下田刑事が必携品の時刻表を取り出した。睡気は完全に去っていた。
「別のこだまは、ひかり66号にどこかで乗り移れるものでなければならない。こだまは絶対にひかりを追いこせないから、ひかり66号より前に出た[#「ひかり66号より前に出た」に傍点]やつだな」
大川の示唆《しさ》に従って時刻表を睨《にら》んでいた下田は、
「替え玉の発信は十七時二十二分、ひかりは名古屋−東京間はノンストップですから、乗換えは名古屋ですね。となると、ひかり66号より早くスタートして、十七時二十二分には新大阪−名古屋間のどこかを走っているこだまということになりますね」
と声を弾《はず》ませた。
該当する列車は二本あった。すなわち、こだま192号と164号の両列車である。それ以外のこだまは、十七時二十二分にはすでに名古屋を通過しており、ひかり66号に乗り移れるチャンスがなくなってしまう。
「このうち、192号は土曜と休日だけの運転で、火曜日の事件当日には走っておりません。すると、こだま164号だけということになりますね」
こだま164号は新大阪発十六時三十五分、十七時二十二分には米原《まいばら》と岐阜羽島《ぎふはしま》の間を走っていることになる。
「これはだめだよ」
大川が冷酷な声を出した。
「だめ?」
下田がキラッと目を上げる。せっかくの発見を手もなく打ち消されて、ちょっと気色《けしき》ばんだようだった。
「こだま164号の名古屋到着時間を見たまえ。十七時五十五分だ。ところがひかり66号は、それより二分前の十七時五十三分に名古屋を出てしまっているんだぜ」
回復しがたい失望の色が全員の面《おもて》を被《おお》った。こだま164号が打ち消されてみると、もうほかには、冬本が乗った「別のこだま」はないのだ。こだまに乗らずして、交換手に「こだまから」と取り次がせることはできない。それに山村プロデューサーは、冬本との通話中、確かに列車の走行音を聞いているのである。
「まったく別の場所からかけた電話を、女を使ってさも交換手のように『こだまから』だと言わせ、列車の擬音《ぎおん》を入れたんじゃないでしょうか?」
木山刑事が提起した疑問は前にも抱いたことはあった。だがそのときは、替え玉利用というトリックに気がつかず、第一回の発信記録と符合したところから疑問は打ち消された。
だが、替え玉と本人による同時発信と、キイ・ナンバーにおける同時受信というトリックが割れたいまは、前の疑問がふたたびよみがえってくるのを防ぐことができない。
旅館の交換手が買収されていなかったことはわかったが、彼女が聞いた電話局の交換手の声は、確かに本物であるかどうか確かめられていない。
列車の擬音を入れ、共犯か、あるいは道具の女に、いかにも電話局の交換手を装《よそお》わせて「こだまから」だと言わせれば、千代田荘の交換手は簡単に欺《だま》されて、そのとおり素直に山村へ取り次いだろう。
しかしそうなると、冬本はこだま166号に乗せた替え玉のほかに、偽《にせ》交換手の女と�擬音係�と合わせて三人の共犯ないし道具を使ったことになる。この推理はいかにしても飛躍していた。それに擬音を聞く相手はその道のプロなのだ。万一擬音ということを見破られれば、せっかくのアリバイ工作が無に帰してしまう。
これだけの緻密《ちみつ》な計算に基づいて工作をした人間が、果たしてこんな危ない橋を渡るであろうか? だがそれならば、いかにして冬本は「別のこだま」から発信できたのか?
