ああ、ぼくは緑ちゃんといっしょに、この、だれも知らない地下室で、おぼれ死んでしまうのかしら。道へ探偵団のバッジを落としておいたけれど、もし団員があすこを通りかからなかったら、なんにもなりゃしないのだ。明智先生はどうしていらっしゃるかしら。こんなときに先生が東京にいてくださったら、まるで奇跡のようにあらわれて、ぼくらを救いだしてくださるにちがいないのだがなあ。
そんなことを考えているうちにも、水は、もうのどのへんまでせまってきました。
からだが水の中でフラフラして、立っているのも困難なのです。
小林君は、緑ちゃんを背中にまわして、しっかりだきついているようにいいふくめ、いよいよつめたい水の中を泳ぎはじめました。せめて手足を動かすことによって寒さをわすれようとしたのです。
でもこんなことが、いつまでつづくものでしょう。緑ちゃんという重い荷物をせおった小林君は、やがて力つきておぼれてしまうのではないでしょうか。いや、それよりも、もっと水かさが増して、天井いっぱいになってしまったら、どうするつもりでしょう。そうなれば、泳ごうにも泳げはしないのです。息をするすきもなくなってしまうのです。
消えるインド人
ちょうどそのころ、篠崎始君や、相撲選手の桂正一君や、羽柴壮二君などで組織された、七人の少年捜索隊は、早くもインド人の逃走した道すじを、発見していました。
それは小林君が、インド人に、かどわかされる道々、自動車の上から落としていった、少年探偵団のバッジが目じるしとなったのです。七人の捜索隊員は、夜道に落ち散っている銀色のバッジをさがしながら、いつしか例のあやしげな洋館の門前まで、たどりついていました。
「おい、この家があやしいぜ。ごらん、門のなかにも、バッジが落ちているじゃないか。ほら、あすこにさ。」
目ざとく、それを見つけた羽柴少年が、桂正一君にささやきました。
「ウン、ほんとだ。よし、しらべてみよう。みんな伏せるんだ。」
桂君が手まねきをしながら、ささやき声で一同にさしずしますと、たちまち七人の少年の姿が消えてしまいました。イヤ、消えたといっても魔法を使ったわけではありません。号令いっか、みんながいっせいに、暗やみの地面の上に、腹ばいになって、伏せの形をとったのです。団員一同、一糸みだれぬ、みごとな統制ぶりです。
そして、まるで黒いヘビがはうようにして、七人が洋館の門の中へはいり、地面をしらべてみますと、門から洋館のポーチまでの間に、五つのバッジが落ちているのを発見しました。
「おい、やっぱり、ここらしいぜ。」
「ウン、小林団長と緑ちゃんとは、この家のどっかにとじこめられているにちがいない。」
「早く助けださなけりゃ。」
少年たちは伏せの姿勢のままで、口々にささやきかわしました。
七人のうちで、いちばん身軽な羽柴少年は、ソッとポーチにはいあがって、ドアのすきまからのぞいてみましたが、中はまっくらで、人のけはいもありません。
「裏のほうへまわって、窓からのぞいてみよう。」
羽柴君は、みんなにそうささやいておいて、建物の裏手のほうへはいっていきました。一同、そのあとにつづきます。
裏手へまわってみますと、案のじょう、二階の一室に電燈がついていて、窓が明るく光っています。しかし、二階ではのぞくことができません。
「なわばしごをかけようか。」
ひとりの少年が、ポケットをさぐりながら、ささやきました。少年探偵団の七つ道具の中には、絹ひもで作った手軽ななわばしごがあるのです。まるめてしまえばひとにぎりほどに小さくなってしまうのです。
「いや、なわばしごを投げて、音がするといけない。それよりも肩車にしよう。さあ、ぼくの上へ、じゅんに乗りたまえ。羽柴君は軽いからいちばん上だよ。」
桂正一少年は、そういったかと思うと、洋館の壁に両手をついて、ウンと足をふんばりました。よくふとった相撲選手の桂君は、肩車の踏み台にはもってこいです。つぎには、中くらいの体格の一少年が、桂君の背中によじのぼって、その肩の上に足をかけ、壁に手をついて身がまえますと、こんどは身軽な羽柴君が、サルのようにふたりの肩をのぼり、二番めの少年の肩へ両足をかけました。
