その日第一回のラジオ・ニュースで、このことが、東京は勿論、全国に伝えられた。.4
警部は、それがあんな奇妙な代物とは、思いもよらず、気軽に答えた。
明智は席を立って、次の間のドアを開いた。彼の居間兼書斎である。
「あれです」
恒川氏も立って、ドアの所まで来たが、一目書斎をのぞき込むと、流石の鬼刑事も、度胆を抜かれて「アッ」と立ちすくんでしまった。
そこには、探しに探していた、畑柳倭文子と茂少年が、こちらをむいてたたずんでいた。
チラと見た時には、明智の助手の文代さんと小林少年かと思ったが、次の瞬間、そうでないことが分った。「この素人探偵にまた出し抜かれたか」と思うと、警部は腹が立った。それに、何も、こんな芝居がかりな披露をしなくてもよいことだ。
「どうして君は……」
と、思わず口走ったが、次の言葉が出ぬ。
「ハハハハハハ、恒川さん、勘違いをしてはいけません。何もそんなにびっくりすることはないのですよ」
明智はツカツカと倭文子の側に近よって、その美しい頬のあたりを、指先で、バチバチとはじいて見せた。
恒川氏は残念ながら、もう一度びっくりしないではいられなかった。倭文子は、明智の為にそのような侮辱を受けても、顔の筋一つ動かさないで、突っ立っている。彼女は生きてはいないのだ。非常によく出来た蝋人形に過ぎなかったのだ。
「併し、あなたでさえ、見違える程に出来たかと思うと、愉快ですよ。日本にもこんな立派な蝋人形を作る工場があるのです」
明智は満足そうに、ニコニコ笑った。
「驚きましたね」
恒川氏も笑い出して、
「だが、どうして、こんな人形を作らせたのです。君のおもちゃにしては、少し変だし」
「どうして、おもちゃなんかじゃ、ありませんよ。これでも立派な使い道があるのです」
「西洋の探偵小説じゃあるまいし、人形の換玉が、何か役に立ちますかね」
警部は、皮肉な調子でいった。明智の突飛なやり口が、一々癪にさわって仕方がないのだ。
「この洋服は」明智はそれには取合わず、説明を始めた。「文代さんが出来合いの安物を買って来て着せたのです。裸身では人形がはずかしがるだろうといってね。というのは、この人形は、首だけではなく、手足も胴体も、本物そっくりに、完全に出来ているからです」
「ホウ、大したもんですね。余程手間がかかったでしょう」
「イヤ、三日間で出来上ったのです。胴体は、工場にあり合わせのものを使い、首だけを、幾枚もの写真によって、彫刻し、それを型にして作りつけたものです。彫刻は友人のK君に頼んだのですが、弟子に手伝わせて、一昼夜で仕上げましたよ。こんな仕事は初めてだとこぼしていました」
「そんなに早く出来るものですかね」警部は信じられぬという顔つきだ。
「死にもの狂いでした。今日までにどうしても入用だったものですからね。その代り費用はフンダンにかけましたよ」
今日までに入用であるといえば、明智は今にも、この人形を使って、一仕事する積りに相違ないが、一体全体この男何を目論でいるのだろう。時々子供だましみたいなことを始めるが、それがいつも奏効するのは不思議な程だ。
警部は人形の用途が、聞き度くて仕様がなかったが、今更たずねるのも癪なので、わざと問題にしない体をよそおっていた。
「ところで恒川さん、一つお願いがあるのですが、ちょっと、民間探偵の手に合わない事柄なのです」
「君のことだから、出来る限りは便宜を計りますよ。イヤ、捜査に関することなら、僕の方でその衝に当りますよ。だが、一体何です」
「実は墓地を掘返して、死体を調べたいのです」
「墓地ですって?」
警部はけげんらしく、聞返した。
「エエ、墓地を四ツばかり……」
明智は益々変なことをいう。
「四つ? 一体何を調べようというのです。誰の死骸です」
「第一は、例の鹽原で入水自殺をした岡田道彦です」
「なるほど、あの死骸は、鹽原の妙雲寺の墓地に、土葬にしてある筈ですから、調べられぬことはありません。しかし、もう原形をとどめてはいないだろうと思いますが」
「でも、骸骨にだって、歯丈けは残っている筈です」
やっと明智の考えが分った。
