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文章简介

作者: 当前章节:15354 字 更新时间:2026-6-22 20:36

幽霊列車

〈底 本〉文春文庫 昭和五十六年八月二十五日刊

 (C) Jirou Akagawa 2001 

〈お断り〉

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 目  次

 <a href=#1>第一話 幽 霊 列 車</a>

 <a href=#2>第二話 裏切られた誘拐</a>

 <a href=#3>第三話 凍りついた太陽</a>

 <a href=#4>第四話 ところにより、雨</a>

 <a href=#5>第五話 善人村の村祭</a>

 <a href=#6>あ と が き</a>

   章名をクリックするとその文章が表示されます。

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 連作長篇 幽 霊 列 車

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<a name=1>第一話 幽 霊 列 車

<h1 caption=" 幽 霊 列 車"></h1>

   1

 岩湯谷駅駅長・大谷徹三の証言。

「——八人。そりゃ間違いありません。あの朝の一番列車にはあの八人の他にお客はありませんでした。発車は六時十五分で、あのお客さん方は十分前ぐらいに駅にみえましたな。——はあ、私が自分でハサミを入れました。駅員は他におりませんので……。ええ、みなさん、そのまま列車に乗り込まれました。もう列車は、いつでも出られるようになっとりましたからな。——いいえ、いったん乗ってから降りて来た人はありません。改札口からは列車もホームも全部見渡せますので、それは確かです。——列車の向う側に降りたんじゃないかって? それにしたって列車が行っちまえば、いやでも目に入りますしなあ。それに、乗ったお客さん方が席に着いてるのが、ちゃんと見えとったんですから。——ええ、列車は定刻通りに発車しました。六時十五分、ぴったりにです。——時計ですか? 六時のラジオの時報で合ってるのを確かめたばかりでしたよ……」

 車掌・森信雄の証言。

「——はい、確かにお客さんは八人でした。私は発車までホームをぶらついてましたから、お客さんがずっと車内におられた事ははっきり申し上げられます。——列車は定刻通りに発車して、定刻通り六時二十五分に次の大湯谷駅へ着きました。途中、私は車掌室を出ませんでした。——ええ、それはいつもの通りです。走ってる間に、異常な事には全く気づきませんでした。——いいえ、列車は一度も停りませんでした。次の大湯谷駅に着くまでは、鉄橋とカーブで少しスピードをゆるめた以外は、いつものスピードでした。——ええ、もちろん車掌室の窓から表は見えますが、特に気をつけてはいませんでした……」

 機関士・関谷|一《はじめ》の証言。

「——ええ、俺もお客さんたちが乗るのは、ちらっと見ましたよ。運転台の窓から首を出してね。人数は数えなかったけど。——ええ、六時十五分に列車を出しましたよ。後はいつも通りの手順で……。もちろん列車を停めたりはしませんよ。——そうだな、あの機関車はそんなに速くはないですよ。でもいつも四十キロは出してますからね。カーブでも。——いやあ、四十キロってたいした事ないみたいだけど、飛びおりてごらんなさいよ、一度。軽いけがですみゃ運が強い方ですぜ。俺なんか一度二十キロぐらいで走ってる貨車から飛び降りて足をくじいた事がありますからね。——ええ、運転してて、いつもと違うような事はまるでなかったなあ……」

 大湯谷駅駅長・田口良介の証言。

「——あの朝、うちの駅から乗る客は一人もなかったです。で、わし一人でホームに立って一番列車が来るのを待っておりました。列車は時間通りに着きました。見ると客車の窓に人が見えないんで、車掌の森君に『今日は|空《から》だね』と声をかけますと、『いや、乗ってますよ』って返事です。『乗っちゃいないよ、一人も』と言うと、『そんなはずはありません』と森君がホームへ降りて来ました。で、わしが客車を指して『空じゃないか』と言ってやると、『おかしいな』と森君が首をひねります。それで二人して客車へ入ってみました。——ええ、人の|いた《ヽヽ》あとはありました。荷物は網棚に乗っかってるし、新聞がたたんで座席に置いてあるし、ふたを開けた、かんビールが窓ぎわに置いてありました。でも肝心のお客さんの姿が一人も見当りません。森君と二人で途方にくれてると、機関士の関谷君もやって来ました。で、三人で列車をくまなく捜しましたが、お客さんは一人もいない。わしは森君に思い違いじゃないか、お客さんは何か急用で、発車間際に降りたんじゃないか、と言ったんですが、森君は絶対にそんなはずはない、と言い張るんです。で、まあともかく何か事故があったに違いないってんで、警察へお知らせした訳で。——ええ、全く見当もつきません、何があったのか。|お客さん八人がみんな消えちまうなんて《ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ》……」

