怪奇四十面相
江戸川乱歩
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二十面相の改名
「透明怪人」の事件で、名探偵、明智小五郎に、正体を見やぶられた怪人二十面相は、そのまま警視庁の留置場に入れられ、いちおう、とりしらべをうけたのち、未決囚として東京都内のI拘置所に、ぶちこまれてしまいました。
二十面相といえば、これまでに、なんどとなく、牢やぶりをして、逃げだした怪物ですから、拘置所でも、とくべつの注意をして、もっとも、見はりにつごうのよい、げんじゅうな独房(ほかの人といっしょにしないで、ひとりだけ入れておく牢屋)をえらび、ふつうの見はりのほかに、ふたりの看守が、交代で、夜も昼も、たえまなく、その独房のまえに、立ちばんをすることになりました。
なにしろ、「透明怪人」という、とほうもない大事件の犯人が、みごとにつかまり、しかも、その犯人が怪人二十面相と、わかったのですから、世間は、もう、このうわさで、もちきりです。新聞も、怪人がつかまったいきさつを、くわしく書きたてますし、人がふたりよれば、お天気のあいさつのかわりに、二十面相の話をするという、ありさまです。
名探偵、明智小五郎の名声は、この大とり物によって、いやがうえにも高くなり、「透明怪人」をとらえた、日本のシャーロック・ホームズとして、西洋の新聞にも、明智のてがらばなしが、大きくのせられたほどです。
この人気をあてこんで、二つの映画会社が、「透明怪人」事件の映画をつくることになりましたが、芝居のほうでも、日比谷と、浅草の二つの劇場で、「透明怪人」劇が上演されるというさわぎでした。
ところが、二十面相が拘置所に入れられてから、五日めのことです。東京でも、いちばん読者の多い「日本新聞」に、つぎのような記事がデカデカとのせられ、世間をアッとおどろかせました。
「四十面相」と改名
いよいよ大事業にのりだす
拘置所内の二十面相から本紙によせた不敵の宣言
きのう午後二時、I拘置所内の二十面相から左のような奇怪な投書が、本社編集局に配達された。I拘置所に問いあわせると、係官がすこしも知らないうちに、なにかふしぎな手段によって、この投書を郵送したことがあきらかとなった。二十面相は係官にむかって、「おれは大奇術師だ。牢屋から、だれにも知られないで、手紙をだすくらいは、あさめしまえだよ。」と、うそぶいていたという。つぎはその投書の全文である。
『わたしは明智小五郎にまけた。しかし、これで、かぶとをぬいでしまったわけではない。ちかく再挙をはかることは、もちろんだ。奇術師のわたしには、どんなあつい扉も、どんなげんじゅうな錠まえも、すこしも、やくにたたないのだ。わたしは、いつでも出たいときに、拘置所を出られる。
しかし、そのまえに、世間に知らせておきたいことがある。それは、わたしの名まえについてだ。世間では、わたしを二十面相と呼んでいるが、わたしは大不平だ。わたしの顔は、たった二十ぐらいではない。その倍でも、まだ、たりないほどだ。もっとも少なく見ても、わたしは、四十以上の、まったくちがった顔を、もっているつもりだ。そこで、わたしは、これから、四十面相と、なのることにした。二十面相を卒業して四十面相になったのだ。こんどは、わたしを四十面相と呼んでもらいたい――。さて、改名のてはじめに、わたしは、いままでに、いちども手がけなかったような、大事業にとりかかるつもりだ。それが、どんな事業だかは、また、あらためて通信する。』
この記事を読んだ世間の人々が、アッとぎょうてんしたことはいうまでもありません。しかし、いちばんおどろいたのは、I拘置所長です。未決囚から、かってに、新聞社へ手紙なぞだされては、拘置所というものは、ないもどうぜんです。拘置所ばかりでなく、検察庁や警察の名誉にもかかわるわけです。
そこでI拘置所長は、部下をしかりつけて、もんだいの投書が、どうして、そとへもちだされたのか、そのすじみちを、手をつくしてしらべさせましたが、すこしもわかりません。じつにふしぎです。ほんとうに、魔法でもつかわなければ、そんなことができるはずはないのです。
拘置所では、ふたたび、そんなことがおこらないように、いよいよ、見はりを、げんじゅうにしました。
