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作者:日-森茉莉 当前章节:15902 字 更新时间:2026-6-22 20:37

 常吉は、白いロオンの夏服のモイラが見えなくなると、上がり口に腰を下ろしたが、ひどく疲れたように、思った。甘い花の香《にお》いのようなものが、無意識のような中で漂っていたのが、再び燃えはじめた炎のように、常吉を襲い、常吉は少間《しばらく》の間、膝に肱をつき、俯向いて、凝としていたが、暗い額を上げ、脣を固く結ぶと、立ち上がって赤馬に、近づいた。

 この小事件は、常吉の胸の中の熱いものに火を点け、ようよう、鎮まっていた彼の胸の中を荒す結果になった。常吉にとって強い刺戟を持ち、誘惑の罠に満ちていたこの場面は、その夜も、翌る日も、又次の日も、幻のように常吉の前に現れて、当分の間常吉を苦しめた。だが常吉は、耐えた。

 この、常吉にとっては火の場面ではあっても、モイラにとってはほんの小さな出来事に過ぎない一場面は、やがては常吉の胸の中にだけ、深く落ち沈んで行って、常吉の胸の中の、大切な宝石かなにかのようになって、残るだろうと、思われた。事実、そうなりつつあることが、モイラから聴いた簡単な話から、様子を察した林作の眼にも明らかで、あった。

 モイラに、哀れみというものを教えようとした、林作の試みは、その後幾分の効を現したかのように見えたが、それはその当座、モイラの態度が、幾らか変ったようにみえた位で、結局は、曖昧模糊の内に終ったようである。モイラは生来、自分自身のこと以外は頭に想い浮べることのない人間である。

 モイラは、林作に、厳しい眼で見られた瞬間、林作は、自分の遣ることなら、どんなことでも許して呉れるのだ、という、生れぬ前から持っていたような自信がぐらついて、驚愕したものの、その日の内に、前より以上の強い自信を抱くように、なった。モイラは、当座の間、林作の見る前でだけ、態度を変えていたのだが、林作はどうやらそれに気附いているらしいのにも拘らず、前にも増して、自分に溺れている。林作はそんな狡猾《ずる》さをも一つにひきくるめて、自分を愛しているのだと、いうことを、モイラは覚った。狡猾をもひきくるめて、モイラを愛する、というよりもむしろ、そんなモイラに、却って、より以上の溺愛を深めて来ていることを、モイラは見て取ったのだ。

    *    *

 林作は、モイラが七歳の時に冒《かか》った百日咳で、腎臓炎を併発して以来、腎臓病が後遺症のようになって残ったので、軍医の稲本に、定期的に診せるようにしていたが、腎臓病が慢性になって、早急に治癒するという訳には行かないだろうという診断がついたのは百日咳の恢復後、一年経った頃だった。稲本は、恢復の直後から、それを知っていたらしいが、モイラを赤子の頃から診ていた親愛から稲本が、無駄と判りながら直そうとして、いろいろ遣《や》ってみていた期間が、丁度一年だった訳である。それで脚を水に浸《つ》けてはいけないというので、毎年、林作が休暇をとる八月初めの一週間を、上総の石沼《いわぬま》にある別荘で暮す間も、海に入ることは禁じられていた。モイラは、幼い頃、林作に、海に入れて貰った記憶があって、海の恐しさと、魔もののような魅力とを、覚えていた。林作の掌に支えられて、浸《ひた》った海は、生きているようにどよめいていて、それから後何日《あとなんにち》日が経っても、モイラは海が生きていたと信じていた。モイラはひどく海を恐れたが、その癖心のどこかでは、もう一度浸ってみたい魔力のようなものを、感じていたのだ。それで、海へ入れないなら行かない、と言って、永い間、石沼には行かずにいたが、今年はモイラが、やよと街に出た時、ひどく気に入った水着を、見つけた。紫を帯びた濃い紅《あか》で、葡萄酒の色に似た水着である。モイラはそれを、どうしても欲しいと言い出し、林作が見に行って、色を確かめ、買い与えたので、今度は海へ行くと言い出してきかず、とうとう、海へ行くことに、なった。日に一度、水際で遊ぶ位ならいいだろうという、稲本の許可も得た。林作は尚その上にも、稲本に一晩泊りで石沼まで、診に来て貰うことも定めて、休暇を取った翌日、モイラとやよとを伴って、出発した。

