窓の外をボーッと見つめるアッくんの斜め横顔も、心なしか晴れやかに感じた。
今、アッくんの瞳には、何が映っているんだろう?
そんなことを考えながら、そっとアッくんの手を握る。
アッくんは無言のまま握り返してくれた。
アタシの手は、スッポリとアッくんの手の中に包まれる。
優しくてあたたかい、アッくんの手……。
彼女としてこの手を握れるのは、これが最後かもしれない……。
入籍は仲がいい両親にあやかって、来週の両親の結婚記念日にしようと思っているけど、式を挙げたら実質は夫婦だよね。
そう思うと、少し名残惜しい気持ちもわいてきて、タクシーを降りるまで一度も手を離せなかった。
――結婚式場に着くと、アタシたちは別々の控室に通され、式に向けた用意を始めることになった。
アッくんと離れてひとりになると、とてつもない緊張感が襲ってきた。
これは今まで体験したことがない種類の緊張で、なんとも例えられないモノだった。
これからアタシはお嫁に行くんだ……という実感がわいてくる。
今までリハーサルで何度も来てる会場、何度も見た控室なのに、まるで初めて来た場所のような錯覚を覚えた。
控室の隅にかけられている純白のドレスも、今まで見てきたドレスと同じには見えない。
とても神聖で、美しくて……。
目を奪われたアタシは、ドレスの前から離れられなくなってしまった。
式場の係員が控え室に来て簡単な説明を受け、七五三以来のヘアメイクをしてもらった。
ゆるいカールがかかったアップスタイルに、淡いピンクが印象的なやわらかい化粧。
そして、アタシは最後に真っ白なドレスを身にまとった。
食欲が落ちて痩せていたころに合わせたせいで、少しお腹周りがキツイような気もするけれど、全身鏡の前に立つと、そんなことは気にならなくなってしまった。
「すごい……。採寸で何度か着たのに、初めて着たような新鮮な気持ちになりますね」
全身鏡に映る花嫁姿を見ていると、自分が自分じゃないように見えてくる。
カタログの1ページのようだった。
こんなに綺麗な格好をして人前に出るのは初めてだから、別人のような自分に恥ずかしくもなってしまった。
体を斜めにしたり、後ろを向いて振り返ったりしながら、全身をチェックして少しずつ花嫁の自分に慣れていく……。
「そうですか。とてもお綺麗ですよ。今日は素敵な時間を過ごしてください」
式場の人の微笑みにつられてアタシも微笑むと、廊下から聞きなれた話し声が聞こえてきた。
「芽衣、入るわよ」
控室のドアが開き、お母さんとお姉ちゃんが隙間から顔を出した。
「わぁ……綺麗よっ」
「芽衣おめでとう!」
ふたりはアタシに駆け寄りながら、お祝いの言葉をくれた。
お母さんは挨拶もそこそこに目をうるませ、アタシの手をとって泣き出しそうになっている。
その涙を見ていると、アタシまで泣きたくなった。
嬉しいんだけど寂しくて、お嫁に行きたいのに、ずっとお母さんの子でいたくなる。
「寂しくなっちゃうわね……」
そう漏らしたお母さんの想いは、アタシと同じだった。
いつまでもアタシはお母さんの子供だと思ってるけど、結婚したら籍を抜けて、戸籍上は西野家の子になる。
それがどういうモノなのか、今になってよくわかった。
幸せだけど、正直、ちょっと寂しいものなんだなって。
でも、もちろんお母さんもアタシも、結婚するという幸せの方が何倍も大きくて……。
すぐに涙は止まり、女3人で笑い合い、大騒ぎをした。
何枚も写真を撮り、頬を寄せ、昔話に花を咲かせた。
赤い糸precious アタシはみんなに祝福され、
今日からアッくんの妻になるんだね。
無事に今日という日を迎えられて良かった。