ころをはかって、今まで、背をかがめていた桂君と二番めの少年とが、グッとからだをのばしました。すると、いちばん上の羽柴君の顔が、ちょうど二階の窓の下のすみにとどくのです。
まるで軽業のような芸当ですが、探偵団員たちは、日ごろから、いざというときの用意に、こういうことまで練習しておいたのです。
羽柴君は、窓わくに手をかけて、ソッと部屋の中をのぞきました。窓にはカーテンがさがっていましたけれど、大きなすきまができていて、部屋のようすは手にとるようにながめられました。
そこには、いったい何があったのでしょう。かねて予期しなかったのではありませんが、部屋の中のふしぎな光景に羽柴君はあやうく、アッと声をたてるところでした。
部屋のまんなかに、ふたりのおそろしい顔をしたインド人がすわっていました。墨のように黒い皮膚の色、ぶきみに白く光る目、厚ぼったいまっ赤なくちびる、服装も写真で見るインド人そのままで、頭にはターバンというのでしょう、白い布をグルグルと帽子のように巻いて、着物といえば、大きなふろしきみたいな白い布を肩からさげているのです。
インド人の前の壁には、なんだか魔物みたいなおそろしい仏像の絵がかかって、その前の台の上には大きな香炉が紫色の煙をはいています。
ふたりのインド人は、すわったまま、壁の仏像に向かって、しきりと礼拝しているのです。ひょっとしたら、小林少年と緑ちゃんとを、魔法の力で祈り殺そうとしているのかもしれません。
見ているうちに、背中がゾーッと寒くなってきました。これが東京のできごとなのかしら、もしや、おそろしい魔法の国へでも、まよいこんだのじゃないかしら。羽柴君はあまりのきみ悪さに、もう、のぞいている気がしませんでした。
急いであいずをおくると、下のふたりにしゃがんでもらって、地面におり立ちました。そして、やみの中で顔をよせてくる六人の少年たちに、ささやき声で、室内のようすを報告しました。
「いよいよそうだ。あんなにバッジが落ちていたうえに、ふたりのインド人がいるとすれば、ここが、やつらの巣くつにきまっている。」
「じゃ、ぼくたちで、ここの家へふみこんで、インド人のやつをとらえようじゃないか。」
「いや、それよりも、小林団長と緑ちゃんを助けださなくっちゃ。」
「待ちたまえ、はやまってはいけない。」
口々にささやく少年たちをおさえて、桂正一君が、おもおもしくいいました。
「いくら大ぜいでも、ぼくたちだけの力で、あの魔法使いみたいなインド人を、とらえることはできないよ。もし、しくじったらたいへんだからね。だからね、みんなぼくのさしずにしたがって、部署についてくれたまえ。」
桂君はそういって、だれは表門、だれは裏門、だれとだれは庭のどこというように、建物をとりまいて、少年たちで見はりをつとめるようにさしずしました。
「もし、インド人がこっそり逃げだすのを見たら、すぐ、呼び子を吹くんだよ。いいかい。それからね、篠崎君、きみはランニングがとくいだから、伝令の役をつとめてくれないか。この近くの電話のあるところまで走っていってね、きみの家へ電話をかけるんだ。犯人の巣くつを発見しましたから、すぐ来てくださいってね。そのあいだ、ぼくらはここに見はりをしていて、けっしてやつらを逃がしやしないから。」
団長がわりの桂君は、てきぱきと、ぬけめなく指令をあたえました。
篠崎君が、「よしッ。」と答えて、やっぱり地面をはうようにしながら、立ちさるのを待って、残る六人は、それぞれの部署にわかれ、四ほうから洋館を監視することになりました。
しかし、そんなことをしているあいだに、小林君がおぼれてしまうようなことはないでしょうか。水が地下室の天井までいっぱいになってしまうようなことはないでしょうか。ひょっとすると、まにあわないかもしれません。ああ、早く、早く。おまわりさんたち、早くかけつけてください。
それから篠崎君のしらせによって、ちょうど篠崎家に居あわした、警視庁の中村捜査係長が、数名の部下をひきつれ、自動車をとばして、洋館にかけつけるまでに、およそ二十分の時間がすぎました。ああ、その待ちどおしかったこと。
でも、少年捜索隊がさいしょバッジをひろってから、もうたっぷり一時間はたっています。つまり小林君が緑ちゃんをおぶって泳ぎだしてから、それだけの時がすぎさったのです。ああ、ふたりは、まだぶじでいるでしょうか。せっかくおまわりさんたちがかけつけたときには、もうおそかったのではないのでしょうか。