 発つ朝、不満を隠してとり済ました顔を慥《こしら》えた御包と柴田とが、玄関先にスリッパの爪先を揃えて見送ったが、ひどく陰湿な、明らかに、モイラの幸福に対する嫉妬と判る表情を圧し隠しているのが、頬や、脣の周囲《まわり》の皺の具合に、見え透いていて、会釈を返した林作の顔の上を、それと判らぬほどではあったが、不快な表情が、掠めた。殊に御包の方は酷《ひど》い、と林作は思った。御包は、モイラが林作にロザリンダのことを訴えているのを、或日食堂の扉の蔭で盗み聴きしてからは、モイラに対する偏執的な憎み、と言うか、一種の変態的なものが、ひどくなって来ていた。それは復習をさせる時の、前より以上に、サジスティックなやり方に現れていて、モイラはそれを林作に訴えていたが、林作は後《あと》一年で、平穏に解約出来るのだからと、考えて、彼女の馘首《くび》を延ばしているのに、過ぎない。御包は、教師をしていたとはいっても、時代がずれているので、もう彼女は、学校でやったことを復習する位で、下浚《したざら》いの方は不確かになって来ていたのだ。モイラも、そんな林作の考えを最近林作から聴いたので、最初から尊敬の念を抱いたことがなく、むしろ莫迦にしていた御包が恐しい眼で見据えても、その瞬間は恐れるが、既に問題にしてはいない。モイラは此の頃ではロザリンダを専ら、恐れていた。

 モイラは常吉も伴れて行くと言ったが、留守宅の要心のためもあったし、林作は既に常吉が、一人の立派な男に成長していて、化物たちの方でひそかに一目《いちもく》おいているのを知っていて、前のように気遣いをして遣る必要を認めなかったこともあって、置いて行くことにした。常吉は、運転手の隣に、かしこまって乗っている、やよの足元や、後部の席の後の棚、モイラの足元なぞに鞄や包みを上手《うま》く入れてしまうと、いつものように真直ぐに立って見送った。その常吉を、モイラの眼が車の後窓から一瞬見返った。常吉は低く掌を上げ、いつもの、胡桃でも噛み割るような口つきで白い歯をみせ、厚い頬に深い窪みをつけて微笑ったが、砂利の軋む音と一緒にみる間に遠ざかったその顔に、深い愛情と、どこかそれを蔽い包むほどの暗いものとを、モイラは見た。

 石沼《いわぬま》は、混雑した海を嫌う林作が、ようよう発見した外房州の海岸で、そこで林作は、牟礼商会には関係はないが独逸人の建てた家を、購《か》った。上下五間《うえしたいつま》の家は広過ぎるが、林作の気に入っている。

 階下《した》の、煉瓦色をした石を敷いたテラスから、褐色の葉裏をみせた橄欖《オリイヴ》色の葉のびっしり繁った樫の樹の並ぶ砂丘に登ると眼の下に、沙漠のような砂地が拡がっていて、その向うに遠く海が鳴っている。風も海も荒い海岸である。林作が石沼へ行くようになってから二年後に、類は友を呼ぶのか又、外国人の別荘らしいのが一つ建った。家の右横に、前の家の持主が砂丘を切り崩した、海へ下りるだらだら坂の道があるが、その向う側に、十間ほど離れて建ったその家は上下|三間《みま》程の小てい[#「てい」に傍点]な家で、濃い緑《グリイン》に塗ってある。時折焦茶色の毛が頭にぴったり纏《まつ》わりついたような、彫刻のような頭の少年を伴れた夫婦が、出入りするのが見えた。ロシア人だということで、その辺の者たちの受けはよくないようすだった。林作は今日出がけになってその家を想い出し、彫刻のような髪の少年を想い浮べた。モイラの生れる二三年前に七八歳だったその少年は今では二十四か五にはなっているだろう。車が門内の砂利を軋ませ、やがて搗《つ》き砕くような音を立てて速度を出しはじめた時、林作はふと、或る予感のようなものを、覚えた。林作はその少年が、背の恐しく高い、引締まった、子柄のいい少年であることを、一度坂道で擦れ違って、見ていて、それを想い出したからだ。

 モイラは、自分が手に持って居ろと命じた、水着の入ったバッグと、苦心して造った、向うへ着いて直ぐ食事をするための弁当、それに魔法壜なぞを膝の上に抱えて、大きな背中とお太鼓を見せているやよを一寸の間見ていたが、林作の肩に頭をぐったりと、凭せかけた。疲れよりは、甘えである。

(久しぶりに海へ行くのと、水着とで、神経が昴奮している。早起きをして睡気があるのに頭が冴えているのだな)

 林作は妄想から醒めて、想い、上半身を一寸引くようにして、モイラの耀く髪の落ちかかる肩に、眼を遣《や》った。

「睡れるか?」

 香料を一切使わない、洗ったばかりの髪から、寄りかかっているモイラの体全体から、ふと、微妙な温度で温められたような、植物性の香気が立った。酒精《アルコオル》洋燈《ランプ》で熱した、花の香いに、似ている。

(子供かと思うと、ドゥミトゥリイと、なかなかませた、別れ方をしている)

 林作は心に想い、何か言うかと、一寸モイラの顔を覗くようにしたが、その儘前に向き、モイラの頭を肩に凭せかけさせたままでシイトに寄りかかり、追分から農大前に差しかかった本郷通りの朝の光に、愛を底に湛えた眼を、細めた。

