺したあとは、サイドボードや時計などの小道具をはじめ、星村をかついで運ばなければいけないので、身が縮む思いでした。首尾よく車にすべてを積みこんだ[#「積みこんだ」に傍点]あとも、今度は酔っぱらい運転でつかまる心配がありました。私もルミもかなり控えたつもりなのですが、星村を酔いつぶすためには、全然飲まないわけにはいかなかったのです。同じ危険は高円寺コンドへ運びこむときにもありましたが、こちらのほうは明け方近くマンションの住人の眠りが最も深い時間だったので、紀尾井メゾンほどではありませんでした。
赤羽に自殺を装わせなかったのは、くすりを服《の》ませているし、とうてい警察の目を欺《あざむ》き通せないと思ったからです。
赤羽を殺したのは、星村を居間へ連れこんだ直後でした。防音性が完全なので、ラジオのボリュームを上げ、ルミが相手をしていたので、万一にも気づかれないと思いました。
くすりのききめでぐっすり眠っている赤羽を絞めたとき、ちょっと痙攣《けいれん》しましたが、あっけなく絶息してくれました。十二時ちょっと前です。殺したあとにネグリジェに着替えたので、星村は着替えのために座をはずしたと思ったようです。その後も何度かトイレに立つ振りをして赤羽を絞め直しましたが、そんな必要がないくらいに完全に死んでいました。
赤羽を殺したのは、お察しのように脅迫されていたからです。私は実は山口友彦と極秘の関係をもっておりました。本当に山口を愛していたのです。いずれ結婚するつもりでおりましたが、万博プロデューサーの話があったときでもあり、社長とマネジャーの関係となると、格好《かつこう》のスキャンダルの材料にされそうなので、時機を待っていました。ところが、そのうちに山口は美村紀久子と関係した上に、うちの企画をキクプロへ売ったのです。万博プロのポストは私の生涯の夢でした。その夢をライバルプロダクションに売り渡した上に、私の愛までも踏み躙《にじ》ったのです。
私はこの裏切りを絶対に許せないと思いました。でも売り渡した相手がほかの人間であったなら、私もそれほど思いつめることはなかったでしょう。でも美村紀久子にだけは渡せませんでした。それは私の、彼女に対する敗北を認めることです。それを認めるくらいなら女であることをやめたほうがよい。山口と万博プロの椅子《いす》は絶対に渡さない。私は堅く自分に誓いました。
幸いに私と山口との仲は極秘だったので、誰《だれ》にも知られておりませんでしたが、紀久子はかなり大胆に山口に接近していました。
ここで山口を殺せば、彼の裏切りに対する痛烈な復讐《ふくしゆう》ができる上に、紀久子とのスキャンダルが明るみに晒《さら》される。またキクプロの冬本の、紀久子への片思いは芸能界でも有名であり、紀久子をめぐる三角関係ということで冬本に疑いがかかるかもしれない。そうなったら、万博プロデューサーの椅子は確実に私に回ってくる。こう思った私は、山口を殺す計画を立てたのです。でも私自身の手は汚したくありませんでした。
こうして私は赤羽を選びました。以前から私にはよくなついていて、私の命令には絶対服従する、星プロの中では最も従順な人間だと思ったからです。芸のほうは大したことはありませんでしたが、動きが素早くて、環境に順応する動物的な勘を持っていたので、このような目的には理想的な�人材�だと思いました。
それに、自分の顕示欲が強く、私にとり入るためなら何でもする心理も見抜いておりました。さらにこの選択を決定的にしたものは、どういうわけか山口が赤羽を毛嫌《けぎら》いし、彼の起用にいつも難色を示していたからです。赤羽もそのことをよく承知していて、山口の下ではいつも冷めしだとこぼしておりました。でもそれは殺意に高まるほどのものではありません。強い反感を持っていると、山口が殺されたときに動機を持つ者としてすぐに浮かび上がってしまいます。その程度の苦情は、売れないタレントの誰《だれ》もが持っているものでした。
案の定、赤羽は私が極秘にもちかけた話を承諾しました。もちろん彼が拒否した場合を考えて、冗談話にできるように言質《げんち》を取られない話し方をしました。でもそんな心配をする必要はありませんでした。赤羽の起用を山口一人が反対していると言っただけで、彼は進んでこの�仕事�を引き受けてくれたのです。
矢は放たれました。私は彼を完全な傀儡《かいらい》とするために、バックアップの保証の意味で体を与えました。昨年の十月十四日、山口に東京へ出張を命じました。その日と、ひかり66号を選んだのは、当日の同列車が比較的すいていることを知っていたからです。近くにほかの乗客をすわらせないために、七号車の最後部の席ABCD席を数日前に私と赤羽で二枚ずつ買い、A席を山口に渡したのです。A席にしたのは赤羽が左|利《き》きでそのほうがやりやすいと言ったからです。同じ出札で同時に買えば、並んだ席を取ることができます。