警官たちが到着したのを知ると、桂少年は、やみの中からかけだしていって、中村係長に、「犯人はまだ建物の中にいるにちがいない。だれも逃げだしたものはなかった。」ということを報告しました。
中村係長は、桂君たちの手がらをほめておいて、部下のふたりを建物の裏にまわし、自分は、ふたりの制服警官をしたがえて、ポーチにあがると、いきなり呼びりんのボタンをおすのでした。
二度、三度、ボタンをおしていると、内部にパッと電燈がともり、人の足音がして、ドアのハンドルが動きました。
ああ、さすがのインド人も、とうとう運のつきです。訪問者がおそろしい警官とも知らず、ノコノコ出むかえにやってくるとは。
中村係長は、建物の中にいるのは、ふたりのインド人だけと聞いているものですから、ドアがひらかれると同時に、おどりこんで、犯人をひっとらえようと、捕縄をにぎりしめて待ちかまえていました。
ところが、ドアがパッとひらいてそこに立っていたのは、意外にも、黒いインド人ではなくて、見るからにスマートな日本人の紳士でした。
年のころは三十歳ぐらいでしょうか。ひきしまった色白の顔に、細くかりこんだ口ひげの美しい紳士が、折り目のついた、かっこうのいい背広服を着て、にこにこ笑いながらこちらを見ているのです。
「あなたは?」
中村係長は、めんくらって、みょうなことをたずねました。
「ぼくは、ここの主人の春木というものですが、よくおいでくださいました。じつは、ぼくのほうからお電話でもしようかと考えていたところです。」
ますます意外なことばです。さすがの警部もキツネにでもつままれたような顔をして、
「この家に、ふたりのインド人がいるはずですが……。」
と、口ごもらないではいられませんでした。
「ああ、あなた方は、もう、インド人のことまでご承知なのですか。ぼくはあいつらが、こんな悪人とは知らないで、部屋を貸していたのですが……。」
「すると、ふたりのインド人は、おたくの間借り人だったのですか。」
「そうなんです。しかし、まあ、こちらへおはいりください。くわしいお話をいたしましょう。」
紳士は、そういいながら、先に立って奥のほうへはいっていきますので、中村係長と、ふたりの警官とは、ふしんながらも、ともかくそのあとにしたがいました。
「ここです。ふたりともぶじに救うことができました。ぼくがもう一足おそかったら、かわいそうに命のないとこでした。」
紳士は、またもや、わけのわからぬことをいって、とある部屋のドアをひらくと、警官たちをまねきいれるのでした。
中村係長は紳士のあとについて、一歩、部屋の中にふみこんだかと思うと、意外の光景にハッとおどろかないではいられませんでした。
ごらんなさい。部屋のすみのベッドの中には、かどわかされた緑ちゃんが、スヤスヤとねむっているではありませんか。その枕もとのイスには、小林少年がおとなのナイト・ガウンを着せられて、みょうなかっこうで、こしかけているではありませんか。
「これはいったい、どうしたというのです。」
中村係長は、あっけにとられてさけびました。
「こういうわけですよ。」
紳士は係長にイスをすすめて、事のしだいを語りはじめました。
「ぼくは今、雇い人のコックとふたりきりで、独身生活をしているのですが、きょうは朝から外出していて、つい今しがた帰ってみますと、家の中にだれもいないのです。二階の部屋を貸してあるインド人たちもいなければ、コックの姿も見えません。
どうしたんだろうと、ふしんに思って家中をさがしてみますと、やっと台所のすみでコックを見つけることができましたが、それがおどろいたことには、手足をしばられたうえに、さるぐつわまではめられているのです。
なわをといてやって、ようすをたずねますと、二階のインド人が、どこからか帰ってきて、いきなりこんなめにあわせたというのです。いや、そればかりではありません。コックのいいますには、インド人は、なんだか小さい子どもをつれて帰ったらしい。そして、その子どもを地下室へほうりこんだのではないかと思う。今しがたまで、かすかに子どもの泣き声が聞こえていたと申すのです。
