饭饭TXT > 海外名作 > 《大迷宮(日文版)》作者:[日]横沟正史【完结】 > 大迷宮.txt

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作者:日-横沟正史 当前章节:15358 字 更新时间:2026-6-22 21:39

「えらい!」

 言下にそういったのは金田一耕助だった。

「滋君、きみもだいぶ目があいてきたね。そうだ。なにごとにも目をひらいて、注意ぶかく考えるということはいいことだよ」

 金田一耕助にほめられて、滋はちょっと赤くなったが、そのときだった。てんぐの面をかぶった男、すなわちタンポポ.サーカスの団長は、フラフラと産業博覧会へはいっていった。よっぱらいだと思うから、へんなお面をかぶっていても、だれもあやしむものはいない。

 三人は顔を見あわせていたが、これまた入場券をかってなかへはいっていった。

 博覧会のなかはたいへんなにぎわいである。ひろい場内には、この博覧会のためにたてられた建物がいくつもたっていて、そのなかには、日本全国からあつめられた、めずらしい産物がいっぱい陳列してあるのだ。

 建物はそういう陳列場ばかりではなく、余興場だの売店だの、さてはまた、すしだのおしるこだの食べさせる店などが、いたるところにたっている。

 そして、ひろい場内いっぱいにはりめぐらされた万国旗、あちこちからきこえてくる陽気な音楽、そのなかをおしよせた見物が、それこそアリのようにひしめきあってうきうきとあるきまわっているのである。

 てんぐ面の男は、そういうひとごみのなかを、あいかわらずフラフラ步いていく。しかし注意ぶかく見ていたら、かれがけっしてよっぱらっているのでもなく、また、あてもなくあるきまわっているのでもないことがわかったことだろう。

 この男はなにか目的をもっているのだ。そして、その目的にむかって、ズンズン進んでいるのだ。

 てんぐ面の男は、まもなく軽気球をあげるところまできた。ちょうど、いまひと見物おわったところと見え、軽気球がユラユラと空からおりてきた。軽気球は滑車をつかって、空へあげたり、空からおろしたりするのである。

 つまり軽気球をつなぎとめてある綱を、滑車でゆるめると、軽気球はユラユラと空高くのぼっていく。そのはんたいに滑車の綱をまいていくと、それにひかれて軽気球はおりてくるのである。

 その滑車の係は、六十歳ぐらいの|白《しら》|髪《が》の老人だったが、いましも一心に滑車をまいている目のまえに、てんぐ面の男が立ちどまった。そして、汗でもふくつもりだったのだろう。なにげなく面をとってあたりを見まわしたが、そのとたん、滑車係の老人は、はっとしたように顔をそむけた。どうやらこの老人は、タンポポ.サーカスの団長を知っているらしいのだ。

 団長のほうでは、しかし、そんなことには気がつかない。ふたたび面をかぶりなおすと、すぐそばにある余興場へはいっていった。

 金田一耕助や謙三、それから滋の三人も、すぐあとから余興場へはいっていったが、ああ、もしこのとき金田一耕助が、滑車係の老人のへんなそぶりに気がついていたら、かれはもっとよく注意したことだろうに。なにしろひどいひとごみだから、ついそれに気がつかなかったというのも、まことにぜひないことではあった。

  少年歌手

 それはさておき、余興場のなかは満員だった。この余興場は、西洋風のミュージカルだの、ダンスだのを見せるところらしく、滋たちがはいっていくと、舞台ではかわいらしい少女たちが、まるでちょうのようにおどっているところだった。

 しかし、てんぐ面の男はそんなものには目もくれず、ひとごみをかきわけて、ぐんぐんまえへ出ていく。

 そのあとから三人も、さりげなくついていくのだ。

 このさい、三人にとってたいへんつごうのよいことには、こちらでは向こうをよく知っているのに向こうではちっともこちらを知らないことだった。だから、どんなにそば近くへよっていっても、あやしまれることはない。

 てんぐ面の男は、とうとう見物席のいちばんまえの列まで出た。

 滋たち三人は、それから三列ほどうしろの通路にしゃがみこんだ。立っていると、ほかの見物人のじゃまになるからである。

 それでも滋はときどき立って、そっと見物席をながめた。すると、すぐ目についたのは、ひょっとこ面の男である。その男も、見物席のいちばんまえにいて、舞台にもたれるように立っている。