出札係に印象が残らないように赤羽と手分けして二枚ずつ買いました。
赤羽はうまくやってくれました。あとで冬本も山口を殺すつもりで同列車に乗っていたと知り、もし二人が山口のそばでぶつかったらとゾッとしましたが、ほんの寸秒の差ですれちがったらしく、捜査は、まさに私の思うツボの方向へそれてゆきました。
裏切者への復讐《ふくしゆう》とは言いながら、私は山口を喪《うしな》った当面の寂しさを、ルミとの同性愛で埋めようとしました。私はレズビアンの世界にはいって、初めて官能の極致がどんなものか知りました。山口との行為など、それに比べたらまるでママゴトでしたわ。ルミは天性の男《たち》役でした。女《ねい》役の私に対して髪の毛から手足の爪《つめ》まで、すべての器官をフルに使って徹底的に奉仕し、そのことで自分も歓《よろこ》びを覚えるのです。相手が男と女とでは、抱き合った感じからしてちがいます。男の肌はザラザラしておりますが、女同士だと肌が吸いつき合うようで、それこそ水ももらさぬ強い密着が得られるのです。女同士だから、おたがいに女の急所がどこにあるか知りつくしております。レズビアンの愛撫《あいぶ》は、緻密《ちみつ》で執拗《しつよう》で、ソフトでリズミカルです。たった一回のクライマックスで萎《な》えてしまう男とちがい、体力のつづくかぎり、官能の絶頂を与えてくれます。一体、女をあそこまでの恍惚《こうこつ》に導いてくれる男がこの世にいるでしょうか? あとになって山口と杉岡とホモ関係だったと知りましたが、彼は同性も女も同時に愛せる�両性愛�だったようです。
私にはそんな器用な真似《まね》はできません。
私はルミとの愛欲に溺《おぼ》れました。人はこれを性の倒錯とか、変態とか言いますが、私はこれこそ本当のセックスだと思います。
ところがルミとの愛を高めつつあるときに、私の忠実な道具と信じていた赤羽が突如として恐るべき恐喝者に変貌《へんぼう》したのです。彼はもちろん、東洋テレビの連ドラに出したり、アジアテレビの大河ドラマの主役に売り込んだり、充分すぎるほど引き立てていたのですが、それだけではもの足らず、私の体をまた要求してきました。最初に体を与えたのは、私の大きな失敗でした。いえ、ルミとの愛を知らなければ、それほどの失敗ではなかったかもしれません。でもルミを知ったあとでは、オスの本能を剥《む》き出しにして迫ってくる粗雑な男のセックスは、想像しただけで身慄《みぶる》いするほどいやでした。それでも強引に求められるまま、赤羽に逢《あ》いました。逢う回数が重なるほどに赤羽は図々しく粗雑になってきました。それだけではもの足らず、彼は私とルミとの関係を知って、ルミまで求めてきました。それは私たちの愛を冒涜《ぼうとく》するものです。私はついに自分の生涯をかけての�純愛�を貫くために、赤羽を除こうと決心したのです。ルミが手伝ってくれました。私はもう社会的地位も財産も失いました。万博プロデューサーの椅子《いす》も、文字どおり夢と消えました。でも私とルミはとうとう二人だけになれたのです。私は後悔しておりません。私たちの愛の前に立ちふさがる者は絶対に許せなかったのです。私たちの愛を太陽の下で謳歌《おうか》するために。——」
と結んだ緑川明美は、暗い取調室の天井をキラキラする目で見上げた。取調官は本当にそこに太陽が輝いているかのような錯覚をおぼえた。
3
一方若江ルミの供述は凄《すさま》じかった。
「何だって、私が人殺しの共犯だって? 冗談言わないでよ、おじさん。みんな明美がやったんだ。私は何も知らないよ。レズビアン? あんなものちっともいいことない。女がどんなに頑張ったって、男のたくましさにはかなわないわよ。男のほうがどんなにいいかわかんない。抱きしめる力からしてちがうもん、背骨折れちゃいそう。赤羽さんと? ああ! あの人よかったなあ。凄《すご》かったわよ。特に最後の晩[#「最後の晩」に傍点]が凄かった。私、何度も失神したわ。とうとう終わったあと、くすり服《の》ませるのちょっと、かわいそうだった。でもスターになるためなんだもの仕方ないわ。私だけじゃない、私たちの仲間だったら誰《だれ》だってやるわ。それにくすり服ませるだけならちっとも悪いことないもん。でもあの人死んじゃったのね、ちょっともったいない気がするな。