(俺はモイラの神なのだ)
と、そう思って遣《や》ったことである。
(モイラには別段の意識もないだろう。無論罪名も知らないだろう)
と、ピータアは想った。まずく行った場合、モイラの父親が出来るだけのことをするだろうこともわかっているが、すべて何がどうなろうとピータアには関心のないことだ。ただ父親のセルゲイと、母親のタマァラとがそれを知った時の衝撃が、ピータアを鬱屈させている。とくに母親のタマァラの絶望と悲しみ、それがピータアには耐えられなかった。ピータアはそれは強いて思わぬようにしている。セルゲイも、タマァラも、ピータアの精神をわかるだろう。彼らはピータアの意志を大切にしていて、ピータアに赤子の時に洗礼を受けさせるのを控えていたほどだ。だが彼らは神を敬う旧教徒である。その後も洗礼は受けないので、ピータアは基督《キリスト》教徒ではない。だがタマァラは、幼児の頃からピータアの頸に十字架のペンダントをかけて遣《や》っていた。朝夕の食卓で父親と母親とが、敬い深いようすで十字を切るのを、ピータアは見て育った。何かあると母親が胸の上で十字を切るのを見ている。そういう生活の中でピータアは、父親と母親との信仰の深みを受け止めていた。それは重い、厚みのあるものである。ピータアは、基督教徒にはならなかったが、いつか、自分自身も何かに打《ぶ》つかると、無意識のように頸の十字架に掌が行くようになっている。深く信頼出来るもののようにして、十字架を掌の中に握り締めるのだ。大きくなってからは行かなくなったが、母親に伴《つ》れられて日曜日ごとに行った教会のオルガンの音や、一種の雰囲気も濃く、頭に残っている。ピータアは仏教を研究しようとも思わなかった。禅には惹かれたが、買って来た禅についての書物もその儘にしてある。ピータアの関心を惹くものは文学であって、日本文学を研究するのだと言っている同国人の友達から或日聴いた雨月物語には深い興味を抱いた。雨月物語への関心は、モイラを知ってから前よりも強くなっている。ピータアは基督教も仏教も、文学の中では皮膚から入ってくるもののようにして、感じとることが出来た。基督教も仏教も禅宗も、文学を感ずるためには知っていなくてはいけないと、ピータアは考えている。そんなピータアは、どの宗教にも入っていないが、基督教を真面目に考えてはいた。セルゲイとタマァラを、愛するからだ。
(モイラほど宗教と関係のない人間はない。だが、こんなになってしまった俺にとってはモイラそのものが宗教のようなものかも知れない)
と、ピータアはふと、想い、苦しげに、眉間にたて皺を寄せた。
今、ピータアの眼に、海岸で始めて傍《そば》で見た、水着一つのモイラが、全く神と反するものの姿のように鮮やかに、浮び上がった。水着だけの、裸同様のモイラを見て、そのモイラの肩に掌をおいたピータアは、モイラの肉体《からだ》の全く気孔のないように見える緻密な、湿り気のある皮膚に向って抑えることの難しい、サジスティックな慾望を抱いた。
(あれは新しく咲いた、花弁の厚い花のような湿り気だ……)
一晩降り続いた細かい雨が空気を湿らせている部屋の中で、モイラと向い合った時ピータアは、海岸にいた時にも感ぜぬではなかったモイラの肉体《からだ》の、或慾望の中へ、強い力で引きこむ、百合の茎を折る時に発《はな》つのと同じな香気が、モイラの皮膚の内部から何かの火で焚かれて蒸し出されて辺りの空気を押して拡がるのを感じた。その香気は、壁の絵を見ているモイラの二つの肩に掌をおいた時にも、ピータアを強く襲ったのだ。寝台に腰を下した自分と向い合いに置いた椅子にかけさせたモイラを凝視したピータアは、モイラが怖れているのを見た。モイラは前の日に海岸で、林作と歩いていてピータアを見た時、ピータアが、自分と父親との間にある幼い時からの特殊なもの、馴れ合いのようなものを見あてていたのをわかっていた。モイラが、海水着一つで男の部屋にいることよりも、ピータアにどうかされるかも知れぬ怖れよりも、その瞬間感じとったピータアの強い嫉妬を怖れているのを、ピータアは見た。
(俺はモイラに、パパを愛しているんだろう? と言って、モイラから眼を離さずに、あくまで問い詰めた……)
モイラはその時、俺自身にも明瞭《はつきり》感じられた俺の恐ろしい眼から逃《のが》れようとして、小鳥が飛び立つようにして窗際《まどぎわ》に逃げた。モイラは俺の眼から逃げようとして、右に左に顔をそむけたがとうとう耐えられなくなったらしく顎を仰向けて天井に眼を遣《や》った。まるでそうしたなら空から救いがくるとでも思ったように。その瞬間、俺はモイラに飛びかかっていた。
