少年探偵団
江戸川乱歩
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黒い魔物
そいつは全身、墨を塗ったような、おそろしくまっ黒なやつだということでした。
「黒い魔物」のうわさは、もう、東京中にひろがっていましたけれど、ふしぎにも、はっきり、そいつの正体を見きわめた人は、だれもありませんでした。
そいつは、暗やみの中へしか姿をあらわしませんので、何かしら、やみの中に、やみと同じ色のものが、もやもやと、うごめいていることはわかっても、それがどんな男であるか、あるいは女であるか、おとななのか子どもなのかさえ、はっきりとはわからないのだということです。
あるさびしいやしき町の夜番のおじさんが、長い黒板塀の前を、例のひょうし木をたたきながら歩いていますと、その黒板塀の一部分が、ちぎれでもしたように、板塀とまったく同じ色をした人間のようなものが、ヒョロヒョロと道のまんなかへ姿をあらわし、おじさんのちょうちんの前で、まっ白な歯をむきだして、ケラケラと笑ったかと思うと、サーッと黒い風のように、どこかへ走りさってしまったということでした。
夜番のおじさんは、朝になって、みんなにそのことを話して聞かせましたが、そいつの姿が、あまりまっ黒なものですから、まるで白い歯ばかりが宙にういて笑っているようで、あんなきみの悪いことはなかったと、まだ青い顔をして、さも、おそろしそうに、ソッと、うしろをふりむきながら、話すのでした。
あるやみの晩に、隅田川をくだっていたひとりの船頭が、自分の船のそばにみょうな波がたっているのに気づきました。
星もないやみ夜のことで、川水は墨のようにまっ黒でした。ただ櫓が水を切るごとに、うす白い波がたつばかりです。ところが、その櫓の波とはべつに、船ばたにたえず、ふしぎな白波がたっていたではありませんか。
まるで人が泳いでいるような波でした。しかし、ただ、そういう形の波が見えるばかりで、人間の姿は、少しも目にとまらないのです。
船頭は、あまりのふしぎさに、ゾーッと背すじへ水をあびせられたような気がしたといいます。でも、やせがまんをだして、大きな声で、その姿の見えない泳ぎ手に、どなりつけたということです。
「オーイ、そこに泳いでいるのは、だれだっ。」
すると、水をかくような白い波がちょっと止まって、ちょうど、その目に見えないやつの顔のあるへんに、白いものがあらわれたといいます。
よく見ると、その白いものは人間の前歯でした。白い前歯だけが、黒い水の上にフワフワとただよって、ケラケラと、例のぶきみな声で笑いだしたというのです。
船頭は、あまりのおそろしさに、もうむがむちゅうで、あとをも見ずに船をこいで逃げだしたということです。
また、こんなおかしい話もありました。
ある月の美しい晩、上野公園の広っぱにたたずんで、月をながめていた、ひとりの大学生が、ふと気がつくと、足もとの地面に、自分の影が黒々とうつっているのですが、みょうなことに、その影が少しも動かないのです。いくら首をふったり、手を動かしたりしても、影のほうは、じっとしていて身動きもしないのです。
大学生は、だんだんきみが悪くなってきました。影だけが死んでしまって動かないなんて、考えてみればおそろしいことです。もしや自分は気でもちがったのではあるまいかと、もうじっとしていられなくなって、大学生は、いきなり歩きはじめたといいます。
すると、ああ、どうしたというのでしょう、影はやっぱり動かないのです。大学生が、そこから三メートル、五メートルとはなれていっても、影だけは少しも動かず、もとの地面に、よこたわっているのです。
大学生は、あまりのぶきみさに、立ちすくんでしまいました。そして、いくら見まいとしても、きみが悪ければ悪いほど、かえってその影を、じっと見つめないではいられませんでした。
ところが、そうして見つめているうちに、もっとおそろしいことがおこったのです。その影の顔のまんなかが、とつぜん、パックリとわれたように白くなって、つまり影が口をひらいて、白い歯をみせたのですが、そして、例のケラケラという笑い声が聞こえてきたのです。
みなさん、自分の影が歯をむきだして笑ったところを想像してごらんなさい。世の中にこんなきみの悪いことがあるでしょうか。
