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作者: 当前章节:15368 字 更新时间:2026-6-22 20:36

「おいおい、タレントじゃないんだぜ」

「あら、登場がピシッと決まるかどうかが、聴衆の心をつかむ鍵なのよ。——ほら、あっちのドアから、マイクの前まで歩いてみて」

 ニヤニヤしながら眺めている原田を極力無視して、私は渋々言われた通りに教壇へ上がった。

「こんなもんでいいのかい?」

「ねえ、そんなにドタドタ足音をたてなきゃ歩けないの?」

「そんなにやかましかった?」

「|蹄《ひづめ》があるみたいよ」

 私は足音を殺して、もう一度教壇へ上がった。

「今度はどうだい?」

「泥棒に入る訳じゃあるまいし、抜き足さし足でなくたっていいのよ。もっとこう、きびきびと大股に」

「難しいんだな」

「——ね、頭をピョコピョコ上下させないようにして。——そう、そのまますっとこっちを向いて。——だめだめ! 正面を向かないで、少し半身に構えて。そう。もっと顔を上げて。階段状だから、みんなそっちを見下ろしてるのよ。少し視線は上の方に。——天井まで行っちゃだめよ。もっと下げて……」

 そのうち、「ハイ、息を止めて、動かないで」と言われて、レントゲンでもとられるんじゃないか、と思った。

「それじゃ、また明日練習しましょう」

 夕子は、子供にレッスンを|施《ほどこ》すバレエ教師よろしく言った。

「主人が……殺された?」

 青木助手の妻、今は未亡人となって、黒いワンピースに小柄な体を包んだ青木治子が、放心したような様子で呟いた。

「今もお話しした通り、ご主人と同じ研究室におられた中野君が、ご主人が亡くなった時と全く同じ服装で殺されたので、ご主人の場合も、もしかして誰かに階段から突き落とされたのではないかと考えたわけです。それとも、ご主人がああいう服装をしておられた事に心当りでも?」

「いいえ……。不思議ですわね、考えてみると。今まで気にも止めませんでした」

「誰か、ご主人を恨んでいたような人間の心当りはありませんか?」

「いいえ」

 青木治子は寂しげに微笑んで、「あの人は一向に世間の事に関心のない人でしたから」

「そのようですね。——最近、特に誰かと争ったというような事は?」

「研究上の事では、いつも他の人と論争しておりましたけど、それ以外には……」

 青木治子は当惑顔で首を振った。その後、いくつか質問してから、私は原田とともに、彼女のもとを辞した。

「てんで手がかりなしですなあ」

 原田がぼやいた。「学問的な論争で殺されるってこともなさそうだし」

「そいつは分らんさ。ああいった人間には、シェークスピアが|脚気《かつけ》だったかどうかってのが、何よりの重大事なんだ」

「そんなもんですか」

「それにだ、他にも動機らしきものはあるじゃないか」

「何です?」

「あの夫人さ。——なかなか美人じゃないか。あれは立派に|世俗的《ヽヽヽ》な動機になるよ」

 私はそう言って、原田へ肯いて見せた。

 夕方、六時ともなると、もうすっかり闇夜である。大学の構内は、それでもまだ行事が続いているらしく、いくつかの建物から学生が出入りしていた。方々捜して、やっと夕子を見つけると、学生食堂でコーヒーを飲んだ。

