饭饭TXT > 海外名作 > 《大迷宮(日文版)》作者:[日]横沟正史【完结】 > 大迷宮.txt

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作者:日-横沟正史 当前章节:15346 字 更新时间:2026-6-22 21:39

 息づまるような数秒間――。

 足音はとうとう階段をのぼりきると、壁の向こうで、なにやらガサガサひっかきまわしていたが、するととつぜん、くぼみの壁がスルスルと右のほうへすいこまれて、そこに二メートル四方ほどの穴があいたのだ。そして、そこからひょいと外をのぞいた顔……。

 ああ、その顔を見たとたん、滋は、おそろしい悲鳴がのどをついて出るのを、どうしてもおさえることができなかった。

 そいつはやせて、背の高い男だった。そして身にはまっ黒な背広をき、頭にはまっ黒な中折れ帽をかぶっていた。

 しかも、その中折れ帽のまわりには、これまた、まっ黒な布をたらしているのだったが、|誰《だれ》も見ているものはないと安心したのか、そいつは、|骸《がい》|骨《こつ》のような手で、ひょいとその布をまくりあげたのである。

 滋が悲鳴をあげたのは、じつにその瞬間だった――。

 布の下からのぞいた顔――。

 ああ、それは絵にかいたどくろそっくりではないか。

 滋の悲鳴をきくと、しまったとばかりに、そいつは身をひるがえし、ころげるように、階段をかけおりていった。

 あまりのことに、ぼうぜんとして立ちすくんだ三人の目のまえに、ふたたび、壁がスルスルとしまっていく。

  第二の家

 滋はいうにおよばず、謙三や金田一耕助も、しばらくは棒をのんだように立ちすくんでいたが、さすがは名探偵金田一耕助、すぐにはっと気をとりなおすと、さっき見つけておいたかくしボタンにとびついた。

 そして、いろいろいじっているうちに、こんどはうまく、ツボにはまったらしく、ぬけ穴の入口がふたたび、スルスルとひらいたのだ。

 金田一耕助はふたりのほうをふりかえると、

「立花君、滋君、きみたちはここにのこっていてもいいのですよ。ぬけ穴のむこうに、どんな危険が待っているかも知れませんからね」

「いいえ、金田一さん、ぼくはいきます」

 言下に謙三が答えた。

「ぼくだって……ぼくだっていきます」

「よし、それじゃきたまえ」

 かくし戸のすぐうちがわは、一畳じきぐらいの板の間になっていて、そこから急な階段が、下へつづいているのだ。

 さすがに金田一耕助は、探偵だけあって、いついかなる場合でも、懐中電燈をわすれない。それは、てのひらにはいるくらいの、小さな豆懐中電燈だが、明かるいことはおどろくばかり、しかも、ふつうの懐中電燈よりずっとひろく光線がひろがるのだ。

「気をつけてくださいよ。ふみはずすと、けがをしますよ」

 階段は五十段あった。それをおりると、かなりひろい横穴が、やみのなかにつづいている。三人は耳をすましてみたが、地下道はシーンとしずまりかえってなんのもの音もきこえない。

 どくろ男は、もうよほど、遠くまで逃げてしまったらしいのだ。

 金田一耕助は舌うちをして、

「にがしたかな。とにかくいってみましょう」

 この横穴は、しぜんにできたものではなく、誰かがほったものにちがいないが、ずいぶん大じかけな工事で、りっぱにセメントでかためてある。

 三人は用心ぶかく、一步一步に気をつけて、やみの地下道をすすんでいったが、そのおくふかいことはおどろくばかりで、もう千メートルもきたかと思うのに、まだ出口にいきつかないのだ。

「こりゃア……たいへんな工事ですね」

 金田一耕助も舌をまいておどろいている。

 ところが、それからまた五百メートルほどきたところで、三人は、はたと立ちどまった。道がそこでふたまたにわかれているのである。

 金田一耕助は地面をしらべていたが、なにしろセメントでかためた道のこととて、足あとなどはどこにものこっていない。

「しかたがない。こっちのほうから、さきにしらべてみましょう」

 三人は左のみちへはいっていったが、すると、ふたまたから三百メートルほどきたところで、ばったり階段にであった。

「立花君、どうやら目的のところへ、たどりついたらしいですよ」

 階段はやっぱり五十段あった。

 金田一耕助はすぐにかくしボタンを見つけて、それをいじっていたが、スルスルと、まもなく目のまえの壁がひらいたので、三人はすぐにそこからとびだしたが、そのとたん、思わず、あっと立ちすくんだのである。

