おとうさまも、始君も、あまりの不意うちに、すっかりどぎもをぬかれてしまって、黒い手にとびかかるのはおろか、座を立つことすらわすれて、ぼうぜんとしていましたが、黒い手がひっこんでしまうと、やっと正気をとりもどしたように、まずおとうさまが、
「今井君、今井君、くせ者だ、早く来てくれ……。」
と、大きな声で秘書をおよびになりました。
「あなた、緑ちゃんに、もしものことがあっては……。」
おかあさまの、うわずったお声です。
「ウン、おまえもおいで。」
おとうさまは、すぐさまふすまをひらいて、おかあさまといっしょに、緑ちゃんのいる、部屋へかけこんで行かれましたが、さいわい緑ちゃんにはなにごともありませんでした。
いっぽう、おとうさまの声に、急いでかけつけた秘書の今井と、始君とは、廊下のガラス戸が一枚あいたままになっていましたので、そこから庭へとびおりて、くせ者を追跡しました。
黒い魔物は、つい目の前を走っています。暗い庭の中で、まっ黒なやつを追うのですから、なかなか骨が折れましたが、さいわい、庭のまわりは、とても乗りこせないような、高いコンクリート塀で、グルッと、とりかこまれていますので、くせ者を塀ぎわまで追いつめてしまえば、もう、こっちのものなのです。
案のじょう、くせ者は塀に行きあたって当惑したらしく、方向をかえて、塀の内がわにそって走りだしました。塀ぎわには、背の高い青ギリだとか、低くしげっているツツジだとか、いろいろな木が植えてあります。くせ者はその木立ちをぬって、低いしげみはとびこえて、風のように走っていきます。
ところが、そうして少し走っているあいだに、じつにふしぎなことがおこりました。くせ者の黒い姿が、ひとつの低いしげみをとびこしたかと思うと、まるで、忍術使いのように、消えうせてしまったのです。
始君たちは、きっとしげみのかげに、しゃがんでかくれているのだろうと思って、用心しながら近づいていきましたが、そこにはだれもいないことがわかりました。くせ者は蒸発してしまったとしか考えられません。
しばらくすると、電話の知らせで、ふたりのおまわりさんがやってきましたが、そのおまわりさんと、家中のものが手分けをして、懐中電燈の光で、庭のすみずみまでさがしたのですけれど、やっぱりあやしい人影は発見できませんでした。むろん宝石をとりもどすこともできなかったのです。
これがインド人の魔法なのでしょうか。魔法ででもなければ、こんなにみごとに消えうせてしまうことはできますまい。
読者諸君は、いつかの晩、篠崎始君の友だちの桂正一君が、養源寺の墓地の中で、黒い魔物を見うしなったことを記憶されるでしょう。こんどもあのおりとまったく同じだったのです。くせ者は追っ手の目の前で、やすやすと姿を消してしまったのです。
ああ、インド人の魔法。インド人は、始君のおとうさまがおっしゃったように、ほんとうにそんな魔術が使えるのでしょうか。もしかしたら、このあまりに手ぎわのよい消失には、何かしら思いもよらない手品の種があったのではないでしょうか。
ふたりのインド人
さわぎのうちに一夜がすぎて、その翌日は、篠崎家の内外に、アリも通さぬ、げんじゅうな警戒がしかれました。緑ちゃんは、奥の一間にとじこめられ、障子をしめきって、おとうさま、おかあさまは、もちろん、ふたりの秘書、ばあやさん、ふたりのお手伝いさんなどが、その部屋の内と外とをかためました。十いくつの目が、寸時もわき見をしないで、じっと、小さい緑ちゃんにそそがれていたのです。家の外では、所轄警察署の私服刑事が数名、門前や塀のまわりを見はっています。じゅうぶんすぎるほどの警戒でした。
しかし、おとうさまもおかあさまも、まだ安心ができないのです。ゆうべの手なみでもわかるように、くせ者は忍術使いのようなやつですから、いくら警戒してもむだではないかとさえ感じられるのです。ひじょうな不安のうちに時がたって、やがて午後三時を少しすぎたころ、学校へ行っていた始君がいきおいよく帰ってきました。
「おとうさん、ただいま。緑ちゃん大じょうぶでしたか。」
「ウン、こうして、きげんよく遊んでいるよ。だがおまえは、いつもより、ひどくおそかったじゃないか。」
おとうさまが、ふしんらしくおたずねになりました。