「アア、そうでしたか。その死骸の歯と、小林君が歯医者でもらって来た、生前の岡田道彦の歯型とを、くらべて見ようという訳ですね」
「エエ、念の為に。それを確めないでは、どうも安心出来ぬのです。その二つの歯型の一致を見るまでは、岡田が唇のない怪物と同一人物でないという、確信がつかぬのです」
「よろしい。それは決して無駄な仕事でないようです。墓地発掘の手続きは、僕が引受けますよ。……だが、君はさっき、墓地を四つといいましたね。岡田の外に、まだ見なければならぬ、死骸があるのですか」
「死骸というよりは、寧ろ、……」
明智はちょっと苦笑した。
「死骸のないことを確めるのです。つまり、埋葬された棺桶が、からっぽになっていることをです」
「エ、エ、では、死骸が盗まれた事実でもあるとおっしゃるのですか。それはどこです。誰の死骸です」
「誰のだか分りません。あてずっぽうに、発掘して見るのです」
明智は何をいい出すのだ。まるで気違いの沙汰ではないか。
「あてずっぼうといって、どの墓とも分らないで、どうして発掘出来るのです」
「イヤ、それは僕も知っています。この節、東京附近で死骸を土葬にする例は、非常に珍らしいのですから、探し出すのに、大して手間はかかりませんでしょう」
「すると、もうその墓を探してあるのですね。だが、一体何者の墓なのです」
「三人の娘さんの墓です。ホラ、あのアトリエで、石膏につつまれていた、可哀相な娘さん達の棺です」
「棺といっても、あれらは、もう役場の手で、火葬にしてしまったではありませんか」
「イヤ、それは僕も知っています。発掘したいのは火葬になる前のもう一つの墓地なのです」
「エ、なんですって、では、あの娘達は、二度埋葬されたとおっしゃるのですか。……アア、成程、成程今までそこへ気がつかぬとは、僕は何という迂かつ者だ。……つまり、アトリエの死骸は、殺したのでなくて、どこかの墓地から、既に死んだ娘達を、盗み出して来て、あの奇妙な石膏像を作ったのだ。という考え方ですね」
恒川氏は、明智の想像力に、少からず驚かされた。
「そうです。僕達はいつも、表面上の見せかけの裏を考える必要があります。すぐれた犯罪者は往々その手を用いるからです。唇のない男は、殺人淫楽的な、一種の変質者の様に考えられています。そうとしか見えない様に、仕組まれていますが、これは犯人の巧なお芝居かも知れません。で、僕は、犯人はその反対に決して殺人淫楽者でも、精神病者でもないという見方をして見たのです。この事件では、非常に沢山の人が殺されている様に見える。だが、本当は、犯人は、まだ、殆ど人殺しをしていないのではないか。という見方です」
明智の言葉は益々突飛である。
「では、君は、この事件が、殺人事件でないというのですか」
恒川氏は驚いて尋ねた。
「強いていえば、殺人未遂事件でしょうね」
明智はもうもうと立昇るフィガロの煙の中からいった。
「未遂?」恒川氏はびっくりして「しかし、あの三人の娘を別にしても、まだ二人殺されている者があるではありませんか」
「二人? イヤ、三人ですよ。それも君のお考えになっている人物とは、まるで違っているかも知れません」
「いずれにもせよ。殺人が行われたのではありませんか」
恒川氏は、なぞのような明智の言葉に、ジリジリしていった。
「決して未遂ではありません」
「如何にも、人は殺されました」明智は落ちつき払って「しかし、賊はまだ真の目的を達していないのです。今までの人殺しは、賊にとっては、たとえば、前奏曲に過ぎなかったのです。彼の真意はもっと別の所にあるのです。恒川さん、覚えておいて下さい。僕がこの事件を殺人未遂だといったことを。いつかそれを、解きあかしてお目にかける時が来ると思います」
恒川氏が、このなぞのような説明を求めても、明智はそれ以上語ろうとしなかった。また、恒川氏にしても、我が無能をさらけ出して、根問いする愚は演じなかった。
「では、墓地発掘のことを承知しました。それぞれ手続きをとって、僕の方でやりましょう。無論、君が立会って下さるのは御自由です」
