「どこに隠してるの?」
と、八重子は詰め寄って来る。
「知らないわ。どうして私が知っていると——」
「今、啓子が頼って行けるのは、令子さん、あなただけよ」
「そう」
私は肯《うなず》いた。「そうかもしれないわね。でも、私は知らない。——もう一つ言っておくわ。親の所へ頼って行けないなんて、子供にとっては不幸よ」
「——失礼します」
哲平がお茶をいれて入って来た。
八重子は、目の前に置かれたお茶に手をつけようとはせず、
「この人が、令子さんの恋人なのね」
と言った。
「ご存知?」
私は微笑《ほほえ》んだ。
「調べさせたわ。時々利用するホテルもね」
「ご苦労さま」
「大学の中で——。結構な教師ね! これが分ったら、あなたの立場がどうなるかしら」
「あの——」
と、哲平が口を開きかけるのを制して、
「待って。八重子さん。それは脅迫?」
「どう考えようとご自由よ」
八重子は立ち上った。「ともかく、明日までに啓子を返してちょうだい。もし戻らなかったら、匿名で、この大学の理事あてに、あなたたちの関係を知らせますからね」
何も言い返す暇もない。八重子は、さっさと研究室を出て行ってしまった。
「——何て奴だ!」
と、哲平が真赤になっている。「ねえ、先生——」
「いいの。気にしないで」
と、私は手を振った。「小学校の先生と生徒、というのなら問題があるかもしれないけど、大学よ、ここは。いちいち、そんなことでうるさく言うもんですか」
「だけど——」
「何か言われたら、やめてやるわよ。二人で田舎の小学校の先生でもやりましょ」
「あの……」
「何? 何が言いたいわけ?」
「ここに——」
と、哲平が書棚の奥のロッカーを開けると、中から啓子が出て来た。
「ごめんなさい。迷惑かけて」
ピョコンと頭を下げる。
「哲平。——あなたが?」
「うん……。まずかった?」
私は微笑んで、
「いいのよ。それでこそ哲平だわ」
哲平と啓子が、ホッとしたように顔を見合わせた。
「だけど……」
私は、ゆっくりと椅子にもたれて、「いいところへ来たわ、啓子ちゃん。今夜、もう一度デートしようと思ってるのよ」
と言った。
「私と、ですか?」
「今夜は哲平と。——あなた、誰かボーイフレンド、いない?」
「それは——捜せば何人か——」
「信用できそうな子を一人、連れて来て。分った?」
「はい」
啓子は、目を輝かせて肯いた。——前のように、ジーパンをはいた軽装である。
それがいかにも自由で、啓子には似合っていた。
「何だか……落ちつかないなあ」
と、哲平がキョロキョロしている。
「しっかりしてよ」
と、私は、いつもよりぐっと哲平にすがりつくようにして言った。
哲平が落ちつかないのは、周囲のアベックのせいか、それとも私が密《ヽ》接《ヽ》にしているせいか……。
少し霧が出ていた。それだけに、公園の中のムードも最高である。
「どこまで行くんだ?」
「その先よ」
「例の場所?」
「そう」
「気が乗らないな」
「何も本当にラブシーンをやることないのよ。その前にか《ヽ》た《ヽ》がつくわ」
「だといいけど……」
私たちの後ろをついて来る、黒いコートの姿があった。
私は手鏡を持っていたから、それにとっくに気付いていた。——そろそろ、問題の場所だ。
後ろからついて来た男が、足を早めて、距離をつめて来る。
私は、足を止めて、
「いやねえ。どこも空いてないじゃないの」
と文句を言った。
「じゃ、帰ろうか」
哲平のセリフ回しは、どうにも素人くさいが、これ以上は短くできなかったのである。
「——場所を捜してるのかね」
と、後ろから声がかかった。
「ああ、びっくりした!——ええ、そうなの」
「それなら、そこを入った所に、いい場所があるよ」
顔がよく見えない。声も、どこかくぐもったようだった。
「本当? まあ親切ね! どうもありがとう!」
と、私はわざとキンキン声を出して言った。
「いや、どういたしまして……」
黒いコートの男は、そのまま霧の中へ戻って行く。
「行くのかい?」
と、哲平が訊《き》く。
「当り前でしょ」
私は哲平の腕をつかんだ。「逃げようたって、そうはいかないからね!」
「怖い恋人だな」
と、哲平はため息をついた。
なるほど、問題の場所は、今夜も誰もいなかった。私は前に、啓子に連れられて来ているが、哲平は初めてだ。
「へえ。——本当に穴場だね」
と感心している。
私が哲平の腕に両手をかけてギュッとキスすると、哲平の方も、ついその気になる。
「だめ。——いいこと、用心してよ」
と、哲平の耳元へ囁《ささや》いた。
「任せとけって。その代り——」
「なあに?」