 ああ、かれはいったい、ここでなにをおっぱじめようというのだろうか。

 滋はなんとなく、胸がワクワクする気持ちで、そのほかにも、タンポポ.サーカスのひとたちはいないかと、見物席を見まわしていたが、そのうちに、思わずあっと、ひくいさけびが口をついて出た。

「滋君、ど、どうしたの。なにかあったの?」

「にいさん、にいさん、あそこに鬼丸博士が……ああ、津川先生もいっしょにいる!」

「なに、鬼丸博士が……」

 金田一耕助もはじかれたようにふりかえった。

「滋君、ど、どれだ。鬼丸博士というのは?」

 金田一耕助は、まだ鬼丸博士も津川先生も知らないのである。

「先生ほら、ここから三列ほどうしろの左のはしに、顔じゅうひげだらけのひとがいるでしょう。あれが鬼丸博士です。そして、そのとなりにすわっているのが津川先生」

 謙三もそのほうを見たが、ああ、滋のことばにあやまりはなかった。鬼丸博士と津川先生は、ひとごみのなかにかくれるように、からだをちぢめて、しかも、その目はくいいるように舞台のほうを見つめているのである。鬼丸博士の手には、きょうもあの太い棒みたいなステッキがにぎられていた。

 謙三はひょっとすると、剣太郎はいないかと、そのへんをさがしてみたが、その姿はどこにも見えなかった。

「なるほど、あれが鬼丸博士と津川先生か。よしおぼえておこう。ときに立花君、滋君」

「はい」

「あの人たちが来ているとすると、これはいよいよただごとではありませんよ。いまにきっとこの余興場で、何かおっぱじまるにちがいない。そこでいまのうちから、そのときのてはずをきめておきましょう」

「はア、どうすればいいのですか」

「きみたちはどんなことがあっても、鬼丸博士や津川先生から、目をはなさないでください。ぼくはタンポポ.サーカスの連中を見張っているから」

「しょうちしました。滋君、わかったね」

「ええ、わかりました。でも、先生、いったい何が起こるのでしょうか」

 滋はなんとなく、むしゃぶるいがでる感じである。

「さア、それはぼくにもわからない。わからないだけに、いっそう気をつけていなければならないのだ」

 むろん、こういう会話は、ほかの見物のじゃまにならぬように、ごくひくい声でかわされたのだから、すぐまえにいるタンポポ.サーカスの団長も気がつかない。

 そのうちに、プログラムはしだいにすすんでいった。二ツ三ツ、ダンスがあったあとで、手品がすむと、こんどは、

「少年歌手」

 というはり札が、舞台のそでのところにはりだされた。

 すると、それと同時に、場内の電気がいっせいに、パッと消えたかと思うと、ただ一点、舞台のうえに投げかけられたのは、すみれ色の光の輪。そして、ゆるやかな音楽の|音《ね》につれてしずしずと、その光の輪のなかにあらわれた少年歌手というのは……。

 おお、その少年歌手の顔を、ひとめ見たとたん、滋と謙三は、思わず手に汗をにぎり、ほとんど同時にさけんだのだ。

「鏡三君だ!」

「剣太郎君だ!」

 金田一耕助はそれをきくと、はじかれたようにふたりのほうをふりかえった。

「立花君、まちがいないか。あれは、たしかに、剣太郎君ですか」

「そうです、そうです。ぼくは鏡三君を知りませんが、あれは剣太郎君にいきうつしです」

「滋君、きみはあれを鏡三君というのですか」

「先生、ぼ、ぼくにもわかりません。だって鏡三君と剣太郎君は生き写しなんですもの。でも、あのひとはふたりのうちのひとりにちがいありません」

 そのとき、音楽の音につれて、少年歌手がしずかに歌いだした。それは甘い、ものかなしげななんともいえぬよい声だった。

 その歌声にききほれて、場内にはせきひとつするものもいない。

 だが、このまっくらな見物席から、少年歌手をねらっているへびのような八つの目があったのだ。タンポポ.サーカスの団長と力持ち、それから鬼丸博士と津川先生。鬼丸博士と津川先生はすいよせられるようにじりじりと、舞台のほうへ近づいていった。