さすがの大学生も、アッとさけんで、あとをも見ずに逃げだしたということです。
それがやっぱり、例の黒い魔物だったのです。あとで考えてみますと、大学生は月に向かっていたのですから、影はうしろにあるはずなのを、目の前に、黒々と人の姿がよこたわっていたものですから、つい、わが影と思いあやまってしまったのでした。
そういうふうにして、黒い魔物のうわさは、日一日と高くなっていきました。
やみの中からとびだしてきて、通行人の首をしめようとしたとか、夜、子どもがひとりで歩いていると、まるで黒いふろしきのように子どもをつつんで、地面をコロコロころがっていってしまうとか、種々さまざまのうわさが伝えられ、怪談は怪談をうんで、若い娘さんや、小さい子どもなどは、もうおびえあがってしまって、けっして夜は外出しないほどになってきました。
この魔物は、むかしの童話にある、かくれみのを持っているのと同じことでした。かくれみのというのは、一度そのみのを身につけますと、人の姿がかき消すように見えなくなって、人中で何をしようと思うがまま、どんな悪いことをしても、とらえられる気づかいがないという、ちょうほうな魔法なのですが、黒い魔物は、それと同じように、やみのなかにとけこんで、人目をくらますことができるのでした。
インド人や南洋の土人の黒さは、ほんとうの黒さではありません。その魔物のからだは、どんな濃い墨よりも、もっと黒く、黒さが絶頂にたっして、ついに人の目にも見えぬほどになっているのにちがいありません。
黒い魔物は、やみの中や、黒い背景の前では、忍術使いも同様です。どんないたずらも思うがままです。もしそいつが、何かおそろしい悪事をたくらんだならどうでしょう。悪いことをしておいて、とらえられそうになったら、いきなり、やみの中へとけこんで、姿を消してしまえばいいのですから、こんなやさしいことはありません。また、とらえるほうにしてみれば、こんなこまった相手はないのです。
黒い魔物とは、はたして何者でしょうか。男でしょうか、女でしょうか、おとなでしょうか、子どもでしょうか。そしてまた、このえたいのしれぬ黒い影法師は、いったい何をしようというのでしょう。ただ黒板塀からとびだしたり、黒い水の中を泳いだり、人の影になって地面によこたわったりする、むじゃきないたずらをして喜んでいるだけでしょうか。いやいや、そうではありますまい。きゃつは、何かしら、とほうもない悪事をたくらんでいるのにちがいありません。いったいぜんたい、どのような悪事をはたらこうというのでしょうか。
この悪魔を向こうにまわしてたたかうものは、小林少年を団長とする少年探偵団です。十人の勇敢な小学生によって組織せられた少年探偵団、団長は明智探偵の名助手として知られた小林芳雄少年、その小林少年の先生は、いうまでもなく大探偵明智小五郎です。
日本一の私立名探偵と、その配下の少年探偵団、相手は、お化けのような変幻自在の黒怪物、ああ、このたたかいが、どのようにたたかわれることでしょう。
怪物追跡
やみと同じ色をした怪物が、東京都のそこここに姿をあらわして、やみの中で、白い歯をむいてケラケラ笑うという、うすきみの悪いうわさが、たちまち東京中にひろがり、新聞にも大きくのるようになりました。
年とった人たちは、きっと魔性のものがいたずらをしているのだ、お化けにちがいないと、さもきみ悪そうにうわさしあいましたが、若い人たちは、お化けなぞを信じる気にはなれませんでした。それはやっぱり人間にきまっている。どこかのばかなやつが、そんなとほうもないまねをして、おもしろがっているのだろうと考えていました。
ところが、日がたつにつれて、お化けにもせよ、人間にもせよ、その黒いやつは、ただいたずらをしているばかりではない、何かしらおそろしい悪事をたくらんでいるにちがいないということが、だんだんわかってきたのです。
あとになって考えてみますと、この黒い怪物の出現は、じつに異常な犯罪事件のいとぐちとなったのでした。できごとは東京を中心にしておこったのですが、それに関係している人物は、日本人ばかりではなく、いわば国際的な犯罪事件でした。
