「アッ、ここだっ、賊はここにいるぞ。」
秘書のひとりが、築山の上のしげみのなかでさけびました。
懐中電燈の丸い光が、四ほうからそこへ集中されます。しげみは昼のように明るくなりました。その光の中を、賊は背中をまるくして、築山の右手の森のような木立ちへと、まりのようにかけおります。
「逃がすなっ、山をおりたぞ。」
そして、大木の木立ちのなかを、懐中電燈がチロチロと、美しく走るのです。
庭がひじょうに広く、樹木や岩石が多いのと、賊の逃走がたくみなために、相手の背中を目の前に見ながら、どうしてもとらえることができません。
そうしているうちに、電話の急報によって、近くの警察署から、数名の警官がかけつけ、ただちに塀の外をかためました。賊はいよいよ袋のネズミです。
邸内では、それからまたしばらくのあいだ、おそろしい鬼ごっこがつづきましたが、そのうちに、追っ手たちは、ふと賊の姿を見うしなってしまいました。
賊はすぐ前を走っていたのです。大きな木の幹をぬうようにして、チラチラと見えたりかくれたりしていたのです。それがとつぜん、消えうせてしまったのです。木立ちを一本一本、枝の上まで照らして見ましたけれど、どこにも賊の姿はないのです。
塀外には警官の見はりがあります。建物のほうは、洋館はもちろん、日本座敷も雨戸がひらかれ、家中の電燈があかあかと庭を照らしているうえに、壮太郎氏、近藤老人、壮二君をはじめ、お手伝いさんたちまでが、縁がわに出て庭の捕り物をながめているのですから、そちらへ逃げるわけにもいきません。
賊は庭園のどこかに、身をひそめているにちがいないのです。それでいて、七人のものが、いくらさがしても、その姿を発見することができないのです。二十面相はまたしても、忍術を使ったのではないでしょうか。
けっきょく、夜の明けるのを待って、さがしなおすほかはないと一決しました。表門と裏門と塀外の見はりさえげんじゅうにしておけば、賊は袋のネズミですから、朝まで待ってもだいじょうぶだというのです。
そこで、追っ手の人々は、邸外の警官隊を助けるために、庭をひきあげたのですが、ただひとり、松野という自動車の運転手だけが、まだ庭の奥にのこっていました。
森のような木立ちにかこまれて、大きな池があります。松野運転手は人々におくれて、その池の岸を歩いていたとき、ふとみょうなものに気づいたのです。
懐中電燈に照らしだされた池の水ぎわには、落ち葉がいっぱいういていましたが、その落ち葉のあいだから、一本の竹ぎれが、少しばかり首を出して、ユラユラと動いているのです。風のせいではありません。波もないのに、竹ぎれだけが、みょうに動揺しているのです。
松野の頭に、あるひじょうにとっぴな考えが浮かびました。みんなを呼びかえそうかしらと思ったほどです。しかし、それほどの確信はありません。あんまり信じがたいことなのです。
彼は電燈を照らしたまま、池の岸にしゃがみました。そして、おそろしいうたがいをはらすために、みょうなことをはじめたのです。
ポケットをさぐって、鼻紙をとりだすと、それを細くさいて、ソッと池の中の竹ぎれの上に持っていきました。
すると、ふしぎなことがおこったのです。うすい紙きれが、竹の筒の先で、ふわふわと上下に動きはじめたではありませんか。紙がそんなふうに動くからには、竹の筒から、空気が出たりはいったりしているにちがいありません。
まさかそんなことがと、松野は、自分の想像を信じる気になれないのです。でも、このたしかなしょうこをどうしましょう。命のない竹ぎれが、呼吸をするはずはないではありませんか。
冬ならば、ちょっと考えられないことです。しかしそれは、まえにも申しましたとおり、秋の十月、それほど寒い気候ではありません。ことに二十面相の怪物は、みずから魔術師と称しているほど、とっぴな冒険がすきなのです。
松野はそのとき、みんなを呼べばよかったのです。でも、彼は手がらをひとりじめにしたかったのでしょう。他人の力を借りないで、そのうたがいをはらしてみようと思いました。
彼は電燈を地面におくと、いきなり両手をのばして、竹ぎれをつかみ、ぐいぐいと引きあげました。
