「どうして? 私に気をつかわなくたっていいじゃない。友だちでしょ」
「だから、よ」
ユカは清美の顔を見つめて、「何だか変よ清美」
「そう?」
「いつもなら、先頭切って、あちこち動き回るのに、ここへ来てから、何だか元気ないじゃない。——どこか具合でも悪いの?」
「別に」
と、清美は肩をすくめた。
令子たちは、「探険」と称して、この近くの古い別荘を見に行っている。
かつては、結構別荘地として、にぎやかだったらしいが、大手の企業が開発から手を引いて、すっかりさびれてしまった、ということだった。
だから、利用する人もなく放ってある別荘が、この他にも、いくつか建っているのだ。
「私、困っちゃうのよ」
と、ユカが、顔をしかめて、「だって、令子は森田君とベタベタしてるでしょ。山中君と私じゃ、話もできないんだもの」
清美は、ちょっと笑みを浮かべた。——ユカったら、私が何も知らないと思ってる。
「そんなことないでしょ」
「そんなことって?」
「ユカは山中君とお似合いよ」
ユカは、ちょっと面食らったように、
「私が? どうして?——山中君、清美のこと、凄《すご》く気にしてるのよ。さっきだって……」
ユカは、ちょっとためらってから、息をついた。「いいわ、言っちゃう。山中君に頼まれたの」
清美は、眉《まゆ》を寄せた。
「何を?」
「清美と話してみてくれないかって。心配してるのよ。『よっぽど嫌われてるみたいだ』って、苦笑いしてた。——清美、山中君のこと、嫌いなの?」
ここまでとぼけられると、清美も腹が立って来た。何も好きこのんで、一人でいるわけじゃない。ユカと山中の間を邪魔したくないと思っているのだ。それなのに——。
「あのね、ユカ」
清美は、立ち上って言った。「知られたくないんだったら、あのときに、あんまり声を上げないようにしなさいよ」
そして、一人足早に別荘へと戻って行った……。
その日の夕食は、何とも陰気なものになってしまった。
いつもなら、令子が一人ではしゃいで、隆一がそれに合わせるのだが、今日は、昼間、喧《けん》嘩《か》をしてしまって、お互い、むくれていた。
清美も山中も口をきかず、ユカはユカで、ふさぎ込んでいる、という状態。
ただ黙々と食事をしていた五人だったが……。
「——冷えてるじゃないか、このスープ」
と、隆一が文句を言った。
「あんたにはピッタリよ」
と、令子が言った。
——急に、ユカが泣き出した。肩を震わせ、声を押し殺して、泣き出したのである。
「ごめん——私——」
と、途切れ途切れに言うと、椅《い》子《す》を倒して、立ち上り、台所へと駆け込んで行ってしまった。
山中が、大きく息をついた。
「——参ったな」
そして、他の三人を見回して、「もう帰るか」
と言った。
隆一と令子が、顔を見合わせる。
「——私のせいよ」
と、清美が言うと、山中が、当惑したように、
「君のせいって?」
「私がつい——言い過ぎたの」
清美は首を振って、「でもね、山中君、あなたもいけないわよ」
と言ってやった。
「いけないって、何がだい?」
「ユカとのこと、どうして隠すの? はっきりしてあげなきゃ、ユカが可哀《かわい》そうじゃないの」
山中が、呆《あき》れて、
「ユカとのこと?——おい、何の話をしてるんだ?」
「とぼけないで。ちゃんと聞こえてるのよ。いくら壁がしっかりしてたって」