「ええ、それにはわけがあるんです。ぼく、学校がひけてから、明智先生のところへ行ってきたんです。」
「ああ、そうだったか。で、先生にお会いできたかい。」
「それがだめなんですよ。先生は旅行していらっしゃるんです。どっか遠方の事件なんですって。でね、小林さんに相談したんですよ。するとね、あの人やっぱり頭がいいや。うまいことを考えだしてくれましたよ。おとうさん、どんな考えだと思います。」
始君は大とくいでした。
「さあ、おとうさんにはわからないね。話してごらん。」
「じゃ、話しますからね。おとうさん耳をかしてください。」
そんなことはあるまいけれど、もし、くせ者に聞かれたらたいへんだというので、始君は、おとうさまの耳に口をよせて、ささやくのでした。
「あのね、小林さんはね、緑ちゃんを変装させなさいというのですよ。」
「え、なんだって、こんな小さい子どもにかい?」
おとうさまも、思わずささやき声になっておたずねになりました。
「ええ、こうなんですよ。小林さんがいうのにはね、どこかに緑ちゃんのよくなついているおばさんか何かがないかっていうんです。でも、ぼく、そういうおばさんなら、品川区にひとりあるって言ったんです。ほら、緑ちゃんの大すきな野村のおばさんね。ぼく、あの人のことを言ったんですよ。
すると、小林さんは、それじゃ、緑ちゃんをコッソリそのおばさんちへつれていって、しばらくあずかってもらったほうがいいっていうんです。ね、そうすれば、あいつは、この家ばかりねらっていて、むだ骨折りをするわけでしょう。
でも、つれていくときに見つかる心配があるから、そこに手だてがいるんだっていうんですよ。それはね、まず小林さんが、近所の五つくらいの男の子を、男の子ですよ、それをつれて、ぼくんちへ遊びに来るんです。そしてね、こっそり緑ちゃんにその子の服を着せちゃって、そして、小林さんは帰りには、男の子に変装した緑ちゃんをつれて、なにくわぬ顔で家を出るんです。ね、わかったでしょう。
でも、用心のうえにも用心をしなければいけないから、いつもよびつけの自動車を呼んで、うちの今井さんが助手席に乗って、そして、品川のおばさんちまで、ぶじに送りとどけるっていうんです。ね、うまい考えでしょう。これなら大じょうぶでしょう。」
「ウーン、なるほどね。さすがはおまえたちの団長の小林君だね。うまい考えだ。おとうさんは賛成だよ。じつはおとうさんも、緑をどっかへあずけたほうがいいとは思っていたんだ。しかし、その道があぶないので、決心がつかないんだよ。」
おとうさまは、小林君の名案にすっかり感心なすって、おかあさまにご相談なさいました。おかあさまも、反対する理由がないものですから、しかたなく賛成なさいましたが、
「でも、そのつれてきた男の子をどうしますのよ? そのお子さんに、もしものことがあったらこまるじゃありませんか。」
と、やっぱりささやき声でおっしゃるのです。
「それは大じょうぶですよ。あの黒いやつは緑ちゃんのほかの子は見向きもしないんですもの。たとえさらわれたって、危険はないんだし、それに、すぐあとから、また小林さんが迎えに来るっていうんです。そしてね、もう一着、似たような男の子ども服を用意しておいてね、それを着せてつれて帰るんだっていいますから、同じような男の子が二度門を出るわけですね。おもしろいでしょう。悪者は、めんくらうでしょうね。」
この始君の説明で、おかあさまも、やっと納得なさいましたので、始君はさっそく明智事務所へ電話をかけて、あらかじめ打ちあわせておいた暗号で、小林少年にこのことを伝えました。
さて小林君が、緑ちゃんくらいの背かっこうのかわいらしい男の子をつれて、篠崎家へやってきたのは、もう日の暮れがた時分でした。
すぐさま奥まった一間をしめきって、緑ちゃんの変装がおこなわれました。かわいらしいイートンスーツを着て、おかっぱの髪の毛は大きな帽子の中へかくして、たちまち勇ましい男の子ができあがりました。
まだ五つの緑ちゃんは、何もわけがわからないものですから、生まれてから一度も着たことのないイートンスーツを着て、大よろこびです。