いくら考えても解答は出なかった。新しい発見にいったん睡気は吹き払われたかに感じたが、思考が停滞すると、とたんに昼の疲れが心身にどっしりと居直って、捜査員をすわっていられないほどに押し浸《ひた》した。
「今夜はもう寝よう。明日もう一度、山村や交換手を当たってみるんだ」
大川の言葉に、吹っ切れぬおもいながら、当面救われたような気持ちで刑事らはカビくさい宿直室へ引き上げた。
翌日山村と旅館の交換手を再度当たった捜査員は、冬本の電話が確かに「こだま」からであったことを再確認した。さらに同旅館の別の交換手から、同日、同じ時間に「こだま」から宿泊の予約の電話がはいったという証言が得られた。この予約は結局|不着《ノーシヨウ》に終わった。この電話こそ替え玉によって発信されたものにちがいない。
だが冬本の発信源に対して山村は、
「擬音? ははは、私も曲がりなりにもテレビ局でめしを食っている人間ですよ。擬音か擬音でないかぐらい聞き分けられます。列車の擬音は吹奏《すいそう》楽器のバスの歌口《うたぐち》を抜いて逆に当て、リズミカルに吹くと出るんですが、われわれ玄人《くろうと》の耳はごまかせませんな」
山村はプロの誇りにかけて断言した。本物の列車の進行音を録音しておき、それを再生して通話に入れたのではないかという疑問も出たが、それは旅館の電話交換手によって打ち消された。
千代田荘の交換手は、冬本からの電話が市外電話局から中継されたものであったことを確認したからである。千代田荘には時折り新幹線の車内から|呼び《コール》がはいったり、あるいは宿泊客のリクエストでこちらからコールしたりするために、市外電話局列車台の交換手と�声なじみ�になることがあり、たまたま冬本からのコールは、なじみの交換手から中継されたものだったのである。
「間違いありません。あれは名古屋の電話局からでした」
千代田荘の交換手は、確信をもって答えた。
たとえ山村に対しては、録音によるトリックを使えたとしても、電話局列車台の交換手の声まで声帯模写することはできない。第一どの交換手が中継するかあらかじめ知ることは不可能なのである。
冬本が「こだま」からの第一の通話も発信したことは確定した。しかしその「こだま」は166号以外には存在しないのだ。何とも奇怪な話だった。
「やはり第一の発信も替え玉ではなく、冬本本人によってなされたものではないだろうか?」
という意見がふたたび本部内で頭をもたげてきた。
しかし冬本が犯人であるためには、第一の通話発信はどうしても替え玉によって行なわれなければならなかった。そうでなければ、この犯行は物理的に絶対不可能となる。
冬本をめぐる黒い情況も、替え玉が使われたことを物語っている。
電話のトリックが解けても、その媒体《ばいたい》となるひかり66号より先に名古屋へ着く「別のこだま」を発見できないかぎり、冬本のアリバイは依然として揺《ゆ》るがない。こだまに乗らずして、こだまから通話発信できるはずがないのだ。
「名古屋の交換手か」
下田がいまいましそうに呟《つぶや》いた。千代田荘の交換手が確認したからには、それは職業的にも信用してよいだろう。かりに何らかの方法で、旅館の交換手に声なじみになっている列車台の交換手に、冬本の発信を中継させ、その声帯模写をすることができたとしても、職業的に他人の�声質�に研《と》ぎ澄まされている交換手の耳を、確実に欺《あざむ》き通せるものか、かなり危ない賭《か》けである。
これだけのアリバイ工作をした人間が、そんな賭けをしたとはうなずけない。
「そうだ、旅館の交換手は名古屋と言ったな」
大川刑事がきらりと目を上げた。何かを嗅《か》ぎつけた猟犬の目だった。大川は本部室の直通電話を取ると、「市内番号調べ」で一つの番号を訊《き》き、それをダイヤルした。
待つ間もなく出た相手方に、
「ちょっとお訊《たず》ねしますが、新幹線の中から電話をかけるとき、名古屋局が扱う範囲は、どこからどの辺まででしょうかな。あ、こちらは警視庁捜査第一課の大川と申します」
大川はメモ帳を構えた。
警視庁と聞いて相手も慎重に答えているらしい。大川はなおも二、三の質問を重ねた。通話が進むほどにメモ帳が黒くなり、彼の目が輝いてきた。
かなり長い時間話したあとで、電話を切った大川は、部屋に居合わせた捜査員に興奮を抑えられない声で、
「冬本が確かに替え玉を使ったことがわかったぞ!」
とどなるように言った。
「えっ、わかったんですか」
「どうしてですか」
捜査員はぞろぞろと大川のまわりに集まった。
「わかりやすいように図を書いてみよう」
大川は、メモに書きなぐったものを、書き直した。
「いま、電電公社に問い合わせてわかったんだが、東京−大阪間の列車公衆電話は、通話料金算定の基準として、発信した列車の位置を、東京、静岡、名古屋、大阪の四つのゾーンに分けている。そして列車内から東京、横浜、名古屋、京都、大阪の加入電話とのみ通話できるようになっている。
(画像省略)