ぼくはおどろいて、すぐさま地下室へ行ってみますと、なんということでしょう。地下室はまるでタンクみたいに水がいっぱいになっていて、その中を、この小林君という少年が、小さいお嬢さんをおぶって泳いでいるじゃありませんか。もう力がつきて、今にもおぼれそうなようすです。
ぼくは、むろんすぐふたりを救いあげましたが、小さいお嬢さんのほうは、ひどく熱をだしているものですから、こうしてベッドに寝かしてあるのです。
それから、この小林君の話で、いっさいの事情がわかりましたので、ぼくは、お嬢さんのおたくと、警察とへ、電話をかけようとしているところへ、ちょうど、あなた方が、おいでくださったというわけです。」
聞きおわった中村係長は、ホッとためいきをついて、
「そうでしたか。いや、おかげさまで、ふたりの命を救うことができて、なによりでした……。しかし、インド人は、たしかにいないのでしょうね。じゅうぶんおさがしになりましたか。」
「じゅうぶんさがしたつもりですが、なお念のために、あなた方のお力で捜索していただいたほうがいいと思いますが。」
「では、もう一度しらべてみましょう。」
そこで係長は裏口へまわしておいたふたりの警官も呼びいれて、五人が手分けをして、おし入れといわず、天井といわず、床下までも、残るところもなく捜索しましたが、インド人の姿はどこにも発見されませんでした。
じつにふしぎというほかはありません。羽柴少年が二階の窓をのぞいてから、警官がつくまでの、わずか二十数分のあいだに、ふたりのインド人は、まるで煙のように消えうせてしまったのです。
建物の外には、六人の少年探偵団員が、注意ぶかく見はりをしていました。インド人は、どうしてその目をのがれることができたのでしょう。
いやいや、やつらは神変ふしぎの魔法使いです。建物の外へ出るまでもなく、あの二階の部屋の中で、何かのじゅ文をとなえながら、スーッと消えうせてしまったのかもしれません。
読者諸君は、黒い魔物が、養源寺の墓地の中で、それからもう一度は、篠崎家の庭園で、かき消すように姿をかくしてしまったことをご記憶でしょう。こんども、それと同じ奇跡がおこなわれたのです。このふたりのインド人にかぎっては、物理学の原理があてはまらないのかもしれません。
むろん、中村係長はただちに、このことを警視庁に報告し、東京全都の警察署、派出所にインド人逮捕の手配をしましたが、一日たち二日たっても、怪インド人はどこにも姿をあらわしませんでした。やつらは姿を消したばかりではなく、飛行の術かなんかで、海をわたって、とっくに本国へ帰ってしまったのではないでしょうか。
四つのなぞ
世田谷の洋館でインド人が消えうせた翌々日、探偵事件のために東北地方へ出張していた明智名探偵は、しゅびよく事件を解決して東京の事務所へ帰ってきました。
帰るとすぐ、探偵は旅のつかれを休めようともしないで、書斎に助手の小林少年を呼んで、るす中の報告を聞くのでした。
小林君は、もうすっかり元気を回復していました。聞けば、緑ちゃんも翌日から熱もとれて、おとうさまおかあさまのそばで、きげんよく遊んでいるということです。
小林君は明智先生の顔を見ると、待ちかねていたように、怪インド人事件のことを、くわしく報告しました。
「先生、ぼくには何がなんだかさっぱりわからないのです。でも、みんなのいうように、あのインド人が魔法を使ったなんて信じられません。何かしら、ぼくたちの知恵では、およばないような秘密があるのじゃないでしょうか。先生、教えてください。ぼくは早く先生のお考えが聞きたくてウズウズしていたんですよ。」
小林君は、明智先生を、まるで全能の神さまかなんかのように思っているのです。この世の中に、先生にわからないことなんて、ありえないと信じているのです。
「ウン、ぼくも旅先で新聞を読んで、いくらか考えていたこともあるがね。そう、きみのようにせきたてても、すぐに返事ができるものではないよ。」
明智探偵は笑いながら、安楽イスにグッともたれこんで、長い足を組みあわせ、すきなエジプトたばこをふかしはじめました。
これは明智探偵が深くものを考えるときのくせなのです。一本、二本、三本、たばこはみるみる灰になって、紫色の煙とエジプトたばこのかおりとが、部屋いっぱいにただよいました。
