頭にアッくんの手が乗せられた。
そのまま優しく髪を撫でられて……アタシは不安になりながら、ゆっくり瞼を閉じた。
──結局、この日はDVDを見る雰囲気ではなくなり、少し話をしてからアッくんの家を出た。
……お母さんのクラブが経営難で、麻美チャンのお父さんが銀行の支店長。
本当に皮肉な巡り合わせとしか思えないよ。
麻美チャンからの嫌がらせが治まって嬉しかったのに。
なんでまた、こんなに悩まなきゃいけないの?
赤い糸destiny すごく嫌だけど……何もできないアタシは、無責任に嫌だと言えなかった。
麻美チャンには、二度とアッくんと会ってほしくない。
もうアタシたちに関わらないでほしい。
それなのに……麻美チャンの陰が近づいてくるよ──
「もう嫌っ!」
アタシは現実から目をそむけたくて、頭を左右に振った。
翌朝──
アッくんといつものように駅で別れ、学校に向かって歩いていた。
「ファァ……」
今日何度目かの大きなあくびが出て、片手で口を押さえる。
……昨日はあまり眠れなかった。
これから先……また何かが起きるだろう。
それが怖かった。
「おはよ!」
「──あっ、おはよ」
隣を通り過ぎていく友人たちに挨拶をする。
学校に近づくにつれて、知り合いが増えてきた。
挨拶を交しながら歩いていると……。
「芽衣チャン!」
後ろから声をかけられ、アタシは振り返る。
「──ッ」
そして言葉を失った。
そこには……今、いちばん会いたくない人の姿があった。
赤い糸destiny 罠
「話があって来たの。シカトばっかりして逃げるからっ」
「……ていうか何?」
麻美は鼻先で笑い、小馬鹿にするような目でアタシを見る。
「アツシから聞いた? 融資の話」
そう言うと勝ち誇るように笑った。
嫌味な麻美に、アタシの気分はどんどん悪くなった。
「──だから!?」
「あれ、決定だよ。あたしの親は甘いの。心臓病って嘘にもつき合ってくれてたでしょ? あと……アツシの友だちに聞いたんだけど、芽衣チャンはアツシそっちのけで友だちと遊んでるんだってね。それに何もできないし、本当にアツシが可哀想だねぇー」
麻美の言葉にいら立ち……アタシはグッと手を握り締めてこらえた。
……ゆっくりアッくんに会えなくて寂しい思いをさせてることは、アタシがいちばんよくわかってる。
そこを麻美チャンに突かれるなんて……。
「それだけ!? あと、嫌がらせが酷くなるなら警察行くから」
「また行くんだぁ。……レイプで行った警察署だと恥ずかしくない?」
「──はっ!? な……何言って……」
突然の麻美の言葉。
アタシは、動揺を隠せなかった──
赤い糸destiny ……なんで知っているの?
心臓が激しく動き、血の気も引いていった。
「これは、芽衣チャンの中学時代の同級生から聞いたの。アツシを取られた話をしたら教えてくれたんだ」
「そ……そんなの嘘! アタシ、レイプなんか……」
「その反応で、当たりってわかるよ。レイプされたのに男と寝れるなんて、本当に凄いね。……アツシは知ってる? まぁ、知ってたらそんな女とやらないか」
まるでアタシは……麻美チャンに首ねっこを掴まれた猫のようだった。
弱味を握られて、何も言い返すことができない。
レイプは、3年以上も前のことだけど、記憶の中に残り続けていた。
夜道はやっと歩けるようになったけれど、エレベーターのような密室は、他人と一緒だと恐怖心で体が震えてしまう。
「ねぇ……。アツシと別れて。そしたら融資も頼むし秘密も守るから。──そろそろあたしに返してほしいの」
麻美の言葉は頼みというより、ただの脅迫だった。
これ以上一緒にいると頭がおかしくなりそう──
「もう行くからっ!」
アタシはそう言うと、逃げるように学校へ向かった。
赤い糸destiny アッくんには……絶対に知られたくない。
融資の話もこの話も卑怯だよ。
どうしたらいいの?
