饭饭TXT > 海外名作 > 《吸血鬼(日文版)》作者:[日]江户川乱步【完结】 > 吸血鬼.txt

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作者:日-江户川乱步 当前章节:15367 字 更新时间:2026-6-22 23:19

「僕は、こんなやくざな塑像に、どうして数千円の値打ちがあるかそれが知りたかったのです。こんなものに、常識では考えられない高価な買手がついたとすれば、その値打ちは、石膏像そのものではなくて、像の中に隠されている品物にあるのだと、考える外はないじゃありませんか。ところで、隠されている品物は、さっきもいった様に、本当に値打ちのある宝石などの場合もあれば、また反対に一文の値打ちもないけれど、他人の目に触れてはならぬ、何か非常な秘密の品物の場合もあります」

「ホウ、すると、この中には、一体何が入っているとおっしゃるんです」

 明智の意味ありげな言葉に、家主もやや怒りを静めて、さも不審らしく尋ねた。

「見れば分ります。マア、あの欠けた箇所を、検べてごらんなさい」

 いわれるままに、親爺は、さっき明智がした様に、指先で、うす黒い布くずをいじくったかと思うと、

「ワッ」

 と叫んで、飛びのいた。夕暗の中で、彼の顔は、幽霊の様に、血の気が失せている。

「分りましたか、なぜこんなものに、高価な買手がついたかということが。あなたは、そのマスクを掛けた奇妙な商人が、この恐ろしい殺人罪を犯した男、即ち岡田道彦であったのを、気づきませんでしたか。どこかに見覚がなかったですか」

「エッ、なんですって。すると、岡田さんは、鹽原で死んだんじゃないので……」

「恐らく、死んだと見せかけて、官憲の目をあざむこうとしたのです。これ程の大罪を犯していれば、死を装わねばならなかったのも、無理ではありませんよ」

「わたしゃ、余りのことに、何が何だか、訳が分りません。すると、その死んだと見せかけた岡田さんが、変装をして、自分の作ったこの彫刻を、買いに来たというのですね」

 家主は、恐怖にしわがれた声で叫ぶ様にいった。

「そうとしか考えられない、色々な事情があるのです」

「で、一体全体この中には、何が入っているのです。あの妙な匂いのする、グニャグニャしたものは、やっぱり……」

 それが何であるか、ちゃんと知っている癖に、尋ねて見ないではいられぬのだ。

「女の死骸です。しかも三人もの死骸が隠してあるのです」

「嘘だ、嘘だ。なんぼなんでも、そんな馬鹿なことが……」

 流石の頑固親爺が、今にも泣き出し相な渋面を作って、手を振り振り叫んだ。

「嘘か本当か、試して見るのは訳ありません。こうすりゃいいんです」

 いったかと思うと、明智はまたもや、固い靴底で、第二、第三の裸体人形を蹴飛ばした。

青白き触手

 ゴツン、ゴツンと、続けざまに、靴の踵が鳴って、石膏の細いかけらが四方に飛び散った。

 ところが、ほとんどそれと同時に、第三の異様な物音が、まるで、今石膏の割れた音の谺の様に、人々の耳をうった。

 明智は二度蹴ったばかりなのに、不思議なことに、音だけは三度響いたのだ。

 しかも、三度目の物音につれて、板張りの床にバラバラと飛散ったのは、石膏のかけらではなくて、鋭く光ったガラスの破片であった。その音と、石膏の割れる音と、ほとんど同時であった為に、暫くの間、音の発した箇所を悟ることが出来ず、人々は異様な困惑を感じたが、やがて、明智が、惶しく一つの窓にかけ寄って、外の夕闇を覗いたので、やっと事の仔細が分った。

 何者かが、その窓の外から、小石を投込んだのだ。飛散ったのは、破れた窓ガラスのかけらであった。

「いたずら小僧め。この裏の広っぱへ子供達が集まって仕様がないのですよ」

 家主が腹立たしくいった。

「素早い奴だ。もう影も形もありやしない」

 明智は呟きながら、窓から帰って来たが、ふと足元に落ている白いものに気づいて、それを拾い上げた。

 小石を包んだ紙切れだ。拡げて見ると、鉛筆で何やら書いてある。

『おせっかいは、止せといったら止さぬか。これが二度目の、そして最後の警告だ。後悔してもおっつかぬ事が起るぞ』

 例の怪物から明智への警告だ。

「畜生ッ」

 叫ぶなり、明智は窓を開いて、外へ飛び出して行ったが、暫くすると、空しく立戻って来た。

「どうも不思議だ」

 彼は、さっき青山で怪屋の探検を済ませた時と同じ様な、一種異様の困惑の表情を示して、呟いた。この事件には二重の底があって、彼はその不気味な底を、チラと覗いた様な気がしたのである。