  あいずの口笛

 さて、話かわってこちらは余興場のすぐ外にある、軽気球上げ場だが、そこではいましも軽気球が、ゆらりゆらりとおりてきて、ぶじに地上についた。そして、空からの東京見物をおわったひとびとが、にぎやかに笑いさざめきながら、なわばしごをつたっておりてきた。ところがなかにただひとり、みんながおりてしまっても、軽気球のなかにのこっているひとがあった。

 そのひとはまっくろな洋服をきて、そのうえに、うすい、ひらひらした黒のマントをはおっている。そして、頭にかぶったつばのひろい帽子のふちには、カーテンのように、黒いきれをたらしているのだ。

 そのひとは軽気球のかごのなかに立って、ぼんやりあたりを見ていたが、そのとき、ひくい口笛の|音《ね》がきこえてきたので、おやというように下を見た。口笛をふいているのは、滑車係の老人である。

 黒衣のひとはそれを見ると、あたりを見まわし、じぶんもかるく口笛をふいた。すると、それにこたえるように、滑車係の老人が、またもやひくい口笛で……。

 どうやらその口笛は、なにかのあいずらしいのだ。

 黒衣のひとはそれをきくと、なにか心にうなずきながら、なわばしごをつたって、するするとおりていった。すると、滑車係の老人が、すぐそばへやってきて、なにやら耳もとでささやいた。

 黒衣の人はそれをきくと、ひどくびっくりした様子だったが、すぐ、老人にひとことふたこと、ひくい声でささやくと、そのまま、すたすた軽気球のそばをはなれて、余興場のうらのほうへまわっていった。

 ちょうどそのころ、余興場では……。

 みょうなお面で顔をかくした、タンポポ.サーカスの団長と力持ち、それから鬼丸博士と津川先生が、へびのような目をひからせながら、じりじりと舞台のほうへ近づいていった。その団長と力持ちを、ゆだんなく、見はっているのは金田一耕助。一方滋と謙三は、見物をかきわけて、鬼丸博士や津川先生のほうへ近づいていった。

 やがて少年歌手の歌が一曲おわると、場内はあらしのような拍手かっさい。――と、この時だった。お面で顔をかくした団長と力持ちが、くらやみのなかでうなずきあうと、いきなり舞台へとびあがったから、おどろいたのは少年歌手である。

「おい、鏡三、いままでうまくかくれていたな。おれの声がわからねえか」

 てんぐ面の団長に、むんずとばかり手をとられて、少年歌手は身をもがきながら、

「あっ、だれです、だれです。ぼくの名は鏡三じゃありません」

「しらばくれてもだめだ。おれはタンポポ.サーカスの団長の、ヘンリー|松《まつ》|村《むら》だ」

「知りません、知りません。ぼくはそんなひと知りません」

「こいつめ、しらばくれやがって……団長、いいから、ひっかついでいこうじゃありませんか」

「あっ、なにをするのです。あなたはだれです」

「おれか、おれはタンポポ.サーカスの力持ち、|万《まん》|力《りき》の|鉄《てつ》だ。鏡三、来い!」

 左右から両手をとられて、少年歌手はさっとあおざめ、

「あっ、なにをするのです。だれか来てえ……助けてください!」

 いままであっけにとられてポカンとしていた見物も、少年歌手の悲鳴に、はじめて、ただごとでないことに気がついた。

 さっと、総立ちになった中に、四、五人舞台へとびあがったものもある。

 楽屋でも、やっとこのさわぎに気がついて、座員が四、五人、バラバラと、とびだしてきたが、そのとたん、いままで、まるくすみれ色に、舞台をてらしていた光が、ふうっと消えて、余興場のなかはまっ暗がり……。

  暗やみの騒動

 さア、たいへん、余興場のなかは、上を下への大さわぎ。

「だれだ、だれだ、電気を消したのは。……電気をつけろ、電気をつけろ!」

 と、舞台の上でどなるものがあるかと思うと、

「あっ、だれか来てえ。だれかわたしのハンド.バッグをとっていった……」

 と、見物席では女の悲鳴。

 それにつづいて、

「あっ、おれのがまぐち[#「がまぐち」に傍点]もないぞ。すりだ、すりだ、どろぼう!」

 こうして舞台も見物席も、ハチの巣をつついたような大さわぎになったが、そのうちに舞台の上では、どたばたと組打ちの音。

「き、き、きさまたちはなにものか。この子をいったいどうしようというのだ」

「どうもこうもあるもんか。この子はおれのもんだ。タンポポ.サーカスからにげだしたんだ。だれにことわって、こんなところへつれて来た」

「いいえ、いいえ、ちがいます。タンポポ.サーカスだの、万力の鉄だのって、ぼくはちっとも知りません。この人たちは人ちがいをしているのです。はなしてください。はなして……」