「青木助手の奥さんをめぐって、何かこう、いざこざはなかったのかい?」

「私もそれは考えてみたんだけど……。私も、別に個人的に親しかったわけじゃないから」

「それはそうだね。まあ、こっちも聞き込みをやらせているから、何かつかめるかもしれない」

「中野さんの事件の方は、何か分って?」

「いや、まだだ。犯人はたぶん中野君が下宿を出るのを見ていて後をつけたんだろう。下宿の人たちにも訊いてみたが、何も出て来なかったよ」

「そう。ともかく、あの|雨支度《ヽヽヽ》ね。あの理由さえ分れば……」

「こいつは君向きの事件だと思うがな」

「おだてちゃって」

 と夕子は笑顔でにらむ。

「そのうちきっと、はっと|ひらめく《ヽヽヽヽ》から、待っててよ」

「期待してるよ」

「ね、それはそうと、何の話にするか決めた?」

「ああ、一応三つばかり選んでみたんだがね、しかし考えてみると気が進まないね」

「何よ今さら——」

「だってそうじゃないか。この大学の人間が二人も変死して、それが解決してもいないのに、難事件をかくの如く解き明かしましたなんて、大きな顔して言えやしない」

「それもそうね……」

 夕子はロダンの〈考える人〉のポーズで考え込んでいたが、やがて、

「何だ、どうってことないじゃない」

 と気楽な様子に戻った。

「というと?」

「講演は|明後日《あさつて》なんだから、それまでに解決すればいいのよ」

「あっさり言うね。まだ何の手掛りもないっていうのに!」

「|私が《ヽヽ》解決してあげるわ」

「ほっ! 大きく出たね」

「期限を切られて捜査に当るなんて、ちょっと乙じゃない?」

「甲でも乙でもいいがね、そんな事、請け合って大丈夫なのかい?」

「私を信用しないの?」

 夕子にキッとにらまれて、私は慌てて、

「いや、そうじゃないけどね」

「私、試験だって、いつも一夜漬の方が成績がいいんだから」

「妙な自慢だなあ」

 その時、校内放送が「宇野警部さん、宇野警部さん。いらっしゃいましたら、至急正門前へお越し下さい」とアナウンスした。

「何だろう」

 私は夕子と顔を見合わせた。

「私も行くわ」

 私は夕子と共に、すっかり暗くなった構内を抜けて、正門へと急いだ。正門の前に、パトカーが赤い灯を点滅させながら停っていて、原田の巨体がうろうろしているのが見えた。

「おい、何事だ!」

「あ、宇野さん! よかった! いらしたんですね」

「何かあったのかい?」

「殺しですよ。あの川島って先生の——」

「川島先生が殺されたの?」

 夕子が思わず声を上げる。

「いや、本人じゃなくて、|おふくろさん《ヽヽヽヽヽヽ》なんですよ、殺されたのは。たった今、連絡があって」

 私と夕子はパトカーへ飛び込んだ。

   3

 事件は全く新しい様相を呈して来た。青木、中野の二人が殺された時点では、大学とその周辺だけに、捜査の網を張ればよかったのだが、川島助教授の、それも本人でなく、母親が殺されたとなると、動機や手段の点で全く話は違って来る。

「川島先生の母親っていうのはどういう人なんだい?」

 パトカーの中で、私は夕子に訊いた。

「昨年亡くなった川島教授は養子だったのよ。川島家は実業家で大変なお金持だったし、殺された奥さんは一人娘だったの。子供は三人いて、長男が、川島先生。次男がずっと年齢が離れてて、まだ二十四、五かな。確か大学を出たきり、仕事もしないでブラブラしてるはずよ。一番下が女の子で、川島綾子。私と同じ年齢で、あの大学の四年生なの」

「じゃ、同窓ってわけか」

「でも、ちょっとひねくれた子なの。悪い人じゃないけどね。ほとんど学校にも来てないの。絵を描くのが好きで、本当は美術大学に行きたがってたんだけど、お母さんがあの大学の理事でしょう。娘に訊きもせずに入学の手続をしちゃったのよ」

「話を聞くと、その殺された母親っていうのは、かなり活動家だったようだね」

「ええ。父親の事業を引き継いで立派に成功させてたんですもの。かなり猛烈なバイタリティの持主だったわ」

「それに金持か」

「当然ね。だから下の子供二人は、別に将来の心配もせずに、のんびりしてられるのよ」

「川島先生だけは頑張って過保護を脱したってわけだな」

 と私は肯いた。

「でもこれでまた大変ね。——今までの二つの死と、この事件と関連があるのかしら?」「何とも言えないがね……。しかし、こう続けて身近に殺人が起こるなんて偶然とは考えにくいよ」

