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作者: 当前章节:15392 字 更新时间:2026-6-23 07:44

 緑川明美にも動機はあるが、これは東京駅で被害者の死体が発見されたときに大阪にいたのであるから、容疑者からはずさなければならない。杉岡進にもはっきりしたアリバイがあった。いままでの捜査では、そのほか特に山口に動機をもっていそうな人間が浮かんできていない。

 要するに最有力の容疑者、および動機保有者のすべてにアリバイが成立した形になった。沈滞ムードに塗《ぬ》りこめられた会議を、

「冬本には一応アリバイが成立したが、不自然な点が多いので、この線は捨てられない。大川班はひきつづき冬本から目を離さないでくれたまえ。美村と緑川は捜査対象からはずしていいだろう。木山班は今後、従来の専従班と協力して被害者の周辺を徹底的に洗ってくれたまえ。とにかく芸能プロのマネジャーだから、どこでどんな人間に怨《うら》みを持たれているかわからない。佐野刑事は大川班の遊軍という形で待機するように」

 という言葉でしめくくった。

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 |醜 聞 の《スキヤンダル・》 |捏 造《メイキング》

   1

 羽田空港の国際線到着ロビーには花やかな人の渦《うず》が巻いていた。花やかなのは彼らの服装であり、顔ぶれであった。気をつけてみると、どこかで見たような顔ばかりである。それもそのはず、彼らはみなブラウン管の人気タレントばかりである。歌手がいる。コメディアンがいる。GS《グループサウンズ》がいる。それらがロビー一杯にあふれてワアワアきゃあきゃあ、傍若無人《ぼうじやくぶじん》の声をあげている。

「一体何だい? 今夜は」

 一般の出迎え人はそんな様子をロビーの隅のほうに小さくなって、毒気を抜かれたように眺《なが》めていた。

「美村紀久子がアメリカから帰って来るんだとさ」

「美村紀久子っていうと、あのキクプロの女社長か」

「そうだ。芸能界の�女怪�だなんて陰口をきかれているが、なかなかの美人だぜ」

「しかしそれにしても、これだけの人気者をテレビのゴールデンアワーに集めるんだから大したもんだな」

 囁《ささや》き合っていた一般の出迎え人が腕時計を覗《のぞ》いた。まだ午後九時を少し回ったばかりである。

「そりゃそうさ。スターだなんて晴れがましい顔をしていても、美村紀久子ににらまれたら、たちまちホサレちゃうんだからな」

「そんなに権力があるのか」

「とにかく彼女のご機嫌を損《そこ》ねると、テレビ局の番組に大穴があいちゃうほどのご威光だそうだよ」

「女とはいえ大したもんだな」

「ほら、そろそろお出ましの気配だぜ」

 ロビー一杯に花を散らしたように広がっていたタレントたちが、中央の到着口へぞろぞろ集まりはじめていた。

 やがてタレントたちの間にどっと歓声がおこる。カメラのフラッシュが閃《ひらめ》く。その歓声と閃光《せんこう》の中心に、ハッと人目を惹《ひ》くような派手な抽象図案を染めぬいた訪問着に装《よそお》った女性が、洗練された微笑を浮かべながらゆっくりと歩いて来た。衿《えり》は思い切って抜き、ボリュームを強調した大胆なアップスタイルの髪には大きな白いリボンをつけている。

 芸能界の女怪として充分な貫禄《かんろく》と、そして美しさであった。

「社長、お帰りなさい。このたびはご苦労さまでした」

 出迎え人の中からシャープなグリーンの背広を着た一人の男が紀久子のそばへ駆寄った。本来遊びの要素の多いグリーン系統の色を、ぴたっと身につけたように着こなしているこの男は、キクプロの宣伝部長で冬本に次ぐ者といわれている風見東吾《かざみとうご》である。

「冬本は?」

 周囲を意識した微笑《ほほえ》みの底から、紀久子は少しも笑っていない瞳《ひとみ》を風見に向けた。

「いま、大阪です。浪速《なにわ》テレビに売った企画《ユニツト》のことで」

「そうでしょうね」

 紀久子の口調《くちよう》は、冬本が来ないことを予期していたもののようであった。

「今夜私は、東京ロイヤルホテルに泊まるわ。あなたにお話があるの。あとで来てちょうだい」

 小声で早口に風見に告げると、すぐ次の瞬間には所属の売出し中のタレントと肩を組んで、カメラマンの注文に応じたポーズをとっていた。

 風見東吾が東京ロイヤルホテルへ、美村紀久子を訪ねたのは、それから三時間ほどあとであった。時間を指定されたわけではなかったが、記者会見やら、週刊誌のインタビューやらが一応片づくまでにそのくらいの時間がかかるものと読んで行ったのである。