少し時間が経つと、花嫁姿の自分にも慣れてきた。
それにつれて、花嫁になる実感もわいてくる。
心の中から緊張は消え始め、その後にはくすぐったいような幸福感が残っていた。
鏡に映るアタシの顔は、自分でも見たこともないくらいに幸せそうだった。
「芽衣~」
挙式の時間が近くなると、ほかの人達も控室を訪ねてくれた。
親戚、優梨、ナツ、美亜、沙良、悠哉たち一家……。
そして、アッくんのお母さんの夏実サン。
「芽衣ちゃん綺麗よ。この姿をマチ子にも見せてあげたかったわ……。きっと今ごろ、天国から見てるでしょうね。喜んでいるはずよ。……そうそう、春夫に写メール送りたいのよ。撮ってもいいかしら?」
「もちろんです。こちらこそお願いします」
アタシは腰かけていた椅子から立ち上がり、ドレスの裾を丁寧に伸ばした。
父に向けて、とびきりの笑顔をしてカメラのレンズを見つめる。
――今日、
産みの父は来ない。
式を挙げると決めたとき、父と兄を呼んでいいものか、すごく悩んだんだ。
式にはもちろん、アッくん側の招待客がいるし、アタシの身の上を知らない従姉妹や、今の両親の友人も来る。
アタシは産みの家族にもいてほしかったけど、それが世間的に難しいことだともわかった。
……何より、今まで育ててくれた両親はどう思うだろう。
すごく複雑な気持ちになるんじゃないかな……。
そう思うと、どちらの選択も決心できなかったんだ。
一応、父宛の招待状は作ったけれど、出せないまま。
そんなとき、父が言ってくれた。
「父親がふたりいるのはおかしいだろ。芽衣は今のご両親とアツシくんと新しいスタートを切りなさい」
って。
何も言ってなかったのに、悩んでいる心のうちを見抜かれていたようだった。
父にその言葉を言わせてしまったことは、本当に申し訳なく思ったし、花嫁姿は父にも見せたかったんだ。
でも、こればかりは今の両親の気持ちや状況を考えると、なんにも言えなかった。
「間もなくお式が始まります。親族やご友人の方々はチャペルの方へご移動をお願いします。チャペルはこちらから出まして、右手の方に……」
みんなは係員の案内を聞くと、アタシにひと声ずつかけながら、控室から出ていった。
赤い糸precious 騒がしかった室内は、一気に静けさを取り戻す。
係員と最終打ち合わせをしながらも、アタシは鏡の前に移動して、化粧を念入りに直した。
……もうすぐ、式が始まる。
小さなころから夢見てた、一世一代の晴れ舞台が、幕を開けるんだ。
「失礼します!」
グロスを塗り直していると、控室に式場の人が数人入ってきた。
そして、室内にいた係員になにやら耳打ちをしている。
すぐに係員はアタシの方に向き直り、少し困ったように口を開いた。
「あの……、お父様はもういらっしゃいましたか?」
「実はまだ来ていないみたいなんです……。すいません。母の話だと、そろそろ来ると思うんですが」
係員はホッとした表情を浮かべ、式場の人も安心したように控室から出ていった。
アタシは恥ずかしくなり、謝りながら頭を下げる。
――お母さんの話によると、お父さんは朝早くに家を出ていったらしい。
「芽衣の式には直接行くから先に行く」と言い残して。
それなのに、今もお父さんは式場に着いていなかった。
いつも時間にはうるさいお父さんが、こんなときに限って大遅刻するなんて、思ってもみなかったよ。
「じゃあ、もう少し待ってみましょう」
「すいません……」
お父さんはどこに行っちゃったんだろ。
遅刻しないでねって、昨日も電話で伝えたのにな。
万が一、お父さんが来る前に式が始まったら……。
バージンロードをひとりで歩くの?
