「いいのよ。お風《ふ》呂《ろ》で、シャワーを浴びるから」
と、秀美は良江を止めて、「良江さんも大変だったわね。もう休んで」
「仕事ですから」
と、良江は、ちょっと照れたように微笑《ほほえ》んだ。
しかし、大変だったのは事実である。
昨日の誕生パーティに、やって来た秀美の友だちは一体何十人いたのだろうか? いや、途中から来たり、途中で帰ったりで、のべ百人近かったのではないか。
中には、秀美が全然知らない「友だち」がいたりして——つまり友だちの同伴者だ——、秀美とて、誰と誰がやって来たのやら、はっきり憶《おぼ》えてはいなかった。
その人数に、軽い食事や飲物を用意したのは良江だったのである。一人で、どんな忙しい思いをしたか、およそ家事と名のつくものをしたことのない秀美だって、よく分っていた。
後で、少し良江にお小づかいでもあげとこう、と秀美は思った。
リビングルームは、まだ、グラスや空の皿、ウイスキーの空びん、灰皿といった物で溢《あふ》れていた。
「片付けるの、明日でいいわよ」
と、秀美はバスルームへ向かって歩きながら言った。
「——明日じゃなくて今《ヽ》日《ヽ》か」
「いえ、寝る前にやってしまいますわ」
と、良江が早くも皿を重ねながら、言った。
「後になるほど、汚れが落ちにくくなりますから」
——よく働くこと。
大学生ではあるが、あまり大学へ行かないという秀美としては、良江など、別の星から来た生物に見える。
——シャワーを浴びて、やっと体があたたまった。バスルームから出ると、ネグリジェも下着も、新しいものが、ちゃんと用意してある。
秀美は、いつものことながら、ほとほと感心した。
——この屋敷に、秀美は良江と二人で住んでいる。父親は海外を飛び回っているし、母親は若い男と、都内のマンションに同《どう》棲《せい》中。
父親の方も、秀美が知っているだけでも、愛人が二人いるので、別に妻の浮気にも文句は言わないようだ。
一人っ子の秀美が、あまり古風な道徳を重視する娘に育たなくても仕方あるまい。
リビングルームへ行ってみると、さっきからほんの二十分くらいしかたっていないのに、ほぼきれいに片付いているので、秀美はまたびっくりした。
「——お嬢様」
と、良江がやって来る。
「なあに?」
「プレゼントの方はいかがなさいます?」
「プレゼントね!——そんなものがあったんだっけ!」
秀美はため息をついた。
もちろん、ゆうべの客たちが持って来た、誕生日のプレゼントである。
「山のようになっていますけど」
「捨てちまおうかしら」
「もったいないですよ! そんな——」
「冗談よ」
と、秀美は笑った。「何か欲しいものがあったら、適当に持ってって構わないのよ」
「そういうわけには……。お嬢様へのプレゼントなんですもの」
「いいのよ。どうせ、みんな小づかいの余ってる人たちなんだから」
「世の中には、そんな方もおられるんですねえ」
と、良江はため息をついた。
「どんなものがある?」
「さあ、まだ包みのままで……」
秀美は、客間へ行ってみた。プレゼントをそこへ全部積み上げてある。
山のように、という良江の言葉も、大げさではなかった。
「のんびり一つずつ開けるわ」
と、秀美は言った。「これを全部見てたら、夜が——いえ、日が暮れちゃう」
「そうでございますね。じゃ、そこにそのまま置いておきましょう」
「うん」
秀美は、立ち去りかけて、ふと、大崎からのプレゼントを見たい、と思った。
しかし、こう山積みでは、どれが誰からのものやら、見当もつかない。
あら、と秀美は一番上に、チョコンとのせてある、小さな包みに目を止めた。
それは、およそ、誕生日のプレゼントに見えなかった。ごく当り前の包装紙でくるんだだけなのである。リボンもかかっていなかった。
誰からだろう?