あの人に比べたら、女同士のレズなんて馬鹿みたい。イミテーションよ。真似《まね》はどこまで行っても、本物には勝てないわ。第一、女同士が抱き合うなんて不潔よ。じゃあ、何故《なぜ》したんだって? もちろんテレビに出たいからよ。テレビの中で歌ったり踊ったりするんだ。日本中の人間が私をみつめてくれる。目の眩《くら》むようなライト、私のためのオーケストラ、耳がつんぼになりそうな拍手、みんなが私を中心にして動くのよ、ああシビレちゃうなあ。そうなるためには、赤羽さんも捨てたわ[#「捨てたわ」に傍点]。私、そのために明美の尻《しり》の穴までナメてやったわ。それを明美のやつ、嘘吐《うそつ》きやがった。ちくしょう! 刑事さん、これ詐欺《さぎ》よ。私、被害者なのよ、早くこんなところから出して! 私を大勢の未来のファンが待ってんのよ」
二つの殺人事件は連続した。二つの捜査本部は合同して、緑川明美の自供の裏づけ捜査を行なった。冬本信一は緑川が送検されると同時に釈放された。
ただでさえもニュースバリューが高いところへもってきて、もとキクプロのマネジャーとあって、マスコミが殺到した。現金なもので、キクプロではふたたび冬本を迎え入れたのである。
美村紀久子は万国博プロデューサーとして万準より正式の委嘱《いしよく》を受けた。
4
同じ日の午後七時ごろ、そろそろ、ラッシュの終わる国電|品川《しながわ》駅で飛びこみ自殺があった。その男は自殺する前にかなりアルコールを入れていたらしく、京浜線下りホームをよろよろ歩いていたが、折りから進入して来た桜木《さくらぎ》町行電車の前にいきなり身を跳《おど》らせたのである。
電車は急停車したが、間に合わず、男は両脚の、膝《ひざ》から下を切断された。切断面から血と共に骨や髄《ずい》質が突出し、見るもむごたらしいありさまになっていた。
駅員によって車体の下から引きずり出されたとき、男はまだわずかに生きていて、切れぎれに譫言《うわごと》を言っていた。
駅員の一人がそれを微《かす》かに聞きとめた。
「もう……どこもおれを……使ってくれない……おれは……どうしてもスターに……なるんだ」
その駅員も、男が何を言ったのかすみやかに忘れてしまった。彼はそろそろ自分の勤務が終わる時間にこんな事件を起こされて迷惑この上なかったのである。家路に向かう通勤者の足を思ってではない。彼は今日、恋人とデートの約束をしていたのだ。しかし飛びこみ自殺があっては、とうてい約束の時間に間に合うまい。
東京には一千万人を越える人間が犇《ひし》めいている。その中の一人や二人が死んでも、彼にとってどうということはなかったが、何もよりによって恋人とのデートの日に飛びこむことはないだろう。
駅員は汚物そのものとなって横たわる男に憎々《にくにく》しげな目を向けた。彼がそのとき、男の所持品を調べていれば、渋谷−大森間の定期券の持ち主としての「星村俊弥」という名前に、恋人がかつてのデートのとき、ファンだと言った言葉を思い出したかもしれない。
万国博の開幕を一週間後に控えた三月八日、キクプロ制作部長の風見東吾が、突如そのポストからはずされた。理由は自社タレント四つ葉みどりとのスキャンダルによるものである。
新宿の温泉マークで忍び逢《あ》っていた現場を週刊誌に暴《あば》かれたのである。
代わりに冬本信一が元の椅子《いす》に返り咲いた。消息筋の中には、これを美村紀久子が冬本を再登用するための陰謀であるとひそかに囁《ささや》く者もあったが、キクプロの強大な圧力の前にすぐに沈黙した。
確かに冬本の無実が定まってみれば、キクプロにとって彼は風見などと比較にかけられない重要な人材である。宿願の万博プロデューサーにもなれた紀久子にとっては、冬本を捨てる意味がなくなったのである。それどころか、この大任を無事果たすためにも、彼はどうしても必要になってきた。
こうしてふたたび冬本と風見を交換にかけたというわけであった。
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北帰行
1
日本万国博の 開《グランド》 幕《オープニング》 は、いま眼前に迫っていた。総投資額一兆円、会場工費二千億円の巨費をかけた千里丘陵《せんりきゆうりよう》の広大な会場には、幕あき前の秒読みにはいった快い緊張感がみなぎっていた。
三月十五日、——ここに一つの新しい世界が生まれる。その日地球のあらゆる地域から、世界七十七か国がこの丘陵に集まって来る。
民族、思想、言葉のちがいを乗り越えて、「人類の進歩と調和」という共通のテーマを語り合うために。——