 なんと、そこは三人が、さっきぬけ穴へもぐりこんだ、あの大広間にそっくりではないか。

 天井の高さ、窓のかたち、柱のかざりにいたるまで、一|分《ぶ》一|厘《りん》のくるいもなく、ひょっとすると、また、もとの部屋へかえってきたのではないかと思われるくらいだった。

  抜け穴のどくろ男

「ど、ど、どうです、立花君。や、や、やっぱりぼくのいったとおりでしょう。同じかまえの家がふたつあったのです」

 金田一耕助はスズメの巣のような、モジャモジャ頭を、めったやたらとかきまわしながら、ひどくどもっていった。金田一耕助という|探《たん》|偵《てい》は、こうふんすると、頭をかきまわすのと、どもるのがくせなのである。

 謙三も目をパチクリさせながら、

「これはおどろきました。するとおとといの晚、ぼくたちのとまったのはこの家だったのですね。しかし、金田一さん、あのたくさんの動物の剥製はどうしたのでしょう」

 なるほど、大広間は空家のようにがらんとして、どこにも動物の剥製は見あたらない。

「そうですね。ひとつさがしてみましょう」

 ところが、家のなかをしらべていくうちに、三人はまたしても、みょうな気持ちがしてきた。それというのが、間どりのぐあい、部屋のかっこう、たしかにおとといの晚の家にちがいないのだが、この家もまた、空家のようにがらんとして、動物の剥製はおろか、なにひとつ道具とてはないのである。

 それに、このかびくささはどうだろう。これは長いあいだ空家になっていた家のにおいなのだ。とても、おとといまで人のすんでいた家とは思われない。

「みょうですね」

「へんですね」

 三人は気味わるそうに顔を見あわせたが、

「とにかく二階をしらべてみましょう」

 そこで三人は大急ぎで、二階へかけのぼったが、二階もまた、なにひとつ道具とてはなく、ただカビくさいばかりである。

 三人はキツネにつままれたような顔をして、剣太郎の部屋のまえまできたが、そのときだった。滋が、また、気がくるったようにさけんだのだ。

「ああ、金田一さん、にいさん、こんどは浅間山があんなところに見えている」

 ああ、なんということだろう。

 おとといの晚には浅間山が、ろうかの右手にある、剣太郎のへやの正面の窓からみえたのだ。そして、さっきの家では、浅間山は、ろうかの左手の窓からみえた。ところがなんと、同じ浅間山が、こんどはろうかのつきあたりにある、小窓の正面にみえるのである。

 ああ、これはいったいなんということだろう。

 三人はしばらく気がくるったような目をして、浅間の煙をにらんでいたが、そのとき、滋がさけんだ。

「にいさん、にいさんそれじゃ、この家も、おとといの晚、ぼくたちのとまった家とちがうのでしょうか」

 その声をきいたとたん、イナゴのようにとびあがったのは、金田一耕助探偵だった。

「そうだ、滋君、よくいった。きみのいうとおりだ。この家はおとといの家とちがうのだ」

「だって、だって、金田一さん、それじゃおとといの家というのは……?」

「もう一軒あるのです。これと同じ家が、どこかにもう一軒あるのです。ぼくは……ぼくは……同じ家が二軒あるのだと思っていたが、そうじゃなかったのだ。同じ家が三軒あるのです。あっ、そうだ」

 金田一耕助はとつぜん身をひるがえして、階段のほうへかけだした。

「金田一さん、ど、どうしたのですか」

「立花君、滋君、きたまえ。さっきの地下道のわかれみち、……ぼくたちはみちを左へとってきたが、あそこを右へいけばいいんだ。右へいけば、おとといの家にぶつかるのだ。どくろ男は、そっちのほうへいったにちがいない」