「ああ、そうだ、きみ、ちょっとここへ来たまえ。」
とつぜん、探偵はイスから立ちあがって、部屋のいっぽうの壁にはりつけてある東京地図のところへ行き、小林少年を手まねきしました。
「養源寺というのは、どのへんにあるんだね。」
小林君は地図に近づいて、正確にその場所をさししめしました。
「それから、篠崎君の家は?」
小林君は、またその場所をしめしました。
「やっぱりぼくの想像したとおりだ。小林君、これがどういう意味かわかるかね。ほら、養源寺と篠崎家とは、町の名もちがうし、ひどくはなれているように感じられるが、裏ではくっついているんだよ。この地図のようすでは、あいだに二―三軒家があるかもしれないが、十メートルとはへだたっていないよ。」
探偵は、何か意味ありげに微笑して、小林君をながめました。
「ああ、そうですね。ぼくもうっかりしていました。表がわではまるで別の町だものですから、ずっとはなれているように思っていたのです。でも、先生、それが何を意味しているんだか、ぼくにはよくわかりませんが。」
「なんでもないことだよ。まあ考えてごらん。宿題にしておこう。」
探偵はそういいながら、もとの安楽イスにもどって、また深々ともたれこみました。
「ところで、小林君、この事件には常識では説明のできないような点がいろいろあるね。それを一つかぞえあげてみようじゃないか、これが探偵学の第一課なんだよ。まず事件の中から奇妙な点をひろいだして、それにいろいろの解釈をあたえてみるというのがね……。
この事件では、まず第一に黒い魔物が、東京中のほうぼうへ姿をあらわして、みんなをこわがらせたね。犯人は、いったいなんの必要があって、あんなばかなまねをしたんだろう。
こんどの犯罪の目的は、篠崎家の宝石をぬすみだすことと、緑ちゃんという女の子をかどわかすことなんだが、黒い魔物がほうぼうにあらわれて、新聞に書かれたりすれば、わたしは、こんなまっ黒な人種ですよ、ご用心なさいと、まるで相手に警戒させるようなものじゃないか。
それから、まだあるよ。黒い魔物はだんだん篠崎家に近づいてきて、そこでも、いろいろと見せびらかすようなまねをしている。そして、人ちがいをして、ふたりまで、よその女の子をかどわかしかけている。
宝石が篠崎家にあるということを、ちゃんと見とおして、わざわざインドから出かけてくるほどの用意周到な犯人に、そんな手ぬかりがあるものだろうか。緑ちゃんという女の子が、どんな顔をしているかくらい、まえもって調べがついていそうなものじゃないか。
小林君、きみは、こういうような点が、なんとなくへんだとは思わないかね。つじつまがあわないとは思わぬかね。」
「ええ、ぼくは、今までそんなこと少しも考えてませんでしたけれど、ほんとうにへんですね。あいつは、わたしはこういうインド人です。こういう人さらいをしますといって、自分を広告していたようなものですね。」
小林君は、はじめてそこへ気がついて、びっくりしたような顔をして、先生を見あげました。
「そうだろう。犯人はふつうならば、できるだけかくすべきことがらを、これ見よがしに広告しているじゃないか。小林君、この意味がわかるかね。」
探偵はそういって、みょうな微笑をうかべましたが、小林君には、先生の考えていらっしゃることが、少しもわからぬものですから、その微笑が、なんとなくうすきみ悪くさえ感じられました。
「第二には、インド人が忍術使いのように消えうせたというふしぎだ。一度は養源寺の墓地で、一度は篠崎家の庭で、それからもう一度は世田谷の洋館で。これはもう、きみもよく知っていることだね。あの晩、洋館のまわりには、六人の少年探偵団の子どもが見はっていたというが、その見はりは、たしかだったのだろうね。うっかり見のがすようなことはなかっただろうね。」
「それは桂君が、けっして手ぬかりはなかったといっています。みんな小学生ですけれど、なかなかしっかりした人たちですから、ぼくも信用していいと思います。」
「表門のみはりをしたのは、なんという子どもだったの。」
「桂君と、もうひとり小原君っていうのです。」