列車から発信された通話は、まず超短波で基地局へ送られ、そこから今度はケーブルで端局→統制局→市外局列車台→加入電話(対話者)へと伝送される。その際、市外局の扱い範囲は定まっていて、名古屋市外局はこの図に見るように、第一浜名鉄橋東1キロ(東京から250キロ)の地点から、米原《まいばら》駅西6キロ(東京から452キロ)の地点までの202キロの区間となっている。ここまで説明すればもうわかったことと思うが、冬本が第一の発信をしたことになっている十七時二十二分ごろのこだま166号の位置は、京都−米原間、それも、かなり京都寄りの地点だから、当然、大阪ゾーンになり、大阪市外局の扱いになるはずだ。それにもかかわらず、冬本の発信通話は名古屋局が扱った。ということは、冬本は十七時二十二分にこだま166号に乗っていなかったことになる。彼は、この時間には、名古屋局が扱う202キロメートルの区間のどこかにいたんだ」
「なるほど、そうか!」
嘆声が一同の口からもれた。ついに冬本が替え玉を使った確証をつかんだのである。
「しかし、それじゃあ冬本は一体、どこから発信したのでしょうか」
最初の興奮がおさまると、下田刑事が質問した。替え玉の確証はつかんだが、依然として冬本の�発信源�はわかっていない。
第一浜名鉄橋東1キロの地点から、米原駅西6キロの地点までということはわかっても、名古屋から第一浜名鉄橋までの間に冬本がいなかったことはわかっている。何故《なぜ》なら、名古屋を過ぎてからは(東京寄りに)絶対にひかり66号に乗り移れないからだ。
鍵《かぎ》は米原西6キロの地点から、名古屋駅までの間にあった。しかしその間には、冬本の通話の発信源たる「別のこだま」は存在しないのである。
ようやく一つの壁を乗り越えた捜査本部は、また行く手に立ちはだかるさらに高い新しい壁に直面した。
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水平思考アリバイ
1
新しい壁を乗り越えるために、当面三つの手がかりがあった。それは替え玉の容疑者として浮かび上がった三人のタレントである。捜査班は二人一組の専従班を編成して彼らのアリバイをそれぞれ洗うことになった。
もう一つ名古屋局における記録の線もあったが、これは冬本が利用したこだまがわからないのであるから調べようがなかった。
すべてのこだまから発信されたすべての記録を当たってみてはという乱暴な意見も出たが、上下百二十本以上もあるこだまの発信記録、それも相当日数が経過しているものをいちいちあたるのは相当の労力を要求される上に、十七時二十二分に名古屋−米原西方6キロの区間を走るこだまの記録以外には意味がなかった。
捜査の結果、三人のタレントのうち、宮野明と大野一郎のアリバイは成立した。星村俊弥だけが、申立てのうらが取れずに、不明のまま残された。
つまり十月十四日は星村は久しぶりに一日体が空《あ》いたので、都心の映画館を次から次に覗《のぞ》いて歩いていたというのである。だが、確かに彼が当日、特に十七時二十二分前後に映画を観ていたと証言する者はいない。
「ファンや知人に気づかれると煩《わずら》わしいので、サングラスをかけて行きましたから」
と、星村はさも有名スターでもあるかのように、アリバイがないのを誇らしそうに言った。映画の題名とストーリーや劇場の名前も一応申し立てたが、そんなものは、あらかじめ、あるいはあとになってからいくらでも研究できる。
映画館や喫茶店にいたというのは、アリバイのない者が最も安易に使う常套句《じようとうく》だった。念のため刑事は星村があげた劇場を、彼の写真を持って歩いてみたが、従業員の印象にはまったく残っていなかった。
「星村という男、どう思います?」
�映画館パトロール�からの帰途、星村俊弥を担当した佐野刑事は、コンビを組んだ木山刑事に言った。大体刑事のコンビは老練と若手が組むようになっている。老巧の経験に若いエネルギーを配するためと、相互に牽制《けんせい》させる意味がある。
木山もすでに四十を越えたベテランであるが、佐野とは気の合うよいコンビだった。本部内で最年少だけに、時折り勇み足になる佐野を、木山はなかなか上手《じようず》に抑えた。
いまも佐野に話しかけられた木山は慎重な口調《くちよう》で、
「三人の中では、冬本に一番|似通《にかよ》っているな」
「似通っているだけでなく、一番くさいですよ。アリバイのないのは彼だけになりましたからね」
佐野は、いかにもスター然と構えていた星村に反感を覚えたらしかった。大体佐野はスターだとかテレビタレントとかいう人種は大きらいだった。テレビや舞台に出た以上、客を楽しませる義務があるのに、自分の名前ばかり売ることにあくせくしている。テレビの画面に名前がちゃんと出ているのに「何の何がしでございます。どうぞよろしく」と選挙の候補者もどきに名前を押しつけるタレントを見ると、あさましくて、自分のほうが顔が赧《あか》くなった。
それほどまでにして名前を売りたいものか? それもブラウン管に映された時間だけで、番組が終わると同時に、あとに何物も残さず消えて行く虚名を。そしてテレビに出て、歌詞もろくに憶《おぼ》えていない歌を歌ったり、視聴者を莫迦《ばか》にした猿芝居をすることがそんなにも晴れがましいことであり、心身を売るまでにしてもかち得なければならない栄誉なのか?