「そうね……。でもそうなると、川島先生、微妙な立場ね」

「そうだ。何しろ三人全部に関係しているのは、川島先生だけだからな」

「でも最初の青木さんが死んだ時、先生は私たちと一緒だったわ」

「そうか。——そういえばそうだ」

「少なくとも三十分ぐらいはたってたでしょう、あの店に先生が入って来てから。青木さんはまだ死んで、そんなにたっていなかったわ」

「せいぜい十分ぐらいだったよ。——なるほど、そうなると川島先生には無理だったわけか」

「三つの事件が互いにつながってるとして、の話だけどね」

 夕子は考え込みながら言った。しかし、何十分か後、杉並の豪華な川島邸へ着いて、殺されている川島好子の死体を見下ろした私たちは、いやでも、三つの事件の関連を信じないわけにはいかなかった。川島好子はレインコートを着て、長靴をはき、傘を手にして死んでいたのである。むろん外は雨など気配もない。——違っている事といえば、コートも靴もいたって高級品で、これまでの二人のそれのようにくたびれてはいなかったという点だろう。付け加えると、傘はサン・ローランだった。

 やや成金趣味的な感のある、装飾過多な川島邸の居間に腰を下ろして、私は川島助教授と顔を合わせていた。

 夕子は暖炉のそばに立って——大理石のマントルピースである!——私たちの話に耳を傾けている。目の前のテーブルには、極上のシェリー酒のグラスが置かれていて、|喉《のど》から手が出そうだが、だめだめ、勤務中! どこからともなく音楽が流れている。オーディオ趣味の現われか、見えない所にスピーカーがいくつも埋め込んであるらしい。

「すっかりご厄介をおかけして」

 川島は、母親が死んだわりには、あっさりした顔で、シェリー酒のグラスを取り上げた。

「警部さんもどうぞ。仕事中といっても、一杯ぐらいよろしいでしょう」

 傍に坐ってノートを構えている原田がゴクンとつばを飲む音がする。体がでかいと、飲み込むつばの量も違うらしい。

 私は、ちょっと迷ってから、

「では、まあ、お言葉に甘えて……」

 と手をのばしたが、グラスを取るのは、原田の方が早かった。夕子が笑いをかみ殺している。——かすかに流れるムード音楽とシェリー酒。まるでナイトクラブのムードだ。

「妙に思われるでしょうね、警部さん」

 川島がグラスを手の中で揺らしながら、「母が死んだ——それも、あんな妙な殺され方をしたというのに、平気な顔で酒を飲み、音楽をかけているなんて、おかしいとお思いでしょう」

「ご説明を願えますか?」

「母は、忙しい人間でしてね。金が愛情だと信じていました。金をたくさん与えておけば子供は満足するものだ、とね。——悪い母親だったとは思いませんが、子供たちにとっては、どこかのおばさん、といった所でしかなかったんです。仕事、仕事で飛び回り、一日の中に北海道と九州へ出張して帰って来た事もあります。男も顔負けのエネルギッシュな実業家でしたよ。私など、ふざけて母を『社長』と呼んでいたくらいですからね」

「なるほど。後二人のお子さんも、同様ですか?」

「ええ。……いや、むしろ母を嫌っていましたね。弟の孝治はいつも昼まで寝ては夜遅くまで遊んで歩いているし、妹は絵にうつつを抜かしているし……。二人とも、自分が怠け者なのは、母が好き勝手にさせすぎたからだと思っています。——まあ責任転嫁というやつですね。現在の自分に不満なので、それを母のせいにしている、というところです」

 川島助教授の分析は実の弟妹にも極めて厳しかった。

「分りました。ところで、今日の事件ですが、大体、お母さんが殺されたのは、六時半頃、現場はご承知の通り玄関です。どこかへ出かけようとした所を、誰かが背後から忍び寄り、居間の壁に掛けてあった古い短剣で背中をひと突き——。ほとんど即死でした。レインコートを着ていたので、犯人が返り血を浴びたとは考えられない。短剣には指紋はありませんでした。まあ、こういった状況です。お母さんがどこへお出かけのつもりだったか、ご存知ありませんか?」

「今日は十一月三日——木曜日ですね。それなら、自分の会社へ行く所ですよ」

「休日にですか?」

「母には休日も何もありませんでしたよ。毎週木曜日は七時半から会社の幹部会議があるんです。まあ、極秘を要する事項とか、そんな話し合いをするようですね。詳しくは知りませんが」