 三人はまたぬけ穴をとおって、もとの地下道へもぐりこんだ。そして、さっきのふたまたまでたどりつくと、こんどは右のほうの道をすすんでいった。

 それにしても、これはなんという妙なことだろう。

 そっくり同じかまえの家が、二軒あるということだけでも、世にもふしぎな話なのに、さらにもう一軒、同じ家があるというのだから、まるで夢のような話である。

 しかし、その夢のような話がじっさいにあるのだ。ああして、そっくり同じ家が二軒ある以上、そして、ここにこうして地下道があるところをみると、金田一探偵の推理がまちがっているとは思われない。

 そうだ、たしかにもう一軒、そっくり同じ家があるのだ。そして、その三軒の家をこの秘密の地下道がつないでいるのだ。

 誰が、なんのために、こんなみょうなことをしたのか、そこまでは、だれにもわからなかったが……。

 三人は一步一步に気をつけて、くらい地下道をすすんでいった。

 そして、まもなくわかれみちから、二百メートルほどきたが、三人はとつぜん、ギョッと地下道のなかで立ちすくんだのである。

 地下道のはるかむこうからきこえてきたのは、するどい、けたたましい悲鳴。ことばがぼやけて、はっきりとわからないが、なんだか、救いをもとめているような声である。

「なんだ、あれは……」

 金田一耕助がさけんだときだった。ひと声高く、キャーッというような悲鳴がとどろいたかと思うと、あとは、死のようなしずけさ。

「立花君、いこう、いってみよう」

「よし、滋君もきたまえ」

 三人はむちゅうになって地下道をはしっていったが、それから、ものの五十メートルもいかぬうちに、金田一耕助がとつぜん、

「だれだ?」

 と、さけんで立ちどまると、かたわらの地下道の壁に、さっと懐中電燈の光をさしむけた。

 と、そのとたん、地下道の壁にピッタリと、こうもりのようにすいついた黒い影が、くるりとこちらへ向きなおったが、おお、その顔、――それはたしかに、さっきのどくろ男ではないか。

  さいしょの家

「あっ!」

 いっしゅん三人は気をのまれて、棒をのんだように立ちすくんだが、つまり、それだけのあいだ、こちらにすきができたわけだった。

 タ、タ、タ、タ、――。

 どくろ男は身をひるがえして、三人のほうへ突進してくると、やにわに太いステッキをふりあげて、はっしとばかりなぐったのは、金田一耕助の右うでである。

「あっ!」

 ふいをつかれては、さすがの名探偵もたまらない。思わず懐中電燈をとりおとしたが、そのとたん、あかりが消えて、あたりはまっ暗。そのくらやみのなかを、さっと風をまいて、黒い影のとおりすぎるけはいがしたかと思うと、やがて、

 タ、タ、タ、タター、

 と、かるい足音が、三人がいまきたほうへと遠ざかっていく。

「ちくしょう、ちくしょう。立花君、滋君、懐中電燈をさがしてくれたまえ」

 懐中電燈はまもなく見つかった。さいわいこわれてもおらず、ふたたびあかりがついたが、そのときには、どくろ男のすがたも見えず、足音ももうきこえない。

「金田一さん、ど、どくろ男でしたね」

「ふむ」

「あとを追わなくてもいいのですか」

「あとを追ってもむだでしょう。あのふたまたの、どっちへにげたのかわかりませんからね。それより、さっきの悲鳴が気になります。いってみましょう」

 三人は、そこでまた、その地下道をさきへすすんでいったが、やがて百メートルも来たところで、急な階段にぶつかった。

「悲鳴はこの上からきこえてきたのですね」

「そうらしいですね」

「しかし、みょうですね」

「なにがですか、金田一さん」

「だって、あの悲鳴をきいてから、われわれはすぐに走りだしましたね。そして、五十メートルもいかぬうちに、どくろ男にであいましたね」

「ええ、そうです。それがどうかしましたか」

「ところが、どくろ男にであったところから、この階段まで百メートルはたっぷりあります。あの悲鳴のあとで、どくろ男がとびだしたとしたら、どんなに早く走ったとしても、とても、あそこまでくることはできなかったわけです」

 滋もやっと、金田一耕助のいおうとするところが、わかってきた。

「ああ、それじゃ、あなたはあの悲鳴とどくろ男と、関係があるかないかということを考えていらっしゃるのですね」

 滋がそういうと、金田一耕助はいかにもうれしそうに、ニコニコ笑って、

「そうです、そうです。滋君、よく気がつきましたね。いや、しかし、とにかくこの上をしらべてみましょう。どうもこれがぼくのわるいくせでね。なんでもないことを、みょうに深く考えたくなるのです」

