風見はなるべく会わせたくないらしかった。冬本のような鋭さは感じられないが、やんわりしたものいいの底に、べっとりからみつくものがあって、したたかな人間を感じさせた。
刑事などが着たらとても様《さま》にならない、大胆な仕立ての服を、いとも無造作に着こなし、にこにこと微笑みかける愛想のよい笑顔の底の目が、いつも冷たく澄んでいる男である。
「ほほう、しかし新聞記者のインタビューには応じたそうじゃないですか」
下田刑事がすかさず切り返した。何気なく小耳に留めていた情報が、相手の弱いところを突いた。思わずグッとつまった風見は、
「なるべく短い時間にしていただきたいのですが」
と渋々譲歩した。
風見が折れなくとも、捜査上必要だと強引に押すこともできたが、なるべく穏便《おんびん》に会えればそれに越したことはない。
風見に導かれて、応接室へはいって来た四つ葉みどりは、訪問者を刑事と聞いておどおどしていた。タレントらしく派手な化粧を施しているが、実り切らぬままに年ごろになったという感じの女だった。
これでは大して歌もうまくあるまい。刑事の印象は、みどりに口をきかせてみると、間違っていなかったことがわかった。まるで舌たらずの話し方で、何をたずねてもまともな答ができない。
いちいち風見の顔を見ては、ピントのずれたことを言っている。最初は風見の顔色をうかがっているのかとも思ったが、別にそうとばかりとも見えず、自分の判断では何を話してよいのか見当がつかない様子である。
語彙《ごい》の貧弱なことといったらお話しにならない。
「このたびは大変なご災難でしたな。あなたにとっては思い出したくないことと思いますが、捜査の参考のためにご協力ください」
柔らかく切り出したのは大川である。
「ところで冬本部長の部屋にはどうして連れこまれたんですか? 夜、ホテルの部屋で男と二人きりになったら危険だという意識はありませんでしたか?」
「部長さんにかぎってと信じていたんです。ちょっと部屋を見ないかと誘われて、何気なく尾《つ》いて行ったのがいけなかったんです」
「睡眠薬はどうやって服《の》まされたのですか?」
「たぶん、ホテルのバーで飲まされたカクテルにはいっていたと思います」
「何時ごろ部屋へ連れこまれたのですか」
「夜の……午前一時ごろだったかしら」
みどりは風見の顔をちらちらとうかがい見た。風見はみどりを連れてくると、そのまま、そこへ居すわっていた。みどり一人にすると何を喋《しやべ》られるかわからない心配が、彼をその場から去らせないのであろう。そういう心配があるということは、この事件に何らかの作為がある証拠とみてよいかもしれない。
みどりの発言に反応する風見の表情が、けっこう捜査の参考になるので、刑事らは彼を追い払わなかった。
「それまではバーで飲んでいたというわけですか?」
みどりは不承ぶしょうという形でうなずいた。
「おかしいですね」
今度は下田が言った。
「ホテルのバーテンダーに訊《き》いたところ、あの日、冬本氏の姿は見えなかったそうですよ」
「あの、そ、それは……」
みどりが口ごもったところへ、
「いやそれはロビーにあるソーダファンテンと勘違いしてるんですよ。そこのカウンターでカクテルをつくらせ、ロビーまでセルフサービスで運んでくる間にくすりをしかけたんですよ、な、そうだろう」
風見がすかさずたすけ舟を出した。
みどりがぎこちなくうなずく。
「しかしね、客室係の話では、あの日、冬本氏は午後十一時ごろ自室へ引き取って、それ以後一歩も部屋の外へ出なかったということですが」
下田は、風見の方に一顧《いつこ》も与えず、みどりを追及しつづけた。風見と話しているのではないということを態度で示している。
「私、あたし……」
みどりは途方にくれた声を出した。
「十一時に部屋に閉じこもった男のところへ、あなたは午前一時ごろ訪ねて行った。とすると、ご自分の意志で行ったことになりますね」
「冬本部長はいったん部屋へはいってからまた出て来たんですよ。客室係は部屋へはいるところだけを見て、出るところは気がつかなかったのにちがいありません。客室係といっても、いろいろ他の仕事もあり、一つの階《フロア》にたくさんの部屋があるのですから、特定の部屋だけずうっと見張っていられませんよ」