「——どうかなさいまして?」
と、良江が訊《き》いた。
「これ、誰が持ってきたんだろ? 憶《おぼ》えてる?」
「さあ……。お一人ずつのことまでは」
「そうね、でも——みんな大いに派手にしてあるから、却《かえ》って目立つわ。知能犯かな」
秀美は、その包みを開いた。
「——なあに、これ?」
と、呆《あつ》気《け》に取られる。
珍しいことだった。
それは、しかし無理もない。出て来たのは、大きなカナヅチとワラ人形、それに五寸釘《くぎ》だったのである。
よく、呪《のろ》いをかけたりするのに使うという奴《やつ》だ。
「誰かしら、こんな物くれたの?」
秀美は呆《あき》れたように言って、「でも、なかなか気がきいてるじゃないの」
と、笑った。
「あら——手紙がついてますよ」
良江が、包みから落ちた手紙を拾い上げて、秀美に差し出す。
「これ、持ってて」
秀美は、カナヅチや人形を良江に渡して、その手紙を広げてみた。——何だか、たどたどしい、下手な字だ。
〈二十歳、おめでとう。大人になったら、それにふさわしく、憎らしい人もできるでしょう。人形に、相手の身につけていたものを着せて、釘を打ち込みなさい。ただし、夜、十二時ちょうどに。あなたの憎む相手の命を絶つことができます。——あなたの友より〉
良江が、それを覗《のぞ》き込んで、
「まあ、気味が悪い!」
と、声を上げた。
「面白いじゃないの。気がきいてるわ」
と、秀美は愉《たの》しげに笑った。「友だちの中に、こんな洒落《しやれ》っ気のある人がいたなんて知らなかったわ」
「でも、お嬢様……」
と、良江は不安そうに、「こんなもの、捨ててしまった方がよろしいですよ」
「あら、どうして?」
「だって——もし、本当に——」
「本当だったら、ますます面白いわ」
秀美は、カナヅチや人形を良江から受け取ると、「さて、誰を呪《のろ》い殺そうかな」
と言いながら、部屋を出て行った……。
2
「——ハンバーガーを買って来たよ!」
助手の佐々木哲平が、その長身を、ちょっと窮屈そうにしながら、研究室へ入って来た。
「ここは大学よ!」
と、私は、書類から顔を上げて、哲平をにらんだ。
「あなたは助手。私は助教授。ちゃんと、『先生』をつけて話しなさい」
「はいはい」
哲平は頭をかいて、「ハンバーガーです、先《ヽ》生《ヽ》」
と、机の上に置く。
「ありがとう」
私はファイルを閉じて、「あなたも食べたら?」
「そうしようかな」
「一体いくつ買って来たのよ?」
私は、袋の大きさ——いや、巨《ヽ》大《ヽ》さ《ヽ》に、目を丸くした。
「八つ」
「ハンバーガーを八つも? パーティでも開くつもり?」
と、呆《あき》れて訊《き》くと、
「だって、僕が五つで先生が三つ……」
と、平然としている。
二十七歳という若さにとっては、ハンバーガーの五つぐらい、どうってことはないのかもしれない。
いや、私だって、もう三十五歳だが、ハンバーガーの三つぐらいは食べられないわけでもない。しかし、私ぐらいの年齢になると、何でもお腹《なか》に入ればいいというわけにはいかない。
量よりも質、という年齢なのである。
哲平だって、もう二十七なのだから、普通なら、家庭でも持って落ちついていい年齢である。それが未《いま》だに、学生気分でいるのは、まあ多分に私のせいでもある。
独身の私の、目下の恋《ヽ》人《ヽ》が哲平だからだ。でも、大学にいるときは、「先生と助手」というけじめを、きっちりつけるようにしている。
「——ともかく食べましょ」
私は、哲平の買って来たコーヒーとハンバーガーで、手軽に昼食を済ませることにしたのだ。
「ああ、腹減った!」
と、言っている間に、哲平はたちまち一つ目のハンバーガーをペロリと平らげてしまう。
「同じもんばっかり、よく食べられるわね」
と、私は呆れて言った。
「まだ一つだけだよ」
と、哲平は平気なものだ。
それにしたってね!
「今日は午後は講義ないんでしょ」
と、哲平は言った。
「それがどうしたの?」
「うん。その……ちょっと、お願いがあってね」
私はちょっと笑って、
「何よ、佐々木君らしくもない」
とからかった。「でも、ホテルへは昨日行ったばっかりじゃないの。そんなに張り切ると、老けるわよ」
「え?——ち、違うよ! そ《ヽ》の《ヽ》こ《ヽ》と《ヽ》じゃないんだ」
と、哲平は顔を赤くして首を振った。
年《と》齢《し》の割には純情なんだから!