同じ女なのに……つらい過去をネタにする麻美チャンが許せない。
出会った当時は優しくて可愛かった麻美チャン。
──でも、今は悪魔にしか見えないよ。
好きって気持ちは、こんなにも人を変えてしまうんだね。
教室に着くと、震える指先で指定拒否にしていた麻美のアドレスを受信に変更した。
これは、寒さからくる震えなんかじゃない。
麻美チャンが怖い。
何をするか本当にわからないよ。
?…?…?…
ビクッ─
急に鳴ったメールの受信音。
おそるおそるメールを開くと……。
〈おはよん! 早起きして暇だぁー。バイト探さないと!優梨の家に行ってくるねっ〉
「良かった……」
それは美亜からのメールだった。
〈アタシも行く!〉
メールを打ち返し、鞄を掴んで教室を出た。
授業なんて受けていられる気分じゃないよ──
赤い糸destiny 優梨の家の扉を開くと、親友が揃って出迎えてくれた。
何も知らないふたりは笑顔を浮かべている。
「いらっしゃい」
「優梨……美亜ぁ……」
この穏やかな空気に…張り詰めた気持ちの糸がゆるんでいった。
「どうしたら……」
「芽衣?」
「……っと。やっと……幸せになれたのに……」
アタシは顔をクシャッと歪めた。
「──ウウッ……」
胸が苦しくなり、込み上げてくる想いに耐えきれなかった。
苦しい気持ちが涙になって頬を伝っていく──
その後、涙ながらに麻美との出来事を話した。
「どうしよう……グスッ」
「……」
バンッ
「ひどいよ! 麻美チャン最低だね!」
美亜はアタシを見つめ、言葉を失っている。
そして優梨は、怒りをぶつけるようにソファーの肘置きを叩いた。
「だってさ、そんなの勝手すぎるよ! あたしから話そうか!?」
「優梨……」
「マジ許せない! 麻美チャンがそこまで堕ちたとは思わなかったよ。レイプをネタにして交換条件出すなんて……」
赤い糸destiny どうしたらいいのかまったくわからなかった。
融資の話……それは、アッくんのお母さんだけの問題じゃない。
アッくんは借金をさせたくないと言っていたけど、お店が潰れるということは収入がなくなってしまうということ。
私立高校に通うアッくんの学費。
食べていくためのお金。
……生きるためには、お金が必要だ。
麻美が頼めば銀行から融資をしてもらえる。
嫌だけど……すごく嫌だけどアッくんのためにはそうするのがいちばんいい──
それに……。
レイプの話は、絶対にアッくんの耳に入れたくなかった。
汚れてしまった体を抱いたと思われるより、綺麗な体を抱いたと思われたい。
もしレイプの話が噂になって学校中に広まったら……アタシは好奇の目で見られるだろう。
昔のようにイジメられてしまうかもしれない。
──こんなにも愛していなかったら、絶対に身を引いていた。
つらすぎる選択……。
簡単に答えなんて出せるわけがない。
「やっぱりあたしから麻美チャンに話すっ! アッくんを紹介したのもあたしだし……」
赤い糸destiny 優梨はそう言いながら携帯を手にした。
アッくんやアタシに対して責任を感じているのだろう。
「ねぇ、気にしないで。こんな状況になるなんて誰も想像できないよ……」
「でも、あたしがふたりを会わせなきゃ──」
「優梨! それは違うって。……ねぇ、どうすればいいか冷静に考えようよ」
ずっと黙っていた美亜が横から口を挟んだ。
「優梨が何か言っても神経を逆撫でするだけじゃない?今は冷静になって様子を見たほうが……」
「その間に何かあったらどうすんの? あたしから話せば、麻美チャンだってわかってくれるかもしれない」
「そうかもしれないけど、わかってくれなくて余計に嫌がらせしたら……」
美亜と優梨の意見が衝突した。
ふたりは意見をぶつけながら最善の方法を探してくれていた。
「ダァ。ウー」
そんな中で、梨夏だけが楽しそうに笑っていた。
そして──
アタシは悩みながら、アッくんにメールを打った。
〈しばらく期末テストの勉強を頑張るから、朝も会えない。ごめんね〉
本当は嘘だけど、こんな状況じゃ会えないよ。
赤い糸destiny すぐにアッくんからメールが返ってきた。
?…?…?…
〈そんなに頑張ってんのか。でも、会えなくなるのは嫌かも……〉
メールを見た瞬間──
嘘をついてしまったことに胸が痛んだ。
……アタシだって会いたい。