「待てよ。おい……」
山中は、じっと清美を見つめて、「つまり、僕が井上君と——」
「ええ、そうよ」
令子と隆一も、これにはびっくりしたようだった。
「——誓うよ」
山中は大真面目に言った。「僕と彼女の間には、何もないぞ」
「嘘《うそ》ばっかり!」
「本当だ。森田に訊《き》いてみろよ」
「おい——俺だって、そんなこと——」
と、隆一は困ったように、「でも、そんな話、聞いたことないな」
「だって、私、毎晩聞かされてるのよ、ここへ来てから」
「毎晩だって?」
山中が、隆一を見た。
「そりゃ、何かの勘違いだよ」
と、隆一が言った。
「そんなはずないわ。だって、ちゃんと隣の部屋から聞こえるのよ。——ユカの声が」
「それ、ゆうべも?」
と、令子が訊《き》いた。
「そうよ」
「じゃ、おかしいわ」
「どうして?」
「ゆうべ、私たち、夜中に山中君に怒られたのよ」
「あんまりうるさいからさ」
と、山中が顔をしかめて、「一人で寝てる身にもなってみろって、怒鳴ってやった」
「つまり、山中君、自分の部屋に、ずっといたっていうの?」
「そうだよ、毎晩、一歩だって、部屋から外へ出ちゃいない」
「そんな……。じゃ、私が聞いてたのは、何なのよ?」
——誰も、答えなかった。
「きっと空耳よ」
と、令子が言った。「清美、欲求不満なんじゃない?」
「おい」
隆一が、令子をつつく。
——清美はしばらく令子をにらんでいたが、やがて、吹き出してしまった。
「ひどいこと言うわねえ! それでも友だち?」
ホッと、空気が和《なご》んだ。
「信じてくれるかい?」
と、山中が訊く。
「そうね」
清美は、ちょっと考えてから、「信じてあげるわ」
と言った。
「恩着せがましいなあ」
「そりゃね、恩を着せてるんだもの」
と、清美は言った。「それに、山中君は、そんなに嘘《うそ》がつけるほど、演技力、ないもんね」
「言ったな! これでも高校じゃ演劇部だったんだぞ」
「へえ。何の役をやったの?」
「もちろん、ハムレットとかロミオとか——」
「嘘つけ」
と、隆一が言った。「ハムレットのときは、こいつ、嵐の場面で一生懸命船を揺らしてたんだぜ」
「ばらしたな! この裏切り者!」
山中が、隆一に襲いかかるふりをする。
令子が大笑いした。清美も。そして——いつの間にか、そこに立っていたユカも、笑っていた。
さっきの重苦しいムードが嘘のようだ。
「ユカ。——まだ、ご飯、途中よ」
と、清美が言うと、ユカは、
「うん」
と、肯《うなず》いて、食卓に戻って来た。
「ごめんね。私の誤解だったわ」
「いいのよ」
ユカは微笑《ほほえ》んで、「でも、山中君と恋仲になるなんて、すてきな誤解されて、嬉《うれ》しいわ。これが森田君だと考えちゃうけど」
「あ! それはないだろ!」
隆一がオーバーに嘆いて見せる。
「ほら見なさいよ。相手になったげてる私を、ありがたいと思いなさい」
令子が、ぐっと胸をそらした……。
にぎやかな夕食になった。
清美も、まだスッキリと納得できたわけではなかったが、ともかく、この雰囲気が戻って来たことは、素直に喜んでいた。
でも、ただの空耳にしては、あまりにはっきりと聞こえていた。
まさか。——まさか、本当に「欲求不満」のせいじゃ……。
いやだわ! 冗談じゃない!