(俺が俺の中に、サジスティックなもののあることに気づいたのはあれからだ。水着一つのモイラと海岸で、向い合って立った時からだ。それまでは意識の端《はし》にも、上《のぼ》ったことのない感覚だ)
ピータアは組み合わせている掌を固く、握り締めた。
(モイラは俺の大切なセルゲイと、タマァラとを苦しめるために、悲しませに、やってくるのだ。今日)
ピータアの中に、サドゥ侯爵の血が騒ぎはじめている。ピータアはモイラが、自分の父親たちについて、何も知らされていない筈はないと、思っている。神というものについてもだ。と、ピータアは思うのだ。理性が弱まり、わけのわからぬものに占領されたピータアの頭は何故か神に向っている。父親との密着した間柄を見せつけて、自分を狂わせるモイラをなんでもいい、どんな形でもいい、罰して遣りたい。神の前に引いて行って告白をさせて、苦しむモイラを傍で、見ていて遣りたい。そんな想いがピータアを駆りたてている。ピータアは思うのだ。
(モイラの、多分少ない智識の中にも何処《どこ》かに、基督教というものは、たとえ朧気《おぼろげ》な形ではあろうと、入っていない筈はない。モイラが神というものについて、全く知らずにいる筈はないだろう。モイラは俺の両親《ふたおや》が、帝政露西亜の亡命者であることも、基督教徒だということも、あの父親から聴かされているだろう。そんな時に、基督教というものがどんなものかということも、あの父親は話して聴かせたに違いない。だが、それがどうだというんだ。モイラは宗教と関係のない奴だ。モイラほど、宗教から遠い人間はない。モイラほどすべてのものに無関心な人間はない。智識慾というものが欠けているようだ。ただ興味のあるものを眼で見て、その中から何かを会得する。智識を与えられないでも、どこかでなにかをわかる能力を持った子供だ。そうだ。モイラと宗教とは関係がない。モイラが俺にとって宗教のようなものだ、というのに過ぎない。それにあの父親がモイラに、宗教の話をする場合、どんな話し方をするか。あの父親が……あの強《したた》かな悪魔を飼っているあの父親が……柔《やさ》しい微笑いの底に鋭い、メスのような眼を隠しているあの父親が。西欧人のような美しい微笑を持っている、唯者《ただもの》ではない父親が……)
父親とモイラとが一緒にいるところを二度、ほんの短い間見たのに過ぎないがピータアは、モイラと林作の父娘《おやこ》は何もかも話し合っている、どんな小さなことでも、生活の中のすべてを知らせ合っている父娘だということを、感じとっている。ピータア自身も、セルゲイとも、タマァラとも、何も隠さずに話をしてはいる。だが互いの中にあるすべてを、ニュアンスの襞まで打明かしてはいない。彼らがピータアが嫩くはあるがもう大人になっていて、彼らもそれを認めて、ピータアを一人の大人としているからでもあるが。
(あの父親は戸外《そと》を歩いている時にも、モイラを胸に寄りかからせている。その様子には俺を切なくさせるものがあるんだ。……恐らくあの宗教の匂いのする男もあれをくらっているのに違いない。あの二人は、すべて話し合っている。それは二人が顔を見合って、微笑いながら何か言っている様子の中に見えている。家の中ではモイラは、あの父親の膝に凭れかかって、多分膝に頬を擦りつけたりしながら、あの娘独特の断《き》れ断《ぎ》れな、接続詞抜きの話し方で、止め度なく何かを話しているのだろう。何を? それはあの娘の思ったこと、見たこと、その日にあったことのすべてをだ。石沼の俺の部屋で、俺との間に起きたことをも含めて、すべてをだ。そこには饒舌な恋人同志といってもいい馴れ合いがある)
石沼の朝の海岸で、二人が歩いてくるのを見た時、既に瞬間的にピータアの頭にはこの推察が働いていたのだ。モイラと林作との間にあるこの密着はピータアを苛立《いらだ》たせ、癇《かん》を立たせるのに充分だったのだ。