竹ぎれは三十センチほどの長さでした。たぶん壮二君が庭で遊んでいて、そのへんにすてておいたものでしょう。引っぱると、竹はなんなくズルズルとのびてきました。しかし、竹ばかりではなかったのです。竹の先には池のどろでまっ黒になった人間の手が、しがみついていたではありませんか。いや、手ばかりではありません。手のつぎには、びしょぬれになった、海坊主のような人の姿が、ニューッとあらわれたではありませんか。
樹上の怪人
それから、池の岸で、どんなことがおこったかは、しばらく読者諸君のご想像にまかせます。
五―六分ののちには、以前の松野運転手が、なにごともなかったように、同じ池の岸に立っておりました。少し息づかいがはげしいようです。そのほかにはかわったところも見えません。
彼は、いそいで母屋のほうへ歩きはじめました。どうしたのでしょう。少しびっこをひいています。でも、びっこをひきながら、ぐんぐん庭をよこぎって、表門までやってきました。
表門には、ふたりの秘書が、木刀のようなものを持って、ものものしく見はり番をつとめています。
松野はその前まで行くと、何か苦しそうにひたいに手をあてて、
「ぼくは寒気がしてしようがない。熱があるようだ。少し休ませてもらうよ。」
と、力のない声でいうのです。
「ああ、松野君か、いいとも、休みたまえ。ここはぼくたちがひきうけるから。」
秘書のひとりが元気よく答えました。
松野運転手は、あいさつをして、玄関わきのガレージの中へ姿を消しました。そのガレージの裏がわに、彼の部屋があるのです。
それから朝までは、べつだんのこともなくすぎさりました。表門も裏門も、だれも通過したものはありません。
塀外の見はりをしていたおまわりさんたちも、賊らしい人かげには出あいませんでした。
七時には、警視庁から大ぜいの係官が来て、邸内の取りしらべをはじめました。そして、取りしらべがすむまで、家の者はいっさい外出を禁じられたのですが、学生だけはしかたがありません。門脇中学校三年生の早苗さんと、高千穂小学校五年生の壮二君とは、時間が来ると、いつものように、自動車でやしきを出ました。
運転手はまだ元気のないようすで、あまり口かずもきかず、うなだれてばかりいましたが、でも、学校がおくれてはいけないというので、おして運転席についたのです。
警視庁の中村捜査係長は、まず主人の壮太郎氏と、犯罪現場の書斎で面会して、事件のてんまつをくわしく聞きとったうえ、ひととおり邸内の人々を取りしらべてから、庭園の捜索にとりかかりました。
「ゆうべ私たちがかけつけましてから、ただ今まで、やしきを出たものはひとりもありません。塀を乗りこしたものもありません。この点は、じゅうぶん信用していただいていいと思います。」
所轄警察署の主任刑事が、中村係長に断言しました。
「すると、賊はまだ邸内に潜伏しているというのですね。」
「そうです。そうとしか考えられません。しかし、けさ夜明けから、また捜索をはじめさせているのですが、今までのところ、なんの発見もありません。ただ、犬の死がいのほかには……。」
「エ、犬の死がいだって?」
「ここの家では、賊にそなえるために、ジョンという犬を飼っていたのですが、それがゆうべのうちに毒死していました。しらべてみますと、ここのむすこさんに化けた二十面相のやつが、きのうの夕方、庭に出てその犬に何かたべさせていたということがわかりました。じつに用意周到なやり方です。もしここの坊ちゃんが、わなをしかけておかなかったら、やつは、やすやすと逃げさっていたにちがいありません。」
「では、もう一度庭をさがしてみましょう。ずいぶん広い庭だから、どこに、どんなかくれ場所があるかもしれない。」
ふたりがそんな立ち話をしているところへ、庭の築山の向こうから、とんきょうなさけび声が聞こえてきました。
「ちょっと来てください。発見しました。賊を発見しました。」
そのさけび声とともに、庭のあちこちから、あわただしい靴音がおこりました。警官たちが現場へかけつけるのです。中村係長と主任刑事も、声を目あてに走りだしました。
行ってみますと、声のぬしは羽柴氏の秘書のひとりでした。彼は森のような木立ちの中の、一本の大きなシイの木の下に立って、しきりと上のほうを指さしているのです。