 フロントから電話をかけると、紀久子の声がすぐに出て、

「ちょっと部屋まで来てくれない? 2015号室、二十階よ」

「えっ!? 部屋へ行っていいんですか?」

 風見は少なからず驚いた。いままで紀久子が自室へ異性の社員を呼び寄せたことはなかったからである。女社長として、男の社員からなめられまいとする配慮からであろうが、それはそれなりに紀久子の権威を保つ効果をあげていた。

 おそらく冬本も、彼女の部屋へ呼ばれたことはあるまい。まさか男|冥利《みようり》に尽きるような進展はないだろうが、風見の胸は期待めいたものにふくらまないわけにはいかなかった。

 2015号室の前へ立ってコールボタンを押すか押さないかのうちに、扉《とびら》は待ちかねたように内から開かれ、丈《たけ》の短いネグリジェに着がえた紀久子が、あでやかな微笑を浮かべながら迎えた。

「お待ちしてたわ。どうぞ」

 部屋はソファーつきのシングルである。紀久子はソファーに腰を下ろすと、目顔で風見に隣りにすわれと言った。淡いルームライトにうるんだような紀久子の瞳《ひとみ》は、社長としての彼女が、社員の風見に初めてみせる女の目だった。胸元に大きなフリルがつき、膝小僧《ひざこぞう》が丸見えのネグリジェは、紀久子を十歳も年若く見せる。よしんばそのジュニアスタイルのネグリジェの扶《たす》けがなかったとしても、充分にその若さで通る紀久子の美貌《びぼう》であった。

「本場物のブランデーよ。召し上がらない」

 風見がおそるおそる紀久子の脇《わき》に少し離れるようにして腰を下ろすと、あらかじめ用意しておいたらしいブランデーグラスの一つを彼の前にさし出した。サイドテーブルの上には、旅行先から買ってきたものか、あるいはルームサービスをさせたものか、年代ものらしいブランデーの瓶《ボトル》があった。

 風見がグラスを受け取ると、紀久子はボトルを取り上げ、手ずから風見のグラスに三分目ほど注《つ》いでくれた。それから自分のグラスに同じくらいに注ぎ、乾杯するしぐさで、風見の手にしたグラスに軽くカチッと触れ合わせた。

 深夜の高層ホテルの密室の中で、男女が、乾杯するのは、特別の合意を示すものと考えてよい。乾杯だけではなく、紀久子はからみつくような目を、風見のそれに重ねてきた。

 風見の鼓動《こどう》がどう抑えようもなく早くなってきた。

 一体、社長はどういう了見なのだろう? これを誘いをかけているものと解釈してよいものか? とすれば、誘いに乗らない自分は、大|朴念仁《ぼくねんじん》ということになる。しかし誘いでもないのにうっかり手を出そうものなら「無礼者!」とばかり、たちまち首を切られてしまう。妻子のある身で、せっかくの職を棒に振りたくはない。それにいまさら、芸能界に首までどっぷり浸《つか》った身には、ほかの仕事はできない。紀久子ににらまれたら、もはやこの世界では二度と浮かばれないだろう。それはいままでにあった多くの前例を見るまでもなく、紀久子の側近として身にしみるほどよくわかっている。

 しかしたとえ相手が社長であり、それほどの威力をもった人間であっても、この深夜のホテルの密室で向かい合っているかぎり、自分より二つ三つ年下の、魅力あふれる女である。自分も健康な壮年の男なのだ。

 本当にこれはどういう意味なのか? このままこの意味深長な時間を、無為に過ごしてしまってよいものか?

 風見は、その大いなる無為の重苦しさを紛《まぎ》らすために、

「アメリカのほうはいかがでしたか?」

 と訊《き》いた。

「めぼしいタレントはかためられたわ。ラ・プルヴェーサ・トリオ、マチス・ヴィッセ、ゴールデンゲスト・クインテット、ブライアント・ブラザーズ、ジャッキー・ハイランド、みんなオーケーよ」

「凄《すご》い顔ぶれですね」

 風見はさすがだと思った。わずか一か月あまりの渡米中にこれだけのポピュラー界のスター連をかためられたのも、美村紀久子ならではの芸当である。

「そんなことよりねえ」

 紀久子は、ブランデーの芳醇《ほうじゆん》な香りをゆっくりと楽しむようにグラスを鼻に近づけながら、いたずらっぽい目で風見を見上げた。そんなところは、まったく二十代前半の小娘のようである。期待に満ちた慄《ふる》えが風見の背すじを走った。

「あなた、冬本のことをどう思う?」

「冬本?」

 だが紀久子の次の言葉は、風見の期待に水をかけるものであった。冬本がこの場に一体どんな関係があるというのか?

