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 佐伯教授は、まず第一回の問診のときと同じ質問をした。

作者: 当前章节:15420 字 更新时间:2026-6-22 20:37

㈰「あなたの名前は?」

「三谷です」

「下の名前は?」

「順平」

「どういう字を書くの?」

「三つの谷と、順番の順、平家の平です」

㈪「年齢は?」

「三十六歳」

㈫「生年月日は?」

「昭和十年二月十八日です」

 以下こんな調子で、注射前の答えと同人のものとは信じられないくらいに、はっきりしている。

 問診は順調に進んで、㉂へ来た。

㉂「大井君子さんを知っているね」

 三谷の瞳《ひとみ》の色が動いた。しかし答えない。

「知っているんだね?」

 教授は声に力をこめた。答えないということは、第一回に比べると、一種の顕著な反応である。

㉃「吉野明美さんは?」

 教授は㉂を保留して次へ進んだ。三谷の面《おもて》に困惑の表情が浮かんだ。

㈹「大石恵美子さんも知っているんだろう」

 三谷は唇のはしをひくひく震わせた。内心の葛藤《かつとう》に必死に耐えている様子である。

「知っているなら、正直に知っていると言いたまえ。気持ちが楽になるよ」

「…………」

㈺「野本ミチ子さんも知っているんだね」

「その女《ひと》、だれですか?」

 三谷が、しばらくの沈黙を破った。教授は「おや?」と思った。これは反応にはちがいないが、他の不明者に関する反応とは、異なる反応である。注射前の問診時にも知らないと答えたのであるから、これは「無反応」とも考えられる。

「野本ミチ子さんを知らないのか?」

「知りません」

「嘘を言ってはいかんよ」

「嘘じゃありません、本当に知らないのです」

 教授は最初、薬効が切れてガンゼル状態に逆戻りしたのかと思った。しかし声も顔つきもしっかりしている。

「それじゃあ、大石恵美子さんは知っているのかね?」

「そ、それは……」

 三谷の表情に狼狽《ろうばい》が走った。

「吉野明美さんも知っているね」

「とにかく、ぼくは野本ミチ子なんて女は知りませんよ」

 三谷は質問を別の答えにすり替えた。

「終戦記念日、いつだか知ってる?」

「八月十五日でしょ」

「原爆が最初に落とされたところは?」

「ヒロシマ……それともナガサキかな?」

「日本の人口は?」

「一億人」

「野本ミチ子は、どこに住んでいたか知っているかね?」

「知りません」

 三谷がガンゼル状態でないことは、その答えを聞くまでもなく、表情や目の色、声の調子などからわかった。

 概して反応は、注射したあとのほうが大きく現われるのに対して、「野本ミチ子」に関してのみ、注射前と大差ない。

 これは不思議な現象であった。麻薬《アミタール》が「野本ミチ子」に対して効かないとすれば、他の同列の被害者に対しても、同様に無効であってよいはずである。

 ところが、野本ミチ子だけが無反応[#「無反応」に傍点]ということは、とりもなおさず、彼女だけに反応したということになる。

 教授はこの事実を心に留めたうえで、先の問診へと進んだ。

 ※[#丸付き数字「34」]の殺人と盗みの比較について、三谷は盗みのほうが悪いと答えたのである。

 盗みは破廉恥であるが、殺人は、人を殺しても自分が生きたいという意志があるから、罪ではないと主張したのだ。

 これは、ガンゼル状態における虚言ではなく、三谷の考え方になっているらしい。ただそうだとすると、納得のいかない点が出てくる。

 それは間島信子殺しの際に、ガマ口が奪われていることである。この点について質問すると、三谷は、はっきりと自分が奪ったとは明言しなかったが、ちょっとおもしろい意見を述べた。

 すなわち盗むために殺すのはいけないが、殺してから奪ってもかまわないというのである。

「死んでしまえば、所有の意志がなくなる。通りかかった人間が、死体についている物を奪うかもしれない。死んだ人間のものを取るのは、奪《と》るのではなく、拾うのと同じことだ」