事実林作は、ピータアの父親が、コザック兵の一人だったことを知っていた。林作はモイラに、ピータアの父親が亡命者だろうということを話して聴かせた時、彼とその妻とが、多分ピータアもが、奉じているにちがいない基督教についても話していた。モイラはその時、ピータアの想像通り、林作の膝に凭れかかっていた。モイラは林作の着けている仙台平の袴の襞にさわり、微かな音を楽しんでいた。その日、日本橋|倶楽部《クラブ》であった宴会から帰った林作は、モイラの好む仙台平の袴を着けた儘、モイラの相手になっていた。モイラは仙台平の袴を着けた林作を、幼い頃からとくに好いていた。着ているものに触られることに神経質な林作だったが、モイラにだけは例外で、袴を着けている時には、出かける前にも少間《しばらく》の間は袴の膝を崩し加減に、モイラを凭れかからせて、相手になるのが常であった。ピータアの両親に興味のないモイラは、コザック兵の話から基督教の話に移った途端に眼を大きく瞠《みは》って、林作を仰いだ。話をする内に、モイラの脣が放心したように弛むのを林作は見た。モイラが何かに関心を持った時の癖である。モイラは眼を林作の顔から離さなかった。モイラにとって基督教の話は始めて聴く話ではなかった。改めて言ってきかせる形で話をしたことがなかっただけである。六七歳の時、アレキサンドゥル夫妻が身につけていた一種の雰囲気、林作や、死んだ母親の父親の郷田重臣、ドゥミトゥリイ、なぞが持っている静かさのある様子とは異《ちが》った、妙な静かさを、モイラが不思議に感じて、幼い質問を投げかけた時に、林作が話してきかせたのである。林作の語った基督教というものの持つ、どこか恐ろしげな雰囲気はモイラの稚い頭に残っていた。基督教徒というものの持っている無気味な柔《やさ》しさを、モイラはアレキサンドゥル夫妻から最初に、感じとったのである。モイラは基督教というものの持っている、底気味の悪い、撫でるような柔《やさ》しさを幼い時から不快に思い、どこかで恐しく思いはしたが、敬い畏《おそ》れはしなかった。それは話してきかせる林作自身が畏れを持っていないのを見たからだ。林作の話は基督教というものが持っているもの、基督教というものの雰囲気を、充分に伝えてはいた。だが、話をしていながら、彼の膝に凭れかかって、大きな眼を開《あ》いて聴いているモイラの顔を窺うようにして、微かに平常《いつも》の微笑いを浮べている彼の、その微笑いの中にモイラは、彼の敬虔な話を裏切るものがあるのを見ていた。父親の眼の中に、又彼の頬の窪みの翳に、モイラはそれを見取っていた。モイラの恐怖は父親が充分に表現していた基督教というものの持つ雰囲気の中にあったのだが、そこには聖母学園のロザリンダがモイラに与えた印象が混入していた。ロザリンダの、基督旧教の正規の修道女でありながら邪宗門の陰影とでもいうような、どこかに淫逸をひそめたいやなものが、その時モイラの頭に浮んでいた。或日、何かの訓誡をした後で彼女が、
「わたくし達の社会には、宗教上の刑罰があります」
と言った時、ロザリンダが何故かモイラ一人に眼をあて、モイラの眼を凝視したのをモイラは覚えている。腫《むく》んだ顔の、小さな光る穴のような二つの眼が、今そこにあるように、浮んでいた。モイラはその時のロザリンダが、自分を可怕《こわ》がらせようとして故意《わざ》とその話をしたのだと、信じた。林作とドゥミトゥリイとの、柔《やさ》しい目に囲まれて育ったモイラは、家庭教師の御包《みくるみ》の、嫉妬を隠した厳しい眼と、ロザリンダの眼とによって恐怖というものを覚えていたのだ。その時モイラが、父親の話を終いまで聴いていたのは、恐怖というものに、知らずに興味を抱いたためのようだ。その話の中でとくにモイラの興味をひいたのは、男が女を見て心を動かしたというだけで罪になるという件《くだり》であった。
「それは姦淫の罪というのだ。この言葉の意味は、モイラにはまだわからないだろうね。今にわかる」
そう言うと林作は、どこかに謎のある柔《やさ》しい眼をモイラにあてた。モイラは平常《いつも》の、何かを、心の底にあるものを見抜かれた眼で、林作を見たのである。モイラは、姦淫という言葉の持つ意味を正確にはわからなかったが、何かを感じとったようだ。