「山口友彦が殺されて、冬本が疑われているというじゃないの」

「はあ、何だかそんな具合ですね」

 風見は気の抜けた声を出した。冬本が容疑者にされようとされまいと風見には関係のないことである。いや関係はある。冬本が山口殺しの犯人としてあげられれば、キクプロの実権は自動的に自分のところへ回ってくる。その意味で大いに関係はあるのだが、少なくともいまのこの場には、深夜のホテルの密室で酒を飲みながら美しい女社長と二人だけになっているという絶好の機会には、何の関係もないではないか。

「刑事が私の留守に何度も来たというじゃない。本当に冬本がやったのかしら?」

「まさか!」

「いえ、冬本ならやりかねないわ。あの男は一種の偏執狂《パラノイヤ》よ。山口とのライバル意識も異常だったし」

 紀久子は万博プロの企画をめぐって山口に出しぬかれたとき、強烈に冬本を煽《あお》りつけたことを思い出していた。だがまさかここまでやるとは!

「困るわ、困るのよ!」

「困る?」

 風見は事実途方に暮れた表情をした。いまのいままで触れなば落ちなん風情《ふぜい》をしていた紀久子が、冬本の名前を口にする都度《つど》、現実的な表情に戻ってゆく。自分はこの、女の激しい感情の交代にどう対応していったらいいのか?

「だってそうでしょ、万博プロデューサーになれるかなれないかという瀬戸際になって、うちのマネジャーが殺人容疑者になったら、頭の堅い万準は絶対に私をプロデューサーにはしてくれないわ。とにかくシナトラをおろしたほどなんだから」

「しかしまだ容疑者と決まったわけじゃないでしょう」

 容疑者扱いをしているのは捜査本部の部内だけであって、外部的にはまだ一般参考人の一人とされている。ただキクプロの部内者は、何度か聞き込みに訪れた刑事たちの様子から、参考人以上の重苦しい気配《けはい》を感じ取っていたのである。

 そのことが、アメリカに行ってはいても、冬本の性格を誰《だれ》よりもよく知っているつもりの紀久子にはよくわかるらしい。

「容疑者として新聞に発表されたあとでは困るのよ」

「しかし、まさか」

 風見はまだこだわった。二人の間に何かが起こりそうな甘いムードは、まったくなくなっていた。

「馬鹿ねえ、風見は」

 紀久子は容赦ない言葉を吐《は》いた。

「冬本が事実犯人であろうとなかろうと、そんなことは大した問題じゃないのよ。問題なのは、キクプロのマネジャーが人殺しの疑いをもたれることなの」

「…………」

「だから、冬本がうちと関係がなくなったあとなら、容疑者になろうと、犯人になろうと、私の知ったことじゃないわ」

「関係がなくなる!?」

 風見はいきなり水をかけられたような声を出した。今日のキクプロを築いた陰の功労者として、キクプロの冬本か、冬本のキクプロかと言われているほどの彼が、キクプロと関係がなくなるとはどういう意味か?

「そうよ、私、彼をおろしたいの。いえ、切ろうと思ってるのよ」

「まさか!」

「まさかじゃないわ。いいこと、単なるスキャンダルじゃないのよ。人殺しの疑いをかけられているのよ。そんな人間をキクプロのマネジャーに据《す》えておけますか。ましていまは万博をひかえて、一番大切な時期じゃない。ここまできてプロデューサーになれなかったら、いままでかためてきた世界のタレントを自力で呼ばなきゃならないわ。国と張り合っても勝ち目はないわよ。冬本はうちに置いてはまずいわ。あの男はもうだめよ」

 紀久子は眉《まゆ》一つ動かさずに言った。この女はいままでも叛旗《はんき》をひるがえしたタレントを切るときに、このように一個の消耗品を捨てるように、表情を動かさずに�処分�したものである。

