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すべて計算通り。誤算はほんの僅かだった。
あの日、鳴海に封印が解かれてすぐに、リンは祠に駆けつけた。
残っていた数匹の妖怪を叩き伏せ再封印。あっという間だった。
だが、問題は逃げた妖怪達。手強いとされる者達はそっちに含まれている。
即座に追撃するのがベスト。
妖怪は独特の気配を放つ。妖気や邪気と呼ばれる独特の存在感と言ってもいい。
それが妖怪を追う一番の手がかりだ。
だが、強力な妖怪ともなれば、その気配を薄め、文字通り潜む事ができる。
数時間もすれば、追撃は困難になるだろう。
妖怪達の生命線はそのわずかな時間を逃げ切れるかだ。
もし、リンの追撃が始まれば、妖怪達の激しい抵抗があったにしろ、すべて捕らえるまでには、
長くて一時間だろう。
だから。瀕死の少年を、その場に捨てていった。
リンにしてみれば、一手先を取られた事になる。
妖怪が逃げれば、より多くの犠牲者が出るのは必定だが、リンはこの人間を見捨てはしない。
見ず知らずの人間がいくら犠牲になろうと眉一つ動かさない冷徹なメンタリティを持つリンだが、
目前の死に対しては愚か過ぎる行動を取る。
リンの弱点をついた策だった。
緒戦の戦いは、悔しいが負け。後手に回らざるを得ない。
リンは素直に認めた。
この借りは数百倍にして返すとして、次善の策を講じる。
藤見野市全体に封印の結界を張った。妖怪達を封じていたのと同じ術を、今度は町全体を包む
ように行った。
通常の魔導師や秘術者なら、数百人で数ヶ月を要する術も、リンにかかれば数分レベルだ。
これで妖怪達は町から逃げられない。後は時間をかけて、一匹ずつ潰していけばいい。
妖怪もいつまでも潜んではいられない。いつか尻尾を出す。
リンが猟犬の存在に気づいたのは、先月の末。
丁度、弥生が目をつけられた頃になる。
逃げた妖怪の中では下級の部類だが、一般の妖怪ではなかなか大物と言える。
猟犬のやっかいな所は、その鋭敏な感覚。リンの気配を察したら、またどこかに潜んでしまう。
折角見つけた獲物を逃がすのは面白くない。
だから、罠を張った。
それが鳴海だ。
鳴海なら猟犬を上手く釣れる。
転移用の端末を鳴海に持たせ、猟犬を十分にひきつけた所で登場、叩き伏せて封印という
筋書き。
鳴海からリンの存在が気取られないように、一人で動くように仕向けた。
そっけない言葉。気付かれるように置いたライターの箱。 魔神云々という与太話。
もちろん、鳴海に万が一の事態が起こらないように注意は払った。
保健室で手にした椅子、アンモニアの瓶、絡まった足、屋上に逃げようと思いついたのも、
全ては偶然ではなく、リンの魔法による必然。
そのくらいの魔力であれば、猟犬がリンの存在に気づくリスクは低い。鳴海が居るのだから。
結果、猟犬は釣れた。
全てはリンの計算通りだったハズだ。
さて、とリンは考える。
ここまで魔力が使えないとは思わなかった。
唸る猟犬を見据えて、漏れそうになる溜息を飲み込む。
ピンチですよ。いっぱいいっぱいですよ。
と律儀に教えてやる必要もない。
右手で拳を作る。力なく握られた手は微かに震えている。
手首が砕けている状態では、握力なんて期待できないか。
今は神経伝達をコントロールして痛覚を断ち切っているが、修復の際には感覚を戻さねば
ならない。
その時の痛みを想像すると陰鬱になってくる。
猟犬がリンを中心とした円を描く。
半径がやや大きいのは、警戒の大きさに比例しているからだろう。
空間座標を自由に書き換える事で、リンは視界内をタイムラグゼロで移動できる。
普段なら何の役にも立たない工夫だ。
「ふん」
リンの口元に笑みが戻る。相手見下した独特の表情。
愛くるしい外見でも覆い隠せない。性格の悪さが溢れていた。
所詮は犬コロ。自分を基準に相手の戦力を推し量る。
こんなクズに後れを取ることは、万が一にも有り得ない。
猟犬が吠えた。
力強い四足がコンクリートを蹴る。
リンの目が大きく開かれた。表情が凍る。
明らかな油断だった。
猟犬の跳躍はリンの予想を遥かに超えた高さだった。
これはリンを狙った物ではない。
リンの後ろにあるのは!
そこに居るのは!
観客気分の鳴海は冷水を浴びせられた。
信じられないほどの殺気が、身体を射抜くのを感じる。
猟犬の狙いはリンではない。自分なのだ。
迫る猟犬の巨大な爪が大きく振り上げられ!
視界が黒に閉ざされた。
すぐにリンのマントだと判った。リンが猟犬との間に割って入ったのだ。
ここまで予想していたのか。
現れたリンに驚く事もなく、猟犬がその豪腕をリンの小柄な身体に叩きつける。
巨大なナイフを思わせる爪が触れる直前で、リンの身体がくるりと回った。
右足を軸にした動きは、猟犬の攻撃よりも遥かに早かった。
それだけではない。
左足が頭上に伸びた、回転の勢いをそのままに、猟犬の顔面を蹴りぬく。
流麗と表現できるほどの体術。その技の切れに鳴海は自分の立場を忘れ、見とれてしまう。
外回し蹴りを受けた猟犬の頭が爆ぜた。
そのまま失速して、床に落ちる。
「すごい」
ようやく感嘆の言葉がでた。
目の前の小柄な少女は、自分と違う世界の人間なんだと実感する。
それは同時にリンが常に孤独な存在だという事を意味するのではないだろうか。
「浅い」
憎々し気に吐いたリンの言葉が、鳴海の思考を遮る。
鳴海を狙うとは、計算外だった。
全身の刺繍から光が抜けていく。蓄えられた魔力を使い切ってしまった。
猟犬を倒す魔力は残っていた。
しかし、猟犬は鳴海に向かった。通常では間に合わない距離。
仕方なかったのだ。
鳴海を助けるためには、空間を転移するしか無かった。
空間座標を書き換える事は、やはり上手くできなかった。
だから、非効率とは思いながら、魔力を注ぎ込んで強引に身体を移動させた。
その浪費が響いたというのは言い訳だろうか。
ゆらり。
猟犬が身体を起こす。
結果。魔力は後一歩、届かなかった。
残った部分の目が、リンに集まっている。
頭の半分を吹き飛ばされているというのに!
憎悪は、戦意は全く衰えていない!
「リン」
小さく声をかける。
振り返ったリンが小さく舌を出す。
可愛い仕草。初めて見る。
勝気な雰囲気が少し和らいでいる。
普段見たなら、ちょっと嬉しい表情だろう。
「ちょっとマズったかも」
こんな時には一番聞きたくない台詞だった。
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