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「それじゃあ、そうやな。お前の飼ってたハムスターが、お前の部屋から忽然と姿を消したという話から始めようか」
「はあ? なんでそんな話が関係あるんや。あれは、もうええよ」拍子抜けした調子で戸川が答えた。
「いいから。部屋の窓も戸も閉めきって外出したと言ってたが、それは確かか?」
「ああ、間違いない。俺は外出する前に必ず窓を閉めていくんや。何しろマンションの一階やからな、外に出るときは窓を閉めていく癖がついてる。もうすっかり身にしみた習慣やから自信を持って言える」
「換気口、排水口は?」
「あるけど、換気口は高いところにあるし、排水口には網の蓋がついてる。そこから逃げるとは考えられへん」
「ハムスターを飼っているゲージの扉は開いていたんか?」
「そうや、帰って来たら扉が開いてた。誰かが俺の部屋に乗り込んできて、ゲージの扉を開き、中からハムスターを取り出して盗んでいった、なんて事も考えてしまったぞ」
「そんなこと現実的に考えにくいやろ」
「いやいや、俺の下宿マンション、泥棒がよく入るんや。俺が知ってるだけでも四件あった。だからそんなこと考えてしまったんや」
「ふうん。でもお前が部屋に帰ってきたとき、部屋の玄関も窓もカギが掛かっていたんやろう? 出て行く前と同じ状態やったわけや。俺はその時点で空き巣説はないと断言する」
「なんで断言できる? 根拠は?」
「空き巣ってのは物を盗んで、わざわざカギをかけて出ていくのか? ハムスターが逃げ出したのは初めてではないと言うし、元々脱出しやすいようなゲージやったんやろう。それならば、やっぱり自分で扉を開けて逃げたと考えるのが自然やないか」
「ああ、そうや」そんなことはわかっている、というふうに戸川が言い返す。「でもそれじゃあ、それからハムスターはどこへ行ったんや。文字通り消えたのか?」
「消えるはずはない。そんな非科学的なことを言うな。ハムスターは部屋の中にいたんや」
「いや、部屋の中は探したんや。隅々な」
「ほんまか?」
「ほんまや。」
「お前が彼女へプレゼントするために造った壺も?」
「壺やない。花瓶や」
「そんなことはどうでもええよ。その花瓶みたいな壺の中を、お前は覗き込んでみたのかって訊いてるんや」
言われてしばらく記憶をめぐらせ、戸川は思い出して言った。
「そう言われてみれば……みてなかった!」
「そうさ、お前はそのブサイクな壺を割らないようにとばかり気を使って、場所を安全な場所にどかせたりはしたが、それ自体をハムスターの隠れ場所の対象として全く見てなかった。
タコみたいな花瓶の口だそうだから、ハムスターが入り込むとは思いもよらなかったんやろう。ああいう動物は意外と狭い所を通ることができる。猫だって自分の頭の幅さえあれば、その隙間を通り抜けると聞いたことがある。
あとやはり、帰ってきてすぐに花を入れたという点が大きい。花を買いに行く前、帰ってきてすぐに花を活けるように、花瓶を玄関上がってすぐの所にでも置いていたんじゃないのか?」
「うんそうや。ようわかったな。あらかじめ水を入れて、玄関上がってすぐのキッチンの足元に置いておいた。ああ、ってことは!」
「そう、花瓶の中には花と一緒にハムスターが入っていた。
つまりこういうことや。花を買って帰ってきたお前はさっそく手作りの花瓶に水を注ぎ、何も気づかずに早々と花を入れた。鈍感なお前らしいが、ほとほと飽きれるな。その後、お前は居間でハムスターのゲージからハムスターがいなくなっているのを目にする。慌てて部屋をくまなく探すがみつからない。途中でうっかり花瓶を倒しそうになり、安全な高い所へ移動させたが、実はその中にこそ水死したハムスターが入っていたんや」
戸川は身震いした。そして、もう一度同じ言葉を弱々しく吐いた。
「ってことは……」
「そうや……、お前はバラと一緒に死んだハムスターの入った花瓶を彼女にプレゼントしてしまったんや。