風見はその客室係も警察の手先であるとでも思ったらしい。
「それでは一応そういうことにして、あなたが部屋へ連れこまれたあと、週刊誌の記者はどうやって部屋へはいることができたのですか? すっぱ抜かれた写真は、みな部屋の中から撮《と》ったものばかりだ。まるでどうぞお撮りくださいと言わんばかりに扉を開け放しておいたようだ」
「冬本部長がよく閉めなかったんです。自動扉ですから、きちっと閉め切らないと、鍵《かぎ》が作用しません」
「われわれは四つ葉さんにお話をうかがっているのですが、風見さんのほうがご本人よりも事情にお詳しいようですな」
下田は、このとき初めて、風見の方へ向き直り、皮肉な口調《くちよう》で言った。
「いえ、僕はただ、あのホテルをよく利用しているものですから、大体そんなことじゃないかと思って」
風見の口調が少し乱れた。
「あの日も確か同じホテルへお泊まりになっておられましたね」
「京急ホテルはうちの常宿になっておりますから」
「週刊誌の記事を何故《なぜ》さし止めなかったのですか? キクプロの力があればできたでしょう?」
「うちはそんなに強くないし、週刊誌はそんなに弱くありませんよ。下手《へた》に工作しようものなら言論の自由の弾圧だとかみつかれます」
「言論の自由ね、しかし、あの記事はどうみてもたちの悪い暴露ものですね。プライバシーの侵害もいいところだ。名誉|毀損《きそん》だって成立しますよ。それにあの週刊誌はお宅と同系なのでしょう」
「同系といったって編集権は独立してます。それに本当のことを取り上げたんですから、名誉の毀損はありません」
名誉毀損は真実のことを報道しても、公益目的でなければ成立する。ただみどりの申立てが本当であれば、冬本の行為が犯罪となるところに法律的に微妙な問題がある。
しかしここで風見と法理論を争ってもしかたがない。それから先は何を訊《き》いてもまったく要領を得なかった。ただ刑事らがここへ来る前の下敷きとして聞き込みをかけたホテル関係者の申立てと、みどり(主として風見が代弁した形)の供述には大きな食い違いがあったことだけがわかった。
2
「ありゃ�狂言�だな」
キクプロからの帰途、大川が言った。ここから渋谷駅まで宮益坂を下る。渋谷という�谷�を越えて、世田谷《せたがや》方面の展望がよい。新宿ほどではないが、ここ数年の渋谷の変貌《へんぼう》には、いちじるしいものがある。
宮益坂から都電の軌道が撤去され、通りの両側には高層建物が林立した。マンション群の新設も旺盛《おうせい》である。�谷底�から三重に立体交差する渋谷駅の上層にそびえ立っている、東急デパートの幾何学的な異形鉄筋は、いかにも都会的な力感を訴える。
南方から張り出した高気圧のせいとかで、十二月の半ばというのに四月ごろのような暖かさだった。だが刑事らには、その暖かさすら意識に上らないようである。
コートのポケットに両手を突っこんで、背中をかがめて歩く。思考は容疑者のアリバイの突破口だけをめぐっている。
刑事の中には聞き込みに歩き回っている間に、自動車に轢《ひ》かれそうになった経験をもっている者が少なくない。犯人の追及だけに頭を熱くしていて、つい信号を見過ごしたり、車への注意がおろそかになったりするのである。
いまも、大川が「狂言だ」と呟《つぶや》いたとき、目は前方に向けられておりながら、眼前の渋谷の都会的な眺《なが》めは少しも目にはいっていないらしかった。歩道のあるところだったからよいが、それのない街路を歩くには最も危険な状態である。
「そうですね、そしてそれを演出したのは風見だ。事件が起きたときに同じホテルの、冬本の近くに部屋をとっていたというのもできすぎています」
と大川の言葉を継いだ下田も、同じような状態にあった。いや目下《めした》の者として外側を歩いていた彼はもっと危険であると言える。
「四つ葉みどりは完全な人形だね。あらかじめくすりを服《の》ませて眠らせておいた冬本の部屋へ四つ葉を入れる。からみ合ったところに、謀《しめ》し合わせておいたカメラマンを踏みこませて写真を撮《と》らせる。四つ葉が強姦《ごうかん》されたという形にすれば、冬本から名誉|毀損《きそん》罪でかみつかれる恐れもない。それにしても何故《なぜ》冬本は抗弁しないのか?」