 金切り声でさけんでいるのは少年歌手である。

「ええい、めんどうくせえ。鉄、なんでもいいからそいつをかついでいけ」

「おい、こら、なにをする!」

「なにもへちまもあるもんか。それじゃ、団長、あとはたのみましたぜ。鏡三、こい!」

「いやです。いやです。はなしてください。あっ、だ、だれか来てえ!」

「やかましいやい。こいといえば、おとなしくついて……うわっ!」

 とつぜん、おそろしいさけび声が、くらやみをつんざいてきこえた。どうやら、万力の鉄らしい……。

 その声があまりおそろしかったので、いままではちの巣をつついたようにさわいでいた舞台も見物席も、いっとき、水をうったようにしいんとしずまりかえってしまった。そのしずけさのなかに、だれやら、どさりと倒れる音。

 と、そのときだった。いままで消えていたすみれ色のまるい光が、ふたたび、ぱっと舞台の上を照らしたのだが、そのとたん、ひとびとは、なんともいえぬおそろしいものを見て、思わずあっとふるえあがってしまったのである。

 すみれ色の光のなかに、すっくと立っているのは、なんと、どくろのような顔をした男ではないか。

 どくろ男は、だしぬけに、光をまともからあびせかけられ、はっとしたように顔をそむけたが、ときすでにおそかったのだ。

 すっかりその顔かたちを見物のひとびとに見られてしまったのだが、ああ、そのすがたの気味わるさ、その顔のおそろしさ。

 黒いマントに黒い洋服、そして黒い帽子の下からむきだしになっているのは、鼻もくちびるもなく、馬のようにみにくい歯なみが、二列にならんでいる。それこそ、世にもおそろしいどくろの顔……。

 しかも、そのどくろ男は、かた手でしっかり少年歌手をだいているのだ。少年歌手はどくろ男の顔を見たとたん、

「きゃっ!」

 と、さけんで、そのまま、気をうしなってしまった。

 それにしても、万力の鉄はどうしたのかと見まわすと、いた、いた。万力の鉄はヒョットコの面をかぶったまま、舞台の上に倒れているのだ。

 しかもかれの肩のあたりには、細身の短刀がつっ立って、山鳥のしっぽのように、ブルンブルンとふるえている。

 すみれ色のまるい光で、これだけのことを見てとったとたん、舞台の上のひとびとも、見物席の見物たちも、いっせいに、わっとさけんで浮き足だったが、つまり、それだけのあいだが、どくろ男にとっては、乗ずるすきになったわけである。

 どくろ男は、やにわに少年歌手をだきあげると、うすいマントをひるがえして、さっとばかりに舞台から、楽屋のほうへかけこんだ。

 それを見て、

「しまった!」

 と、ばかりに、見物席から舞台へとびあがったのは金田一耕助。

「にがすな。そいつをにがしちゃならんぞ」

 金田一耕助のその声に、いままで棒をのんだように立ちすくんでいたひとびとも、はっとばかりに気をとりなおして、なだれをうって楽屋のほうへかけこんだが、そのとき、またもや電気が消えて、あたりは、うるしをぬりつぶしたようなまっ暗がり。

「しまった、しまった。ちきしょう、ちきしょう」

 金田一耕助は、じだんだふんでくやしがったが、なにしろかってわからぬ楽屋のなか、あちらへぶつかり、こちらへつきあたり、なかなか思うようには進めない。

 それでもやっと、楽屋口を見つけて外へとびだすと、そのとき、わっと向こうの方で、ひとびとの、ののしりさわぐ声。

 金田一耕助は、はかまのすそをふりみだして、声のするほうへかけつけたが、そのとたん、思わずあっと、手に汗をにぎって立ちすくんでしまった。

 ああ、なんということだろう。いましも地上をはなれてユラユラと、大空めがけてのぼっていく軽気球――その軽気球にのっているのは、たしかに、どくろ男と少年歌手ではないか。