「あれです。あすこにいるのは、たしかに賊です。洋服に見おぼえがあります。」
シイの木は、根もとから三メートルほどのところで、二またにわかれているのですが、そのまたになったところに、しげった枝にかくれて、ひとりの人間が、みょうなかっこうをしてよこたわっていました。
こんなにさわいでも、にげだそうともせぬところをみると、賊は息絶えているのでしょうか。
それとも、気をうしなっているのでしょうか。まさか、木の上で、居眠りをしているのではありますまい。
「だれか、あいつを引きおろしてくれたまえ。」
係長の命令に、さっそくはしごが運ばれて、それにのぼるもの、下から受けとめるもの、三―四人の力で、賊は地上におろされました。
「おや、しばられているじゃないか。」
いかにも、細い絹ひものようなもので、ぐるぐる巻きにしばられています。そのうえさるぐつわです。
大きなハンカチを口の中へおしこんで、別のハンカチでかたく、くくってあります。それから、みょうなことに、洋服が雨にでもあったように、グッショリぬれているのです。
さるぐつわをとってやると、男はやっと元気づいたように、
「ちくしょうめ、ちくしょうめ。」
と、うなりました。
「アッ、きみは松野君じゃないか。」
秘書がびっくりしてさけびました。
それは二十面相ではなかったのです。二十面相の服を着ていましたけれど、顔はまったくちがうのです。おかかえ運転手の松野にちがいありません。
でも、運転手といえば、さいぜん、早苗さんと壮二君を学校へ送るために、出かけたばかりではありませんか。その松野が、どうしてここにいるのでしょう。
「きみは、いったいどうしたんだ。」
係長がたずねますと、松野は、
「ちくしょうめ、やられたんです。あいつにやられたんです。」
と、くやしそうにさけぶのでした。
壮二君のゆくえ
松野の語ったところによりますと、けっきょく、賊は、つぎのようなとっぴな手段によって、まんまと追っ手の目をくらまし、大ぜいの見ている中をやすやすと逃げさったことがわかりました。
人々に追いまわされている間に、賊は庭の池にとびこんで、水の中にもぐってしまったのです。でも、ただもぐっていたのでは呼吸ができませんが、ちょうどそのへんに壮二君がおもちゃにして、すてておいた、節のない竹ぎれが落ちていたものですから、それを持って池の中へはいり、竹の筒を口にあて、いっぽうのはしを水面に出し、しずかに呼吸をして、追っ手の立ちさるのを待っていたのでした。
ところが、人々のあとに残って、ひとりでそのへんを見まわしていた松野運転手が、その竹ぎれを発見し、賊のたくらみを感づいたのです。思いきって竹ぎれをひっぱってみますと、はたして、池の中からどろまみれの人間があらわれてきました。
そこで、やみの中の格闘がはじまったのですが、気のどくな松野は救いをもとめるひまもなく、たちまち、賊のために組みふせられ、賊がちゃんとポケットに用意していた絹ひもでしばりあげられ、さるぐつわをされてしまったのです。そして、服をとりかえられたうえ、高い木のまたへかつぎあげられたというしだいでした。
そうわかってみますと、壮二君たちを学校へ送っていった運転手は、いよいよにせ者ときまりました。たいせつなお嬢さん坊ちゃんが、人もあろうに、二十面相自身の運転する自動車で、どこかへ行ってしまったのです。人々のおどろき、おとうさまおかあさまのご心配は、くどくど、説明するまでもありません。
まず早苗さんの行く先、門脇中学校へ電話がかけられました。すると、意外にも早苗さんはぶじに学校へついていることがわかりました。では、賊はべつに誘かいするつもりではなかったのだなと、大安心をして、つぎには壮二君の学校へ電話をしてたずねますと、もう授業がはじまっているのに、壮二君の姿は見えないという返事です。それを聞くと、おとうさまおかあさまの顔色がかわってしまいました。
賊はわなをしかけたのが、壮二君であることを知ったのかもしれません。そして、足にうけた傷のふくしゅうをするために、壮二君だけを誘かいしたのかもしれません。