最悪な事態が頭をよぎり、アタシの心は急にソワソワし始めた。
「大丈夫ですよ。きっとすぐいらっしゃいますからね。
幸せなお式のことだけ考えましょう」
なぐさめのような係員の言葉は、右から左へと流れていく。
……最悪の予感は、時間が経つにつれて、現実となりかけてきた。
挙式の15分前になっても、お父さんの姿はどこにも見当たらなかった。
今日、お父さんは携帯電話を忘れて出てしまったらしく、連絡もつかなければ、居場所もまったくわからない。
手が空いている式場の人はみな、協力してお父さんを探し始めてくれた。
式場内、そして、周囲の道路や駐車場……。
「お父さん、早く来て――」
アタシは祈るように呟き、両手で携帯電話を握り締めた。
「もうお時間がほとんどありませんよ。誰か、お父様の代わりにバージンロードをご一緒に歩いてくださる方はいらっしゃいませんか? 念の為にお声をかけておいた方が……」
ついに、係員が気まずそうに口を開いた。
「どうしましょ……」
急きょ、チャペルから引き返してきたお母さんは、焦りながら控室の中をウロウロしていた。
さっきまでほんのりと、薄紅色だった頬も、今は青ざめているように見える。
アタシは混乱していく控室の中、
何もできずにお父さんの到着を待つしかなかった。
赤い糸precious 「もうお時間が――」
時計を見ながら、申し訳なさそうに係員が言った。
すでに開始予定時刻を3分過ぎている。
引き延ばすのにも限界があるだろう。
お父さんがいないんじゃ、もう挙式どころではない。
「お父さんは何してるのかしらっ……。
昨日、芽衣を嫁に出したくないから行かないって、お酒を飲みながら騒いでたのよ。
もしかして、このまま本当に来ないつもりじゃ……」
「ええっ……
嘘でしょ!?
どうしよう」
「よく、テレビドラマで見るじゃないの。こういうシーン……。お父さんがこんなことになるなんて。
もぉ、あの人ったら信じられないわ!!」
お母さんは心配を通り越したのか、ついに怒り始めてしまった。
お父さんは来ないまま、確実に時間だけが過ぎていく。
このままじゃ、お父さんが来る前に式が始まっちゃうよ。
どこにいるかわかんないけど、とにかく早く来て!
……まさか、不慮の事故に巻き込まれてしまったとか!?
来たくても来れないって可能性もあるよね?
そうだったら、どうしよう……。
どちらにしろ、こんな状況でお嫁になんて行けないよ。
「お母さん、どうしたらいいんだろ……。
お父さんは何を――」
ガチャ
「遅くなってすまん!
芽衣、ごめんな!!」
「――お父さん!!
今までずっと、どこに行ってたの!?
ずっと心配してたんだからねっ……」
控室のドアが開き、隙間からは待ちわびていたお父さんが顔を出した。
よほど急いで来たのか、息を切らし、髪型も乱れていた。
額には、うっすらと汗さえも浮かばせている。
「あなた!!
私たちがどれだけ――」
「すまん!
芽衣に会ってほしい人がいて、連れてきたんだよ」
「だからってこんなギリギリの時間まで――」
「本当にすまん!
……あ、ここが控室です。
どうぞ」
ヒステリックに叫ぶお母さんの会話をかわし、お父さんは廊下にいる誰かに声をかけた。
赤い糸precious 控室にいたみんなが、一斉に廊下に視線を向ける。
すると――
「芽衣……。来てしまったよ」
申し訳なさそうな声がして、ドアが大きく開いた。
「――えっ!?」
ドアの向こうに見えたのは、紛れもなく産みの父の姿だった。
その目には、涙がキラキラと光っている。
「さあ、見てやってください」
「ありがとうございます……」
父は、お父さんに優しく背中を押され、涙を流しながら控室に入ってきた。
「私が無理矢理連れてきたんだ。
芽衣の花嫁姿を見てもらいたくてな……。
母さん、ちょっとこっちに来てくれ」
お父さんはお母さんを呼び、ふたりで廊下に出ていった。
式場の人達も気を利かせてくれたのか、係員だけを残して外に出ていく。
お父さんの背中を見送りながら、アタシの胸はいっぱいになってしまった。
そして、控室の中は、アタシと産みの父と係員の3人だけになった。
「芽衣……。
綺麗だな」
父はアタシを見つめ、感嘆の声を漏らした。
嬉しさと照れ臭さが入り混じり、思わず顔が赤くなってしまう。
「来てくれたんだね
……ありがと」