 家のまわりを一週して、隈なく探して見たけれど、石を投げた奴はどこにもいなかった。夕暮れとはいえ、まだ物が見えぬ程ではない。その見通しの広っぱを、たった二三十秒の間に、どうして逃げ去ることが出来たのであろう。不可能だ。またしても不可能事が行われたのだ。しかも今度のは、明智すら解くすべを知らぬ謎であった。

「あまりにあばき過ぎたので、犯人めたまらなくなって、こんないたずらをしたのですよ。だが、僕はそうされれば、される程、余計あばいてやりたくなる男です」

 明智は何を思ったのか、アトリエの隅から、彫刻用の槌を拾って来て、いきなり、傷ついた三人の裸女の、顔といわず、胸といわず、たたき始めた。

 バラバラと飛散る石膏。一槌ごとに、むき出しになって行く、裸女の腐肉。

 かくて、夕闇のアトリエに繰拡げられた、時ならぬ地獄風景は、ここに細叙すべく、あまりにも無残である。凡て読者の想像に任せる外はない。

 作者はただ、その群像の中に、三人の若き女の死体が隠されていたという事実、死骸には一面に白布を捲き、その上から石膏で塗りつぶしてあったという事実を、記すに止めなければならぬ。

 いうまでもなく、即刻、このことが所轄警察と警視庁とに報ぜられ、警官達に続いて、裁判所の一行の来着となったのであるが、それは後のお話。

 明智と三谷は、すでに見るだけのものは見てしまったので、最初にやって来た警察の人々に、事の顛末を語り、住所姓名を告げて置いて、直に、気がかりな畑柳邸へと、自動車を飛ばした。

「僕はこの世が、何だか、今までとはまるで違った、恐ろしいものに見えて来ました。この数日来の出来事は、みんな、長い悪夢としか思えないのです」

 三谷青年は、走る自動車の中で、恐れと驚きに歪んだ表情を隠そうともせず、明智の救いを求めるようにいうのであった。

「人間世界の暗黒面には、嘘の様な悪業が潜でいるのです、どんな悪魔詩人の空想だって、現実界の恐怖には、及びもつかぬのです。僕はこれまで、度々そういうものを見て来ました。丁度、解剖学者が、素人の知らぬ人間の体内を絶えず見せつけられている様に、僕はこの世界のはらわたの、汚さ、不気味さを存分見せつけられて来ました。しかしその僕でも、今日の様な、恐ろしい経験は始めてです。あなたが悪夢の様に思われるのは、無理もありませんよ」

 明智が沈んだ調子でいった。

「岡田という男は、どういう考えで、あんなに沢山の女を殺して、石膏像に隠して置いたのでしょう。想像も出来ない心持です。気違いでしょうか。それとも、話に聞く殺人淫楽者という奴でしょうか」

「恐らく、そうでしょう。しかし、僕がこの事件を恐ろしく思うのはもっと別の意味もあるのです。現われた事件の裏に、何だかえたいの知れぬ、影の様なものがチラチラ見える様な気がします。僕はそれが掴めないのです。唇のない男や、死骸の石膏像なんかよりも、僕は、その目に見えぬ変てこなものが、正直にいうと、怖くて仕方がないのです」

 そうして二人は黙り込んでしまった。多くを語るには、あまりに事件の印象が生々しかったのだ。

 間もなく車は畑柳邸の門前に着いた。倭文子は、茂少年を身近に引寄せ、屈強の書生達に守られて、奥まった一間に、半病人の体で、引籠っていたが、力に思う三谷青年が、有名な明智小五郎を同道したと聞くと、少し元気づいて、彼等に会う為に、客間へ出て来た。

 斎藤老人を初め、召使達も、三谷の引合わせで、探偵の前に出て挨拶した。

 丁度時間だったので、晩餐が用意された。明智は、邸内を調べる為に、相当の時間が要ると思ったので、遠慮なく御馳走になることにして、開化アパートの留守宅へ、その旨電話をかけた。