 と手前勝手な理屈をこねた。教授は、さらに問診を進めて、信子さん殺しの手口から、その他の行方不明女性のことにまで、詳しい自供へと導こうとした。

 しかしこのころから、アミタールの効果で眠気をもよおしてきたらしく、質問に対する反応が鈍化してきた。

 その日の問診はそれで打ち切り、第二回めのアミタール分析は、翌日ほぼ同じ時間に同じ場所で行なわれた。

 佐伯教授は今度は、信子さん殺しに質問を絞った。

「どうして殺したのか?」

「情交《セツクス》を迫ったら、激しく抵抗したからです」

「殺すことはなかったろう」

「親戚《しんせき》に警察官や弁護士がいるというので、あとになって話されるとまずいと思ったからです」

「おまえはまだ嘘をつくのか。信子さんの親戚には、警察官や弁護士はいないぞ」

「でも本当です」

 こう答えた三谷の表情は真剣であった。このあと教授は、殺害前後のもようを問診した。その回答は陰惨、残酷であり、物語に直接関係がないので省略する。

「ところできみはいったい、何人殺したのだね?」

 教授は質問の範囲を広げた。このあたりについては捜査陣が最もてこずらされたところである。昨日の第一回のアミタール分析においても、三谷は反応は示したものの、明確な返答は避けていた。

「さあ、よくわかりません」

 案の定、三谷の答えは歯切れが悪くなった。しかし注射前の当意即妙のでたらめの答えではない。保身のために、ぎりぎりのところで踏みとどまっているという様子である。

「それは、二人以上は殺したということなのかね?」

「さあ」

「十プラス十はいくつ」

「二十です」

「三かける七は?」

「二十一」

「よろしい。それできみが殺したのは、間島信子さんだけかね?」

「…………」

 三谷は返事をせずにうつむいた。心の中の葛藤に耐えているのである。

「大井君子さんを知っているね」

 三谷はかすかに首を振ったが、態度に弱々しいものがある。

「H市の市役所に勤めていた娘さんだ。四月二十日に行方をくらましたまま、まだわからない。きみは本当に知らないのか?」

「知っていると言えば死刑になるんでしょう?」

 三谷がはじめて大きな反応を示した。教授は弾みかかる胸を抑えて、

「そんなことは今わからない。だれにもわからないことだ。しかし裁判にも情状|酌《しやく》 量《りよう》ということがある」

「まだ言いたくない」

「知っているんだね」

「わかりません」

 これは否認よりも肯定に近い答えである。

「吉野明美さんも知っているね」

「…………」

「親の気持ちにもなってやったらどうかね。可愛い娘さんが急にいなくなって、どんなに心配していることか。もしきみが行方を知っているなら、早く帰してあげたらどうかね」

 三谷のうつむきかげんは、しだいに深くなった。肩がかすかに震えている。教授は自信を持った。三谷が陥《お》ちるのは時間の問題だと思った。

 佐伯教授は、切り札を出すようなつもりで㈺の質問をした。

「野本ミチ子さんを誘拐《ゆうかい》したのもきみだね」

「ちがいます!」

 三谷はうつむいていた面をあげて、激しく横に振った。

「嘘をつくな。いまさら隠しだてをするときみのためにならないぞ」

「嘘じゃありません、野本なんて女は知りません」

 三谷は頑《かたく》なに言い張った。

 三谷順平が、他の行方不明女性についての犯行を次々に自供したのは、その翌日からである。自供は、アミタール面接中に行なわれた。

 三谷の自供に従って、遺体捜索を行なった捜査本部は、まず茨城県S市郊外の造成中の工業団地から、吉野明美さんと大石恵美子さんの死体を、二日のち埼玉県H市郊外の雑木林から大井君子さんの死体を、あいついで発見した。