「ふたりもいたんだね。それで、そのふたりは、春木という洋館の主人が帰ってくるのを見たといっていたかね。」
「先生、そうです。ぼく、ふしぎでたまらないのです。ふたりは春木さんの帰ってくるのを見なかったというのですよ。みんなは、まだインド人が二階にいるあいだに、それぞれ見はりの部署についたのですから、春木さんが帰ってきたのは、それよりあとにちがいありません。だから、どうしても桂君たちの目の前を通らなければならなかったのです。まさか主人が裏口から帰るはずはありませんね。しかも、その裏口を見はっていた団員も、だれも通らなかったといっているのです。」
「フーン、だんだんおもしろくなってくるね。きみはそのふしぎを、どう解釈しているの? 警察の人に話さなかったの?」
「それは桂君が中村さんに話したのだそうです。でも、中村さんは信用しないのですよ。ふたりのインド人が逃げだすのさえ見のがしたのだから、春木さんのはいってくるのを気づかなかったのはむりもないって。子どもたちのいうことなんか、あてにならないと思っているのですよ。」
小林君は、少し憤慨のおももちでいうのでした。
「ハハハ……。それはおもしろいね。ふたりのインド人が出ていったのも気づかないほどだから、春木さんのはいってくるのも見のがしたんだろうって? ハハハ……。」
明智探偵は、なぜか、ひどくおもしろそうに笑いました。
「ところでね、きみは春木さんに地下室から助けだされたんだね。むろん、春木さんをよく見ただろうね。まさかインド人が変装していたんじゃあるまいね。」
「ええ、むろんそんなことはありません。しんから日本人の皮膚の色でした。おしろいやなんかで、あんなふうになるものじゃありません。長いあいだいっしょの部屋にいたんですから、ぼく、それは断言してもいいんです。」
「警察でも、その後、春木さんの身がらをしらべただろうね。」
「ええ、しらべたそうです。そして、べつに疑いのないことがわかりました。春木さんは、あの洋館にもう三月も住んでいて、近所の交番のおまわりさんとも顔なじみなんですって。」
「ほう、おまわりさんともね。それはますますおもしろい。」
明智探偵は、なにかしらゆかいでたまらないという顔つきです。
「さあ、そのつぎは第三の疑問だ。それはね、きみが篠崎家の門前で、緑ちゃんをつれて自動車に乗ろうとしたとき、秘書の今井というのがドアをあけてくれたんだね。そのとき、きみは今井君の顔をはっきり見たのかね。」
「ああ、そうだった。ぼく、先生にいわれるまで、うっかりしていましたよ。そうです、そうです。ぼく、今井さんの顔をはっきり見たんです。たしかに、今井さんでした。それが、自動車が動きだすとまもなく、あんな黒ん坊になってしまうなんて、へんだなあ。ぼく、なによりも、それがいちばんふしぎですよ。」
「ところが、いっぽうでは、その今井君が、養源寺の墓地にしばられていたんだね。とすると、今井君がふたりになったわけじゃないか。いや、三人といったほうがいいかもしれない。墓地にころがっていた今井君と、自動車のドアをあけて、それから助手席に乗りこんだ今井君と、自動車の走っているあいだに黒ん坊になった今井君と、合わせて三人だからね。」
「ええ、そうです。ぼく、さっぱりわけがわかりません。なんだか夢をみているようです。」
小林君には、そうして明智探偵と話しているうちに、この事件のふしぎさが、だんだんはっきりわかってきました。もう魔法をけなす元気もありません。小林君自身が、えたいのしれない魔法にかかっているような気持でした。
「小林君、思いだしてごらん。その自動車の中でね、きみは、ふたりのインド人の首すじを見なかったかね。向こうをむいている運転手と助手の首すじを見なかったかね。」
探偵が、またみょうなことをたずねました。
「首すじって、ここのところですか。」
小林君は、自分の耳のうしろをおさえてみせました。
「そうだよ。そのへんの皮膚の色を見なかったかね。」
「さあ、ぼく、それは気がつきませんでした。ああ、そうそう、ふたりとも鳥打ち帽をひどくあみだにかぶっていて、耳のうしろなんかちっとも見えませんでした。」
「うまい、うまい、きみはなかなかよく注意していたね。それでいいんだよ。さあ、つぎは第四の疑問だ。それはね、犯人は緑ちゃんをなぜ殺さなかったか、ということだよ。」