 いや、しかし、それはけっしてわるいくせではないと、滋は思った。

 なんでもないことにもよく気をくばり、注意ぶかく目をみひらいていたからこそ、この人はえらい名探偵になれたのにちがいない。そして、そのことは探偵にかぎらず、どんな仕事にも必要なことなのだから、じぶんもこの人といっしょにいるあいだに、できるだけ見習うようにしようと、滋は考えたのである。

 それはさておき、階段をのぼると上に板の間があり、そこに、またかくしボタンのあるところまで、ふたつの家と同じだった。金田一耕助も、まえのふたつの家でおぼえがあるので、すぐそのかくしボタンをおした。

 と、はたして前面の壁が、スルスルと横にひらいたのだが、そこからとびだしたとたん、滋は思わず大声でさけんだのだ。

「ああ、この家です。この家です。おとといの晚、ぼくたちのとまったのはこの家にちがいありません」

 ああ、もうまちがいはない。

 大広間いっぱいにかざられた動物の|剥《はく》|製《せい》。それはいまもなお、ぶきみなしずけさをたたえながら、思い思いの姿勢でたたずんでいるではないか。金田一耕助も、このたくさんの剥製をみたときには、びっくりしたように目を見はったが、そのときだった。

 とつぜん、滋が謙三の腕をつかんでさけんだのだ。

「あっ、あんなところに人が……」

 見ればなるほど動物室の一隅に、だれやら人が、がんじがらめに、いすにしばられ、がっくり首をうなだれている。三人はそれを見ると、すぐそのほうへかけよって、うなだれている首をあげたが、そのとたん、

「あっ、じいやさんだ」

 と、滋がさけんだ。

 そうなのだ。それはたしかにおとといの晚、謙三と滋を案内してくれた、あのじいやなのにちがいない。

 しかも、そのじいやの胸もとからは、なまなましい血が、ぐっしょりと流れているではないか。

  カピの死

「立花君、なにか気つけ薬はないか。このひとはまだ死にきってはいない」

 さすがは金田一探偵、いったんのおどろきからさめると、すぐにじいやのからだをしらべ、謙三にそう命じた。

 謙三は言下に部屋を出ていったが、まもなく食堂から持ってきたのはブランデーのびん。

 くいしばった、じいやのくちびるをわって、そのブランデーをつぎこむと、まもなくじいやは、うっすらと目をひらいた。

「ああ、気がつきましたか。しっかりしてください。傷は急所をはずれていますぞ」

 じいやは、しかし、首を左右にふると、

「ああ、わたしは、だめ……この傷では助からぬ」

「ばかなことをいっちゃいけない。いったいだれがこんなことをしたんです」

「どくろ……どくろ男……」

 金田一耕助は、思わず謙三や、滋と顔を見あわせた。

 するとやっぱりさっきの悲鳴と、どくろ男は、かんけいがあったのだろうか。

 じいやはからだをふるわせ、

「ああ、おそろしい。どくろのような顔をした男……そいつが、ぼっちゃんの|鍵《かぎ》をとりにきたのです。……わしをいすにしばりつけ、鍵のありかを白状させようとしました。わたしは……わたしは、しかし、どんなにせめられても、なぐられても、鍵のありかをいわなかった。……それで、とうとうこのとおり……」

「じいやさん、じいやさん、ぼっちゃんというのは剣太郎君のことですか」

 滋がたずねると、じいやはうなずいて、

「ああ、あんたはおとといの晚のお客さん。お願い。……そこにあるクジャクの剥製。そのクジャクのくちばしのなかに鍵がある。……それを、ぼっちゃんにわたしてください」

 滋はすぐに大広間をさがしたが、なるほど壁ぎわのたなの上に、みごとな剥製のクジャクが置いてある。

 くちばしのあいだをのぞくと、なにやらキラキラ光るもの。とりだしてみると、はたして鍵だった。長さ二センチぐらいの、小人島の鍵のようにかわいい|黄《おう》|金《ごん》の鍵。