 最後に残された野本ミチ子さんも、三谷の犯行と推定した捜査本部は、厳しく追及したが、これだけはアミタール面接にかけても、頑なに否認しつづけるのである。

 本部や教授にとっても、三谷がここまで追いつめられて、なぜ自供しないのか、判断に苦しんだ。アミタール面接に対する批判も、部外におきていた。

 事件解決の一歩手前まで来て、デッドロックに乗りあげた形であった。

 そんな焦りと疲労の中で、捜査員の一人がふとつぶやいた。

「三谷は茨城の工業団地に二人の死体を埋めた。三人めも同じ場所に埋めないとはかぎらないぞ」

 捜査本部は、その着眼を入れて、ふたたびS市郊外の工業団地の大捜索を行なった。しかし死体は発見されなかった。

「同じことが、他の二つの遺体発見現場にも言えるじゃないか」

 最初の着眼はべつの可能性を導き出した。

 そしてついに、第一の犠牲者の間島信子さんの遺体が埋められてあった栃木県O市の外《はず》れの雑木林から、野本ミチ子さんの遺体が発見されたのである。

 遺体はかなり傷《いた》んでいたが、遺族によって本人であることが確認された。

 遺体はただちに栃木歯科医大法医学教室山中教授の執刀によって解剖され、前に発見された四体同様、死因は絞殺であることがわかった。

 ここに五県を股《また》にかけて発生した、犯罪史上稀有な連続強姦殺人事件は、いちおうのピリオドを打たれたのである。

 しかしすべての遺体は発見されたものの、三谷は、野本ミチ子に対する犯行を頑強《がんきよう》に否認しつづけていた。

 それが、ガンゼル状態による責任回避のポーズでないことはわかった。

 アミタール面接によっても、彼の自供を誘うことはできなかった。

   6

 この事件の最初の犠牲者が行方不明になる一ヵ月前の二月の末のことである。

「弓子《ゆみこ》、久しぶり」

 駅から出たところで、田原《たわら》弓子はだれかに後ろから肩を叩《たた》かれた。

「まあ、ミチ子さん」

 ふりかえった弓子は、そこに中学で同級だった野本ミチ子の姿を認めた。髪はまっ赤に染め、今はやりのホットパンツを穿《は》いている。もともと痩形《やせがた》の体が、荒れた生活をつづけているせいか、さらに細くとがったようである。

 流れ人夫と土地の酌婦《しやくふ》のあいだに生まれた子で、中学時代から登校せずに町の盛り場をうろついては、補導されていた、とかくの風評のある女だった。

 同級生とはいえ、弓子は彼女とほとんど話をしたことはない。町の素封《そほう》家の娘である弓子は、両親からミチ子のようないかがわしい子と交際することをかたく禁じられていた。

 ミチ子のほうも弓子には最初から構えて近寄らなかった。町の貧しい階級の子供たちを集めて、それの女番長《すけばん》になっていた。男生徒顔負けの腕力を持ち、大勢の�子分�を常に従えて、気に入らない生徒や、少々お高くとまっている女生徒たちを見ると、

「ちょっと顔貸しな」とばかり、もの陰に引っ張りこんでリンチを加える。

 被害にあった生徒たちも、後難をおそれて黙っているから、ミチ子は、女番長《すけばん》として勢力を振るった。

 そんなミチ子も、弓子だけには手を出さなかった。翳《かげ》のある美貌《びぼう》と、ずばぬけた成績の弓子は、全クラスというより、全校の憬《あこが》れの的だった。さすがのミチ子も、まるで人種のちがうような弓子に手が出せなかったのであろう。

 中学三年のはじめのころ、ミチ子はついに駅前で他校の中学生を恐喝《きようかつ》して、停学処分に付された。その事件以後、彼女の姿は町から消えた。東京でバーのホステスになったとか、ソープランドで働いているとかいう噂《うわさ》が、その後何度かささやかれただけで、すみやかにこの不良少女の記憶は町の人々から忘れ去られた。

 いないほうが望ましい人間の忘却には、なんの妨げもなかったのである。

 その後、田原弓子は高校、東京の女子大と進学した。弓子の生まれた町は、千葉県北西部のK市である。田園のまん中の小さな町が、いくつか合併して、数年前に市制を敷いたばかりだ。

 それが東京を中心としたドウナッツ現象によって、最近、新興の住宅都市として急激に発展した。「都心まで一時間」のコマーシャルに惹《ひ》かれて、東京からはみだした人口が、逆流して来る。マンモス団地が次々に造成される。

 国鉄が電化されると、東京までの距離はさらに短縮された。静かだった田園都市は、いまや東京の住宅衛星都市として、まったく新しい意匠をまとったのである。

 田原弓子が自宅から東京の大学へ進学しているあいだに、K駅の利用客は三倍ぐらいにはね上がっていた。

 弓子が野本ミチ子から肩を叩かれたのは、大学生活もいよいよ残り少なくなった二月の末である。卒業試験の最後の課目も終わり、ホッとしたところを、同じK市から通学している親友の坂村静江《さかむらしずえ》から、映画に誘われた。その映画はかねて観たいと思っていた音楽映画だった。