 電話口へは文代さんが出たが、その時は、留守宅に、まだ何の異状も起っていなかったのだ。

 それから、晩餐の席につく前に、一度例の二階の書斎を見て置くことにして、三谷と斎藤老人の案内で、彼はそこへ上って行った。

 室内の様子は、先日小川と名乗る人物が殺され、その死体が紛失した当時と、少しも変った所はなかった。

 一目見て、普通の書斎と違っている点は、一方の壁際に、数体の古めかしい仏像が並んでいることだ。

 天井の高い立派な洋室、彫刻のある大机、壁に掛け並べた、由ありげな陰気な油絵、全体の感じが、何となく古風で神秘的だ。

 明智は斎藤老人に教えられて、小川が倒れていた箇所に近づき、絨氈の血のあとを検べたが、ふと顔を上げて、すぐ目の前の、異様な仏像を眺めると、オヤッという様子で、長い間それを見つめていた。

 足を拡げ、手をふり上げて、立ちはだかっている、子供程も大きさのある、奇妙な仏像、その隣りに並ぶ、黒ずんだ金属製の、大仏を小さくしたような、三尺程の座像。

 明智が見つめていたのは、その座像の方の、異様に無表情な、ツルツルした顔であった。

「あなた方、気づきませんでしたか」

 やっとして、明智は、三谷青年と、斎藤老人を振返って云った。

 その口調には、なぜか、聞く者をギョッとさせる様な、気違いめいた感じがあった。

「若しや、その仏像の目がどうかしたのではございませんか」

 斎藤氏は、妙な顔をして尋ねた。

「そうです。僕には、この金仏の目が瞬く様に見えたのですが。あなた方も見ましたか」

「イイエ……ですが、その仏様は、ひょっとしたら、瞬きをするかも知れませんので」

 斎藤氏は生真面目な様子で、冗談みたいなことをいい出した。

「どうしてですか。本当に、そんな馬鹿馬鹿しいことがあるのですか」

 三谷が、驚いて口をはさんだ。

「以前から、そんないい伝えみたいな、迷信みたいなものがあるのです。なくなった主人は、夜おそくこの部屋にいると、よく、瞬きなさるのを見ることがあると申して居りました。私などは年寄りの癖に、どうもそんな迷信じみたことは信じられんのですが、主人は非常な信心家でして、あらたかな仏様だと、有難がって居りました」

「妙なことがあるものですね。で、それをご主人の外に見たものはなかったのですか」

 明智が尋ねる。

「召使の者なども、たまさか、そんなことを訴えましたが、つまらぬことをいいふらしてはならぬと口止めをして居ります。化物屋敷の様な噂が立つのは好ましくはありませんからね」