清美は、勝手に真赤になった。
——その夜、清美は、何も聞かずに、眠りに落ちた。
3
その家は、正に、「荒れ果てて」いた。
「こりゃ凄《すご》いや」
と、隆一が言った。
「幽霊屋敷ね」
と、令子が楽しげな声を出す。
なに、令子だって、これが真夜中だったら、近寄りもしないに違いないのだ。
こんなに上天気の、陽《ひ》が一杯に照っている昼間だから、平気でいられるのである。
確かに、幽霊が住みついていたって、一向におかしくないような、荒廃した家だ。
「ずいぶん長いこと、放っておかれたんでしょうね」
崩れた石垣の前に立って、ユカが言った。
——ここは、五人がいる別荘から、歩いて十分ほどの所である。
隆一たちは、もっと遠くまでも行ったことがあったのだが、近くのこの家は見落としていたのである。
一つにはすっかり木や草が、その家を覆い隠してしまっていたからだった。
ちょっと見たところでは、家があることなど分らないのだ。
見付けたのは令子で、それも全くの偶然だった。
湖のほとりで、隆一と追いかけっこをしていて、その木立ちの奥へと駆け込んだら、そこにその家があった、というわけである。
「もう、何十年もたってるんだろう」
と、山中が言った。「よく壊れないもんだな」
木造の、古びた家で、壁はあちこちはげ落ちて、床板も抜けたり、柱が折れかかったりしている。
屋根も少し傾いているようだった。
「ちょっと指で押したら、潰《つぶ》れそう」
と、令子が言った。
「まさか」
清美は笑って、「押してみる?」
「中へ入ってみよう」
と、隆一が言い出した。
「いやよ、気持悪い」
令子が顔をしかめた。
「危いんじゃない?」
清美の言葉に、隆一は笑って、
「いくら何でも、家だよ。そう簡単に壊れないよ」
「そうかしら」
「じゃ、一人で入って」
と、令子が、隆一を押してやる。「無事だったら、私も行くから」
「へえ、怖いんだろ」
「怖いわよ。当り前でしょ。かよわき女ですもの」
「どこがか《ヽ》よ《ヽ》わ《ヽ》い《ヽ》んだよ」
と、笑って、「オーケー。いざ、探険隊、出発!」
「おい、けがしたって知らないぞ」
山中の言葉が、耳に入ったのかどうか、隆一は、その家——別荘というより、普通の家という感じだった——の方へと歩いて行った。
「——ちゃんと開くぜ、ほら」
隆一が、玄関のドアを開けた。かなり、きしんだ音はたてているが、ともかく、開いて来る。
「何か出て来ない?」
と、令子が声をかける。
「フランケンシュタインとドラキュラが、にらめっこして遊んでるよ」
と、隆一はおどけて見せて、中へ入って行った。
「呑《のん》気《き》な人ね」
と、清美は笑った。
「度胸があるのは、女の子に見られてるときだけさ」
と、山中が言った。
「でも——どうして、こんな風になっちゃったのかしらね」
と、ユカが言った。「他の所は、一応ちゃんとしてるじゃない」
「もともと古い家だったんだろう」
山中が家全体を眺め回して、「それに、他の別荘は、一応、閉めるときに、きちんと、窓に板を打ちつけたりしてる」
「あ、そうか」
清美は肯《うなず》いて、「それで、ちょっと違って見えるのね。変だと思った」
「じゃ、きっと、持主は、もうどうなってもいいと思って、放っといたのね」
と、ユカは言って、「何だか——家が哀れね」
と、独り言のように呟いた。
家が哀れ、か。
本当に、ユカって、やさしい子なんだ。
正直なところ、山中君には、ユカの方が似合うかしら、なんて、清美は考えていた。でも、却《かえ》って、清美とユカは、お互いを意識して、山中と、特別に親しくなろうとしないでいたのだったが——。