「え、なんですって。やつらはむろん殺すつもりだったのですよ。ぼくまでいっしょにおぼれさせてしまうつもりだったのですよ。」
「ところが、そうじゃなかったのさ。」
探偵は、また意味ありげにニコニコと笑ってみせました。
「よく考えてごらん。インド人たちはコックをしばったけれど、主人の春木さんにたいしてはなんの用意もしなかったじゃないか。春木さんは外出していて、いつ帰るかわからないのだよ。そして、帰ってくればコックの報告を聞いて、地下室のきみたちを、助けだすかもしれないのだよ。もし助けだされたら、せっかくの苦心が水のあわじゃないか。それをまるで気にもしないで、緑ちゃんの最期も見とどけないで、逃げだしてしまうなんて、あの執念ぶかさとくらべて考えてみると、おかしいほど大きな手落ちじゃないか。現に、こうして、きみも緑ちゃんも助かっているんだからね。インド人たちはなんのために、あれだけの苦労をしたのか、まるでわけがわからなくなるじゃないか。
小林君、わかるかね、この意味が。犯人はね、緑ちゃんを殺す気なんて、少しもありゃしなかったのだよ。ハハハ……、おもしろいじゃないか。みんなお芝居だったのだよ。」
探偵はまた、さもゆかいらしく笑いだしましたが、小林君には、その意味が少しもわからないのです。いったいぜんたい先生は何を考えていらっしゃるのだろう。それを思うと、なんだかこわくなるようでした。
「さあ、小林君、この四つの疑問をといてごらん。これを四つともまちがいなくといてしまえば、こんどの事件の秘密がわかるのだよ。ぼくもそれを完全にといたわけじゃない。これからたしかめてみなければならないことが、いろいろあるんだよ。しかし、ぼくには今、この事件の裏にかくれて、クスクス笑っているお化けの正体が、ぼんやり見えているんだよ。
ぼくは、こんなに、ニコニコしているけれど、ほんとうはそのお化けの正体に、ギョッとしているんだ。もし、ぼくの想像があたっていたらと思うと、あぶら汗がにじみだすほどこわいのだよ。」
明智探偵は、ひじょうにまじめな顔になって、声さえ低くして、さもおそろしそうにいうのでした。
その顔を見ますと、小林君はゾーッと背すじが寒くなってきました。なんだかそのお化けが、うしろからバアーといって、とびだしてくるような気さえするのです。
「ところでね、小林君、もう一つ思いだしてもらいたいことがあるんだが、きみはさっき、春木さんの顔をよく見たといったね。そのとき、もしやきみは……。」
探偵はそこまでいうと、いきなり小林君の耳に口をよせて、なにごとかヒソヒソとささやきました。
「エッ、なんですって?」
それを聞くと、小林少年の顔がまっさおになってしまいました。
「まさか、まさか、そんなことが……」
小林君はほんとうにお化けでも見たように、そのお化けがおそいかかってくるのをふせぎでもするように、両手を前にひろげて、あとじさりをしました。
「いや、そんなにこわがらなくってもいい。これは、ぼくの気のせいかもしれないのだよ。ただね、今あげた四つの疑問をよく考えてみるとね、みんなその一点を指さしているように思えるのだよ。だが、たしかめてみるまでは、なんともいえない。ぼくはきょうのうちに、一度、春木さんと会ってみるつもりだよ。春木さんの電話は何番だったかしら。」
それから、明智探偵は電話帳をしらべて、春木氏に電話をかけるのでした。
読者諸君、名探偵が小林君の耳にささやいたことばは、いったい、どんなことがらだったのでしょう。それを聞いた小林君は、なぜ、あれほどの恐怖をしめしたのでしょう。
明智探偵は、四つの疑問をといていけば、しぜんそのおそろしい結論に達するのだといいました。諸君は、こころみにそのなぞをといてごらんなさるのも一興でしょう。しかし、こんどのなぞは、ずいぶん複雑ですし、その答えがあまりに意外なので、そんなにやすやすとはとけないだろうと思います。つぎの章はそのなぞのとけていく場面です。そして、ゾッとするようなお化けが、正体をあらわす場面です。
さかさの首