「すると、僕の気のせいでもなかったのですね」

 明智は、この異様な迷信に、ひどく興味をひかれたらしく、近々と仏像の側によって、熱心にその目を検べて見たが、別に発見する所もなかった。

 どう考えても、鋳物の仏像が瞬きをする理屈はないのだ。

 ところが、明智がそうして仏像の側に身をかがめていた時、突然部屋が真暗になった。電燈が消えたのだ。

 と同時に、「アッ」という恐ろしい叫声。人の倒れる物音。

「明智さん、どうかなすったのですか」

 三谷の声が、暗の中で甲高く響く。

「早くあかりを。誰かマッチを持っていませんか」

 だが、マッチの必要はなかった。丁度その時、お化けみたいな電燈が、パッと部屋を明るくした。

 見ると、仏像の前に、明智が倒れている。丁度、先夜小川が殺されていた場所だ。斎藤老人は、その連想から、若しや明智も同じ目に会ったのではないかと、ギョッとした。

 三谷が駈寄って、素人探偵を抱き起した。

「お怪我はありませんか」

「イヤ、大丈夫です」

 明智は三谷の手を払いのける様にして、元気に立上ったが、顔色は真青だ。

「どうなすったのです。何事が起ったのです」

 斎藤老人が、オドオドして尋ねる。

「イヤ、何でもありません。御心配なさることはありません。サア、あちらへ行きましょう」

 明智は、何の説明もせず、先に立って部屋を出た。ほかの二人も、こんな不気味な場所に居残る気はなかったので、明智のあとに従った。

「斎藤さん、ドアに鍵をかけて置いて下さい」

 廊下に出ると、明智が声を低くしていった。

 斎藤老人は、明智のいうがままに、書斎のドアに、外から鍵をかけた。つまり、その部屋の中へ、目に見えぬ何物かを、閉め込んだ形である。

「その鍵を暫く僕に貸て置いて下さいませんか」

 明智がいうので、老人は鍵を渡しながら、けげんらしく尋ねた。

「一体、どうなすったのですか。私共には、ちっとも訳が分りませんが」

「三谷さん、あなたも、何も見なかったですか」

 明智は老人には答えず、三谷に尋ねた。

「電燈が消えたのですから、見える筈がありません。何事が起ったのです」

 三谷も不審顔だ。

「僕は、今度の事件の謎を解く鍵が、この部屋の中にある様に思うのです」

 明智は意味ありげな言葉を漏らしたのみで、多くを語らなかった。

 やがて、三人は、階下に用意された食卓についた。主人役は倭文子だ。茂少年も彼女のそばに腰かけた。

 食事中別段のお話もない。誰も、いやな犯罪事件について語ることを、避けるようにしていたからだ。

 ただ一つ、書き漏らしてならぬのは、明智が「先刻停電があったか」とたずねたのに対して、倭文子も召使達も、「一度も電燈は消えなかった」と答えたことだ。即ち、さっき二階の書斎が暗くなったのは、停電ではなくて、何者かがあの部屋のスイッチをひねったものに相違ない。

 食事が終ると、一同客間に帰って、夫々居心地のよさそうな椅子に、身を休めて、ポツリポツリ、引立たぬ会話を取交わしていたが、そこへ書生が入って来て、明智さんに電話だと告げた。

 見ると、いつの間に出て行ったのか、一座から明智の姿が消えていた。

 洗面所へでも行ったのかと、ややしばらく待って見たが、一向帰って来る様子がない。

「あの方は、二階の書斎の鍵を持ってお出でだから、ひょっとしたら、一人であすこへ上って行かれたのではありますまいか」

 斎藤老人が気づいていった。

 そこで早速、書生を見にやったが、明智はそこにもいないことが分った。

「変だね。兎も角、その電話をここへつないで見給え」

 三谷の指図で、客間の卓上電話が接続された。

「モシモシ、明智さんは、今ちょっと、どっかへ行かれたのですが、何か急なご用ですか」

 三谷が呼びかけると子供子供した甲高い声が、それに答えた。

「僕、明智の事務所のものですが、早く先生を呼んで下さい。大変なことが起ったのです」

「アア、君は、あの子供さんですか」

 三谷は昼間、開化アパートで見た、明智の可愛らしい少年助手を思い出した。

「エエ、僕、小林です。あなたは、三谷さんですか」

 少年は三谷の名を、よく覚ていた。

「そうです。明智先生はね、どこへ行かれたのか、探して見ても、姿が見えぬのです。だが、大変って、何事が起ったの?」

「僕、今自働電話からかけているんです。文代さんが誰かに誘拐されたんです。きっと昼間脅迫状をよこした奴だと思うんです」

「エ、文代さんていうと?」

「あなたも御逢いになった、先生の助手の方です」

 アア、賊は飛んでもない方角から、逆襲して来た。卑劣にも恋人を奪って、探偵を苦しめ、自然この事件から手を引かせようという計画なのだ。

「で、君は今、どこにいるんです。文代さんはどんな風にして誘拐されたのです」

 三谷は、息をはずませて、電話口に呼びかけた。

「僕そちらへ伺います。電話ではくわしいお話も出来ませんし、それに先生の姿が見えないというのも、心配ですから」

 小林少年探偵は、そういって電話を切ってしまった。

 三谷は倭文子や、斎藤老人に事の仔細を告げ、兎も角、明智を探して見ることにした。

 召使達が、手分けをして、屋内は申すに及ばず、庭までも検べたけれど、不思議なことに、明智の姿はどこにも見えぬ。

 まさか黙って帰ってしまう筈はない。またしても、人間消失事件だ。先日の小川という男の死骸といい、今また探偵さえも、この邸内で消え失せてしまった。畑柳邸は、段々不気味な化物屋敷に変って行く様な気がするのだ。

 斎藤老人は、ふと、二階の書斎の鍵を明智に渡したことを思い出した。さっき書生は誰もいないといったけれど、明智はひょっとしたら、ドアに鍵をかけて、部屋の中を調べているのかも知れない。

 老人はそれを確めて見る為に一人で薄暗い二階へ上り、問題の部屋へと近づいて行った。

 見ると書斎のドアが半開いて中の明りが漏れている。

「オヤ、変だぞ。このドアの鍵は確に明智さんに渡した。外に合鍵はない筈だ。して見ると、明智さんはやっぱり、この部屋にいるのかも知れぬぞ」

 そう思って、部屋へ入って見たが、中はやっぱり空っぽだ。ガランとしたお堂みたいな部屋の中には、黙りこくった仏像共が、不気味に立並んでいるばかりである。

 明智は、今度の犯罪の凡ての謎が、この部屋に秘められている様なことをいった。しかも、ドアが開いていたのを見れば、彼は少くとも一度は、この部屋に入ったものに相違ない。