 八時に両国を発って、午過ぎに石沼に着いた三人は、迎えに出ていた別荘番の四十八《よそはち》と、その息子の四方吉《よもきち》に荷物を持たせ、熱い砂地の道を別荘に、向った。幼い時に見た切りの四十八達に、久しぶりで会ったせいか、ひどくお澄ましになっているモイラは、汗になるというので着せて来た、子供っぽい薔薇色の木綿の夏服を着ているのにも拘らず、ねびまさって見える。それを、林作は満足気に見|遣《や》った。この頃モイラは、幼い時からの前髪を伸ばして、自然に割れて横顔などにかかるのに任せ、肩までだった後《うしろ》の髪は肩の下まで長くしているが、林作の発案で、鬢の髪を後で弛く結び、幅広の黒いリボンを留めたのが、前から見ると、黒いリボンが角く両脇に出ていて、ドオデの〈アルレジエンヌ〉のように見える。林作は若い頃、〈アルレジエンヌ〉のような女に出会いたいと望んでいた。それが今になって、父と娘という関係で出会ったようなものだと、林作は想っている。

 別荘に着くと林作はモイラに、少し睡らなくてはいけないと、無理やりに二階の、モイラ用の寝室に伴れて上がった。やよは、後姿の黒いリボンまでが拗《す》ねているように見えるモイラを、一寸見送ったが、直ぐに荷を解きにかかった。二階の二人に林檎《りんご》を持って行こうと、気附いたのである。千疋屋に特別に注文した、囲いの印度林檎である。やがて古びた銀の皿に、薄緑と暗い紅の林檎、それにフォオクとナイフを添えて持って上がった。丁度四方吉が氷を持って来たので、冷蔵庫に入れて貰い、林檎には魔法壜の冷えた麦湯を添えた。

 モイラは、襟を狭く刳《く》っただけの、白いロォンの下着で、寝台に横になり、大きな眼を開《あ》いていて、此方を見た。眉を吊り上げ、大きな眼を下目遣いに、少し脣を膨ませ、子供が泣きかける時のような、不平な時の顔だ。林作は肱掛椅子を起ちかけていたが、林檎を見ると又かけ直して、言った。

「やあ、御馳走になろうか。モイラはどうだ」

「パァパ。剥いて」

 モイラは膨れたままの顔で、言った。

「風呂は俺が入った後《あと》、やよが入れ。暑かったろう。モイラはひと睡りしてから入れよう。……やよ、化けものが二人いないといいなあ」

 やよは盆を持って立った儘、遠慮深く俯向いた顔で、言った。

「はい。これでドミトリさんも居《お》られれば、よろしゅうございますね」

「そうだなあ……」

 林作はやよが毛先ほどの色気もなく、言うのを聴いて、優しい微笑いを籠め、愛情深い眼で、やよを見た。

「やよ。これ、冬ののように甘いよ」

 モイラはそう言って立ち上がり、林檎の切れを囓《かじ》りながら、海へ下りる坂道に面した小窗から外を見下ろした。

 モイラはその時丁度、海の方から歩いて来る一人の青年を見た。逞しいが、背丈がひどく高く、背の伸び過ぎたような青年だ。意志の強そうな、だが寂しい表情の美青年である。黒のパンティ一つで、腕や脚に砂をつけた青年は、窗の下に近づいた時、モイラのいる小窗を見た。それは偶然だったらしいが、この外国風の家が日頃気になっていて、習慣的に見上げたようでもある。青年はモイラを凝と見て、思わずのように、微笑《わら》ったが、モイラは独特な曇りのある眼で、青年を見ていた。どうしてか知らぬ。青年には林作の持っている何かがある。甘えたいようになるものを、持っている。聖母学園で、友達が噂をする若者たちのようなのとは全く異《ちが》う、一種変った青年である。モイラは初めて他人の男を、どこかで自分と繋がる、親しい人間として、視た。それは青年が、モイラを自分のものとして得る資格が、自分にあると、そういう自信を持っていて、モイラを見たからでも、ある。その青年の自信が、モイラを捉えたのだ。モイラは今まで若い男に関心がなかった。自信を持って、モイラを見た青年がなかったのだ。モイラは、自分では知らずに、青年を魅している、魔もの染《じ》みた眼で、青年を見ていて、これだけのものを殆ど一瞬に、見た。

 モイラは微笑わなかったが、青年はモイラが自分を嫌ってはいないのを、これも瞬間に、知った。多くの少女は本能で、男をじらして、自分を価値づけることを、知っている。モイラはくるりと背を向けて、窗から姿を消した。そうして又寝台に、横になった。