さあ、大さわぎになりました。中村捜査係長は、ただちにこのことを警視庁に報告し、東京全都に非常線をはって、羽柴家の自動車をさがしだす手配をとりました。さいわい自動車の型や番号はわかっているのですから、手がかりはじゅうぶんあるわけです。
壮太郎氏は、ほとんど三十分ごとに、学校と警視庁とへ電話をかけて、その後のようすをたずねさせていましたが、一時間、二時間、三時間、時はようしゃなくたっていくのに、壮二君の消息は、いつまでもわかりませんでした。
ところが、その日のお昼すぎになって、ひとりのうすよごれた背広に鳥打ち帽の青年が、羽柴家の玄関にあらわれて、みょうなことをいいだしました。
「あたしは、おたくの運転手さんにたのまれたんですがね。運転手さんが、なんだか途中できゅうに私用ができたとかで、たのまれて自動車を運んできたのですよ。車は門の中へ入れておきましたから、しらべて受けとってほしいんですがね。」
秘書が、そのことを奥へ報告する。それっというので、主人の壮太郎氏や支配人の近藤老人が、玄関へかけだして、車をしらべてみますと、たしかに羽柴家の自動車にちがいありません。しかし、中にはだれもいないのです。壮二君はやっぱり誘かいされてしまったのです。
「おや、こんなみょうな封筒が落ちていますよ。」
近藤老人が、自動車のクッションの上から、一通の封書を拾いあげました。その表には「羽柴壮太郎殿必親展」と大きく書いてあるばかり、裏を見ても、差出人の名はありません。
「なんだろう。」
と、壮太郎氏が封をひらいて、庭に立ったまま読んでみますと、そこには左のようなおそろしいことばが書きつらねてあったのです。
昨夜はダイヤ六個たしかにちょうだいしました。持ちかえって、見れば見るほどみごとな宝石、家宝としてたいせつに保存します。
しかし、お礼はお礼として、少しおうらみがあるのです。何者かが庭にわなをしかけておいて、ぼくの足に全治十日間の傷をおわせたことです。ぼくは損害を賠償してもらう権利があります。そのためにご子息壮二君を人質としてつれてかえりました。
壮二君は今、拙宅のつめたい地下室にとじこめられて、暗やみの中でシクシク泣いております。壮二君こそ、あののろわしいわなをしかけた本人です。これくらいのむくいは当然ではありますまいか。
ところで、損害の賠償ですが、それには、ぼくはご所蔵の観世音像を要求します。
ぼくは昨日、はからずも貴家の美術室を拝見する光栄を得たのですが、そのりっぱさにおどろきいりました。中でもあの観世音像は、鎌倉期の彫刻、安阿弥の作と説明書きがありましたが、いかにも国宝にしたいほどのもの、美術ずきのぼくは、ほしくてほしくてたまりませんでした。そのとき、どうあっても、この仏像だけはちょうだいしなければならないと、かたく決心したのです。
ついては、今夜正十時、ぼくの部下のもの三名が、貴家に参上しますから、だまって美術室に通していただきたいのです。彼らは観世音像だけを荷づくりして、トラックにつんで運びさる予定になっております。人質の壮二君は、仏像とひきかえに貴家へもどるようにはからいます。約束は二十面相の名にかけてまちがいありません。
このことを警察に知らせてはなりません。また部下のトラックのあとをつけさせてはいけません。もしそういうことがあれば、壮二君は永久に帰らないものとおぼしめしください。この申し出はかならずご承諾を得るものと信じますが、念のためご承諾のせつは、今夜だけ十時まで正門をあけはなっておいてください。それを目じるしに参上することにいたします。
二十面相より
羽柴壮太郎殿
なんという虫のよい要求でしょう。壮太郎氏はじめ、こぶしをにぎってくやしがりましたが、壮二君というかけがえのない人質をとられては、どうすることもできません。ざんねんながら、このむちゃな申し出に応ずるほかに手立てはないように思われます。
なお、賊にたのまれて自動車を運転してきた青年をとらえて、じゅうぶん詮議しましたけれど、彼はただ、いくらかお礼をもらってたのまれただけで、賊のことは何も知りませんでした。
少年探偵