では、これから、黒い魔物のいたずらが、だんだん犯罪らしい形にかわっていくできごとを、順序をおってお話しましょう。
読者諸君がよくご承知の、小林少年を団長にいただく少年探偵団の中に、桂正一君という少年がいました。桂君のおうちは、世田谷区の玉川電車の沿線にあって、羽柴壮二君たちの学校とはちがいましたけれども、正一君と壮二君とはいとこどうしだものですから、壮二君にさそわれて少年探偵団にくわわったのです。
桂君は、自分が探偵団にはいっただけでなく、やはり玉川電車の沿線におうちのある、級友の篠崎始君をさそって、ふたりで仲間入りをしたのです。
ある晩のこと、桂正一君は、電車一駅ほどへだたったところにある、篠崎君のおうちをたずねて、篠崎君の勉強部屋で、いっしょに宿題をといたり、お話をしたりして、八時ごろまで遊んでいましたが、それから、おうちに帰る途中で、おそろしいものに出あってしまったのです。
もし、おくびょうな少年でしたら、少しまわり道をして表通りを歩くのですけれど、桂君は学校では少年相撲の選手をしているほどで、腕におぼえのある豪胆な少年でしたから、裏通りの近道を、テクテクと歩いていきました。
両がわは長い板塀や、コンクリート塀や、いけがきばかりで、街燈もほの暗く、夜ふけでもないのに、まったく人通りもないさびしさです。
春のことでしたから、気候はちっとも寒くないのですが、そうして、まるで死にたえたような夜の町を歩いていますと、なんとなく首すじのところが、ゾクゾクとうそ寒く感じられます。
一つのまがりかどをまがって、ヒョイと前を見ますと、二十メートルほど向こうの街燈の下を、黒い人影が歩いていきます。それが、おかしなことには、帽子もかぶらず、着物も着ていない。そのくせ、頭のてっぺんから足の先まで、墨のようにまっ黒な人の姿です。
さすがの桂少年も、この異様な人影をひと目見ると、ゾーッとして立ちすくんでしまいました。
「あいつかもしれない、うわさの高い黒い魔物かもしれない。」
心臓がドキドキと鳴ってきました。背すじを氷のようにつめたいものが、スーッと走りました。桂君はもう少しのことで、いちもくさんにうしろへ逃げだすところでした。しかし、逃げなかったのです。やっとのことでふみとどまったのです。
桂君は、自分が名誉ある少年探偵団の一員であることを、思いだしました。しかも、たった今、篠崎君の家で、黒い魔物の話をして、
「ぼくが、もしそいつに出あったら、正体を見あらわしてやるんだがなあ。」
と、大きなことをいってきたばかりです。
桂君は少年探偵団のことを考えると、にわかに勇気がでてきました。
いけがきのかげに身をかくして、じっと見ていますと、怪物は、うしろに人がいるとは少しも気のつかぬようすで、ヒョコヒョコおどるように歩いていきます。見まちがいではありません。たしかに全身まっ黒な、まるで黒ネコみたいな人の姿です。
「やっぱりお化けや幽霊じゃないんだ。ああして歩いているところをみると、人間にちがいない。」
桂君は、大胆にも、相手にさとられぬよう、ソッとあとをつけてやろうと決心しました。
怪物は、まるで地面の影が、フラフラと立ちあがって、そのまま歩きだしたような感じで、グングンと遠ざかっていきます。おそろしく早い足です。桂君は、物かげへ物かげへと身をかくしながら、相手を追っかけるのが、やっとでした。
町をはなれ、人気のない広っぱを少し行きますと、大きな寺のお堂が、星空にお化けのようにそびえて見えました。養源寺という江戸時代からの古いお寺です。
黒い魔物は、その養源寺のいけがきに沿って、ヒョコヒョコと歩いていましたが、やがて、いけがきのやぶれたところから、お堂の裏手へはいってしまいました。
桂君は、だんだんきみが悪くなってきましたけれども、今さら尾行をよすのはざんねんですから、両手をにぎりしめ、下腹にグッと力を入れて、同じいけがきのやぶれから、暗やみの寺内へとしのびこみました。
見ると、そこは一面の墓地でした。古いのや新しいのや、無数の石碑が、ジメジメとこけむした地面に、ところせまく立ちならんでいます。空の星と、常夜灯のほのかな光に、それらの長方形の石が、うす白くうかんでいるのです。