 モイラの顔から、不機嫌が無くなっているのを、寝台の裾から脱いだ服を取り上げて、出て行こうとしていたやよも、林作も、気づいた。

 モイラは囓りかけの林檎を皿の上におき、妙にだらりとなって、林作を見た。いつも林作を魅する、愛情を食いたくてならない肉食獣の眼だ。どうしたのか、林作に甘えたい心が尚一層、烈しくなっている。懶《ものう》さの中に、魔がある。悪魔のようなものが、モイラの中で大きく膨れ上がって、モイラ全体が、〈甘え〉の塊りになったようだ。つい先刻《さつき》まで持て余していた不機嫌が、苦しいような、甘えに変ったのが、モイラ自身にもどうしていいのか、わからぬのだ。

 林作はモイラが窗で何かを視たのを知ったが、問い質しはしなかった。林作はモイラの、貪婪な眼を、可哀くてならぬように見返し、モイラが接吻を待っているのを知ると起ち上がって寝台《ベツド》に近寄った。

「どうした」

 モイラは答えもせずに顔をぐたりと横にし、上目遣いに、寝台の背の方を見ている。林作はモイラの頬に接吻を与え、

「睡れたらお睡り。パァパが上がったら一度、やよに見に来させるから」

 そう言って林作は、夏袴の音を立てて、出て行った。林作は接吻をして遣《や》った時、脣の真中辺に、林作が、〈脣の子供〉と言っている、小さく飛び出したところのある上脣を反《そ》らせ、モイラが恍惚《うつとり》と脣を弛めていたのに、気附いていた。

(若くて美しい、半獣神を見たのかも知れない)

 林作は心に呟いた。林作の心に再び、二十四五になっている筈の、隣の青年が、浮んでいる。そうして林作は、寝かす時には額にしている父親の接吻を、つい、頬にした理由にも、気附いていた。

 モイラは、自分でも知っている、綺麗で、花のような香いのする自分の体が、今見た青年の、烈しさを潜めた表情に、関聯のあることを、何処かでする、予感《プレサンチマン》としてしか、意識していない。それが却って強い香気のように、花の蜜のように、モイラの中から発していて、それが何かを感じ取った林作を、可哀くてならないように、させたからだ。その香気が、殆ど林作の中の男を誘惑するばかりで、あったからだ。

(俺までが半獣神になっては困る)

 林作は階段を下りながら心に呟き、やよが支度を調《ととの》えた湯殿へ下りて行った。

 モイラは懶《ものう》さの中にいた。モイラは誰かに甘えでもするように、体を大きく、くねらせた。体の中に、どうやって甘えたら満足出来るのか、わからぬ心持が、むく、むくと、持ち上がっている。

 モイラはどことなしに眼を据えると、薔薇色の脣の両|端《はし》を思い切り窪ませて、秘密らしく、微笑った。先刻《さつき》の青年の微笑いに応えた微笑のようなものだ。だがモイラの微笑いには何処からか、魔が忍び入って、いた。

 モイラはもう一度体をくねらせて壁の方に向いた。モイラの心の奥底には、莫とした満足感がある。

(あれは隣のロシア人の子だ。あの人はもう私《あたし》の捕虜《とりこ》になった)

 だが、その意識もやがて、懶いようなものの中で薄れ、モイラはいつか睡りに落ちた。薔薇色の脣を半ば開けた、モイラの寝顔にはたしかに、悪魔と、子供の、二つの魂が宿っていて、その二つのものは親子の獣のように、仲よく戯れているように見えた。悪魔と子供、と言うが、子供というものが、悪魔を中に持っているものなのかも、知れない。聖なる場所であろうとしながら、現実には汚穢の室内である、母親の胎内の、人知れぬ夢から、醒め切っていぬ子供は、その、そこには本能だけがある生温《なまぬる》い水の中にいた時の獣的なものを、生れ出ると同時に、何処からか来て住みつく精神の中に、影のように、残しているものなのかも、知れない。

 石沼の湯殿には、この家の元の持主が捨てて行った、古い洋燈《ランプ》が、板壁に打ち附けた洋燈《ランプ》の台と一緒に、その儘にしてある。林作は浴槽に沈み、その砂でざらついた台の辺りに、眼を遣りながら、或る想いに浸っていた。元の持主の男は風呂好きだったらしく、特別に大きな浴槽が置いてあった跡があったので、林作は丁度その跡に嵌《はま》る、風呂桶を造らせて、置いている。

(モイラの中には子供と悪魔とが、混《まざ》り合っている。そこが可哀らしさの根元《もと》だ。尻尾のある悪魔と、子供とが犬の仔のようにふざけ合っていて、引き分けるのは難《むつか》しい。元来子供は皆ああいうものだろう。平凡な両親は子供も、悪魔も殺してしまう。だが完全に殺すことは出来ないので、子供の方も、悪魔の方も、醜い、愚かしい形になって、こびりつくようにして残るのだ。悪賢い大人と、融通の利かない常識とがそれに代ってひっつく。生れぬ前から持っている子供と悪魔を残しておいて、その上に出来上がってくる大人。それが余り日本人にはない。生れつき悪魔を持たない奴は無理にくっつける必要はない。ドゥミトゥリイのようなのだ。又無理にくっつけようと言ったってくっつけられるものではないだろう)