すっかり支度ができますと、緑ちゃんには品川のおばさんのところへ行くんだからと、よくいいきかせたうえ、小林君は篠崎君のおとうさまから、おばさんにあてた依頼状を、たいせつにポケットに入れて、緑ちゃんの手を引いて、わざと人目にふれるように、門の外へ出ていきました。
門の外には、もうちゃんと自動車が待っています。小林君は緑ちゃんをだいて、秘書の今井君があけてくれたドアの中へはいり、客席にこしかけました。つづいて、今井君も助手席につき、車は、エンジンの音もしずかに出発しました。
もう外は、ほとんど暗くなっていました。道ゆく人もおぼろげです。自動車はしばらく電車道を通っていましたが、やがて、さびしい横町に折れ、ひじょうな速力で走っています。
見ていると、両がわの人家がだんだんまばらになり、ひどくさびしい場所へさしかかりました。
「運転手さん、方向がちがいやしないかい。」
小林君は、みょうに思って声をかけました。
しかし運転手は、まるでつんぼのように、なんの返事もしないのです。
「おい、運転手さん、聞こえないのか。」
小林君は、思わず大声でどなりつけて、運転手の肩をたたきました。すると、
「よく聞こえています。」
という返事といっしょに、運転手と今井君とが、ヒョイとうしろをふりむきました。
ああ、その顔! 運転手も今井君も、まるで、えんとつの中からはいだしたように、まっ黒な顔をしていたではありませんか。そして、ふたりは、申しあわせでもしたように、同時にまっ白な歯をむきだして、あのゾッと総毛立つような笑いで、ケラケラケラと笑いました。読者諸君、それはふたりのインド人だったのです。
しかし、運転手はともかくとして、今井君までが、ついさきほど自動車のドアをあけてくれた今井君までが、いつのまにか黒い魔物にかわってしまったのです。まったく不可能なことです。これも、あのインド人だけが知っている、摩訶不思議の妖術なのでしょうか。
銀色のメダル
小林君は、まるでキツネにつままれたような気持でした。さいぜん、篠崎家の門前で、自動車に乗るときには、秘書も運転手も、たしかに白い日本人の顔でした。いくらなんでも、運転手がインド人とわかれば、小林君がそんな車に乗りこむわけがありません。
それが、十分も走るか走らないうちに、今まで日本人であったふたりが、とつぜん、まるで早がわりでもしたように、まっ黒なインド人に化けてしまったのです。これはいったい、どうしたというのでしょう。インドには世界のなぞといわれる、ふしぎな魔術があるそうですが、これもその魔術の一種なのでしょうか。
しかし、今は、そんなことを考えているばあいではありません。緑ちゃんを守らなければならないのです。どうかして自動車をとびだし、敵の手からのがれなければなりません。
小林君は、やにわに緑ちゃんを小わきにかかえると、ドアをひらいて、走っている自動車からとびおりようと身がまえました。
「ヒヒヒ……、だめ、だめ、逃げるとうちころすよ。」
黒い運転手が、片言のような、あやしげな日本語でどなったかと思うと、ふたりのインド人の手が、ニューッとうしろにのびて、二丁のピストルの筒口が、小林君と緑ちゃんの胸をねらいました。
「ちくしょう!」
小林君は、歯ぎしりをしてくやしがりました。自分ひとりなら、どうにでもして逃げるのですが、緑ちゃんにけがをさせまいとすれば、ざんねんながら、相手のいうままになるほかはありません。
小林君が、ひるむようすを見ると、インド人は車をとめて、助手席にいたほうが、運転台をおり、客席のドアをひらいて、まず緑ちゃんを、つぎに小林君を、細引きでうしろ手にしばりあげ、そのうえ、用意の手ぬぐいで、ふたりの口にさるぐつわをかませてしまいました。
その仕事のあいだじゅう、席に残った運転手は、じっとピストルをさしむけていたのですから、抵抗することなど、思いもおよびません。
しかし、ふたりのインド人は、それを少しも気づきませんでしたけれど、小林君は、相手のなすがままにまかせながら、ちょっとのすきをみて、みょうなことをしました。
それは、今井君に化けたインド人が、緑ちゃんをしばっているときでしたが、小林君はすばやく右手をポケットにつっこむと、何かキラキラ光る銀貨のようなものを、ひとつかみ取りだして、それを、相手にさとられぬよう、ソッと、車のうしろのバンパーのつけねのすみにおきました。インド人にみつからぬよう、ずっとすみのほうへおいたのです。