桂君は怪談などを信じない現代の少年でしたけれど、そこが無数の死がいをうずめた墓地であることを知ると、ゾッとしないではいられませんでした。
怪物は、石碑と石碑のあいだのせまい通路を、右にまがり左にまがり、まるで案内を知ったわが家のように、グングンと中へはいっていきます。黒い影が白い石碑を背景にして、いっそうクッキリとうきあがって見えるのです。
桂君は、全身にビッショリ冷や汗をかきながら、がまん強くそのあとを追いました。さいわい、こちらは背が低いものですから、石碑の陰に身をかくして、チョコチョコと走り、ときどき背のびをして、相手を見うしなわないようにすればよいのでした。
ところで、桂君が、そうして、何度めかに背のびをしたときでした。びっくりしたことには、思いもよらぬ間近に、石碑を二つほどへだてたすぐ向こうに、黒いやつが、ヌッと立っていたではありませんか。しかも、真正面にこちらを向いているのです。まっ黒な顔の中に、白い目と白い歯とが見えるからには、こちらを向いているのにちがいありません。
怪物はさいぜんから、ちゃんと尾行を気づいていたのです。そして、わざとこんなさびしい墓地の中へ、おびきよせて、いよいよたたかいをいどもうとするのかもしれません。
桂少年は、まるでネコの前のネズミのように、からだがすくんでしまって、目をそらすこともできず、そのまっ黒な影法師みたいなやつと、じっと、顔を見あわせていました。胸の中では、心臓がやぶれそうに鼓動しています。
今にも、今にも、とびかかってくるかと、観念をしていますと、とつぜん、怪物の白い歯がグーッと左右にひろがって、それがガクンと上下にわかれ、ケラケラケラ……と、怪鳥のような声で笑いだしました。
桂君は何が何だか、もうむがむちゅうでした。おそろしい夢をみて、夢と知りながら、どうしても、目がさませないときと同じ気持で、「助けてくれー。」とさけぼうにも、まるでおしになったように、声が出ないのです。
ところが、怪物のほうでは、べつにとびかかってくるでもなく、いやな笑い声をたてたまま、フイと石碑のかげに、身をかくしてしまいました。
かくれておいて、またバアとあらわれるのではないかと、立ちすくんだまま、息を殺していても、いつまで待っても、ふたたびあらわれるようすがありません。といって、その石碑の向こうから立ちさったけはいもないのです。もしその場を動けば、石碑と石碑のあいだに、チロチロと黒い影が見えなければなりません。
深い海の底のように静まりかえった墓地に、たったひとり、とりのこされた感じです。どちらを向いても動くものとてはなく、つめたい石ばかり、桂君は、夢に夢みるここちでした。
やっと気をとりなおして、さいぜんまで怪物が立っていた石碑の向こうへ、オズオズと近よってみますと、そこはもうからっぽになって、人のけはいなどありません。念のために、そのへんをくまなく歩きまわってみても、どこにも黒い人の姿はないのです。
たとえ地面をはっていったとしても、その場所を動けば、こちらの目にうつらぬはずはないのに、それが少しも見えなかったというのは、ふしぎでしかたがありません。あの怪物は西洋の悪魔が、パッと煙をだして、姿を消してしまうように、空中に消えうせたとしか考えられません。
「あいつは、やっぱりお化けだったのかしら。」
ふと、そう思うと、桂君は、がまんにがまんをしていた恐怖心が、腹の底からこみあげてきて、何かえたいのしれぬことをわめきながら、むがむちゅうで墓地をとびだすと、息もたえだえに、明るい町のほうへかけだしました。
桂少年は、怪物は墓地の中で、煙のように消えてしまったということを、のちのちまでもかたく信じていました。
しかし、そんなことがあるものでしょうか。もし黒い魔物が人間だとすれば、空気の中へとけこんでしまうなんて、まったく考えられないことではありませんか。
人さらい
墓地のできごとがあってから二日の後、やっぱり夜の八時ごろ、篠崎始君のおうちの、りっぱなご門から、三十歳ぐらいの上品な婦人と、五つぐらいのかわいらしい洋装の女の子とが、出てきました。婦人は始君のおばさん、女の子は小さいいとこですが、ふたりは夕方から篠崎君のおうちへ遊びに来ていて、今、帰るところなのです。
おばさんは、大通りへ出て自動車をひろうつもりで、女の子の手を引いて、うす暗いやしき町を、急ぎ足に歩いていきました。