青年運転手を帰すと、ただちに、主人の壮太郎氏夫妻、近藤老人、それに、学校の用務員さんに送られて、車をとばして帰ってきた早苗さんもくわわって、奥まった部屋に、善後処置の相談がひらかれました。もうぐずぐずしてはいられないのです。十時といえば、八―九時間しかありません。
「ほかのものならばかまわない。ダイヤなぞお金さえ出せば手にはいるのだからね。しかし、あの観世音像だけは、わしは、どうも手ばなしたくないのだ。ああいう国宝級の名作を、賊の手などにわたしては、日本の美術界のためにすまない。あの彫刻は、この家の美術室におさめてあるけど、けっしてわしの私有物ではないと思っているくらいだからね。」
壮太郎氏は、さすがにわが子のことばかり考えてはいませんでした。しかし、羽柴夫人は、そうはいきません。かわいそうな壮二君のことでいっぱいなのです。
「でも、仏像をわたすまいとすれば、あの子が、どんなめにあうかわからないじゃございませんか。いくらたいせつな美術品でも、人間の命にはかえられないとぞんじます。どうか警察などへおっしゃらないで、賊の申し出に応じてやってくださいませ。」
おかあさまのまぶたの裏には、どこともしれぬまっくらな地下室に、ひとりぼっちで泣きじゃくっている壮二君の姿が、まざまざとうかんでいました。今晩の十時さえ待ちどおしいのです。たったいまでも、仏像とひきかえに、早く壮二君をとりもどしてほしいのです。
「ウン、壮二をとりもどすのはむろんのことだが、しかし、ダイヤを取られたうえに、あのかけがえのない美術品まで、おめおめ賊にわたすのかと思うと、ざんねんでたまらないのだ。近藤君、何か方法はないものだろうか。」
「そうでございますね。警察に知らせたら、たちまち事があらだってしまいましょうから、賊の手紙のことは今晩十時までは、外へもれないようにしておかねばなりません。しかし、私立探偵ならば……。」
老人が、ふと一案を持ちだしました。
「ウン、私立探偵というものがあるね。しかし、個人の探偵などにこの大事件がこなせるかしらん。」
「聞くところによりますと、なんでも東京にひとり、えらい探偵がいると申すことでございますが。」
老人が首をかしげているのを見て、早苗さんが、とつぜん口をはさみました。
「おとうさま、それは明智小五郎探偵よ。あの人ならば、警察でさじを投げた事件を、いくつも解決したっていうほどの名探偵ですわ。」
「そうそう、その明智小五郎という人物でした。じつにえらい男だそうで、二十面相とはかっこうの取り組みでございましょうて。」
「ウン、その名はわしも聞いたことがある。では、その探偵をそっと呼んで、ひとつ相談してみることにしようか。専門家には、われわれに想像のおよばない名案があるかもしれん。」
そして、けっきょく、明智小五郎にこの事件を依頼することに話がきまったのでした。
さっそく、近藤老人が、電話帳をしらべて、明智探偵の宅に電話をかけました。すると、電話口から、子どもらしい声で、こんな返事が聞こえてきました。
「先生はいま、ある重大な事件のために、外国へ出張中ですから、いつお帰りともわかりません。しかし、先生の代理をつとめている小林という助手がおりますから、その人でよければ、すぐおうかがいいたします。」
「ああ、そうですか。だが、ひじょうな難事件ですからねえ。助手の方ではどうも……。」
近藤支配人がちゅうちょしていますと、先方からは、おっかぶせるように、元気のよい声がひびいてきました。
「助手といっても、先生におとらぬ腕ききなんです。じゅうぶんご信頼なすっていいと思います。ともかく、一度おうかがいしてみることにいたしましょう。」
「そうですか。では、すぐにひとつご足労くださるようにお伝えください。ただ、おことわりしておきますが、事件をご依頼したことが、相手方に知れてはたいへんなのです。人の生命に関することなのです。じゅうぶんご注意のうえ、だれにもさとられぬよう、こっそりとおたずねください。」
「それは、おっしゃるまでもなく、よくこころえております。」
そういう問答があって、いよいよ小林という名探偵がやってくることになりました。
電話が切れて、十分もたったかと思われたころ、ひとりのかわいらしい少年が、羽柴家の玄関に立って、案内をこいました。秘書が取りつぎに出ますと、その少年は、