ちょっと見ると百円銀貨のようですが、むろん銀貨ではありません。何か銀色をした鉛製のメダルのようなものです。数はおよそ三十枚もあったでしょうか。
インド人は、さいわいそれには少しも気がつかず、ふたりにさるぐつわをしてしまうと、ドアをしめて、もとの運転席にもどりました。そして、車はまたもや、人家もみえぬさびしい広っぱを、どこともなく走りだしたのです。
すると、疾走する自動車のうしろの、幅の狭いバンパーのつけねの上に、みょうなことがおこりました。さいぜん小林君がおいた百円銀貨のようなものが、車の動揺につれて、ジリジリと動き出し、はしのほうから一つずつ、地面にふりおとされていくのです。
そして、三十個ほどのメダルが、すっかり落ちてしまうのに、七―八分もかかったのですが、自動車は、そのメダルがなくなってしまうとまもなく、とあるさびしい町に、ピッタリと停車しました。
あとでわかったところによれば、それは同じ世田谷区内の、篠崎君のおうちとは反対のはしにある、まだ人家の建ちそろわない、さびしい住宅地だったのです。
車がとまると、小林君と緑ちゃんとは、ふたりのインド人のために、有無をいわせず、客席から引きだされて、そこに建っていた一軒の小さい洋館の中へつれこまれました。
ところが、その洋館の門をはいるとき、小林君はまたしても、みょうなことをしたのです。小林君はそのときまで、うしろにしばられた右手を、ギュッとにぎりしめていましたが、それを、インド人たちに気づかれぬよう、歩きながら少しずつひらいていったのです。
すると、小林君の右手の中から、例の銀色のメダルが、一枚ずつ、やわらかい地面の上へ、音もたてず落ちはじめ、自動車のとまったところから、門内までに、つごう五枚のメダルが、二メートルほどずつ間をへだてて、地面にばらまかれました。
読者諸君、この銀貨のようなメダルは、いったいなんでしょうか。小林君は、どうしてそんなたくさんのメダルを持っていたのでしょうか。また、それをいろいろなしかたで、自動車の通った道路や、洋館の門前に、まきちらしたのには、どういう意味があったのでしょうか。そのわけを、ひとつ想像してごらんください。
インド人たちは、緑ちゃんをひっかかえ、小林君をつきとばすようにして、洋館にはいり、せまい廊下づたいに、ふたりを奥まった部屋へつれこみましたが、見ると、その部屋のすみの床板に、ポッカリと四角な黒い穴があいているのです。地下室への入口です。
「この中へはいりなさい。」
インド人がおそろしい顔つきで命じました。
小林君は両手をしばられて、まったく抵抗力をうばわれているのですから、どうすることもできません。いわれるままに、そこに立てかけてあるそまつなはしごを、あぶなっかしく、地面の穴ぐらへおりていくほかはありませんでした。小林君が、ほとんどすべり落ちるようにして、まっくらな穴ぐらの底に横たわると、インド人のひとりが、はしごの中段までおりて、そこから緑ちゃんの小さいからだを、小林君のたおれている上へ、投げおとしました。
やがて、はしごがスルスルと天井に引きあげられ、穴ぐらの入り口は密閉され、地下室は真のやみになってしまいました。
そのやみの中に、からだの自由をうばわれた、緑ちゃんと小林君とが、折りかさなってたおれているのです。緑ちゃんは顔中を涙にぬらして泣きいっているのですが、さるぐつわにさまたげられ、ウウウ……という、悲しげなうめき声がもれるばかりです。
ああ、かわいそうなふたりは、これからどうなっていくことでしょうか。
少年捜索隊
ちょうどそのころ、篠崎君のおうちの近くの、養源寺の門前を、六人の小学校上級生が、何か話しながら歩いていました。
先頭に立っているのは、篠崎君の親友の、よくふとった桂正一君です。桂君は、学校で篠崎君からこんどの事件のことを聞いたものですから、まず、いとこの羽柴壮二君に電話をかけ、羽柴君から少年探偵団員に伝えてもらって、一同、桂君のところに勢ぞろいをしたうえ、篠崎家を訪問することになったのです。団員のうち三人は、さしつかえがあって、集まったのは六人だけでした。