ところが、それから二日ののちには、またしても、おなじ「日本新聞」に、四十面相の第二の投書が発表されたのです。
四十面相の新事業
「黄金どくろ」の秘密
I拘置所からふたたび通信
I拘置所にとじこめられている四十面相は、前回の投書にひきつづいて、またもや、左のような第二の通信を、本社に送ってきた。こんども、I拘置所では、この手紙が出された方法については、想像さえできないと言っている。
『前回のわたしの通信を、貴紙にのせてくださったことを感謝する。つづいて、ここに第二の通信をおくる。まえの通信に、あたらしい事業に着手すると書いたが、その事業の一部分を、読者に知らせておきたい。
わたしの新事業とは“黄金どくろ”の秘密を、あばくことである。それ以上くわしいことは、いまは言えないが、もし、わたしが、その秘密を発見することができたならば、日本じゅうを、いや、世界じゅうをおどろかすような、大事件となることを、確信をもって、予告する。
それには、まず、このI拘置所を脱出しなければならない。だが、その日も、目のまえにせまっている。わたしは、やすやすと、牢やぶりをしてみせる。そのかどでにあたって、本紙読者諸君の健康をいのるものである。』
ああ、なんという、ぼうじゃくぶじんの言いぐさでしょう。拘置所の囚人が、まもなく牢やぶりをするぞと、言いふらしているのです。
この記事を読んだ世間は、ふたたび、わきかえりました。拘置所でも、よういならぬじたいとみて、いよいよ警戒をげんじゅうに、四十面相の独房には、ピストルで武装した五人の看守が、すこしもゆだんなく、見はりをつづけることになりました。
それにしても、四十面相のやることは、とんと、がてんがいきません。牢やぶりをするぞと、新聞に書けば、ますます、見はりが、げんじゅうになるばかりではありませんか。自分で、自分を、しばっているようなものです。
ところが、あとになって考えてみますと、それが、じつは、大奇術師の秘密の「手」であったことがわかりました。四十面相が、新聞にあんな投書をしたのは、なにも名誉心のためではありません。あれは牢やぶりに、ぜひとも必要な、てだてにすぎませんでした。ああ、なんということでしょう。怪人四十面相の、わるぢえは、まったく、おくそこが、知れないほどです。
弁護士の帽子
「日本新聞」に四十面相の第二の通信がのったあくる日、I拘置所長のところへ、四十面相事件のかかりの木下検事から、電話がかかってきました。
いま、そちらへ、明智探偵がゆくから、四十面相に面会させるように、ということでした。
所長はそれを聞くと、なんとなくホッとしました。四十面相が牢やぶりを宣言しているさいに、かれをとらえた名探偵が、来てくれるというのは、ねがってもないことでした。
まつほどもなく、明智探偵の自動車が、拘置所の玄関に、着いたので、所長は明智を、ていねいに、自分の部屋へあんないさせました。
「いや、じつは、わたしのほうから、おいでをねがいたいと、思っていたところです。四十面相のやつは、あの新聞社への手紙を、げんじゅうな独房のなかから、どうして送るのか、そのやりかたが、まったく、わからないのです。このうえは、もう、あなたにでもおしらべねがうほかはないと、考えていたのですよ。」
明智は、それに答えて、
「ぼくも、そのことで、おたずねしたのです。木下検事にたのまれてね。ねんのために、裁判所の面会許可証も、用意してきました。これをごらんください。一度、ぼくを、四十面相に、あわせてくださいませんか。ぼくが話をすれば、あるいは、あいつの秘密が、わかるかもしれません。」
この明智のことばを、所長は、まちかねていたように、
「どうか、おねがいします。わたしとしては、どんなことがあっても、あいつの脱獄をふせがねばなりません。ひとつ、よい知恵を、おかしください。」
そこで、所長は看守長をよんで、明智をひきあわせ、できるだけ、べんぎをはかるように言いつけ、看守長は、さっそく、明智を、四十面相の独房へ、あんないしました。
ふつうなれば、面会室へよびだして、話をするのですが、あいては魔術師のようなやつですから、独房から一歩でも、そとへ出すのは、あぶないので、明智のほうから独房へはいって、話すことにしたのです。