林作はその日、日本橋|倶楽部《クラブ》にいて、ふとモイラの幼い姿を眼に想い浮べていた。その家には広間から別の広間に通ずる二間ほどの廊下があり、そこの真中に、亀戸天神の境内にある太鼓橋のように高く急な勾配になったところがある。遠い昔、林作はモイラにその上を渡らせて、よろこぶ顔を見ようと、予約をしておいて、モイラを倶楽部に伴れて行った。肩に届くお河童に白いリボンをつけ、白絹の下着を重ねた緋と白の染め分けに模様をおいた友禅の着物に緋無地の紋縮緬《もんちりめん》の袖無しのモイラは、モイラを可哀らしいといって傍《そば》につききりでいた女中に手をひかれ、いくらか可怕そうに渡り始めたが、頂上の辺りで磨き上げた床に足を滑らせた。女中が慌ててひいた手を引き上げるようにしたので、宙吊りのようになって、二文半の白足袋の小さな片足が宙に上がった。橋廊下の脇に立って、モイラの哀らしい姿を見上げていた林作は微笑い、林作に従《つ》いて来ていたお芳《よし》という女将《おかみ》はアレ、と言い、思わず知らず繊《ほそ》い長い枝のような両腕を前に差し延べかけたのである。座敷に戻って、黒く松の枝を染め出した焦茶の、縮緬の座蒲団の上に鳶足《とんびあし》に座り、女中のお霜《しも》がリボンを直しているので頸をすえ加減にじっと上目遣《うわめづか》いになっているモイラの顔をつくづくと眺め入っていたお芳の表情を、林作は盃を手に、つい今そこにあるもののように想い起していた。お芳は二三年前に亡くなり、現在《いま》ではお芳の眼がねにかなったお時《とき》というのが、三十七八の若い女将になっている。モイラの出産と同時に亡くなった繁世が、モイラの生れぬ前に丹精して整えておいた、五六重ねの着物はモイラによく似合い、林作はそれらを取り替えひき替え着せて、料亭や茶屋にもよく伴《つ》れて行ったが、そんなところの、半玄人《はんくろうと》の女たちや、来合わせた芸者なぞがモイラに眼を止めた。女将などの顔には、これが買い入れることの出来る子だったら、下地っ子から仕上げてみたいという表情がありありと見て取れた。それを見ることが又、林作の一つの歓びであった。
「蛇《じや》は寸にしてっていうのは、あのお子のようなのを言うんだろうねえ」
と、羽左衛門の白《せりふ》で覚えた漢語まじりに言ったのは、或茶屋の女将の蔭の言葉である。そんな空気をモイラは、幼いながらにどこかで捉えていた。幼い女の子の、自分の美、醜への周囲の反応を捉える触覚というものは恐るべきものである。ピータアが不思議に思う、モイラの持つふてぶてしさはこんなところにも胚胎していた。
林作は、モイラが天上守安を裏切って、石沼の隣家の青年との出会を繰返そうとしていることを知った今、そのモイラのしようとしていることが姦通という名で呼ばれるのだということを、モイラに教えることをせずにいる。モイラはその呼び名の意味を知ったとしても、又法律に触れるということの厳しさを教えて遣《や》ったとしても、モイラはさして動じることはあるまい。それを林作は知っていたからだ。それを知ったからといって、ピータアの部屋に行くことを止《や》めることはあるまい。モイラがピータアに夢中になって、ピータアの部屋に足繁く通うということはあり得ぬ。夢中になるのは青年の方だろう、と林作は想い、硝子の中にあるもののように、はっきりとは捉え得ぬ魔をひそめているモイラの眼を、窺い見た。
魔をもった二つの眼は、幼なかった時と少しも変らぬあどけなさで見開かれていた。
そのモイラの様子には、可哀らしいが同時にどこか、恐ろしいところがある。屠《ほふ》った獣《けもの》の屍《しかばね》を爪の間に抑えている親獅子の傍で、爪を小さな熊手のように開いてじゃれている獅子の仔に似ている。飽くことなく愛をむさぼろうとする肉食獣だからだ。林作はそんなモイラに眼を当てながら、言った。
「基督教というのはね。世の中で、この人間の世界でうまく……パァパやモイラが誰とでも仲よくやって行くために、あの御包や柴田のような女たちともうまく遣《や》ってゆくためにこしらえたものなんだ。そのために基督という人がこしらえた教えなのだね。支那の孔子や老子と同じようなものなのだよ」
林作はモイラに、基督教の話をして遣《や》っていて、その話の締め括《くく》りをしたのだが、モイラの頭には当然のことだが、わかり得なかった。可哀らしい獅子の仔は、林作を見ていて、そう言った時の林作が、今度はほんとうに、真面目に言っているのを感じとっただけである。