 試験が終わった解放感から、弓子と静江は映画を観た。映画が終わってから、一緒に帰って来ると思っていた静江が、親戚の家に用事を思い出したとかで、途中で別れた。K市最大のデパートを経営している商家の娘で、弓子とは小学校から同級である。

 成績もよく、弓子と同じクラスになったときは、弓子が級長で、静江がいつも副級長になった。

「ミチ子さんなんて他人行儀よ、幼なじみの同級でしょ、ミチって呼んで」

 ミチ子は懐かしそうににこにこ笑いながら言った。

「いつこちらに帰っていらしたの?」

 同級のころは、不良少女として敬遠していたが、何年も経ってから、昔の学友に出逢《であ》うのは懐かしい。弓子の心に警戒心はなかった。

「つい最近よ、それよりおめでとう」

「なんのこと?」

「あらとぼけないでよ。君原《きみはら》さんと婚約したんでしょ。卒業と同時に挙式だとか」

「まあ、よくご存じね」

 弓子は頬をうすく染めた。ミチ子が言った君原とは、同じ小学校と中学の先輩で、東京T大医学部を卒《お》えたのち、同大医局へはいり、現在、講師をつとめている男である。

 彼の若さで、講師になったことは、ばかばかしいまでの年功と序列が重んじられる同大医局では、驚嘆すべきスピードであった。

 だが君原が、驚嘆されたのは、そのスピードのせいではなかった。

 彼が講師のかたわら、病理学教室で一人こつこつ進めていた研究を、学会に発表したところ、これが、世界的な注目を集めたのである。

「もしかすると、ノーベル賞の候補にあげられるかもしれない」

 とささやく者もあるほどであった。

 東京に近い土地がらのために、個性が少なく、人材の出にくいK市が産んだ最大の逸材であった。地元の小学校、中学校、高校を通して、彼の成績はずば抜けていた。いっぽう、学年はちがったが、弓子は町の最高の才媛としていつも君原と並び称されていた。

 この二人のあいだに婚約が整ったのは、つい最近のことである。両家はこの上ない縁談と喜び町の人々は、これ以上の組み合わせはないと称《たた》え羨《うらや》んだ。

 しかし彼ら二人は、親のすすめによって婚約したのではない。二人のあいだには、かなり以前から特別の感情が交流していたのだ。

 彼らは通勤通学の電車の中でよく同じ車両に乗り合わせた。小さな町の住人でおたがいに身元はよく知っている。ことあるごとに並べられて噂される彼らには、最初から特別な感情が通い合う素地があった。

 だから表向きは、普通の見合い結婚の形をとっていても、彼らのあいだに、プラトニックながら恋愛感情があったのである。

 弓子の紅潮は、それだけ婚約者への傾斜を示すものだった。

「静江が教えてくれたのよ」

「まあ、静江ったらおしゃべりねえ」

 と眉《まゆ》を寄せながらも、弓子は悪い気持ちはしていない。

「ねえ、こんなところで立ち話もなんだから、ちょっとそのへんでお茶でも喫《の》まない?」

「そうねえ……」

「いいじゃないの、久しぶりに会ったんだもの」

 すでに日はすっかり昏《く》れていたが、もう家までわずかの距離であるし、いかがわしい相手とはいえ、懐かしさの勝る旧《ふる》い同窓の友だったところから、弓子は警戒の鎧《よろい》を脱いだ。

 これがもし異性の同窓生だったら、こうも簡単にあとを従《つ》いて行かなかったはずである。

「あらっ、車?」

 すぐ近所の店へはいるものとばかり思っていた弓子は、ミチ子が駅の脇《わき》の広場に駐《と》めてあった赤いクーペのほうへ歩み寄ったので、ちょっと怪訝《けげん》な顔をした。