「冬本の性格じゃないでしょうか? 風見はそこまで計算している」
「いや計算したのは、美村紀久子だろう。女ってやつは冷酷だからな」
「そんなにまでして冬本を除こうとするからには、われわれが冬本にかけた容疑を相当に濃いものと読んでますね」
「それだけじゃない、キクプロ内部から見ても冬本がやったという確信に近いものがあるんだろう」
「冬本ならやると見越して巧みに誘導して、キクプロに都合のよいように動いたあとでは、早速排除してしまう。冷酷なもんですね。もしかしたら、殺人|教唆《きようさ》があったかもしれませんよ」
「さあ、そいつはどうかな? 暗示ぐらいはかけたかもしれんが、教唆となると、冬本を簡単には切れないからね」
「とにもかくにも、冬本のアリバイを崩すのが先決というわけですね」
「そういうわけだ」
二人は渋谷駅に着いた。谷底へ下り立つと、デパートはさらに巨《おお》きく足元から頭上の空へ聳《そび》え立っているように見える。それが彼らにはあたかも冬本のアリバイそのもののように映った。
3
冬本の情況はますます黒くなった。しかしそのアリバイは揺るがない。捜査本部ではそれを崩すべくあらゆる努力を試みた結果、ついに一つの結論に達した。
捜査会議で石原警部が発言した。
「どのように考えてみても、こだま166号の乗客が、ひかり66号の乗客を殺すことは不可能である。冬本のアリバイは、こだま166号からかけた第一の電話にかかっている。第二回目にかけた電話は乗務員が確認したので冬本本人であることがわかった。問題は最初の電話だ。大川刑事の着眼で、再度こだま166号の乗務員を当たったところ、第一回目のときの記憶はあいまいだった。二回目の印象が強かったので、最初も同一人物だろうと速断してしまい、われわれもうっかりとそれに乗せられてしまった。しかし乗務員は初回の通話発信は、冬本本人によるものとは確認していないのだ。少なくとも乗務員の前では、この冬本は替え玉であった可能性がある。これを阻《はば》むネックが、十七時二十二分にこだま166号から発信されたこだまからの冬本の通話を東京二六一−四八六一において、同じ時間に第三者が受信している事実だ。
たとえ乗務員が冬本本人であることを確認していなくとも、この声と記録の符合は絶対に[#「絶対に」に傍点]信じられる。だがこのネックにこだわっていては少しも進展がない。だからひとまずこのネックは保留して、第一の通話は冬本の替え玉によってなされたという仮説をたててみようじゃないか」
石原はみなの視線と興味を集めたところで煙草《たばこ》を点《つ》けた。見習う者が何人か出る。美味《うま》そうに煙を吐《は》き出したところで、言葉を継いだ。
「第一の電話が替え玉だと仮定すれば、冬本は、犯行後ひかり66号からこだま166号に乗り換えることができたかという問題が、重要なポイントとなる。時刻表を見てみよう。ひかり66号が東京駅へ着いた時間には、こだま166号は三島付近を走っている。両列車とも当日はダイヤどおりに運転されていた。三島−東京間約百二十キロ、到着時間差一時間十分の間に、冬本がひかり66からこだま166へ乗り移るための手品を演じる余裕があったか?」
石原警部は問題を提起する教師のような目をして捜査員を見渡した。彼の表情では、彼なりの解答を出しているようである。ちょっとの間重苦しい沈黙が淀《よど》んだが、手持ちの小型時刻表を繰《く》っていた下田刑事がつと顔を上げた。
大川と共に冬本のアリバイ捜査に専従して以来、彼は汽車の時刻表を身の回りから離したことがなかった。
「途中で乗り移るということは不可能ですが、戻る[#「戻る」に傍点]ことはできますね」
石原が我が意をえたりというようにうなずいた。