 三十メートル、五十メートル、八十メートル……。

 滑車のゆるむにしたがって、軽気球はユラリユラリと、しだいに空高くのぼっていく。

「綱をまけ、滑車をしめろ、軽気球をあげてはならん!」

 金田一耕助はやっきとなってどなったが、それがきこえたのか、きこえないのか、滑車がかりの老人は、ばかみたいな顔をして、ぽかんと軽気球をみている。

「おい、なにをしているんだ。滑車をまかないか。綱をしめないか。……あっ!」

 金田一耕助は、とつぜん、ギョッとしたように、立ちすくんでしまった。

 滑車のかいてんにしたがって、くるくるとのびていた綱が、ふいに、ふわりと滑車をはなれて宙にういてしまったのである。

 ああ、なんということだろう。

 綱はそこでぷっつりと、切れていたではないか。

  空中の大曲芸

「わあっ!」

 軽気球あげ場をとりまいて、黒山のようにたかっていたひとびとの口から、いっせいに、おどろきのさけびがもれたが、それもむりではなかった。

 糸の切れたゴム風船。――滑車をはなれた軽気球の運命は、それと同じではないか。空高く、のぼって、のぼって、のぼりつめたあげくの果てにはどうなるのだろう。

 軽気球が破裂して、小石のように落下するか、それとも、ガスがしだいにぬけて落ちてくるか……どちらにしても、ついらくすることにはまちがいない。

 ああ、千が一にも助かるみこみのない怪人と少年歌手――それを思えば、ひとびとが手に汗をにぎったのもむりではなかった。

 それはさておき、滑車をはなれた軽気球は、いちど、ぐらりとななめにかたむいたが、すぐまたもとの位置にかえると、おりからの東のそよ風にのって、ふわりふわりと、とんでいった。それにつれて、たれさがった綱のはしが、黒山のようにあつまった、ひとびとの頭をなでていく……。

 と、とつぜん、勇敢なひとりの人が、その綱のはしにとびついた。しかし、いかに大力男でも、ひとりの力で軽気球をつなぎとめようなどとは思いもよらぬことである。はんたいにその人は、するするすると地上から、空のほうへひきあげられていく。

「わあっ!」

 広場をとりまくひとびとの口から、またもやどよめき声がもれた。

 その声におどろいたのか、綱のはしにぶらさがった勇敢な男が、まっ青になって手をはなしたからたまらない。数メートルの高さから、もんどり打って落ちてきた。

「わあっ!」

 またしても見物のどよめきの声。

 それにしてもその人は、気のつきようが早かったからまだよかったのだ。もうしばらくがんばっていたら、みるみるうちに空高くつりあげられて、おりるにおりられず、のぼるにのぼれず、それこそ、進退きわまってしまったにちがいない。

 それはさておき、軽気球がのぼるにつれて、ぶらさがった綱のはしも、しだいに高くなっていった。

 いまでは、頭上はるかにはなれた綱は、陳列場の屋根をなでながら、しだいに西へと流されていく。

 ところが、この博覧会の西のはずれには、百メートルぐらいの塔が立っていた。この塔もまた軽気球とともに、この博覧会のよびもののひとつで、塔上には望遠鏡がそなえつけてあり、そこから東京見物をさせるしくみになっているのだ。

 いましも、その塔上には五、六人の人がむらがって、ものめずらしげに望遠鏡をのぞいていたが、そこへ聞こえてきたのがただならぬ喚声、どよめきの声。……なにごとならんと、塔の窓からのぞいたひとびとは、思わずあっと手に汗をにぎった。

 軽気球はいま、塔のま上にさしかかり、そこからぶらさがった綱が、窓のそとをすれすれにぶらさがっているではないか。

 風のぐあいか、軽気球はいっときそこに停止しているらしく、綱のはしがブラブラと、窓のすぐそとにゆれている。

 と、このときだった。塔の階段をとぶように、かけのぼってきた奇妙な人物がある。背の高さは十か十一、二の子どもぐらい。しかし、子どもかと見れば子どもではなく、顔を見れば、りっぱなおとななのである。