「どうかお願いします。併し、恒川さん。これはただ念のために、動かし難い証拠を蒐集して置くというまでのことで、外に緊急な仕事がないのではありません。僕はそれを済ませて置いて、墓地の方へ行くことにしましょう」
会話が変にこじれて来た。官吏と民間探偵とが、同じ事件に関係し、しかも、後者の腕前がすぐれているのだから、是非もないことだ。
その翌日、約束に従って、鹽原妙雲寺の岡田道彦の墓地が発掘された。裁判所の人々、警視庁からは恒川氏、土地の警察署長、明智小五郎などが立会った。予審判事のS氏は、外遊以前から明智と知り合いで、少からず好意を持っていたので、素人探偵の申出を採用するのに、こだわることもなく、スラスラと事が運んだ。
人夫の鍬の一振りごとに、土が掘起され、その下から、粗末な棺桶のふたが現れて来た。桶は湿気のために、黒ずんでいたけれど、元の形を保っていた。
人夫はなれたもので、何の躊躇もなく、そのふたをこじあけた。途端に鼻をつく異臭、腐りただれて、半とけて流れた、恐ろしい死骸。二目と見られぬ有様だ。
人夫達はその棺桶を、ソッと地上へ抜き出して、まぶしい白日の下にさらした。あまりの気味悪さに人々は思わず顔をそむけたが、役目柄、逃げ出す訳には行かぬ。
「歯型を、歯型を」
予審判事S氏の言葉に、明智は用意の歯型(歯医者から手に入れた、生前の岡田道彦のものだ)を取出し、一人の警官に手渡した。
「死骸の口を開くのだ」
警官は、怒った様な声で、人夫に命じた。
だが、口を開くまでもない。死骸の顔には、もうほとんど肉というものはなく、長い歯並が、むき出しになっているのだ。
「ヘエ。こうですか」
人夫は、勇敢にも、その骸骨の、食いしばった歯に手をかけて、ガタンと口を開いた。
警官はしゃがみこんで、渋面を作りながら、石膏の歯型を、死骸の歯に合せて見た。
立会いの人々も、頭を集めて、近々と骸骨の口をのぞき込んだ。
「寸分違いません。全く同じです」
警官が、手柄顔に大声を上げた。如何にも、骸骨の歯並と、石膏の型とは誰が見ても、全く同じものであった。
先ず三谷青年が疑い、明智を始め警察の人々も、一時は同じ疑いを抱いていた、怪画家岡田道彦は、本当に死んでいたのだ。顔のくずれた溺死体は、彼が唇のない男と化けて、悪事をたくましゅうする為に、別人の死骸を替玉に使った訳ではなくて、失恋自殺をとげた上、あらぬ汚名を着せられた、憐れむべき人物であることが分った。
しかし、これで岡田のえん罪は明かになったが、そうなると、一方において、また新しい疑問が生じて来る。
「毒薬決闘を申出たり、倭文子さんの写真に筆を加えて、恐ろしい死体写真を置みやげにしたり、また例のアトリエに死骸の石膏像を作ったりした岡田道彦が、まるで、世間知らずのウブな青年のように、あの位のことで、自殺してしまった心理の飛躍が、非常に不自然に見えたのです。この点をハッキリさせることが出来たら、その時こそ、唇のない怪物のなぞも自然解けてくるのではないかと思います」
妙雲寺の墓地で、S予審判事や恒川警部に洩らした、明智のこの言葉は、間もなく成程と思い当る時が来た。
それはさておき、その翌日、今度は代々木の怪アトリエから程遠からぬ、O村の西妙寺というお寺の墓地に、引続いて発掘が行われた。
どういう関係か、O村には古風な土葬の習慣が残っていて、葬いがある毎に、西妙寺の広い墓地には、生々しい昔ながらの、土饅頭が築かれた。
そのことを聞き込んだ明智が、西妙寺に出向いて調べて見ると、年配も、埋葬の時期も、丁度例のアトリエの三人の娘に相当する、若い女の死人があったことが分った。
なお探って行くと、寺男の話しでは、その娘さん達を埋葬して間もなく、深夜その墓場を、怪しげな人影がうろついているのを見た、という事実さえ分って来た。
墓地の様子を見ても、どことなく異様な点があったし、それに、彼の三人に相当する家出娘がないことも、今日の墓地発掘の、重大な理由となった。
さて、発掘の、結果はどうであったか。
手っ取早くいえば、明智の想像が的中したのだ。目ざす三個の棺桶は、全く空っぽであることが分ったのだ。