 滋はきんちょうして、鍵をにぎりしめると、

「じいやさん、この鍵は、きっと剣太郎君にわたします。でもあの人はどこにいるのですか」

「どこにいるのか、わたしにもわからない。きのうの朝、鬼丸博士や津川先生と急に東京へいく、といって出発して……」

 三人は思わず顔を見あわせた。

 してみると、剣太郎はぶじだったのだろうか。

「じいやさん、じいやさん、三人はなにも、持たずにいきましたか。ひょっとすると、大きな箱のようなものを持っていきませんでしたか」

 そうたずねたのは金田一耕助である。じいやは、かすかにうなずいて、

「はい、ゴリラの剥製を持っていくといって、それを、箱づめにして……」

 三人はまた顔を見あわせた。

 ああ、あのゴリラの剥製。……いったいなんのために、あんなものを持っていったのだろうか。

「じいやさんは、きのうの朝、ぼくたちがいないのを、ふしぎに思いませんでしたか」

「はあ、……ふしぎに思いました。鬼丸博士にたずねてみました。すると博士のいうのには、夜明けまえに出発したと……」

 これでみると、謙三と滋にねむり薬をかがせて、あちらの家へはこんでいったのは鬼丸博士にちがいない。

 おそらく津川先生もてつだったのだろう。そうしておいて夜明けを待って、剣太郎を連れてたち去ったのにちがいなかった。それにしてもゴリラの剥製。――ああ、それにはどういう意味があるのだろうか。

 そのときまた、じいやの顔色がしだいにわるくなってきたので、謙三は大急ぎで、医者をさがしにいった。

 そのあとで、広間のなかをしらべていた金田一耕助が、ふと目をつけたのはカピの剥製である。

「ああ、これが剣太郎君の愛犬ですね」

「ええ、そうです。そうです」

「カピは八月十五日の朝、血をはいて死んだのですね。そしてそれから一週間のちの八月二十三日に、滋君は鬼丸博士が、剣太郎君とうりふたつの、鏡三君といっしょに、軽井沢へやってきたのを見たのですね」

「そうです、そうです。でも、金田一さん、それがどうかしましたか」

「滋君、ぼくはいま、おそろしいことを考えているのですよ。人間はだまされても犬はだまされません。剣太郎君とうりふたつの人間をつれてきて、剣太郎君とすりかえておいても、人間――たとえば、じいやさんは気がつかないかもしれない。しかし、犬はだまされないでしょう。どんなに顔がよく似ていても、人間にはそれぞれちがったからだのにおいがあります。犬はきっとそのにおいをかぎわけて、にせものを見やぶるでしょう。そこであらかじめ、犬をころしておいて」

 滋は思わず、あっとさけんだ。

「金田一さん、それじゃ鬼丸博士は、剣太郎君と、鏡三君をすりかえたというのですか」

「いや、いや、はっきりいいきるのはまだ早い。しかし、鬼丸博士はなんだって、ゴリラの剥製なんか持っていったのでしょう。そのなかにだれか……もしや剣太郎君が……」

「あっ、そ、それじゃきのうの朝、じいやさんの見た剣太郎君というのは、そのじつ剣太郎君ではなく、鏡三君だったのでしょうか」

 金田一耕助はくらい目をして、

「そうでないことを祈ります。しかし、そうであったかもしれない」

 滋はなんともいえぬおそろしさに、歯がガチガチと鳴ったが、そこへ謙三が、医者をつれてもどってきた。

 しかし、万事は手おくれで、それからまもなく、じいやは息をひきとったが、そのあとで、医者が、妙な話をした。

 その話というのはこうなのである。

「この家には、剣太郎という少年がいましてね。あの少年について、みょうな話があるんですよ。ひと月ほどまえのこと、剣太郎君の左の腕のつけねがいたむといって、このじいやさんといっしょにわたくしのところへきたのです。みるとそこに、大きなおできみたいなものがあります。きいてみるとそのおできは、剣太郎君のまだ、ものごころつかないころからあるのだそうですが、それが急にいたみだしたというのです。そこで切開手術をしたのですが、そのおできの中からなにが出てきたと思います。鍵ですよ。二センチぐらいの小さな黄金の鍵……」