いま、アリバイの裏づけをしている星村俊弥にも、大して売れてもいないくせに、明らかにエリートの意識があった。つねに他人の目を意識し、少しでも人の集まるところへ出かければ、自分が一座の注目の的となっているかのような自意識過剰。
たとえよし、注目を集めたとしても、それは賛仰《さんぎよう》や敬愛の念からではなく、日ごろ、ブラウン管の映像として親しんでいた人間の実物を見られるもの珍しさからにすぎない。
それは動物園で珍奇な動物を初めて見た見物客の目と少しも変わりはないのだ。それがスターとか言われる人種に寄せられる一般の正直な視線なのである。
賛仰や羨望《せんぼう》の目を向ける者は、自分自身スター病に憑《つ》かれた単純な若者たちだけだ。
佐野はタレントをそんな動物の一種だと思っていた。しかもスターでもない星村など、�駄獣�でしかない。ところがその駄獣が、明らかに佐野たちを見下すような態度で応接した。
大体若い人間ほど警察官に対する反感が強い。どこの世界でも、若者ほど革新的であり、反体制である。だから同じ年代でありながら体制側についている警察官や自衛官に対して反感を持ちやすい。裏切者のような感じを抱《いだ》くからである。
星村はそのような反感を露骨に現わした。老練の木山刑事は軽くいなしたが、佐野には我慢ならなかった。
佐野には、国民の生命身体財産の擁護《ようご》者であり、秩序と公安の維侍者であるというプライドがある。タレントなどの虚業とはわけがちがうのだと。——
しかし彼のスター人種に向けた反感には、ほぼ同じ年代でありながら、片一方は花やかな脚光を浴びて世人からちやほやされているのに対して、こちらは人が遊んでいるときも眠っているときも、社会の暗渠《あんきよ》の中へもぐって、ひたすらに凶悪な犯罪者を追っている。生命の危険にさらされることも一度や二度ではない。しかもそのことに対する報酬は、彼らの何十分の一、いや何百分の一である。生命を賭けた一か月の報酬が、スタータレントがちょいとテレビに出て一曲歌ったギャラにも足りない。——という潜在的なコンプレックスにも多分に根ざしていた。もちろん捜査一係の刑事が、はっきりそんなことを意識したわけではない。
だが佐野の年齢として、そういうコンプレックスが下意識にあったとしても、あながち彼を責めることはできなかった。
二人は疲れた足をひきずって国電に乗った。よほど緊急事態でもないかぎり、タクシーは使わない。
吊革《つりかわ》にぶら下がって、当面の無為を車内の中吊り広告でまぎらす。
ちょうど、週の初めで、週刊誌の広告が花やかだった。
——何年勤めたら課長になれるか?——
——キミの恋人をシビレさせる会話術——
——アッと驚き! 何の某《なにがし》に隠し妻——
などと週刊誌特有の、�特集物�のキャッチフレーズが花やかである。
その中に大手のビジネス週刊誌の、
——コンピューター時代の新思考法、「水平思考」で職場に革命を起こそう——
というのがあった。
「水平思考か」
佐野は何気なく呟《つぶや》いて広告にぼんやりした視線を送った。ようやくマクルーハン旋風がおさまったかと思うと�断絶�が襲来し、いままた水平思考である。佐野も、ビジネス社会に次々に紹介される新経営理論の名前だけは知っていた。
(サラリーマンも大変だな)と思った。
そこでは凶悪犯人を追及する捜査の苦労はないかもしれなかったが、企業間競争の激化と、サラリーマンの意識の変革によって、利潤の追求と能率原則の徹底に絶えず尻《しり》を叩《たた》かれている。
「実力なき者は去れ!」とか「学歴無用」などとしきりに叫ばれているが、要するにそれだけ彼らの競争が激化したことなのであろう。会社の存続と繁栄のために、自分の心身のすべてを傾けつくしている職業、自分の人生の目的と企業目的を高《ハイ》精度《フアイ》に一致させなければ、生きて行けないような社会は、随分と酷《きび》しそうであるが、同時に途方もなく退屈のような感じもする。要するに「他人の金儲《かねもう》けの手伝い」ではないか。
