文章二:小说の世界(1)
一、原文
小说の世界
伊豆の温泉地に向かう特急に 「踊り子号」というのがあり,修善寺から汤が野に抜ける天城峠が踊り子ラインの爱称で 呼ばれて いるが,いずれも川端康成(かわばたやすなり)の名作「伊豆の踊り子」に ちなんだもので ある。
ところで,その作品で あるが,川端は 第一高等学校2年の秋,数え年20歳のとき,実际に 伊豆を 旅行し,旅芸人と 道连れになったので あるから,次のような写実的描写は 本物で ある。
“…私は二十歳, 高等学校の制帽を かぶり, 绀がすりの着物に はかまを はき, 学生カバンを 肩に かけて いた。 修善寺温泉に 一夜 泊まり, 汤々岛温泉に 二夜 泊まり, そして ほお歯の高げたで 天城を 登って きたのだった…”
これが,この主人公「私」の旅姿で,その当时の高等学校の学生は このようなバンカラ姿を 得意と して いた。ここで いう高等学校と いうのは,今の高校では なく,旧制のほうで あり,その学生と いえば,当时のエリート中のエリートで ある。一方,ヒロインの踊り子のほうは 次のように 描写されて いる。
“…踊り子は 17ぐらいに 见えた。 私には わからない古风の不思议な形に 大きく 髪を 结って いた。それが 卵形のりりしい颜を 非常に 小さく见せながらも, 美しく 调和して いた…”
今では 游覧バス「踊り子号」が このようないでたちのガイドを 乗せて いるが,姿は 同じでも 中身は 近代的なお嬢さんだから,よどみなく出る案内のせりふに,踊り子のあどけなさを 感じ取ることは できない。その点では 映画「伊豆の踊り子」のほうが 実际に 近いかもしれないが,映画は すべてを 描写し尽くして,想象力を 働かせる余地が ないから,ひとり 静かに 楽しむ読书には 及ばないところも ある。しかし,その想象力も,今から 80年以上も 前の大正7年に さかのぼらせることは 至难で ある。
それにも かかわらず,伊豆の踊り子が 読者の共感を 呼ぶのは,そこに 描かれた心の働きが,古今を 通じて変わらぬ男女间の爱情を とらえて いるからで ある。若いふたりの间に かわされたほのぼのとした心情を,本文中 至るところに 见られる次のような描写が 余すところなく 描き出して いる。
“…踊り子が 下から 茶を 运んで きた。 私の前に すわると, まっかに なりながら 手を ぶるぶる ふるわせるので, 茶わんが 茶たくから 落ちかかり, 落とすまいと 畳に 置く拍子に 茶を こぼして しまった…
…ほの暗い汤殿の奥から, 突然 裸の女が 走り出して きたかと思うと, 脱衣场のとっばたに 川岸へ 飞びおりそうな格好で 立ち, 両手を いっぱいに 伸ばして 何か 叫んで いる。 手ぬぐいも ない,まっぱだかだ。 それが 踊り子だった…
…汤には 行かずに, 私は 踊り子と 五目を 并べた。 彼女は 不思议に 强かった。 五目では たいていの人に 胜つ私が, 力いっぱいだった。 わざと 甘い石を 打って やらなくても いいのが 気持ちよかった。 二人きりだから, 始めのうち 彼女は 远くのほうから 手を 伸ばして 石を おろして いたが, だんだん われを 忘れて, 一心に 碁盘の上へ おおいかぶさって きた。 不自然なほど 美しい黒髪が わたしの胸に 触れそうに なった…”
こういう描写に 接すると,読者はこの「私」に なりきった気持ちで,この踊り子のぬくもりを 感じ,感情の高まりを 覚えるが,架空の人物が ここまで 読者の心に 迫るのは,それこそ ことばの魔术以外の何物でも ない。
川端は,その后 毎年のように 伊豆に 出かけ,伊豆を 第二の故郷と 考え,伊豆を 心から 爱し,踊り子に 感じたほのぼのとした爱情を 重ね合わせて この作品を 仕上げた。このことに 关连して 见ながして ならないのは,川端の生い立ちで あり,それが きわめて 不幸なもので あったために,ときには 若い川端を ひねくれ者に させて いたことで ある。その暗い心が,踊り子と 接することに よって ほぐれたことは 确かで あり,次のような描写は,川端自身のいつわらざる告白と 言っても よいのでは ないだろうか。
“…この物言いは 単纯で あけっぱなしな响きを 持って いた。 感情の倾きを ぼいと 幼く 投げ出して 见せた声だった。 私自身にも, 自分を いい人だと すなおに 感じることが できた。 晴れ晴れと 目を 上げて 明るい山やまを 眺めた。 まぶたの里が かすかに 痛んだ。 世间寻常の意味で 自分が いい人に 见えることは, 言いようなく ありがたいのだった…”
これは 「いい人ね。ほんとに いい人ね。いい人は いいね。」というせいりふが 先を 歩く踊り子の口から 漏れたときの描写で ある。自分の性格の肯定的な面を,他人に 认めて もらえた青年の喜びが,そのすがすがしい気分が,天城の山々の明るい景色と 重なり合って,読者の心を 打つ。作者の生い立ちを 知り,作者の行动を 知って 作品に 接するとき,その感慨は また ひとしおで ある。