しばらく待っていると、隆一が、玄関の所へ姿を見せた。
手に何か、紙きれのようなものを持っている。
「おい、こんなものが——」
と、手を上げて見せたとき、突然、屋根が、バリバリ、と音をたてた。
「危い!」
と、みんなが一斉に叫んだ。
しかし、動き出すより早く、朽ちた屋根が、一気に崩れて、凄《すご》い埃《ほこり》が舞い上った。
「——隆一!」
令子が悲鳴を上げる。
「近寄るな!」
山中が、怒鳴る。「危いぞ! まだ崩れて来るかもしれない」
山中は、猛然と駆け出して行き、潰《つぶ》れた屋根の板をけちらした。
「森田!——森田!」
柱をかかえ上げ、裂けた板を押しのける。
清美は、息を殺して、じっとそれを見つめていた。
目の前で起ったことが、まだ信じられなかったのだ。
まるで大きな、見えない手で、ぐいと押し潰されたようだった。
見《ヽ》え《ヽ》な《ヽ》い《ヽ》手《ヽ》。
そう。——清美の手から、缶ジュースを奪い取った何《ヽ》か《ヽ》のような。
——すると、板が一枚、ヒョイとはね上って、隆一が立ち上った。
「おい、埃だらけだよ!」
と、咳《せき》込む。
「隆一!」
令子が、さすがに駆け寄って行った。
「——おい? 大丈夫か? けがはないのか?」
山中が腕を取って引張り出す。
「うん。——どこもけがしてないみたいだよ」
隆一は、やっとこ脱け出して、歩いて来たが、埃をかぶって真白になっている。
「運が強い奴だな」
と、山中が感心した。「死んじまったかと思ったぞ」
「残念ながら、俺は長生きするんだ。手相を見てもらったとき、そう言われた」
隆一は頭を振って、埃《ほこり》を落とした。
「長生きするぜ、全く」
と、山中は苦笑した。「ともかく、別荘に戻ろう」
「ああ」
「隆一、何持っているの?」
「え?——あ、これか」
隆一が持っていたのは、古い新聞紙だった。
「どうしたの、それ?」
と、ユカが訊く。
「中が空っぽでさ、何だか、この新聞が、ポツンと一つ、意味ありげに置いてあったんだ。だから取って来た」
「呆《あき》れた」
と、令子がにらむ。「古新聞一枚で、命を落とすところだったのよ」
「それも人生さ」
と、隆一が、気取って言った。
「——ああ、さっぱりした」
シャワーを浴びて、隆一が居間へ入って来た。
「はい、コーヒー」
と、令子が、カップを差し出す。
「おっ、感激だなあ。今日だけだろうけど」
——清美は、テーブルに広げた古い新聞を、じっと眺めていた。
「あそこが、どうして放っておいてあるのか、分ったわ」
と、清美は言った。
「何の話だい?」
と、山中が言った。
「これ、地方新聞よ。この辺の記事だけがのってる。——ほら、ここに写真が出てるわ」
と古ぼけた写真を指さす。「これ、さっき潰《つぶ》れた家だわ。石垣が同じだもの」
「あそこが?」
「ええ、ほら」
山中は、写真を覗《のぞ》き込んで、
「なるほど」
と肯いた。「それで、あそこが何だって?」
「老人が住んでたんですって」
と、清美は言った。「六十二歳。——奥さんを、ずっと早くに亡くして、一人で住んでいたのよ。その老人が、六十歳のとき、再婚したのね。相手は三十二歳の未亡人」
「若いな」
と、隆一が言った。「分った。お定まりの——」
「奥さんの浮気?」
と、令子が目を輝かせる。
そういう話は大好きである。
「本当にお定まりで、いやになるけど、その通りよ」
と、清美は言った。「近くの別荘の管理をしていた若者と恋に落ちて、奥さんは老人の目をかすめて、会いに行っていた……」