明智探偵は、ふたりのインド人に部屋を貸していた洋館の主人春木氏に、一度会っていろいろきいてみたいというので、さっそく同氏に電話をかけて、つごうをたずねますと、昼間は少しさしつかえがあるから、夜七時ごろおいでくださいという返事でした。
探偵は電話の約束をすませますと、すぐさま事務所を出かけました。春木氏に会うまでに、ほかにいろいろしらべておきたいことがあるからということでした。
小林少年は、ぜひ、いっしょにつれていってください、とたのみましたが、きみは、まだつかれがなおっていないだろうからと、るす番を命じられてしまいました。
それから明智探偵が、どこへ行って、何をしたか、それはまもなく読者諸君にわかるときがきますから、ここには記しません。その夜の七時に、探偵が春木氏の洋館をたずねたところから、お話をつづけましょう。
青年紳士春木氏は、自分で玄関へ出むかえて、明智探偵の顔を見ますと、ニコニコと、さもうれしそうにしながら、
「よくおいでくださいました。ご高名は、かねてうかがっております。いつか一度お目にかかってお話をうけたまわりたいものだとぞんじておりましたが、わざわざおたずねくださるなんて、こんなにうれしいことはありません。さあ、どうか。」
と、二階のりっぱな応接室に案内しました。
ふたりは、テーブルをはさんで、イスにかけましたが、初対面のあいさつをしているところへ、三十歳ぐらいの白いつめえりの上着を着た召し使いが、紅茶を運んできました。
「わたしは、妻をなくしまして、ひとりぼっちなんです。家族といっては、このコックとふたりきりで、家が広すぎるものですから、あんなインド人なんかに部屋を貸したりして、とんだめにあいました。でも、たしかな紹介状を持ってきたものですから、つい信用してしまいましてね。」
春木氏は、立ちさるコックのうしろ姿を、目で追いながら、いいわけするようにいうのでした。
それをきっかけに、明智探偵は、いよいよ用件にはいりました。
「じつは、あの夜のことを、あなたご自身のお口から、よくうかがいたいと思って、やってきたのですが、どうも、ふにおちないのは、ふたりのインド人が、わずかのあいだに消えうせてしまったことです。
もう、ご承知でしょうが、子どもたちがむじゃきな探偵団をつくっていましてね。あの晩、中村係長たちが、ここへかけつける二十分ほどまえに、その子どもたちが、どの部屋ですか、ここの二階にふたりのインド人がいることを、ちゃんと、たしかめておいたのです。それが、警官たちよりも早くあなたがお帰りになったときに、もう、家の中にいなくなっていたというのは、じつにふしぎじゃありませんか。
そのあいだじゅう、六人の子どもたちが、おたくのまわりに、げんじゅうな見はりをつづけていたのです。表門はもちろん、裏門からでも、あるいは塀を乗りこえてでも、インド人が逃げだしたとすれば、子どもたちの目をのがれることはできなかったはずです。」
すると、春木氏はうなずいて、
「ええ、わたしも、その点が、じつにふしぎでしかたがないのです。あいつらは、何かわれわれには想像もできない、妖術のようなものでもこころえていたのではないでしょうか。」
と、いかにも、きみ悪そうな表情をしてみせました。
「ところが、もう一つ、みょうなことがあるのですよ。あなたがお帰りになったのは、子どもたちがインド人がいることをたしかめてから、警官がくるまでのあいだでしたね。すると、そのときはもう、子どもたちは、ちゃんと見はりの部署についていたはずなのですが……、あなたは、むろん表門からおはいりになったのでしょうね。」
「ええ、表門からはいりました。」
「そのとき、表門には、ふたりの子どもが番をしていたのですよ。その子どもたちを、ごらんになりましたか。門柱のところに、番兵のように立っていたっていうのですが。」
「ほう、そうですか。わたしはちっとも気がつきませんでしたよ。ちょうどそのとき、子どもたちがわきへ行っていたのかもしれませんね。げんじゅうな見はりといったところで、なにしろ年はもいかない小学生のことですから、あてにはなりませんでしょう。」
「ところが、子どもというものはばかになりませんよ。何かに一心になると、おとなのように、ほかのことは考えませんからね。ぼくはこういうばあいには、おとなよりも子どものほうが信用がおけると思います。