「ひかり66号は十九時五十五分に東京へ着きます。ここから国電を利用したのでは旧東海道線を走ってしまいますから、後続のこだま166号を捉《とら》えることはできません。上り新幹線に出会うためには、新幹線で下らなければなりません。そのつもりで下り新幹線を見ますと、二十時五分に出る名古屋行こだま207号があります。これは全車自由席です。これが新横浜に二十時二十三分、二十時四十六分に新横浜へはいって来るこだま166号にゆうゆうと乗りこめるのです。東京から車という線も考えられますが、五十分足らずの間に新横浜まで来るのはかなり無理があるし、足どりを取られやすい。戻ったとすれば、この新幹線による折り返し以外にないと思うんですが」
「おれが考えたことも同じだよ」
石原警部が満足そうな面持ちで言った。
(画像省略)
「新横浜からこだま166号に乗り込み、早速通話申込みをした。だから喧嘩《けんか》の電話を新横浜を過ぎてからかけたんだよ。横浜以前ではかけたくともかけられない事情にあった」
「なるほど、そして自分のアリバイに終止符《ピリオド》を打って、いやが上にも完璧《かんぺき》にしたというわけですな」
大川が感嘆したような声を出した。
「しかし、第一回目の通話というネックが堅いのですから、何もわざわざそんなご丁寧なピリオドを打つ必要はないと思うんですが。むしろ第二の通話は蛇足《だそく》だと思うんですがね。時刻表をちょっと見れば、ひかり66号からこだま166号へ戻るからくりはすぐに見破られてしまうし、それに不自然な点が多くなる」
佐野刑事が言った。若いだけに歯に衣《きぬ》を着せない。彼の言葉は、せっかくの下田刑事の発見を軽視しているかのような響きを与えぬこともなかった。しかしどちらもそんなことは気にしていない。
「冬本としては、できれば第二の通話はしたくなかったかもしれない。アリバイは第一の通話だけで充分に成立するからな。第二の通話の目的はほかにあったんだ」
「つまり第二の通話によって乗務員に自分の印象を強く植えつけて、第一の通話申込み者も同一人だと錯覚させるためですか?」
「そのとおりさ」
佐野の疑問を、石原と下田の会話が説明した形になった。
「ということになると、第一の通話者は、ますます替え玉くさくなりますね」
と大川。
「うん。だから�第一�のネックさえ突き破れれば、冬本のアリバイは崩れる。替え玉がこだまから東京二六一−四八六一へ発信し、第三者がその時間に確かにそれを受信した。どうやってこの通話に冬本の声を入れることができたか? 冬本のアリバイはこの一点にかかる」
会議はそこから一歩も進展しなかった。全員がどんなに頭を絞っても、ネックは破れなかった。
「まず仮説を証明するために、冬本の周辺をもう一度徹底的に洗い直そう。
替え玉になれそうな人物を見つけるのが先決だ。替え玉が割れれば、ネックをつくっているトリックは自動的にわかる。殺人のアリバイに協力した替え玉だ。冬本にかなり近しい人間にちがいない。いままで替え玉ということに思いつかなかったので、その方面の捜査が疎《おろそ》かだったが、これからは捜査の焦点を替え玉の発見に絞る。みなもその線に沿って捜査をつづけてもらいたい」
石原警部の言葉を結論として、その日の会議は終わった。
4
顔形や背|格好《かつこう》が冬本信一に似た男の発見に、捜査の焦点が絞られた。何しろ相手が�役者�なので、変装はお手のものである。多少冬本と異なっていても、初対面のしろうとの第三者の目を欺《あざむ》くのは、たやすいことだったであろう。
この捜査は、最初考えていたほど簡単にはいかなかった。とにかく、キクプロには二百人からのタレントがいる。そのうち、男は約百二十人、冬本に接近した年齢層のタレントは十名ほどだが、「老《ふ》け役」「若造り」自在の人間どもだから、老人や�子役《ジヤリタレ》�も対象からはずすわけにはいかなかった。それに女の男装ということも考えられる。
特に最近の傾向として、「歌うスター」や、「演技する歌手」が増えたために、役者と歌手の境界がはっきりしなくなったから厄介だった。
キクプロ以外のタレントを使う可能性もあったが、とにかく殺人のアリバイ工作に利用するのであるから、やはり自社のタレントを使ったと考えるのが順当である。
�特別の引立て�という餌《えさ》をちらつかせれば、地獄へでも飛びこみかねない�スター亡者《もうじや》�に、この捜査に専従してから食傷するほど接触してきた捜査員たちは、冬本がその餌を豊富に投げ与えられる地位にあったところから、キクプロ内部のタレントを使ったのにちがいないと睨《にら》んだのである。