その規模において一八五一年にさかのぼる万国博の中でも最大といわれている大阪万博、会場内に林立する百十五に上る内外パビリオン群は、壮麗な建築オリンピックを現出させている。
想像を絶する映像、音と光、空中に浮く建築物、アポロ、スプートニクなどの宇宙開発技術の粋《すい》、内外企業の夢にあふれた技術とアイデアを競う壮観、夢と驚きを盛った催し物のかずかず。
その中央、シンボル・ゾーンにある二万平方メートルのお祭り広場は、世界の人間が手を取り合って歌い踊る人類交歓の場だ。
広場にかかる世界最大の屋根を突き抜けてそそり立つのは、万博全体のシンボル「太陽の塔」、万博の統一テーマを集約的に象徴すると共に、ハーフミラーの大屋根と対応してダイナミックな空間を構成している。
お祭り広場の北側、万博美術館と並行して建つのが「万博ホール」である。地上三階、地下一階、収容力《キヤパシテイ》千五百人。ここに美村紀久子が世界をかけめぐり、体を張って集めてきた世界一流のポピュラープレーヤーが勢揃《せいぞろ》いする。
シャンソン、フォーク、ジャズ、ミュージカル、GS、そして国内から歌謡曲、日本舞踊などが華麗な祭典を繰り広げる。
冬本と共に会場の下見を終えて、宿所にしている大阪のホテルへ帰って来た紀久子は、かなり興奮していた。
ホテルのバーで軽く飲んだ二人は、それぞれの部屋へ引き取ろうとしたとき、
「冬本さん、ちょっと私の部屋へいらっしゃらない」
紀久子が誘いこむような目をして言った。
「今夜はもう遅いですから」
「何言ってんのよう、まだ十二時前じゃないの、ちょっとお話しがあるの」
軽い酔いを含んだ紀久子の瞳《ひとみ》は、うるんだように光り、吹きつけるような蠱惑《こわく》を冬本へ送ってきた。
(この女のために、おれは危うく人を殺そうとした。あのとき、赤羽がおれよりタッチの差で少し前に行かなかったら、おれはいまごろは確実に殺人者として法の裁きを受けていたことだろう)
だが、そうなっても冬本は少しも後悔しないだろうと思った。自分はこの女のために生まれてきたのであり、それがどんなに報いられることのない想《おも》いであっても、自分は、この女のためにいつでもどんなことでもするだろう。その紀久子からの誘いを、どうして断われよう。紀久子の部屋はホテル最上階のデラックス・シングルだった。
深海の底のような廊下を伝って、冬本を部屋の中へ招き入れた紀久子は、窓のカーテンをさっと開いた。光玉を砕いたような大阪の夜景が眼前に広がった。
紀久子はその多色な光の散乱を背負って、冬本の方を向いた。逆光の中で微《かす》かに笑ったようであるが、室内の照明が暗いので表情はよく見えない。
「いらっしゃい」
紀久子は突然言った。
「あなたはよくやってくださったわ。ご褒美《ほうび》を上げるわ」
冬本はその場に麻痺《まひ》したように立ちつくした。
「さ、何をしてらっしゃるの。あなたが長い間欲しがっていたものを上げるわ。いらっしゃい、私のそばへ」
首をかしげたはずみに彼女の目のふちに光がはいってキラと光った。
扉に微かにノックがあったのは、そのときである。
「誰《だれ》かしら? いまごろ」
紀久子が眉根《まゆね》を寄せた。
「放っておきましょうよ、非常識だわ」
だがノックは執拗《しつよう》につづく。コールボタンがあるのにノックしつづけるところに訪問者《ビジター》の無神経がいっそうに感じられた。冬本がドアに近づこうとすると、何思ったか紀久子が、
「いいわ、私が開ける」
と自分から、ドアの方へ歩み寄った。この無神経なビジターを思いきり叱《しか》りつけてやりたかったのかもしれない。
「あ、あなたは!」
さっと開いたドアの外に思いがけない人物を見つけたらしく、紀久子はその場へ棒立ちになった。
「社長、やっぱり」
異様に顔をひき攣《つ》らして、ドアの外に立っていたのは風見東吾であった。
「こんな夜更《よふ》けに何かご用?」
瞬間の愕《おどろ》きから立ち直った紀久子は、社長の威厳を取り戻して言った。
「用があるから来たんですよ」
風見は唇《くちびる》のはしをキュッと上げて薄く笑った。そのとき紀久子は、背筋に悪寒《おかん》のようなものを覚えて、思わず一、二歩|後退《さが》った。風見は紀久子が後退った分だけ部屋の中へはいって来た。
「私はね、社長の意のままに動かされる将棋の駒じゃないってことを教えにやって来たんですよ。ちゃんと生きている人間で、怒りもすれば憎みもするってことを知らせにね」
風見の掌《て》がスッと上衣のサイドポケットにはいったとみるや、パチンと音がして鋭い刃を剥《む》き出した刃渡りの長いナイフを握っていた。