「しかしだめと言っても、いまのところ別に何の落度があるわけでもなし」

 不思議なことに、風見は冬本を弁護するような形になっていた。人間的な凄味《すごみ》においても力量においても、冬本に一目も二目もおいている風見は、彼にはっきりしたライバル意識を顕《あら》わしたことはないが、下意識に、冬本がいるかぎり、永久に彼の下風《かふう》に立たなければならない屈辱を堆積《たいせき》していた。冬本さえいなければ、風見がキクプロの実権を握れるのだ。その彼が冬本を弁護しているのは、紀久子のあまりにも冷酷な飛躍について行けなかったからである。

 容疑者になるかもしれないから、その前に切る——という非情な経営者の言葉が、成熟した女の美しい顔(仮面というべきかもしれない)から平然と語られるだけに、無気味な凄味《すごみ》が感じられた。

 だが冬本には切るだけの理由がなかった。殺人事件のアリバイを刑事に訊《き》かれただけで、キクプロ随一の功労者を切るのは乱暴である。冬本と山口の対立関係から、どんな寛大な刑事でも冬本のアリバイは一応確かめるだろう。

 それに彼のアリバイは成立したのだ。

「落度がなければ造るのよ」

「落度を造るんですって!?」

「そうよ、そのために私、予定より早く帰国してきたのよ」

「し、しかし、どうやって?」

 風見はいつの間にか紀久子のペースに巻きこまれていた。

「うちにはスターになりたくてひりひりしている女の子がいくらでもいるわ。そんな一人にちょいとアメをしゃぶらせて、冬本とスキャンダルをおこさせるのよ。彼女たち、有名にしてやると言えば、人殺しだってしかねない連中よ。スキャンダルの一つや二つ何とも思わないわ。むしろいいPR材料だって喜ぶでしょう」

「しかしスキャンダルには相手が要《い》ります。冬本が乗らないことには」

「にぶいのねえ、風見は。そのために今夜あなたに来てもらったのよ。手はいくらでもあるじゃないの。酔わせるとか、くすりを服《の》ませるとか、とにかく一緒に寝せればいいのよ。やらせる[#「やらせる」に傍点]必要はないの。あなた、ご褒美《ほうび》、欲しくない?」

 紀久子の目はふたたび先刻の妖《あや》しいきらめきを帯びてきた。その光はノーブルな面立《おもだ》ちに似合わぬ野卑な言葉づかいを吸収していた。

「あなた、冬本が邪魔なんでしょう。だめよ、隠しても私にはちゃんとわかるわ。あなたには気の毒だけれど、冬本がいるかぎり、あなたはキクプロではナンバー・ツーよ。どう、この機会にナンバー・ワンになってみたいと思わない? 冬本さえいなくなればしてあげるわ。社長の私が言うんだから間違いないわよ。キクプロはこれからますます大きくなる。将棋《しようぎ》じゃないけど、キクプロがなければ、日本の芸能界は詰《つ》んでしまうようになる。いまだってそうだわ。どう、このキクプロを握ってみたくない?」

 紀久子は網にかかった獲物をいたぶるように風見を見た。

「もっとそばへいらっしゃい」

 彼女は自分の脇《わき》を指した。人が変わったように、しっとりとしめった優しい声である。

「ブランデー、もっと召し上がるでしょ?」

 紀久子はグラスの内容物を軽く口に含むと、いきなり風見に顔を近づけてきた。まさか社長がそのような行動に出ようとは思ってもいなかった風見は、避ける間もなく彼女に頭をかかえこまれ、柔らかく熱い唇《くちびる》を捺《お》しつけられた。

 歯の間をくねるようにして、女のしなやかな舌が風見の口の中へ滑り込んできた。同時に女の口中で暖められた芳醇《ほうじゆん》な液体が流れこんでくる。歯と歯がカチカチと触れ合うような激しい接吻《せつぷん》であった。

 風見はそのときになって、自分が男|冥利《みようり》につきるような据《す》え膳《ぜん》の前にすわらされたことに気がついた。いままでは自分の生殺与奪の権を握る女社長として、遠くからおそるおそる眺《なが》めていたが、このような�至近距離�であいまみえれば、あらゆる男を惹《ひ》きつけてやまない魔性《ましよう》の魅力をもった、熱くしなやかな女の体である。

 そしてもし自分が望むならば、もっと具体的な密着の姿勢に移ることもできる。そしてそれを望まない男があろうか。もしそれを望まないようであれば、男であることを罷《や》めたほうがよい。