   2

「休暇をください」という、たったひと言が、実に言い|辛《づら》い上司というのがいるものである。本間警視などその最たる見本で、何しろ自分自身は全く休暇も取らず、休日出勤、とんぼ返りの出張も平気でやってのけるのだから、その部下になった者は不運と諦めねばならない。本間警視の下にもう十年もいる私にしてからが、その朝も警視のデスクの前に立って、

「あの……」

 と言ったきり、続く言葉が喉にはりついて出て来ない有様なのだ。

「うむ? 宇野君か。どうしたね?」

「はあ、その——」

「ちょうどよかった。君に話があるんだ。まあ、かけたまえ」

 こいつはいかんな、と古ぼけた椅子に腰を下ろしながら心の中で舌打ちした。何か新しい事件を押しつける気だ。「何が休暇だ、寝言なぞ言っとるときか!」と一喝されるのがおちだろう。ここはやっぱり、ずばりと言い出すべきだった。

「わしの用は——」

 と言いかけて、本間警視は、労務者並みに陽焼けした顔をごつい手で撫でると、「いや、君の方の話を先に聞こう」

 これぞチャンス、と私は大きく息を吸い込むと、

「実は三日間ほど休暇をいただきたいんです」

 一気に言って、ふうっと余った息を吐き出す。——俺にしちゃ上出来だな、全く。

 本間警視はちょっとの間、珍しいものでも眺めるような目つきで私を見ていたと思うと、驚いた事に、にやりと笑った。

「いやあ、偶然だね」

 と警視は大げさに手を振り回して「実はわしも君に休暇を取ってはどうか、と言おうと思っとったんだ」

 七つの時、可愛がっていた子猫を車にはねられて以来、無神論者だった私が、この時だけは神でも仏でも信じてやろうという気持になったのだった。だが——

「三日なぞと言わずに十日くらいどうかね。君も大きなヤマが続いて疲れとるだろう」

 ここに至って私は少々不安になって来た。これは要するに辞職勧告、お前クビだ、ということではないのか?

「いえ……。それほどまでにしていただかなくても……」

 私はおずおずと言った。

「そう言わずに、温泉にでも行って命の洗濯をして来いよ。いい温泉を知っとるんだ。山の中で、静かで人間も|素朴《そぼく》だ。肩|こり《ヽヽ》のほぐれる事、請け合いだぞ」

 とタバコの煙を吐き出すと、「岩湯谷温泉、というんだがね」

 私は、ゆっくり椅子にそっくり返った。そして警視と神と、神を信じかけた自分を|呪《のろ》った。そういう事だったのか。

「私に何をさせようってんです?」

「ま、そうむくれるな。例の無人列車事件、マスコミは〈幽霊列車〉なんぞと呼んどるが、君もまんざら興味がない事もあるまい」

「あれだけ騒がれれば当り前ですよ。でもあれは警視庁の管轄では……」

「わかっとる、むろん承知さ。——実はな、あそこの署長はわしの幼なじみでな、一緒に近所の庭の柿を盗んだ仲なんだ。少々単細胞ながら真面目ないい奴でな。そいつからわしの所へSOSが来た」

「県警は?」

「できれば県警の手は借りたくないらしい。その辺の気持は君も分るだろう」

「はあ。ですが……」

「それで君には私人として温泉の湯治客になってもらおうって訳だ。警視庁として乗り出すことはできんからね。……どうだね? ぜひ引き受けてくれんか。わしを助けると思って」