独房のまえには、腰にピストルをつけた五人の看守が、いかめしく、番をしていました。看守長はそのひとりに命じて、かぎで独房の扉を、ひらかせました。明智は看守長にむかって、
「では、しばらく、あいつと、さしむかいで話したいとおもいますから、看守のかたたちを、すこし、はなれたところへ、遠ざけてくれませんか。」
「しょうちしました。では、われわれは、廊下のむこうのほうで、おまちしていますから。」
看守長は、五人の看守といっしょに、独房のまえをはなれ、廊下のはじに、ひきさがります。明智はひとりで、独房にはいり、中から扉をしめました。いよいよ、四十面相と名探偵の、さしむかいです。
看守長は、もし、ふたりのあいだに、あらそいでもおこったら、かけつけるつもりで、耳をすましていましたが、独房の中からは、ひくい話しごえが、とだえがちに、もれてくるばかりでした。
そして、二十分ほども、たったでしょうか、ふたたび、扉がひらいて、明智探偵が、にこにこしながら、廊下に、すがたをあらわしました。
「すみました。どうか、かぎをかけてください。」
五人の看守は、独房のまえの、もとの位置につき、中に四十面相がいることを、たしかめたうえ、ひとりが、扉にかぎをかけました。
明智と看守長は、そのまま、所長室にもどり、明智は、まちかねていた所長のまえに腰をかけると、すぐに、話しはじめるのでした。
「四十面相が、通信をする秘密は、わかりました。弁護士が共犯者ですよ。」
所長はおどろいて、
「エッ、弁護士ですって? あれの弁護士は鈴木君です。わたしは鈴木君とは長年の親友ですが、けっして、そんな、悪いことをする男じゃない。なにかの、まちがいではありませんか。」
「いや、弁護士が悪いのではありません。本人がすこしも知らないまに、四十面相の通信係を、つとめていたのです。四十面相は、フランスの紳士盗賊、アルセーヌ・ルパンのまねをしたのですよ。
弁護士だけは、いつでも、自由に、未決囚と面会することができるし、未決囚のほうから、すきなときに、弁護士をよぶこともできます。しかも、弁護士にかぎって、立会人がつきません。ふたりきりで話ができるのです。四十面相は、それを利用したのですよ。
鈴木弁護士は、いつもソフト帽をかぶってくるそうですね。そして、独房の中で話をするときには、それを、横の台の上に、のせておくのです。四十面相は、弁護士がわきみをしているすきに、そのソフトの下に手をいれ、うちがわのビン皮のなかへ、小さくたたんだ紙きれをいれておきます。ごく、うすい紙で、それに、こまかい字で、手紙が書いてあるのです。弁護士は、すこしも知らないで、そのソフトをかぶって、事務所にかえります。すると、弁護士の書生にすみこんでいる、四十面相の部下が、ソフトのビン皮のなかをしらべて、手紙をとりだすという、じゅんじょです。
部下のほうから四十面相に通信するときも、同じやりかたで、弁護士のソフト帽がつかわれます。
つまり、鈴木弁護士の帽子は、郵便配達のカバンのやくを、つとめていたわけですよ。」
これを聞いた所長と看守長は、あいた口が、ふさがりませんでした。
「フーン、弁護士の帽子とは、考えたな。よろしい、さっそく、このことを鈴木君に知らせます。そして、書生に化けている部下を、ひっくくってしまいます。しかし、明智さん、あなたは、よくそこまでおわかりになりましたね。あいつが、うちあけたのですか。」
「そうです。あいつの口から、きいたのです。四十面相とは、ながいあいだの、つきあいですからね。あいつのやりくちは、たいてい、わかっているのです。ぼくは、ルパンのまねじゃないか、と思ったので、『弁護士の帽子だね。』と、言ってやりました。すると、あいつはニヤリと笑って、うなずいてみせたものですよ。悪人も四十面相ほどのやつになると、みれんらしく、かくしだてなんか、しないものです。」
明智が話しおわると、所長は、ていねいに頭をさげて、
「ありがとう。おかげで、あいつの通信のみちをたつことができます。ですが、明智さん、脱獄のほうはだいじょうぶでしょうか。あいつには、われわれの思いもよらない、牢やぶりの手があるのじゃないでしょうか。」
「それは、わかりませんね。ルパンも脱獄したことがあります。あいつは、その手をもちいるかもしれませんよ。」