 風見の中で、社員の意識が消え、男が目覚めた。彼は紀久子の背に回した手を、そろそろ下半身のほうへ下ろしかけた。

「だめよ! 今日のご褒美《ほうび》はここまで。あとは、お仕事[#「お仕事」に傍点]が終わってから」

 紀久子の現実的な声が、風見にサラリーマンの身分を思い出させたのはそのときである。

   2

 風見東吾を送り出したあと、紀久子はしばらくの間ソファーに同じ姿勢でもたれていた。彼女はいま、アメリカで何人かの男たちに与えた�餌《えさ》�のことを思い出していたのだ。

 劇場の楽屋裏まで押しかけて、膝《ひざ》づめ談判をしたヴィッセやハイランド、日本滞在中のホテル代や飲食代までも一切負担するという好条件にもなかなかうんと言わない相手を、調印にまで引っ張ってくるには何度か女の武器を使わなければならなかった。

 ルンバの王、ジャズの王、マンボの王などと、�王様�は多いが、まさに|王の《キング・》|中の王《オブ・キングス》の黒人歌手、ジャッキー・ハイランドに出した契約条件は、次のように寛大なものである。

 まず、日本公演に際しては、徹頭徹尾スターとして遇し、ホテル、汽車、飛行機などはすべて特別室。第二に東京、大阪、名古屋の目抜き通りに等身大の写真を飾ってPRする。第三にテレビ中継は一切しないというものだった。

 すべて黒人の人種的コンプレックスを満たすものばかりであった。それでもハイランドは首をたてに振らなかったのである。

 紀久子はいまでも、ハイランドに最後の餌を投げ与えたときのことを思うと、体の芯《しん》から汚染されたような気がして悪寒《おかん》が走る。ハイランドは餌《えさ》を食べ散らした。紀久子がいままでに接したいかなる男よりも貪婪《どんらん》に彼女を貪《むさぼ》りつくした。

 餌ではなく、武器として使用したつもりの紀久子も、このときばかりはどちらが獲物にされたのかわからなくなったほどである。こうしてようやくハイランドは調印に応じたのである。

 かなり頑強な相手も紀久子の武器の前には陥《お》ちた。もっとも中には彼女にこれを使わせるために、故意にゴネた者もあったのだが。

 アメリカを�攻略�したあとは、紀久子はヨーロッパへ渡るつもりでいた。シャンソンやカンツォーネの大物をおさえ、オーケストラの大所を確保しなければならない。だが彼女はそれを放棄しなければならなくなった。

 山口友彦が殺されたニュースをロスアンゼルスで聞いたときは、何気なく聞きすごしていたが、ニューヨークで冬本が参考人としてアリバイ捜査を受けたと聞くに及んで、とるものもとりあえず帰国して来たのである。

 もし冬本が容疑者として捜査本部から公表されたら、それこそいままでの苦労が水の泡《あわ》どころか、キクプロは再起不能の打撃を受ける。いままで無駄に使ったことはないと自負していた女の武器も、実に気前よく�無駄使い�したことになってしまう。

「そんなことには絶対にさせないわ」

 紀久子はブランデーグラスの底の琥珀《こはく》色の液体に熱いまなざしを送った。美しくきらめく液体の中に、大衆に虚妄《きよもう》の虹《にじ》を見せる虚業の男たちとからみ合っている自分自身の姿があった。自分もまたその虚業に生きている。

 だが虚業であるが故に、生存競争はどこよりも酷《きび》しい。何もない無の中から、目を見張らせる艶麗《えんれい》な虹をつくり出すためには、それだけの血と涙を絞らなければならない。虹が美しければ美しいほど、絞られた血と涙の量の多いことを示すものだ。

 紀久子はグラスを唇《くちびる》に近づけた。芳香が鼻腔《びこう》を衝《つ》くと同時に液体が揺れて、男たちは消えた。

 ブランデーを軽く口に含んで、

(あれであの男も私の意のままに動く)

 と思った。ゆっくりと、喉《のど》の奥へ流し送って、紀久子は窓辺に立った。視野のかぎりに広がった夜の大都会の光点は、遅い時間に比例してだいぶ密度が粗《あら》くなっていたが、それでも多彩な光を砕《くだ》いたような花やかさを失わなかった。

 紀久子は高所から都会の夜景を見下ろすのが好きだった。都会のもつ醜悪な断面が隠されるからではない。むしろそれは夜の闇《やみ》の中に沈んでいるために、想像の中に醜悪さを強調しているように感じられる。光点が、明るく花やかであればあるほど、それは、周囲の暗黒にひそんだ醜さを栄養としているものである。