「じゃ、何なの?」
「ちょっとね、会ってほしい人がいるんだ」
「へえ。私に夫を世話してくれるっていうの?」
「違うよ!」
「じゃ、あなたの恋人を紹介しようっていうわけ?」
「ただの知り合いだよ」
と、哲平は強調した。「二、三年前に、アルバイトで一緒になったことのある女の子なんだ。今は、どこかの金持の屋敷で働いてる」
「へえ。その子をどうして私に?」
「相談したいことがあるんだって」
「佐々木君に、じゃないの?」
「いや、実はね——」
と、哲平は、ハンバーガーの三《ヽ》つ《ヽ》目《ヽ》にとりかかりながら、言った。「昨日、その子にバッタリ町で出くわしたんだ。何だかひどく心配そうでね。どうしたのかと思って、訊《き》いてみたら——ほら、前にね、先生のことを話したことがあるんだよ。怪奇現象とかを研究してるんだ、ってね」
「じゃ、その子も、何かその類《たぐい》のことで悩んでるの?」
「そうなんだ。——人に呪《のろ》いをかける手伝いをさせられてるんじゃないか、ってね」
「呪い?」
私は、興味をそそられた。——専門の研究を離れても、その手の話は大好きなのだ。
「それも、いともクラシックなやつなんだ。五寸釘《くぎ》をワラ人形に打ちつけるって、例のやつさ」
「へえ」
ワラ人形と五寸釘か。——確か、どこだかのオモチャのメーカーが、冗談に、そのセットを売り出したら、結構よく売れたとかいう話を聞いたことがある。
何だかいやな気分になったものだ。
もちろん、誰だって、そんなものを本気で使うことはあるまい。でも、本当に木にそ《ヽ》れ《ヽ》を打ちつけるとき、その心の底に、千分の一、万分の一、もし、本当に相手が死んだら——その思いが生れることが怖い。
殺意というのは、誰の心にも、必ず潜んでいるものなのだ。ただ、本人ですら、それに気付かないことも珍しくない。
そのいたずらが、意外な人への殺意を、呼び起こしてしまうとしたら、もうそれは「いたずら」ではなくなってしまう。
ある意味では、それは立派な「呪《のろ》い」かもしれない。
「事情は、当人から聞いてくれる?」
と、哲平が言った。
「いいわよ、もちろん」
私も自分のハンバーガーを一つ食べ終えて、
「どこで会うことになってるの?」
と訊《き》いた。
「今、廊下で待ってるんだ」
私は呆《あき》れて、
「じゃ、すぐ入ってもらいなさいよ!」
「でも、これを食べおわらないと……」
「私はもう沢山。残りはその人に食べてもらえばいいわ」
「そう? もったいないなあ」
と、哲平は考え込んで、「僕、もう一つもらおうかな……」
と呟《つぶや》いた……。
——楠本良江の話は、大いに興味深いものだった。
「——じゃ、そのワラ人形と五寸釘が、誕生日のプレゼントとして置かれてたのね?」
「そうなんです。名前はありませんでしたけど」
と、楠本良江は言った。
不安そうなのは、哲平の言う通りだったけれど、それならと、ハンバーガーをいかが、とすすめると、ペロリと二つも食べてしまったのは、「若さ」というものかもしれない。
「その手紙は取ってある?」
「いいえ。——たぶん、お嬢様が捨ててしまわれたと思います」
「残念ね」
「でも、変な字でした。小さな子供が書いたみたいな、下手な字で……」
「右ききの人が、左手で書いたんじゃないかしらね」
と、私は言った。
「ねえ、そのプレゼントだけどさ」
と、哲平が言った。「それ以外のプレゼントの贈り主を調べれば、残る一人が犯人ってことじゃないか」
「二《ヽ》つ《ヽ》持って来てたらどうするのよ」
と、私が言うと、哲平は、
「ああ、そうか」
と頭をかいた。
「たぶん、ちゃんとしたプレゼントも持って来てたはずよ。みんなでプレゼントを持ち寄って、一つだけ、そんな風にリボンもかかっていないんじゃ、目立ってしまうもの。一番上にあったというのも、帰りがけに、手早くのせておいた、ということだと思うね」
「私もそうだと思います」
と、良江が言った。「一応プレゼントは、皆さん、お嬢さんに手渡されてましたから、あ《ヽ》れ《ヽ》は、プレゼントを全部、客間へ移してから後に、そっと置いたんじゃないでしょうか」
「あなたの言う通りだと思うわ」
私は、ちょっと哲平の方を見て、「あなたに助手になってもらおうかしら」
哲平がプーッとフグみたいにふくれた。私は笑いをかみ殺して、
「ところでね、あなただって、そんなワラ人形で人が殺せるとは思ってないんでしょ?」
「ええ……」
「じゃ、何が心配なの?」
良江は、少しためらってから、
「お嬢様のご様子が、どうもおかしいものですから、気になって……」
「辻木秀美さん、だったわね」
「そうです」
「その人が——どうしたの?」
良江は、なおもしばらくためらっていたが、やがて思い切ったように一つ息をついて、