「それはどんな方法です。参考のために、きかせてください。なんとしても、脱獄だけはふせがなくてはなりません。」
「それでは、あとから、怪盗ルパンの伝記を、おとどけしましょう。その伝記のなかの『ルパンの脱獄』というのをお読みになれば、わかりますよ。」
明智はそういって、なぜか、ニヤリと、ふしぎな笑いをもらしました。
小林少年
それから、まもなく、明智探偵は、所長と看守長の見おくりをうけて、拘置所を出ると、またせてあった自動車にのりました。
その自動車には、運転手のとなりに、十四、五歳の少年助手が、チョコンと腰かけています。茶色のセーターをきて、小さな鳥打帽をかぶり、顔はあぶらで黒くよごれていますが、なんとなく、かわいらしい少年です。
自動車は矢のように走っています。しかし、ふしぎなことに、明智探偵事務所とは、まるでちがった方角です。日比谷から有楽町のほうにまがって、やがて、とまったところは、世界劇場の楽屋口でした。
明智探偵は、車をおりると、まるで、そこが、自分のうちででもあるように、世界劇場の楽屋口へ、はいっていきます。すると、運転助手の、まっ黒な顔をした少年も、明智のあとを追って、チョコチョコと楽屋口に走りより、その中へ、すがたをけしました。
楽屋口をはいって、階段を二つのぼったところに「村上時雄」と書いた木札のかかった部屋があります。明智がこの部屋のドアをあけると、中から、ひとりの俳優らしい青年が顔をだして、「おかえりなさい。」と、あいさつしました。
明智探偵が、劇場の楽屋へ来たのに、「おかえりなさい。」とは、なんだか、へんなあいさつではありませんか。ところが、そのつぎには、もっと、ふしぎなことが、おこりました。
明智は「村上時雄」の部屋にはいると、正面においてある鏡のまえに、ドッカと、あぐらをかいたのです。すると、さっきの青年が、うやうやしく、お茶をもってきます。明智はそのお茶をすすりながら、
「やっと、まにあったね。ぼくの出まで、何分ある?」
とたずねます。
「あと十分です。」
「よし、服装はこのままでいいね。ちょっと、明智役の書きぬきを見せてくれ。すこし、せりふを、かえたいところがあるんだ。」
といって、青年のさしだす脚本の書きぬきをうけとり、ねっしんに読みはじめました。
読者諸君、これはいったい、どうしたことでしょう。名探偵、明智小五郎が、楽屋の鏡のまえにすわって、まるで役者のように、せりふの書きぬきを読んでいるのです。明智は、気でもちがったのでしょうか。
いや、このなぞは、諸君が一度、世界劇場のおもてに、まわってみれば、すっかり、とけるのです。
劇場の正面に、大きな看板が出ています。それには一メートル四方ほどの字で、
と、書いてあります。つまり、世間をさわがせた「透明怪人」の事件を、芝居にしくんで、いま、この世界劇場で、上演しているのです。その看板の、横のほうには、
名探偵明智小五郎
透明怪人・二役主演
村上時雄
と、大きく書いてあります。村上時雄というのは、この一座の主役俳優なのです。そして、その村上が、透明怪人と明智探偵を、はやがわりで演じるわけなのです。
すると、いま楽屋にはいった明智探偵は、じつは村上時雄なのでしょうか。かれを出むかえた青年は村上の弟子らしいのですが、その弟子が、すこしも、うたがっていないところをみると、これはもう、明智の役にふんした村上に、ちがいありません。
さあ、わからなくなってきました。拘置所をたずねて、四十面相に面会したのは、たしかに、この明智です。それが、じつは村上時雄という役者だったとすると、いったい、どういうことに、なるのでしょうか。
さて、もう一度、楽屋のほうにもどります。明智探偵にふんした村上時雄は、書きぬきを読みおわると、鏡にむかって、ちょっと顔をなおしてから、ひとりで部屋を出て、うすぐらい廊下を、舞台へおりる階段のほうへ、歩いていきます。
ところが、そのとき、みょうなことが、おこりました。見ると、村上の五メートルほどあとから、小さな人かげが、ソッと尾行しているではありませんか。それは、さっきの自動車運転助手の、かわいらしい少年です。