すると、またしても、ふたりのうしろから、例の黒い影があらわれたのです。
怪物は塀から塀へと伝わって、足音もなく、少しずつ、少しずつ、ふたりに近づいていき、一メートルばかりの近さになったかと思うと、いきなり、かわいらしい女の子にとびかかって、小わきにかかえてしまいました。
「アレ、なにをなさるんです。」
婦人はびっくりして、相手にすがりつこうとしましたが、黒い影は、すばやく片足をあげて、婦人をけたおし、その上にのしかかるようにして、あの白い歯をむきだし、ケラケラケラ……と笑いました。
婦人はたおれながら、はじめて相手の姿を見ました。そして、うわさに聞く黒い魔物だということがわかると、あまりのおそろしさに、アッとさけんだまま、地面にうつぶしてしまいました。
そのあいだに、怪物は女の子をつれて、どこかへ走りさってしまったのですが、では、黒い魔物は、おそろしい人さらいだったのかといいますと、べつにそうでもなかったことが、その夜ふけになってわかりました。
もう十一時ごろでしたが、篠崎君のおうちから一キロほどもはなれた、やっぱり玉川電車ぞいの、あるさびしいやしき町を、一人のおまわりさんが、コツコツと巡回していますと、人通りもない道のまんなかに、五つぐらいの女の子が、シクシク泣きながらたたずんでいるのに出あいました。それがさいぜん黒い怪物にさらわれた、篠崎君の小さいいとこだったのです。
まだ幼い子どもですから、おまわりさんがいろいろたずねても、何一つはっきり答えることはできませんでしたが、片言まじりのことばを、つなぎあわせて判断してみますと、黒い怪物は、子どもをさらって、どこかさびしい広っぱへつれていき、お菓子などをあたえて、ごきげんをとりながら、名まえをたずねたらしいのですが、「木村サチ子」と、おかあさんに教えられているとおり答えますと、怪物は、きゅうにあらあらしくなって、サチ子さんをそこへすておいたまま、どこかへ行ってしまったというのでした。
どうも、前後のようすから、怪物は、人ちがいをしたとしか考えられません。だれでもいいから、子どもをさらおうというのではなくて、あるきまった人をねらって、つい人ちがいをしたらしく思われるのです。では、いったい、だれと人ちがいをしたのでしょう。
その翌日には、矢つぎばやに、またしても、こんなさわぎがおこりました。
場所はやっぱり篠崎君のおうちの前でした。こんどは夜ではなくて、まっ昼間のことですが、ちょうど門の前で、近所の四つか五つぐらいの女の子が、たったひとりで遊んでいるところへ、チンドン屋の行列が通りかかりました。
丹下左膳の扮装をして、大きな太鼓を胸にぶらさげた男を先頭に、若い洋装の女のしゃみせんひき、シルク・ハットにえんび服のビラくばり、はっぴ姿の旗持ちなどが、一列にならんで、音楽にあわせ、おしりをふりながら歩いてきます。
その行列のいちばんうしろから、白と赤とのだんだら染めのダブダブの道化服を着て、先に鈴のついたとんがり帽子をかぶり、顔には西洋人みたいな道化のお面をつけた男が、フラフラとついてきましたが、篠崎家の門前の女の子を見ますと、おどけたちょうしで、手まねきをしてみせました。
女の子は快活な性質とみえて、まねかれるままに、にこにこしながら、道化服の男のそばへかけよりました。
すると、道化服は、
「これあげましょう。」
といいながら、手に持っていた美しいあめん棒を、女の子の手ににぎらせました。
「もっと、どっさりあげますから、こちらへいらっしゃい。」
道化服はそんなことをいいながら、女の子の手を引いて、グングン歩いていきます。子どもは、美しいお菓子のほしさにつられて、手を引かれるままに、ついていくのです。
ところが、そして百メートルほども歩いたとき、道化服の男は、とつぜん、チンドン屋の列をはなれて、女の子をつれたまま、さびしい横町へまがってしまいました。チンドン屋の人たちは、べつにそれをあやしむようすもなく、まっすぐに歩いていくのです。
道化服は、横町へまがると、グングン足をはやめて、女の子を、ちかくの神社の森の中へつれこみました。
「おじちゃん、どこ行くの?」