だけど、会えないんだ。
〈ごめんねっ。中間が悪かったから、期末も悪いと冬休み中に補習受けなきゃいけないし〉
アタシは嘘に嘘を重ねる。
好きな人を騙すって、すごくつらいことなんだね。
例え、それは仕方のない嘘だとしても……。
──期末テストまでは、あと少ししかない。
そのときに状況が変わっていなかったら、どうしたらいいんだろう。
「ごめん……」
ポツンと呟き、薬指の指輪にそっと触れた──
翌朝、アタシはひとりきりで通学路を歩いていた。
……朝の太陽に照らされてキラキラと輝いていた街並み。
だけど今日は、すべてが色あせていた。
毎朝アッくんと手を繋いでいたから、急に空いてしまった右手が寂しかった。
赤い糸destiny ねぇ……どうしてこんなに寂しいんだろう。
前はずっとひとりで歩いていた道なのに──
足が重くて歩くことすらつらいよ。
一歩踏み出すたびに、アッくんとの想い出が蘇ってしまう。
寂しくて……悲しくて……。
歩みが止まらないように必死で足を動かした。
──学校に着いても、アタシの頭はアッくんのことばかり考え続けてしまう。
考えれば考えるほどつらいってわかるのに、浮かんでは消えるアッくんの笑顔。
そして、不器用なアタシはふたつのことを同時にこなせなくて……勉強の方は散々だった。
テスト勉強を始めないと間に合わない時期なのに、まったく勉強が手につかない。
そんなとき──
〈勉強頑張ってる? 期末が終わったらディズニーランドかシー行こうぜ! オレも頑張るからな〉
アッくんからメールが届いた。
〈頑張ってるよ! 麻美チャンのことはどうなった?〉
教師の目を盗んではメールを打ち返す。
状況の変化があったことを期待しながら……。
〈おふくろがわかってくれなくてさ。本当に店が大事らしいんだよ〉
赤い糸destiny 〈そっか……。何かあったら連絡してねっ〉
かすかな期待は、すぐに打ち砕かれてしまった。
余計につらくなる心。
ディズニーランド……。
いつかアッくんと行きたいと思っていた場所だった。
嬉しい誘いのはずなのに、今のアタシには苦しいだけ。
期末テストが終わるとき──
状況が変わっていなかったら、アタシに選択肢はひとつしかない。
アッくんが好きだから……心から愛しているからこそ、そうしなくてはいけないんだ。
──そして状況は変わらないまま、時だけが無情に流れていった。
期末テストまであと3日。
今日は海斗やほかのクラスメイトたちとテスト勉強をしていた。
「芽衣、数学って得意?」
「今回のテスト範囲はダメだよ。まったくわかんない!」
「そっかぁ……」
テスト勉強は相変わらずはかどっていなかった。
数学だけじゃなくて、今回のテストは全滅してしまいそうな気がする。
「こんな状態でテスト勉強なんてできるわけないよ! もぉ、嫌!」
アタシはペンを置いた。
どうにもならない歯がゆい思いが、いら立ちになって表れる。
赤い糸destiny 「大丈夫か?」
「無理しすぎじゃないの?」
ある程度の事情を知る友だちは次々と言う。
「ごめんね。最近イライラしたりして……。牛乳飲んでカルシウム取らなくちゃ。アハハッ……」
アタシは笑った。
──というより笑ったつもりだった。
しかし、ヒクヒクと口元が引きつってうまく笑えない。
「芽衣、ちょっとこっちに来て」
それに気づいた海斗に連れられ、ふたりでみんなから離れた。
ふたりきりになった途端、口からは次々と本音が溢れてしまった。
「本当に……我慢の限界だよ。不安で毎日苦しいの。期末が終わってもこのままなら会えないじゃん。もう終わりだよ……」
「終わりとか簡単に言うなって! 好きなら諦めるなって言ったのは芽衣だろ!? さっきはみんなの前だったから言えなかったけど……別れようとか考えるくらいなら、過去の話や麻美に言われてる話をアツシに言えよ!──絶対にアツシは理解してくれる。俺だっていろいろあったことも含めて美亜が好きだし、本気で好きなら過去も許せるって思う」
その言葉はアタシの乾いた胸にしみ渡っていった──
赤い糸destiny アタシだって何度もそう考えたことがある。
だけど怖くて……レイプというものが軽い出来事じゃないから言えなかった。