少年探偵団員たちは、仲間のうちに何か不幸があれば、かならず助けあう、というかたい約束をむすんでいました。いま、団員篠崎始君のおうちは、おそろしい悪魔におそわれています。しかも、それが、このあいだから、東京中をさわがせている「黒い怪物」なのですから、少年探偵団は、もう、じっとしているわけにはいきませんでした。ことに彼らの団長の小林少年が、篠崎君の請いにおうじて、出動したことがわかっているものですから、一同、いよいよ勇みたったのです。「黒い怪物」は、ぜひ、われわれの手でとらえて、少年探偵団の手なみを見せようではないかと、団員は、もう、はりきっているのです。
桂正一君は、養源寺の門前まで来ると、そこに立ちどまって、いつかの晩の冒険について、一同に語りきかせました。読者諸君は、そのとき、黒い怪物が養源寺の墓地の中で、消えうせるように姿をかくしてしまったことを記憶されるでしょう。
「ほんとうにかき消すように見えなくなってしまったんだよ。ぼくは、お化けなんか信じないけれど、墓地の中だろう。それにまっくらな夜だろう、さすがのぼくもゾーッとふるえあがって、やにわに逃げだしてしまったのさ。その墓地っていうのは、この本堂の裏手にあるんだよ。」
桂君はそういいながら、お寺の門内にはいって、本堂の裏手を指さしました。少年たちも桂君といっしょにぞろぞろと門内にはいり、たそがれ時の、ものさびしい境内を、あちこちと見まわしていましたが、最年少の羽柴壮二君が、何を発見したのか、びっくりしたように、桂君の腕をとらえました。
「正一君、あれ、あれ、あすこを見たまえ。なんだかいるぜ。」
ほとんどふるえ声になって、壮二君が指さすところを見ますと、いかにも、門の横のいけがきのそばの低い樹木のしげみの中に、何かモコモコとうごめいているものがあります。それが、どうやら人間の足らしいのです。人間の足が、しげみの中からニューッとあらわれて、まるでいも虫みたいに、動いているのです。
一同それに気づくと、いくら探偵団などといばっていても、やっぱり子どものことですから、ゾッとして立ちすくんでしまいました。おたがいに顔見あわせて、今にも逃げだしそうなようすです。
むりもありません。物の姿のおぼろに見える夕暮れ時、さびしいお寺の境内で、しかも桂君の怪談を聞かされたばかりのところへ、うす暗いしげみの間から、ふいに人間の足があらわれたのですからね。おとなだって、おびえないではいられなかったでしょう。
「よし、ぼくが見とどけてやろう。」
さすがに相撲の選手です。桂正一君は、おびえる一同を、その場に残して、ただひとり、しげみのほうへ近づいていきました。
「だれだっ。そこにかくれているのは、だれだっ。」
大声でどなってみても、相手は少しも返事をしません。といって逃げだすわけでもなく、いも虫のような足が、ますますはげしく動くばかりです。
桂君は、また二―三歩前進して、しげみのかげをのぞきました。そして、何を見たのか、ギョッとしたように立ちなおりましたが、いきなりうしろをふりむくと、一同を手まねきするのです。
「早く来たまえ、人がしばられているんだよ。ふたりの人が、ぐるぐる巻きにしばられて、ころがっているんだよ。」
お化けではないとわかると、団員たちは、にわかに勢いづいて、その場へかけだしました。
見ると、いかにも、そのしげみのかげに、ふたりのおとなが、手と足を、めちゃくちゃにしばられ、さるぐつわまではめられて、よこたわっていました。そのうちのひとりは、着物をはぎとられたとみえて、シャツとズボン下ばかりの、みじめな姿です。
「おや、これは篠崎君とこの秘書だぜ」
桂少年は、そのシャツ一枚の青年を指さしてさけびました。
それから、六人がかりで、なわをとき、さるぐつわをはずしてやりますと、ふたりのおとなは、やっと口がきけるようになって、事のしだいを説明しました。
しばられていたのは、シャツ一枚のほうが篠崎家の秘書今井君、もうひとりの洋服の男は、篠崎家お出入りの自動車運転手でした。
ふたりの説明を聞くまでもなく、もう読者諸君にはおわかりでしょうが、今井君が、主人のいいつけで自動車を呼びに行き、気心の知れた運転手をえらんで、同乗して篠崎家へひっかえす途中、この養源寺の門前にさしかかると、とつぜんふたりの覆面をした怪漢に呼びとめられ、ピストルをつきつけられて、有無をいわせず、しばりあげられてしまったというのです。