「お父さんが迎えに来てくれて……
思わず来てしまったよ。
来てはいけないと思っていたんだが――」
そう言うと、父は恥ずかしそうに額の汗と涙を拭った。
部屋着のままだし、髪もお父さん以上にボサボサの父。
用意する時間も惜しんで、急いで来てくれたんだね――。
「芽衣の今のお父さんは、本当に素敵な人だな。
私に、こ……こんな――」
そこまで言うと、父は言葉を詰まらせた。
込み上げる感情に耐えるよう、グッと口をつぐんでいる。
涙だけが
ボロボロと頬を伝っていた。
赤い糸precious このとき、
アタシたちの間には言葉なんていらなかった。
「お父さん――」
アタシは父に駆け寄り、その体をギュッと抱き締めた。
「め、芽衣――」
「お父さん……
ウ……ウウッ……
お父さん――」
伝えたい想いや言葉はいっぱいあるはずなのに……。
「お父さん――」
「芽衣っ」
強く抱き締め合い、名前を呼ぶことしかできなかった。
だけど、
お互いの体を通し、強い想いは通じ合っていたような気がする。
アタシは、どうしても伝えなくてはいけない気持ちをひとつだけ、胸の奥から絞り出した。
「お、お父さん……
グスッ……ありがとう。
――天国のお母さん……
アタシを……う、産んでくれてありがとぉ……」
父の背中がカタカタと震え、押し殺すような嗚咽が降ってきた。
……父と母が出会わなかったら、アタシは今ここにいないんだ。
この世に生を受けることもなく、今の両親や友達と出会うこともなかった。
もちろん……。
アッくんと結ばれることもなかったんだよね。
「私は……
本当に父親失格な男なのに――」
「ち、違っ……」
赤い糸precious 父親失格とか
そんなモノじゃないんだよ。
そんなモノ、後からついてくるモノ。
芽衣という、ひとりの人間をこの世に産み落としてくれた。
それだけで、
今のアタシには充分なんだ。
「あの……そろそろお式の方に……」
申し訳なさそうに口を開いた係員の声に、アタシたちは我に返ってパッと体を離した。
なんとなく恥ずかしくなってしまい、父から目をそらしてティッシュを目元に当てる。
父も同じ気持ちなのか、下を向いて服の袖で涙を拭っていた。
「やばいっ……
化粧が崩れちゃった、アハハッ。
……お父さんは、この後式に出てくれるの?」
「私はもう行くよ。
幸せに……
芽衣は私たち夫婦の分も、アツシくんと幸せになるんだよ」
「うん、わかった――」
名残惜しそうに何度も振り返りながら控室を出ていく父の背中を見送り、アタシは溢れ落ちる涙を拭い続けた。
そして、
少し気持ちが落ち着いて涙が止まると簡単に化粧を直し、父と入れ替わりに控室へ入ってきたお父さんの腕を取って、チャペルへと向かったんだ。
「お父さん、
ありがとう」
「芽衣にとって春夫さんも父親だからな。
同じ父親として、私は春夫さんにも芽衣の姿を見てほしかったんだ」
ギィ――
チャペルの前に着くと、ゆっくりと扉が開いた。
同時に、パイプオルガンの心地よい音楽があたりに響き渡る。
正面に見えたのは、十字架と、聖母マリアの像。
そして、白いバージンロードの先には、シルバーのモーニングに身を包んだアッくんが笑顔で立っていた。
初めて見た花婿姿に目が奪われ、胸がときめいてしまった。
赤い糸precious 「行くぞ」
「はいっ……」
アタシはアッくんと新しい1歩を踏み出すため、
ゆっくりとバージンロードを歩き始めた。
1歩1歩進むたび――
過去の記憶が蘇っていく。
アタシをここまで育て上げてくれた大切な両親。
怒ると怖いけど、芯が強くて誰より優しい、大好きなお姉ちゃん。
お姉ちゃんの隣に座り、笑顔でアタシを見つめる悠哉。
小さいころからいろいろ良くしてくれた、悠哉のママとパパ。
いつも一緒だった、親友の優梨と美亜。
なんでも話せた、男友達の海斗。
そして、
今までお世話になった親戚や友達。
ここにいるみんなとは、
楽しいことも、つらいことも、
たくさんの想い出があるよ――
切なくなって、隣を歩くお父さんの横顔を見ると、お父さんの目はジッと前を向いていた。
……今、何を考えているんだろう。
お父さんの瞳は、何を見ているんだろう。
小さいころから、
お父さんとお母さんとお姉ちゃんはアタシのそばにいた。
当たり前のように一緒に過ごしてきたけれど、