「私が、働いてるおうちのことを、あれこれ言うのは、本当はいけないことなんですけど……」
「心配しないで。誰にもあなたのことは言わないから」
「はい」
良江は肯いて、「実は、お嬢様には大崎さんというお友だちがいらっしゃるんです。ボーイフレンドといいますか……」
「恋人?」
「いえ、そんな仲じゃありません。本当のお友だちなんです。ただ——お嬢様の方では、大崎って人のことを好きなようです。大学生で、確か三年生ですけど、もう二十四かそこらで……。あんまり勉強しない人のようなんです」
「要するに金持のぐうたら息子ね」
と、私が言うと、良江はちょっと笑って、
「人は好き好きですから」
「全くね。で、秀美さんはその大崎って子を好き。でも、彼の方じゃ——」
「恋人がいるんです。坂本浩子さんといって、お嬢様の古い親友らしいんですけど」
「親友との三角関係。——辛《つら》いわね」
「はい。でも、お嬢様は、その坂本浩子さんに気をつかって、決して大崎さんに、必要以上になれなれしくしたりしません」
良江は、それから、首を振って、「——ところが、この間、坂本浩子さんが遊びにみえたときです。あの誕生日パーティから一週間たってました」
「何かあったのね」
「お嬢様が、急に、おっしゃったんです——」
「浩子、すてきじゃないの、そのネックレス!」
と、秀美が言った。
「——そう?」
坂本浩子は、戸惑い顔で、そのネックレスを手でいじった。「ありがとう。でも、安物なのよ」
「そう? でも値段とは関係ないわ。素敵なものは素敵よ」
秀美はソファに体を沈めると、「——ねえ、浩子」
「なあに?」
「そのネックレス、私にくれない?」
「これを?」
「いや? 気に入っちゃったの、すっかり。その代り、私のネックレス、どれでも、好きなの、持ってっていいから」
浩子は、困ったような顔で、大崎の方を見た。——大崎も、浩子を連れて、今日はここへ来ていたのである。
「いいじゃないか。取り換えれば?」
と、大崎は愉快そうに言った。「どう考えたって、君の方が得をする交換だよ」
「だけど……」
浩子は、ちょっと迷っているようだったが、
「——いいわ」
と、ネックレスを外し、秀美の方へ差し出した。
「いいわ。使って。こんなもので良かったら」
「悪いわね。私の、どれでも取ってよ」
「いいわ、別に。だって、これ、そんなに高くなかったんだもの。あなたのは、立派なのばっかりだし」
「そんなの不公平だもん! じゃ、今、持って来てあげる!」
「いいってば、秀美!」
浩子が声をかけても、秀美を止めることはできなかった。「——困ったわ。いいのにね……」
「もらっとけよ」
大崎は浩子の肩を軽く叩《たた》いて、「何しろ秀美は金持なんだから」
「だけど……」
浩子は、秀美とは違って、至っておとなしく、古風なタイプの娘である。秀美が火なら浩子は水というところか。
正反対ゆえの親友同士の典型みたいなものだった。
「——お茶をどうぞ」
と、良江がティーカップを置く。
「ありがとう」
浩子は、カップを取り上げて、「——でも、変だわ」
と言った。
「何が?」
「あのネックレス、全然、秀美の趣味じゃないのに。——永年付き合ってるんだもの、分るわ」
「好みが変ったんじゃないのか」
と、大崎は気楽に言った。「女心は変りやすいからな」
「でも、ああいう好みって、滅多に変るもんじゃないわよ」
二人が話していると、秀美が、両手に何十本も、ネックレスをかけて現われた。
「さあ、どれにする? 好きなのを選んでいいのよ!」
「——何だか、本当に変でしたわ」
と、楠本良江は言った。「お嬢様、あんなことをなさったことがないのに」
「で、結局、その坂本浩子さんは、秀美さんのネックレスを受け取ったの?」
と、私は訊《き》いた。
「はい。受け取られました。——お嬢様がああまでおっしゃるんじゃ、受け取らないわけにいかなかったんだと思います」
「それで——何があったの?」
「はあ……」
良江は、ちょっと不安げに、「馬鹿げていると思われそうなんですけど」
「言ってごらんよ」
と、哲平が言った。
「実は——次の日、大崎さんからお電話がありました」
「何のことで?」
「前の晩に、浩子さんが倒れて入院した、というんです」
3
「あの子は、もともと心臓が少し悪かったんですよ」
と、大崎昇は言った。
「で、今の具合はどうなの?」
と、私は訊いた。
「医者は、一週間くらい安静にしていれば、どうってことはない、と言ってますね」
私は肯《うなず》いた。——もちろん、顔には出さなかったけれど、この手の「ぐうたら息子」は大嫌いである。
恋人が入院中というのに、のんびりとテニスクラブへ遊びに来ているのだ。
しかも、テニスをするのでなく、女の子たちを眺めているだけというから、救われない!