「うまくやったら、ホテルで一泊!」
「ご招待するわよ」
と、私は笑った。
「それじゃ——」
哲平は私から離れると、「何か下に敷くものを捜して来る」
と、少し大きい声を出す。
「急いでね」
「OK。待ってろよ」
哲平が茂みをかき分けて行く。私は、頭を低くして、様子を見守っていた。
太い木の下を哲平が通る。そこへ——上の枝の間から、スッと輪にした縄が下りて来る。
「哲平!」
と、私は叫んだ。
しかし、哲平の方も、ちゃんと分っている。手を伸して、その縄をつかむと、力一杯引張った。
「ワッ!」
と声を上げて、誰かが落ちて来た。
哲平とその男が折り重なって倒れる。たちまち取っ組み合いになった。
私が駆けつけるのと、ガツン、と音がして、哲平がよろけるのと同じだった。
「哲平!」
と、私が支える。
相手が逃げ出そうとしたところへ、パッと閃《せん》光《こう》が光った。
「写真をとったわよ!」
啓子である。「もう諦《あきら》めなさい!」
その男は、一瞬立ちすくんだが、すぐに駆け出してしまった。
「畜生! 殴られた!」
哲平が顎《あご》をさすりながら言った。「今のは誰なんだ?」
「啓子ちゃん、見た?」
「ええ……。でも、よく分らないわ。どこかで見た人だと——」
「制《ヽ》服《ヽ》なら分るわよ」
「まあ!」
啓子は、目を見開いた。「今の人——あのとき、駆けつけて来たお巡りさんだわ!」
「そう。妹が男に騙《だま》されて、ここで首を吊《つ》って死んだのよ。だから、こんな所で平気で抱き合っているアベックを許せなかった」
「じゃあ、あの黒いコートの人は?」
「同じ男よ。下の制服を隠すために着ていたのよ。今夜はきっと非番だったんでしょうね」
「命拾いだ」
哲平は、縄を見て言った。「これ、届け出るんだろ?」
「そうね。でも、たぶん——あの人が自首すると思うけど」
私と哲平、それに啓子の三人は、公園の出口の方へと歩いて行った。
「あの『兄貴』って所にいた女は、何だったんだい?」
と、哲平が訊《き》いた。
「あの子は女優の卵。ラブ・シーンを演じてたのよ」
「演じて?」
「そう。あの『兄貴』も、今の警官と同じ男よ。気が付かなかった?」
啓子と哲平が唖《あ》然《ぜん》とした。
「——じゃ、警官なのに?」
「正志のような男の子に憎しみを持ってたから、わざとああして引っかけると、女の子とこの公園へ来るように仕向けていたのよ」
「一人三役?——やれやれ!」
「あの女に訊いたら、渋々教えてくれたわ。あの男、以前は劇団にいたのよ。だから、メーキャップや声で、別人のように見せるのはお手のもの」
啓子は、しばらく黙っていたが、やがて顔を上げると、
「——正志、やっぱり殺されたんですね」
と言った。「少し気持が晴れたわ。私のせいで死んだんじゃないと分って……」
「でも、気の毒だったわね。——正志君が本当に啓子ちゃんを好きで、私の兄があなたのお母さんを本当に好きでないってことも、充分にあり得るのよね」
と、私は言って、啓子の肩を抱いてやった。「お家へ帰ったら?——きっと兄は外に女を作ってる。八重子さんも、寂しいのよ。あなたの若さと熱気が羨《うらや》ましいんだと思うわ」
啓子は、少し考えていたが、
「——分りました」
と、やがて肯いて、「逃げていても仕方ありませんものね。母に、言いたいことを堂々と言ってみます」
「そう。それがいいわ。——啓子ちゃん、一人で来たの?」
「ええ。だって——」
と、啓子は、ちょっとはにかんで、「正志の幽霊に合ったとき、まずいと思って」
「それもそうね」
と、私は笑って、「じゃ、三人で晩ご飯でも食べましょうか」
——哲平は、二人になれないので、むくれていた。私は言ってやった。
「哲平。明日は休講ね」
「やった!」
哲平が子供のように飛び上る。啓子が吹き出し、哲平は真赤になった。
——なかなかいい光景だった。
怪《かい》奇《き》博《はく》物《ぶつ》館《かん》
赤《あか》川《がわ》次《じ》郎《ろう》
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平成12年9月1日 発行
発行者 角川歴彦
発行所 株式会社 角川書店
〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3
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Jiro AKAGAWA 2000
本電子書籍は下記にもとづいて制作しました
角川文庫『怪奇博物館』平成9年5月25日初版刊行