今日からは違うんだよね。
みんなは家族じゃなくなってしまう。
アタシはお嫁に行くんだ。
来週には戸籍からも抜けて、姓も西野になる。
お父さん……。
この優しい手を、離さなきゃいけないときが来たんだね。
赤い糸precious 険悪な時期もあった。
恨んで避けて、他人だと思い込もうとしたこともあった。
あのときは、お父さんに送り出してもらえるなんて、考えもしなかったよ。
でもね、
だからこそ、深い絆を築いてこれたんだと思う。
うわべだけじゃなく、心からの繋がりを持つことができたんだ。
――幸せです。
アタシ、本当に幸せです。
お父さんとお母さんの子になれて、お姉ちゃんの妹になれて、本当に、本当に幸せなの。
アッくんに近づくにつれ、お父さんの腕から手を離したくなくなるよ。
アッくんに近づくということは、お父さんから離れていくということだから。
この腕を離したら……
もう、戻れない。
ねえ、寂しいよ。
アタシの足はどんどん重くなっていった。
あと4歩……。
あと3歩……。
スローモーションのように、ゆっくりと時が流れていく。
あと2歩――
「……行きなさい。
アツシくん、娘をよろしくお願いします」
「――ッ」
引き止める間もなく、
お父さんの腕が
スッと離れていく。
代わりに、アタシの腕をアッくんが取ってくれた。
アタシはアッくんに身を任せ、涙目で微笑んだ。
その後、アタシたちは嘘偽りのない永遠の愛を神に誓い、キスを交わした。
神様と大好きなみんなに見守られる中で、ふたりの新しい一歩が始まっていった。
赤い糸precious 結婚初夜
式の後――
アタシは淡いピンクのパーティードレスに着替え、
アッくんはスーツ姿になった。
そして、会場内のレストランへと急いだ。
お金さえ余裕があれば、雑誌に載っているようなお洒落な披露宴をしたかったんだけど、ふたりの預金を考えたら食事会で精いっぱい。
美亜が上司に頼んでくれたおかげで、
予算をギリギリまで抑えた、披露宴風にアレンジした食事会をレストランで行うことになったんだ。
内輪だけの小さな会だけれど、
始まってみたら、予想以上に素敵な会だった。
司会経験のある親戚が進行をしてくれたり、
梨夏タンと優梨が歌ってくれたり、
アッくんの友達が、サプライズで用意してくれたメッセージビデオが大型スクリーンで流れたり……。
心のこもった、
世界一の披露宴だった。
みんなの気持ちが嬉しくて、
涙がボロボロ止まらない。
せっかくの美味しそうな料理も、
味がまったくわからなかった。
アタシは隣に座るアッくんの手を、テーブルの下でこっそり握りながら、涙を流し続けていた。
今日は涙が枯れる暇がなく、
すでに目元が腫れ始めている。
化粧も、直しても直しても崩れる一方だった。
そして、
食事会も終わりに近づいたころ、
アタシは涙で頬をぬらしたまま、
両親のもとへと歩み寄った。
アッくんも席を立ち、夏実サンのもとへ行く。
ふたりとも、
後ろに回した手に小さな箱を隠しながら。
何も気づかないお母さんは、
赤く泣き腫らした目元を垂らして微笑んでいた。
お父さんも軽く笑みを浮かべたけれど、
すぐに何かを感じ取ったのか、ハッとした顔をしてから目を伏せた。
「ね……ねぇ、
お父さ……お父さん、おかっ、お母さん――
グスッ」
言いたいこと、
伝えたい想いはたくさんあるのに、
言葉にならない。
頭の中で、小さなころからの愛しい家族の思い出が、グルグルと回っている。
胸が詰まって、息さえ上手くできない……。
痙攣したように、小刻みに震える唇からは、むせび泣くような声しか出てこなかった。
アタシは、後ろ手に隠していた箱を、
そっと両親に手渡した。
「あっ……ありがと――」
両親はアタシに歩み寄ってきて、
何も言わずに抱き締めてくれた。
――今渡した小箱の中には、
両親への想いが詰まった手紙とプレゼントが入っている。
何十回も書き直し、
泣きながら書き上げた手紙と、
手作りのシルバーアクセサリーだ。
今、言葉にして想いを伝えられないのは残念だけど、落ち着いたらちゃんと両親には伝えたいな。
泣いてばかりだった食事会が終わると、アタシとアッくんは2次会会場となるノブさんの店へ向かった。
「おめでとー!!」
お店に着くと、みんなのあたたかい祝福の声が降り注がれた。
「芽衣!