「うん、友だちからセコハンを安く譲ってもらったんだ。ちょっとおもしろい店があるのよ。車で二、三分よ。さあ乗った乗った。私の名ドライバーぶりを見せたげるわ」

 ちょっと車のそばでためらった弓子を、ミチ子は車内へ押しこんだ。ミチ子は馴れた手つきで、車を発進させた。ハンドルさばきもなかなか鮮やかである。

 小さな町をたちまち抜けて、車は田圃《たんぼ》の中へ出た。急に闇《やみ》が黒々と窓へ迫ってきた。

「ねえ、どこへ行くの?」

 弓子は急に不安になった。

「もうすぐよ。とてもおもしろいところなんだから驚かないで」

 ミチ子は、弓子の不安顔を笑いながら、ハンドルを操った。車はかなりのスピードで走っていた。

 生まれ育った町だが、どのへんを走っているのかよくわからない。車窓に点々と映る人家の灯は、ますます疎《まば》らになるようである。

「ねえ、私もう帰りたいわ。引きかえして」

 たまりかねて、弓子は言った。そのときミチ子の背中がかすかに反応した。前を向いたままうすく笑ったようである。

 車が減速した。弓子はややホッとした。ミチ子が弓子の頼みをききいれて、車をUターンさせると思ったからである。

 しかし車は、そのまま停まってしまった。

「さあ、着いたよ」

 ミチ子の声が急に乱暴になった。

「あら、ここが? どこにお店があるの?」

 片側に雑木林が迫り、反対側には黒々とした野面が広がっている。突然ミチ子がけたたましく笑いだした。

「はは、うまいことひっかかりやがって! ざまあみやがれってんだ」

「ミチ子さん!」

 気が狂ったように笑いながら、ヤクザめいた暴言を吐き散らしはじめたミチ子を、弓子は呆気《あつけ》にとられてみつめた。

「あたしはね、あんたのそのお高くすました面《つら》が、前から気に食わなかったんだ。ミチ子さんなんて気取って呼ばれると背すじが寒くなるね。でもがまんした。最初からあたしとは人種がちがうと思ったから、手を出さなかったんだ。それを裏切りやがって!」

 弓子はなんのことだかわからなかった。呆然《ぼうぜん》としている弓子に、ミチ子はますます怒りを煽《あお》られたらしい。

「なんだよ、その面《つら》は。いまその上品面をひっぺがしてやる。みんな出ておいで。カモを連れて来たよ」

 ミチ子は窓を開けて闇の中へどなった。同時に数人の若い男が、ぞろぞろと出て来た。

「こいつは凄《すげ》え」

「本当にいいのかい、こんな上玉を」

「もったいなくて、セガレがおじぎをしそうだぜ」

 男たちは、勝手なことを言いながら、窓から覗《のぞ》きこんだ。いずれも欲望だけが脹《ふく》れあがった動物的な男たちばかりである。

「あなたたちはだれ!?」

 弓子はギョッとしながらも弱味を見せまいとして、強い口調で咎《とが》めた。

「だれだって? 見りゃわかるじゃねえか」

「ねえちゃんよ、そんなところにちぢこまっていねえで出ておいで」

「いいこと教えてやるからよう」

 男たちは、ドアを開けて、弓子をシートから引きずり出そうとした。弓子は必死に抗《あらが》いながら、

「ミチ子さん、この人たちは何? たすけて、たすけてえ!」

 と必死に運転席のミチ子に救いを求めた。

「弓子、あんたも往生ぎわが悪いねえ。あっさりとあきらめて、あんたの婚約者のためのきれいな体とやらをこいつらに振舞ってやんな」

「ミチ子、冗談でしょ。お願い、冗談はやめさせて」

「冗談じゃないよ!」

 ミチ子のうすら笑いが、酷薄な表情にひきしめられた。弓子は、ようやく自分が罠《わな》にかけられたことを悟った。

「どうして? どうしてなの!?」

 弓子はなぜ自分がこんな目にあうのか、わからなかった。

「ふん、とぼけやがって!」

「どうしてなの?」

「おまえが警察《サツ》に密告《タレコ》んだんだ。中学のときあたしが恐喝《カツアゲ》したってよ、同級生のくせに裏切りやがって、だから今おかえしをしてやるんだ」

「私が? ちがうわ、私そんなことしないわよ」

 弓子にとってはまったく身に覚えのないことだった。

「だめだよ、いまさらとぼけたって。あたしはね、今日までチャンスを狙《ねら》っていたのさ。あんたを徹底的に痛めつけるためのごきげんなチャンスをね。長かったよ。でもとうとうそれがきた。ノーベル賞候補の君原と結婚するばかりになって、あんたが、いちばん幸福な今を狙って、あんたの体を狼《おおかみ》にめちゃめちゃに食わせてやる」