女の子は、人影もない森の中を見まわしながら、まだ、それとも気づかず、むじゃきにたずねるのです。
「いいところです。お菓子や、お人形のどっさりある、いいところです。」
道化服の男は、東京の人ではないらしく、みょうにくせのあるなまりで、一こと一こと、くぎりながら、いいにくそうにいいました。
「お嬢さん、名まえいってごらんなさい。なんという名まえですか。」
「あたち、タアちゃんよ。」
女の子は、あどけなく答えます。
「もっとほんとうの名まえは? おとうさまの名は?」
「ミヤモトっていうの。」
「宮本? ほんとうですか、篠崎ではないのですか。」
「ちがうわ。ミヤモトよ。」
「では、さっき遊んでいたうち、お嬢さんのうちではないのですか。」
「ええ、ちがうわ。あたちのうち、もっと小さいの。」
それだけ聞くと、道化服の男は、いきなりタアちゃんの手をはなして、お面の中で、「チェッ。」と舌打ちをしました。そして、もう一こともものをいわないで、女の子を森の中へおいてけぼりにして、サッサとどこかへたちさってしまいました。
やがて、その奇妙なできごとは、タアちゃんという女の子が、泣きながら帰ってきて、母親に告げましたので、町中のうわさとなり、警察の耳にもはいりました。幼い女の子の報告ですから、森の中での問答がくわしくわかったわけではありませんが、道化服のチンドン屋が、タアちゃんをつれさろうとして、中途でよしてしまったらしいことだけは、おぼろげながらわかりました。前夜の黒い魔物と同じやり方です。いよいよ、だれかしら、五つぐらいの女の子がねらわれていることが、はっきりしてきました。
五つぐらいの女の子といえば、篠崎始君にも、ちょうどその年ごろの、かわいらしい妹があるのです。もしや怪物がねらっているのは、その篠崎家の女の子ではありますまいか、前後の事情を考えあわせると、どうもそうらしく思われるではありませんか。
隅田川だとか、上野の森だとか、東京中のどこにでも、あのぶきみな姿をあらわして、いたずらをしていた黒い影は、だんだんそのあらわれる場所をせばめてきました。
桂正一君が出あった場所といい、篠崎君の小さいいとこがさらわれた場所といい、こんどはまた、タアちゃんがつれさられようとした場所といい、みんな篠崎君のおうちを中心としているのです。
怪物の目的がなんであるかが、少しずつわかってきました。しかし、ただ子どもをさらったり、その子を人質にしてお金をゆすったりするのでしたら、何も黒い影なんかに化けて、人をおどかすことはありません。これには何か、もっともっと深いたくらみがあるのにちがいないのです。
のろいの宝石
さて、門の前に遊んでいた女の子がさらわれた、その夜のことです。篠崎始君のおとうさまは、ひじょうに心配そうなごようすで、顔色も青ざめて、おかあさまと始君とを、ソッと、奥の座敷へお呼びになりました。
始君は、おとうさまの、こんなうちしずまれたごようすを、あとにも先にも見たことがありませんでした。
「いったい、どうなすったのだろう。なにごとがおこったのだろう。」
と、おかあさまも始君も、気がかりで胸がドキドキするほどでした。
おとうさまは座敷の床の間の前に、腕組みをしてすわっておいでになります。その床の間には、いつも花びんのおいてある紫檀の台の上に、今夜はみょうなものがおいてあるのです。
内がわを紫色のビロードではりつめた四角な箱の中に、おそろしいほどピカピカ光る、直径一センチほどの玉がはいっています。
始君は、こんな美しい宝石が、おうちにあることを、今まで少しも知りませんでした。
「わたしはまだ、おまえたちに、この宝石にまつわる、おそろしいのろいの話をしたことがなかったね。わたしは、そんな話を信じていなかった。つまらない話を聞かせて、おまえたちを心配させることはないと思って、きょうまでだまっていたのだ。
けれども、もう、おまえたちにかくしておくことができなくなった。ゆうべからの少女誘かいさわぎは、どうもただごとではないように思う。わたしたちは、用心しなければならぬのだ。」
おとうさまは、うちしずんだ声で、何かひじょうに重大なことを、お話になろうとするようすでした。
「では、この宝石と、ゆうべからの事件とのあいだに、何か関係があるとでもおっしゃるのでございますか。」