「ぼくは壮二君のお友だちです。」
と自己紹介をしました。
「壮二さんはいらっしゃいませんが。」
と答えると、少年は、さもあらんという顔つきで、
「おおかた、そんなことだろうと思いました。では、おとうさんにちょっと会わせてください。ぼくのおとうさんからことづけがあるんです。ぼく、小林っていうもんです。」
と、すまして会見を申しこみました。
秘書からその話を聞くと、壮太郎氏は、小林という名に心あたりがあるものですから、ともかく、応接室に通させました。
壮太郎氏がはいっていきますと、りんごのようにつやつやしたほおの、目の大きい、十二―三歳の少年が立っていました。
「羽柴さんですか、はじめまして。ぼく、明智探偵事務所の小林っていうもんです。お電話をくださいましたので、おうかがいしました。」
少年は目をくりくりさせて、はっきりした口調でいいました。
「ああ、小林さんのお使いですか。ちとこみいった事件なのでね。ご本人に来てもらいたいのだが……。」
壮太郎氏がいいかけるのを、少年は手をあげてとめるようにしながら答えました。
「いえ、ぼくがその小林芳雄です。ほかに助手はいないのです。」
「ホホウ、きみがご本人ですか。」
壮太郎氏はびっくりしました。と同時に、なんだか、みょうにゆかいな気持になってきました。こんなちっぽけな子どもが、名探偵だなんて、ほんとうかしら。だが、顔つきやことばづかいは、なかなかたのもしそうだわい。ひとつ、この子どもに相談をかけてみるかな。
「さっき、電話口で腕ききの名探偵といったのは、きみ自身のことだったのですか。」
「ええ、そうです。ぼくは先生から、るす中の事件をすっかりまかされているのです。」
少年は自信たっぷりです。
「今、きみは、壮二の友だちだっていったそうですね。どうして壮二の名を知っていました。」
「それくらいのことがわからないでは、探偵の仕事はできません。実業雑誌にあなたのご家族のことが出ていたのを、切りぬき帳でしらべてきたのです。電話で、人の一命にかかわるというお話があったので、早苗さんか、壮二君か、どちらかがゆくえ不明にでもなったのではないかと想像してきました。どうやら、その想像があたったようですね。それから、この事件には、例の二十面相の賊が、関係しているのではありませんか。」
小林少年は、じつにこきみよく口をききます。
なるほど、この子どもは、ほんとうに名探偵かもしれないぞと、壮太郎氏はすっかり感心してしまいました。
そこで、近藤老人を応接室に呼んで、ふたりで事件のてんまつを、この少年にくわしく語り聞かせることにしたのです。
少年は、急所急所で、短い質問をはさみながら、熱心に聞いていましたが、話がすむと、その観音像を見たいと申し出ました。そして、壮太郎氏の案内で、美術室を見て、もとの応接室に帰ったのですが、しばらくのあいだ、ものもいわないで、目をつむって、何か考えごとにふけっているようすでした。
やがて、少年は、パッチリ目をひらくと、ひとひざ乗りだすようにして、意気ごんで言いました。
「ぼくはひとつうまい手段を考えついたのです。相手が魔法使いなら、こっちも魔法使いになるのです。ひじょうに危険な手段です。でも、危険をおかさないで、手がらをたてることはできませんからね。ぼくはまえに、もっとあぶないことさえやった経験があります。」
「ホウ、それはたのもしい。だがいったいどういう手段ですね。」
「それはね。」
小林少年は、いきなり壮太郎氏に近づいて、耳もとに何かささやきました。
「え、きみがですか。」
壮太郎氏は、あまりのとっぴな申し出に、目をまるくしないではいられませんでした。
「そうです。ちょっと考えると、むずかしそうですが、ぼくたちには、この方法は試験ずみなんです。先年、フランスの怪盗アルセーヌ=ルパンのやつを、先生がこの手で、ひどいめにあわせてやったことがあるんです。」
「壮二の身に危険がおよぶようなことはありませんか。」