除外できる者もあった。それはすでに一流タレントとして売れている人間である。スターの座をすでに獲得しているのに、何もすき好んで危ない橋を渡る必要はない。
「しかし、知らずして使われるということもあります」
「使われた時点では知らなくとも、どうせわかることだよ。冬本の変装をして、電話をかけた同じ時間に人が殺されれば、しかも冬本のライバルが殺されたとなれば、どんなボンクラでも自分がアリバイ工作に利用されたということはわかるだろう。普通の犯罪じゃなくって殺人なんだから、黙っちゃいないさ。この替え玉は単なる道具じゃなくて、共謀しているね。共謀となれば、有名タレントは使えない。彼らはもう冬本づれに特別の引立てをしてもらう必要はないからな」
「過去の引立ての恩返しということはありませんかね。冬本のおかげで売り出せた、その恩義にからめられて、やむを得ず片棒かついだ。それから、いまは売れっ子になっているが、冬本にさからうとオロされるかもしれないという不安から、手伝う可能性もあるんじゃないでしょうか?」
「そういうことも考えられるが、無名の、自分を売るためには何でもする連中がわんさといるのに、スターを過去のしがらみにかけて無理に使うというのは不自然だよ。それにだ、あまり売れすぎていては、顔を知られているから替え玉には危険だ」
「するとずっと冷めしを食っていたのが、最近冬本に起用されて急に売り出したというのが一番怪しいことになりますね」
「冬本が約束どおり、特別に引き立てていればな」
下田の疑問に答えた大川の意見が、結局捜査本部の方針となって、キクプロの、�大部屋�のタレント、および最近売り出したタレントが捜査対象となった。
こうして根気強い捜査の結果、次の三人のタレントが浮かび上がったのである。
宮野明《みやのあきら》(24)三年前にキクプロ入り、テレビドラマの端役《ガヤ》にときどき出ているが、鮮かな個性に欠けてパッとしない。最近冬本とよく接触している。
星村俊弥《ほしむらとしや》(27)四年前に専属、ディスクジョッキーの司会などをやっていたが、センスとウイットに乏しくて何となくかすんでしまった。最近冬本の肩入れで歌手に転向、ポピュラー調のよい曲を与えられて割合好調だが、声量がなく、なまりが強いので、あまり有望視されていない。
大野一郎《おおのいちろう》(23)歌手。専属一年、バイブレーションのないストレートに伸びる声で最近めきめき売り出した。特に冬本に可愛《かわい》がられ、最近キクプロの|請負い《ユニツト》番組「青春へまっしぐら」の主役に起用された。
「この三人、いずれも顔や体つきが冬本によく似ております。サングラスをかけさせて冬本を知らない第三者にちょっと顔を見せれば、充分冬本として通用するかもしれません」
大川の報告に基づいて、さっそく三人のタレントの写真が集められた。人に顔を売るのが商売のタレントだから、写真を手に入れるのは簡単だった。写真は乗務で東京駅へ着いたこだまのウェイトレス、酒井圭子のもとへ送られたが、酒井はその中のどれとも再認できなかった。
またかりに彼女が再認したとしても、彼女が見た替え玉(本部の仮説による)の印象がごく薄い上に、写真という静的な、縮小された構図による認知は、証拠価値としても低い。
「とにかくこの三人の事件当時のアリバイを洗ってみよう」
疲労と焦燥の色濃い捜査本部で、石原警部が己《おのれ》自身のあせりを抑えて言った。
5
捜査本部が開設されてからすでに二か月が経過している。専従捜査員は、本庁と所轄署を合わせて二十数人、まず緑川、美村、杉岡、冬本の四人の容疑者を割り出し、冬本一人に絞っていった。その間のしつような聞き込みとアリバイ捜査。早朝から午後十時過ぎまで歩き回った末に、本部へ帰って捜査結果の報告と検討、情報資料の交換、それから翌日の予定を立てて、帰宅するのは連日午前零時を回る。
それでも家へ帰れる者はましなほうで、着たきり雀《すずめ》で本部に泊まりこみ、捜査に従事している者もいる。