おかあさまも、おとうさまと同じように青ざめてしまって、息を殺すようにしておたずねになりました。
「そうだよ。この宝石には、おそろしいのろいがつきまとっているのだ。その話がでたらめでないことがわかってきたのだ。
おまえも知っているように、この宝石は、一昨年、中国へ行った時、上海である外国人から買いとったものだが、その値段がひどくやすかった。時価の十分の一にもたらない、五万七千円という値段であった。
わたしは、たいへんなほりだしものをしたと思って、喜んでいたのだが、あとになって、別のある外国人がソッとわたしに教えてくれたところによると、この石には、みょうないんねん話があって、その事情を知っているものは、だれも買おうとしないものだったから、それで、こんなやすい値段で、手ばなすことになったのだろうというのだ。
そのいんねん話というのはね……。」
おとうさまは、ちょっとことばを切って、ふたりにもっとそばへよるようにと、手まねきをなさいました。
始君は、少しおとうさまのほうへひざを進めましたが、なんだかおそろしい怪談を聞くような気がして、背中のほうがうそ寒くなってきました。気のせいか、いつも明るい電灯が、今夜は、みょうにうす暗く感じられます。
「この宝石は、もとはインドの奥地にある、ある古いお寺のご本尊の、大きな仏像のひたいにはめこんであったものだそうだ。始は学校で教わったことがあるだろう、白毫というものだ。
ことのおこりは、今から百年もまえの話だが、そのお寺の付近に戦争があって、お寺は焼けてしまうし、たくさんの人が死んだ。そのとき、仏像の顔にはめこんであった宝石を、敵が持っていってしまったんだね。それから、宝石はいろいろな人の手にわたって、ヨーロッパのほうへ買いとられていった。ひじょうにねうちのある宝石だから、だれでも高い代価で買いとるのだね。
また、その戦争のときに、その部落の殿さまのお姫さまが、敵のたまにあたって死んでしまった。まだ若いきれいなお姫さまだったそうだが、殿さまが、たいへんかわいがっておいでになったばかりでなく、その部落のインド人は、このお姫さまを神さまのようにうやまった。そのだいじのお方が、敵のたまにあたって、はかなく死んでしまった。
部落のインド人たちは、この二つの悲しいできごとを、いつまでもわすれなかった。仏像の命ともいうべき白毫をうばいかえさなければならない。お姫さまのあだを討たなければならない。その二つのことが、一つにむすびついて、この宝石につきまとうのろいとなったのだ。
それはインド中でもいちばん信仰のあつい部落で、部落中のものが、その仏像を気ちがいのように信じ、うやまっていたということだ。仏さまのためには、どんな艱難辛苦もいとわない、命なんかいつでもすてるという気風なんだ。
そこで、たいせつな仏像をけがし、殿さまの娘の命をうばった外国人の軍人を、仏さまになりかわってばっすることが決議され、部落を代表して、おそろしい魔術を使う命知らずの、ふたりのインド人が、敵をさがして世界中を旅して歩くことになった。
そのふたりが病死すれば、また別の若い男が派遣される。そして、何十年でも、何百年でも、宝石をもとの仏像のひたいにもどすまでは、こののろいはとけないというのだ。
それ以来、この宝石を持っているものは、たえずまっ黒なやつにねらわれている。ことにその家に幼い女の子があるときは、お姫さまのあだ討ちだというので、まず女の子をさらっていって、人知れず殺してしまう。その死体は、どんなに警察がさがしても、発見することができないということだ。
わたしが上海である外国人に聞いたいんねん話というのは、まあこんなふうなことだったがね、むろん、わたしは信用しなかった。そんなばかなことがあるものか、これはきっと、話をした外国人も宝石をほしがっていたのに、わたしが先に買ってしまったので、根もない怪談を話して聞かせ、わたしから宝石を元値で買いとる気にちがいないと思った。そして、わたしは、つい近ごろまで、そんな話はすっかりわすれてしまっていた。
ところが、ゆうべもきょうも、わたしたちの家を中心として、幼い女の子がさらわれたのを見ると、また、そのさらったやつが、まっ黒な怪物だったということを思いあわせると、わたしは、どうやら、きみが悪くなってきた。例のいんねん話とぴったり一致しているのだからね。」