村上は、それともしらず、せまい階段を、トントンとおりていきます。少年は、かげのように、そのあとをつけるのです。そして、階段を半分ほどおりたとき、少年のふんだ階段の板が、ギーッと大きな音をたてました。少年はハッとして、立ちどまりましたが、さきにたつ村上は、べつに気づいたようすもありません。
少年は、二度と音をたてないように、用心ぶかく階段をおりて、下の廊下に立ちました。そして、なおも尾行をつづけようとしていますと、そのとき、とつぜん、むこうをむいて歩いていた村上が、とつぜん、クルッと、こちらをむきました。
逃げだすひまも、なにもありません。村上はパッと少年にとびかかって、いきなり、そのからだを、だきすくめてしまいました。
「さわぐんじゃない。大きな音をたてると、しめころしてしまうぞ。さあ、白状しろ、きさま、なにものだ。なぜ、おれのあとをつけるんだ。おやッ、きさま、さっきの自動車の助手だな。ハハア、すると、おれがここを出たときから、つけてたんだな。」
明智のふんそうをした村上は、小声で、そんなことを言いながら、少年のからだをグイグイと、階段の下の暗やみの中へ、押していきます。少年は、されるままになって、ひとことも口をききません。
「フフン、わかったぞ。きさま、明智の助手の小林だな。顔に墨などぬって、ごまかしているが、おれには、ちゃんとわかるんだ。明智のさしずで、おれのあとをつけたんだろう。きさま、それじゃあ、なにもかも知っているなッ。」
村上は、いまにもくいつきそうな、おそろしい顔をして、少年をにらみつけました。
「知っているよ。」
少年は、しずかな声で、はじめて、口をききました。
「フーン、それじゃあ、おれの正体もか。」
「そうだよ。きみは村上時雄じゃない。いま、拘置所から、脱獄してきたばかりの、二十面相、いや、四十面相だッ。」
小林少年は、ズバリと、言ってのけました。
怪人対小林少年
それをきくと、あいては、ギョッとしたように、小林君をつかんでいた手をゆるめましたが、たちまち、気をとりなおして、うすきみ悪く、ニヤニヤと、笑いだすのでした。
「ウフフフ……、えらい、えらい、きみはりこうだねえ。探偵の助手にしておくのはおしいくらいだ。おれも、きみのような弟子がほしくなったよ……。ところで、おれが四十面相だったら、きみはどうしようと、言うんだね。」
そして、明智探偵のふんそうをした四十面相の顔が、グーッと小林の目のまえにせまり、両腕が小林君の肩を、おそろしい力で、しめつけてくるのでした。でも、小林君はへいきです。
「どうもしないよ。もう、この劇場は、警官隊に、とりかこまれているんだよ。きみは、いまに、つかまるばかりだよ。」
「ウヌッ、それじゃ、きさまは。」
さすがの四十面相も、サッと顔色がかわったようです。
「きみが楽屋にいるあいだに、ぼくが明智先生に電話をかけたんだよ。そして、先生からすぐに警察へれんらくしたので、いまごろは、世界劇場のまわりは、おまわりさんに、とりかこまれているはずだよ……。それで、きみ、どうするの? もう、とても逃げられやしないよ。」
そのとき、四十面相は、すっかり、どきょうをきめたようにみえました。かれは、この危急のばあいに、おちつきはらって、ニヤニヤ笑いだしたのです。そして、大きなてのひらで、小林少年の頭を、さもかわいいといわぬばかりに、なでているのです。なんという、おくそこのしれない怪物でしょう。
「警官隊が、この劇場をとりまいているというのかい。ハハハ……、ゆかいだねえ。おれは、こういう冒険が三度のめしよりも、すきなんだよ。小林君、見ててごらん。おれは、かならず、逃げてみせる。みごとに、やってのけるよ。まあ、ゆっくり見物したまえ。」
「で、どうするの?」
「これから舞台へ出て、芝居をやるのさ。」
明智のふんそうをした四十面相は、小林少年をつきはなすと、そのままあとも見ないで、舞台のほうへ立ちさるのでした。ちょうど、そのとき、「透明怪人」劇に明智のやくが、登場する時間がきていたからです。
ああ、なんという大胆不敵、警官隊が劇場をかこみ、ジリジリとその輪をせばめているというのに、かれは舞台に出て、満員の見物の前で、芝居を演じようというのです。かれは、はたして、この難局を、うまく切りぬける自信があるのでしょうか。
こうして、全日本をおどろかせた、あの世界劇場の大活劇がいよいよ、はじまろうとしているのです。