「ミチ子、許して、誤解だわ。私は何もしていないわ。ねえ、私を家に帰して、お願い」

「ふふ、用がすめばすぐに帰してやるよ。おまえら、何をぐずぐずしてんだよ。人が来たら危《ヤバ》いじゃないのさ。早いとこ、輪姦《まわ》しちまいな」

 ミチ子に叱咤《しつた》された男たちは、弓子をたちまち車から引きずり出した。弓子の必死の抵抗など、数人の屈強な男たちの前には、なんの役にも立たなかった。

 男たちの中央に放り出された弓子は、餓《う》えた獣のまん中に引きすえられた美味な獲物《えもの》のように、寄ってたかって剥《は》ぎ取られ、そして貪《むさぼ》られた。処女の硬い体は、獣たちによって引き裂かれて、血まみれになった。

 それでも獣たちは容赦せずに貪りつづけた。長い飢餓のあとに与えられた餌《えさ》を貪るように、これからもまた長くつづくであろう餌のない期間に備えて、食い蓄えようとでもするかのように、徹底的に貪り、蹂躙《じゆうりん》した。

 弓子が、男たちに次々に犯されてゆくのを、ミチ子はかたわらに立ちつくして、傍観者の冷えた目でじっとみつめていた。

 数日後、田原家の朝食の時間に、父親の田原|和之《かずゆき》は、食卓に姿を見せない娘の姿に、

「弓子はどうしたのだ?」

 と妻に訊《き》いた。和之が本業の医業のほかに、医師会の幹事役や市の名誉職をいくつも兼ねていて、夕食を家族と一緒にする機会が少ないので、朝食は家族そろってとるのが、いつの間にか一家の習慣となっていた。

「今日は学校はないはずだろう」

 卒業試験も終わり、あとは卒業式まで登校する必要はないと聞いている。嫁ぐ日を間近にひかえて、もう娘と一緒に食事をとる日も残り少ない。

 その貴重な機会を、父親にしてみれば、娘の朝寝坊のために一回でも無駄《むだ》にしたくなかった。

「起こして来なさい。もう睡眠はじゅうぶんに取れている」

 和之は妻に命じた。妻に弓子を呼びにやらせてから、彼はふと、ここ数日弓子が元気のなかったことを思い出した。和之は、それを嫁ぐ日をひかえた処女の感傷だと思って、強《し》いて訊き出そうともしなかった。

 娘はいつまでも親のもとにとどまれない。だれでもその別離に耐えてきているのだ。むしろ親のほうが、別離の悲しみは大きい。

 ——それにしても、ここ数日、ちょっと沈みすぎていたようだな——

〈まさか、それが今朝の朝寝坊に関係があるわけでもあるまい〉

 ふと不吉な連想が、田原の胸をよぎったとき、奥の弓子の部屋から、妻が蒼白《そうはく》になって駆けこんで来た。

「あなた、大変、弓子が……」

 あとは口をぱくぱくするだけで言葉にならない。

 押取《おつと》り刀で、弓子の居室へ駆けこんだ田原は、すでに娘がベッドの中で昏睡《こんすい》していることを知った。枕元《まくらもと》に睡眠薬の空びんが転がっている。

 救命のためのあらゆる処置が取られたが、すでに手遅れであった。

「あなた、こんなものが」

 妻が、弓子の枕の下から一通の封書を見つけた。あて名はべつにない。

 封を開けて文面を読み下した田原の表情は、しだいに怒りのために紅潮してきた。

   7

 佐伯教授は、三谷の知能検査、性格検査、ロールシャッハ・テストなどを重ねて行ない、アミタール面接と比較した。

 その結果、知能テストはウェクス・ベルビュー改訂法ではIQ三十六と出た。これをアミタール面接時に行なうと、九十と出て、ほぼ正常値を示した。

 性格検査は、慶大式で、分裂、神経質、ヒステリーで、アミタール注射後も同様。心情質検査は総括して自閉的で、爆発的傾向を持つ異常性格と判定された。

 次にロールシャッハ・テストを行なったが、注射前は精神障害的であり、注射後は準秩序的で正常人に近くなった。

 佐伯教授は以上の諸テストを終わったのち、ガンゼル状態のときには反応がないか、あるいは普通であって、注射後、反応があるか、さらに大きくなった刺激語とその反応語を仔細《しさい》に検討した。