 私は大きく息を吸い込んで——がばっと立ち上がると、

「とんでもない。私を何だと思ってるんです? あなたの秘書じゃありませんよ。幼なじみだか、柿泥棒だか知りませんが——もう時効になってるんでしょうな——、何でそんな田舎の警察のために私が働かなきゃならんのです? 十日間の休暇ですって? そんな十日間なら、好きに使える三日間の方がずっとましです。私は大体田舎は嫌いなんです。新宿あたりでもぶらついてた方がよほど気が休まる。いいですか、絶対にそんな話はお断りですよ。ごめんです! 断じてごめんこうむります!」

 と、これは心の中でぶった大演説。実際の所は、大きく息を吸い込んで、ため息をつくと、

「そこの署長は?」

「武藤浩平。君の事は連絡しとくよ。いや、すまんな。明日にも早速発ってくれ。細かい事は後でメモにして渡す」

 ちっともすまなそうでない口調で言うと、本間警視は早くも別のファイルに目を通し始めた。

 私は、のろのろと椅子から立ち上がって、自分のデスクへ戻ろうとしたが、ふと大切な事を聞き洩らしたのに気づいて、

「あの……」

「何だ?」

「旅費と宿泊費は出していただけるんでしょうか?」

「ああ出すとも。なに、別のヤマにくっつけてごまかすさ」

「ありがとうございます」

 言ってから、どうして俺が礼を言わなきゃならないんだ、と思った。その日は一日中、やたらに腹が立っていた。

 私の名は宇野喬一。警視庁捜査一課の警部になって四年たつ。もう数カ月で四十に手の届こうという所。三年前に家内を交通事故で失ってから、子供もいないので、六畳一間の官舎に移って一人暮しの毎日が続いている。

 自分自身について、語るべき事はあまりない。中学校の時、通知表の素行欄に「おとなしくて目立たない」と書いたのは地理のカメレオン——亀田先生だったが、その評言は今も通用していると言っていいだろう。その証拠に、事件の現場へ駆けつけて調べまわっていると、よく若い刑事が「あ、警部、いらしてたんですか。おみえになったの、気が付きませんでしたよ」と言ってくれるのだ。中肉中背、いささか目つきが悪い他は際立って目立つ所もない風采は、刑事稼業には向いていると言っていいかもしれない。だが、それはあくまで風采だけの話だ。

 刑事には天賦の才能など無用である、とは本間警視の口癖だが、少なくとも歩く才能と、膨大な資料に、何日もかかって隅から隅まで目を通す忍耐力だけは必要である。私はその点、いささか同僚への劣等感に悩まされるのを禁じえないのだが……。

 それはともかく、その同僚たちの何も知らぬ|羨望《せんぼう》の眼差しに送られて、私の十日間の「休暇」は始まったのである。

   3

 落武者のなれの果て、という感じの鈍行列車の固い座席では寝もやらず、読み飽きた週刊誌を機械的にめくること三時間、「次は大場谷——大湯谷です」というアナウンスにほっと息をついたのは、もうかれこれ夕方の四時に近かった。

 私の降りるのはこの次の岩湯谷駅で、この線の終点である。例の〈無人列車〉別名〈幽霊列車〉は、岩湯谷を出発してこの大湯谷で乗客が消えているのを発見されたわけで、今、私はその線を逆に辿っている事になる。

 大湯谷駅は、何の変哲もない田舎駅で、ただホームがあって改札口がある、というだけのもの。一応駅舎らしい建物もあるが、小屋といった方が似つかわしい。ホームに立っている赤ら顔のずんぐりしたのが田口良介駅長だろう。後で話をする必要があるかもしれない。私はその赤ら顔を頭に入れた。

 私の乗った車両の三分の一ばかりを埋めていた団体客はここで降りてしまって、後には私と若い娘が一人残った。列車が終点岩湯谷駅へ向かって動き出すと、私は窓に身を寄せて、外の様子を注視した。

〈現代の神かくしか?〉〈幽霊列車の謎〉〈乗客たちは四次元の世界へ?〉——この二週間というもの、新聞、週刊誌の紙面を飾った名文句は数十を下るまい。走っている列車から八人の乗客が|忽然《こつぜん》と姿を消したというニュースは、電光のように日本中を駆け|巡《めぐ》った。様々な推理、臆測が流れ、いくつかの小説誌では早くも「小説・幽霊列車」といった類の連載が始まっていた。怪しげな宗教団体が便乗布教を銀座の|真中《まんなか》でやらかしたり、乗客たちを誘拐した宇宙人の代理だと称する男が身代金を要求してきたりする珍事もあった。

 だが周囲の派手な動きとは裏腹に、捜査は一向に進展しなかった。消えた八人の乗客の身元についても、全く不審な所はなく、ごく当り前の商店主たちだったし、両駅長、車掌、機関士の証言にも疑うべき点は見当らなかったのである。一体八人の乗客は、どこへ、どのようにして消えたのか?