(サラリーマンでなくてよかった)
少なくとも刑事には、金儲けの手伝いに一度限りの命を磨《す》り減《へ》らしている虚《むな》しさはない。佐野はそんなことを考えながら、見出しの文字を追った。
——水平思考の基本は、物事を逆転してみることだ。一つの方向があれば、必ず逆の方向がある——
「逆の方向?」
佐野の目がふと宙に固定した。
「どうした?」
木山が佐野の様子を見|咎《とが》めた。
「木山さん!」
佐野が、周囲の人間が振り返るような大声を出した。
「一体どうしたんだい?」
木山が呆《あき》れたように聞いた。
「いま、ふっと思いついたんですが、冬本は逆の方向、つまり、東京の方から、下って来られなかったでしょうか?」
「何だって?」
「われわれはいままで冬本が乗った『別のこだま』を�上り�に限定していました。しかし�下り�でも一向に、さしつかえないんじゃないですか」
「しかし名古屋から東京寄りでは、ひかり66号に絶対に乗り移れないんだぜ」
木山はようやく佐野の話の中にはいってきた。
「それはこだまを上りに限定しているからですよ。確かに上りには、十七時二十二分に米原《まいばら》西方6キロの地点と名古屋の間を走り、しかも、名古屋十七時五十三分発のひかり66号に乗り移れるような、こだまは見当たりません。しかし要するに十七時五十三分までに名古屋へ着き、十七時二十二分ごろ名古屋ゾーンを走っているこだまということになれば、下り列車だって一向にかまわないじゃないですか。そしてそのように考えるとき、冬本の大阪のホテルを出てからの、空白が初めて埋まるのです。彼はこの空白の間に東京へ舞い戻ったのでしょう。飛行機か、あるいは上り新幹線を使えば、十七時二十分過ぎに名古屋ゾーンを走っている�下りこだま�に充分に乗りこめると思うのですが」
「佐野君! それは大変な発見だぞ」
今度は木山刑事が周囲の乗客を驚かす番だった。
「残念ながらここに時刻表がないので、わかりませんが、駅に着いたら買ってみましょう」
佐野は本部へ帰るまで待ちきれないらしい。
「しかし、あの当時のものはもう売っておらんだろう」
「新幹線のダイヤはそんなに変わらないはずですよ。とにかく調べてみましょう」
電車は一つの駅に滑り込んだ。彼らの下車駅まではまだ遠かった。
2
本部へ帰り、旧《ふる》い時刻表と照合した結果、ダイヤは変わっていなかった。佐野は電車の中で確認した発見をそのまま報告することができた。
「冬本が乗った『別のこだま』を上りに限定したために、彼が発信した範囲は、米原西6キロの地点から名古屋までに限られてしまいました。しかも名古屋を過ぎると絶対にひかり66号に乗れなくなるという事情から、われわれは名古屋以東に目を向けなかったのです」
では何故《なぜ》「上り」に限定してしまったのか? ひかり66号もこだま166号も共に上りである。アリバイ攻略の焦点はもっぱら、十分後発するこだま166号から、いかにしてひかり66号へ追いついたか[#「追いついたか」に傍点]に置かれた。
ここに替え玉が登場するにおよんで、冬本本人が乗った「別のこだま」は、ひかり66号よりも先行[#「先行」に傍点]する(同一方向へ[#「同一方向へ」に傍点])ものと推定されたのである。二本の列車が同一方向へ進んだから、三本目も同一方向へ進んだにちがいないとする�垂直思考�を、名古屋以東では絶対にひかり66号に乗り移れないという不可能性が助長したのであった。
確かに同一方向へ(東京へ向かって)進んだのでは名古屋−東京間ノンストップのひかりに名古屋以東で乗り移ることは不可能だが、反対方向から下って来た場合、ひかり66号の名古屋発時間十七時五十三分前に名古屋以東にいることは少しもさしつかえない。
要するに、十七時五十三分という�接点�に名古屋に着きさえすればよいのであって、それ以前は、名古屋以東にいようと、以西にいようと名古屋ゾーンの中であればかまわないのである。