「すると木曜日は必ず六時半にお出かけになっていたわけですね? それを皆さん、ご承知だった」

「ええ、知っていました」

「甚だ失礼ですが、あなたはその時どこにおいででした?」

「大学から戻ったのが五時半頃ですね。夕食は七時と決まっていますので、二階の部屋でレコードを聞いていました」

 要するに、信頼するに足るアリバイはない、という事だ。

「ありがとうございます。次に弟の孝治さんを呼んでいただけますか?」

「分りました」と立ち上がって、「なぜ、あんな格好をしていたのか、分りましたか?」

「いいえ、さっぱりです」

「そうですか……」

 いやに考え込んだ川島が出て行くと、原田刑事が、グラスのシェリー酒を飲みほして、

「うまい! いい酒ですなあ。|特級《ヽヽ》かな?」

「もうやめとけ」

「はあ。ね、宇野さん、今考えたんですが」

「何だ?」

 私はあまり期待しないで訊いた。

「雨が降ってないのに、雨の支度をして出かけるってのが、最近の流行なんじゃないですか? ファッション雑誌でも調べてみましょうか」

 ——期待しなくてよかった。ドアが開くと、お手伝いらしい、二十歳前後の娘が入って来た。空のグラスを下げて行こうとする。

「君が太田弓子さんだね?」

 私が声をかけると、娘がびっくりした顔で、おどおどと、

「は、はい」と肯く。

「奥さんが死んでるのを見つけたのは君だったね?」

「はい……」

「怖かったろうね」

「とっても!」

「君は何をしに玄関へ行ったの?」

「あ、あの……通りかかったんです。この部屋へ来る途中で……」

「なるほど。で、その時、誰か、家の人の姿を見かけなかった?」

「いいえ、誰も」

「そう。ありがとう、もういいよ」

 太田弓子がグラスの盆を手に、出て行こうとすると、ドアが開いて、派手なガウンを着た男が入って来た。一見して、ぐうたら息子といった様子で、やせて不健康な顔色、髪はぼさぼさで、今起きたばかりといった所だ。太田弓子は傍によけて、川島孝治を通したが、その時、伏せた顔が、かすかに赤らむのを、私は見逃さなかった。

 川島孝治は母の死にも至って関心がない様子で、自分は今日は午前中に起きて出かけるという|大仕事《ヽヽヽ》をしたので、三時頃から眠っていたと言った。

「犯人の心当りは?」

「さあね」と肩をすくめて、「誰にしろ感謝したいくらいだな。これで好きに使える遺産が懐に転がり込むんだからね」

 私はなぐり飛ばしてやりたい衝動を押えるのに苦労した。

「他にないの? じゃ、眠らしてもらうよ」

 川島孝治がさっさと行ってしまうと、原田が、吐いて捨てるように言った。

「何て奴だ! あいつですよ、犯人は。絶対に間違いない!」

 本当に、私だって犯人を選べるとしたら——変な言い方だが——川島孝治を挙げただろう。

「それはどうかしらね」

 夕子がゆっくりソファの方へ歩いて来た。

「三人も殺すほどの|努力家《ヽヽヽ》とは思えないわ。寝ていて、母親がいつか交通事故に遭って死なないかな、ぐらいは考えるでしょうけどね」

「そうかな。——君は、あのお手伝いの娘があいつを見た目つきに気が付いたかい?」

「女の目を何だと思ってるの」

 夕子は当然、といった顔で、「じゃ、あなた、彼女が妊娠しているのに気が付いた?」

 私は目を丸くした。

「本当かい?」

「盆を下げようとして、かがんだりする時、無意識にお腹をかばっていたわ」

「あの野郎! ますます許せん!」

 原田が顔を紅潮させていきり立った。

「まあ、落ち着けよ。さて娘の方に会わなきゃ」

「こっちからアトリエへ出向いた方が早いわよ」

「どこだい?」

「二階の奥。案内してあげる」

 絨毯を敷きつめた廊下を通り、階段を上がって行くと、奥に、ずいぶん風変りな扉が見えた。近くで見ると壁にドアの絵が描いてあるのだ。何だ、と思って笑うと、夕子がその絵のドアを押した。|本物の《ヽヽヽ》ドアだったのである。