「私は必ず、万博プロの椅子《いす》にすわってやるわ」

 紀久子は眼下の光点に闘志をかきたてられた。一人でしみじみと好きな都会の夜景を見下ろしたのは、久しぶりである。滞米中、この時間には、疲れはてて泥のように眠っていたか、あるいは傍《そば》に男がいた。

 紀久子は、いま自分が置かれている立場を思った。岡倉と組んでクラブ回りのコンボ楽団を編成したのが十数年前、これを母体にして三十×年に岡倉を社長に据《す》えて、有限会社・岡倉プロを設立、翌年には資本金百万円の株式会社に発展させた。このころ、無能の岡倉を追放するや、社名もキクプロと改めた。そして紀久子の阿修羅《あしゆら》のような働きがはじまったのである。

 足がかりを築くために札つき不良外人の巣窟《そうくつ》にもはいって行った。体を使ってテレビ関係者や、新聞雑誌記者を次々に抱きこんだ。こうして着々とテレビ界に食いこんできたのである。

 この間、うるさ型のルポライターや、アンチ・キクプロの芸能誌から「タコ部屋なみの搾取《さくしゆ》」とか、「総|白痴《はくち》化番組の乱造工場」などと斬《き》りつけられたことが何度もある。

 それを、巨大化する者が当然受けなければならぬ嫉視《しつし》として、せせら笑って蹂躙《じゆうりん》してきた。

 芸能プロの仕事は、要するに芸人《タレント》の斡旋《あつせん》である。タレントがいなければ商売にならない。しかもテレビ文化の氾濫《はんらん》は、大量のタレントを要求する。かくて芸能プロによるタレントの粗製乱造がはじまる。�原材料�にはこと欠かない。テレビ局周辺の喫茶店やレストランには、�スター病�に取りつかれた、一見かっこいい[#「かっこいい」に傍点]、内容ゼロの若者たちがワンサと屯《たむろ》している。

 それらの誰《だれ》でもよいから、適当[#「適当」に傍点]にひっこ抜いてきて、強引に売りこめば、スターになれる。白痴化番組のタレントに芸は不要である。重要なのは、連続して[#「連続して」に傍点]客に顔を見せることである。どんなハナタレでも連日連夜ブラウン管に登場すれば視聴者に馴染《なじ》む。テレビとはそのような魔力を持っている。そしてキクプロは、タレントの急激な需要増に応《こた》えて、テレビ局に蝶《ちよう》よ花よと可愛《かわい》がられたり利用されたりしている間に、実体も見きわめられないほどの芸能界のモンスターに成長してしまった。

 いまやどんな芋っ子でも、スターに仕立て上げられるだけの政治力と実力をキクプロは持っている。

 しかし紀久子はそんなことでは満足できなかった。スタータレントを多数かかえ、芸能界の女怪などと騒がれても、テレビ局が使わないと言えばそれまでのこと。虚業のトップとして、美しい虚飾の中身の弱さを、彼女は誰よりもよく知っていた。

 この虚飾の衣《ころも》が色|褪《あ》せぬ間に儲《もう》けるだけ儲けて、中身も肥《ふと》らせなければならぬ。いま、紀久子の頭にあるのは、日本の音楽文化への貢献よりは、キクプロという�芸能企業�の存続伸展のための利潤の追求だけであった。

 虚業ではあっても企業であるかぎり、儲けなければならない。「利益なき企業は罪悪だ」と言ったある巨大企業のワンマン経営者の言葉を彼女は信奉していた。

 そのためには「タコ部屋」と罵《ののし》られようと、芸能界の�低流�と嘲《あざけ》られようと、意に介するところではない。要するに勝てばよいのだ。

 万博プロの椅子《いす》を手に入れて、世界のキクプロとして芸能界に君臨してしまえば、うるさい�雀《すずめ》�どもは沈黙してしまう。

 それにはまず手始めに、今日のここまでキクプロを背負ってきてくれた冬本を切らなければならない。

 かつて「タレントは人間ではない。商品だ」と冷たくうそぶいた冬本を、いま紀久子は、それ以上の冷たさをもって切り捨てようとしていた。

   3

 風見東吾は自分にもとうとうチャンスが回ってきたと思った。ナンバー・ワンがあまりにも切れるために、ライバル意識はないと思っていたが、ナンバー・ツーの悲哀は心の深層に抑圧されていた。