劇場のとり物
そのとき、世界劇場の見物席は、一階も二階も三階も、われかえるような満員でした。あれほど、世間をさわがせた「透明怪人」の芝居ですから、めずらしさにかられた人々が、われもわれもと、おしかけて、毎日、切符売場には長い行列がつづくのです。
舞台では「透明怪人」劇が、最高潮にたっしていました。場面は、れいの大防空ごうのなかの、二十面相のかくれがです。背景には、いちめん岩窟の道具だて、そのまんなかに、一つの部屋があり、ふしぎなかたちの機械や、化学実験の道具などが、ところせまく、ならんでいます。
芝居のすじは、じっさいの事件とは、すこしちがって、その部屋へ、明智探偵に化けた二十面相があらわれ、この事件の捜査主任の中村係長が、その正体を見やぶるということになっています。
小林少年を、うす暗い廊下にのこして、舞台にいそいだ四十面相は、いましも、実験室の入り口から、ヌーッとすがたをあらわしました。いうまでもなく、明智小五郎のふんそうです。しかし、見物はそれが、あのおそろしい四十面相だなどとは、すこしも知りません。俳優の村上時雄だと思いこんでいます。有名なモジャモジャ頭のカツラに、あかるい空色の背広を着た明智があらわれると、見物席ぜんたいにわれるような、はくしゅがおこりました。
しばらくすると、舞台の実験室の、べつの入り口から、背広すがたの中村捜査係長が、はいってきました。むろん、これも俳優がふんした中村係長です。にせ明智は、それを見ると、ふいをつかれて、ハッとしたように身がまえをします。中村係長は、ツカツカと、そのまえに近づき、右手をあげて、あいての顔を、まっこうから指さしながら、いきなり、どなりつけるのでした。
「きさま、よくも、化けたな。」
「なに、化けたとは?」
にせ明智は、わざと、いぶかしそうに、聞きかえします。
「きさまは、明智探偵ではない、透明怪人の首領だろう。警察では、もうすっかりわかっているのだ。こんどこそ、逃がさないぞ。」
中村係長は、さけびながら、部屋の入り口にむかって、あいずをします。すると、そこから、五人の制服警官が、とびだしてきて、サッと、にせ明智のまわりをとりかこみました。それを見ると、にせ明智は、さもおかしそうに、大きな声で笑いだしました。
「ワハハハ……、きみたちの人数はそれっきりか。たった五人では、ちっとものたりないね。おれは、けっして、つかまらないよ。魔術師には、きみたちの夢にもしらない、おくの手があるのだ。」
舞台のやりとりが、そこまですすんだとき、とつぜん、見物席のうしろのほうに、ふしぎな、ざわめきが、おこりました。満場の見物の顔が、なにごとかと、いっせいに、そのほうをふりむきました。
うしろには、そとの廊下から見物席への入り口が、六ヵ所にひらいています。そのぜんぶの入り口から、ピストルで武装した警官が、三、四人ずつ、はいってくるのがみえました。いかめしい顔つきで、見物席のイスのあいだを、グングンと舞台のほうへ、すすんできます。じつに、ものものしい光景です。
この思いもよらぬできごとに、見物席は、シーンと、しずまりかえってしまいましたが、見物のうちには、これも、芝居のすじではないかと思った人もあるようです。なにしろ、きばつな「透明怪人」劇のことですから、見物をアッと言わせるために、こんな芝居を、しくまないとも、かぎらぬからです。
しかし、よく見ると、いま、はいってきた二十数人の警官は、どうも俳優らしくありません。舞台の、芝居の警官とくらべると、まるで、感じがちがうのです。
すると、そのとき、またしても、アッというようなことが、おこりました。こんどは舞台のほうです。舞台の両がわにある俳優の出入り口から、それぞれ五、六人の武装警官があらわれ、実験室のまんなかに立っている、にせ明智のほうへ、ジリジリと、せまっていくのです。
ぜんたいで三十数人にすぎませんが、よくめだつ警官服ですから、まるで、舞台も見物席も、武装警官で、いっぱいになったように感じられました。
さっき、舞台のにせ明智が言ったように、芝居のほうの警官は、中村係長と五人の巡査だけです。そのほかの三十数人は、芝居とかんけいのない、ほんものの警官です。いまは、見物たちにも、それがハッキリとわかりました。