イヤ、空っぽといっては少し当らぬ、棺の中には、死体はなかったけれど、その代りに妙なものが入っていた。
「オヤ、妙な紙切れが落ちてますよ」
人夫の一人が、棺の底から、それを拾い上げて、恒川氏に渡した。
「何だか書いてある。手紙の様ですぜ」
棺桶の中に手紙とは、一体全体誰に宛たものであろう。
「明智小五郎君……ヤ、ヤ」警部が頓狂な叫び声を立てた。
「明智さん、これは君の宛名になっていますぜ」
明智が受取って、読んで見ると、その文面は左の様なものであった。
明智小五郎君。
この墓地に気づき、この棺をあばくものは、恐らく君であろう。だが、まことに残念ながら君は少し遅すぎた。もうすべては終ったのだ。この棺の中から、死骸を盗み出した人物は、既に彼の最後の目的を達したのだ。君は、ついにこの棺をあばいた。だが、それが何を意味するか、君は知っているだろうか。
その人物は、ちゃんとプログラムを定めておいたのだ。明智小五郎がこの棺をあばいた時こそ、彼の最期だと。
君は、既に死の宣告を与えられたのだ。如何なる防備も、敵対も、その人物にとっては、全然無力であることを知るがいい。
「またか。僕はやつの脅迫状を受取るのが、これで三度目ですよ。何というお芝居気だ」
明智は、紙片を丸め捨てて、苦笑した。
魔の部屋
いやな墓地発掘の仕事が、一段落をつげると、裁判所の人々はサッサと引上げて行った。所轄警察の一行も可哀相な娘達の一家を調べる為に、分れて行った。
あとに残ったのは、警視庁の恒川警部と、明智小五郎である。
「僕は何だか、君達にかつがれている様な、変てこな気持ですよ」
警部が、お寺の門の方へ、ブラブラ歩きながらいった。
「君達ですって?」
明智は例によって、にこやかに微笑している。
「君と、唇のない男とにです」
恒川氏も、ニヤニヤ笑っている。
「ハハハハハハハ、君は何をいい出すのです」
「君とあの賊とが気を合せて、僕達を飜弄している。というような感じがするのです。君の想像は、まるで神様のように的中する。しかも賊の方では、その上を越して墓地が発掘されることを予言し、空っぼの棺の中へ君に宛て手紙を残しておくなんて、君と賊とが、あらかじめ打合せでもしているのでなけれや、不可能なことです」
警部は冗談か本気か、判断のつかぬ調子で、そんな事をいいながら、ニヤニヤと明智の顔を眺めた。
「ハハハハハハ、愉快ですね。僕と唇のない男がグルだなんて、ルブランの小説の筆法で行くと、僕が一人二役を勤めて、ある時に素人探偵となり、ある時は唇のない怪物と化けて、一人芝居をやっている、という妄想も成立ち相ですね。ハハハハハハハ」
恒川氏も、とうとう声を上げて笑い出した。
「小説といえば、この犯罪は非常に小説的ですね。僕達にはちっと苦手ですよ。登場人物も、唇のない怪物を初めとして、画家だとか、小説家だとか、非実際的な連中ばかりですからね」
「それですよ。いつもすぐれた犯罪者は小説家です。たとえば今の棺の中の手紙の一件にしても、今度の犯人が、非常な小説家であることを証しています。第一、相手の探偵に脅迫状を書くなんて、決して実際的の人間のやる仕草ではありませんよ。僕は第一回の脅迫状を受取った時に、この犯人の性格を見てとったものだから、その心持で、こちらも小説的になって、推理を働かせて見たのです」
それを聞くと、恒川氏はひどく感にうたれた様子で、
「アア、君は生れつきの探偵です。今のお話は、探偵術の虎の巻です。探偵の方で、犯人と同じ心持になる、犯人が学者なら、探偵も同じ程度の学者に、犯人が芸術家なれば、探偵も芸術家に、政治家なれば政治家に、なり切る程の力がなくては、本当の推理が出来るものではありません。しかし、今の刑事達に、一人だって、そのような人物がいるでしょうか。僕なんかも、ただ多年の経験によって、仕事をしているだけで、少し突飛な犯罪になると、今度のように手も足も出ない有様です」
と、心から敬意を表した。
「ハハハハハハ、僕のまぐれ当りを、そんなにほめ上げてはいけません」
明智は、頬を赤らめて無邪気にいった。