 しかも並みのナンバー・ツーならば、いつかはナンバー・ワンに昇格できるという楽しみがあるが、風見の場合、冬本のほうが年齢が若いために、彼が何かの事故で急死でもしないかぎりその望みもなかった。

 絶対にナンバー・ワンになることがないと決まったナンバー・ツーの悲哀は、骨にまで沁《し》みている。だが、いまこそ、眼前に立ちふさがる障壁が取りはらわれ、自分がナンバー・ワンの椅子《いす》にすわろうとしている。

 ただのナンバー・ワンではない。天下のキクプロのナンバー・ワンである。もちろん紀久子という絶対に侵すべからざるナンバー・ワンはいる。だが彼女はあくまでも代表としてである。冬本さえいなくなれば、キクプロの実務は自分が握れる。

 それを握るということは、キクプロを通して日本の芸能界を支配することだ。どんなことをしてもこの素晴らしいチャンスを逃がしてはならない。しかも首尾よく冬本を�排除�できれば、ナンバー・ワンの椅子《いす》だけでなく、素晴らしい�景品�がもらえそうなのだ。

 男ならば誰《だれ》でも野心を抱く美村紀久子の、みずみずしくも妖《あや》しい姿態。女の爛熟《らんじゆく》の見本を示すような実り切った曲線美の蠱惑《こわく》。社長と社員という身分のちがいから、高嶺《たかね》の花と諦《あきら》めていたが、男だったら一度はあれほどの女を……と、熱い願望の捨て場所にどんなに苦労したことか。

 その紀久子が�冬本作戦�成功の暁《あかつき》には、褒美《ほうび》として、あの艶麗《えんれい》な体を自分に与えると言う。ナンバー・ワンの椅子《いす》よりも、むしろそのことだけのためでも、冬本を除く意味がある。

 風見は自分を襲ったチャンスのダブルパンチに、紀久子が冬本を除こうとしている冷酷な心理を忘れてしまった。

「さて誰を使おうか?」

 風見の当面の問題は、冬本失脚の破綻口《はたんこう》とするタレントの選択であった。まったくの無名の新人では、スキャンダルとしてのニュースバリューがない。またすでによく売れている者は、そんな相手方になるはずがない。

 一応のデビューはしたが、もう一押しのパンチに欠けてパッとしないという程度の人間が理想的である。

 いろいろと思案したあげく、四《よ》つ葉《ば》みどりという二十一歳の歌手に白羽の矢を立てた。

 みどりはスター病に取り憑《つ》かれた両親が、レコード会社にはいるには数百万の金がかかると言われたのを真に受けて、先祖伝来の土地を売り払って入れあげたあげく、丸裸にむしられて放り出されたところを、風見がキクプロに拾いあげてやったものである。日本調のものを歌わせると結構|上手《じようず》にこなすのだが、持ち味にぴったりの曲に恵まれず、伸びなやんでいた。

 精神年齢はせいぜい十四、五歳、両親の異常な期待のせいもあって、スターになりたいという欲望だけは火のように熾《はげ》しい。

 スターになるために肉体を売ったり、通行人に頭をなぐらせたりして自己PRした者がいるが、四つ葉みどりも有名になるためにはどんなことでもやりかねない環境と性格をもっていた。

 テレビの普及のおかげで、�一億総タレント化�と言われる現代において、タレントになることは、頭も力もなく、家庭も貧しい若者たちが、最も安直にハイソサエティへの憧憬《どうけい》を満たせる、「シンデレラのガラスの靴」であった。

 もちろんこのようにしてマスコミの需要に応《こた》えて粗製乱造されたスターは、本物ではない。一年も経《た》たないうちに新人の九割以上が消耗品としてふるい落とされてしまう。まさに�浮き草�であった。

 どうしてこうも大量のタレント、特に歌手が乱造されるのか?

 ちなみに昨年のNHK恒例の「紅白歌合戦」のビデオリサーチによる視聴率は六九・七パーセントである。実に十人の茶の間ファンの中《うち》七人が、「歌に浮かれて」年を越したことになる。

 大みそかにかぎらず、どのチャンネルを回しても歌の洪水。最近のテレビの歌謡番組の激増ぶりは、週に五十本以上越えるというモーレツさである。

 この歌謡番組大|氾濫《はんらん》の理由は、何よりも制作のコスト安である。ドキュメンタリーやドラマに比較して格段に安上がりにできるのは、過当な番組競争で軒並み減益という経営の曲がり角に立たされたテレビ局にとって大きな魅力であった。