「本当に……話しても理解してくれるかな? みんなもわかってくれると思う? アッくんに会ったことが麻美チャンにばれたら、レイプをみんなにも言いふらされるかもしれないの。みんなは海斗みたいに理解してくれるかな……」
「そんなので偏見持つヤツなんて最初から友だちじゃねーだろ! 大事な友だちだけそばにいればそれでいいじゃん」
「海斗……」
……そうだよね。
悩んでウジウジしても先には進まない。
海斗の言葉は……ずっとアタシが誰かに言ってほしかった言葉のような気がした。
「ありがと……。なんか、勇気出た。──今からアッくんの家に行ってくるっ!」
「おう! 美亜たちにも連絡しとけよ! みんな、心配してんだからさ」
海斗に気持ちを後押しされ、大きくうなずいた。
すぐにみんなの元へ戻ると、アッくんに会うと伝えた。
「頑張れ!」
「会ったら連絡して!」
笑顔で送り出してくれる友だちに手を振り、アッくんの家へと走り出した。
赤い糸destiny 今の決意が変わらないうちに会いたい。
もっと……もっと早く決断できれば良かった。
別れ以外にもこの選択肢があったのに、嫌われたくないアタシは怖くて消していた。
このことで融資がなくなったらどうしよう……。
それを考えると今も不安になる。
──だけどそうなったら、アタシは麻美に何度でも頭を下げて頼みに行きたい。
どうにもならなくて最後に身を引くことになったとしても、今逃げるよりはマシだよね?
?~?~?~
タイミングが良いのか悪いのか……麻美からの電話が鳴った。
毎日、麻美からは早く別れてという電話がかかってきている。
「ハァハァ……な……何?」
「諦める決意はできたのぉ? そうだったら融資進めるけど」
「アタシ……今からアッくんに会いにいくからっ!」
アタシは叫ぶように言うと電話を切った。
はやる気持ちを抑え、駅までの道をひたすら走る──
地元に着くと、駅からアッくんの家まではバスで向かった。
流れていく景色を眺め、伝えなくてはいけない想いを言葉に変換していく。
赤い糸destiny 次は…五丁目交差点前~…
車内アナウンスが流れるとアタシはチャイムを鳴らした。
バス停はアッくんのマンションから離れていて、マンションを通り過ぎてしばらく行ったところにある。
しばらくすると……アッくんのマンションが遠くから見えてきた。
「──ッ!」
思わず口を押さえる。
アタシの視線の先には、エントランスに入っていく制服姿の女の子の姿があった。
その制服は麻美の高校の制服。
顔は見えなかったが、きっと麻美だろう。
……何しに来たの?
早くバス停に着いて!
──しかし、アタシの思いは届かずにバスは赤信号に引っ掛かってしまった。
この間にも麻美チャンがアッくんに接近してる……。
そう思うと、何もできない状況がもどかしくて焦ってしまう。
バクバクと胸が嫌な音を立て始めた。
アタシは、いても立ってもいられずにアッくんへ電話をかけた。
プルルルル……プルルルル……
携帯を持つ手のひらが冷や汗でしめってくる。
お願いだから出て……。
鳴り続ける着信音に不安が募っていった。
赤い糸destiny ──バスが停留所に着くと、マンションへ向かって走り出した。
「すいません!! ごめんなさいっ!!」
そう叫び、道行く人を次々と掻き別ける。
アッくんの元へ……1秒でも早く着きたい。
次第に呼吸が荒くなり、胸は締めつけられるように痛くなった。
それでも足だけは前へ前へと動き続ける──
「ハァ……ハァ……ッ……ハァハァ……」
マンションの前に着くと、そこには誰もいなかった。
もちろん、オートロックの扉は固く閉ざされている。
しばらく悩んだ後──
アタシはまわりを見渡し、廊下の脇にあるフェンスを乗り越えた。
みっともなくてもいい。
それより早く行かなくちゃ……。
マンション内への侵入が成功すると、次は目の前にあった階段をひたすら駆け上がる。
体は疲れきり、油断すると今にも倒れてしまいそうだ。
あと1フロア……。
そう思ったときだった。
「……た! ……から………」
「………よ。……は……だな」
「……」
上の階から、アッくんと麻美らしき男女の声が聞こえた。
赤い糸destiny ──その声に、アタシの足はピタッと止まる。
耳を澄ますと会話の内容も聞こえてきた。
「気をつけろよ」
「……うん」
「またな」
耳に届いてきたのは……。
信じられないようなふたりの会話。
……どうして?