 林作の沈んでいる風呂桶は、モイラの生れる三年前に、この家を購《か》い取ると同時にとりつけたので、余り使わなかったが、時代がついている。林作は、家を購ってから六年目に、伴《つ》れて来た、満三歳のモイラを、この風呂桶に抱いて入れて、洗って遣《や》った日々の光景を、現在《いま》のことのように、想い浮べた。

(その時分《じぶん》から手応えのある、悪魔の皮膚をしていた……)

 砂の附着《つ》いた脚を、湯の中で落して遣ると、モイラは擽《くすぐ》ったがって悶え、林作の頸に固くかじりついた。海に入れて遣《や》った日の夜、モイラは「うみ、こわい。うみ、こわい」と繰り返して、怯えたように言い、丁度、恋人のように、体をぴったりと、林作の胸に密着させ、小さな、固く肥えた腕や脚を絡めつけたのだ。林作はその幼いモイラと、今|階上《うえ》で寝ている、悪魔の美を、体にも現して来ているモイラとを、心の内に比べてみている。

(現在《いま》、モイラに、この風呂に一緒に入れと言ったら、恐らくモイラは直ぐに入って来るだろう。一年半程一緒に入らぬから、習慣が跡絶えて、無くなっている。それでモイラは、大きくなったことに羞《はにか》みを見せるだろう、だがよく日本の女にある、品の悪い羞《はずか》しがりは、ないだろう。モイラはそんなように育ててある。だが既《も》う充分に、エデンの蛇が隠すことを教えた、悪魔の果実が、胸にも腰にも、熟しはじめている。両親が悪魔を叩き出してしまったために、裸になっても、女が何処にも感ぜられない、それかと言って男でもない。そんな娘が一般だが、モイラはそんな体をしてはいないだろう。衣《きもの》の上からでもそれは判るのだ。そこで俺はどうかすると、苦患僧《くげんそう》の心持を、幾分かは抑えねばなるまい。ドゥミトゥリイは苦患僧の悩みの中に陥っている。モイラはドゥミトゥリイに意地悪もしているが、親しみからくる甘えを持っている。だが)

 この時林作は苦く、微笑った。

(モイラのような奴に甘えを持たれた側は災難だ。結局恋愛が成立したとしても、モイラの相手は苦患僧になる運命を免《まぬが》れまい。何故ならモイラが愛するのは、モイラ自身だけだからだ。この俺も、モイラの餌だ。生きた肉をむさぼり食わないでは一刻《いつとき》もおとなしくしていない、あの可哀らしい肉食獣に対《むか》っては、承知で餌になって遣る以外にはない。だがあの仇気《あどけ》ない、まだほんの子供で、一寸突つけば泣き出す、あの可哀らしい肉食獣は、何時になったら大人になるのか、甘え放題だ。教育しようとする俺の手を封じてしまって、溺れている俺の心を、底の底まで見抜いている)

 淡黄色《うすぎいろ》い午後の光が、窗から斜めに差し込んでいる浴槽の中に沈んでいる、林作の顔の上には、神のような父親の微笑と、その裏に潜む一人の男の、あるか無いかの、悪魔の微笑いとが、どこかで美しい均衡を、保っていた。

    *    *

 先刻《さつき》、窗の下を通りかかった青年は、林作の想像通り、隣の別荘の息子で、名をピータアと、言った。

 ピータアは、稚さの中に魔を潜めた、モイラの顔に魅せられ、モイラとの再会を待ちわびていた。

 その夜ピータアは、愛用の、濃い緑の毛布を二つ折りにして、上から包《くる》むようにした幅の狭い寝台《ベツド》に、腹匍いになっていて、心に呟いた。

(あの娘をもう一度、見たい。何か手に食いものを持っていたが。……あの窗のある部屋の中はどうなっているのだろう。……魔ものと子供の混血児《あいのこ》だな。赤ん坊のような、可哀らしい上脣を反らせて、最初は不機嫌な顔をしていたが、俺をじっと見はじめた。まだ稚い。そうして処女《むすめ》だ。それでいて、手軽には人に覗かせることさえしまいとしている、事実覗かせたことはない、俺の胸の中の熱いものを苦もなく吸い上げて後《うしろ》を向いてしまった奴だ。どうしたのだろう。こんなことは今までに無かったことだ。あの頬を捉《つか》まえて、烈しい接吻をして遣りたい。呼吸も出来ぬようにして遣りたい。あの曇ったような、無関心な眼が、あの娘自身は知らないでいて、俺に接吻を強要する。あの子供のような脣が、俺の中からサジスティックなものを掻きたてる。俺は自分の中にこんなサジスティックな情熱が隠れていようとは思っても見なかった。あの妙に曇った眼と、可哀らしい脣とが、俺の中からサジストゥの尖った爪を誘い出すのだ)