冬本の容疑が濃厚になったとき、例のスキャンダルが暴露され、本部の中には「強姦《ごうかん》致傷」で別件逮捕してはという強硬意見も出たが、「三億円別件逮捕事件」以来、にわかにこの警察の奥の手に対する世間の風当たりが厳しくなって、みだりに使えなくなった。
別件逮捕による�敵本《てきほん》主義的�な本命事件の取調べは、逮捕状に記載されている被疑事実はそっちのけで、まったく別の事件が追及されるところに、すでに問題があるが、かんじんの本命事件に関するきめ手がないため、自供を強制するという形になりやすい。
それに被害者たる四つ葉みどりは、どこにも傷害を受けておらず、「単純|強姦《ごうかん》」だと本人の告訴がないと何ともやりにくい。
たとえ親告罪の捜査でも、被害者が告訴するまでに証拠が散逸するおそれのある場合は、強制捜査も許されるとされているが、被害者の告訴しないことがはっきりした場合は、もはやそれは許されないとされている。
本人はもとよりキクプロ側としては、もともと冬本を失脚させるために仕組んだ芝居であるから、告訴する意思など毛頭ない。
公判に持ちこまれて、検事や弁護士にいじくり回されてはたまったものではないという腹である。
四つ葉みどりを処女ということにして、処女膜損傷による強姦致傷でひっくくってはという強硬意見も出たが、これはあまりに強引にすぎて採られなかった。とかく噂《うわさ》のあるタレントを、いまさら「処女」というのも無理であろう。
年末年始はあっという間にすぎた。減益のために民放テレビ各局で、特別番組が激減しているにもかかわらず、相変わらずキクタレの活躍は花々しかった。�特番�だけで八本、東洋テレビのおなじみ「紅白歌の大試合」に、ザ・ラーフターズや春木ひかる、若月さゆりなど、十数人出演するのをはじめとして各局の年末年始特番は、キクプロでもっているような観があった。
大衆の一番安上がりの�お茶の間娯楽�は、文字どおり「キクプロ正月」と呼べるような繁盛ぶりであった。不景気風の吹く芸能界でキクプロだけが不況知らずの我が世の春を謳歌《おうか》しているようである。そしてそれがそのまま捜査陣へ向けた嘲笑《ちようしよう》のようにとれた。
[#改ページ]
真空の発信|源《ゾーン》
1
大川刑事は疲れていた。家へも、元日にちょっと「顔を出した」だけで、ここ数日帰っていない。まだ当分の間、新たに浮かび上がった「替え玉」のアリバイ捜査に時間をとられる。久しぶりに帰宅して自分の布団で寝ようと思った。子どもたちの顔も見たい。下着も替えたい。
大川は捜査本部を出た。彼の家は池袋《いけぶくろ》から私鉄に乗り、埼玉県との県境近くの町の団地にある。この時間ではもう急行がないので、一時間以上かかるだろう。疲れた身には「はるかなる我が家」のはるかさが実感をもって迫る。
それでも我が家はいい。本部からもよりの地下鉄の駅まではほんの一投足である。通《かよ》い馴《な》れた道でもあるが、疲れた身にはこたえる距離である。
駅の近くへ来てから、ふと石原警部に小さな連絡をし残していたことに気がついた。明日でも間に合うことである。しかし今日のことは今日中に片づけないと気がすまない大川は、電話でその連絡をすることにした。
警部の行く先はわかっている。娘の結婚|披露《ひろう》とかで、都心のあるホテルにいるはずである。専従捜査班の責任者《キヤツプ》として、とうてい娘の結婚どころではなく、今日まで延ばしに延ばしてきたものを、相手の家のたっての願いで、今日の挙式になったのである。警部は出席しないと頑張っていたが、捜査員全員に、親としてたとえ一時間でも出るべきだとむりやりに押し出されたような形で、夕方出かけて行ったものである。
表面は強面《こわもて》の鬼警部だが、石原とて人の親である。部下の捜査員の好意が、どんなにか嬉《うれ》しかったことであろう。
「すまんな」
と肩をすぼめるように出て行ったが、表情には隠しきれない喜びがあった。
「係長もやはり、人の親なんだな」
誰《だれ》かが安心したように言ったので、皆がどっと笑った。大川にはその笑い声がまだ耳に残っている。
新夫妻は今夜ホテルに泊まり、明朝早く、新婚旅行に出発する予定だと聞いている。石原も今夜は同じホテルに泊まることになっている。