「これらの条件を満たすこだまがないかと時刻表をみますと、東京発十四時五十分、下りこだま153号というのがあります。これの名古屋着が十七時三十五分で、ひかり66号に充分間に合います。しかも十七時二十二分ごろには豊橋《とよはし》−名古屋間を走っており、完全に名古屋ゾーンにはいっています」
さすがに佐野刑事の声は弾《はず》んでいた。ついに冬本の堅牢《けんろう》なアリバイを完全に崩したのである。
「その他の下りこだま号では、十七時二十二分に名古屋ゾーンにいて、しかもひかり66号に間に合うという条件を満たすことはできません。ですから冬本は、このこだま153号に乗っていたにちがいありません。冬本はその日の二時ごろ大阪のホテルを発《た》ったのですから、上りこだまで東京へ戻ったのでしょう。そのつもりで当時の午後二時以降に新大阪を出るこだまのダイヤを見ますと、十四時十五分発のこだま150号をかわきりに、同366号、394号、154号、156号の五本があります。これらはいずれも、豊橋へ下りこだま153号が到着する前に着きます。冬本は必ずこの五本の上りこだまのどれかに乗って豊橋まで引き返し、そこから下りこだま153号に乗り換え、十七時二十二分に第一回の発信をしたにちがいありません」
佐野の声は確信に満ちていた。
「佐野君、よく気がついてくれた。さっそくこだま153号の発信記録を調べよう」
石原警部の声も明るかった。冬本が構築したアリバイのからくりは、これで完全に解き明かされた。
まず十月十四日十七時〇九分、冬本は豊橋駅からこだま153号に乗りこむ。同じ日十六時四十五分、山口友彦はひかり66号で新大阪を出発、十分遅れて冬本の替え玉、たぶん星村俊弥がこだま166号で新大阪を出発する。十七時二十二分、あらかじめ打ち合わせておいたとおり、冬本はこだま153号から、替え玉はこだま166号から東京二六一−四八六一に向けて同時に発信する。二六一−四八六一はキイ・ナンバーであるから同時に受信されてもお話し中にならない。替え玉の電話は帳場《フロント》への偽装予約の申込みであった。
(画像省略)
十七時三十五分、こだま153号で名古屋へ着いた冬本は、十七時五十一分に進入して来たひかり66号に乗り移る。東京に近くなってから、十九時四十分前後、おそらくは新横浜を通過したあたりで山口友彦を殺害し、十九時五十五分、ダイヤどおり東京駅へ到着したひかり66号から下車の乗客に紛《まぎ》れて逃走、直ちに16番線に入線して来たこだま207号に乗り込み、新横浜へ向かう。
新横浜着が二十時二十三分、同四十六分に進入して来るこだま166号に乗り移る。ここで替え玉とかち合うと困るので、替え玉はたぶん名古屋あたりで下車したものと思われる。
こだま166号が新横浜を発車すると直ちに、第二回目の発信を申し込む。この際、乗務員の記憶に残るように、招待券をやったり雑談を交わしたりする。
列車公衆電話は、五号車と九号車の二|個所《かしよ》にあるから、どちらを使うかあらかじめ替え玉と打ち合わせておいたものであろう。
しかし冬本は第一回目の替え玉による発信を何故《なぜ》名古屋ゾーンでさせなかったのか? それは時刻表を検討することにより簡単に解けた。
(画像省略)
すなわち、替え玉が乗ったこだま166号が名古屋ゾーンにはいる、十七時四十一分(米原発)過ぎには、冬本のこだま153号は名古屋に着いて(十七時三十五分に)しまったあとなのである。冬本は電話をかけられなくなってしまう。
「替え玉をどうして上りこだま164号に乗せなかったんでしょうか? これなら十七時二十一分には米原を通過して名古屋ゾーンへはいるから、発信ゾーンは一致したはずです」
木山刑事が当然の疑問を出した。
「その答はおれにもわかるぞ」
石原警部が心もち身を乗り出した。