 その話をきいたとたん、滋はてのひらの中ににぎっている、あの小さな黄金の鍵が、やけつくようにかんじた。

 ああ、それでは、いま滋のにぎっている鍵、じいやがいのちをかけて、わるものから守ったこの鍵は、剣太郎のからだのなかに封じこまれてあったのか。

 しかし、それにはいったい、どういう秘密があるのだろうか。

 ……滋は、つぎからつぎへとおこる、ふしぎな事件に、目がくらむような気がしたが、しかし、読者諸君よ、いままでお話してきたところは、いわばまだこの物語のはじまりにすぎないのだ。

 それから、まもなく舞台を東京にうつして、そこにいったい、どのような、怪奇な事件がくりひろげられることだろうか。

  |鍵《かぎ》の|謎《なぞ》

 それはさておき滋は、そのつぎの朝、軽井沢をたって、東京へかえってきたが、その当座、わすれようとしてもわすれることのできないのは、あのふしぎなできごとである。

 滋はおかあさんにたのんで、小さな守りぶくろをぬってもらうと、あの黄金の鍵をなかへしまいこみ、|肌《はだ》|身《み》はなさず持っていることにした。

 滋はおりおりそっと、守りぶくろのなかから、黄金の鍵をだしてながめた。するとさまざまな空想のつばさがひろがっていくのだ。

 ああ、この小さい鍵に、いったい、どのような秘密があるのだろうか。剣太郎の腕の筋肉から出てきたということだが、いったいだれがそんなところへ、黄金の鍵を封じこめておいたのだろうか。

 じいやの話によると、剣太郎は小さいときから、左の腕のつけねに大きなおできがあったそうだが、そのなかに、このような鍵がかくしてあろうとは、夢にも知らなかったということである。

 してみると、だれがこの鍵をかくしたにしろ、それは剣太郎の、まだものごころもつかぬころのことなのにちがいない。

 ああ、ものごころもつかぬ子どもの腕のなかに、鍵をかくそうなどとは、なんというひどいことをしたものだろう。しかし、また考えなおすと、それだけにこの鍵のたいせつさがわかるような気もするのだ。ひょっとすると、この鍵こそは剣太郎の、幸運のとびらをひらく鍵ではないだろうか。

 ある日、滋はその鍵を、てのひらにのせてつくづくながめていたが、そのうちに、鍵のうえになにやら小さな文字らしいものが、ほってあるのに気がついた。そこで、お父さんの部屋から、虫めがねをかりてきてしらべてみると、そこにほってあるのは、『|N《ナン》|O《バー》|.《.》|1《ワン》』という文字、すなわち第一号という文字である。

 滋は、はてなとばかりに首をひねった。

 第一号というからには、第二号や第三号の、黄金の鍵があるのだろうか。もし、あるとすればどこにあるのだろう。

 滋はいよいよ深い謎のなかに、まきこまれていく気持ちだったが、そのうちに、十日ほどおくれて、謙三も軽井沢からかえってきた。謙三は滋のうちに同居して、大学へ通っているのである。

 ふたりは学校からかえると、毎日、軽井沢の話ばかりしていたが、するとそれからまた五日ほどたって、金田一耕助がひょっこりたずねてきた。

 金田一探偵はそれまで軽井沢にのこって、警察の人たちといっしょに、いろいろしらべていたのである。

 その耕助の話によると、あのきみょうな三軒の家をたてたのは、ゆくえ不明のサーカス王、鬼丸太郎だということがわかったそうである。

 しかし、なぜあのように三軒の家を、なにからなにまで、そっくり同じかたちにたてたのか、そこまではまだわからないということなのだ。

 三軒の家は谷をへだてて三つの丘に、それぞれたっているのだが、外から見て、いかにもよくにた家だということは、近所の人も知っていたものの、中までそっくり同じだとは、いままでだれも知らなかったのである。

 謙三と滋があらしの夜、一夜の宿をもとめたのは、いちばん南の丘にある家だった。そしてつぎの日、目をさましたときには、いちばん北の家へはこばれていたのだが、なにしろまえの晚、ひどいあらしで道にまよっていたので、つぎの朝、あき家をとびだしたときには、そこがきのうの道とちがっていることに、気がつかなかったのもむりはない。