 あの小男だ――。

 そうだ。タンポポ.サーカスの一員、さっき西郷隆盛の銅像の下で、面を売っていた小男なのである。

 小男は窓のそとにぶらさがっている、綱のはしに目をとめると、むらがるひとびとをかきわけて、やにわに窓にかけのぼり、綱のはしに両手をかけた。

 と、そのとたん、軽気球がふわりとうごいて、小男は塔のまどから、百メートルの上空へ……。

「わあっ!」

 ふたたび、みたび、どよめきの声が、博覧会をうめつくしたひとびとの口からもれた。

 それにしても小男は、なんというだいたんな、なんという命しらずのまねをするものだろう。かれは綱をつたって、軽気球までのぼっていくつもりなのだろうか。

 しかし、綱のはしから軽気球までは、百メートルはたっぷりある。もし、とちゅうで腕がしびれて手をはなしたら……。

 ひとびとが手に汗をにぎって、そのなりゆきを見まもっているのもむりではなかった。

 しかし、小男には、なにか考えがあるとみえて、べつにあわてた風もなく、さるのように、するすると、二メートルほど綱をのぼると、やがて綱に両足をかけ、まっさかさまにぶらさがった。

「あっ!」

 見まもるひとびとのわきの下から、また滝のようなひや汗が流れた。

 しかし、小男はあわてずさわがず、まっさかさまにぶらさがったまま綱のはしをとって、なにかしていたが、なんと、できあがったところを見ると、綱のはしを結んで、輪をつくっているではないか。

 そして二、三ど、その|結《むす》びめの|強《つよ》さをためしていたが、やがて安心したのか、その綱の輪に腰をおろすと、帽子をとって下なる群集にふってみせた。

 ああ、だいたんな小男の大曲芸。

「わあっ!」

 ふたたび、みたび、ひとびとの喚声とどよめきが、上野の森をゆるがしたのも、むりではなかったのだった。

  津川先生の射撃

 まえにもいったとおり、その日は四月の第一日曜日だった。しかも天候はよし、陽気はよし、上野は博覧会とお花見の客で、ごったがえすようなにぎわいをていしていた。

 その人たちにとって、これほどのめずらしい、スリルにとんだ見ものが、またとほかにあるだろうか。

 どくろ面の怪人と少年歌手のふたりをのせて、糸の切れたゴム風船のように、空高くとんでいく軽気球。その軽気球の綱のはしに、まるで時計の振り子のようにブランコした子供のような背たけの小男。――ひとびとが手に汗をにぎって、あれよあれよと立ちさわぐのも、むりではなかった。

 それはさておき軽気球は、間もなく博覧会場をはなれると、ユラリユラリと、|不忍《しのばずの》|池《いけ》の上空を流れていく。あいかわらず綱のはしには、小男がぶらさがっているのだ。

 と、このときだった。

 |清《きよ》|水《みず》|堂《どう》のほとりから、つと身をのりだした人物があった。津川先生である。あの腰のまがった足の悪い津川先生――津川先生はすばやくあたりを見まわしたが、だれもかれも軽気球に気をとられているので、だれひとりこちらを見ているものはいない。

 それをみると津川先生、にたりときみの悪い微笑をもらすと、持っていたステッキを、まるで鉄砲のように身がまえた。しかも、そのねらいは、ぴったりと、小男につけられているではないか。

 ああ、これはいったいどうしたことだろう。津川先生はじょうだんで、そんなまねをしているのだろうか。それとも、津川先生のステッキは見たところステッキとしか見えないけれど、その実、鉄砲のような役めをするのではあるまいか。

 そういえば、いつか軽井沢の一軒家で、滋や謙三にむかって、剣太郎がこんなことをいったではないか。

「津川先生は、ああいうおからだですけれど、とてもお強い人ですよ。そして、弓だってピストルだって、百発百中の名人なんです」

 ああ、その津川先生は、百発百中のうでまえで、小男をうちころそうというのだろうか。しかし、鉄砲をうてば音がするにきまっている。音がすれば、いかに軽気球にむちゅうになっているひとびとだって、きっと、こちらをふりむかずにはいないだろう。それとも津川先生の鉄砲には、音のしないしかけでもしてあるのだろうか。

 いっとき、にとき。――津川先生の顔色はしだいにあからみ、きっと結んだくちびるのはしにつよい決意があらわれた。その津川先生のねらいのさきには、小男が、ゆらりゆらりと、ゆれているのである。