いったい、まあ、これはどうしたというのでしょう。見物席は、にわかに、さわがしくなりました。われさきにと立ちあがって、ことのしだいを見きわめようとします。気のよわい女の人などは、席を立って、逃げだすという、さわぎです。
だれよりも早く、この警官隊に気づいたのは、舞台のまんなかにいる四十面相のにせ明智でした。かれは、見物席のうしろからと、舞台の両がわから、あらわれた三十余人の、ほんものの警官をにらみまわしながら、またしても、人もなげに、カラカラと笑いだすのでした。
「ワハハハ……五人ぐらいでは、ものたりないと言ったら、たちまち数倍の警官隊があらわれたね。これなら、敵にとって、ふそくはないぞ。いよいよ魔術師のうでまえを、お目にかけるときがきたようだな。諸君、どうか、お見おとしのないように。」
四十面相のにせ明智は、そんな、おどけを言いながら、見物席にむかって、ものものしくおじぎをしてみせるのでした。
消える怪人
ひとりの背広の紳士が、見物席のうしろからあらわれた警官隊の、まっさきに立っていましたが、このとき、その紳士はヒラリと舞台にとびあがり、ツカツカと俳優たちのそばへ近づいていました。この紳士こそ、ほかならぬ、ほんものの中村係長だったのです。
俳優のふんした中村係長と、ほんものの中村係長とが、こうして舞台のまんなかで、顔をあわせました。じつに、ふしぎな光景です。
「あなたはだれです。これは、いったい、どうしたことです。」
俳優の中村係長が、めんくらって、どもりながら、たずねます。
「われわれは、あいつを、つかまえにきたのです。ぼくは警視庁捜査一課の中村です。」
「アッ、あなたが中村さん……。」
俳優の中村係長は、おどろきのあまり、タジタジとあとじさりをしました。
「しかし、なぜですか? あの男は、わたしどもの座長の村上時雄という俳優です。村上が、なにか悪いことでもしたのでしょうか。」
「いや、あの男は村上じゃない。拘置所からぬけだしてきたばかりの四十面相だ。われわれは確証をにぎっている。説明はあとでします。そこを、どいてください。」
「エッ、この男が、あの、四十面相……。」
俳優の中村係長は、まっさおになって立ちすくんでしまいました。
この、舞台での問答が、前のほうの見物に聞こえたから、たまりません。たちまち、それが、口から口へとつたわり、「四十面相だッ。」「あれが魔術師の四十面相だッ。」という、おそれにみちた、つぶやきが、場内ぜんたいにひろがって、見物席はわきたつような、さわぎになりました。
気の強い連中は、舞台のほうへおしかける。老人や、女、子どもは、こわさがさきにたって、われがちにと、出口のほうへ、なだれをうつ。おしたおされて、うめく声、子どもの泣きごえ、女の悲鳴、まるで、大地震でもおこったようなさわぎです。
このとき、舞台の四十面相は、三方から、せまる警官隊に、おいつめられて、大きな化学実験台のうしろに、しりぞいていました。背景の黒ビロードの幕のまえに、にせ明智の空色の背広が、クッキリとうきだしてみえています。
「ワハハハ……、じつにゆかいだ。この冒険はたまらないよ。諸君、四十面相のさいごを見とどけてくれたまえ。諸君は、あとにもさきにも、こんな大芝居を、二度と見ることは、できないだろう……。それでは、諸君、おさらば……。」
かれの声が、だんだん、かすかになっていったかと思うと、ふしぎ、ふしぎ、四十面相のにせ明智の顔が、フッと、かきけすように、見えなくなってしまったではありませんか。あとには、首のない空色の背広だけが、立っているのです。
つぎには、その背広の上着が、ヒラヒラと空中にまいあがり、ひとりでにネクタイがとけ、ワイシャツがぬげたかと思うと、その下には、からだがなくて、まったくの、からっぽなのです。アッと、おどろくまに、こんどは、ズボンがズルズルと下へさがっていって、腰から下にも、なかみのないことがわかりました。つまり、洋服やシャツをぬいだ四十面相のからだは、かんぜんに、消えてなくなったのです。透明怪人になってしまったのです。
警官たちは、このふしぎを見せられて、思わず、立ちすくんでいましたが、そこへ、舞台の横から、いきなり、小林少年が、とびだしてきました。そして、大声に、わめくのでした。