「では、うちの緑ちゃんがさらわれるかもしれないと、おっしゃるのですか。」
おかあさまは、もうびっくりしてしまって、今にも、緑ちゃんを守るために立ちあがろうとなすったくらいです。緑ちゃんというのは、ことし五歳の始君の妹なのです。
「ウン、そうなのだよ。しかし、今は心配しなくてもいい。わたしたちがここにいれば、緑は安全なのだからね。ただ、これから後は、緑を外へ遊びに出さぬよう、家の中でもつねに目をはなさないようにしていてほしいのだよ。」
いかにも、おとうさまのおっしゃるとおり、緑ちゃんの遊んでいる部屋へは、この座敷を通らないでは行けないのです。それに、緑ちゃんのそばには、ばあややお手伝いさんがついているはずです。
「でも、おとうさん、おかしいですね。そのインド人は、はじめに罪をおかしたそのときの外国人にだけ復しゅうすればいいじゃありませんか。それを今ごろになって、ぼくたちにあだをかえすなんて。」
始君は、どうもふにおちませんでした。
「ところが、そうではないのだよ。じっさい手をくだした罪人であろうとなかろうと、現在、宝石を持っているものに、のろいがかかるので、そのため、ヨーロッパでもいく人もめいわくをこうむった人があるのだよ。おそろしさのあまり病気になったり、気がちがったりしたものもあるということだ。」
「そうですか、それはわけのわからない話ですね……。ああ、いいことがある。おとうさん、ぼく少年探偵団にはいっているでしょう。だから……。」
始君が声をはずませていいますと、おとうさまはお笑いになって、
「ハハハ……、おまえたちの手にはおえないよ。相手はインドの魔法使いだからねえ。おまえ知っているだろう。インドの魔術というものは世界のなぞになっているほどだよ。一本のなわを空中に投げて、その投げたなわをつたって、まるで木登りでもするように、子どもが、空へ登っていくというのだからねえ。
それから、地面に深い穴を掘って、その中へうずめられたやつが、一月も二月もたってから、土を掘ってみると、ちゃんと生きているという、おそろしい魔法さえある。インド人は今、地面に種をまいたかと思うと、みるみる、それが芽を出し、茎がのび、葉がはえ、花が咲くというようなことは、朝飯まえにやってのける人種だからねえ。」
「じゃ、ぼくらでいけなければ、明智先生にご相談してはどうでしょうか。明智先生は、やっぱり魔法使いみたいな、あの二十面相を、やすやすと逮捕なすった方ですからねえ。」
始君は、さもじまんらしくいいました。明智探偵ならば、いくら相手がインドの魔法使いだって、けっして負けやしないと、かたく信じているのです。
「ウン、明智先生なら、うまい考えがあるかもしれないねえ。あすにでも、ご相談してみることにしようか。」
おとうさまも明智探偵を持ちだされては、かぶとをぬがないわけにはいきませんでした。
しかし、黒い魔物は、あすまでゆうよをあたえてくれるでしょうか。始君たちの話を、やつはもう、障子の外から、ちゃんと立ち聞きしていたのではありますまいか。
黒い手
そのとき、始君は何を見たのか、アッと小さいさけび声をたてて、おとうさまのうしろの床の間を見つめたまま、化石したようになってしまいました。その始君の顔といったらありませんでした。まっさおになってしまって、目がとびだすように大きくひらいて、口をポカンとあけて、まるできみの悪い生き人形のようでした。
おとうさまもおかあさまも、始君のようすにギョッとなすって、いそいで、床の間のほうをごらんになりましたが、すると、おふたりの顔も、始君とおなじような、おそろしい表情にかわってしまいました。
ごらんなさい。
床の間のわきの書院窓が、音もなく細めにひらいたではありませんか。そして、そのすきまから、一本の黒い手が、ニューッとつきだされたではありませんか。
「アッ、いけない。」
と思うまもあらせず、その手は、花台の宝石箱をわしづかみにしました。そして、黒い手はしずかに、また、もとの障子のすきまから消えていってしまいました。黒い魔物は、大胆不敵にも三人の目の前で、のろいの宝石をうばいさったのです。