 すでに教授は注目していたことであるが、野本ミチ子に関してのみ、アミタール注射前後の反応に変化がない。

 他の犠牲者については、注射後いちじるしい反応を示しているのに、野本については、終始「不知」を主張している。

 教授はこの理由は何かと考えた。

 その他、警察、好みの女性、価値観念等については、注射前後を通して反応が同じである。

 これは、三谷の考え方がガンゼル状態の中で、つい顕《あら》われてしまったものと思われる。ということは、野本ミチ子に関しても、彼の本音が顕われたのか?

「女の好み!」

 佐伯教授は、ふと目を光らせた。彼は自分の思いつきを確認するために、犠牲者の特徴を一表にまとめた。

 間島信子(一八)丸顔、色白、髪は長く自然のままにしている。体格よし、身長一六三センチ。

 大井君子(一七)丸顔、色白、髪は長くポニーテールにしている。グラマータイプ、身長一六五センチ。

 吉野明美(一九)下ぶくれ型、色白、髪は長く肩から背にたらしている。ふくよかな感じ、身長一六三センチ。

 野本ミチ子(二三)瓜実《うりざね》型の細面、色は浅黒い。やせ型、長髪で赤く染めている。身長一五八センチ。

 大石恵美子(一九)丸顔、色白、あたたかくふくよかな感じ。長髪をアップにまとめている。身長一六六センチ。

 さらに佐伯教授は、三谷に乱暴されただけで、殺害をまぬかれた千葉県K市の少女A子さんと前科の婦女暴行致傷の被害者たちの身体特徴を調べた。

 その結果、彼女らがいずれも、丸顔、色白、長髪、グラマータイプであることがわかった。この特徴は、野本ミチ子を除く他の四人の犠牲者の共通項でもある。これはそのまま三谷の好みになっている。

 しかも年齢が二十歳を越えていて、身長が一六〇未満、髪を赤く染めているのは、九人の犠牲者(A子と前科の被害者も加えて)の中で野本ミチ子一人である。

 つまり、野本は三谷の好みの女ではないのだ。

 ここにおいて佐伯教授は、野本ミチ子は、この連続強姦殺人事件とは無関係と断定した。

 たまたま同じ時期に行方不明になり、三谷の毒牙《どくが》にかけられた犠牲者の一人が埋められていた同じ場所から遺体が発見されたために、三谷事件の犠牲者と錯覚してしまったのだ。

 捜査本部は、佐伯教授の着眼に愕然《がくぜん》となった。

 たしかに身体特徴といい、アミタール面接にかけても頑《がん》としてつっぱねる三谷の態度といい、別件と考えたほうが妥当のようである。

 しかしそうだとすれば、だれが彼女を殺したのか? 剖検によって死因は扼殺《やくさつ》と鑑定されている。

 あらためて、野本ミチ子の周辺が丹念に洗いなおされた。

 調べるうちに野本が、中学時代から、不純異性交遊や、シンナー遊び等に耽《ふけ》って、とかく問題をおこしていた事実が浮かんできた。中学を卒業してから、しばらく東京へ出て、トルコ風呂やバーなどで働いていたらしい。殺される一年ほど前に、K市へ舞い戻って、市内の盛り場に地元の不良グループとたむろしていたという。