そして、その怪漢のひとりが、今井君の洋服をはぎとって、今井君に変装をして、ふたりは、うばいとった自動車にとびのると、そのまま運転をして、どこかへ走りさってしまったのだそうです。
団員たちは、ふたりのおとなといっしょに、ただちに篠崎家にかけつけ、事のしだいを報告しました。それをお聞きになった篠崎君のおとうさま、おかあさまは、もう、まっさおになっておしまいになりました。
ふたりがこんなめにあわされたからには、さいぜんの自動車は、インド人が変装して運転していたのにちがいない。すると、緑ちゃんも小林君も、今ごろは、彼らの巣くつにつれこまれて、どんなひどいめにあっているかわからないのです。
すぐさま警察へ電話がかけられる。まもあらせず、所轄警察署からはもちろん、警視庁からも、捜査係長その他が自動車をとばしてくる、篠崎家は、上を下への大さわぎになりました。
さいわい、自動車の番号がわかっているものですから、たちまち全都の警察へ、その番号の自動車をさがすように手配がおこなわれましたが、しかし、犯人のほうでも、まさかあの自動車を、そのまま門前にとめておくはずはなく、おそらくどこか遠いところへ運転していって、道ばたにすてさったにちがいありませんから、たとえ自動車が発見されたとしても、賊の巣くつをつきとめることは、むずかしそうに思われます。
いっぽう、篠崎始君をくわえた、七人の少年探偵団員は、なるべく、おとなたちのじゃまをしないように、門の前に勢ぞろいをして、いろいろと相談をしていましたが、ぼくたちも、手をつかねてながめていることはない。警察とはべつに、できるだけはたらいてみようではないかということになり、七人が手分けをして、自動車の走りさった方角を、ひろく歩きまわり、例の聞きこみ捜査をはじめることに一決しました。
賊の自動車が、玉川電車の線路を、どちらへまがっていったかということだけは、わかっていましたので、七人は肩をならべて、その方角へ歩いていきましたが、四辻に出くわすたびに、ふたりまたは三人ずつの組になって、枝道へはいっていき、たばこ屋の店番をしているおばさんだとか、そのへんを歩いているご用聞きなどに、こういう自動車を見なかったかと、たんねんに聞きこみをやり、なんの手がかりもないばあいは、またもとの電車道に引きかえして、つぎの四辻をさがすというふうに、なかなか組織的な捜査方法をとって、いつまでもあきることなく、歩きまわるのでした。
地下室
お話かわって、地下室に投げこまれた小林君と緑ちゃんとは、まっくらやみの中で、しばらくは身動きをする勇気もなく、グッタリとしていましたが、やがて目が暗やみになれるにしたがって、うっすらとあたりのようすがわかってきました。それは畳六畳敷きほどの、ごくせまいコンクリートの穴ぐらでした。ふつうの住宅にこんなみょうな地下室があるはずはありませんから、インド人たちが、この洋館を買いいれて、悪事をはたらくために、こっそりこんなものをつくらせたのにちがいありません。壁や床のコンクリートも、気のせいか、まだかわいたばかりのように新しく感じられます。
小林君は、やっと元気をとりもどして、やみの中に立ちあがっていましたが、ただジメジメしたコンクリートのにおいがするばかりで、どこに一つすきまもなく、逃げだす見こみなど、まったくないことがわかりました。
思いだされるのは、いつか戸山原の二十面相の巣くつに乗りこんでいって、地下室にとじこめられたときのことです。あのときは、天井につごうのよい窓がありました。そのうえ七つ道具や、ハトのピッポちゃんを用意していましたので、うまくのがれることができたのですが、こんどは、そんな窓もなく、まさか敵の巣くつにとらわれようとは、夢にも思いませんので、七つ道具の用意さえありません。こんなとき、万年筆型の懐中電燈でもあったらと思うのですが、それも持っていませんでした。
しかし、たとえ逃げだす見こみはなくとも、まんいちのばあいの用意に、からだの自由だけは得ておかねばなりません。
そこで、小林君は、緑ちゃんのそばへうしろ向きによこたわり、少しばかり動く手先を利用して、緑ちゃんのくくわれているなわの結びめをほどこうとしました。