「しかし、君、怖くはありませんか。奴のはただのおどかしではない。文代さんがあんな目に会ったのも、脅迫状の文句を実行して見せた訳でしょう。今度は警戒しなくていいのですか」
恒川氏は不安らしくいう。
「イヤ、それは、僕の方でもあらかじめ、用意しています。今度はもう、あんなヘマはやらぬ積りです。……ところで、お差支えなければ、これから、畑柳家へ、お出になりませんか。多分三谷君がいるでしょうから、その後の様子を聞いて見ようではありませんか」
「アア、僕も今、それを考えていた所です」
そこで二人は、門前に待たせて置いた自動車を、東京の畑柳家へと走らせた。そして、例の鉄扉いかめしい門前に降り立ったのは、もう暮れるに間もない時分であった。
主人は獄死し、引続いて夫人と遺子とが行方不明になった畑柳家は、まるで空家のように森閑としていた。
明智と恒川警部がおとずれると、丁度三谷青年が来合わせていて、客間へ案内した。
「この家は、親戚の人達が管理することになっているのですけれど、皆様子を知らない人ばかりで、雇人達を相手に、どうすることも出来ないので、こうして僕が時々見廻っている訳です」
三谷はやや弁解めいていった。
「ところで、畑柳夫人からは、何のたよりもありませんか」
警部が、とりあえず尋ねて見る。
「ありません。僕の方こそ、それを御聞きしたいと思っていたのです。警察の捜索は、どうなっているのでしょう」
「警察でも、まだ手懸かりさえありません。実にうまく逃げたものです。とても、か弱い女の智恵とは考えられません」
警部は三谷の顔をジロジロ眺めた。
「僕も驚いているのです。誰もあの人達が、この家を出る所を見たものさえないのです」
三谷は、自分で逃がしておきながら、まことしやかに驚いて見せる。
「この邸は、手品師の魔法の箱みたいなものですよ。手品師の箱という奴はちょっと見たのでは、何の仕掛けもないけれど、その道のものには、どこに、どんなカラクリがあるか、ちゃんと分っているのです」
明智が突然妙なことをいい出した。
「すると君は、この建物に、何か秘密のカラクリがあるというのですか」
恒川氏が、けげんらしくたずねる。
「そうでなければ小川正一と名乗る男の死体紛失といい、倭文子さんの不思議な逃亡といい、解釈のしようがないではありませんか」
「しかし、警察では、小川の事件の折、邸内の隅から隅まで、一寸もあまさず、念に念を入れて検べ上げたではありませんか」
「サア、それが素人の検べ方であったかも知れませんね。手品師の秘密は、やっぱり手品師でなければ分らぬものですよ」
「というと、何だか、君にはその秘密が分っているような風に聞こえますね」
恒川氏は、ある予感におびえながら、でも、聞き返さないではいられなかった。
「エエ、ある程度までは」明智は少しも語調をかえないで答える。
「では、なぜ、今までそれをだまっていたのです。そんな重大な事を……」
警部は思わず烈しい調子になる。
「イヤ、時期を待っていたのです。迂かつにしゃべっては、却て相手に用心させるばかりですからね」
「成程、で、その時期は一体いつ来るとおっしゃるのですか」
「今日です。今がその時期です」明智はこの重大な事柄を、やっぱりニコニコ笑いながらいっている「いよいよ唇のない男を捕える時が来たのです。奴の正体をあばく時が来たのです。恒川さん、実は、君をここへお誘いしたのは、その手品師の秘密をお目にかけたかったからですよ。幸い、三谷さんもいらっしゃるし、好都合です。これから三人で、魔法の箱のカラクリを見聞しようではありませんか」
思いもかけぬ素人探偵の言葉に、恒川氏も三谷青年も、あっけにとられて、返事も出来ぬ有様だ。
「先ず第一に、小川正一の殺された、二階の書斎を検べましょう。いつかもいった通り、今度の事件を解決するかぎは、あの魔の部屋に隠されているのですよ」
やがて、三人は問題の魔の部屋、故畑柳氏の洋風書斎の、仏像群の前に立っていた。
そこへ、これはどうしたことだ、一人の書生が、人の背丈程もある、大きなワラ人形を抱て入って来た。
「君、どうしたんだ。妙なものを持込むじゃないか」