 大湯谷駅を出て、列車は数十メートルと行かないうちに深い山間へ入って行った。両側は切り立った崖で、低い所でも二十メートル、高い所は三十五、六メートルはあろう。岩だらけならば、まだよじ登る事もできようが、滑りやすい粘土質の、のっぺりとした|屏風《びようぶ》のような崖である。これでは、たとえ巧く走行中の列車から飛び降りたとしても、山に入って姿をくらますという訳にはいかない。

 それでも何か見落としている点はないか、と、私は左右の車窓に交互に目をやりながら、確かめて行った。

 そのうち、私は、外の様子に興味を持っているのが自分だけではないのに気づいた。もう一人車両に残った若い娘が、目立たぬようにしている私とは逆に、しきりに左右の席を行きつ戻りつしながら、これはまた大げさに窓から身を乗り出して崖を振り仰いでは、何やらしきりに|肯《うなず》いているのだ。どうやら事件の謎にとりつかれてやって来たらしい。学生か——雑誌記者かもしれない。用心用心。こちらが警視庁の人間だと知れば、食いついて来て離れないだろう。

 娘は二十二、三歳という所か、小柄だが、スポーティな印象の娘である。サファリジャケットにジーパンという当世風のスタイル、長い髪を後ろで|無造作《むぞうさ》に束ねている。色白の、なかなか愛らしい顔立ちだった。私は、左右の窓を時計の振子よろしく|忙《いそが》しく往復するその娘を見ていて、「不思議の国のアリス」の「遅れっちまった、遅れっちまった」と走り回るウサギを連想した。

 列車は小さな鉄橋を通った。ここだけは崖が切れているのだろう、と期待していたが、あにはからんや、鉄橋の下は山をくり抜いた人工の水路で、右手の崖から左手へ、トンネルからトンネルへと豊かな水がかなりの勢いで流れているのだ。これではとうてい飛び込むなど及びもつかない。そしてまた、屏風はのっぺりと飽かず続くのである。

 ——これは容易な事件じゃないぞ。列車の両側がようやく開けたとき、私は思わず嘆息した。右手はなだらかな斜面が数軒の農家へ続き、左は、山ではあるが、茂みに|覆《おお》われたゆるい登りで、むろんどちらへも歩いて登り降りできる。だが、そこから岩湯谷駅まで直線でわずか五十メートル余。駅のホームから一目で見渡せる場所なのである。ここで列車から飛び降りたとしたら、岩湯谷の駅長の目に触れないはずはない。

 列車が停ってから、ゆっくり荷物を網棚から降ろす。同乗のウサギ娘は東京の国電よろしく、停車するなり、ひょいとホームへ飛び出して行った。

 まだ時間はそう遅くないのに、山間の|黄昏《たそがれ》は早く、空気は既に冷たく頬を刺す。他の車両にもほんの四、五人の客しか残っていなかったようで、大湯谷に比べ、この岩湯谷はややさびれた印象が拭えない。

 改札口を最後に出ようとして、私は白髪の駅員——いや駅長に声をかけられた。

「失礼ですが……」

「何か?」

「東京から来られた警視庁の方じゃ?」

「は……」

 いささかびっくりして、「まあ……確かに、警視庁の者ですが、どうしてそれを?」

「やっぱり」

 好人物らしい駅長は、ほっとした笑顔になって「署長の武藤さんから聞いとりましたんで。私、駅長の大谷徹三でございます」

「……よろしく」

「あそこに見える鉄筋の白い建物が〈ゆけむり荘〉です。何なら荷物をお持ちしましょうか? どうせ用事もありませんから」

 いやいや、大したことはありませんから、と断って、ゆけむり荘へ歩き出す。しかし参ったな。私人の資格で、だって? 小さな田舎町のことだ、この調子では町中がもう私の来るのを知っているかもしれない。何とも|しんどい《ヽヽヽヽ》話だ。