「こだま164号は、ひかり66号よりも新大阪を十分早く出る。しかも京都には十六時五十四分着で、十七時四分にはいって来るひかり66号にゆうゆう乗り換えられる。こうなってくると、誰《だれ》だって第一回目の発信は替え玉だと思うだろう。このアリバイ工作のみそは、ひかり66号よりも遅く出発して、途中で絶対に追いつけないというところにあるんだから、先に出発したんでは何としてもまずかったんだよ」
「なるほど。すると発信ゾーンの不一致は、冬本のミスではなくて、やむを得なかったんですね」
「そうだよ。しかしその不一致のからくりを解くのに随分手間をとらされた」
警部の言葉は皮肉ではなく、ねぎらいの意味があった。そして翌日の裏づけ捜査によって、十月十四日のこだま153号に、東京二六一−四八六一に対する発信通話記録が確認されたのである。発信時間は十七時二十二分より二通話であった。
ただ残念なことに乗務員の記憶が稀薄《きはく》で、捜査員が示した冬本の写真を、その通話の申込み者であると確認できなかった。しかしこれは冬本が当然変装かあるいは乗務員の印象に残らないように努めたであろうから無理からぬこととされた。
新大阪駅から乗りこんだと思われる、当日午後二時以降の上りこだま五本の中のいずれかにおける冬本の足跡は、まったく捜しようがなかった。
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ジェット・ストリーム
1
翌早朝、星村俊弥を重要参考人として出頭を求むべく、その住居としている大森《おおもり》のアパートへおもむいた木山と佐野刑事は、彼が昨日来帰っていないことを知った。
キクプロの方には、昨日顔を出していたことが確かめられていたから、いずれ都内のよからぬ場所へ沈没しているのであろう。
キクプロ内部の聞き込みや、アパートの住人の話から女性関係はかなり派手だったことはわかっていたが、最近つきあっている特定の女はいないようである。さしあたり、キクプロをはじめ、星村が立ち回りそうな場所に電話をかけて当たってみたが、その所在を突きとめることができなかった。
十一時ごろまで張りこんでも戻らないので、佐野一人を残して木山はキクプロの事務所へ行ってみることにした。�お座敷�のない所属タレントは、十二時までに事務所へ一応顔を出すことになっていたからである。しかし星村は�出勤�もしていなければ、連絡もなかった。
彼が昨日事務所を出たのは、午後四時ごろだったそうである。するとそれから約二十時間あまり、まったく消息不明になっている形であった。
「おかしいですな。うちではタレントの所在把握はかなり厳しく行なっており、出勤できない場合でも、必ず連絡先を明らかにしておくようにやかましく言っております、いつどんなところから仕事の注文がくるかわかりませんからね。タレントだってせっかくのチャンスは逃がしたくないから、言われなくったって、ちゃんと居場所を連絡してきます。星村は昨夜《ゆうべ》は自分のアパートへ帰るということでした。二十時間以上も所在不明になったことはありませんね」
風見もさすがに心配そうな口ぶりだった。
「最近タレントがよくやる蒸発ってやつじゃないでしょうかね? 酷使に耐えきれなくなって」
「ふ、そんな売れっ子じゃありませんよ、星村は。蒸発どころか、何か役があれば、女とベッドの中にいても、すっ飛んで来ますわ」
風見はせせら笑った。もともと冬本に可愛《かわい》がられていた星村は、冬本が失脚してから、すっかりアブレてしまい、以前は時折りあった「ちょい役」にもありつけない。せっかく好調だった歌も二曲目がつづかず、まったくくさりきっているということであった。
冬本から�政権�を奪った形の風見が、�冬本派�の星村を引き立てようとする意志など毛頭ないらしかった。それでも実力があればとにかく、出世欲ばかりが強く、音譜もろくに読めないようでは先行き見込みがなかった。