「年寄りの目をかすめるなんて、できっこないわ」
と、ユカが言った。「ともかく眠りが浅いし、物音にも敏感なもんなのよ」
「へえ、よく知ってるわね」
「ずっと田舎で、一緒に暮してたもの」
「で、どうなったの?」
と、令子が身を乗り出す。
「ある日、——奥さんと、その若者の姿を消えた、とするわ」
「駈《かけ》落《お》ち?」
「最初はみんな、そう思ったみたい。でも、その内、奥さんの身内や、男の方の親《しん》戚《せき》が騒ぎ始めた。お金も、服も、何一つ持って行っていない、っていうのね。そんなこと、考えられないって」
「ふーん」
山中が考え込んで、「じゃ、もしかして、その老人が……」
「老人は警察で取り調べを受けたんですって。どうも老人が二人を殺したんじゃないかと疑ってたらしいわ」
「そりゃそう思うだろ」
「でも、この付近を捜索しても、それらしい痕《こん》跡《せき》はなく、死体も見付からない。——湖に沈めたのでは、と、底をさらう準備をしている最中、突然、老人が自分の家で首を吊《つ》って死んでしまった……」
令子は肯いて、
「やっぱり、殺してたんじゃないの?」
「遺書も何もないので、分らないらしいわ。——結局、湖の底からも、死体は上らなかった。二人の行方は知れないまま迷宮入りになろうとしている……」
——少し、沈黙があった。
「じゃ、あの家で、その爺《じい》さん、首を吊ったのか」
と、隆一が言った。「それ知ってたら、絶対入らなかったぞ」
「もう一つの別荘って、どこ?」
と、ユカが訊《き》いた。
「書いてないわ。写真も出てないし」
「こ《ヽ》こ《ヽ》じゃないでしょうね」
令子が、ゾッとしたように周囲を見回す。
「そういえば、例の謎《なぞ》の声——」
「よせよ、森田」
と、山中がにらんだ。
「残念ながら、ここじゃないわ」
と、清美は笑って、「この記事だと、地下室があることになってるもの。ここ、地下室なんてないじゃないの」
「そうか、残念!」
と、隆一が、指を鳴らした。
「もし、ここだったら、逃げ出すくせに」
と、山中がからかう。
「逃げ出すもんか。——引き上げるだけさ」
「馬鹿ね」
令子が、隆一の肩を抱いて、「——ちょっと、夕食まで二人で休《ヽ》憩《ヽ》して来るわ。いいでしょ? 命拾いしたんだもの」
「お好きなように」
と、清美は言った。
どうせ令子がいたって、夕食の仕度はユカと清美がやるのだから、同じことなのだ。
「——さて」
と、山中が、伸びをして、「ここも、あと二日だな」
「可哀《かわい》そうね」
と、ユカが言った。
「え?」
清美が振り向くと、ユカは、窓辺に立って、外を見ていた。
「その老人。——きっと、奥さんを死ぬほど愛してたのよ」
「そうね」
清美は、肯《うなず》いた。
ふと——ここへ着いた日、台所の窓から見えた男のことを思い出した。
今思うと、あれは、少し足の不自由な、背中のやや曲った、老人のように見えた……。
いや、ただ、そんな気がするだけだろうか。
この記事を読んだから?
そう。——きっと、そうだ。
清美は自分にそう言い聞かせた。
4
ユカは、手を休めて、額の汗を拭《ぬぐ》った。
「——もうお昼か」
仕事をしていると、時間のたつのが早いこと。
そう。私は、本来、遊んでるより、働いている方が、性に合ってるんだわ。
ユカは、一人で別荘に残って、掃除していたのである。今日は帰るのだ。
飛び立つ鳥は後を濁さず——というのは、ちょっと古いかな。でも、ユカは、きちんと掃除しないと、気が済まないた《ヽ》ち《ヽ》なのである。
他の四人は、湖の方へ出ている。