さっきはめっちゃ感動しちゃったよー」
優梨は目に涙を浮かべて笑っている。
「早く子供つくれよ!」
ナツくんはそう言って、アッくんの肩を叩いた。
「あたしも結婚したくなってきたよ。
遅くなったけど、ブーケありがとね!」
小さなブーケを手にして笑う美亜。
アタシの投げたブーケは、ピタッと美亜の手の中におさまっていったんだ。
「社員なのに取っちゃって……」
と、式場の人たちに笑われながらも、美亜は片時もブーケを手放さなかった。
……次は美亜の番かな?
「みんな、ありがとう!」
「ありがとなっ!」
アタシはアッくんと手を繋ぎ、
式に来れなかったみんなにも、笑顔で喜びを伝える。
そのとき――
「芽衣ちゃん宛に電報来てるぞ」
厨房の方から、ノブさんが可愛いマスコットの筒に入った電報を持ってきてくれた。
「誰からだろ?」
「さぁ……」
結婚することを伝えた友人たちは、みんなここに集まっている。
アタシは不思議に思いながら、筒の中にある電報を取り出した。
赤い糸precious 『いろいろ嫌な思いをさせてごめんなさい。
素直に幸せになってとは言えないけど……。
あたしも幸せになります』
差し出し人の名前がない電報。
だけど……、
文面から誰が送ってくれたのかわかった気がした。
「麻美チャン……」
きっとそうだよね。
麻美チャンとは、長い間の確執があってたくさん傷ついたけど、今はアッくんのおかげでその傷も癒えてきている。
麻美チャンも愛する人に愛され、
幸せになってほしいな。
心のこもった電報を、わざわざありがとう。
今はそう、素直に思えた。
アッくんも差し出し人に気づいたのか、
何も言わずに優しくアタシの肩を抱いてくれた。
2次会では、誰からともなく懐かしくて胸がキュンとするような昔話が始まった。
アッくんは男友達と盛り上がっていたから、女だけのお話だ。
お酒が入っていることもあって、
元彼や過去の恋についての話になっていった。
美亜が語り、沙良が語り、ミヤビが語り……。
初めての彼氏が旦那さんになった優梨は、興味深そうに耳を傾けている。
「芽衣も結婚が決まったから言っちゃうけど、
最近やっと、たかチャンも彼女できたらしいよっ」
中学?高校と一緒だった子がポロッと口にした言葉に、思わず意識が集中する。
そういえば、
けっこう前に綺麗な人と歩いてたたかチャンを街で見たな……。
「綺麗な人じゃない?
アタシも女の子といるの見たよ」
「うん、すごく綺麗な人。
海斗くんと同じ大学の女の子なんだって。
ラブラブみたい」
「そっかぁ……」
たかチャンとはいろいろあったけど、とても素敵な人だった。
つらいときにアタシを守ってくれたし、たくさんの幸せな想い出をくれた人。
一時は、たかチャンとの未来を考えるほどに大切な人だった。
だから、幸せになってほしいよ。
「いい男だったよね。
麻美チャンに怒ってくれたりしたらしいじゃん?」
美亜のひと言に、アタシはうなずいた。
たかチャンが麻美チャンを怒ってくれたと周りから聞いたときの気持ちを思い出すと、切なくなってしまう。
昔の恋って楽しかったことばかりが頭に残り、甘酸っぱい記憶になるのはなぜなんだろう。
「まぁ……
そうだよね」
「キライになって別れたわけじゃなかったし、
ぶっちゃけて、ちょっと複雑?」
「え!?
ち、違うし!」
「冗談、冗談!
たかチャンよりアッくんを選んだんだから、幸せに
ならなきゃダメだよ」
みんなに突っこまれ、からかわれ……。
アタシはとびきりの笑顔で微笑む。
「次の結婚は美亜か沙良じゃない?
彼氏いる分、美亜が早そうっ」
「まだいいよー!