ティールームにも、テニスルックの女の子たちが大勢出入りしている。
平日の午後だというのに、この子たちは何をしてるんだろう? 大学の助教授としては、にらみつけてやりたい気分である。
「やあー 今度、ドライブでも、どう?」
大崎が呼びかけたのは、もちろん私に、ではない。顔見知りらしい、女の子に手を振って、声をかけているのだ。呆《あき》れたものである。
「まだ、ムスタングに乗ってるの?」
「もうすぐポルシェにするからさ」
「そしたら乗せてね」
と、女の子が笑顔で手を振る。
「——彼女のそばについてなくていいの?」
と、私が言うと、大崎は肩をすくめて、
「僕は医者じゃありませんからね。べったりくっついてても、却《かえ》って迷惑でしょう」
と言った。
まあ、間違いではないかもしれないが、それにしたって……。
「それで、あなたは浩子とどういう関係なんですか?」
と、大崎が訊《き》いて来る。
「私? 私はね、探偵社の者なの」
「探偵?」
と、大崎が目を丸くする。
「そう。浩子さんが命を狙《ねら》われているっていう情報があったので、調べてるのよ」
大崎は目をパチクリしている。
「浩子を狙う奴なんて——いませんよ!」
「どうして分るの?」
「だって——」
と、大崎はぐっと詰って、「浩子はおとなしくて、性格のいい子なんだから」
「そう。でも、どんないい人間でも、必ず敵はいるものよ」
と、私は言った。「お邪魔したわね」
相手が考える間も与えずに、パッと退散する。
この方が、こういう相手には却って効果的である。
大崎のような男は、後から気を回して、ああじゃないか、こうかもしれない、と悩むタイプなのだ。
もし、大崎があの呪《のろ》いの人形の件と、何か関係があったのなら、きっと何か動き出すはずだ、と私は思った。
——テニスクラブを出て、車の方へ戻っていくと、ちょうど哲平のやって来るのが見えた。
「どうだった?」
と、哲平が訊く。
「まあまあね。——そっちは?」
「こっちも同様」
と、哲平は言って、「腹減っちゃったんだけど」
「情ない声、出さないでよ。お昼ぐらいはおごるわよ」
私は車に乗りながら、言った。
「昼は食べたんだけどね」
哲平は、おずおずと言った。
私は、笑い出してしまった。
——実際、近くのレストランに入ると、哲平は、これで昼を食べた後なのかとびっくりするほど、良く食べた。
「——話の方も忘れないでね」
と、私は言った。
「もちろん! でも——コーヒーを一杯もらっていいだろ?」
「好きにしなさい。それで彼女とはうまく会えたの?」
「もちろん!」
哲平は得意げに言った。「言われた通り、ともかくストレートにぶつかったんだ」
「やめた方がいいよ」
と、哲平が声をかけると、彼女は、ちょっと間を置いてから顔を上げ、
「私のこと?」
と言った。
高級ホテルのティールームで、かなり値段も高く、場所も三十階という高さだった。
「そう」
哲平は、辻木秀美の向いの椅《い》子《す》に座った。
「絶対にやめた方がいい」
「あの……」
秀美が当惑顔で、「何《ヽ》を《ヽ》やめるの?」
「君、死のうと思ってたんだろ?」
「私が?」
「やめた方がいいよ。その若さでもったいない!」