「それで、先生」

 謙三は、いつのまにやら、金田一耕助を先生とよぶようになっていた。

「鬼丸博士のゆくえはまだわかりませんか」

「わかりません。警察でもやっきとなって、さがしているようですがね。ときに滋君、きみは、あの鍵をもっているでしょうね」

「ええ、ここに持っています」

 滋は守りぶくろから、黄金の鍵をだしてみせると、

「ところが、先生、この鍵について、ちょっとみょうなことを発見したのですよ」

 と、あの番号のことをかたってきかせると、金田一耕助も虫めがねをとって、まじまじと鍵のおもてをながめながら、

「なるほど、なるほどたしかにナンバー.ワンとほってありますね。すると、これは滋君のいうように、第二、第三の鍵があるのかもしれませんね。しかし、あるとすればどこにあるのか、いやいったい、だれが持っているのか……」

 金田一耕助はそういって、虫めがねをもったまま、しばらくじっと考えこんでいた。

  面をかう人たち

 それからのちも滋は、黄金の鍵のことが気になってたまらなかったが、それかといってそのことばかりに、気をとられていたわけではない。

 滋にしろ、謙三にしろ、まだ学生である。学生であるからには勉強がだいいちだ。鬼丸博士や剣太郎のことが気になりながらも、ふたりとも勉強のほうがいそがしくて、軽井沢のできごとも、なんだか遠いむかしの夢のように思われてきた。

 金田一耕助はおりおりふたりをたずねてきたが、この人もほかにいそがしい事件をひかえているとみえて、この事件にばかり、かかりあっていられないようすだった。

 ただ、いつかきたときの口ぶりでは、タンポポ.サーカスのゆくえを探しているようすだった。

 そうこうしているうちに、はや、あの時から七か月たち、この四月に滋は、優等の成績で中学の二年生になった。

 その春休みの、四月はじめのある朝のことである。

 滋と謙三は、あまり天気がよいので、どこか郊外へハイキングにいこうかと相談していたが、そこへやってきたのが金田一耕助の使いだった。

 金田一耕助の手紙をもってきたのだ。ひらいてみると、

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本日午後一時までに、上野公園竹の台、|西《さい》|郷《ごう》さんの銅像の下までこられたし。万事はお目にかかって申しあげます。

[#ここで字下げ終わり]

[#地から1字上げ]金田一耕助

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立花謙三

滋  両君へ

[#ここで字下げ終わり]

 滋と謙三は、それを読むと思わずはっと顔を見あわせた。

「にいさん、きっとあの事件のことですね」

「もちろん、そうだろう。先生はやっぱり、あの事件をわすれていなかったのだね」

 滋と謙三は、いかに勉強のためとはいえ、いつとはなしにあの事件のことをわすれていた、じぶんたちのことがはずかしいような気がした。

 そこで使いの人にはかならずいくからとことづけて、昼食を早めにたべて出かけていくと、上野公園はたいへんな人出だった。

 その日は四月の第一日曜日にあたっていたうえに、天気はよし、サクラもそろそろ満開というところへ、さらに人出をさそったのは、ちょうどそのころ上野では、産業博覧会がひらかれていたからである。

 その博覧会の呼びもののひとつである軽気球が、ゆらゆらと空高くうかんでいるのも、人の心をうきたたせるようだった。

 その軽気球というのは、博覧会の見物客のなかで、のぞみのひとをよりすぐっては、空から東京見物をさせるのだ。

 さて、滋と謙三が、ごったがえす人波をかきわけて、|西《さい》|郷《ごう》|隆《たか》|盛《もり》の銅像の下までくると、金田一耕助が待っていた。

 あいかわらずよれよれの着物によれよれのはかま、形のくずれたお|釜《かま》|帽《ぼう》。

 どこから見てもびんぼう書生というかっこうで、とても、えらい|名《めい》|探《たん》|偵《てい》などとは見えない。

「ああ、先生、なにかかわったことでも……」

 謙三が何かいおうとするのを、金田一耕助はエヘンエヘンとさえぎって、

「いや、なに、あまり天気がよいから、博覧会でも見ようと思ってね」

 と、わざと、大声でいったかと思うと、すぐ声をおとして、ささやくようにいった。

「立花君、滋君。むこうに面売りの男が立っているだろう、あいつに気をつけていたまえ」

 そのことばにふたりがそっと向こうをみると、いききするひとごみのなかに、面売りがひとり立っていた。

 首にぶらさげた箱のなかに、おかめ[#「おかめ」に傍点]やひょっとこ[#「ひょっとこ」に傍点]やてんぐ[#「てんぐ」に傍点]の面や、そのほかさまざまな面がはいっているところをみると、なるほど面売りにちがいないが、謙三や滋がその男を見てはっとしたというのは、それがふつうの人間ではなかったからである。そいつは子供ほどの背たけの小男だった。