 木造の古びた旅館が立ち並ぶ中で、ゆけむり荘はただ一つ、鉄筋コンクリート三階建のホテル風の旅館であった。温泉という雰囲気にはそぐわないかもしれないが、団体客を受け入れるには仕方のないことなのだろう。

 どこからともなく湯の香がしめっぽく漂い、道端の下水溝からも湯気が立って、温泉町の風情である。

 ゆけむり荘へ入ると、傍の帳場——いやカウンターから、番頭風の小柄な中年男が急いで出て来ると、主人の児島公平でございますと名乗って、

「東京の宇野様で? お待ちしておりました、どうぞどうぞ」

 と主人自らの案内で、二階の部屋へ通される。

「いい部屋ですね」

 と私はバルコニーから、暮れゆく山並を眺めて言った。

「しかし児島さん、私はあくまで個人としてここへ来ているんです。私の身分をやたら明かしてくれては困りますよ」

「はい、それはもう、充分にわきまえております」

「なら結構ですが……。明日にでもあなたからもお話を|伺《うかが》うことになると思います」

「はあ、お役に立てれば何なりと」

 消えた八人の乗客は、このゆけむり荘の客だったのである。

「ではどうぞごゆっくり」

「あ、児島さん」

「は?」

「今、客は混んでますか?」

「ここ三、四日はやっと落ち着いてまいりました。何せ一時はお客様で溢れんばかりになりまして」

「事件のせいで客足は落ちなかったんですね」

「落ちるどころか、新聞、雑誌関係の方が我さきに駆けつけてこられまして……」

「大分もうかりましたか?」

「いえいえ」

 と笑って「人手の確保に骨を折りまして。それほどの|実入《みい》りでは……」

 主人が行ってしまうと、私はコートを脱いでハンガーにかけながら、あれは仲々油断できない相手だな、と思った。愛想よく外見を作るのに慣れている人間は、内心何を考えているか分らない。怪しい、というのではないが、言葉を額面通り受け取れる相手ではない——そんな|刑事《デカ》の直感があった。

 せっかく温泉に来たんだから、と、タオルを肩に、女中に聞いた通り、地階の大浴場へ階段を降りて行った。薄暗い廊下に湯気が霧の様に立ちこめている。その時、私は向こうから来た若い男と危くぶつかりそうになった。「おっと失礼」

「あ、どうも……。あれ!」

 とその男は私の顔を見るなり、「宇野警部じゃありませんか!」

 まずい所でまずい男に会ったものだ。東京の週刊誌記者、山岡である。

「珍しいとこで会ったね」

「宇野さんがね。……いよいよ警視庁が謎の解明に乗り出したって訳ですか」

「おい、気を回すなよ、俺は休暇で来てるんだぞ」

「休暇ですって? そうでしょうとも。いやあ、よかったな。いえね、あんまり何も起こらないんで、明日は東京へ帰るつもりだったんです。いや、ツイてるなあ。離しませんよ、宇野さん、何て言われたってね」

 そう言うなり、小走りに行ってしまった。やれやれ、こうなったら、とことんついて来るだろう。厄介者をしょい込んだな。さぞかし今頃は、本社へ電話を入れて、警視庁、ついに乗り出す、とか何とかニュースを送っている事だろう。警視庁の名を出させないためには、ある程度、ネタを提供する約束でもしておかねばなるまい。

 あれこれ考えながら、目の前の風呂場の戸を開けて、脱衣所へ入った。すると、向かいのガラス戸が開いて、若い娘が出て来た。——|若い娘が《ヽヽヽヽ》?