今、ピータアを襲っているのは一種の不条理な想いである。モイラを懲《こら》しめて遣りたい、何かの形で、モイラを罰して遣りたい。思い知らせてやりたい、というような想いである。狂暴なものを含んだもや、もや、としたものである。それはモイラが海岸に立って、ピータアを見ていた最初の瞬間から既にピータアの内部に持ち上がって来ていたものだ。ピータアから眼を離したら、何かの危険があると、信じているかのように、モイラは凝とピータアに眼をあてて立っていた。そうして立っている足先で砂を躪《にじ》るようにした。その動作は十五歳の、まだ子供の域を出ていない女の動作として珍しいものではなかった。だが、そこには一種の、知らずにいてする挑みのようなものが濃く滲《にじ》んでいた。憎くなるほどな甘えが、その時、水着一枚のモイラ全体に滲み出ていた。それは体と精神の内側から、蒸し出されるもののようだった。ピータアはその時、東洋の女に特有の、気孔の殆ど無いような皮膚が特に顕著な、モイラの胸の一部に、又、肩から、まだ熟し切らぬ腕に、もうそこら辺りは完全に女になっているような太い腰から露《むき》出しの両脚に、飛びかかって押えつけたい、そうしないでは我慢のならない、狂暴な慾望を、覚えた。水着を持ち上げている固い果実のような乳房にも、邪悪な、というようにも思われる慾望を、覚えた。モイラの胸の二つの果実は両方の脇の下に寄り気味に、離れてついている。それが、その離れてついていることが、更に挑発するものをピータアに感じさせた。モイラが、ピータアから眼を離さずに、凝と立っていて、足で砂を躪るようにしているのが、その慾望を大きくした。その慾望の中に、サジスティックなものがあるのを、その時ピータアは意識したのだ。自分の中に、サジスティックなもののあることをピータアはその瞬間に、知ったのである。ピータアは、たった一度の密会で、モイラをとり逃がした。そうして懊悩の二年間を過したが、その凶暴ともいえるものが、その懊悩の二年の間に深部に入った。ピータアは意志の力で苦しみを乗り越え、モイラを見ぬ前の、静かな日々を自分の手に、再び捉まえようとした。そこに手が届きそうにさえ思われた時期もあったが、その間にも慾望は深部に入っていたのだと、今ピータアは気附いている。しかもドゥミトゥリイの訪問をうけた日から、慾望は新しく火を点《つ》けられている。ドゥミトゥリイという名を知り、祖国が同じだということを知った青年と、砂でざらついた暗い土間に対《むか》い合って立った瞬間から、長い間抑えていたモイラへの火、狂暴を蔵した烈しいものが燃え上がった。その烈しいものが今、ピータアの中で、爆発しようとしている。
ピータアをサジスティックな慾望に駆りたてているのは、モイラの不節操ではない。ドゥミトゥリイという、馬丁だときいた男への残虐でもない。ドゥミトゥリイを自分の前に立たせることで、ドゥミトゥリイの、抑えている慾情を挑発すると同時に自分に火を点けようとした、モイラの残酷でもない。石沼の家の扉を叩く、ひそかな音を聴いた時、ピータアはそれがドゥミトゥリイだと直感した。
(モイラが俺のところに使いに寄越すとすればドゥミトゥリイは適役だ。モイラが残虐を遣ろうとするのにはまるで、切って嵌めたような誂え向きな人間というものだ)
ピータアはドゥミトゥリイを出して遣《や》って扉を閉めた時、心に呟いたのだ。だがピータアを狂暴にしているのはそれではない。モイラが遣《や》っているらしい、指鬘外道《しまんげどう》の話に似た男の心《しん》の臓《ぞう》の蒐集でもない。それらの、モイラの貪婪ではない。ピータアをサジスティックなものに駆りたてているのはモイラの肉体《からだ》である。既に隈《くま》なく知っているモイラの肉体《からだ》である。皮膚を指で抑える時、抑えても、抑えても、指の腹と皮膚との間に何かがある、何かのもやもやとしたもののあるモイラの肉体である。寝台の上で、忘我状態にいたモイラの、あずかり知らぬところで皮膚自体がふてぶてしく挑みかかって来た、そのモイラの肉体である。ふてぶてしく挑んでくる年増女のような皮膚である。モイラが夢中に拒んだり、悶えるようにしたりする度に一層|滲《にじ》み出てくるようであった、花の茎に似た、不思議な香気である。それを香《か》いだ人間を、不思議な怠惰の底にひきこまずにはいないモイラの肉体の香気である。それはモイラの肉体の魔であった。サドゥ侯爵が、自国の女を抱いて、サドゥ自身の名を被せられた、その残虐に走ったとは信ぜられぬ、と、ピータアは思うのだ。ピータアは白人の女を抱いたことはない。だが白人の女の皮膚は白く、荒くて、気孔が大きい。それが見ていてわかるのだ。ピータアはモイラを知ってから、母親のタマァラにそれまで抱いていた、乳房の間に顔を埋めたい郷愁を失った。彼女の海のような、大きな愛情に応えようとする柔《やさ》しさだけが、残ったのだ。