新夫妻や一家|眷族《けんぞく》に囲まれて、久しぶりに人の親の、和《なご》やかな姿にかえっている警部の姿を想像して、大川の心も和んだ。
ダイヤルをしながら、ふとそのようなたまゆらの団欒《だんらん》を、無粋《ぶすい》な業務上の連絡で破ってよいものかと迷った。だが石原が出しなに、どんな小さな連絡でも決して遠慮せずにしてくれと、うるさいほど念を押し出て行ったことを思い出した。石原はそれを条件にして出て行ったのである。
ここで下手《へた》な遠慮をしては、あとでかえって警部に怨《うら》まれる。——と大川は、仕事熱心の男に特有の解釈をして、いったん止めかけた手を定まった意志をもってふたたびダイヤルさせた。
コールサインが聞こえ、すぐにホテルの交換手の「こちら××ホテルでございます」という愛想のよい声が応《こた》えた。二十四時間営業のホテルとみえて、この時間でも交換手がついている。
大川が石原の名前を言おうとしたとき、すぐ隣りの送受器から同じようにダイヤルしていた男が、
「あ、××ホテル? 421号室につないでください」
と言った声が、耳にはいった。隣りの男も偶然に、大川がダイヤルしたホテルに電話をかけていたのだ。都会では大して珍しい偶然ではない。
別に気にも留めずに通話をつづけようとした大川は、次の瞬間、電流に貫かれたような衝撃を覚えた。
「もしもし」
伝送路の向こうで、ホテルの交換手が盛んに呼びかけてくる。それに応《こた》えず、大川は送受器を握ったまま隣りの男をみつめていた。
隣りの男は、めざす相手と接続されたらしく、盛んに何か話している。短い連絡だったとみえて、男はすぐに電話を切った。男が歩き出したので、それまで痴呆《ちほう》のように男を見守っていた大川は、慌てて自分の送受器をフックにかけて、男を追った。
「おそれいりますが、私はこういう者ですがちょっとおうかがいしたいことがあります」
名刺を出すひまがなかったので、大川はやむを得ず警察手帳を示した。警察手帳は、きわめて容疑の濃い者か、非協力的な者に対してのみ使う。善良な一般市民の協力をあおぐときには、公権力の圧力を相手に感じさせないように名刺を出すことにしている。
案の定、相手の男はいきなり警察手帳を示されて、ぎくっとしたらしい。夜目にも彼の顔が白っぽく硬《こわ》ばったのがわかった。
「大したことじゃないんですがね、いまあなたがかけた電話は、××ホテルですか?」
大川は相手の緊張を解きほぐすように、努めてソフトに尋ねた。
「はい、そうですが」
「電話番号は何番でしたか?」
「二一三の八四六六ですが、それが何か」
相手は不安に硬《こわ》ばった顔を、不審顔に変えた。しかし大川の用事はそれだけ確かめればもうすんでいた。丁寧に礼を言って相手を解放した大川は、吹き上げるような興奮を抑えながら、今度こそ何の遠慮もなく石原警部を呼び出すべくダイヤルを回したのである。
電話に出た警部の声は、大川の報告を聞くにつれてしだいに緊張してきた。
「そうか、そういうからくりだったのか。よく見つけてくれたな。これで冬本のアリバイは崩れたようなもんだ。あとは替え玉の発見だが、三人のタレントの中にいるにちがいない。君のほうでその発見のうらが取れたら、早速、逮捕状を請求する」
さしも冷静な石原の声が、興奮を抑えられなかった。
電話を切った大川は、すぐ目の前の駅に背を向けて、本部へ引き返しはじめた。我が家の誘惑は完全に消えていた。これから本部に帰り、逮捕状の発付に備えて待機しなければならない。彼はいま、警察官以外の何ものでもなかった。
そしてそれは石原警部も同様であろう。娘夫婦の新生活のスタートを祝ってやるべき父親の、娘との別れの哀《かな》しみをないまぜた優しい姿を、ついに犯人を追いつめた鬼警部として厳しい鎧《よろい》に固めてしまったことであろう。
——それがおれたち警察官の�業《ごう》�なのだ——
大川は星のない暗い夜空を見上げて思った。
2
捜査本部に泊まりこんでいた捜査員は、大川の発見を聞くと興奮した。昼の捜査で疲れ切っているはずなのに、みな睡気が吹っ飛んだような顔だった。