 で、それからどうしたのか。彼もまた、小川の死骸と同じ径路をたどって、どこかへ消えてしまったのではあるまいか。

 老人は丹念に、隅々を探し廻った上、どこにも、明智は勿論、その死骸さえも隠されていないことを確めると、小首をかしげながら、部屋を出る為にドアの所まで歩いて行った。

 すると、丁度その時、またしても、パッと電燈が消えた。廊下からの淡い光りが僅にドアの傍らを照らしているばかり、老人の背後は、襲いかかる様な暗闇である。

 電燈のスイッチは、ドアのすぐ横手、老人の視野の中にあったのだから、誰もそれに手を触れなかったことは、確だ。つまり電燈は、お化けの様に、ひとりでに消えたのだ。

 斎藤氏は、思わず振返って、暗闇の中の、見えぬ敵に対して、身構えをした。

「誰だ、そこにいるのは、誰だ」

 誰も居る筈はなかったけれど、薄気味悪さに、老人は呶鳴って見ないではいられなかった。

 ところが、その声に応じて、まるで老人が悪魔を呼び出しでもした様に、広い暗闇の中に、人の気配がした。すかして見ると、向うの窓の前を、煙みたいな人影が、スーッと横切った様に感じられた。

「誰だ、誰だ」

 老人は続けざまに、悲鳴に似た叫び声を立てた。

 闇の中に闇があって、その真黒な人影みたいなものが、徐々にこちらへ歩いて来る気配だ。

 流石の斎藤老人も、あまりの不気味さに、ドアをしめて、逃げ出そうと身構えた時、突然、闇の中から、ほがらかな笑い声が響いて来た。

 と同時に、申し合せた様に、部屋の中が明るくなる。見えぬ手が、再びスイッチをひねったのだ。

 あかあかと電燈の光りに照らし出された怪物の正体。

「ア、あなたは!」

 老人はあっけにとられて叫んだ。

 そこに立っていたのは、さっきあれ程探したのに、影も見せなかった明智小五郎であった。

「これは不思議だ。あなたは、一体全体、どこに隠れてお出でなすったのだ」

 斎藤老人は、ジロジロと、明智を見上げ見下して尋ねた。

「どこにも、隠れてなんかいませんよ。僕はさっきから、ここにいたのです」

 明智はニコニコして、答えた。

 だが、それは嘘に極まっている。いくら老人だからといって、人間一人見落す筈はない、それに、さっき書生も、この部屋を一度探しに来たのだ。

 窓は凡て密閉してある。明智がその外に身を隠していたとは考えられぬ。すると、彼は無論部屋の中にいたのだ。併し、どこにそんな隠れ場所があるだろう。

 仏像の中か。とても人間が隠れる程の広さはない。第一、鋳物や木彫りの仏像の中へ、どうして這入れるものか。

 といって、壁にも床にも隠し戸のないことは、小川の死体紛失事件の際、警察の人々が充分調べたので、分っている。

「イヤ、何でもないのです。きっとあなたの目が、どうかしていたのですよ」

 明智は、何気なくいって部屋を出た。

 老人は、仕方なく、明智消失の不審はそのままにして置いて、小林少年からの電話のあった仔細を告げた。

「エ、文代さんが? 賊の為に?」

 流石の明智も、この突然の兇報には、ニコニコ顔を引込めないではいられなかった。

 大急ぎで階下の客間へ降りて行くと、探しあぐねて、期せずして、そこへ集まっていた人々は、明智の不意の出現に驚いて、四方から質問をあびせたが、彼はそれに答える余裕はない。三谷青年を捉えて、却ってこちらから電話の様子を尋ねるのだ。

 そうしている所へ、小林少年がタクシーで駆けつけて来た。待ち兼ねていた人々は、手をとる様にして、彼を客間へつれこんだ。

 そこで、お話は文代さん誘拐事件に移る訳だが、一方二階の書斎に起った怪奇については、今の所少しも、その謎が解かれていない。小川という男が何が為にあの部屋へ忍び込んだのか。誰に殺されたのか。その死体はどこへ行ってしまったのか。また、先程の、不思議な電燈の明滅、明智の消失と彼の不意の出現など。