 と、このときだった。

「ばか! なにをする!」

 ひくいながらも、するどい声でそうさけんで、うしろから津川先生の腕をおさえたものがあった。鬼丸博士だった。

「あっ、鬼丸博士、なぜとめるんです」

 津川先生の顔には、さっとあお白いいかりのほのおが燃えあがった。

「なぜもへちまもあるもんか。つまらんことをして、人に見とがめられたらどうするんだ。早くその鉄砲を下におろせ」

「だって、だって、鬼丸博士、あいつも……あの小男も、きっとわれわれと同じものをねらっているにちがいありませんぜ。とすれば、われわれにとっては敵です。競争者です。ひとりでも競争者をたおしておけば……」

「ばかな、あんな小男になにができる。せいぜいあいつは、軽気球のあとをつけていくくらいがせきのやまだ。それよりも、きょうはまんまとしくじったのだから、いさぎよくかぶとをぬいでかえろう。ぐずぐずしていて、見とがめられちゃアつまらない」

 足の悪い津川先生は、まだみれんらしく軽気球のあとを見送っていたが、その軽気球はすでに不忍池をはるか向こうへこえて、ぶらさがった小男も、もう点ほどの大きさにしか見えない。

「チェッ、あなたがとめなきゃア、いまごろは、あいつは、心臓をさされてまっさかさまに、不忍池へ落ちていったのに……」

 津川先生はいかにもくやしそうに歯ぎしりした。

 それにしても、津川先生のいまのことばは、ちょっとへんではないだろうか。心臓をうたれてというのならわかるが、心臓をさされてというのは、どういうわけだろう。さされてというのは、刃物のばあいにかぎるいい方だ。それでは津川先生の鉄砲からは、刃物がとびだすことになっているのだろうか。

 それはさておき、鬼丸博士と津川先生が、清水堂のそばをはなれて、そそくさと上野の山をくだっていくとき、ぬうっとまた、清水堂のかげからあらわれたふたりの人物があった。

 いうまでもなく、立花滋と謙三である。ふたりは無言のままうなずきあうと、見えがくれに、鬼丸博士と津川先生のあとをつけはじめた。

 それにしても、ふたりをつけていった滋と謙三は、そこにどのようなふしぎなことを発見するのだろうか。そしてまた、どくろの怪人と少年歌手、さてはまた小男をぶらさげた軽気球は、ながれながれて、いったい、どこへ落ちつくのだろう。

 さらにまた、博覧会場にただひとりのこった金田一耕助は、どのような奇妙なことを発見するのだろうか。

 こうして事件は、いよいよ怪奇のうずのなかに|捲《ま》きこまれていくのであった。

  アルミの短刀

 それはさておき、その日の東京中のさわぎといったらなかった。

 それもそのはず軽気球がひとつ、おりからの快晴を、西へ西へと流れていくのだ。しかも、ぶらさがった綱のはしには、だれやら人がとりすがっているではないか。

 それをみると道行くひとびとは、手に汗をにぎって、あれよあれよというさわぎ。それをきいて、家のなかにいる人まで、われもわれもととびだしてきた。こうしてさわぎは、いよいよ大きくなったが、そこへテレビやラジオが、上野の事件を報道したから、さア、東京じゅうは|鼎《かなえ》の|沸《わ》くような大さわぎ。

「あの軽気球にはどくろの怪人と、少年歌手がのっているんだってさ」

「そして、あの綱のはしにぶらさがっているのは、怪しい小男だって話だぜ」

 と、いたるところで空を見あげて大さわぎ。なかには自転車で追いかけるものもあったが、空とぶものを地上から、追いかけたところではじまらない。まもなくあきらめて、すごすごとひきかえすばかりである。

 警視庁でもすててはおけない。ラジオ.カーや自動車で追いかけたが、軽気球はまるで地上のさわぎを、あざけるように、あるときは空中にぴたりと停止しているかと思うと、やがてまた、ふわりふわりと風にのって、西へ西へと流れていくのだ。まるで、おいでおいでをするように……。

 こうして何時間か、空と地上の追っかけっこがつづいたが、そのうちに日がくれて夜ともなれば、もう追跡をつづけるわけにはいかない。軽気球はおりからの、おぼろ月夜の空たかくとうとうゆくえが、わからなくなってしまったのだった。