秀美は、しばしポカンとして、哲平を見ていたが、
「私、そんなこと考えてたんじゃありませんわ」
と、不機嫌な声を出した。「ずいぶん失礼な人ね」
「え? 違った?」
哲平は、少々オーバーに、びっくりして見せた。
「まるで見当違いよ」
「そうか。——いや、ごめん!」
哲平は、いとも素直に謝った。「しかし変だなあ。君の状態は、自殺志願者にピッタリだったんだけど」
「自殺志願者?——あなた、どういう人なの?」
「僕は佐々木哲平」
「名前なんか訊《き》いてないわ」
「じゃ、住所と電話番号?」
秀美は、笑い出してしまっていた。
「——面白い人ね」
「いや、ごめん。実は大学の心理学研究室にいてね。自殺しそうな人間とか、色々見分ける訓練をしてたんだ」
「それで私が、ピッタリだったわけ?」
秀美は愉快そうに言った。
「うん。しかし、そういつも同じ条件とは限らないみたいだな」
哲平はそう言って、立ち上った。「じゃ、どうも失礼」
歩きかけた哲平を、
「ね、ちょっと待って」
と、秀美が呼び止めた。
「僕に用?」
「座ってよ」
と、秀美は言った。「——私、辻木秀美」
「僕は——さっき言ったっけ」
「何か飲まない? ここ、私は支払いしなくていいの」
「へえ。タダなの?」
「父の名前で、つけておけるの。何か飲んだら?」
「でも——どうして僕におごってくれるんだい?」
「鑑定料よ」
と、秀美は微笑《ほほえ》んだ。
「外れても?」
「そう。——それに、確かに、私、『死』を考えてたわ。ただし——」
秀美は窓の外へ目を向けた。「他の人の死をね」
「誰か亡くなったの?」
「ま《ヽ》だ《ヽ》よ」
と、秀美は言った。「でも、私は死を願ってるの、その人の」
哲平は、少し間を置いて、
「憎い相手なのかい?」
と訊いた。
「親友よ」
と、秀美は言って、ちょっと肩をすくめた。
「いやになるわ、自分が」
「人間、そんなこともあるんじゃない?」
哲平の言葉に、秀美は、目を伏せた。
「そうかしら。——本当にそう思う?」
「うん。そういうことは、自分の意志と関係ないからね」
秀美は、ゆっくりと息をついた。
「あのねえ、私、ある人を好きなのよ」
「じゃ、告白したわけ?」
と、私は言った。「大したもんじゃないの!」
「でしょ? 僕の腕もそう捨てたもんじゃないや」
「すぐ調子に乗る」
と、私は笑って、「——で、彼女は、ワラ人形のことも話したの?」
「いや、そこまでは訊《き》かなかった」
「そう。まあいいわ。第一段階としては上出来よ」
と、私は言った。「果して、ワラ人形を贈ったのは誰かってことね、問題は」
「でも、どういうつもりなんだろうね? そんなもんで人は殺せやしないのに」
「人は殺せなくても、友情は殺せるわよ」
「でも、彼女と坂本浩子の仲を裂いて、誰が得する?」
「動機は損得とは限らないわ」
私は首を振って、「一文の得にもならなくたって、悪意だけで、人を殺す人間だっているわよ」
「そんなもんかなあ」
と、哲平は首をひねって、「僕なら、得にもならないのに、そんなことしないけどね」
「あなたならね」
と、私は笑った。
こういう現実的な人間には、人殺しはできない。特に、哲平は、何といっても、気が弱いのだから!