 中はかなりの広さ。畳なら二十畳ばかりはあるだろう。ところが、アトリエという奴の常で、いたる所に描き上げた絵が並べてあり、画架が林のように突っ立っていて、足の踏み場もない狭苦しさだ。

「綾子さん!」

 夕子が呼ぶと、ゴソゴソ音がして、だぶだぶのスモックを着た娘が顔を出した。服のあちこちに絵具がこびりついていて、顔にもいくつか、カラフルなホクロがあったが、なかなか愛らしい顔立ちの娘である。

「ああ、夕子さん。珍しいじゃない」

「お邪魔かしら?」

「ううん、いいのよ。ちょうどきりがついたとこ」

「大学祭に来ないの?」

「行こうと思ってたんだけど、つい、面倒でね。——誰、あの人たち?」

「私の恋人の警部さんと部下の人」

「ああ……。ママが殺された件ね」

 私は咳払いして進み出ると、

「何を描いておいでですか?」

 と訊いてみた。

「|傑作《ヽヽ》ですわ」

 と、いとも簡潔な返事。

「なるほど……」

 描きかけのカンバスを覗いてみて、私はびっくりしてしまった。ダ・ヴィンチの「モナリザ」ではないか。傍には大きな「モナリザ」の複製が広げてあった。

「摸写ですか」

「よく見てごらんなさいよ」

 と夕子。言われて、よくよく見ると、なるほどモナリザには違いないが、どこか印象が違う。微笑してはいるのだが、その微笑は何だか高利貸の冷笑みたいでいやらしく、冷酷なのである。

「私は名画のパロディを描いてるんですの」

 川島綾子が言った。

「ははあ……」

「既成の価値を破壊するのが私の目的です」

 なるほど見回してみると、仕上がっている何枚かの絵はみんな見覚えのある絵ばかりだ。そしてどれも少しずつ本物と違う。ゴヤの〈裸のマヤ〉がビキニの水着を着ていたり、ホルバインの〈エラスムス像〉が羽ペンの代りにパーカーとおぼしき万年筆を持っている。だが、素人目にも、その技巧は大したものだと察しが付く。「ひねくれてる」と言った、夕子の言葉が何となく分るような気がした。

「ところで、お母さんが亡くなった件について、二、三伺いたいんですが——」

「悲しくはありませんわ」

 と綾子はきっぱり言った。「こうして好きな絵を描くだけのお金を出してくれていましたから、感謝してますけど、金持のパトロンみたいなものでした。親とは言えませんでした」

「ふむ……」

 私はため息をついて、「事件のあった時、どこにいました?」

「ここです」

 他にどこがあるのか、といった口調である。

「大学の、お兄さんの助手の方が二人殺されたのをご存知ですか?」

「ええ」と肯いて、「中野さんはよくここへ来ていました」

「この家へ?」

「このアトリエにです」

「ほんと?」

 今度は夕子もびっくりしたようだ。

「何だか、私に熱を上げてたみたいなの」

 夕子は目を輝かせた。女というやつはこの手の話が大好きなのだ。

「知らなかったわ。で、あなたの方はどうだったの?」

「馬鹿らしくって! あんな|俗物《ヽヽ》。——もう死んじゃったんだっけ。あんまり悪く言っちゃ可哀そうね。でも、本当にイライラさせられたわ。ここへ来ると、黙っていつまででも坐ってるんだもの」