ピータアは下脣を強く噛み、何処を見るともない眼を宙に据えた。一昨年《おととし》の夏、横から分けた髪が自然に横撫でにしてあった頭が、短く、頭の地なりに寝かせて刈ってある。彫刻のシイザアの頭のように緻密な、癖のある髪が形のいい頭を横|薙《な》ぎにとり巻いている。十八年前に林作が、薄闇の砂丘ですれちがって眼を止めた、小さなピータアと同じ頭になったのだ。額の下に光る眼は凶暴なものを宿しているが、ピータアの風貌は英智を湛え、隆盛を誇っていた羅馬《ロオマ》の嫩い兵士のように見える。この頭に変えたのは苦悩の日々が長く続いて、長い髪が重苦しく感じられたからだが、この頭はピータアに似合って、セルゲイもタマァラも、それを望んでいるのをピータアは知っていた。「月桂樹の枝を頭に巻いて、白い、あのぶかぶかした奴を着て、革のサンダルを履いたピータアを見たいね」と、吉田という友達が言ったことがある。顔のことにせよ、才能のことにせよ、批評めいた言葉に向っては貝のように表情を閉ざしているピータアだが、その時は珍しく(まんざらでもない)といったような表情を覗かせた。吉田というのは一人だけ、ピータアが心を許した男だが、一昨年の事件以来のピータアの様子を見て、モイラとの交渉に賛成を表わしていない。それで心持は変っていないが会う日数は減っている。
今朝、羅馬の兵士の眼は獅子に立ち向って闘いを挑む時のような怒張をひそめていて、表面は静かだ。林作が見たように、ピータアは二年の間に三つほど年をとったように見える。
(Moila[#i はウムラウト付き] ……)
と、ピータアは低く呟いた。
事件以来ピータアは、父親たちにあまり会わぬようにしている。セルゲイは、息子の苦痛を自らの肉の中に持っていて、それを耐えている。タマァラもそれは同じだが、タマァラの方は嫩いピータアを、たった一度の出会いで狂気のようにした異国の少女を憎んでいる。タマァラは折々には、心を籠めて焼いた麺麭や、月桂樹の葉、カルルスなぞの香料に浸しておいて焼いた焼肉を包《くる》んだ丸い、大きな紙包みを持って、ピータアを訪れる。ピータアが居ない日には紙包みを階下の管理人にあずけて帰った。石沼とは違って、帝大の周辺の町には露西亜の人間であるということに特別の偏見はないようなので、タマァラはそんなことも不愉快を感ぜずに遣《や》っていた。東京の町に委《くわ》しくないタマァラは、日本に来る汽車の中で知り合った露西亜語を解する男の世話で、赤門前の裏通りに家を借りたことを神に感謝していた。農学部前に、珈琲、紅茶、なぞの他に洋菓子の材料、外国の香料なぞを売っている店があったからだ。その店でタマァラは月桂樹の葉に肉桂粉、毎日の麺麭に入れるカルルスなぞを手に入れることが出来た。パラダイスというペンキ塗りの看板を掲げているこの小さな店の主人は、自分で豆を挽いて珈琲を喫《の》んでいる男で、タマァラの示す絵を見て、小麦も米屋に注文して呉れた。
やがてピータアは寝台を下り、書物卓《かきものづくえ》の上に置いてある腕時計を見、部屋の隅に並べてあるラルウスを一冊|寝台《ベツド》に放っておいて、洗面台の鏡の前に立った。もう一時を廻っている。鏡の中の眼と眼を見合っていたが、襯衣《シヤツ》を脱いで戸棚の洗濯籠に放りこみ、体を拭いて寝台の背にかかっている白のいい方の襯衣に着替えた。白木綿の洋袴《ズボン》と焦茶のコオドバンの帯《バンド》が、羅馬の兵士を引き立てている。ピータアは又寝台に胡座をかき、辞書の頁を手当り次第に繰《く》っていたが、ふと眼に入った cafe の欄に眼を落した。そうして珈琲の種類の名を手帳に書き止めていたが、その脇に珈琲の花の挿絵を写し始めた、やがて懶《だる》そうに肱を突いた掌に頭を支えてごろりと、横になった。