それを見ると、三谷がびっくりして書生を叱った。
「イヤ、いいんです。それは僕が頼んでおいたのです。こちらへ下さい」
明智が書生からわら人形を受取って、
「実はこの人形が、今日のお芝居の役者を勤めるのです」と、またもや妙なことをいい出した。
「お芝居ですって?」恒川氏も三谷青年も、思いがけない明智の言葉に、あっけにとられてしまった。
「この書斎が、どうして今度の事件の中心となっているか、ここにどんな手品師のカラクリ仕掛けがあるか、それを口で説明するには、少し込み入っているのです。説明したばかりでは、ちょっと信じられない程、奇怪千万な事実なのです。そこで、考えついたのが、犯罪の再演です。形でお目にかけ様という訳です。あらかじめお話しなかったけれど、今日恒川さんをここへお連れするのは、僕にしては、予定の順序でした。その為に、ちゃんと舞台の用意もしてありますし、役者の方も、こんなわら人形まで作らせておいた訳です」
恒川氏は、またしても、明智の為に、アッといわされるのかと思うと、ウンザリした。こんなお芝居見物は、あまりうれしい役割ではなかった。
「見物がお二人では、役者の方で、不満かも知れません」明智はニコニコ笑って「しかし、恒川さんは、裁判所なり警察なりの代表者、三谷さんは畑柳家の代表者という訳ですから、このお二人に見物して頂けば、こんな好都合なことはありません。それに見物の人数が多くては、折角の奇怪劇に、凄味が出ない心配もありますからね」
明智は冗談まじりに、説明しながら、問題の仏像の並んでいる壁からは、一番遠い部屋の隅へ三脚の椅子を並べ、
「サア、ここへおかけ下さい。これが今日のお芝居の見物席です」
と二人をさし招いた。
恒川氏と三谷青年とは、相手が相手なので、怒る訳にも行かず、いわれるままに席についた。
「ところで、第一幕は、小川正一殺害の場面です。で先ず、舞台を当時と寸分違わぬ様にしつらえなければなりません」
明智は手品の前口上を始めた。
「室内の調度はあの時と、少しも変って居りません。足らぬものは、殺された小川正一です。そこで、このわら人形に小川の役を勤めさせます」
彼はわら人形を抱いて、入口に立った。
「小川はこのドアから忍び込みました。忍び込んで、ドアには内側からカギをかける」
明智はかぎ穴の外にさしてあったかぎを抜いて、内側から錠をおろした。
「それから、この仏像の前に立って、何事かを始めたのです」
彼はわら人形を、仏像の一つに立てかけた。
「窓はこの一つだけが、掛金がはずれていて、あとは皆厳重に締が出来ていました」
いいながら、窓も当時と少しも違わぬように、締切った。そして、彼も二人の見物に並んで椅子に腰をおろした。
「サア、これで、何もかも、あの時と同じです。小川は一体、誰が、どうして殺したのか、それをこれから実演させてお目にかけるのです」
窓の外には夕暗が迫っていた。広い邸内には何の物音もない。不気味な数分間が経過した。
誰が考えても、賊は窓から忍び込んだとしか思えない。外に通路はないからだ。恒川氏はジッと掛金のはずれた窓を見つめていた。
と突然、バサッという音がしたと思うと、わら人形がバッタリ倒れた。
「あれです」
明智の叫声に、人形の胸を見ると、アア、どこから飛んで来たのだ。一挺の短剣がわらのしんまでグサリと突きささっているではないか。
夕暗の迫った部屋の中は、まるで深い霧にとざされたように、物の姿がぼやて見えたが、それだけに、胸の真っただ中を刺し通されて、倒れているワラ人形が、不思議な生物のようにも思われて、一層不気味であった。
それにしても、短剣は一体どこから飛んで来たのであろう。ドアも窓も、ピッタリ締切ってある部屋の中へ、突如として、主なき凶器が湧き出した。手品だ。だが、その手品師は、どこにいるのだ。
恒川警部は思わず立上って、例の掛金のない窓へ駆け寄ると、それを開いて外をのぞいた。誰かがそこに隠れているような気がしたからだ。
三谷もそれにならって、警部のうしろから、こわごわ、薄暗い庭を見下した。