「中野さんがねえ……」

 と夕子は首を振った。「昨日、この家へ来ることになってたのは、知ってた?」

「いいえ」

 つまる所、川島綾子は、三人の死のどれにも、大した関心を持っていないようだった。私たちはアトリエを出た。

「まあ、決まりきった手順を踏むより仕方なさそうだな。三人兄妹の中で、金に困っていた人間はいないか。交友関係はどうか……」

 と私は原田に言った。

「分りました」

 川島邸を出ると、もう九時過ぎだった。

「さて、困ったね」

 私は夕子と二人で、ぶらぶら歩きながら言った。「あさっての講演だけど、どうする?」

「さっき決めたじゃないの」

 私はびっくりして、

「しかし、三番目の事件で、事態がすっかり変って来たじゃないか」

「変るってのは必ずしも悪い事じゃないわ」

 夕子は澄まして言った。

「だがね、例の、雨支度の服装にしても、さっぱり理由がつかめないし……」

「そうね。でも……」

「でも?」

 私は夕子の顔を見た。「まさか君、何もかも分ってるなんて言い出すんじゃないだろうね!」

「そうは、言わないけど、ちょっと思いついた事があって」

「何だい?」

「まだ言えないわ。はっきり考えもまとまっていないのよ」

「君にしちゃ、謙虚な言い方だね」

「まあ、皮肉言って!」

 夕子は笑って歩き出したが、急に妙な顔つきになって、お腹を押えた。

「どうしたんだい?」

 私は、さっきのお手伝いの娘の事を思い出して、はっとした。「おい、まさか——|できて《ヽヽヽ》るんじゃないだろうね。僕の——」

「何言ってんのよ!」

 夕子が呆れ顔で、「今、何時だと思ってるの? お腹が空いて気持悪いのよ!」

   4

 四日は、聞き込みやら何やらで、すっかり潰れてしまった。さしたる戦果もないままに、警視庁へ戻ると、明日の講演の件で打ち合せをするから、大学まで来てくれという夕子からの伝言が待っていた。

 夕闇迫るキャンパスへ足を踏み入れた私は、初め、青木助手が死んでいた地下の書庫へと急いだ。なぜか分らないが、夕子がそこで待っているはずなのである。

 入口のドアを開けると、

「こっちよ」

 と足下から声がする。地下二階への急な階段の下から夕子が笑顔で見上げていた。

「一体何だってこんな所で……」

 と訊くと夕子は、

「他に|お客《ヽヽ》が来るのよ」

「客だって?」

「さ、降りて来て。お客さんの来る前に講演内容の打ち合せを済ませましょう」

 私は足下に用心しながら階段を降りると、手近なスツールに腰を下ろして、明日話す予定の事件の詳細について説明した。

「——ちょっと刺激が足らないんじゃない?」

 夕子が考え込みながら、「そうねえ、凄惨な現場写真のスライドか何か使ってもらえば……」

「おいおい、女子学生だって大勢いるんだろ。みんなが君のように、死体に慣れてるわけじゃないんだぜ」

「そうねえ、|男子《ヽヽ》学生が、失神でもすると困るわね」

 と大真面目に言うと、「それじゃ、せめて少し大げさに血を飛び散らすか何かして、話を派手にしてちょうだいよ」

 やれやれ、劇画世代とでもいうのか!——実際には、そんなに一面血の海なんて事はめったにないものなのだ……。

「じゃ、そんな所でいいね」

「ちゃんと時間通りに来てよ」

「分ってるよ。すっぽかしたりしたら絶交だろ?」

「それこそ血の海よ」

 死んでもらいます、って感じで夕子が言うと、何となく迫力がある。

「まあまあ、そんな殺伐とした話はともかくね、お客って誰なんだい?」

「それは来てのお楽しみ」

「犯人なのかい?」

「そう……。ある意味ではね」

「何だって?」

「ちょっと待って、今説明するわ」

 夕子は椅子に坐り直した。

「今回の三つの事件は」と夕子は続けた。「一見、全く同様な事件のように見えるでしょう。特に、三人が三人とも、まるで雨など降りそうもない天気なのに、雨支度を整えて殺されていた点を考えると、同一犯人による連続殺人じゃないかって考えたくなるわ。けれど、実際はどう? ——この三つの事件から、レインコートや長靴や傘を取り除いてみると、それぞれが全然性質の違う犯罪に見えるんじゃない? 第一の青木さんの死については、警察は検死の結果、事故死と判定したし、実際、第二、第三の事件がなかったら、青木さんの死は事故死として片付けられていたでしょう。そして第二の事件。これは明らかに殺人だけど、他の第一、第三の事件と違うのは、|戸外で《ヽヽ丶》犯行が行なわれ、凶器として手近にあった石が用いられている点。これは計画的犯行というよりは、むしろ突然思い立っての犯行じゃないかと思わせるわ。第三の事件は、凶器として鋭い短剣が使われている所から、冷酷な計画的犯行らしい……」