「中村さん、いつもの手です。あいつのとくいなブラック・マジックです。四十面相は洋服とシャツの下に、もう一枚、黒いシャツとズボンを着ていたのです。そして、黒いきれで、顔をつつんだのです。すると、黒幕のまえでは、なにも見えなくなってしまうのです。あいつは、黒幕のあわせめから、舞台のうしろへ、逃げました。はやく追っかけてください。全身まっ黒な怪物が、四十面相です。」
ソレッというので、警官隊は、黒ビロードの幕におしかけました。二枚の幕が、まんなかで、かさなっていて、そこから舞台のうらへ、出られるのです。中村係長がさきになって、その黒幕をくぐりぬけました。
ガランとした、ひろい舞台うらには、小さなはだか電灯が、ところどころにぶらさがっているばかりで、しばらくは、なにも見えません。
やがて、目がなれるにつれて、うす暗いすみずみが、ハッキリ見えてきましたが、すると、見あげるような高い天井から、まるで大きなクモのように、まっ黒な人間のかたちをしたものが、ほそいひもで、ぶらさがっていることが、わかりました。
塔上の怪獣
その下へ、近よって、よく見ると、三十センチおきぐらいに大きなむすび玉のある、ほそい黒いひもが、天井からさがっているのです。全身まっ黒な怪物は、そのひもをつたって、足の指をむすび玉にかけて、スルスルと、のぼっていくのです。
「とまれッ。とまらぬと、ピストルをうつぞッ。」
中村係長が、天井にむかって、どなりました。しかし、黒い怪物は、すこしも、ひるまないで、ますます、速度をはやめて、のぼっていきます。のぼりながら、からだを左右にふるものですから、黒いひもが、ふりこのようにゆれはじめました。むろん、ピストルのねらいを、はずすためです。
「ぶっぱなせッ。」
中村係長のするどい、さけび声におうじて、一発、二発、三発、ピストルが火をふきました。しかし、警官のピストルは、あいてを殺すためではなく、ただ、動けなくするのが、目的ですから、ひじょうに、ねらいがむずかしいうえに、まとは、ブランブランと、はげしくゆれているのです。なかなかあたるものではありません。
黒い怪物は、ついに、天井の近くにひらいている、小さな窓にたどりつきました。そして、窓わくにまたがると、黒いひもを、スルスルと、てばやく、たぐりあげて、そのまま窓のそとへ、すがたを消してしまいました。
むすび玉のある黒いひもは、四十面相の七つ道具の一つで、じょうぶな絹糸をよりあわせて、つくったものです。のばせば、何十メートルの長さになり、まるめてしまえば、ポケットに、はいるという、べんりな、なわばしごです。
その絹糸のなわばしごは、世界劇場の屋根のいっぽうにそびえる、円形の塔の頂上に、むすびつけてありました。そこから、窓をくぐって、舞台うらにさがっていたのです。四十面相が、いざというときのために、まえもって、用意したのです。
「屋根へ逃げたぞ。みんな、そとに、まわれッ。」
中村係長のさしずで、数人の警官を、舞台うらにのこして、みんな劇場のそとにかけだしました。
そとは、もう夕がたでした。世界劇場の建物にも、そのへんのビルディングにも、もう電灯がつき、となりの大新聞社の電光ニュースは、夕やみのなかに、うつくしく動いていました。
劇場のまわりは、おそろしい人だかりです。怪人四十面相が、屋根へ逃げたということは、またたくまに知れわたり、人々の顔はいっせいに、空をむいています。
ふつうのビルディングでいえば、六階ほどの高さの、劇場の屋根のいっぽうに、西洋のむかしのお城のような、まるい塔がそびえているのです。その塔の上は、たいらになって、そのまわりに、パリのノートルダム寺院の屋上の、あの有名な彫刻をまねた、コンクリートの怪獣が、はるかに地上を見おろしてならんでいます。うすぐらくなった空に、それらの怪獣の、異様なすがたが、黒くクッキリと、うきあがっているのです。
そのとき、地上の群集の中から「ワーッ。」「ワーッ。」というかんせいがあがりました。怪獣と怪獣とのあいだを、なにか黒いものが、チョロチョロと動くのが見えたからです。あまり高いのと、夕やみのために、ハッキリ見さだめることはできませんが、たしかに怪獣とはべつのかたちのものが、動いたようです。まさか、コンクリートの怪獣に、たましいがはいって、動きだしたのではありますまい。