 明智はその秘密を、既に探り得た様子だが、なぜか彼は、それについて一言も語ろうとはしないのだ。まだ語るべき時期でないのかも知れぬ。で、書斎の秘密は、そのままそっとして置いて、さしずめ心掛りな、明智小五郎の女助手の行方について、物語を進めなければならぬ。

 さて、客間につれ込まれた、小林少年が、林檎のような頬を、一際赤らめ、息をはずまして語った所によると、……

 夕方五時頃、明智からの使だといって、一台の自動車が、文代さんを迎えに来た。

 明智の筆蹟で、

「急用あり、すぐお出を乞う」

 という簡単な手紙を持っていたので、彼女は別段疑う所もなく、その車に乗った。

 だが小林少年は、虫が知らせたのか、昼間の賊の脅迫状や、明智が出がけに注意して行ったことが、気になって仕様がなかった。

 文代さんをとめて見たけれど、取合ってくれないので、独心を痛めて、走り去る自動車を見送っていると、丁度幸いにも、そこへ一台の空タクシーが通りかかった。

 小林少年は、ふと子供らしい探偵心を起して、その自動車を呼び止め、文代さんの車を尾行して見る気になった。

 文代の自動車が止まったのは、丁度菊人形開演中の、両国国技館の前であった。

 小林少年のタクシーは、半町程もおくれていたので、彼が同じ場所で車を止めて、降りた時には、既にそのあたりに文代の姿は見えなかった。

 彼女を乗せて来た運転手を捉えて、尋ねて見ると、文代は、運転手に手紙を託した男につれられて、今国技館へ入って行ったばかりだという返事であった。

 その男の風采を聞くと、どうも明智らしくないので、小林少年はいよいよ疑いを増し、切符を買って場内に入って、改札口の少女を初め、菊人形の番人、売店の商人などに、片っぱしから聞いて廻ったが、文代らしい洋装の美人が通ったことは覚ていても、彼女がどこにいるかは、誰も知らなかった。

 場内を一巡して出口まで来た頃には、もう文代を見た人もなく、切符受取の番人も、ここ一時間ばかり、そんな洋装の女は通らぬという。つまり文代はまだ場内のどこかにいるとしか考えられぬのだ。

 そこで小林は、更に、出口から逆に入口へと、見物の群衆の間を探しながら歩いて見たが、どうしても見つからぬ。

 明智が文代をこんな所へ呼ぶのも変だし、第一、急用があれば、自動車などを頼まずとも、電話で事がすむ筈ではないか。それに、そんなに探しても、あの目立つ服装の文代が見つからぬというのも、何とやら唯事でない。

 そこで、小林少年は、国技館の外の自働電話から、聞き覚ていた畑柳家の番号を探して、電話をかけて見た処、案の定、明智は同家にいることが分った。そこで、善後の処置を相談する為、早速やって来たというのである。

「その文代さんを呼び出した男というのは、きっと岡田の配下のものです。まさか、岡田があの顔で、人込みの中へ現れる筈はありませんからね」

 三谷青年は、今度の犯人を、岡田道彦と極めてしまっている。

「マア、どうしましょう。私達の事件を御願いしたばっかりに、文代さんというお方を、そんな目に合わせてしまって。あいつは、何というひどいことをするのでしょう」

 倭文子も、さなきだに悩ましき眉を、一層しかめて、悲しげに、腹立たしげに呟く。

「文代さんは、僕の筆蹟をよく知っている筈です。あの人がだまされた程だから、賊の偽手紙は余程巧に出来ていたのでしょう。菊人形……アア、あいつの考えつきそうなことだ。賊はひょっとしたら、国技館を根城にして、恐ろしい悪事を企らんでいるのかも知れません。アトリエの死体群像といい、ここの二階の仏像といい、今また国技館の菊人形と、あいつの犯罪には、妙に人形がつき纒っている」

 明智は非常に気掛りの様子で立上った。

「僕はこれからすぐ、国技館へ行って見なければなりません。あの殺人鬼は文代さんをどんな目に合わせているか、ひょっとしたら、もう間に合わぬかも知れません」

 いいながら、彼は小林少年を従えて、もうドアの外へ出ていた。

「三谷さん。二階の書斎を注意して下さい。やっぱりドアを締切て、誰もあすこへ入らぬ様にして下さい。召使の人達にも決してあの部屋へ足踏みせぬ様、きびしくいい渡して下さい。悪くすると、人の命にもかかわる様なことが起るかも知れません」