木山はいやな予感がした。ようやく冬本のアリバイのからくりは解いたものの、ここで星村が消されれば、冬本を追及するきめ手を欠くことになる。こだま153号の発信記録は、必ずしも冬本本人によって申し込まれた証拠にはならないのである。乗務員は冬本を確認していない。まったく無縁の第三者がたまたまその時間に千代田荘をコールした偶然も考えられる。
アリバイのからくりを解いたとはいえ、すべて捜査本部の推測にすぎない。
冬本に逮捕状を執行するためには、何としても、星村の口から替え玉として使われたという供述が欲しい。しかし彼は昨夜から二十時間以上も消息を絶ったままだ。風見もそんなことは以前になかったと言う。おかしかった。
「冬本……さんは?」
木山はふと思いついてたずねた。
「さあ、その後どうしてますかね。ここのところ会社にはずっと出て来ておりませんが」
風見は気のない返事をした。すでに失脚した元の上司などに、爪《つめ》の垢《あか》ほどの興味もないといった風情《ふぜい》である。木山は競争社会の酷《きび》しさを目《ま》のあたりに見せられたように思った。
事務所に今日も出ていないところを見ると、日野の自宅に閉じこもっているのであろう。冬本は捜査線上に浮かんで以来、本部の厳重な監視下に置かれている。彼の身辺には、いまも仲間の刑事の目が光っているにちがいない。しかし、となると、星村に手は下せないはずである。
�殺し屋�でも雇ったのだろうか? しかしフィクションの世界であればとにかく、現実にそういう職業人《プロ》が存在するかどうかもはなはだ怪しい上に、共犯の口を閉ざすために、さらに危険な共犯を雇うというのは、いかにも無理があった。
(とにかく冬本の昨夜の動静を訊《き》いてみよう)
木山が電話を借りようと、腰を浮かしかけたとき、
「木山刑事、あ、あなたですか、お電話ですよ」
とキクプロの若い社員が取り次いできた。
電話の相手は石原警部だった。彼は意外なニュースを伝えてきた。
「あ、木山君か、いま本庁から連絡がはいったんだが、今朝十時半ごろ、紀尾井《きおい》町のマンションで他殺体が発見されてな、被害者が星プロの赤羽三郎《あかばねさぶろう》というタレントなんだ。絞められたらしい。それでね、社長の緑川明美を捜したところ、ちょうど上京中で、高円寺にある自分のマンションにいた。ところが一人じゃないんだ。男といやがった。そいつを誰《だれ》だと思う? 星村俊弥なんだよ。何でも、昨夜は十二時ごろからずっと一緒だって言うんだ。いまは一緒に赤羽のマンションへ行っている。君、ご苦労だが、すぐに、そこから紀尾井町へ回ってくれんか。紀尾井スカイメゾンというやつで二十階建てのどでかいやつだからすぐにわかるよ。佐野君にはこちらから連絡する」
電話線を通して警部の緊張が直接伝わってくるようであった。
星村俊弥が、何故《なぜ》、自分の社長の美村紀久子とは倶《とも》に天を戴《いただ》かざるライバルの緑川明美と共に一夜を明かしたのか? こんなことがキクプロにわかれば即刻|馘《くび》になってしまうだろう。
星プロのタレントが殺されたというのも単なるコロシ以上の底がありそうだ。星村俊弥はこの事件に一枚かんでいないのだろうか? また緑川明美はどうなのか?
タクシーを奮発して紀尾井スカイメゾンへ急行する木山刑事の胸には、さまざまな疑問が湧《わ》いてきた。
紀尾井町は江戸時代、紀伊《きい》、尾張《おわり》、井伊《いい》三藩の江戸屋敷があったところから名づけられたゆかりの地で、皇居に隣接する高級住宅地である。
紀尾井スカイメゾンはその紀尾井町の中心の高台に、周囲を睥睨《へいげい》するようにそそり立っていた。最高の区分に九千万円の値がつけられて、さすがものに動じない東京っ子をアッと言わせた話題のマンションである。
近づくほどに、それはさながら一つの巨城であった。
現代の住居というものが、その実用的機能性よりは、社会的地位のシンボルとして購《あがな》われるものであるとすれば、このマンションはまさにその典型と言えよう。