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コンクリートが砕け、破片が飛び散る。
猟犬が小さく首を傾げた。
おかしい。
爪の感触はコンクリートだけ。不十分だ。
あのズタ袋を切り裂いた独特の感触。
絶望と恐怖と怨念の混じった、心地よい音も聞こえなかった。
ふわりと傍らを抜ける夏の暑さをわずかに残した風。
小さな含み笑いが耳に届いた。聞き覚えのある、いや忘れられない声。
遠慮がちだった声は段々と色を増し、次第に侮蔑の混じった高笑いに変わっていく。
どこから? 解っている。後ろから。
誰が? それも解っている。そんなハズはない。
恐怖という鎖が、身体中を縛りつける。感覚が遠のいていく。
見てはいけない。
意思に反して、ゆっくりと首が頭が、後ろに引っ張られる。
恐る恐る振り返る。そして見た。
凶悪な光を放ち、巨大な爪が弧を描く。
一種幻想的な光景だった。
ああ、これで終わりかなと鳴海は思った。
別段悲しくなかった。ボクはあの時に死んでたハズだから、あるべき状態に戻るだけ。
結局、何もできなかった。
弥生を助ける事も。リンの手伝いをする事も。高校生活を楽しむ事も。
親に面倒を掛けっぱなしだけの人生になった。
だから、悲しくないけど、ちょっぴり悔しかった。
爪が右肩に触れる。このまま、左脇まで袈裟懸けに駆け抜けるのだろう。
視界の端でライターに火が点るのが見えた。
遅い。遅いよ。
これは失敗作だったんだ。リンって、口ほどじゃないよね。
目をぎゅっと閉じて、次に訪れる一撃に備えた。
ふわり。風が吹いた。夏の香りが残る優しい風。
衝撃は小さかった。ホンの少し、身体が揺れたくらいだ。
意外にそんなもんだろうと思う。
死ぬようなダメージなんて正確に感じ取れないものなんだろうな。
小さな含み笑いだった。毎日というくらい耳にしている、見下したような性悪な声。
転がる雪だまのように周囲の空気を巻き込みながら、大きくなっていく。
悪意のこもった高笑い。こんな笑い方ができる人間は、まず居ない。
声はすぐ近く。ホンの数十センチの距離からだ。
恐る恐る目を開けた。そして見た。
昇降口の屋根の上。
左右に留めた赤い髪が、晩夏のゆったりとした風に揺れる。
アーモンドのような瞳は力強い意思が見えた。
鳴海の身体を姫様抱っこの状態で抱え、愛くるしい外見に似合わない邪気の
こもった笑いを漏らしている。
二人の視線に気づいて、ぴたりと笑いを止めた。
「こういう時ってなんていうんだっけな。
呼ばれて飛び出てずばばばーんだったかな」
呟きながら、小さく首を捻る。
「リン!」
「マジョ!」
鳴海の声と猟犬の唸りが重なった。
「うん。良く頑張った。偉かったぞ、ナルミ」
丁寧にゆっくりと鳴海の身体を下ろす。
体重が自分の足に戻る瞬間、恥ずかしさと情けなさが一気に押し寄せてくる。
女の子に、しかもこんな小柄な娘に、あんな格好で抱っこされるなんて。
「あはは。まあ、滅多にない珍しい体験できたって想いなよ」
うつむく鳴海の頭をくしゃくしゃと撫でる。
それにしても。
今更ながらリンの格好に鳴海は驚いた。
いつもの藤見野高校の制服ではない。
詰襟の細めのシャツにズボン。
どちらも純粋過ぎるほどの紅色で、全身に金の糸で刺繍された優麗な紋様が
輝いている。
肩と胸、肘と膝に付けられた銀色の金属プレートは、飾りではなく防具的な
意味合いが強いだろう。
そしてそれらを優しく包み込むゆったりとした闇色のマント。
「なに? そのカッコ?」
「ふふん。戦闘用のコスチュームよ」
鳴海の前でくるりと回って見せる。
「普段どおりの力が使えないからね。魔力を強化する衣装を作っておいたの。
いいでしょ?」
「いや、その……」
良い答えが見つからない。どう見ても怪しいコスプレに見える。
「ん? 変?」
少し面食らったようだ。
「おかしいな。ちゃんと資料見て作ったのに」
ぶつぶつと言葉を漏らす。
どんな資料なのか気になる所だ。
「後はアタシに任せておけば大丈夫よ」
視線を猟犬に向けた。
びくっと猟犬の肩が動く。
怯えている。
あれほどの化け物が、どう見ても小学生にしか見えないコスプレ少女に圧倒されて
いるのが解った。
「さて、さっさと終わらせよっか。今晩は見たいテレビがあるのよね」
物理法則を無視した動きで、ふわりと昇降口から降りる。
猟犬に対峙するにはあまりに心許ない小柄でか細い。
しかし、リンは魔女なのだ。
魔女。
安っぽい陳腐な単語が、あまりに大きく頼もしく鳴海には感じられた。
猟犬が牙を剥き、唸りを漏らす。
その威嚇を涼風のように流すと、極上の笑みを返す。
「犬コロ風情が、誰に牙剥いてるつもり?
背伸びするクズって好きになれないのよね」
鳴海に届かないように、細心の注意を払った言葉だった。
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