ピータアは自由な、柔かな心を持っている。だが林作のようではない。激しい慾望の遂行を、道徳に反するからといって躊躇《ためらい》はしない、姦通という字があて嵌まる行動だからといって躊《ため》らいはしないが、そこに宗教的な罪の意識ではないが天上を気の毒に思う心がある。やよの掲《かか》げた洋燈《ランプ》の、暈《ぼんや》り赤い光の中に浮び上った砂丘の食卓《テエブル》に、後《うしろ》向きにかけていた天上の、なにかの蹄《わな》にかかった男のような背中が、ピータアの頭に深い傷のようにして、今も残っている。ドゥミトゥリイの苦しみにも心《しん》の臓《ぞう》に突き刺さってくる疼《いた》みがある。石沼で、砂の上に蹲《うずく》まっていたドゥミトゥリイの、苦しむ男を彫像にしたような姿は殆ど不快な疼みをピータアに与えていて、その姿が石沼の薄明るい空と海とを背負って記憶の襞の中に映し出される時、ピータアはその像を打ち消そうとする。固く眼をつむって頸を烈しく打ちふるのだ。ドゥミトゥリイにとって、その哀しみは今では胸の中に抱いている大切なものと化《な》っているだろうことも、モイラの命令で東京の住所を訊《き》きに来た時の彼の様子から、ピータアは読みとっていた。
何処を見るともない眼を据えているピータアの頭にふと、滑らかな、白い紙の上に並んだ一連の羅馬字が浮かんだ。二行から、六行止まりの短いバルザックのエッセイである。
珈琲《カフエ》、茶《テ》、カカオ、煙草《タバ》、砂糖《シユツクル》、火酒《ロオ・ドウ・ヴイ》、なぞの表題が新鮮だ。それぞれの表題から珈琲や煙草の香いが立つようである。どうかした時に頭に浮かんでくる綺麗な印象だ。ピータアはそれを読んだ時、それまで遥かに高い、手の届かぬところにあるもののように思っていた文学というものが、俄かに自分の傍に来たのを覚えた。エッセイ、短文なぞなら、自分にも書ける、というような気がしたのだ。そうして、自分にもいつかは何か、素晴しいものが書けるのだ、と信じたのだ。ピータアの凶暴がふと、鎮められたかに見えた。
その時、扉の向うにドゥミトゥリイに違いないゆっくりした、力強い跫音がした。あまり響きのない、弱い靴の音がそれに混っている。扉の前にくると力強い跫音は直ぐに引返した。
(モイラがそこにいる)
鎮められた凶暴がむくむくと持ち上がってくる。まるで、立ち上がったコブラの頭だ。一二秒の後、ピータアは起ち上がって鍵を抜き、扉を引いた。
薄暗い中に、大きく見開いたモイラの眼があった。意味の無い上目遣いの眼をピータアにあてている。
(この眼だ。石沼で、あの窗枠の中で忽ち俺を自分のものにした、この眼だ……)
モイラがのろのろと入って来て、ピータアに眼をあてた儘、扉の左側の壁に体をもたせるようにして立った。モイラの眼を微かな、気づかぬ程の怯《おび》えが掠めたのを見たピータアの顔が、頬がざらついたようになってひき締まった。
モイラの眼がピータアから外《そ》れ、意味なく漂い、再びピータアに還る。平常《いつも》の曇った眼になっている。モイラはピータアの様子に、何かを感じ取ったらしいが、モイラの恐怖はモイラの核までは届かぬようだ。モイラは家庭教師の御包《みくるみ》と、聖母学園のロザリンダとの、なにものかを潜めた眼によって、恐怖というものを覚えたが、モイラの恐怖はつねにモイラの核心までは届かずにいたようだ。ひょっとすると、モイラという果実は核心を持っていぬのではないのだろうか? モイラの左掌が、脚の上部の辺りの衣《きもの》を上から捻るようにしている。それがピータアを刺戟する。モイラが無意識に遣る媚態である。幼いころからの癖だ。無意識の媚態は男を罠にかける。男をその女の中へひき込む。その動作がピータアのサジスティックな慾情に火を点けた。
ピータアが起ち上がってモイラの前に立ち、骨太の大きな掌がモイラの頸にかかる。頸を締めるような形に掌が頸を上から下へ、撫で下ろすようにする。白い縁《ふち》取りをした、あるかないかに薄い薔薇色の木綿の夏服が汗ばんで、四角く開《あ》いた襟の間から、決して忘れることのなかった百合の茎の香いがピータアを襲った。上目遣いのモイラの眼が無心の挑みを湛え、両掌の指がピータアの掌にかかって、除《の》けようとする。指に汗が滲んでいる。
ピータアの掌はモイラの頸を抑えた儘、又ゆっくりと、撫で下ろす。
「モイラ、君はドゥミトゥリイとも、僕とのように……一度はなるべきだ……きいているのか? 僕とのようにだ。それを遣らなくては神の赦《ゆる》しは無いんだ。それは〈ピータアの神〉だがね」
モイラの頸の両側を抑えつけた二本の指に力が入った。
モイラの咽喉が小さく鳴った。上目蓋にひきついていた瞳が落ち、大きく見開かれる。
ピータアの眼が牙のように尖ってそれを覗きこんだ。依然、無表情な眼だが、苦しげだ。だが肉体の苦しみだけのようだ。それが更にピータアをひきこむ。
(こいつの苦しみは肉体《からだ》だけなんだ)