 ああ、それにしても、どくろ面の怪人や少年歌手、さては綱のはしにぶらさがった、小男は、どうなったか。

 ……それは、しばらくおあずかりにして、ここでは話を、博覧会場にただひとり、とりのこされた金田一耕助のほうへもどすことにしよう。

 軽気球がとびさったとき、金田一耕助もしばらくそのゆくえを見まもっていたが、やがてすがたが見えなくなると、いそいで余興場へとってかえした。

 と、見れば、いまのさわぎにみんな外へとびだして、あきやのようにがらんとした、余興場の舞台には、ふたつだけ、人のすがたがのこっている。いうまでもなくタンポポ.サーカスの団長と力持ちの男だ。

 ヘンリー松村は万力の鉄をだきおこし、

「おい、しっかりしろ、きずは浅いぞ、気をたしかに持ってくれ」

 と、いまにも泣きださんばかりである。かみをきれいに左でわけ、八字ひげをぴんとはねあげたところは、いかにもサーカスの団長といったかっこうだが、顔を見ると悪人とはおもわれない。

 金田一耕助がそばによってみると、万力の肩には、まだ短刀がつっ立っていた。耕助は、つくづく短刀を見ていたが、なに思ったのか、

「おお!」

 と、声をあげると、その声に顔をあげたヘンリー松村。

「ああ、どこのおかたかぞんじませんが、わたしは、くやしくてたまりません。あの怪物が……どくろのような顔をしたばけものが、こんなことをしゃアがったんです」

「いいや、それはちがう」

「ええ、ち、ちがうって……」

「そうです。その人をつきさしたのは、どくろ面の男ではありません」

「な、な、なんですって?」

 あきれたようにききかえすヘンリー松村の顔を、金田一耕助はにっこり見ながら、

「ヘンリー松村君、この短刀をよく見たまえ。どくろ面の男がうしろから、万力君をつきさしたものなら、短刀は上から下へむかっていなければならぬはずだ。それだのにこの短刀は、下から上へつきあげてあります」

 なるほど、そういわれてみれば、その短刀は刃を上に、|柄《つか》を下に、三十度ほどの角度をもって、下から上へつっ立っているのである。

 ヘンリー松村は目をまるくして、

「そ、それじゃいったいだれが……」

「だれだか、ぼくにもわかりません。しかし、それがだれにしろ、そいつは舞台の上にいたんじゃない。同じ舞台にいたのでは、とてもこんな角度で、下から上へつきあげるわけにはいきますまい。これはだれか、舞台の下、見物席から……」

「投げつけたというんですか」

「いや、投げつけたとしてもすこしおかしい。それにこの柄、……これはアルミニュームですよ。とても軽くできています。ふしぎだ、どうもぼくにはわからない」

 金田一耕助は、ふしぎそうに小首をかしげていたが、ああ、もし、かれが津川先生の、あのきみょうなステッキを知っていたら。……ひょっとするとこの短刀は、津川先生のステッキから、とびだしたのではないだろうか。

  三人めの少年

 それはさておき、おりからそこへ楽屋の連中が、警察の人たちをつれてかえってきた。

「警官、こいつです。こいつらがさわぎの張本人です」

 たぶんそれが楽屋主任なのだろう。タキシードをきた男が、いかりに声をふるわせながらヘンリー松村と万力の鉄を指さした。

 それをきいて警官が、バラバラとふたりのそばへよろうとするのを、

「まア、まア、待ってください」

 と、おしとめたのは金田一耕助。

「この人たちにはこの人たちで、なにかいいぶんがあるにちがいありません。まア、それからきいてやってください。それから、だれか医者を。……この人は死んでいるのではありません。手当をすればたすかります」

 そういう耕助のすがたを見て、

「おや、あなたは金田一さんじゃありませんか」

 と、びっくりしたように、人をかきわけ、まえへ進みでた人物があった。耕助もそのひとを見ると、

「ああ、あなたは|等《と》|々《ど》|力《ろき》|警《けい》|部《ぶ》。それじゃこの事件はあなたのかかりなんですか」

 と、いかにもうれしそうに、モジャモジャ頭をかきまわした。

 等々力警部といえば、警視庁でも腕ききといわれる名警部である。耕助|探《たん》|偵《てい》とはかねてから顔なじみでいままでいっしょに働いたことも、一どや二どではない。そして警部は心の底からこのモジャモジャ頭のへんてこな探偵に敬服しているのである。

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