「それは大じょうぶです。相手が小さな泥棒ですと、かえって危険ですが、二十面相ともあろうものが、約束をたがえたりはしないでしょう。壮二君は仏像とひきかえにお返しするというのですから、危険がおこるまえにちゃんとここへもどっていらっしゃるにちがいありません。もしそうでなかったら、そのときには、またそのときの方法があります。大じょうぶですよ。ぼくは子どもだけれど、けっしてむちゃなことは考えません。」
「明智さんの不在中に、きみにそういう危険なことをさせて、まんいちのことがあってはこまるが。」
「ハハハ……、あなたはぼくたちの生活をごぞんじないのですよ。探偵なんて警察官と同じことで、犯罪捜査のためにたおれたら本望なんです。しかし、こんなことはなんでもありませんよ。危険というほどの仕事じゃありません。あなたは見て見ぬふりをしてくださればいいんです。ぼくは、たとえおゆるしがなくても、もうあとへは引きませんよ。かってに計画を実行するばかりです。」
羽柴氏も近藤老人も、この少年の元気を、もてあましぎみでした。
そして、長いあいだの協議の結果、とうとう小林少年の考えを実行することに話がきまりました。
仏像の奇跡
さて、お話はとんで、その夜のできごとにうつります。
午後十時、約束をたがえず、二十面相の部下の三人のあらくれ男が、あけはなったままの、羽柴家の門をくぐりました。
盗人たちは、玄関に立っている秘書などをしりめに、
「お約束の品物をいただきにまいりましたよ。」
と、すてぜりふを残しながら、間どりを教えられてきたとみえて、まよいもせず、ぐんぐん奥のほうへふみこんでいきました。
美術室の入り口では、壮太郎氏と近藤老人とが待ちうけていて、賊のひとりに声をかけました。
「約束はまちがいないんだろうね。子どもはつれてきたんだろうね。」
すると、賊はぶあいそうに答えました。
「ご心配にゃおよびませんよ。子どもさんは、もうちゃんと、門のそばまでつれてきてありまさあ。だがね、さがしたってむだですぜ。あっしたちが荷物を運びだすまでは、いくらさがしてもわからねえように工夫がしてあるんです。でなきゃあ、こちとらがあぶないからね。」
いいすてて、三人はドカドカ美術室へはいっていきました。
その部屋は土蔵のような造りになっていて、うす暗い電燈の下に、まるで博物館のようなガラス棚が、グルッとまわりをとりまいているのです。
よしありげな刀剣、甲冑、置き物、手箱の類、びょうぶ、掛け軸などが、ところせましとならんでいるいっぽうのすみに、高さ一メートル半ほどの、長方形のガラス箱が立っていて、その中に、問題の観世音像が安置してあるのです。
れんげの台座の上に、ほんとうの人間の半分ほどの大きさの、うす黒い観音様がすわっておいでになります。もとは金色まばゆいお姿だったのでしょうけれど、今はただ一面にうす黒く、着ていらっしゃるひだの多い衣も、ところどころすりやぶれています。でも、さすがは名匠の作、その円満柔和なお顔だちは今にも笑いだすかと思われるばかり、いかなる悪人も、このお姿を拝しては、合掌しないではいられぬほどにみえます。
三人の泥棒は、さすがに気がひけるのか、仏像の柔和なお姿を、よくも見ないで、すぐさま仕事にかかりました。
「ぐずぐずしちゃいられねえ。大いそぎだぜ。」
ひとりが持ってきたうすぎたない布のようなものをひろげますと、もうひとりの男が、そのはしを持って、仏像のガラス箱の外を、ぐるぐると巻いていきます。たちまち、それとわからぬ布包みができあがってしまいました。
「ほら、いいか。横にしたらこわれるぜ。よいしょ、よいしょ。」
傍若無人のかけ声までして、三人のやつはその荷物を、表へ運びだします。
壮太郎氏と近藤老人は、それがトラックの上につみこまれるまで、三人のそばにつききって、見はっていました。仏像だけ持ちさられて、壮二君がもどってこないでは、なんにもならないからです。
やがて、トラックのエンジンが、そうぞうしくなりはじめ、車は今にも出発しそうになりました。
「おい、壮二さんはどこにいるのだ。壮二さんをもどさないうちは、この車を出発させないぞ。もし、むりに出発すれば、すぐ警察に知らせるぞ。」
近藤老人は、もう、一生けんめいでした。
「心配するなってえことよ。ほら、うしろを向いてごらん。坊ちゃんは、もうちゃんと玄関においでなさらあ。」