 一瞬、ごく当り前の様に、私とその娘は顔を見合わせて立っていた。しかしそれが長く続くはずはなかった。なぜなら娘は風呂から上がった所で、従って当然のこと、タオル一枚を手にしただけの裸だったからで、次の瞬間、娘はタオルと手で胸と——いや、ともかく悲鳴を上げたので、私は脱衣所を飛び出したのである。

 どうなってるんだ! 見上げると、そこには「家族風呂」の札があった。大きな風呂はさらに奥なのだ。私は娘の悲鳴に追いまくられるように奥へ駆け出した。——走りながら、気がついた。今の娘、あれは不思議の国の白ウサギじゃないか……。

   4

 いつもの習慣で、六時に目を覚ました。カーテンを開けると、朝日を受けた山の緑が思いがけない鮮やかさで、目を奪った。十月も末で、山の高みは早くもいくらか黄色くなりかかっているというのに、眼前の緑は六月の新緑のそれと見まごうほどだった。

 駅へ行ってみようか。——顔を洗ってから、ふと思いついた。六時五分だ。急げば六時十五分の始発列車が出るのを見られるだろう。例の幽霊列車と同じ列車だ。何か手掛りでもあるかもしれない。急いで支度をして部屋を飛び出す。

 冷たい、|冴《さ》え|冴《ざ》えとした空気に、頭に|淀《よど》んでいた眠気をいっぺんに吹っ飛ばされて、駅へ急ぐ。吐く息が白くなった。

 改札口にいた白髪の大谷駅長が私を認めて笑顔になった。

「お乗りになるんですか、警部さん」

「いえ、発車の様子を見たいだけです」

「そうですか、今日はお客さんなしで……。久しぶりですよ。あれ以来、話の種にって、この一番列車に乗る人が大勢いましてね」

 そこへ、がっしりした体つきの、見るからに実直そうな車掌がやって来た。

「ああ、ちょうどよかった」

 と大谷駅長、「車掌の森君です。森君、東京から来られた宇野警部さんだよ」

「お早うございます。あの件の捜査にいらしたんですか?」

「いや表向きは休暇旅行なので、他の人には黙っておいていただきたいんですが」

「承知しました。絶対に口外しませんよ」

 この男が約束すれば間違いあるまい、と思わせる口調だった。私はホームへ入って、発車間近の列車を眺めた。電化されているとはいえ、電気機関車は一昔前のしろものだし、三両連結の客車も見すぼらしいのを通り越して、哀れを催させるばかり。それに車掌室と荷物の車両が一両最後につけてあった。私は傍の森車掌へ、

「例の乗客たちはどの車両に?」

「三両目です。客車の一番後ろのやつですね」

「車両は全部、行き来できるんですか?」

「できます。最後の車掌室のある車両もです。もちろん機関車はできませんが」

「分りました。……乗客はどの乗車口から乗ったのか、憶えていますか?」

「ええ、後ろの口からでした」

「つまり車掌のあなたに一番近い口ですね」

「そうです。まあ、改札口から一番手近ですしね、あそこが」

「なるほど。確かに」

 私は腕時計を見て、「もう発車時間ですね?」

「はあ」

 と森車掌は自分の懐中時計を見て、

「あと一分ばかりです」

「すみませんが、よかったら、客車に乗って坐ってみてもらえませんか」

「私が、ですか? 構いませんよ」

 森車掌は|快《こころよ》く引き受けると、三両目の客車の後ろの乗降口から乗って、窓ぎわの席に坐ってみせた。

「これでいいですか?」

「すみませんが、反対側の窓際の方に坐ってみてください」

 森車掌は向う側の窓側の席、つまりホームから一番遠い席へ移った。それでもその姿は、ホームに立っている私からはっきりと見えた。これでは森車掌の目を盗んで列車の向う側へ降りるなどとても不可能だ。私は森車掌に礼を言って、列車が定刻通り発車するのを見送った。

 列車が去ってしまうと、何か急に寒々とした感じになった。——終点、といっても、車庫や操車場があるわけではない。この岩湯谷駅から、四つめの駅までは単線であり、その先からやっと複線化していて、車庫はその分岐駅にある。

 一本だけの線路は、少し先で列車止めに|阻《はば》まれて短い生命(?)を終っている。一つだけ支線があるが、すっかり錆び切って、古い貨車と手こぎの台車が一台ずつ、野ざらしになっていた。