暗やみの中の、不自由な手先だけの仕事ですから、その苦心は、ひととおりでなく、長い時をついやしましたけれど、それでもやっと、目的をはたして、緑ちゃんの両手を自由にすることができました。
すると、たった五つの幼児ですが、ひじょうにかしこい緑ちゃんは、すぐ、小林君の気持を察して、まず、自分のさるぐつわをはずしてから、泣きじゃくりながらも、小林君のうしろにまわり、手さぐりで、そのなわの結びめをといてくれるのでした。
それにも、また長いことかかりましたけれど、けっきょく、小林君も自由の身となり、さるぐつわをとって、ホッと息をつくことができました。
「緑ちゃん、ありがとう。かしこいねえ。泣くんじゃないよ。今にね、警察のおじさんが助けに来てくださるから、心配しなくてもいいんだよ。さあ、もっとこっちへいらっしゃい。」
小林君はそういって、かわいい緑ちゃんを引きよせ、両手でギュッとだきしめてやるのでした。
しばらくのあいだ、そうしているうちに、とつぜん、天井にあらあらしい靴音がして、ちょうど地下室への入り口あたりで立ちどまると、コトコトとみょうな物音がしはじめました。
目をこらして、暗い天井を見あげていますと、はっきりとはわかりませんけれど、天井に小さな穴がひらいて、そこから何か太い管のようなものが、さしこまれているようすです。直径二十センチもある太い管です。
おや、へんなことをするな、いったいあれはなんだろうと、ゆだんなく身がまえをして、なおもそこを見つめているうちに、ガガガ……というような音がしたかと思うと、とつじょとして、その太い管の口から、白いものが、しぶきをたてて、滝のように落ちはじめました。水です。水です。
ああ、読者諸君、このときの小林君のおどろきは、どんなでしたろう。
黒い怪物は、むごたらしくも、緑ちゃんと小林君とを、水責めにしようとしているのです。あのはげしさで落ちる水は、ほどもなく、たった六畳ほどの地下室に、すきまもなく満ちあふれてしまうにちがいありません。やがてふたりは、その水の中で溺死しなければならないのです。
そういううちにも、水は地下室の床いちめんに、洪水のように流れはじめました。もう、すわっているわけにはいきません。小林君は、緑ちゃんをだいて、水しぶきのかからぬすみのほうへ、身をさけました。
水は、そうして立っている小林君の足をひたし、くるぶしをひたし、やがてじょじょに、じょじょに、ふくらはぎのほうへ、はいあがってくるのです。
ちょうどそのころ、少年捜索隊の篠崎君と桂君の一組は、やっとのこと、インド人の自動車が通ったさびしい広っぱの近くへ、さしかかっていました。
この道は、今までのうちで、いちばんさびしいから、念入りにしらべてみなければならないというので、べつだんの聞きこみもありませんでしたけれど、あきらめないで歩いていますと、夕やみの広っぱへはいろうとする少し手前のところで、駄菓子屋の店あかりの前を、七―八歳の男の子が、向こうからやってくるのに出あいました。
「おい、篠崎君、あの子どもの胸に光っている記章を見たまえ。なんだかぼくらのBDバッジに似ているじゃないか。」
桂君のことばに、ふたりが、子どもに近づいてみますと、その胸にかけているのは、まごうかたもなく、少年探偵団のBDバッジでした。
BDバッジというのは、小林君の発案で、ついこのあいだできあがったばかりの探偵団員の記章でした。BDというのは、Boy(少年)とDetective(探偵)のBとDとを模様のように組みあわせて、記章の図案にしたことから名づけられたのです。
「その記章、どこにあったの? どっかでひろいやしなかったの?」
子どもをとらえてたずねてみますと、子どもは取りあげられはしないかと、警戒するふうで、
「ウン、あすこに落ちていたんだよ。ぼくんだよ。ぼくがひろったから、ぼくんだよ。」
と、白い目でふたりをにらみました。
子どもが、あすこでひろったと指さしたのは、広っぱのほうです。
「じゃ、小林さんが、わざと落としていったのかもしれないぜ。」
「ウン、そうらしいね。重大な手がかりだ。」
ふたりは、勇みたってさけびました。