 三谷事件の犠牲者がすべて、まじめな女子高校生や、OLだったことに比べて、野本ミチ子は、この点においても明らかに異質であった。

 当然捜査陣の目は、野本が殺される直前つきあっていたK市のチンピラグループに向けられた。

 彼らはK署へ呼ばれて厳しく追及された。

 しかし彼らは文字どおりのチンピラで、せいぜい学生やアベック相手の恐喝《きようかつ》を働く程度である。とても殺人を犯すほどの悪《わる》はいそうになかった。

 むしろ野本ミチ子の子分として、彼女の命令のままに嬉々《きき》として動きまわっていたのである。

 仲間内で�女王蜂《じよおうばち》�のミチ子を争い、その軋轢《あつれき》が高じて、彼女を殺したと考えるには、無理が多かった。

 しかし、捜査本部は彼らへの疑いを捨てなかった。他にミチ子に動機を持つような人間は浮かび上がらない。ナガシの線も薄い。

 男がその気になれば、女ボスを殺すのはわけがない。

 刑事の厳しい追及に音《ね》をあげた彼らの一人が、

「強姦はしたが、殺しなどしない」と言った。

「強姦? 野本ミチ子をやったのか?」

 取調べにあたっていた刑事は、それに食いついた。

「ちがいます。あねごじゃない。堅気の娘です」

「どこの娘だ? いつどこでやったんだ」

「田原医院の娘です。二月ごろです。あねごが美味《うま》いものをご馳走《ちそう》してやるからと言うので町はずれの畑の中で待っていると、その娘を車へ乗せて連れて来たのです。あねごはその娘に何か怨《うら》みがあったようで、おれたちに輪姦《まわ》させたのです」

「田原の娘といえば、たしか半年前に自殺をしたな」

 取調べにあたったのが地元刑事だったので、すぐにその事件を思い出した。市内で最も大きい田原医院の娘が、結婚直前に原因不明の自殺をとげた事件は、まだ記憶に残っている。

 失恋か何かの原因があったらしいが、家族がかたく伏せてしまったので、警察も深く立ち入れなかった。

 その娘を、彼らが輪姦《りんかん》したという。時期も一致している。娘は輪姦されて間もなく死んでいるのだ。

「きさまたちがやったんだな」

 刑事の声は激しい怒りを帯びた。結婚をひかえた若い娘が、町の不良に、あろうことか輪姦された。そのショックは回復しがたいものであったにちがいない。普通《なみ》の不祥事ではない。うす汚れた不良たちに、徹底的に弄《もてあそ》ばれ、汚されつくした。

 親には言えない、婚約者には申しわけない。良家の箱入りだっただけに、耐性もない。

 彼女は簡単に自らの命を摘み取ってしまったのだ。遺書はあったかもしれない。あるいはなかったかもしれない。いずれにしても、家族は娘の自殺の理由をうすうす悟ったはずだ。そして、名門の家名を重んずる彼らは、娘の死を悲しむ前に、その原因をかたく秘匿《ひとく》したのである。

 良家の子女が、地まわりの不良に輪姦された。あり得べからざることだ。刑事はあらためてそのときの田原家の拒絶的な態度に思いあたった。

「きさまらが殺したのも同じことだぞ!」

 刑事の怒りは本物だった。

「すみません」

「何人でやったんだ」

「ここにいる連中全部です」

「馬鹿!」

 刑事はついにどなりつけた。彼らの興味本位な獣欲と衝動によって、あたら開花寸前の美しい花を、根本から折ってしまったことにたまらなく腹が立ったのである。

 しかし、そのチンピラの供述に嘘《うそ》はなさそうだった。

 野本ミチ子がどうしてそんな悪質な教唆をしたのかわからない。しかし適齢まで育てた娘を、むざむざ自殺に追いやられた親にしてみれば、泣いても泣ききれない思いだったにちがいない。

「田原家の復讐《ふくしゆう》ではないだろうか?」

 という線が捜査本部に打ち出された。娘が自殺をしたとき、その原因を伏せたのは、家名のためではなく、後日の復讐に備えてであったかもしれない。

 原因を公表しておけば、野本ミチ子が変死したときにすぐにたぐられてしまう。

 田原家の拒否的だった態度は、将来の予防工作としても理解できるのである。

 あらためて、田原家に事情が聴かれた。まだ参考人の段階であるが、背後に殺人の容疑がからんでいるので、事情聴取といっても、取調べに近い。

 自殺した田原弓子の父親、田原和之は、遺書があったことを認めた。そしてその中で野本ミチ子の名前が挙げられ、自殺に追いつめられた原因がかなり詳しく述べられていたことを語った。

 彼は、捜査本部が抱いている疑いを敏感に悟ったらしく、

「しかし、私は野本ミチ子をどうこうしようという気持ちはありませんでした。それはそのときは殺してやりたいくらいくやしく思ったことは事実です。けれどもその気持ちを実行に移すということは、べつのことです。私には、自分で言うのもおこがましいのですが、この土地に長くつづいた家系と、営々として築き上げた医者の地盤があります。それをすでに死んでしまった家族の一人のために失うことはできません。私には、親としての悲しみよりも、田原家代々の当主の一人としての責任のほうが大きいのです」

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