なんで麻美チャンと?
今、なんて言ったの?
──すぐに駆け出してふたりのところへ行きたかった。
だけど……足が震えて動かない。
そればかりではなく、思わず隠れるようにしゃがみ込んでいだ。
聞いてはいけないモノを聞いてしまった……。
そんな気がして頭の中が混乱する。
目の前が暗くなって、意識が遠のいてしまいそうだった。
ふたりの声が聞こえなくなると、アタシは足音を立てないように階段を降りた。
……これは何だったんだろう。
アッくんは麻美に会わないと言っていた。
でも……今のは何?
もしかして、二股?
……ううん。
それは絶対にない。
アッくんを疑うなんて、アタシどうかしてるよ。
──だけど頭の中では、嫌な妄想ばかりが浮かんでは消えていく。
?~?~?~
1階まで降りると携帯が鳴った。
赤い糸destiny 携帯は……アッくんの名前を表示している。
「……はい」
「勉強はどう?」
「……まぁまぁ……あ……あの、今はアッくん何してるの?」
「今? これから家に……うん、家に帰るところ」
──えっ?
これから帰るって……。
ねぇ……嘘……ついた?
「……あれ? 聞こえる? もしもし? 芽衣?」
「……き……聞こえる?」
聞こえているのかな?
アタシの耳、おかしいのかな?
──思考回路がプツンと切れてしまったようだった。
切れるとか……泣くとか……。
アタシは何も考えれない。
そして……。
「アハハッ。アハハハハッ」
なぜか口からは、乾いた笑い声が溢れた。
「……どうした?」
「アハハッ……」
「芽衣?」
人間はショックや怒りを通りこすと、笑いが出ると聞いたことがある。
心は冷めたまま、アタシは喉で笑っていた。
「芽衣……。笑ってないで話せよ」
「……ねぇ。何……してんの?」
「えっ?」
言葉を発した瞬間──
グッと胸が詰まって、頬に涙が流れた。
赤い糸destiny この涙は……なんの涙?
ただ、胸が痛かった。
アタシはゆっくりと歩いてマンションを出た。
「なぁ、芽衣? ……聞いてるのか?」
携帯からは、アッくんの声が聞こえ続けていた。
──今、口を開いたらアッくんに泣き叫んでしまいそう。
そんな姿は見せたくなかった。
アッくんに醜い姿を見せたくない……。
こんなときにかっこつけても仕方ないのにね──
すると、マンションの向かいの歩道から笑顔の麻美が現れた。
アタシは、とっさに制服の袖で涙を拭う。
「麻美チャン……」
「芽衣!? 麻美って……まさか──」
電話の先で、焦ったようなアッくんの声がした。
直後に上の方から窓を開けるような音がして、アタシはマンションに顔を向けた。
予想通り、窓から顔を出すアッくんと視線がぶつかった。
「なんだぁ……。アツシと電話中?」
「……何?」
「泣いてんの?」
「泣いてないよ!」
麻美の顔が本当に憎たらしくて……。
気丈に振る舞いながら、アタシは込み上げる怒りを抑えた。
赤い糸destiny 「アツシに会ったら楽しかったよ」
「──は? 勝手に押しかけないで」
「押しかける? そんな風に見えた? あたしたちが仲良かったところを見たでしょ。今のアツシみたいに外を見て、タイミング合わせて家を出たんだから。……早く別れてね! あたしとアツシはまたうまくやっていけるだろうし。このままじゃ秘密ばらして融資もなしだよ」
こいつは……本当に最低な女だ。
ただのストーカーのような女じゃない。
頭がいかれてるとしか思えなかった。
──アタシは怒りで体を震わせながら、道を渡って麻美の方へ行った。