ふりむくと、なるほど、玄関の電燈の前に、大きいのと小さいのと、二つの黒い人かげが見えます。
壮太郎氏と老人とが、それに気をとられているうちに、
「あばよ……。」
トラックは、門前をはなれて、みるみる小さくなっていきました。
ふたりは、いそいで玄関の人かげのそばへひきかえしました。
「おや、こいつらは、さっきから門のところにいた親子の乞食じゃないか。さては、いっぱい食わされたかな。」
いかにもそれは親子と見えるふたりの乞食でした。両人とも、ぼろぼろのうすよごれた着物を着て、にしめたような手ぬぐいでほおかむりをしています。
「おまえたちはなんだ。こんなところへはいってきてはこまるじゃないか。」
近藤老人がしかりつけますと、親の乞食がみょうな声で笑いだしました。
「エヘヘヘヘヘ、お約束でございますよ。」
わけのわからぬことをいったかと思うと、彼はやにわに走りだしました。まるで風のように、暗やみの中を、門の外へとびさってしまいました。
「おとうさま、ぼくですよ。」
こんどは子どもの乞食が、へんなことをいいだすではありませんか。そして、いきなり、ほおかむりをとり、ぼろぼろの着物をぬぎすてたのを見ると、その下からあらわれたのは、見おぼえのある学生服、白い顔。子ども乞食こそ、ほかならぬ壮二君でした。
「どうしたのだ、こんなきたないなりをして。」
羽柴氏が、なつかしい壮二君の手をにぎりながらたずねました。
「何かわけがあるのでしょう。二十面相のやつが、こんな着物を着せたんです。でも、今までさるぐつわをはめられていて、ものがいえなかったのです。」
ああ、では今の親乞食こそ、二十面相その人だったのです。彼は乞食に変装をして、それとなく、仏像が運びだされたのを見きわめたうえ、約束どおり壮二君をかえして、逃げさったのにちがいありません。それにしても、乞食とは、なんという思いきった変装でしょう。乞食ならば、人の門前にうろついていても、さしてあやしまれないという、二十面相らしい思いつきです。
壮二君はぶじに帰りました。聞けば、先方では、地下室にとじこめられてはいたけれど、べつに虐待されるようなこともなく、食事もじゅうぶんあてがわれていたということです。
これで羽柴家の大きな心配はとりのぞかれました。おとうさまおかあさまの喜びがどんなであったかは、読者諸君のご想像におまかせします。
さていっぽう、乞食に化けた二十面相は、風のように羽柴家の門をとびだし、小暗い横町にかくれて、すばやく乞食の着物をぬぎすてますと、その下には茶色の十徳姿のおじいさんの変装が用意してありました。頭はしらが、顔もしわだらけの、どう見ても六十をこしたご隠居さまです。
彼は姿をととのえると、かくし持っていた竹の杖をつき、背中をまるめて、よちよちと、歩きだしました。たとえ羽柴氏が約束を無視して、追っ手をさしむけたとしても、これでは見やぶられる気づかいはありません。じつに心にくいばかりの用意周到なやりくちです。
老人は大通りに出ると、一台のタクシーを呼びとめて、乗りこみましたが、二十分もでたらめの方向に走らせておいて、べつの車に乗りかえ、こんどは、ほんとうのかくれがへいそがせました。
車のとまったところは、戸山ヶ原の入り口でした。老人はそこで車をおりて、まっくらな原っぱをよぼよぼと歩いていきます。さては、賊の巣くつは戸山ヶ原にあったのです。
原っぱのいっぽうのはずれ、こんもりとした杉林の中に、ポッツリと、一軒の古い洋館が建っています。荒れはてて住みてもないような建物です。老人は、その洋館の戸口を、トントントンと三つたたいて、少し間をおいて、トントンと二つたたきました。
すると、これが仲間のあいずとみえて、中からドアがひらかれ、さいぜん仏像をぬすみだした手下のひとりが、ニュッと顔を出しました。
老人はだまったまま先に立って、ぐんぐん奥のほうへはいっていきます。廊下のつきあたりに、むかしは、さぞりっぱであったろうと思われる、広い部屋があって、その部屋のまんなかに、布をまきつけたままの仏像のガラス箱が、電燈もない、はだかろうそくの赤茶けた光に、照らしだされています。