 ピータアは枕に顎を載せると、下脣を強く噛み、光る眼を壁に据えて、そのまま長いこと、動かなかった。

 同じ刻《とき》、モイラは、林作の微笑の眼が追う前を、卓子《テエブル》を廻り、濃紅《あか》い水着一つで、食堂から上がる階段を、登っていた。

 モイラは食事前にシャワアにかかり、やよに手伝わせて水着を着てみたのだが、先刻《さつき》窗の下で、自分を凝と見ていた青年と、又海で出会うかも知れないという、新たに出て来た、不思議な歓びがあって、水着を着る歓びが、倍に膨んでいる。湯殿の上がり場の鏡に映った、濃紅《あか》い水着を着た自分の姿は、ひどく綺麗に見えたのである。それでその儘、脱ぎたくないと言い張ってやよを驚かせ、モイラは水着を着たままで夕食の卓子《テエブル》に着いた。小さな円い肩が男の子のように張っていて、濃い紅《あか》の水着の胸を持ち上げている、固い果実のような乳房は、両脇に近く離れてついていて、それが不思議になまめかしい。卓子《テエブル》を廻って行くのを見ると、稚く薄い胴中から俄かに張って、西洋の女のように上に持ち上がった、見惚れるような肉附きを示している腰、下肢の辺りは、十七歳には見える豊饒を見せている。

(おかしな奴だ)

 と、林作は心に呟き、微かに好色な色を帯びた微笑いを眼底《まなぞこ》に潜めて、子供のように自然で、大胆な様子で歩いて行くモイラを見送った。

 林作が、モイラの裸を見ないようになってから久しいが、日頃林作の見るに任せている、円みを持って来た頸、蜂蜜を塗ったような肩、腕、衣《きもの》の上から見て、ふと愕くことのある、発育した腰、襟の開《あ》いた下着でいる時などにふと窺われる、両方の乳房への、固く張った坂の一部、なぞから、成長したモイラを知ってはいたが、水着一つになったモイラを見て、林作は不思議な感動を、覚えた。

(あの小さなモイラが……)

 と、林作は心に呟いた。

    *    *

 ピータアの待った機会が来たのは、翌日の、陽の沈もうとする時刻だった。

 やよと海へ出たモイラは、やよが夕飯の支度に急いで帰って行った後《あと》、一人残って、大きな波の被《かぶ》るところまで海に入って行って、戯れていた。林作が書類を持って二階へ上がったのを見ていたからだ。林作に言われて、やよが直ぐに引返して来るにちがいないので、波を被るのは二三回で諦めて、泡立ちながら、足に戯れる波際を、未練そうにばちゃ、ばちゃ遣りながら上がって行った時、昨日《きのう》の青年が近づいて来るのを見た。

 黒のパンティ一つの青年は、広々とした灰色の砂を後《うしろ》に、西洋の絵で見る裸の兵隊のように浮き出して、見えた。紅みを帯びて陽に灼《や》けた、組んでいる逞しい腕は、もしその腕で殴られでもしたら、骨まで響くのではないかと思われるようだ。青年は急ぐでもなく真直ぐに、歩いて来る。そうして顔が見える程近づくと、優しい微笑いを浮べた。昨日《きのう》の微笑いだ。青年はモイラから幾らか離れた岩に腰を下ろして、モイラを見た。微笑いが消えて、優しい眼が暗く、光っている。その眼の中にはモイラの見たことのない恐しいものが、光っている。モイラは凝と、青年の眼を見返して立っている。

「君は幾つ?」

「……十五と八箇月」

 モイラは青年の眼から眼を離さずに、言い、足もとの砂を足先でこじ廻すようにしながら無意識のように、体をくねらせた。

「名は?」

 モイラは一つ瞬きをし、長い睫毛を弾《はじ》くように大きく眼を開いて、彼を見た。青年の暗い額と、ひき締った脣元《くちもと》に熱い愛情を、見たのだ。自分に溺れかけている男の中の熱いものを、モイラは読みとった。だが、可怕《こわ》い。

「モイラ」

 青年の眼を瞶《みつ》めたままで言ったが、どこかで、先刻《さつき》から、自分が獲物になったような気がしていて、その怖れのようなものが無くならない。モイラは先刻《さつき》青年が近づいて来た時、獲物を見定《みさだ》めて真直ぐに、ゆっくりと舞い下りて来る鷹が、頭に浮んだのだ。いつか写真で見た、羽毛《うもう》の洋袴《ズボン》を履いた脚を垂直に下げ、爪を平らに延ばすようにして下りてくる、絶海の鳥。だが青年は自分を爪の下に抑えなかった……。その怖れは、自分の体の内側にあるような気がしてならない。その癖、肉食獣のモイラは、青年の抱いている自分への愛情をむさぼり食いたい誘惑も、感じている。ピータアはふと、燃え上がるようなものを、抑えた。

(この眼だ)