受け取った彼女はやがて何かの拍子に気づいた。北野の目撃証言が本当なら、その日のうちに。処理に困ったことやろう。壺をひっくり返してハムスターの死骸を取り出し、土に埋めるなんてことできたやろうか? お嬢様に。まあ、無理だろう。ただでさえ水で腐敗していたはずだ。匂いも相当なものだったやろうしな。そこで彼女はお前のブサイクな壺ごと土に埋めてしまおうと考えたんやな」
「いや、腐乱臭なんてしなかったぞ。なんで俺は渡すまで気づかなかったんやろう」
「ああ、きっとバラと一緒だったから、臭いがかき消されていたんやな」
「そうやったんか……。けど花瓶が取り替えられていたのを見て、今日俺が問い質した時に、なんでそのことを愛子は言ってくれへんかったんや」
「アホか。お前が一方的にまくしたてるから、弁解する隙がなかったんやないか。
それとな、彼女はお前から花を受け取った時、すでに気づいていたと思うぞ」
「気づくって、何に?」
「下手くそな壺みたいな形の花瓶の底にあるハムスターの死骸にや」
「なんやて!」
「お前、言ってたよな。花を受け取った時、一瞬びっくりしたような表情になって、それから静かに微笑んだって」
「なんでそれなら、その時に愛子は言わへんかったんや」
「そりゃあ、言いにくかったんやろう。お前がハムスターをかわいがっていた事は彼女も知っていたやろうしな。俺らですらお前自身からさんざん聞かされて知ってるんや。おそらく彼女もデート中に聞かされて、お前のハムスターに対する可愛がりようは頭に入っていたに違いない」芹沢は少し意地悪そうに鼻で笑ってみせた。「彼女はお前にショックを与えまいと気を使ったのさ。なにが、『なんでそれなら言わへんかったんや』や。あ~、やんなっちゃうなあ無神経で鈍感な自己中心的な野郎って、イライラするよ。そんな野郎ふられて当然でしょう」
「そうか……そうやったんか」
肩をがガクっと落して今にも泣きそうな戸川を見て、さらに芹沢は声を出して笑った。
「なんや、笑わんでもええやないか。この根性悪が」
「笑えるさ。まあ聞けよ。
かと言って彼女はお前のブサイクな壺を黙ってつき返すことをしなかったんや。ハムスターの死骸をその目で見たのにもかかわらずな。
常識で考えてみろ。女やぞ。普通だったらその瞬間、お前の顔面に向かって壺を投げつけてもおかしくないくらいの状況や。なのに彼女はそんなそぶりも見せず、いや、隠して、それどころかにこやかに受け取ったんだ。どうしてだと思う? 愚かな男、戸川登よ」戸川の表情を確認してにやりと微笑み、芹沢が続ける。「泣かせるじゃないか。お前の好意を拒否していると思われるのが嫌だったんや。ハムスターのことでお前にショックを与えまいと思ったからばかりじゃない。何よりもまず、彼女はお前の好意をつき返すことで、お前が傷つくのを恐れたんや。だからつき返さず気持ち悪いのも我慢して嬉しそうに受け取ったんだろうが。それをなんだい、『嘘の眼』だって? 笑わせるじゃないか。それともまだお前は『つき返されてもハムスターのことを言ってくれれば、ショックなど受けなかった』なんて言わないだろうな。俺は、お前のことだからどうせパニックに陥っていただろうって思うね。ハムスターの死骸なんか入った花瓶をプレゼントするなんて、俺はなんて馬鹿な男だろう、とか自己嫌悪に陥ったりして。彼女はそんなお前の性格もわかっていたのさ。女ってのは男よりも大人なのだよ、戸川君。
さて、今頃彼女はどうしてるのだろうね? お前なんかに気を使って馬鹿馬鹿しいことしたわ、って後悔してるかもね」
芹沢の話を聞き終わらないうちに、戸川は部屋を飛び出していった。
芹沢はゆっくり立ち上がった。窓の外は暗いオレンジ色に染まり、いつの間にか夕暮れ時になっている。芹沢は窓を開け、戸川がアパートの前の通りに走り出てくるのを確認すると、彼の背中に向かって叫んだ。
「おい、急げ。今ならまだ間に合う」
声に気づいて戸川が振り向き、見上げる。
「ありがとう!」と手を上げて答えた。
「もう馬鹿はやるな」
そうひとこと言って、芹沢は正方形の窓をパタンと閉めた。閉める直前、芹沢の口元に僅かに優しい微笑が浮かんでいたように見えた。戸川は窓に向かって微笑み返し、走り出した。
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