別に、ユカが仲間外れにされたわけではなかった。朝の内、頭痛がして、出る気になれなかったのである。
清美は、心配して、
「私も残ろうか」
と言ってくれたが、ユカが、気にしないで行って、と頼んだのだ。
却《かえ》ってユカが気をつかうと思ったのか、清美も山中と一緒に、出かけて行った。
少し休んで、頭痛も治ったので、ユカは思い立って掃除を始めたのである。
そうして体を動かしている方が、ユカは調子がいいのだ。
「貧乏性なのね」
と、我ながらおかしくて、ユカは笑った。
そうね。——もともと、男二、女三人というアンバランスな組合わせだった。
どうしたって、一人余るのだ。そして、いつも、それはユカの役割なのである。
清美と山中。——いい取り合わせだ。
ちょっと胸が痛んだ。
もちろん、初めっから無理なんだけど——それは分っているけど、でも、分っていても、押えられないのが、恋心というものだろう……。
でも、いい。私は私に似合った役をやるしかない。
ユカは、廊下を歩いて行った。
「キャッ!」
と、声を上げたのは、何かにつまずいたからだった。
バリッ、と音がして——骨が折れたわけじゃなかった。床板の、少しめくれていたのが、ユカが爪《つま》先《さき》を引っかけて、割れてしまったのだ。
「いやだわ……。ぼんやりしてるから」
と、呟《つぶや》いて、割れた所へかがみ込んだのだが……。
割れ目の下に、空《ヽ》間《ヽ》が覗《のぞ》いていた。——顔を近づけると、カビくさい匂《にお》いがする。
何だろう? ユカは、割れ目に指を引っかけて、少し持ち上げてみた。
すると——一メートル四方くらいの床板が、持ち上って来たのである。
ユカは、驚いて、言葉も出なかった。
蓋《ふた》のようになっているのだ。——持ち上げてみると、下へ降りる階段がある。
「地下室があるんだわ……」
と、ユカは呟いた。
下は、ほの暗かった。真暗ではない。でも、何があるのか、ユカの目には見えない。
それでいて、何《ヽ》か《ヽ》があることは、分った。
この下に、何かがある。
思い出した。あの、古新聞にあった記事のことを。
この別荘に、地下室があった!——そうだ。あの、姿を消した男が管理していたのは、ここだったのに違いない。
ユカは、じっと地下の暗がりを覗き込んでいた。——何か、動くものが見えたような気がした……。
清美は、別荘へ入ると、まず二階へ行って、ユカの部屋を覗《のぞ》いた。
「ユカ。——何だ、起きたのか」
ベッドに、ユカの姿はない。
ユカの具合が気になって、一人で戻って来たのである。
「ユカ。——どこ?」
と、階段を降りながら、清美は呼んだ。
下りたところで、清美はハッとした。
コツコツコツ。——頭上に、あの足音が聞こえた。
でも、一瞬だった。すぐにそれは消えた。いや、それとも空耳だったのか。
ふと、清美は不安に捉《とら》えられた。
「ユカ。——ユカ!」
と大声で呼ぶ。
返事はなかった。廊下へ出てみて、ハッと足を止める。
ポッカリ、と床板が四角く開いて、そこに穴がある。
近付いてみて、清美は、そこが地下室への下り口だと知った。
やっぱり。——やっぱりそうだったのか。
ここが、あ《ヽ》の《ヽ》別荘だったのだ。
清美は、しゃがみ込んで、
「ユカ。——いるの?」
と声をかけた。
返事は、やはり、なかった。
清美は、少しためらってから、階段を、用心深く下りて行った。
どこに開いているのか、小さな明り採りの窓があって、うっすらと地下室を照らしている。
その、薄暗がりの中に、清美は、積み上げられた家具の山を見た。——何だろう、これは?