 小男の面売り……滋はなんともいえぬみょうな気がしたが、するとそこへやってきたのがひとりの男。

「アッハハ、お花見の面か。おもしろかろう。ひとつもらっていくぜ」

 ひょっとこの面をかったその男が、くるりとこちらをむいたせつな、滋は思わずあっと息をのみこんだ。

「せ、先生、あれは……」

「しっ、だまって。もうひとり面をかいにくる男があるはずだから待っていたまえ」

 金田一耕助のことばのとおり、その男が立ち去るとまもなく、またひとりの男がやってきて、こんどはてんぐの面をかっていったが、その男の顔をみると、滋のこうふんは、いよいよ大きくなってきた。

「さア、そろそろいこうか。立花君、滋君、あの男のすがたを見失うな」

 てんぐの面をかった男は、その面を顔につけると、急によっぱらいのあしどりになり、フラフラと人ごみをわけて步きだした。

「先生、先生、それにしてもあの男たちはなにものですか」

 謙三がたずねると、金田一耕助はおもしろそうに滋をふりかえって、

「そのことなら滋君にたずねてみたまえ、滋君は気がついているようだからなア、滋君、知っているんだろう」

「知っています。先生、あの人たちはみんなタンポポ.サーカスのひとたちです。ひょっとこの面をかったのは、サーカスの力持ち、てんぐの面をかったのは、サーカスの団長です。そしてあの面売りの小男は、タンポポ.サーカスのピエロです」

  軽気球の老人

「タンポポ.サーカスの人たち?」

 謙三は息をのむと、

「しかし、先生、その人たちがいったい何をしようとしているのです」

「立花君、それはぼくにもわかりません。だから、これから見張っていようというのです」

 それから金田一耕助は、つぎのような話をした。

 去年の軽井沢の事件があってから、金田一耕助は、タンポポ.サーカスのゆくえをさがしていたが、ちかごろになって、こういうことがわかったのである。

 鏡三がいなくなってから、タンポポ.サーカスはすっかり人気がなくなり、まもなくつぶれてしまった。

 サーカスの団長や力持ち、それからピエロの小男は、それを残念がって、なんとかして鏡三をさがしだし、もういちどタンポポ.サーカスをたてなおそうと、やっきになっていたのである。

「そういうことがわかったので、ぼくはひとをやとって、三人を見はらせておいたのですが、きょうはここで三人が、ひとめをさけてあうことがわかったので、きみたちにもお知らせしたのです。なんといっても滋君こそ、こんどの事件ではいちばん縁がふかいのですからね」

 そういわれると滋は、なんだかじぶんが英雄にでもなったような気がしてきた。

「先生、ひょっとするとあの人たちは、鏡三君を見つけたのではありませんか」

「いや、ぼくもそう考えているんですよ。きみたちも見たろう。いまのあのひとたちの顔色、意気ごみ。――なにかよほどのことをたくらんでいるにちがいありませんよ」

「先生、鏡三君のいどころがわかれば、鬼丸博士や剣太郎君のこともわかるわけですね」

「そうだ、そう思ったからこそ、ぼくはタンポポ.サーカスを見はっていたのだ。ああいうひとたちは、一種とくべつの組織をもっていて、人をさがすことなどたいへんうまいんですよ。どうかすると警察などより、よっぽど役にたつことがある」

「あっ、そうだ」

 両手をうって、そうさけんだのは滋である。

「あの人たち、鏡三君を見つけて、これからとりかえしにいこうとしているにちがいありませんよ。だからああしてお面をかぶっているんです。鏡三君は、あの人たちの顔を知っているから見つけたらすぐににげてしまいます。そこでああしてお面で顔をかくして、近づこうとしているのです」

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