 男の愛情を捉まえた驕慢を隠している二つの眼。しかも今日は、小鳥のような怖れを潜めている。

 ピータアは立ち上がり、獲物を追うように二三歩、モイラに近づいて、腕を後に廻し、まだ自分から眼を離さずにいるモイラを吸い入れるようにして視たが、腕を組むと微笑って言った。

「君はどの位いるの? ここに」

「わからない……パァパが一週間お休みで来たの」

「僕のところへ遊びに来ない? 知ってるでしょう、僕の家《うち》」

 ピータアの濃青《ブルウ》の深い眼はモイラの顎が微かに頷くのを、捉《とら》えた。その時モイラが砂丘の方を見た。ピータアも振り向くと遠く大きな、女中らしい女が走るように来るのが見えた。

「パァパに聞いてから」

 そう言うとモイラはやよの方へ走り出した。

「僕の名を知りたくないの?」

 モイラが立止って振り返った。

「僕の名はピータア・オルロフ」

 モイラは脣の端《はし》を一寸窪ませ、秘密のように、微かな微笑いの影のようなものを見せ、

「やよ」

 と叫ぶように言って走り出した。

 一度振り返ると青年が手を高く挙《あ》げている。モイラは又凝とそれをみると、今度は後《あと》も見ずに走り、女中らしい女に肩を囲われるようにして、歩いて行った。女は遠くからピータアを注意深い眼で見ているようだったが、警戒の色は解いたように見えた。ピータアはモイラ達の後姿が小さくなったのを見ると、勢よく海に飛び込み、水煙を立てて波に乗って泳いで行った。

 脣《くち》までもって行った甘い果実を、横から来て奪《と》って行かれたような気が、ピータアはしていた。モイラはピータアにとって既に蜜を豊饒《たつぷり》含んだ、甘い果実に、ちがいなかった。

 モイラという名の果物は、神だか、自然だか知らないが、何者かによって今まで、ピータアが近づくまで、他の誰によっても啄《ついば》まれずに、甘い蜜を湛え、誰にも見えない密林の中で、密《ひそ》かな香《にお》いを放っていたのだ。少間《しばらく》の間抜き手を切って波の間に見え隠れしていたピータアは、百|米《メエトル》程泳ぐと仰向けになって浮き、まだ夕陽の残映が、幾らか紅い色を残した灰色の、重い空を仰いだ。

(窗で俺を見た時から、俺が自分の網にかかったのを見ぬいていたあの小さな魔女め。……その癖|暈《ぼんや》りとした、子供のようなところがある)

 ピータアは波を被って濡れた顔を片手で撫で下ろし、再び今度はゆっくりと、岸へ向って泳ぎ始めた。

(あの眼が曲者なんだ。曇りのある、不思議な硝子のような眼が、あの蜜を塗ったような体を、人に与えようという意志も、与えまいという意識もなしで、凝《じつ》と見開いている。それが魔だ。どうしてああいう眼が出来たのか。どうして、あんな果物が実《な》ったのか。どうして俺はあの魔ものと出会ったのか。すべてが不思議だ。どうして。どうして、俺はサジストゥに化《な》ったのか。今日も俺はあの娘が水遊びに夢中になっているのを、遠くから見た瞬間、もうサジスティックな情念の捕虜《とりこ》になっていた。あの娘も、それを敏感に、感じとっていたようだ。鷹が舞い下りて来るのを、背中で感じとった小兎のように動かずに凝としていたあの娘の肢体が、俺に火を点けた。Je l' ai allumee(私《あたし》はあの人の心に火を点けてやった)というフランス語が、何処かにあったな。モオパッサンだ。俺の場合は elle m'a allume(あの娘は俺の情念に火を点けた)だ。それにあの脣だ。窗で見たよりも、傍で見ると厚みがある。まるで、乳を欲しがる赤ん坊の脣だ。……あの脣のためなら。あの脣を奪うためなら、あの脣を俺のものにしておくためなら、俺は何をするかわからない……いけない。どうも俺は今日、いや、あの窗を見上げた魔の日から、俺は俺でなくなっている)