「よく分らないな。つまり……」

「つまり、この三つの事件はそれぞれ全く別の事件じゃないかって事なのよ」

「それじゃ何か? 君は全部別々の人間の犯行だって言うのかい?」

「その通り。あの雨支度はね、いわばカムフラージュよ」

 私は呆気にとられて、

「驚いたな! 連続殺人じゃなくて——|不連続《ヽヽヽ》殺人ってわけだ」

 私はこんがらがった頭を懸命に整理しながら、「しかし、いくらカムフラージュでも、雨支度をしたのは|本人《ヽヽ》たちだよ。それには|何か《ヽヽ》理由があるはずだ!」

 シッと夕子が唇に指を当て、静かに、と身ぶりで私を抑えると、視線を階段の上へ走らせる。書庫の入口のドアがそろそろと開く音がして、やがてためらいがちな足音が中へ踏み込んで来た。

 夕子は階段の下へ行くと、

「ここです。降りていらっしゃいませんか」

 相手は上でためらっている様子だ。夕子が重ねて、

「さあ! どうぞ!」

 と声をかけると、

「私……とても……いやです! 降りられませんわ!」

 しぼり出すようなその声は——

「どうして降りられないんですの? あなたがご主人を突き落としたからでしょう、青木さんの奥さん」

 しばし泣きじゃくってから、青木治子はやっと切れ切れに話し始めた。

「こ、殺す気じゃなかったんです。——言い争ってるうちに——手を振り払っただけなのに——場所が悪くて、あの人は足を滑らし——」

「ええ、分ってますよ。ちゃんと分ってます」

 夕子がなだめると、治子未亡人はやっと泣きやんだ。

「——私、もう我慢できなかったんです」

 治子は呟くように言った。目はどこか遠くを見つめている。「あの人との結婚生活は、とっても結婚なんて呼べるものじゃありませんでした。新婚早々から一月の半分も大学に泊って来るし、帰って来ても、夫婦の語らい一つあるわけじゃありません。あの人は部屋に山積みしてある本に読み|耽《ふけ》って、寝るまでひと言も口をきかない事だってありました。私も、あの人のそんな所に|魅《ひ》かれたのは事実です。でもいざ一緒に暮らしてみると——もう、孤独でやり切れなくなったんです。|一昨日《おととい》は、私たちの結婚記念日だったので、早く帰って来てくれと頼んでおきました。でも、どうせあの人の事だから忘れてしまってるだろうと、念のために電話を入れると、新しい本が沢山届いたんで、泊って目を通して行くという返事です。私はカッとなって、大学へ駆けつけて来ました。あの人と書庫の入口で出会い、口論になり、そして……」