「秘密なんか……アタシはアッくんに秘密なんかない。言ってもいいよ」
「へぇ~。じゃあ、大声で言っちゃおうか? レイプされたのに男と平気で寝れる女だって」
「……い……言えば? ストーカーみたいなことする卑怯な女に言われたって平気だから! 可哀想な人だね!そんなことでしか人の気持ちを繋ぎ止められないなんてさ!! 本当に可哀想!!」
売り言葉に買い言葉。
アタシは今まで溜め込んでいた感情を麻美にぶつけた。
「──はっ?! アンタが取ったくせに!」
「逆恨み!?」
赤い糸destiny 「違う! アンタは前にアツシを諦めるって言ったのに取ったじゃん!!」
「だから諦めようとして会ってなかったでしょ!? ──それでもアタシとアッくんは気持ちが止まらなかった!つき合ってたって言っても、アンタの場合は嘘ついて繋ぎ止めてただけで今のうちらとは違うっ!! だからアンタはアッくんにも友だちにも愛されないんじゃない!?」
「──ッ」
麻美の顔が一瞬真顔になった。
そして、すぐに言葉を詰まらせ……とても悲しい顔をした。
「あっ……」
その姿を見て、言ってはいけない言葉を言ってしまった気がした。
愛されていることを盾にして、アタシはいちばんつらい部分を刺してしまったのかも……。
──そう思ったとき
「ふたりともやめろ!!」
険しい顔のアッくんがマンションから出てきた。
「アツシ!」
麻美は顔を歪めて泣きそうな表情をし、道の向こう側にいるアッくんに向かって走り出した。
──アッくんのところへ行かないでっ!!
声にならない叫びをあげ、アタシも麻美を追って車道に飛び出す。
赤い糸destiny 涙
麻美がアッくんの目の前で両手を広げると──
「──芽衣!! 危ないっ!!」
アッくんはその手を振り払い、叫びながらアタシに向かって走ってきた。
ププププゥ─ッ!!
キキキィ──
それと同時に、左側から激しいクラクションの音とブレーキの音がした。
「え?」
反射的に音のほうを見ると、目の前に近づいてくる赤い車があった。
「──ッ!!」
すごい形相をしている若い運転手と目が合った。
足がすくんで、逃げなきゃいけないってわかるのに動けない。
目に映る景色がスローモーションの映像のようにゆっくりと流れた──
アッくんが近づいて、車が近づいて……。
アタシはあまりの恐怖に身を縮めてギュッと瞼を閉じた。
その直後──
暗闇の中で、力強い腕にアタシの背中は突き飛ばされた。
一瞬だけ両足が宙に浮き……前のめりになって、そのまま勢いよくアスファルトの地面に叩きつけられた。
ドンッ!!
「うっ……」
「だ……大丈夫ですか!? よそ見をして……」
赤い糸destiny 鈍い音の後、車から運転手が降りてきた。
「痛っ……」
アタシは瞼を開き、痛みを耐えながら体を起こす。
そして、ゆっくりとまわりを見渡した。
──街路樹にぶつかって止まっている赤い車。
目を見開き、歩道で呆然と立ち尽くす麻美。
「大丈夫ですか!?」
声がした方を見ると、運転手が車道の真ん中でしゃがみ込んでいた。
その奥には──
うつ伏せでぐったりと倒れているアッくんの姿がある。
「──えっ?」
何が起きたのか、まったくわからない。
よく状況が飲み込めなかった。
たしか、アタシは麻美を追って道路に飛び出して……。
そしたら左側から赤い車がきて、ひかれるって思ったとき、背中を押されて……ッ!
押したのは!?
「……キャァ──ッ!! 嫌ぁ! 嫌ぁーーっ!!」
何が起きたか理解した瞬間、アタシは無意識に悲鳴を上げていた。
アッくんは、アタシを助けて車に!?