だが、窓の外の蛇腹にも、下の庭にも、人の影はない。
「ハハハハハハ、恒川さん、締切ったガラス窓の外から、ガラスもわらず、短剣を投げ込むなんて、いくら手品師だって、出来ない相談ですよ」
明智の笑い声に、恒川氏は苦笑して窓を離れた。そして、今度は、短剣をあらためる積りで、ワラ人形に近づいたが、二三歩あるいたかと思うと、彼はハッとして立止まらないではいられなかった。
夢を見ているのではないかしら、それともさっきのが幻覚であったのか。
不思議、不思議、近づいて見ると、ワラ人形の胸には、何もないのだ。短剣は消え失せてしまったのだ。
恒川氏は、キョロキョロとあたりを見廻した。どこにも短剣らしいものは見当らぬ。
ふと目につくのは、立並ぶ怪しげな仏像共だ。
彼はそれに近寄って、一つ一つ、入念になで廻して見た。だが、仏像には何の仕掛けもないらしい。まさか、仏像が腕を振って、短剣を投げつけた訳ではあるまい。手も足も動かぬ木彫りか、でなければ、結跏趺坐の金仏だ。
では、やっぱり幻覚であったのか。部屋が薄暗い為に、ただワラ人形の倒れたのを、疑心暗鬼で、短剣が刺さっている様に、見誤ったのであろうか。
余りの不思議さに、警部は、ワラ人形の上にしゃがみ込んで、その胸のあたりを、つくづく眺めた。
「やっぱりそうだ」
確に、ワラが一寸ばかり切れ込んで、短剣の刺さったあとを示している。
「もっと、よくごらんなさい」
明智がそばから声をかける。
よく見よとは、一体何を? 不審に思ってワラ人形の傷口をボンヤリ眺めていると、その傷口から何か黒いものがにじみ出して来た。
その黒いものが、紙のこげる様にジリジリとひろがって行く。
「アア血だ!」
黒いのではない。毒々しい真赤な色だ。夕暗のために、それが黒く見えたのだ。
ワラ人形は、胸を刺されて、真赤な血を流しているのだ。
恒川氏は、傷口に触った指を、目の前に持って来て、窓の光にすかして見た。案の定、指にはベットリ血がついている。
「ハハハハハ、イヤ、何でもないです。ただちょっと、お芝居を本当らしくする為に、ワラ人形の胸に、赤インキを入れたゴムの袋を、しのばせておいたのですよ。しかし、これで、ワラ人形の小川正一が胸を刺されたことは、ハッキリお分りになるでしょう」
明智が、笑いながら説明した。
すると、やっぱり、あの短剣は幻覚ではなかったのだ。
「兇器は? 短剣は?」
恒川氏が、思わず口に出していった。
「まだ、お分りになりませんか。今に種明かしをしますよ。……ところで斎藤老人や書生達が、小川正一の死体を発見した時の状態は、丁度この通りでした。小川は、こうして胸から血を流して倒れていたのです。兇器は無論、どこにも見当りませんでした」
明智は説明を続ける。
「犯人も姿を見せず、兇器さえ消え失せてしまいました。しかし、小川正一は胸から血を流して倒れていた。この人形も、同じ胸をやられて、倒れています。わらが切れ、赤インキのゴムが破れたのが、何よりの証拠です。人形は殺されたのです。だが、誰に、どうして?……現に目撃されたあなた方にさえ、ハッキリは分らないのです。当時、斎藤老人達があの様に不思議がったのも、無理ではありません」
そういう内にも、部屋は目に見えて暗くなって行った。わら人形のわらの一本一本が、もう見分けられぬ程だ。黒っぽい仏像達は、ジリジリとあとしざりをして、壁の中へ溶け込んで行くかと見えた。
「不思議だ。何だか夢を見ている様な気がします」
三谷が、なぜか、異様に大きな声でいった。明智も恒川氏も、その声があまり高かったので、びっくりして三谷の顔を眺めたが、どんな表情をしているのか、夕やみが塗り隠して、ハッキリは見えなかった。
「電燈をつけましょう。これじゃ暗くて、何が何だか分りやしない」
警部は呟きながら、スイッチの方へ歩き出した。
「イヤ、電燈はつけないで下さい。もうしばらく、このままで、我慢して下さい。本当の手品は、これから始まるのです。それには舞台を薄暗くしておく方が好都合なのです」
明智は恒川氏を引止めて、
「では、もう一度、席におつき下さい。これから、いよいよ小川殺しの秘密をあばいてお目にかけるのですから」