 ピータアは急に、抜き手を早めた。ピータアは部屋に早く帰りたくなったのだ。自分の巣に帰って考えて、この情念に身を委ねるなり、抑制するなりしたいと、思ったのだ。ピータアは東京の家でも、別荘でも、友達の家に泊っている時でも、何処にいる時でも、常に自分一人の部屋と、自分一人の寝台《ベツド》を、必要だと、していた。ピータアは、自分の部屋の寝台《ベツド》に寝転んでいないと、本当には、自分自身になれないと、誰にでも、言っている。そうして寝台《ベツド》は、兵士のそれのように狭く、固い、シングルだ。その寝台《ベツド》を、自分の部屋の、三方を書棚で囲んだ一隅に、書棚に沿って据え、濃緑の毛布を二つ折りにしてその寝台《ベツド》を包むようにして、その寝台《ベツド》の上を、「ピータアの城だ」と言っている。そうして寝台《ベツド》の頭の所に焜炉《こんろ》を置いて、濃い褐色の琺瑯《ほうろう》引きのソオスパンをかけて、シチュウや肉汁《スウプ》を、寝台《ベツド》から身を乗り出すようにして煮る。ピータアは父親のセルゲイと仲よしだし、母親のタマァラを誰よりも愛しているのだが、そう遣《や》って、一人で暮す時間が、好きなのだ。そうして煮ながら、枕の上に開いた小説を読む。ピータアは帝国大学の医科を出て、東京で洋書を置いている書店に臨時勤めをしているが、小説を書きたいと、思っている。他人《ひと》には緩《ゆる》いが、自分にはひどく厳しい。まるで戒律を布いているかのようだ。ピータアはもと、同級生の間で、「牧師のピータア」とか、「神父」とか、言われていた。自分の心の中のことは、誰にも言わない。ピータアを深く愛する人間が、ピータアを凝と視ていて、推察をするだけである。その推察が当ると、ピータアは困ったような、幾らか不機嫌な、顔をする。だがその人間が好きな奴だと、脣の端に一寸微笑いを見せ、困った中にもうれしくなくもないらしい顔をすることもないではない。

 その自分の巣へ、ピータアは矢も楯も堪らず、帰りたくなったのだ。

 海から上がると砂はまだ昼の間の、生熱《なまあつ》さを、残していた。大きな砂の海の、砂全体が、底に太陽の火を貯蔵していて、それが脚からピータアに、襲いかかる。

(かまうものか。俺が俺でなくなったって。人生には狂気の季節があったっていい。俺はあの脣を、奪《うば》って遣る。俺を狂わせる、あの薄紅《あか》い、森の木の実を奪って遣る。俺が初めての猟人《かりゆうど》だ。あの蜜を塗ったような肩をこの掌に捉まえて、捩《ね》じ伏せて遣る。そうして、決して動かさせはしない)

 海から遠くなるにつれて砂の余炎は熱くなる。ピータアはモイラの別荘に眼を遣り、ふと、立止った。そうして顔を伏せた。額に暗い色が塗られているのが、空が翳《かげ》り、夕刻の色が辺りを籠めている中でも、見分けられた。

 俯向いた儘ピータアは、ゆっくりと、濃緑の家をさして、歩いた。

    *    *

 ピータアは、窗の中に見た娘が、海で遊んでいるのを見附けたことが、僥倖《ぎようこう》などというものではなかったのにも拘らず、それをひどく不思議な、一つの奇蹟のように、思った。ピータアは、窗の中の顔を見たことと、海で見附けて近寄って行って、一言、二言、話をしたことと、それだけのことで、既にモイラという娘の持っている何ものかに、捉《とら》えられている。モイラの持っている、或もの、それはピータアの深部まで届いている、ピータアという青年の、霊も、肉も、含めた、ピータアの芯髄《しんずい》のようなものに、既にそれは巻きついて、いた。粘り気のある纏《まつ》わり方で、まといついていた。まだ子供で、何かを聞けば、子供のような受け応えしかしない。明らかに、処女の恐怖が娘の全身に満ちていた瞬間があったばかりではない。会っていた間、初めから終りまで、その可憐な、獣の仔のような怖れは、モイラという娘を離さなかった。そうしてそれはピータアの中の男を、絶え間なく刺戟し続けて、いたのだ。だがそれでいて、その怖れている娘の中に、(自分はこの人を擒《とりこ》にしてやった)という、一人の女の、満足した、秘密な歓喜が、あった。そうしてその(擒にした)という歓喜には不思議に、馴れが、あった。その一種邪悪な歓喜は初めてのものではない。既に何匹となく、虫を捕ったことのある子供の、残酷なものさえ混えた、歓喜だ。ピータアは烈しく、捉《とら》えられた。しかも幼児のような処女の怖れを潜めて、眼を外したら襲われるのだとでも信じているような様子で、ピータアの眼から、眼を離さずに凝としていた娘の、濡れた二つの肩を、ピータアは忘れることが出来ない。濡れた肩は既に女の肩の表情を持っていて、体をくねらせた瞬間などは、思わず掌で確《しつか》りと捉まえたい、そうして脣をあてたい、誘惑を覚えさせたのだ。濃紅《あか》い水着の胸を持ち上げている二つの乳房は、両脇に近く、離れてついていて、処女の埋葬だったか、聖母《マリア》の誕生だったか、ピータアが何かの書物で見た希臘《ギリシヤ》の彫刻を想い浮べた程、円く、固い、盛り上がりがあった。幾らか卑弱な胴を伝って腰へ行くと俄かな成熟が充ちわたっていて、ピータアが何かの写真で見た、くびれのある程肥えた魚のような、腹から脚の上部と、後を向いて駆け出した時に見た、十六歳未満にしては熟した腰とは、ピータアの眼を吸い寄せて離さない力を、持っていた。

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