 安上がりで視聴率が稼《かせ》げる歌謡番組は、その意味ではテレビ局の�救世主�のような観があった。

 歌謡番組安上がりのからくりは、歌手のギャランティが役者よりも格段に安い点にある。日本のトップスターを三十分ドラマに出演させるギャラで、トップ歌手を十人以上集められるといわれるくらいである。

 ただテレビのギャラは安いが、これはスターになるためのスケールの大きな宣伝|媒体《ばいたい》になるうえに、歌手のドル箱である地方興行《どさまわり》や、ナイトクラブのステージ興行の時価を算出する�基数�となるので、歌手はテレビ出演を決しておろそかにはしない。

 ともあれ、歌謡番組がブラウン管の�主流�となると、正規の歌手がひっぱりだこになるだけでは足りず、役者が歌い、作家が歌い、果てはまだ口もろくに回らぬ幼児がステージに引っ張り出される。

 同種の番組が二局でぶつかり、同一の歌手が二つのテレビ局から同じ歌を同じ時間に歌うという怪談めいたハプニングさえ起きた。

 また人気歌手が毎週出演できないときには、番組に穴をあけないように、衣《コスチ》 装《ユーム》を次々に変えただけで同じ曲を三、四カット歌わせたものを録画しておき、毎週こま切れにして使うというトリックを弄《ろう》することもある。

 歌手も一回のスタジオ通いで数回分まとめて[#「まとめて」に傍点]ギャラがもらえるので、合理的、能率的なシステムだと喜んでいるそうだが、一か月も二か月も前の、歌手の顔と歌を、�実況《なま》中継�だと欺《だま》されて楽しむ視聴者こそ、いい面《つら》の皮である。

 歌手にとっては、まことにけっこうなご時世のようだが、このような歌謡曲の氾濫《はんらん》は、同じ曲がつづけざまにあの番組この番組から、これでもかこれでもかと流れるために、視聴者に飽きられやすい。つまり�共食い�の現象が起きる。

 さらに加えて次から次に売り出される新曲は、新製品の開発競争のように、新曲相互の|寿 命《ライフサイクル》を縮めている。昨年までは半年はつづいたヒット曲が、今ではせいぜい二か月である。それは必然的に歌手を短命にする。

 せっかく伸びかけた人気も、第二曲目が不発に終わると、はいそれまで。

 もともと歌謡ブームに便乗して、プロ歌手としての基礎をみっちりと築かないうちに、強引にステージに押し出されただけに、いったん落ち目になると、転がり落ちるのも早い。

 文字どおりの消耗品として、洟《はな》もひっかけられなくなる。ちなみに四十四年にレコード歌手として初登場した者は四百四十七人、一日に一・二人の歌手がレコード各社から�生産�されている勘定になる。この中で一応スターの座を獲得した者は、せいぜい三、四人、そのほとんどは不発、多少反応があっても、線香花火のようにはかない生命で終わる。流行のはげしさとレコード各社の過熱したヒット競争が、この残酷なまでの�新人使い捨て時代�を産んだのである。

 それでもなお、�束《つか》の間の栄光�に憧《あこが》れて、タレント志望者はあとを絶たない。何の能も才もなく、自己顕示欲ばかり強い若者たちにとって。ブラウン管のフレームの中に自分をはめこむことは、目くるめくばかりの魅力にあふれているのだ。そのためには、体どころか、魂を売ることすら辞さない。いや、スター病に取り憑《つ》かれた若者たちには、最初から魂を持っていないような者も多い。

 作為された花やかな脚光を浴びるためには、芸能プロという猿回しの猿になっても、局から局へ、ステージからステージを駆けめぐり、夜の眠りをほとんど奪われた非人間的な極超重労働にも、むしろそれをエリートとしての証拠であるかのように錯覚して嬉々《きき》として耐える。

「ふん、エリートにはちがいない。少なくとも猿の中から選ばれた猿なんだから」

 風見は若笑した。それは彼自身、猿回しの一人としての苦笑である。

 ともあれ風見は、「冬本オペレーション」の推進のために四つ葉みどりという哀れな一匹の牝《めす》猿を選んだのである。

   4

 元麻布《もとあざぶ》三丁目、中国大使館の近くの静かな一角に「ブーメラン」というあまり目立たないスナックバーがある。バーの立地点はいわゆる六本木界隈《ろつぽんぎかいわい》の一角にはちがいなかったが、経営者が長いことOLをやっていたことと、六本木の中心部から少し離れているために、利用客は一般のサラリーマンが多い。

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