「あの支線はどこへ通じてるんですか?」

 私はホームの掃除を始めた大谷駅長に訊いた。

「どこにも」

 というのが返事だった。「昔は少し先に採石場がありましてな、貨車が往復していたんですが、とっくに廃坑になって、線路も外されちまって——ほら、手でこぐ台車が見えるでしょう、あの辺までしか線路は残っとらんです」

「なるほど、採石場というと、ずいぶん大きなものだったんですか?」

「一時はかなり大規模にやっとりましたがな、何といっても元来ここは温泉町で、採石になかなか人手も集まらなかったし……」

「今じゃこの町は温泉ひと筋ですか?」

「はあ。しかし最近は……」

「思わしくないんですか?」

「大湯谷に客を取られましてね。温泉としちゃ、この岩湯谷の方がずっと立派だし、何たって歴史も古いんです。大湯谷は前は吉高村といって、温泉旅館なぞ一軒もなかったんですよ。それが東京のホテル業者があの辺の土地を買い占めて温泉町に仕立て上げちまったんです。名前もこっちと|紛《まぎ》らわしく〈大湯谷〉と変えましてね」

「迷惑な話ですね」

「全く。……向こうはともかく資本が大きいですからな、宣伝の力で段々客を集めるようになりました。今じゃすっかり大湯谷が本場と客が思うようになっちまいましたよ」

 大谷駅長の表情は深刻そのものだった。

「ここの人は大湯谷の人を快くは思っていないでしょうね」

「ええ。……私もここで生れた人間ですから、やはり町は可愛いです。大湯谷の連中とは付合う気がしませんなあ。旅館業者の集りなんかでも、ここの主人たちとあっちの主人たちとはろくすっぽ口もきかないそうですよ」

 私は肯いた。大湯谷と岩湯谷住民の反目、か。心に留めておいた方が良さそうだ。

 駅長に礼を言って帰ろうとした時、背後で妙な音がした。ドアがきしるような音である。振り向いてみたが、しばらくは何の音か分らなかった。

「あそこです」

 駅長が妙に緊張した声で指さしたのは、あの支線に放置された貨車だった。扉が中から少しずつ開けられているのだ!