それに、最近いろいろあったし……」
美亜は照れたように笑った後、フッと目を伏せた。
長いまつげが、美亜の寂しそうな瞳を覆い隠す。
……いろいろあったっていうのは、
きっと愁のことだろうな。
愁は、
先月亡くなったんだ。
あの後も、クスリから抜け出せなくて、ついにはシャブ中になってしまった愁。
クスリを打った直後に車を運転し、自損事故を起こして大破した車の中で死んでしまった。
事故現場は、
普通ならこんなところで事故なんか起こらないだろう、というような場所だったらしく……。
ミヤビは、「クスリさえしなければ、こんな事故はおこらなかったし、愁は死ななかったと警察が言ってたんだ」と、泣いていた。
美亜もミヤビからこの話を聞いて、
自分をひどく責めていた。
「美亜のせいじゃないんだから……」
ミヤビが優しく美亜に声をかける。
しかし、美亜はうつむいて首を横に振った。
「……でもさ、あたしは愁を見捨てた気がするの。
愁があの後もクスリやってたなんて知らなくて、
呑気に暮らしてた。
なんであのとき、もっと愁のことを考えてあげられ
なかったんだろう……。自分ばかり、クスリから抜
け出して……」
「そんなことないよ、
愁が弱かったんだ。
誰のせいでもない。
クスリに負けた愁が悪いんだよ」
愁は、ミヤビたちに何を言われても立ち直れなかったらしい。
やめると口では言っていても、周りの友人たちを裏切り続けた。
そのうち、ミヤビと智輝さえ愁とはつき合いきれなくなり、疎遠になってしまったそうだ。
愁は信頼できる親友にも見放され、ひとりぼっちでクスリ漬けの毎日を過ごし、亡くなってしまった。
骨までクスリに侵されて、火葬された後は骨が残らなかったんだって。
骨の髄までボロボロになって死んでいった愁は、
残された人々の心に暗い陰を残した。
赤い糸precious クスリから立ち直るだけの強い意志が、愁にはなかったのかな?
それとも、強い意志すら打ち砕くほどにクスリの力は強いのかな……。
クスリをしたことがないアタシには、一生わからないだろうけど、愁は美亜のようになれなかったということだよね。
……というより、美亜のように立ち直ることはとて
も難しいのかもしれない。
「美亜は愁と縁を切って正解だったよ……。
あのままつき合いを持ってたら、美亜もズルズルと
クスリを続けていた可能性も、1%くらいはあった
かもしれないでしょ?
それを言うなら、あたしたちが突き放さないで、も
っと支えてあげるべきだったの。
……あっ。
芽衣チャン、おめでたい日なのにごめんね。
飲み物取ってくる!」
ミヤビはそう言い残して、輪の中から抜けていった。
「あたしも何か飲もうかなぁ」
「じゃああたしも……」
沙良たちも空になったグラスを片手に、ドリンクを取りに行った。
その場に残ったのは、アタシ?優梨?美亜の3人だった。
「あたし、
クスリやめてから、どれだけクスリが怖いモノなの
か、よくわかったんだ。
体もボロボロになるし、あんなの、人間がすること
じゃない……。
みんなが止めてくれなかったら、死んでたのは愁じ
ゃなくて、あたしだったのかもしれないよね……」
美亜はそう言って、お酒を喉に流し込んだ。
赤い糸precious あのころ――
似た境遇で仲良くなった美亜と愁の間には、アタシたちにわからない絆のようなモノがあった。
その絆はクスリという恐ろしい物で繋がれていたけど、一時期はとても強くて深い絆だった。
美亜にとって、
愁の死は、ただの昔の友人の死とは全然違う感覚なんだろう。
「そういえばさ、麻美チャンが謝ってくれてよかっ
たよね!
あたしも電報は麻美チャンだと思う」
美亜は話を変えるように笑顔で言った。
「あっ……うん。
いろいろあったけどね。
麻美チャン何してるのかなぁ?」
「そうだよね。
優梨もずっと連絡取ってないんでしょ?」
「うん。
あたしと関わるとアッくんを忘れられないから、忘
れるまで連絡しないって言ってたんだ……」
麻美チャンは、あの事故以来アタシとアッくんの前からだけじゃなく、優梨の前からも姿を消している。
「アッくんが体を張って芽衣を助けたんだもん。そ