埃《ほこり》っぽい匂《にお》いで、むかつくようだった。
それだけではない。何か、別の匂い、どにか無気味な空気を、感じた。
「ユカ……」
と、つい、低い声での囁《ささや》きになる。
不意に、そこにいるユカに気付いた。
椅《い》子《す》に、座っている。古ぼけた椅子に、きちんと腰かけて、じっと清美を見ていた。
「ユカ! いたの。——良かった!」
清美はホッとして「早く出よう。気味悪いじゃないの」
と促した。
「いいえ」
と、ユカは言った。
「いいえ、って——ユカ、どういうことなの?」
「私、ここにいるわ」
ユカは、静かな声で言った。
「こんな所に?——でも——」
「この家具はね、あの老人のものなのよ」
清美は、ゆっくりと、積み上げられた家具を見渡した。
そうか。——だから、あの家は、空っぽだったのだ。
「あの老人は、寂しかったのよ」
と、ユカは言った。「奥さんを本当に愛していたのに、裏切られて、悲しかったのよ」
「ユカ……」
「でも、奥さんのそばで、死ぬわけにはいかなかった。——だから、自分の匂《にお》いのしみ込んだこの家具を、ここへ運び込んだのよ。せめて、家具だけでも、奥さんのそばに置いておきたかったから……」
「ユカ。——しっかりして!」
まともじゃない。やっと、清美はそれに気付いた。
「奥さんと、恋人の二人は、こ《ヽ》こ《ヽ》にいるわ」
「ここに?——地下室に?」
「いいえ」
と、ユカは首を振った。「二人一緒になんて。——だめよ。二人を別々にしなくては」
「じゃあ……」
「奥さんは、この足の下に」
と、ユカは言った。「男は、二階の壁の中に、塗り込めてあるわ」
清美は身震いした。——あの声は、あの悲しげな女の声は……。
「ユカ! 目を覚まして! あなた、夢を見てるのよ!」
清美は絶叫した。
「行って」
と、ユカは言った。「私はこ《ヽ》こ《ヽ》に残るわ」
「何ですって?」
「寂しい老人を、一人で残して行けないわ。私が、彼の妻になってあげる」
「馬鹿言わないで!」
清美は、ユカの手をつかんで引張ろうとした。——ハッとして、手を離した。
その手の冷《ヽ》た《ヽ》さ《ヽ》。生きている手ではない。
「ユカ……」
清美は頭をかかえた。「ああ——何てことに——」
ザーッ、と、細かい雨のような音がしたと思うと、頭上に、砂のようなものが降り注いだ。
「早く出ないと、あなたも生き埋めになるわよ」
と、ユカは言った。「早く出て」
「出るんだ!」
山中の声が、鋭く飛んで来た。
「山中君! ユカが——」
「今、聞いてた。君は出ろ」
「でも——」
「早く出て、別荘から離れろ」
「山中君——」
「早く!」
清美は、駆け上って、廊下へ出ると、出口へ向かって走った。
「——あなたは逃げないの」
ユカが、下りて来た山中へ、言った。
「君が来るなら、逃げる」
と、山中は言った。
「私はここにいるわ」
「それなら、僕もいる」
「あなたは死ぬわよ」
「いいとも」
山中は、真直ぐに、ユカを見つめた。「僕は君が好きなんだ」
ユカが、目を見開いた。
落ちて来る砂が、量を増した。
「——どうしたの? ねえ!」
令子が叫んだ。「ユカは? 山中君は?」
清美は、答えなかった。
どう答えたらいいのだろう?