小林少年が考案したBDバッジには、ただ、団員の記章というほかに、いろいろな用途があるのでした。まず第一は、重い鉛でできているので、ふだんから、それをたくさんポケットの中へ入れておけば、いざというときの石つぶてのかわりになる。第二には、敵にとらえられたばあいなどに、記章の裏のやわらかい鉛の面へ、ナイフで文字を書いて、窓や塀の外へ投げて、通信することができる。第三には、裏面の針にひもをむすんで、水の深さを計ったり、物の距離を測定することができる。第四には、敵に誘かいされたばあいに、道にこれをいくつも落としておけば、方角を知らせる目じるしになる。というように、小林君がならべたてたBDバッジの効能は、十ヵ条ほどもあったのです。
団員たちは、ちょうどアメリカの刑事のように、このバッジを洋服の胸の内がわにつけて、何かのときには、そこをひらいてみせて、ぼくはこういうものだなどと、探偵きどりでじまんしていたのですが、その胸の記章のほかに、めいめいのポケットには、同じ記章が二十個から三十個ぐらいずつ、ちゃんと用意してあったのです。
桂君と篠崎君とは、男の子が、そのBDバッジを広っぱの道路でひろったと聞くと、たちまち、今いった、第四の用途を思いだし、小林少年が捜索隊の道しるべとして、落としていったものと、さとりました。
読者諸君は、もうとっくにおわかりでしょう。小林君が自動車の中で、インド人にしばられるとき、ソッとポケットからつかみだして、バンパーのつけねの上においた、百円銀貨のようなものは、このBDバッジにほかならなかったのです。そして、その小林君の目的は、いま、みごとに達せられたのです。
篠崎、桂の二少年は、用意の万年筆型懐中電燈をとりだすと、男の子に教えられた地点へ走っていって、暗い地面を照らしながら、もうほかに記章は落ちていないかと、熱心にさがしはじめました。
「ああ、あった、あった。ここにも一つ落ちている。」
懐中電燈の光の中に、新しい鉛の記章がキラキラとかがやいているのです。
「敵の自動車は、この道を通ったにちがいない。きみ、呼び子を吹いて、みんなを集めよう。」
ふたりはポケットの七つ道具の中から、呼び子をとりだして、息をかぎりに吹きたてました。
夜の空に、はげしい笛の音がひびきわたりますと、まださほど遠くへ行っていなかった残りの五人の少年が、彼らも呼び子で答えながら、どこからともなく、その場へ集まってきました。
「おい、みんな、この道にBDバッジが二つも落ちていたんだ。小林さんが落としていったものにちがいない。もっとさがせば、まだ見つかるかもしれない。みんなさがしてくれたまえ。そして、落ちているバッジをたどっていけば、犯人の巣くつをつきとめることができるんだ。」
桂少年のさしずにしたがって、五人の少年も、それぞれ万年筆型懐中電燈をとりだして、いっせいに地面をさがしはじめました。そのさまは、まるで七ひきのホタルが、やみの中をとびかわしているようです。
「あった、あった。こんなところに、泥まみれになっている。」
ひとりの少年が、少し先のところで、また、一つのバッジをひろいあげてさけびました。これで三つです。
「うまい、うまい。もっと先へ進もう。ぼくらは、こうして、だんだん黒い怪物のほうへ近づいているんだぜ。さすがに小林さんは、うまいことを考えたなあ。」
そして、七ひきのホタルは、やみの広っぱの中を、みるみる、向こうのほうへ遠ざかっていくのでした。
地下室では、もう水が一メートルほどの深さになっていました。
緑ちゃんをだいた小林君は、立っているのがやっとでした。水は胸の上まで、ヒタヒタとおしよせているのです。
天井の管からの滝は、少しもかわらぬはげしさで、ぶきみな音をたてて、降りそそいでいます。
緑ちゃんは、この地獄のような恐怖に、さいぜんから泣きさけんで、もう声も出ないほどです。
「こわくはない、こわくはない。にいちゃんがついているから、大じょうぶだよ。ぼくはね、泳ぎがうまいんだから、こんな水なんてちっともこわくはないんだよ。そして、今におまわりさんが、助けにいらっしゃるからね。いい子だから、ぼくにしっかりつかまっているんだよ。」
しかし、そういううちにも、水かさは刻一刻と増すばかり、小林君自身が、もう不安にたえられなくなってきました。それに、春とはいっても、水の中は身もこおるほどのつめたさです。