ピータアの指に力が加わる。モイラの指がゆるく動いて、最初の時に比べて明らかに肉の附いた肩が腰もろともくねる。くねる、というよりは、くねる気配のようなものだ。ピータアの狙った悔いと怖れはそこにはなくて、ピータアが指で、眼の端《はし》で、捉えたのはふてぶてしい媚態である。しかも暈《ぼんや》りとした、無意識の、それだ。
* *
丁度その時林作は、書斎の革の椅子に背をもたせ、午《ひる》の光が鈍く当たっている窗に眼を遣《や》っていた。林作はモイラとピータアとのこの出会いが、こんなような場面になるだろうことを察知していた。
蒸して裂いた鶏に、ドレッシングで和えたトマト、萵苣《ちさ》なぞを添えた一皿に、ドゥミトゥリイを日本橋まで遣《や》って購《か》ったかますのひと塩を焼かせ、もよに鍋と調味料を持って来させて、自分で味をつけ、味噌も分量分小皿に分けて造らせた蓴菜《じゆんさい》の三州味噌の味噌汁に、もよに田舎の家で遣る通りに煮させた茄子の丸煮を添えた昼飯《ひるめし》を遣《つか》って、書斎に上った林作は、扇風機のスイッチを入れてウェストミンスタアに火を点けたところである。
ウェストミンスタアの、薄藍色の烟《けむり》が一瞬まつわる林作の頬の辺りに、微笑いとまではゆかぬ、何かの影のようなものがよぎる。
(悪い奴が……ふむ。ピータアといったな、あのコザック兵の末裔は完全に火になっているのだろう。モイラの男を虜《とりこ》にする仕科《しぐさ》、あれは生来のものだ。まだ小さな娘のころから、あれはああいうものを持っていた。まだ十八になったばかりで、男が前に置いて視る時、なにかの過去の影を背負《せお》っていることを感じさせる、そういうものを持っている。指を脣《くち》へ持ってゆく、肩と腰とが微かにくねる気配をみせる、そんな仕科《しぐさ》の一つ一つが、知らずに遣《や》っていてそれが罠になる。小さな娘のころから、解らぬ奴が見れば白痴《ばか》かと思うような暈《ぼんや》りとした眼で男を見ていた。無意識だとは厳密に言えば言えぬかも知れない。モイラ自身にもその無意識と、そうでないとの境界《さかい》はわかってはいまい。その意識しているのか、そうでないのか判らぬ、暈《ぼんや》りとした眼が罠になる……その意識と無意識との境界《さかい》に、魔がある)
林作の眼にはモイラの、稚い娘のころからのそんな動作の一つ一つが、浮び上がっている。その稚いモイラのようすの一つ一つに可哀くてならぬ、というような眼をあて、吐き出す烟の中に、眼を細めた。
(困った奴だが……あれは天然のものだ。繁世も、繁世の母親も、あれの従姉妹《いとこ》たちも、ああいうものは持っていない。母親の胎《はら》の中で目鼻だちが造られて行く過程の不思議を、俺はよく想うが、それと同じものかも知れない。どこかで、祖父母をも越えた遠い人間たちの持っていたものが、その出来上がって行く過程の中で混ざりこんで来るのだろう。モイラの眼の中にあるものはなにか、それは誰にもわからぬ。あの肉体《からだ》の、眼には明瞭《はつきり》とは見得ぬくねるようなものも、一つ一つの動作も、そのわからぬものから発している。あれの、徹底した自己愛《ナルシシズム》も、そこから出ているのだろうが、そればかりでは説明はつかぬ……俺に、そんなものがあるかも知れぬ。それは女たちを見ていてわかるが……モイラの場合、あれはたしかに優性遺伝というやつだろう。その上に、あの肉体《からだ》だ、皮膚だ。百合の茎の香気だ。あのような、男にとって不可抗力といえるものを何が、どこから取って来てモイラの内部《なか》に差し入れたのか……それは誰にもわからぬ。説明はつかぬ)
肱掛椅子の背に深く凭れ、依然、窗の辺りに眼を遣《や》っている林作の、頬に窺える微笑いの影には、想いがモイラの肉体《からだ》に移ったころから、これは父親のものだと、林作自身釈明の出来ぬなにかが、あった。
ややあって林作は、起ち上がって扇風機のスイッチを切り、新しい紙巻に火を点けた。
* *
ピータアは不意に、肉体《からだ》の内部に衝撃を覚えて掌をモイラの咽喉から離し、横抱きに寝台の上に圧《おさ》えつけ、立ち身でモイラを見下ろした。
油のような艶を出したピータアの美しい顔は、熱病に冒《かか》った男のような眼が妙に眉にひっ附いて見え、火の呼吸《いき》を吐く脣は半ば開《あ》いて、片端が引き吊るように上がっている。髪も眉も艶をおびて洗われたようだ。
熱のある眼に嫩者の怒りと激情がくるめき、ピータアの汗ばんだ右掌が弛く額を払った。