「で、次はどうしよう?」
と、哲平が言い出した。
「彼女にもっと接近できない? そのワラ人形とかカナヅチとかを、じかに見て来てほしいのよ」
「ああ、そうだ」
哲平は、コツン、と自分の頭を叩《たた》いて、「忘れてたよ。彼女の家に招待されてるんだった」
「どうしてそれをもっと早く言わないのよ!」
私は、哲平をにらんでやった。
病室へ入ると、ベッドで、ちょっと弱々しい様子の娘が、顔を向けた。
「失礼。——坂本浩子さんね」
と、私は言った。
「ええ。——あ、昇さんが言ってた、探偵さんですか?」
「まあ、よく分ったわね」
大崎は早速しゃべったらしい。
しかし、大崎が私のことを浩子に教えたというのは、少なくとも、浩子に対しては、妙な下心を持っていない、ということかもしれない。
「お話を聞いて、びっくりしました」
と、浩子は言った。「私を殺そうとしてる人がいるなんて……。とっても考えられませんけど」
「そう?」
「一体誰が、調査をお願いしたんですか?」
「それは職務上の秘密というやつでして」
私は、ちょっとウインクして見せた。
浩子は微笑《ほほえ》んで、
「ともかく、もう私、大したことありませんから」
と言った。「ご心配なく。明日には退院していいと言われてるんです」
「お医者様から聞いたんだけど——」
と、私は、椅《い》子《す》に腰をおろしながら、「この発作は、薬のせいでも起きるんですってね?」
「ええ。——でも、そんなもの私に飲ませる人なんて——」
「たいてい、殺される人は、みんな、殺されるとは思ってないわ」
と、私は言った。
浩子は、困ったような顔で、
「本当に、私《ヽ》を《ヽ》殺そうとしてるっていうんですか?」
「もし、そうだったら?」
と、私は訊《き》いた。
浩子は、少し黙っていたが、やがて天井に目を向けて、深々と息をついた。
「私、あの人に殺されるなら、本望です」
私は、ちょっと面食らった。
「そんなにあの人のことを……」
「ええ」
浩子は、しっかりと肯いて、「私、彼《ヽ》に殺されるのなら、幸せですわ」
と言った。
「ちょ、ちょっと待ってよ」
私は、あわてて、「彼《ヽ》に、と言ったの?」
「ええ」
「つまり——大崎さんのこと?」
「そうです、もちろん」
浩子は、当り前という様子で肯いて、「昇さんのことじゃないんですか?」
これには、こっちがびっくりする番である。
「でも、あなた……。大崎さんを愛してるんでしょ?」
「はい」
「なぜ、彼があなたを殺すの?」
浩子は、いともあっさりと、
「昇さん、本当は別の人を愛してるからですわ」
と言ったのだった。
「——全然話が違って来るじゃないか!」
と、哲平は言った。
「分ってるわよ」
私は車の運転を哲平に任せて、助手席で考え込んでいた。「いくら私だって、全然話にも出て来ない人間のことまで分らないわ」
「いやだなあ」
「——何が? 私がいやになった? 分ったわ。辻木秀美に会って、やっぱり若い子はいいと思ったんでしょ。どうせ私はもう年寄ですからね」
「勝手に決めるなよ!」
哲平があわてて言った。「僕が愛してるのは、先生だけなんだから!」
「それはいいけど、ちゃんと前を見て運転してくれる? 心中ならともかく、事故死なんて馬鹿らしいもの」
哲平はオンボロ車のハンドルを握り直した。——私も運転はできるのだが、こういうときは哲平に任せてある。
それに哲平にしてみると、先生である私を、助《ヽ》手《ヽ》席に座らせているというのが(子供じみているけれども)、一種の快感らしいのだ。——男なんて可愛《かわい》いものである。
「で、これからその女の所へ行こうってわけだね?」
と、哲平が訊く。
「そう。——あ、その信号、右だと思うわ」
「右折できないよ」
「いいから曲りなさい。道はあるんだから」
「また無茶を言って!」
ブツブツ言いながら、哲平は私の言う通りにする。大丈夫。こういう点、私はツイてるのである。
「どんな女なの?」
「名前は竹上信子。大学生じゃなくて、要するに、遊んでる女の子らしいわ」
「大崎って奴《やつ》も好きだなあ」
と、哲平が呆《あき》れた様子。
「真《ま》似《ね》したいんじゃないの?」
と、からかうと、またすぐむきになって、
「僕はそんな男じゃない!」
と大声を出す。
「ほらほら、行き過ぎちゃう! その左側よ。——このマンションだわ」
「へえ、高いなあ」
哲平は車を停めながら言った。
背も高いが、なかなか値段も高そうなマンションである。何しろ都心の一等地にあるのだ。
哲平のボロ車は、何となく似つかわしくない雰囲気だった。
「——何階だろう?」
「部屋まで聞かなかったわ。郵便受を見てよ」
と、私は言った。
一応高級の部類に入るマンションなのだろうが、あまり管理は良くないのかもしれない、と思った。ちょうど郵便受の真上の蛍光灯が、消えてしまっているのだ。
「暗いなあ」
哲平がブツブツ言いながら、郵便受の名前を見て行く。「竹上……竹上……と」
背後を、誰かが足早に通り過ぎて行く足音がして、私は振り向いた。