 未亡人は顔を伏せた。

「分りました」

 と夕子は優しく肩を叩いて、

「あなたのお話の通りだったと信じますわ。ねえ?」

 夕子が私の方へ顔を向けた。私は慌てて、

「ああ——もちろん、信じますよ」

 と言った。「まあ、ともかく警察で詳しく事情を話す事です」

「はい、そのつもりでした」

 私は原田刑事に電話して、大学までパトカーを回させた。——青木治子を乗せたパトカーが走り去るのを見送ってから、私は夕子とキャンパスの芝生を歩きながら、

「しかし、どうして分ったんだい?」

「それはね……」

 その時、「永井君!」と呼ぶ声がした。見れば川島助教授が血相を変えてやって来る。

「先生、ちょうどいい所でしたわ」

「一体どうしたんです、警部さん!」

 と川島は私に食いつかんばかりの勢いで、

「青木君の奥さんがパトカーで連行されて行ったと学生から聞いたんですが、本当ですか?」

「残念ながら事実です」

「なぜです?」

「青木君をあの階段から突き落としたと認めましたので」

 川島は見る見る青ざめて、

「|認めた《ヽヽヽ》? ——何て事だ!」

 と頭を抱えて芝生へ崩れるように坐り込んでしまった。呆気に取られていると、夕子が首を振りながら、

「お気の毒ですけど、先生、あなたが中野さんを殺したのは、無駄になりましたね」

「おい! 何の話だ?」

 と私は思わず叫んだ。

「そうでしょう、川島先生? 先生は青木さんの奥さんを愛してらした……」

「その通りだ……。彼女が学生として僕の研究室へ来た時から……」

「中野さんは、あの日、青木さんの奥さんがここへ来るのを見かけていたんですね。でも青木さんの死は事故だとばかり思っていたし、それに死体を見たショックで、すっかりそんな事は忘れていた。ところが先生は治子さんから真相を聞かされて、黙っていれば事故死ということで済むと治子さんを説得したんでしょう。中野さんは先生に連れられた治子さんが駆けつけて来たのを見て、前に治子さんを見かけていたのを思い出した。——何でもない事かもしれないと思いながら、気になった中野さんは先生に相談しようと電話でその事を話したんですね。何とかして先生は治子さんを守ろうと思いつめた。そして中野さんを殺そうと決心したんですね」

「その通りだ……」

「中野さんから実際に電話があったのはもっと早い時間だったでしょう。後でもう一度かけるように言って、考え抜いたあげく中野さんを殺す決心をした先生は、ふと思いつきました。中野さんに、青木さんと同じ雨支度をさせて殺せば、当然青木さんと同一犯人の犯行と思われるだろう。でも、青木さんが死んだ時、先生は私たちと一緒にいたのですから、まず疑われる怖れはないわけです。ただそのために、せっかく事故として片付いた青木さんの死が調べ直される事になりますが、治子さんの犯行だと分らなければいいわけですし、治子さんには中野さんを殺す動機は全くなかったのですから、まず疑われることはありません。夜遅く、もう一度中野さんから電話があった時、先生は事件について話したいから来るように言いました」

 夕子は一息つくと、

「私が治子さんと先生を疑い始めたのは、中野さんがなぜ雨支度をしていたのか、思い付いたのがきっかけだったんです。雨も降っていないのに雨支度をする。そんな事をする人がいるでしょうか? 私が綾子さんのアトリエで思いついたのは、|絵のモデル《ヽヽヽヽヽ》なら、という事でした」

 そうだったのか! 私は肯いた。

「中野さんにモデルになるのを承知させられるのは、誰でしょうか。綾子さんはもちろんですが、彼女に中野さんを殺す動機があるとは思えないし、青木さんの事は、知りもしなかったでしょう。そうなれば、先生しか考えられません。

 先生は中野さんに『ところで、綾子が君に|絵のモデル《ヽヽヽヽヽ》になってほしいと言ってるんだがね』と付け加えました。綾子さんに夢中だった中野さんが断るはずはありません。そこで先生は、さらにこう言ったんでしょう。『雨の中を歩いている男の絵なので、レインコートを着て、傘を持って、長靴をはいて来てほしいと言っていたよ』」

 私はただ茫然と夕子の話に聞き入っていた。

「中野さんにしてみれば、綾子さんの気まぐれには慣れていますし、青木さんの死と結びつけて考える理由もありません。喜んで、雨も降っていないのに、雨支度をして下宿を出ます。先生はその中野さんを途中で待ち受けて殺したのです。

 ところで、先生が中野さんを殺した動機は、と考えてみると、先生に青木さんが殺せなかった以上、殺した人間をかばっている可能性が強くなります。先生がそこまでかばう人、と考えると……」

 やっと少し落ち着きを取り戻した川島は苦い微笑を浮かべて、

「全く、僕は犯罪には向いていないんだね。出かけてから、殺そうにも何の道具も持っていないのに気付いたんだ。仕方なくそこらに落ちていた石を拾って使ったんだが……。ただ、少しでも嫌疑をそらそうと、警部さんへわざと電話を入れたぐらいが、悪知恵かな。学者にしては冴えないがね」

「何てこった!」

 私は再びパトカーが走り去るのを見送りながら言った。「それにしても何だね、どうせ分ってたんなら、一度に連行させてほしかったね」

「ぜいたく言わないの。青木さんの奥さんが何もかも認めてしまったというショックを与えたからこそ、川島先生だって犯行を認めたんですもの。だって証拠らしい証拠はなかったじゃない」

「それはそうだ。——でも、こうなると、三番目の母親殺しはどうなるんだい?」

「ちょっと調べてほしい事があるのよ。その件で……」

「何だい、こんな朝っぱらから」

 ふくれっ|面《つら》の川島孝治が居間へ入って来た。もう昼の十一時だというのに、まだパジャマを着ている。

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