二人の見物人は、明智の為に、元の椅子へ押し戻された。
「さて、斎藤老人達は、小川の死体を発見すると、驚いて警察へ知らせました。そして、警官が来るまで、誰も死体に手を触れぬ様、窓には掛金をかけ、ドアには外から鍵をかけて、一同この部屋を立去ったのです」
いいながら明智は、その通り、さい前警部が開いた窓をしめて、掛金をかけ、ドアは、締りが出来ているのを確めた上、鍵穴の鍵を抜き取って、ポケットに入れた。
「これで、全くあの時と同じ状態です。人々は三十分程、この部屋から遠ざかっていました。その間に、全く不可能なことが起ったのです。どこにも出入口のない部屋の中で、小川の死体が消えてなくなったのです。恒川さん、君がこの事件に関係なすったのは、あの日が最初でしたね」
「そうです。あの日から僕は悪魔にみ入られているのです。あれから僅か十日余りの間に、国技館の活劇、風船男の惨死、斎藤老人殺し、畑柳夫人の家出と、事件は目まぐるしく発展しました。しかも、それが、どれもこれも前例もない突飛千万な、あるいは気違いめいた、不思議な出来事ばかりです」
警部はてれ隠しの様に、やけくそな調子でいった。
「で、斎藤老人達が、この部屋を立去ってから、あなた方警察の人達が来られるまで、約三十分の間に、どんなことが起ったか、それをこれから実演してお目にかける訳です」
明智は構わず口上を進める。
だが、実演して見せるといって、ここには口上係りの明智と、二人の見物人の外には、わら人形がころがっているばかりだ。一体全体誰が実演するというのだ。
見物達は、まるで狐につままれた感じで、刻一刻暗くなって行く部屋の中を、目が痛くなる程見つめていた。
カチカチカチカチ、懐中時計の秒を刻む音が、やかましく耳につく程の、静けさだ。
恒川氏は、ふと、部屋の中のどこかで、物のうごめく気配を感じて、ギョッとした。
いたいた。確に人だ。全身真っ黒な、一寸法師みたいな畸形の怪物が、ソロリソロリ向うの壁に伝わって降りて来る。
一寸法師
頭から、手足の先まで、真っ黒な衣裳で覆い隠した、醜い怪物が、黒い蜘蛛のように、天井から、壁に伝わって降りて来るのだ。
目をこらして、彼の降りて来た個所を見ると、格天井の隅の一枚が、ポッカリ黒い穴になって、そこから一本の細引がたれている。一寸法師みたいな怪物は、その細引にぶら下って、仏像の肩を足場にして、巧に、音も立てず、床に降り立った。
目だけを残して、顔中を、黒布で包んでいるので、何者とも判断がつかぬ。無論、明智のいわゆる役者の一人に相違ないけれど、薄暗い部屋の中、怪奇な仏像共の前へ、真っ黒な一寸法師が、蜘蛛の様に天井から降りて来たのを見ると、ゾッとしないではいられなかった。
「誰です、あいつは」
恒川氏は、思わず隣席の明智にたずねる。
「シッ、静かに。あいつがなにをするか、よくごらん下さい」
明智に制せられて、恒川氏はかたずを呑んだ。三谷も、目を小怪物に釘づけにして、熱心に見物している。彼等は、珍らしい手品を見入る二人の大きな子供であった。
一寸法師は、倒れたわら人形の上に、しゃがみ込んで、人形が果して死んでいるかどうかを、確めるものの如く、しばらく様子を見ていたが、いよいよ息が絶えたと知ると(彼は巧に、そういう身振りをして見せるのだ)いきなりわら人形を小脇に抱えて、少しも足音を立てず、入口へと近づき、ポケットから用意の合鍵を出してドアを開くと、そのまま廊下へ姿を消した。
「サア、あいつのあとをつけるのです。あいつが、どこへ行くか、見届けるのです」
明智が小声でいって、先に立って、廊下へ駆け出す。見物の二人は、訳は分らぬけれど、兎も角、明智のあとについて行く。
黒い一寸法師は、尾行されるとも知らぬ体で、廊下をズンズン歩いて行く。不思議なのは、彼がいくら急いでも、少しも足音が聞えぬことだ。ゴムの足袋でもはいているのであろうか。
薄墨を流したような、夕暗の廊下を、小さな黒怪物が、わら人形小脇に、音もなくすべって行く有様は、何ともいえぬ変てこな、物すごい感じであった。