別荘の外に、三人は立っていた。
「崩れるぞ」
と、隆一が言った。
別荘が、身震いしていた。屋根が、へこんだ。——あちこちが、バリバリと裂け始めている。
「地下室が——」
と、清美は言った。「潰《つぶ》れて行くのよ」
「でも——ユカと山中君——」
「分らないわよ、私にも!」
清美は叫んだ。
分っていたのだ。——山中が、ユカを選んだことが。たとえ、一緒に下敷になっても、だ。
「——出て来た!」
と、隆一が叫んだ。
砂埃の中から、山中が、ユカを抱きかかえて駆け出して来た。
「山中君!」
清美が駆け寄る。——そのとき、別荘が、まるで、大きなマッチ箱をつぶすように、メリメリと音をたてて、傾き、崩れて行った。
——白い埃《ほこり》が、しばらく、霧のように漂っていた。
「ユカ……」
清美は、声をかけた。
「清美」
ユカが、眠りから覚めたように、目をパチクリさせている。「——どうしたの?」
「どうってことじゃないのよ」
と、清美は微笑《ほほえ》んで、言った。「ただ、あなたに恋人ができたってこと」
ユカの頬《ほお》に朱がさした。
清美は、ユカの手を握った。——その手のぬくもりが、清美さえもあたためるようだった。
恋人たちの森
1
「ねえ! やだよ、こんな所じゃ!」
と、ケイは文句を言った。
「うるせえな。言っただろ、金ねえんだからさ」
と、言ったのは、ケイの「恋人」正志である。
正しい志、と、親は夢を託してつけた名前だろうが、どうもその希望よりは大分後退した線で、毎日を送っていた。
現に、今だって——夏の夜、やがて十一時になろうとしていた——正志の頭にあるのは、ケイとラブ・シーンを演じるのに、どこかいい場所はないか、ということだけだったのだ。
正志が十七歳、ケイが十六歳なのだから、あまり微笑《ほほえ》ましいといって言られる関係ではない。実際、正志は、チンピラヤクザの兄《ヽ》貴《ヽ》のアパートに転り込んで、スーパーだの商店街の店先だので、食い物を万引きして来るという、何とも「カッコ悪い」仕事をしていた。
ケイだって、その点、似たようなもんだ。
「お金、できたときにしようよ」
と、ふくれっつらをしているが、それでもポチャッとした、なかなか可愛《かわい》い娘である。
「待てよ。その奥にさ、ちょっと目につかない場所があんだよ」
「へえ、正志、詳しいのね」
と、ケイが皮肉ると、
「馬鹿!——兄貴から聞いて来たんだ」
ろくなことを教えない兄貴である。
夜のT公園。
寒い冬のさなかを除けば、ほぼ一年を通じて、アベックの名所である。
特に、夏は、木や草が繁って、恋人たちを隠してくれるので、大変な混《ヽ》雑《ヽ》だった。ベンチなど、まだ明るい夕方の内から「満席」で、予約しておくというわけにもいかないから、ケイと正志のように、遅れて来たカップルは当然座る場所などないのである。
「——そこの街灯の下が、穴場なんだ」
と、正志が木の間をかき分けて行くと、
「キャッ!」
胸をはだけた女が飛び起きた。
「何だよ、てめえは!」
ヒョイと起き上ったのは、どうも相手にはしたくない強そうな奴で、
「あ——ご、ごめん」
と、正志はあわてて逆戻りした。
「先客だったの?」
ケイは、ジーパンのポケットに手を突っ込んで、言った。
「畜生! 何だってこんなにアベックばっかりいやがるんだ!」
正志がグチると、ケイは笑い出してしまった。正志がむくれて、
「何がおかしいんだよ!」
「だって、私と正志だって、アベックじゃない。人のこと言えないよ」
「俺《おれ》たちは違う!」
と、正志はむきになって言った。
「じゃ、何よ?」
「ん?——俺たちは——恋人だい」
ケイは、でも、その正志の言葉が嬉《うれ》しかった。アベックじゃなくて恋人。
そうよ。はたから見りゃ、あの辺のベンチで抱き合ってる二人とちっとも変んないかもしれないけど、私は本《ヽ》当《ヽ》に《ヽ》正志が好きなんだから……。
「——もう諦《あきら》めたら?」
散々歩き回って、もう空いてる所といえば、何もない芝生の上しかない、ということが分った。そこにだって、寝転がって抱き合ってるカップルがいたが、いくら何でも、ケイも正志もそれほどの度胸はない。
「うん……」
正志は諦め切れない様子だ。
正直なところ——ケイと正志は、「恋人同士」とはいったものの、まだ一度も寝たことがない。いつも、グループぐるみの遊びや付合いで、二人きりになることは、めったにないのである。
それが今夜は珍しく、早々に二人きりとなり、少々アルコールも引っかけて、いいムードになった。ところが、もともと懐の乏しかった正志は、飲み代を払ったらスッカラカン。ケイも、ホテル代など持っていない。