 明智は、見送る三谷と、廊下を歩きながら、繰返し繰返し、それを注意した。

女探偵

 文代さんにとって、恋人明智小五郎の命令は、絶対のものであった。嘗て「魔術師」といわれた怪賊の毒手から、救われた恩義がある。その上に恋だ。

 どういう訳で、何の目的で。そんなことは問う所でない。明智の命とあらば、火の中へでも飛込むのだ。小林少年が止めても、止まらなかった筈である。

 彼女は何の躊躇する処もなく、迎えの自動車に乗った。そして、その行先が、思いもよらぬ、両国の国技館であることを知った時にも、さしてあやしみはしなかった。日頃突飛なことには慣れっこの探偵助手だ。

 国技館前で、車を降りると、一人の見知らぬ男が、彼女を待受けていた。彼はちゃんと二枚の切符を用意して、先に立って改札口を入って行く。

 黒の背広、黒の外套、黒ソフト。黒ずくめの地味な風体。その外套の襟を立て、ソフトのひさしを下げて、顔を隠す様にしている上、大きな黒眼鏡と、鼻まで隠れるマスクの為に、容貌もはっきりは分らぬ。

 ヨチヨチ歩く所を見ると、非常な年寄りの様でもあり、物腰のどこやらに、隠しても隠し切れぬ、精悍な所もある。何とも異様な人物だ。

「明智さんの助手の文代さんというのは、あなたですね。私は今度の事件で、明智さんと一緒に働いているものですが、今明智さんは、この中で、ある人物を見張っていて、一寸手が離せぬものだから、私がお迎いに来たんですよ。非常な捕物です」

 改札口を入って、少し歩くと、男は、マスク越しに、甚だ不明瞭な口調で、自己紹介をした。

 文代は叮嚀に挨拶を返したあとで、

「やっぱり畑柳さんの……」

 と尋ねて見た。

「無論、それです。だが、まだ警察には知らせてないのです。この人達にも内しょですよ。沢山の見物人達に騒がれては、却て鳥を逃がしてしまいますからね」

 男は声を低めて、さもさも一大事という調子だ。

 まだ電燈がついたばかり、太陽の残光と、電燈とが、お互に光を消し合っている、大禍時。その中に、黒い怪鳥の様な男の姿が、いとも不気味に見えたものだ。

「では、早く明智さんに会わせて下さいまし」

 文代はふと「唇のない男」を思出した。彼女は昼間の事務所での、三谷と明智との会話を聞いた訳ではないのだから、読者諸君程は、その怪物のことを知らなかったけれど、新聞記事を記憶していたのか、何となく、今目の前に立っている男が、その怪賊ではないかという様な気がしたのだ。

「イヤ、せくことはありません。賊は明智さんが見張っているのです。もう捕らえたも同然です。それについて、あなたのお力を借りなければならぬのですがね。つまり、美しい女の魅力という奴ですね。幸、相手はあなたの顔を知らぬ。そこで、あなたの御助力で大袈裟な騒ぎをしないで、賊をこの雑踏の中から、おびき出そうという訳です」

 二人はボソボソと囁きながら、蝸牛の殻の様に、グルグル曲った、板張りの細道を、奥へ奥へと歩いて行った。

 両側には、菊人形の様々の場面が、美しいというよりは、寧ろ不気味な、グロテスクな感じで、並んでいた。そして、むせ返る菊の薫りだ。

 文代は、段々男の言葉を信じなくなっていた。恐ろしい疑いが、黒雲の様に、心の中に群がり湧いていた。

 併し、彼女は、それだからといって、逃げ出そうとする様な、意気地なしではない。彼女こそ名にし負う怪賊「魔術師」の娘だ。謂わば和製女ヴィドックなのだ。若しこの男が、例の唇のない怪物であったら、予期せぬ手柄が立てられぬものでもない。彼女は寧ろ、この好機会を喜んだ。

 謀られたと見せて、却て敵を謀るべき策略が、この時既に彼女の胸中に湧き上っていた。

 行く程に、菊人形の舞台は、一つ毎に大がかりになって行った。

 丹塗の高欄美々しく、見上げるばかりの五重の塔が聳えている。数十丈の懸崖を落る、人工の滝つ瀬、張りボテの大山脈、薄暗い杉並木、竹藪、大きな池、深い谷底、そこに天然の如く生茂る青葉、薫る菊花、そして、無数の生人形だ。