「誰かあそこに?」

 私は鋭く訊いた。

「いえ、誰も……」

 消えた八人があの中に?——まさか、調べてあるはずだ、とは思ったが、一瞬そんな気がして背筋をちょっと冷たいものが走った。

 ホームから飛び降りて貨車へ駆け寄ると開けられた扉から中を|覗《のぞ》いて、

「おい! そこにいるのは誰だ?」

 中の暗がりから出て来た顔は、しばらく私を見つめてから、からかう様に、

「なんだ、あなたなの。覗き趣味はお風呂だけじゃないのね」

「ゆうべの事は済まなかった。考え事をしてて、つい気がつかなくて……」

「あらそう。それにしても、気がつくまでにずいぶん時間がかかったみたい」

 娘は皮肉たっぷりに言った。

 駅からゆけむり荘へ戻りながら、私は何だか|訳《わけ》の分らないイライラに取りつかれていた。この娘の小生意気な態度のせいでもあったが、それだけでもない。

「それにしても」

 私は突っけんどんに言った。「君はあんな貨車の中で、何をしてたんだ」

「あなたのものの|訊《き》き方って不愉快だわ。警察か何かみたい」

 私はぐっとつまった。

「それにあなたこそ、朝っぱらから何しに駅へ来てたの? 人に訊くなら、まず自分の方の説明を先にしてよ」

 こん畜生め! 近来になく腹が立って、一つひっぱたいてやろうか、と本気で考えたが、どうもそんな事ができそうにもない、と自分でも分っていたので思い止まった。

「宇野さん!」

 声に顔を上げると、記者の山岡がゆけむり荘の方から歩いて来る所だった。

「どうかしたのかい?」

「どうかしたじゃありませんよ。宇野さんの姿が見えないから、こいつはてっきり僕から逃げ出したんだと思って捜し回ってたんですよ」

「ゆうべちゃんと話したじゃないか。君の方が約束を守ってくれれば、俺は約束を破ったりはしないぞ」

「はいはい、信じてますよ」

 山岡は隣の娘を見て不思議そうに、「お連れさんですか?」

「とんでもない!」

 と私が言うのと同時に、娘は「ええ」と言った。

「これはこれは……」

 山岡がにやにやしながら、「微妙なご関係のようで」

「おい、よせ、変に気を回すなよ」

「いいじゃないですか。警視庁の鬼警部だって人の子ですからね」

「おい!」

 私は慌ててにらみつけた。

 ははーん、といった顔で、娘は私を眺めていた。私は苦々しい思いと、晴れがましい思いで、何とも複雑な心境であった。ともかく分ってしまっては仕方がない。

「山岡君、何か見つけたら、まず君に知らしてやるさ。だから余り俺をつけ回さないでくれ。他の記者連中まで騒ぎだすじゃないか」

「頼りにしてますよ。じゃまた」

 山岡が行ってしまうと、私と娘は何となく黙って立っていた。

「——君は、雑誌記者か何かなのかい?」

「私? いいえ、学生よ」

「いくつだい?」

「二十一」

「名前は?」

「永井夕子」

「貨車で何してた?」

「ハンカチ貸してくれる?」

「え?」

「ハンカチ」

「ああ……」

 私たちはまたゆけむり荘へ向けて歩き出した。

「油で汚れちゃった……」

 私のハンカチで手を拭くと、「借りてていい?」

「やるよ」

「今夜お風呂で洗って返すわ」

 とジーパンのポケットへねじ込む。

 私の脳裏に、ちらっと昨夜の彼女の白い裸身が、フラッシュのように|瞬《またた》いた。——馬鹿! 何を考えてるんだ。

「まだ質問に答えてないよ」

「朝ご飯の後でいいでしょ。訊問ってわけでもないようだし」

「ああ。……まあね」

「部屋は?」

「二〇七」

「後で伺うわ」

 ちょうどゆけむり荘へ着いた。娘——永井夕子は身軽に階段を駆け上がって行ってしまった。

 部屋へ戻ると、朝食の膳が出ていた。例によって、卵に海苔、|蒲鉾《かまぼこ》といった、旅館的朝食だが——それにしても、ゆうべはひどかった。何しろ……

「お邪魔します」

 入って来たのは何と永井夕子である。自分のお膳まで運んで来たのには|唖然《あぜん》とした。

「ご一緒していいでしょ」

 と私と差し向いに坐ると、さっさと食べ始める。——何だ、この娘は?

「食べないの?」

「いや……食べるよ」

 こちらがやっと食べ始めると、彼女の方はもう食べ終っている。

「足らないだろ、これ位じゃ」

「そうね。でも太らなくっていいけど」

 と言って、にやりとする。「でもここの食事って変ってるのね。そう思わなかった?」

「ゆうべのだろ。全くびっくりしたよ」

 いや全く、昨日の夕食ときたら、何とトンカツにエビフライなのである!

「こんな山の中の旅館だから、山菜料理とか、色々変ったものが出ると思ってたのに」

「人手が足りないんだろう」

 と私は訳知り顔で、「この町は一つ手前の大湯谷に客を取られて不景気らしいからね」

「私、都会っ子だから、ほんとは食べなれたものでほっとしたんだけど」

「僕もそうだな。あまり旅行して歩く趣味はないんだ。まあ職業柄いろいろ……あ、そうだった。君は僕の質問に答えに来たんだろ」

「ええ、そうよ。でも別に答えるほどの事はないの。あなたと同じで、今度の事件のこと、調べてみたかっただけ」

「で、名探偵さんには、何かつかめたのかね?」

「少し分ってるような気がするんだけど……。確信がないの」

 本物の探偵よろしく、眉をひそめて首を振ってみせる仕草が何とも可愛く、おかしくて、思わず私は微笑んだ。

「ね、宇野さん……だったわね? 刑事?」

「警部」

「あら、偉いのね、見かけによらず」

 一言余計だ。

「で、おいくつ?」

「僕かい? 四……いや三十……七」

 と少々サバを読んでおく。

「あらそう。じゃ、やっぱり無理ね」

「何が?」

「夫婦じゃ通らないわね。私、あなたの|姪《めい》ってことにするわ」

「何だって?」

「それなら一緒にいたっておかしくないでしょ」

「どうして一緒にいるんだ?」

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