「まったくうまいトリックを考え出したもんだ。まず替え玉に十七時二十二分にこだま166号から東京二六一−四八六一番へ発信させる。これはこだま166号の発信通話記録に確実に残る。同時に冬本本人は、どれか別のこだまから東京二六一−四八六一へ発信する」
「ちょっと待ってください。同時に発信すれば、どちらかがお話し中になるはずです」
泊まりこんでいた下田が反駁《はんばく》した。
「それがならないんだよ。千代田荘が表示しているナンバーは、キイ・ナンバーといって代表番号なんだ。つまり同一のナンバーで、何本もの外線からの|呼び《コール》に応えられるようになっている。たったいま確かめたんだが、千代田荘の場合、二十本までの外線に同時に応《こた》えられるそうだ。日本旅館とはいえ設備はホテル並みで、電話の私設交換機も備えている。だから通話が混んで外線が殺到しても、お話し中になるのは、二十一本目からなんだよ。これが大所《おおどころ》のように一一一一というようなキリがいい[#「キリがいい」に傍点]番号だったら、もっと早く気がついたのだが、日本旅館の二六一−四八六一という、いかにも直通電話のようなナンバーだったのでうまうまと欺《だま》されてしまったわけだ」
「なるほど、そんなからくりだったんですね。すると第一回目の電話は、替え玉と冬本本人からの二つの|呼び《コール》が同時に千代田荘へはいっていることになりますね」
今度は佐野刑事が溜《た》め息まじりに言った。
「そうだよ。替え玉の|呼び《コール》は、同じ旅館《ホテル》に泊まっていた誰《だれ》か別の人間に受けられたにちがいない。二六一−四八六一にかけたからといって、それは必ずしも山村というプロデューサーに受けられたことにはならないのだ。だから冬本は第一回目の電話のときに時間を確かめたんだよ。もしその時間が替え玉とあらかじめ打ち合わせておいた時間と少しでもずれると、こだま166号からは替え玉にかけさせ、少し時間をずらせて冬本がかけたのではないかとすぐに疑われてしまう。こだま166号の発信記録と山村の応答時間をどんぴしゃりと一致させたところに、キイ・ナンバーが複数|線《コード》をもつことを、|糊 塗《カムフラージユ》しようとした狙《ねら》いがあった。時間を山村に確かめさせ、その前後に、正体不明の電話がかかってこなかった事実を彼が証言すれば、当然こだま166号の発信と、山村の応答は対応するものということになる。
冬本の電話を山村につないだ千代田荘の交換手《オペレーター》に聞き込みをかけたときに、確かに彼女がこだま166号の発信記録に一致する時間に、問題の電話を受けた事実が確かめられたので、他の交換手《オペレーター》に当たらなかったのが失敗だった。あのとき他の交換手に当たれば、まったく同じ時間にこだまからはいった別の電話のあったことがわかったかもしれない。このことはこれからすぐに確かめてみる」
「冬本はどこからかけたのでしょう?」
今度は木山刑事が訊《き》いた。
「別のこだまの中からさ。旅館の交換手は、こだまからと取り次いだだけで、『こだま166号』からとは言っていない。確かめればすぐにわかるが、きっと交換手は『こだま』としか聞いていないはずだ。電話局の交換手もいちいち発信先の列車番号までは言わないだろう。山村も、われわれも簡単にこのトリックにひっかかってしまった。十七時二十二分に別のこだまに乗った冬本から電話がはいる。たまたま(実は偶然ではない)同じ時刻にこだま166号から、山村のいる二六一−四八六一に発信される。この発信と受信が同一回線によって接続されているものとは誰《だれ》しも思うことだからな」
「冬本が乗った『別のこだま』はどれでしょうね。これに十七時二十二分の東京二六一−四八六一に向けた発信記録があれば、動かぬ証拠になるでしょう」
下田刑事が気負いこんだ。
「乗務員の証言の裏づけがあればね」
大川は慎重だった。キイ・ナンバーの複数外線の同時受信が可能とわかったいまは、まったく関係のない第三者が、別のこだまから十七時二十二分に、二六一−四八六一へ発信するという偶然も考えられるからである。
「とにかくその『別のこだま』を捜し出すのが先決ですね」