──頭の中が真っ白になる。
「アッくん!!」
赤い糸destiny 慌てて駆け寄ろうとしたとき──
「キャァ……」
右の足首がグニャッと曲がり、立ち上がれずに転んでしまった。
「痛っ……アッくん!! ねぇ……アッくんっ!!」
アタシは座り込んだまま、狂ったように叫ぶ。
よつん這いになってアッくんの元へと急いだ。
「アッくん!! アッくん!! ──ねぇ! 大丈夫!? 大丈夫なのっ!?」
「本当に申し訳ありません!! 私の前方不注意で──」
深く頭を下げる運転手。
……だけどその姿はアタシの視界に入らない。
「アッくん……アッくん、聞こえる? ねぇ──」
アッくんの横に座り込み、肩を軽く叩いてみた。
トン……トントン……
「ねぇ……起きて? 起きてよ……。ねぇ!! アッくんっ!! 嫌ぁ……──誰かっ!! 誰か早く助けてっ!!!」
……何度呼んでもアッくんからはなんの返答もなかった。
まわりが騒がしくなり、ふたりを囲むように人が集まってくる。
「大丈夫ですか?」
「お姉ちゃんも怪我してるみたいだけど……」
「救急車は!?」
赤い糸destiny アタシはアッくんに声をかけ続けた。
「──ねぇ! アッくん……早く起きてよ!! 嫌だっ……ねぇ、嫌だっ──」
頭からスウッと血の気が引いていく。
嫌な予感がして、力を込めてアッくんの腕を揺さぶった。
だけど、腕はなんの抵抗もなくブラブラと揺れるだけ。
「──ッ嫌っ……アッくん! アッくんっ──」
アタシは頭が狂ったようにアッくんの名前を叫び続けた。
さらに強くアッくんの体を揺さぶる。
「揺すったらダメだ! 救急車が来るから!」
「嫌ぁ! ──ウウッ……アッくん! アアアッ!!」
「冷静になりなさい! 大丈夫だ!!」
──アタシは、近くにいた人たちによって無理やりアッくんから引き離された。
「嫌ぁっ!! ──離してぇっ!! アアアッ──アッくん! アッくんっ!!」
涙をボロボロと流し、押さえられた腕を振り払うように暴れ続けた。
「アッくん!! ……アッくん!! ──ねぇ! 目を覚ましてよ! ディズニーランドに行くんでしょ!? ずっと一緒でしょ!? ウウッ──は……早く起きてっ!」
パニック状態に陥ったアタシは、冷静になんかなれなかった。
声を枯らし、ひたすらアッくんに泣き叫ぶ。
アッくんが……動かないよぉ。
こんなに呼んでいるのに。
早く起きて?
赤い糸destiny ねぇ……笑って?
道路に飛び出したのはアタシなのに、アッくんが動かない。
アタシが悪いのに、アタシだけが動いてる。
アタシたちは……これから幸せになるんだから、早く起きて──
今までいっぱいつらいことがあったじゃん。
これからふたりで幸せになるじゃないの?
アッくん、お願いだから目を覚まして……。
そう願ったとき──
ピクッとアッくんの体が動いた気がした。
「──ッ!! アッくん!?」
一瞬、胸が詰まり、息ができなくなる。
アタシを押さえつけるみんなの腕からも、力が抜けていった。
「今……」
「お姉ちゃん……動いたよな?」
半信半疑のまま、這うようにアッくんの元へ行って問いかける。
「ね……ねぇ……アッくん?」
赤い糸destiny そして、アッくんの手のひらを両手で包み込む。
「ねぇ……わかる?」
すると──
アッくんの手には弱々しいけど反応があった。
嬉しくて、さっきまでとは違うあたたかい涙が頬を伝っていった。
「……ってぇ。芽衣……無事か?」
「……ウウッ。よかっ……良かった……。生きてたぁ」
「勝手……に……殺すなって──でも、死ぬかとマジで思っ……って」
アッくんはそう言いながら、ゆっくりと体を起こそうとする。
「無理しちゃダメっ……」
アタシは慌ててアッくんを支えた。
そして、気持ちがこらえきれずにアッくんを抱き締めた。
「芽衣……顔……怪我してるぞ? ……足も怪我してる。──ッ……体、マジで痛ぇ……。アハハッ……」
「アハハじゃないっ……グスッ……ごめん……ごめんねっ。アタシのせいで──」
「車道に飛び出すなってさぁ……小さいときに教わっただろ? 馬鹿……」
アッくんはアタシに支えられながらも、ゆっくりと髪を撫でてくれた。
そして……ニコッと傷だらけの顔で笑っていた。
赤い糸destiny ──すぐに救急車が到着し、みんなに礼を言ってから病院に向かった。
「オレは……芽衣を置いて死なないからな……。だから……痛っ──も、もう泣くな」