 あの大鉄傘の中を、或は昇り、或は下り、迂余曲折する迷路、ある箇所は、八幡の藪不知みたいな、真暗な木立になって、鏡仕掛けで隠顕する、幽霊まで拵えてある。

 明治の昔、流行した、パノラマ館、ジオラマ館、メーズ、さては数年前滅亡した、浅草の十二階などと同じ、追想的な懐かしさ、いかもので、ゴタゴタして、隅々に何かしら、ギョッとする秘密が隠されていそうな、あの不思議な魅力を、現代の東京に求めるならば、恐らくこの国技館の菊人形であろう。

 支那人の帽子のお化けみたいな、べら棒に大きな、しかも古風な大建築そのものが、既に明治的グロテスクである。

 文代は嘗つて「魔術師」の娘であった丈けに、賊が(今肩を並べて歩いている男が、その賊であるかも知れないのだが)この場所を選んだ、すばらしい機智に、驚歎しないではいられなかった。

 古くはユーゴーの佝僂男が巣食っていたノートルダム寺院、近くはルルウの髑髏怪人が身を潜めていた巴里のオペラ座などに比べても、決して劣らぬ秘密境である。

 お椀をふせた様な、唯一室の丸屋根の下は、これ以上複雑に出来ぬ程、複雑に区切って、その中を上に下に、右に左に、のたうち廻る迷路の細道だ。しかもそれで一杯になっているのではない。ここかしこに、見物の通れぬ裏通りが出来ている。芝居の奈落みたいな所、がらくた道具を積上げた物置様の箇所。

 通路の所々に開いている、非常口の扉の奥を覗いて見ると、薄暗い、舞台裏の長廊下を、係員などが、物の怪の様に、さまよっているのが、不気味に眺められる。

 若し兇悪な犯罪者があって、この迷路の中へ逃げ込んだなら、一月でも二月でも、安全に隠れていることが出来るかも知れない。

 張りボテの山、本物の森林、菊人形の背景の建物、実に無限の隠れ場所がある上に、数限りない等身大の生人形、それに一つヒョイと化けて、薄暗い菊の茂みに、何食わぬ顔をして立っていることも出来るのだ。

 それはさておき、今、文代と例の怪人物とは、両側に満開の桜の山をしつらえた、義経千本桜の生人形の場面を通り過ていた。

「生人形という奴は、何だか本当に生きている様で、薄気味の悪いものですね」

 男はマスクの下から、呑気に話しかける。

「アノ明智さんは、一体どこにいらっしゃるのでしょうか」

 文代は薄々明智がいるなんて、嘘っ八だと感づいていたけれど、さも気掛りらしく、尋ねて見る。

「もうじきですよ。もうじきですよ」

 男はそう答えながらも、なぜかソワソワし始めた。そして、しきりと外套の右のポケットを気にしている様子だ。ともすれば、文代に気づかれぬ様に、そこへ手をやって、何か中にあるものを確めて見る。

 文代は、見ぬふりをして、ちゃんと見ていた。

 若しやこの男、ピストルを持っているのではあるまいか。人工瀑布に水を上げる為のモーターポンプが、やかましく轟き渡っている中で、ピストルを打ったとて、誰も気づきはしないだろうと思うと、流石に薄気味悪くなって来た。

「ホウ、これは凄い」

 男が驚きの声を上げたので、ふと見上げると、生茂った造花の桜の枝越しに、菊人形の狐忠信の青白い顔がすぐ頭の上に漂っていた。

「マア怖い」

 文代は実際以上に怖がって見せて、マスクの男によろけかかった。

「怖がることはありません。人形ですよ。人形ですよ」

 男は文代の背中に手を廻し、彼女を抱きしめる様にした。

「もういいんです。でも、本当にゾッとしましたわ」

 文代は男から離れて、外套のポケットに入れた左手の先に、注意を集中した。

 彼女は咄嗟の間に、男がポケットに忍ばせていたものを、抜取ったのだ。手触りで、ピストルでないことが分った。金属性の、シガレット・ケースを少し大きくした様な容れものだ。

 相手に悟られぬ様、外套のポケットの中で、そのケースを開き、指先で探って見ると、水にひたしたガーゼ様のものに、ヒヤリと触った。

 その指先を、ポケットから出して、何気なく顔の前に持って来る。一種異様の不快な匂い……確に麻酔薬だ。ピストルよりも、ずっと恐ろしい武器だ。

 曲者は、美しい文代さんを、一思いに殺すのではなくて、麻酔薬で意識を奪って置いてどうかする積りに違いない。

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